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幸福雑音

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イラストアップ(画像クリックで拡大) 燐と雪男

鯖の祓魔師横に余計なもん付けるだけで大変なことに。日とかさんずいだったら、いいのかもしれない。やっぱり駄目かもしれない。

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☆ss「フレーズ」メフィ燐 獅燐前提 15000hitリクエストの前話

「お腹でも空いてるんですか?」
 声のするほうに振り向いて黙っていると長身の男はなおも言ってきた。
「悲しそうな顔をしているので。」
「俺が悲しそうだと腹が空いてるってことになるのかよ。メフィスト。」
 違ったんですかと言わんばかりにメフィストは肩を竦める。そしてポケットから特徴的なプラスチックボトルに入ったラムネを手渡してきた。燐は渋々それを受け取る。腹が減っているのかと尋ねてきた割には、随分とチープなものをくれるもんだ。
 燐は何をするでもなく寮の建物の前でぼーっとしているところだった。金曜日の十一時といえば夜更かしタイムの真っ最中でクロと遊んでいるはずだけど、今夜はメフィストが何故か遊びに来ていた。
「お前、あいんつばいどらいとかほざいたら、ここに定食一セットくらい出せるんじゃないのかよ。」
「私は悪魔ですが余程のことがないかぎり魔法使いを気取る気はないんですよ。末の弟の寂しい口を慰める程度のことは、自分のありあわせのお菓子で間に合わせるわけです。ラムネがお嫌いでしたら都こんぶなんかもありますから。」
「ラムネでいいよ……。」
 この悪魔は日本贔屓とは聞いていたけど、敢えてスシ・テンプラ・サシミではなく、駄菓子やカップラーメンに好みがいくところが、胡散臭いこの男に似合っていると燐は思った。そういえば禁煙十五年目だった故・藤本獅郎も口が寂しかったのか、よく都こんぶを噛んでいたような気がする。
 燐は訊いてみた。
「あれってお前がジジイにあげてたりしてたのか?」
「あれとは何です?」
「都こんぶ。禁煙してたジジイがよく噛んでた。お前、ジジイと友達だったんだよな?」
「そうですよ。獅郎は友達でした。」
 随分とすんなり認めてくれた。もっと捻くれたというか、はぐらかされると思っていただけに、燐は虚を突かれたように口を開けていた。その口の中にラムネが数粒放り込まれる。
「ガムより腹持ちがいいと好評でしたよ。ちなみにラムネ菓子はあなたたちがお好きだと聞いたことがあります。見たことがありますが正解ですね。手紙の文面で読んだことがあるんですよ。文通してましたから。」
 口の中のラムネ菓子は噛むまでもなく溶けてなくなっていく。本当に中身がカスカスそうなこいつがくれる菓子にぴったりだよと思ったが、どうやらメフィストは燐の好みに合わせていてくれていたつもりらしい。それは十年くらい前の話だけど。十年前の好きなものをくれたって、普通はその好意に気付けるもんじゃない。
「年寄りは昔のことのほうが記憶の中で色彩が鮮やかなんですよ。現在に近づくほど、なんか信用ならない記憶だと思い込んでしまうんですよ。」
 燐の顔を窺うようにメフィストは尋ねてくる。
「ラムネ菓子お好きですよね?」
「嫌いじゃ、ない。」
「なら良かったです。」
 燐は上目遣いにメフィストの顔を見た。メフィストはというと、あまり燐に関心がないように手の平に乗せた都こんぶの箱をいじっている。自分から声を掛けてきたくせに放置かよと思った。燐にとっては恋心の対象である勝呂も長身であるが、メフィストのそれは大きく上回っている。そのくせ厚みの無い身体が印象的すぎて余計に胡散臭く見えているのかもしれない。そういえば死んだ養父もけしてがたいががっしりしているわけじゃなかった。ふと胸に蘇った思いが目の奥を刺激して、涙が出そうになった。だからそれを誤魔化すために会話を続けようと思った。
「メフィストさあ、ジジイと本当に友達だったのか?」
「友達ですよ。」
「文通以外になんかしてたのか?」
 メフィストは黙って燐の側に腰を下ろした。少し砂が散らばっている地面に(舗装はされている)そんなスーツ姿で直座りしてもいいのかよと燐は突っ込んだ。メフィストはあなたこれ一張羅だと思ってるんですかと返す。それもそうだなと燐は納得した。似非魔法使いは今日はとことん魔法を使わないらしい。
「文通以外にもたくさんありますよ。」
「どんな。」
 メフィストはその長い指を折りながら燐に微笑みかける。
「文通と。それから毎年、暑中見舞いと年賀状と、バースデーカードも交換してましたね。」
「そんなん見たことねえよ。」
「あらあら。獅郎はとことん私の存在は君たちに隠してたみたいですね。」
 今は自分の素性もすっかり分かっている燐は、事情が事情だからなと納得した振りをしている。でも、このメフィストという男はこの学園に来てからは自分を異質な存在として扱うようなそぶりは無い。弟の雪男のほうがよっぽどピリピリしているくらいだ。
「プリクラも撮ってましたけど、それこそ見たことないと返されますよねえ。」
 手帳を取り出したメフィストは、表紙の端に張られたシールを燐に見せびらかす。それにはごく普通のオッサンが二人立っているだけで、申し訳程度に二人の胸あたりにポップな色の線で「藤本」と「メフィスト」としか書いていないプリクラだった。それには燐も苦笑いしか浮かばない。
「今の私でしたら、女子高生顔負けのプリクラに出来るんですがね。一緒に撮る相手がいないから腕の見せ所がないんですよ。今度撮りにいきませんか?」
 冗談なのか本気なのか分からなかったので燐は答えなかった。しかしメフィストが嬉々としてプリクラの落書きコーナーでペンを振るう姿はありありと想像できた。むしろこの不慣れな名前だけ書かれたプリクラこそ現実味を感じられなかった。
「あとバレンタインに友チョコの交換をしてました。獅郎は普通に美味しそうなチョコを送ってくれました。私は捻くれた悪魔ですから、ラッピングされた箱の中に心づくしを忍ばせていましたけど。」
「心づくし?」
 手作りチョコなのだろうかと燐は怪訝そうにメフィストを見ている。メフィストは右手の最後の指を折る。
「これは知らなかったとは言わせません。私はあなたたち兄弟宛にお年玉を送ってましたよ。」
「ひょっとして、あの誰からか分からない図書券のことか?」
「はい。普通に現金を獅郎に託けても良かったのでしょうけど。」
「俺、一度も使ったことない。」
「どうして使わなかったんですか? それは今どうなっているんです?」
「図書券だもん。ジジイは漫画買うのに使っちゃいけねーって言うから、全部雪男にあげた。」
 メフィストは噴出した。本当にこの末弟は知恵が回らない。世の中には金券ショップという裏技が表通りに転がっているのに。本の好きな弟に全部やってしまうあたりが、やはり弟思いのお兄ちゃんという微笑ましいところだろう。
「私のお年玉は雪男君だけが得しちゃったようですね。」
「でも一応は礼を言っとくわ。毎年、ありがとうございました。」
「いいえ。どういたしまして。来年のお年玉も図書券になるでしょうけど、私は獅郎のように漫画に使っちゃ駄目という条件は言いませんので、お好きに使いなさいな。私は漫画が大好きですからね。」
「もういいよ。そんなガキじゃねえし。」
「寂しいこと言わないでくださいよ。」
「いや。本当にいいから。それよりも月の小遣い増やして欲しいんだけど。」
「それなら早く祓魔師の資格取って、自分で稼げばいいじゃないですか。意外と給料いいんですよ。」
 燐は気弱そうに俯く。多分無意識だろうとメフィストは腕を組む。弟の前では「なってやる」と言い張っているけど、不安は無いわけではないらしい。メフィストから見れば弟の雪男に比べてメンタル面の素質はあるように見えるけど、中学までの勉強だとかの蓄積の無さ故の遅れが、燐の曇った顔に覗かせる疲れに出ているように見えた。
「メフィスト……」
 メフィストの膝に燐の手が伸びてきた。なんだろうと思っていると、今度はもう片方の手が首に回ってくる。つまり抱きつかれた。やれやれとメフィストは嘆息する。わけのわからない不定愁訴の他にホームシックも患ってしまっているらしい。
「ガキじゃないんじゃなかったんですか。」
「そのはずなんだけど。なんか急にどっときた。」
 燐は努めて意識しないようにはしているだろうが、弟との差は縮まらないし、弟は弟で今日も任務で留守にしている。燐を一人残して。その弟が帰ってきたとしても、たぶん弟は燐に干渉するか抑制方面の行動ばかりしてしまうんだろう。それも愛故なのだろうけど。
「疲れたのならば早く休みなさい。私はそろそろお暇しますから。」
「あっ……」
 でも燐は離れようとしない。
「お父さんが恋しいのですか? それなら尚更私に縋るのはやめなさい。」
「そうだよな。お前香水臭いし。」
「紳士の嗜みですよ。」
 メフィストに抱きついたまま燐は呟いた。
「ジジイは――。いっつも黒いカソック姿でさ。それに染み付いたお日様の匂いしかしなかったんだ。」
「あなたがたの為にタバコをやめましたからね。」
 そして冷徹で完璧な聖騎士であることもやめた。
 メフィストは両手を燐の身体に回す。燐に訊かれた藤本との交友関係の実態を胸の中に反芻する。それは――。
文通は双子の近況報告とヴァチカンの動向を伝え合う連絡手段だった。暑中見舞いと年賀状とバースデーカードはそのまま兄弟の成長の記録だったし、プリクラを撮ったのもその空間で色々悪企みを話し合ったついでだった。そしてバレンタインのチョコの箱の中には、資金としての現金や有価証券を忍ばせた。あとお年玉は――。
藤本とメフィストの友情には常に、奥村兄弟の気配が常にあった。メフィストは直接の接触はしなかったが、燐と雪男については十五年間見守ってきたと言ってもいい。
 メフィストはすっと燐から離れる。うずくまった燐だけがそこに残された。
 自分が話したり構ったりするのは、ここまでだと思ったから。
「もう行っちゃうのかよ。」
 本当にラムネみたいにカスカスな奴。燐の目が恨めしそうに気紛れで捻くれた悪魔に向けられていた。
「お年玉はあなたたちが二十歳になるまで送らせてもらいますよ。」
 そう言って燐に背を向ける。
「馬鹿――。」
 燐の恨み言にメフィストは口の端を上げる。そうだそれでいいと呟いて夜の闇に消えていった。





メフィ燐なのでリクエストとはずれてしまうので、別の話として書きました。ちょっと「エメロード」補足が書けてよかったです。まだメフィストが燐に対してどう思ってるのか、藤本との関係が確定してないので、かなり曖昧でした。すみません。ここからリクエスト作品の「レザン」に続きます。

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☆ss「ザ フィッシュフットマン」 志摩燐で雪燐、「ハンプティダンプティ」の後日談

 

燐は塾が終わったあと、正十字マートのチラシを見ていた。
「サンマ一尾百円か……。魚は雪男の好物だし、ちょっと旬じゃねえけど塩焼きにして食べさせてやるか。」
 悩むまでもなく今夜の献立を確定させた燐は、チラシを片手に主婦さながらの機動力で学校から最寄のスーパーマーケットまで歩いている。それにどうにか追いすがろうとする影があった。
「奥村君。今日こそあの時の屈辱をはらしたるで。」
 
 夕方のスーパーは戦場だった。しかし家族四人分とかを揃えなければならない主婦たちに対して、燐は弟との二人分の食材を揃えるだけでいいので、それほどの苦戦はしなかった。最小限の安売りさえ確保出来れば素早く次の日の弁当の食材も揃える。
 燐は長蛇の列のレジに並んでいた。ふと目の端にピンクの頭髪が映って燐の首をかしげさせる。しかし別にそれが同じ塾に通う同級生だからと言って声をかける道理はない。どうせ晩飯が足りなくて買い食いでもしに来たんだろう。気楽なガキはいいよな、主婦の苦労なんて全然わかってねえと脳内で呟いて、レジのお姉さんの前にカゴを置いた。
 
 寮に帰ればウコバクが待っていた。燐の数少ない料理友達の悪魔だった。ウコバクは持っていた鍋を燐のほうに見せる。
「今日はサトイモの煮っ転がしか。薄味の雪男好みのやつだな。俺もサンマ買って雪男の好みに合わせてるからちょうどいいな。」
 シェアしあっている厨房で燐とウコバクはハイタッチをした。示し合わせたような気の合った献立がやけに嬉しい。
「じゃあ俺はサンマの用意をするか。」
 パックを開けてサンマをまな板に載せる。そしてその腹を燐は切り開いた。
 
「ちょっとまったあ!」
 
 厨房のドアを勢いよくあけて、ピンク頭の男が侵入してきた。ウコバクは慌てて食器棚に隠れる。燐はそれを確かめると、なんだよと闖入者を威嚇する。
「誰かと思えば、食に対する邪道いや外道のマヨラー野郎じゃねえかよ。何が待った、だ。俺は俺と雪男の分の晩飯作ってるだけだよ。」
「その晩飯のメインディッシュが問題なんや。今。自分、そのサンマをどうしようとしとったんや?」
 燐はきょとんとしている。
「内臓と取ろうとしてるんだけど?」
「ぶーっ。サンマの塩焼きというたらな、内臓はとらんとその苦味を味わうのが常識や。奥村君のいっぱしの料理人気取っとるつもりやろうけど、そないな非常識平気でやらかしといて、ヘソが茶ぁ沸かすわ!」
 うっ。と燐は詰まる。小さい頃から料理をしていることがここで仇になった。苦いのに耐えられない幼少時から料理をしていただけに、サンマを塩焼きにするときは必ず内蔵を取っていた。それに文句をいう大人もいなかったので、習慣からサンマの内臓を取ることが邪道だということを忘れていた。それを志摩に見破られていたのか。たぶん常日頃の行動から。変なところで観察眼のある奴だと思った。
「奥村君。俺が卵焼きにマヨネーズかけた時になんて言うたかな? やっぱりお前はランク外とか、そないなこと言うとらせんかったかな? でも料理に余計なものかけるのと、本来の料理に必要なもんを勝手に取り除くんは、どっちがどうなんやろうなあ? なあ、奥村君。」
 燐は唇を噛む。あの時は気にしなかったが、スーパーで志摩を見かけたのはこの場面を狙われていたのだという事実に今更気がついた。
「奥村君がチラシをチェックしている時に、今日があの日の雪辱の機会やと俺は思ってたんや。まあ、溜飲が下がったからもうええわ。今日は帰らして貰います。」
 志摩はあっさりと退くようだった。燐は内心ほっとしてその後姿を見送る。しかし出口で志摩はくるっと燐を振り向いた。
「と思うたけど、それで済むと思うたら大間違いやっ。」
「なんなんだよっ。」
 志摩は再び燐のつかつかと戻ってくる。
「お詫びと言ってはなんやけどな、俺のランク外発言を取り消して貰おうか燐ちゃん。」
 いつの間にか「奥村君」呼びが「燐ちゃん」に摩り替わっている。志摩の強気が窺われた。
「坊よりかっこええは流石におこがましいかもしれんけど、燐ちゃんに一矢報いたんやから、燐ちゃんの直ぐ下のクロの上くらいにはしてくれんとな?」
「えっ。クロの上っ?」
「嫌や言うても聞かへんで。明日の塾のときに更新されたランク表持って俺に見せるんや。ええな。燐ちゃん。」
 志摩は燐の肩に腕を回して囁く。燐は俯いてそれに頷こうとしたその時だった。
 
「ちょっとまったあ!」
 
 またもやドアが開け放たれる。ウコバクはうるさそうに食器棚から顔を覗かせている。かなり鬱陶しそうだ。三様の視線がドアに集まる。入ってきたのは申し合わせたような献立に一番満足しそうな人物だった。
「そのサンマはまだ塩をかけられてないっ。兄さん、志摩君に屈服するのは早いよ!」
 呼ばれもしないのに飛び出てきたのは、黒子と眼鏡が特徴的な奥村雪男だった。雪男はまな板の上のサンマの前に躍り出て、燐の手を取る。
「兄さん。サンマを三枚に卸すんだ。」
「雪男。どういうことなんだ?」
 首をかしげながら燐は内臓を抜いたサンマを器用に三枚に卸す。雪男はカバンの中から一本のビンを取り出すと、そのサンマにばしゃばしゃと振りかけた。
「雪男。これは蒲焼のたれじゃないか。」
「そうさ。内臓を抜いても蒲焼なら許される。」
「うっ。若先生そうきたか――。」
 献立変更まで志摩は頭が回っていなかった。
「見事な返しやわ。先生、最後まで勝負を捨てないその執念。」
「いや、お前の相手は俺だったよな? それよりも――、雪男。お前薄味が好きな癖にいいのかよ。せっかくのサンマを甘辛の蒲焼にしてっ。今日はお前の好物ばっかりだと、思ってたのに。俺のためにそんなことしなくていいのに。内臓抜いた塩焼きにしようとしたのは俺なのに。どうしてお前がそんな無理を通そうとするんだよ。」
 雪男はふふふと笑うと、どさくさに紛れて兄を抱き寄せる。
「僕は、兄さんの為なら大根おろしもスダチも我慢できるよ。いいんだよ。ご飯に乗せれば蒲焼丼じゃないか。」
「ゆきおぉ!」
 志摩はそんな二人を見て、負けたと呟いた。謎の感動がその場を包み込んでいる。ただ一匹だけウコバクがげんなりしている。厨房で何やってるんだこいつらと。
「ええもん見して貰ろうたわ。次の勝負までランキング更新はお預けや、奥村君。」
「次があるのかよ……。」
 
話は勝手にコンティニューしている。ちなみに勝呂はサンマの内臓は抜かずにポン酢をかける派でした。




志摩の逆襲編でした。ちなみに柴の家はサンマもアユも内臓は抜いておく派です。雪男ちゃんは今回、燐の中でポイントを上げました。よかった。よかった。

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☆ss「カプリチョーソ」志摩燐前提の雪燐、「アラベスク」シリーズ「ロマンス」の続き


「ゆきおおじちゃんごはんです。」
 雪男はるんを膝に乗せて絵本を読んでやっていた。すると台所にいる燐の側で晩御飯が出来るのを待っていたらんが雪男を呼びに来た。
「もう出来たんだ。るん君、続きは寝る前にね。」
「うん。」
 雪男は台所に行く。その後ろに双子の甥っ子がついてくる。
「兄さん。手伝うよ。」
 燐が手渡すよそったご飯とおかずを手つきの盆に載せてテーブルに運ぶ。子供用の小さな茶碗や食器が可愛いなとか、常日頃なら思い浮かべもしないようなことをつらつら思う。席についた雪男の側に双子達が両方から茶碗を持って移動してきた。
「なんかすげー懐かれてるなお前。」
「僕もどうしてか分からないんだけど。」
 父親が入院して心細いのだろうか。それとなく目顔で燐を見ると、燐は気まずそうな笑いを浮かべる。その気まずさは雪男にではなく、入院している廉造に向けているようにも見えた。廉造と双子は親子と言えども、一緒に暮らし始めてから二年くらいしか経っていない。なんとなく子供としてはあまり父に対する実感が無いのかもしれないと雪男は思った。だから大人の男なら、誰にでもこうして懐いてしまうのかもしれない。
 志摩家の夕食はテレビを付けない。修道院育ちの燐の生活習慣が、かなりこの家に影響しているようだ。雪男は両方の双子の食事をそれとなく手伝ってやる。そして上手にこぼさずに食べられれば褒めてもやった。なんだか親というものの気持ちを実感する。
 昼間昼寝はしていたが夕方まで雪男が来て双子はしゃいでいたので、夕食が済み風呂に入ると二人とも首で船を漕ぎ始める。燐がるんとらんの布団を敷いてやって寝かせてやる。
「今日は寝る前の絵本を読まなかったな。まあたまにはいっか。」
 子供部屋の襖を閉めて燐が雪男のほうに振り返った。雪男は時計をちらりと見て燐に問いかける。
「今夜も僕はこの家で泊まってもいいのかな? 兄さん。」
 どんな顔をされるかなと雪男は不安に駆られた。昼間結局、抱き締めてしまっただけに、るんとらんを挟まない二人きりは、感情の波がどのように変わるか分からないと雪男は思っていた。ところが燐はそんな雪男の胸に顔を埋めてくる。
「廉造がいなくて、心細いんだ。」
 嬉しいようなむずがゆいような、なんか情けないような感覚が雪男を襲う。追い出されたほうが良かったかもしれない。しかし己の欲に雪男は耐えられず、今日もこの家に泊まろうと思った。
「僕は兄さんと一緒に寝てもいいの?」
 俯いた燐が頷く。自然と雪男の口の端が上がった。
 
     *   *   *
 
 あきらかに二人用の大きさの布団に入ると、兄の匂いだけではない他の匂いも鼻について雪男は顔をしかめた。そんな雪男に気がついてないように燐は雪男の隣に滑り込むと、そのまま目を閉じる。
「兄さん。」
 雪男は躊躇いよりも衝動に従って燐に手を伸ばす。目を閉じたままの燐が口を開いた。
「お前俺のこと少し怒ってるって昼間言ってたけど、俺もお前のこと少し恨んでたんだ。」
 雪男は届く前の手を止める。そして聞き返した。
「恨み?」
 兄の横で浮ついている雪男の耳に抜けていこうとする言葉の中で、たった三文字が反響してはなれない。
「五年前。俺が、廉造とままごとみたいな結婚式して熱海に逃げ出すように新婚旅行に行く前のこと、覚えてるか? お前あのあとすぐに悪魔落ちしたから忘れてるかもしれねえけど。」
 覚えてないとは言えない。純粋だった兄に対する思いに、たった一つの汚点があったことを忘れるわけがない。苦くて痛い、胸につっかかり続けている思い出だった。
「覚えてるか?」
 燐が再び問いかけてくる。雪男は頷いた。
「覚えてるよ。兄さんがわざわざ口にしたくない思い出を語る必要はないよ。」
 燐はゆっくりと目を開ける。しかし瞳の奥には雪男を訝しげに思う気配が漂っていた。
「俺はお前が俺のことを考えて、あの時そうしたってことくらいは理解出来てるんだけど?」
「だけど――?」
 雪男の脳裏には、五年前泣きはらした目で自分に助けを求めてきた兄の姿が蘇る。自分が兄に告げた言葉と一緒に。
 
 
 
『兄さんが僕にそれを打ち明けてくれて嬉しいよ。だから僕は兄さんに出来ることを助言することにするよ。……現聖騎士の庇護は受けるべきだと思う。たとえ愛人の形でも。』
 五年前の残暑。燐にとっても雪男にとっても運命の九月だった。
祓魔師にならなければ命を絶たれるという期限が迫っていた。その矢先に燐はアーサーの公然の愛人になればアーサーの力によって命を長らえさせてもいいという提案を受けた。そのときその場にいた志摩廉造には断固として反対されたが、志摩と別れてから燐は弟の雪男に助けを求めた。
 燐としては本当にどうしていいか分からなかったからこそ、雪男なら自分のことを考えて何か言ってくれると信じたかったから。雪男なら燐の意に沿わないアーサーの愛人になることに、その当時は夫でもない他人同然な志摩以上に反対してくれると思っていた。
雪男がそういってくれたら、その結果自分は死ぬことになっても良かった。自分を人間として認めてくれる弟の優しさを確かめて、死に臨むならそれでもいいかと思うくらいに、弟のその一言が聞きたかった。
アーサーの誘惑に揺らいだ安易な自分を雪男なら叱ってくれて、戦おうと言ってくれると期待していた。
 この時点で燐は廉造の言葉をすんなり受け入れたわけじゃなかった。だからこそ雪男に最終的に自分を委ねることにした。しかし雪男は固い声で燐に告げる。
『神の言葉なら貞操は命より重いと言うけど、僕たちは神様の世界で生きてないんだ。兄さんは悪魔だし。どこまで行っても騎士団の人間にとっては、排除するか拘束しておきたい対象なんだ。もしかしたら祓魔師の認定試験の結果は、不合格に決まっている、かもしれない。結局兄さんの綺麗な心は裏切られるんだ。だけどそんな兄さんの手付かずの純潔がアーサー卿が兄さんを所望して庇護する材料になるなら、利用したほうがいい。』
 燐は足元がぐらつく。雪男は部屋にあった椅子に燐を座らせた。
『生き残る道が、数ヵ月後の認定試験に合格するだけっていうのは、さっき言った理由僕としては無茶だと思う。騎士団にとっては兄さんの頑張りも、理事長の賭けも関係ないわけだし。』
 不合格ってことにすればいいだけなのだから。
『俺、頑張るから。文句無しの誰でも認める合格なら、誰も不合格に出来ないだろっ。愛人になるかどうかの返答は今すぐ決めろって言われてないし。それまではアーサーの提案は保留ってことにならねえのか?』
 駄目だと雪男は即答する。
『保留だけはしちゃ駄目だ。これだけは余裕のある時期に決めておくしかない。兄さん。僕だって本当は辛いんだ。』
 雪男は燐に言い聞かせるように言う。でも本当は自分に言い聞かせている言葉だった。最愛の兄を生かしたいが為に、他所の男の慰み者として差し出さなければ、たった一人の大好きな人を守れない現実。それが雪男の意思をあざ笑う。
しかしアーサーに兄を委ねれば兄の命を長らえるばかりではない。サタンの干渉からもメフィストの不透明な思惑からも離脱させることも出来る。雪男はもうメフィストを兄の後見人として信じられなくなってきている。だから後ろ盾として、ヴァチカンの最高位に近いアーサーに兄の安寧を委ねたかった。それが自分に出来る最良の選択だと思い込もうとしていた。
兄の健気な心が折られることで、自分と同じところに堕ちてくれれば、雪男の苦しい心だって少しは軽くなるような気がした。
それでも折れない燐は雪男に縋る。唇が震えて、青い瞳が揺らいでいる。もう兄だからなんだという意地を捨てて、一人の男として雪男に訴えかけてくる。
『俺嫌だ。あいつの愛人なんて。雪男。俺死んでもいいから、あいつの愛人になってまで生きていたくないから。』
『そんなこと言っちゃ駄目だ。僕は兄さんに生きていて欲しい。僕の為だと思って。』
『雪男のため?』
 燐は戸惑いに足が竦んでいる。雪男は兄の強情さはよく分かっていた。しかし自分に普段は反抗的なことを言いながら、心の奥底には亡き義父の身代わりとして雪男に対する甘えがあることには気付いている。兄は自分に依存している。だからそれを利用して、自分が兄の心を折らなければと思った。
『兄さんは悪魔なんだ。そのうち普通の人間みたいに恋をしたいなんて思っちゃいけない。そんな甘えた希望は捨てるんだ。』
 
 
 
「俺はその言葉にすげー傷ついた。でもその時ばかりはお前の言うことを聞くしかないと思ったんだ。」
 だけど結局辿ったルートは、雪男の思いも燐の決意も裏切ったものになった。なんて馬鹿な展開なんだろう。
聖騎士の愛人になることなく、燐は志摩と結婚して子供を身ごもり、雪男は悪魔落ちして兄と五年間も会えずにいて、今更ながら二人は同じ布団で眠りに入ろうとしている。
結論からすれば。筋の全然通らない、無茶苦茶な年月を過ごしてもサタンの落胤は、生きていた。何もかもあの青い炎に焼かれて残ったものは、ある意味滑稽かもしれない日常だった。
 自分を恨んでいたという兄の告白に、雪男はあまり心を揺さぶられることはなかった。今まで思い返すのも忌まわしいと思っていたが、今夜は兄の隣でぐっすりと眠れそうだった。燐は自分に伸ばされたままになっていた雪男の手を握る。
「雪男。聞いてくれ。」
「いいよ。兄さん。」
 昔より少し低くなった兄の声が暗い部屋の中で溶けていった。
 


燐と雪男の回想はもう少し続きます。五年前の真実は今のところ三割がた明かされました。

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☆ss「エメロード後編」雪男とシュラ、アマイモン。デザートバイキング編

「おっしゃれ♪ おっしゃれ♪」
 ホテルのデザートビュッフェが始まる時間まで間があるので、シュラはアマイモンを連れて自分の宿舎に戻り、外出着を選んでいた。
「この間みたいにスーツ着込むほどじゃないから――。」
 クローゼットの奥からそれなりなエレガントカジュアルっぽいワンピースを出して、いそいそと着替え始める。アマイモンはそれをぼーっとしながら見ていた。
 ドアがノックされる。
「アマイモンの着替え持ってきましたよ。」
 雪男は普通のスーツに着替えていて、片手に自分の学校の制服一揃いを抱えている。
「おー。準備が早いのは雪男ちゃんの取り柄だね。アマイモン。そこお兄さんの持ってる服に着替えろよ。」
 アマイモンはデザート食べ放題の為ならと雪男が差し出す制服に渋々着替える。雪男はアマイモンのネクタイを締めるのを手伝おうと思ったが、アマイモンは雪男が声を掛ける前に自分で綺麗にネクタイを締めていた。
「アマイモンはネクタイ結べて偉いな。」
 雪男は思わずアマイモンを褒めてしまった。慌てて自分の口元を覆う。その様子をシュラは少し冷めた目で見ていた。アマイモンの平坦な顔が少し痙攣している。どうやら笑おうとしているらしいが、普段は使わない顔の筋肉が上手く動いてくれないらしい。雪男が社交辞令ではなく、こんな悪魔に親切にしているのがシュラにはいまいち解せなかったが、悪魔の兄がいるせいだと頭の中で回答を出した。
「おお! いっちょまえなDKの出来上がりだな。」
「なんです? その、KYみたいな語感。」
「男子高校生の略のつもりだったんだけど。」
 言わねえよと雪男は呟く。そして自分たち三人のメンバー構成のアンバランスさにくらっとくる。絶対にデザートビュッフェで浮いてしまうのは目に見えていた。あまり堅気らしくないワンピース姿の女と、サラリーマンっぽいけど中身は男子高校生のスーツ姿の男。そして目の下に隈を作った無表情の男子高校生。あらゆる意味で最強の組み合わせだった。せめてアマイモンが女の子なら、雪男は無理矢理連れてこられたくらいの設定で通じると思っただけに。
「ちゃんと服着ましたから、早く行きましょうよ。」
 アマイモンが雪男の袖を引っ張る。雪男はよしよしとアマイモンの頭を撫でた。
気のせいではなく、こいつら馴れ合いやがってとシュラは思った。弟同士で波長があったと思えない馴れ合い加減だった。だからささやかに主導権を握るつもりで号令を掛ける。
「ほんじゃ、デザートバイキングにでっぱーつ!」
 オーっと返してくれたのは、覇気の無いアマイモンの声だけだった。
 
     *   *   *
 
 雪男は次から次へとケーキやらフルーツやらの皿をシュラとアマイモンの陣取った席に運んでいた。その合間に紅茶のポットやドリンクや水も運んでやる。花柄の可愛らしいテーブルクロスが掛かった小さなテーブルは、そのお菓子の山に一時は埋めつくされたが、一人の女と一匹の悪魔の腹の中に次々とそれは消えていく。
「おうっ。ここのデザートビュッフェは、っぱねえな。味といい種類といい。紅茶のフレーバーのバリエーションといい。」
「それなりの値段はしますけどね。勘定は僕持ちですけど。」
 文句を言いながらも女子供に勘定を持たせる雪男ではなかった。前回の高級レストランにて最終的に割り勘になってしまったのが余程悔しかったらしい。デザートバイキングごときでは雪男は自分の矜持を曲げる気にはなれなかった。浮いてしまうと思っていたが、そんなのはそういうことを気にするのは雪男だけで、周りはそれぞれにいかに自分の好みのデザートを効率よく確保するかに始終して、奇妙な三人組をじろじろと気にすることはなかった。
 バイキングとは、いかに自分の席を拠点として量なり種類なりで成果(満足)を得られるかにかかっている。しかも自分が選んで行動に出るということが、どれだけの自由と責任があることを自覚しているか。それが簡単に表に現れてしまう。しかし、この三人組では役割分担がはっきりしているお陰で、その気苦労は軽減されていた。運んでくれば運んでくるだけ食べる役の二人は食べるし、食べる二人が満腹になって手を止めるのは当分先の話だろう。
 シュラは雪男が持ってきたクリームソーダをストローで吸いながら言う。
「お前ロケ弁で恨まれてるんだったら、たまには兄ちゃんにも奢ってやれよ。」
「甘やかさないのも愛なんです。」
 いやお前は甘やかさなすぎじゃないかとシュラは思った。お前は何処のロッテンマイヤーさんなのだと。そのうちあの兄が夢遊病になっても知らねーぞとも思った。しかし口には出さない。アマイモンが雪男に向かってぐずったからだ。
「お兄ちゃん。紅茶が熱いですっ。ふーふーしてくださいお兄ちゃん!」
 いつのまにかアマイモンの中で雪男は「お兄さん→お兄ちゃん」になっている。雪男は奥歯の虫歯が痛いような笑みでアマイモンのカップを受け取り、ふーふーと冷ましてやる。シュラはなんとなくこいつもう駄目だなと思った。それにしてもこの地の王が兄のメフィストに甘えるなんてこともあまり見たことないのに、どうして雪男には甘え倒しているのだろう。こいつらおかしいんじゃねーのと一人ごちる。
 実の兄にとことん優しくない弟と、実の兄に甘えられない弟。妙な共鳴関係になっているのだろうか。
『メフィストの弟――。』
 シュラは反射的に立ち上がる。そういえばとシュラは思い出したように慌てて口にする。
「あいつ……。メフィストの身内に会ったらどうしても訊きたいことがあったんだっ。」
 雪男がシュラを見上げる。
「シュラさん。もう少し待っててあげましょうよ。」
 以心伝心ではないだろうが、雪男も同じことを思っていたらしい。しかし、目の前で無表情ながらアマイモンが甘いもんを食べるのを中断させるのは可哀相だとも思ったらしい。シュラを静止して、デザートのお代わりを取りに行き、皿いっぱいに盛り上げたそれをアマイモンの目の前に置くと、これを片付けたらお話がありますと宣言した。
「食べながらでもお話はできますよ。お兄ちゃん。」
「いいのかい? お姉さんに遠慮しなくてもいいんだよ?」
「いいです。お姉さんの用事が気になるので。」
 シュラは真剣な目でアマイモンに問いかける。
「お前の兄貴のメフィストと、雪男の義父の藤本獅郎の関係ってなんだったんだ?」
 アマイモンは一瞬首を傾げた。
「お友達だと思います。」
 雪男とシュラは顔を見合わせる。それは生前の藤本獅郎が便宜上で言った関係だと思っていたからだ。つまりその関係はアマイモンの口からまた重ねられた嘘だと判断してしまう。
「どう思います? シュラさん。」
「もしかしたら弟のこいつも、兄弟で口裏合わせて隠してるんじゃねえの。」
「いや。このひとも案外、自分の兄と僕の義父のことについては、よく分かってないのかもしれません。」
 二人のひそひそ声を聞いていないようで聞いていたのか、アマイモンは重ねて言う。
「友達ですよ。根拠もありますよ。」
「「どんなあ?」」
 雪男とシュラの声がはもった。アマイモンはクリーム付のシフォンケーキを飲み込むと、雪男に冷まして貰った紅茶を両手に持つ。
「兄上と藤本は文通してました。」
「ペンパルだと!」
「暑中見舞いと年賀状とバースデーカードもやり取りしてましたよ。毎年欠かさず。」
「すげーお友達だ!」
「バレンタインにチョコの交換もしてました。」
「友チョコ!」
「そういえばお兄ちゃんとお兄ちゃんのお兄さんに、兄上はお年玉も藤本に渡してました。」
「そりゃあもう友達じゃなくて、親戚の域だよ!」
「あの謎のお年玉は理事長からだったのか! 図書券だったけど。」
「プリクラも二人で撮ってました。」
「女子かよっ。」
「逆に怪しくなってきましたね。二人でっていうところが特に。」
 ここまで根拠を言ったのに、雪男とシュラがちっともすっきりした顔をしないことにアマイモンは顔をしかめる。
「どういうふうに、うちの兄上と藤本が怪しいんだと思ってるんです? ボクにどんな答えを期待してるんですか。」
 それを言われたら、シュラは息が詰まってしまう。雪男も同様だった。
雪男とシュラは藤本獅郎とメフィストフェレス、そして奥村燐の間に纏わる、自分たちが入り込めない事情を知りたくて、この地の王に問いかけた。しかし地の王の答えは、けして満足して納得出来るものじゃない。藤本とメフィストの間にあったものが、そんなほのぼのとした優しくてあったかいもので満たされるわけがない。しかし可能性もなくはないと、裏の裏を覗いて見なくてはならないのかとも思う。メフィストは悪魔としてもはぐれ者だし、藤本も祓魔師としてははぐれ者だった。
 夢見がちなはぐれ者同士の馬鹿な大人たちの思い描いた御伽噺の主人公が奥村燐なのだろうか? きっとそうだと言われれば納得はするだろう。しかしそれも嘘かもしれないと思って、じきに別の答えを期待する。そしてそれらしい仮説を立てて、その別の答えを期待する繰り返しになる。だって雪男もシュラもとっくに御伽噺は卒業したから。
でも御伽噺の主人公は御伽噺を卒業するなんて思いもしないだろう。燐はその御伽噺のストーリーの中で、もがくことに一生懸命なのだから。
「ボクは一緒に夢を見られるのがお友達だと思います。だから藤本獅郎と兄上はお友達だと思います。」
 この悪魔は自分の言ったことがどれだけ残酷か分かっていない。悪魔だけに。そんな絵空事の為に藤本は死に、アマイモンの言葉を信じるならば、メフィストフェレスは藤本と語り合った夢の為にたった一人でこの現世で戦っていることになる。
そんなの泣けてくるじゃないか。自分たちはメフィストは同情も情状酌量の余地のない何か企んでいると思って、アマイモンを尋問したはずなのに。返ってきた答えは自分たちにとって、とことん都合が悪すぎる。お菓子みたいに甘くて柔らかい真実の一つだった。 
現実から足を踏み外せない自分たちにとっては、その砂糖菓子で出来た城が現実にあったとしても、それは幻だと言い張らなければ、自分の信じるものが分からなくなってしまう。
「お兄ちゃんとお姉さんもボクの友達になってくれますか?」
 雪男とシュラは頷いた。とりあえず大人だから。またアマイモンの頬がわずかに痙攣している。笑おうとしているみたいだ。悪魔というのは人間よりも案外、無邪気で薄汚れてはいないらしい。アマイモンは再びデザートの山を片付け始めた。
 アマイモン越しにシュラと雪男は顔を見合わせる。どちらの目も、今後はどちらからもこの話題には触れないようにしようぜという合図だった。雪男はまた席を立ってプレートにケーキを乗せて戻ってきた。
「シュラさんもどんどんいきましょうよ。ちち復活の為に。」
 シュラはプレートのケーキと雪男の顔を見比べて、おうと答えた。そして白いクリームが塗りたくられた小さな可愛いショートケーキを、苺ごとぐさりとフォークで突き刺す。ケーキはフォークに掛かったシュラの力で、形を歪に変えながらフォークを飲み込んでいく。
「お姉さん。ケーキが痛そうです。」
「ケーキに痛覚があるか!」
 今までの悪魔の戯言に振り回されていた自分の思考を切り替えるためにしたつもりだったのに。また悪魔に茶々を入れられた。雪男は肩を竦めるとまた紅茶のお代わりを取りに行く。
「お兄ちゃんは本当に優しいですね。自分は一個もケーキ食べないで、ボクたちの為に甲斐甲斐しくお代わりを持ってきてくれます。」
「おい雪男君。てめえもケーキ食べろよ。甘いもん嫌いなわけじゃないだろ。払う料金は何も食べなくても三人前かかるんだぞ。」
 戻ってきた雪男の口元にシュラはケーキを押し付ける。それを雪男は困ったように見ていた。
「僕は。あ、えーと……。なんか兄さんに悪くて。」
「それならいい考えがあります。」
 アマイモンはフォークでシュラのほぼ復活した胸の谷間を差した。
「このお姉さんの四次元谷間にケーキをしまって、奥村燐に持って帰ってあげればいいんですよ。」
 シュラはその提案に困惑する。
「えっ。そんな使い方したことないけど。上手くいくかなあ。」
「いくわけないでしょ。ていうか、バイキングで持ち帰りは違法ですから。タッパー持ってくるより大胆不敵ですよ。」
 しかしアマイモンはしれっと言う。
「お姉さんの身体の中に入っているのですから、食べているのと一緒でしょう。」
「うん、そうだな。やってみるか。」
 いい年をした大人のシュラが違法行為に踏み込む。
「雪男。ちょっとそこに立って、その図体で私の手元を隠せよ。」
「あんた本当にやる気かよ。」
 そう言いつつ雪男はテーブルに凭れて外の景色を見る振りをする。シュラは手付かずのあまりクリームの装飾のないチーズケーキを選んで、胸の谷間に近づける。チーズケーキは胸の谷間の奥に吸い込まれた。あーあ、と雪男は軽い罪悪感に襲われる。しかし気を取り直してアマイモンのプレートのほうを指差した。
「兄さんはシュークリームと苺タルトも好きですから、それも頼みます。」
 
     *   *   *
 
 雪男は旧寮六〇二号室の自分の部屋に帰る。アマイモンとは正十字学園の入り口のゲートの前で別れた。服は明日のために返してもらっている。さようならと言ったアマイモンは、人差し指で口の両端を上げていた。笑った顔を見せているつもりなんだろう。
 シュラからは四次元谷間からケーキを出してもらって、用意しておいたナプキンに包んで持ち帰ることになった。ケーキの保存状態は思っていたより良好だった。シュラはまた塾でと言って去って行った。
 騒がしくも楽しい一日が終わる。また兄を守るための日々を憂鬱に思うわけじゃないけど、兄の弟でも教師でもなく過ごした一日が短く思えた。常に自分は兄より上の人間でなければならないという気負いをすっかり忘れていて、自分は案外普通の人間なんじゃないかと思えた。こんな雪男を、もし兄に見られたら、兄はどう思うんだろう。
兄はたぶんそんな雪男を馬鹿にしない。そんな雪男にがっかりしない。その逆の反応ばかりがありありと想像出来る。
『お前も意外と普通じゃん。』
 そう言って喜んでくれるような気がする。でも雪男としては、そんな喜ばれ方は御免被ると思ってしまう。やはり自分の抱えている兄へのコンプレックスは根が深いらしい。
 目の前の窓から見える夕暮れの風景を眺める。ガラス窓に映ったドアが開いた。
「ただいまっ。雪男、朝からいなかったけど任務だったのか?」
 何も知らない兄が問いかける。雪男の頭には今日の楽しかったことがめまぐるしく蘇って目眩を起こさせる。雪男は頭を振って兄に向き直ると、にっこりと笑った。
「任務だって? 兄さん、今日は日曜日だよ。神様が定めた休日だよ。」
 燐が「え?」っと首を傾げる。その頭をアマイモンにしてやったように撫でてあげた。
「雪男。お前どうかしたのか?」
「僕だって兄さんが知らない場所で楽しい休日を過ごしたんだよ。」
 誰と、何処で、いつ、どのように、どんなことをして。そんなことを言い出すのは野暮だった。燐は何かを察してそうだなと満面の笑みを浮かべる。雪男は机の上のナプキンを指差すと、お土産と言って笑い返した。




デザートバイキング編でした。結局はシュラさんとアマイモンとのおでかけは満更でもない雪男君です。
ロケ弁ってホームページとか見ても豪華ですよね。仕出し屋さん仕事しすぎです。京都編のとらやで出ていた弁当が豪華そうだったので、勝手に任務には弁当がつきものだと捏造してしまいました。そうじゃないと燐と雪男の体格差が物理的な意味で証明しようがなかったのです。そりゃあ、たくさん食ってるほうがでかくなるということで。飲食店シリーズはまた書くかもしれません。今度はシリアスで。

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☆ss「エメロード前編」 雪男とシュラ、アマイモン。吉野屋編

「誰かあ。誰か助けてくださーい。」
 絹を裂くようなと言いたいが、あまり抑揚のない男の悲鳴が雪男の耳に届いた。学園の敷地内であるが、あまり人の訪れない元は公園だったらしい場所。正十字学園は敷地は広いが、無駄な施設が多いと常日頃から思っていた雪男だった。あと装飾過多な建物とか。しかし今はそんなことはどうでもいい。
「アマイモンじゃないか。」
 声と特徴的な喋り方でそれと見当がつく。
――しかし。
さて、助けるべきかどうか迷うところだ。
 どうしてこんなうらびれた所を雪男が通り掛ったかと言うと、昼間たっぷり昼寝をしていた甲斐性なしの兄が、夕方からふらっと外に出て行って明け方近くになっても帰ってこないので、流石に「別に心配していたわけじゃないんだからね!」と嘯くというか、ツンデレしている場合でもなくなった雪男が探しに出て来たのだ。兄は悪魔の身の上なので、本来ならば夜行性なのだが、平日の昼間は勉強や塾の実習を叩き込んで無理矢理起こしている。しかし週末には雪男の努力も虚しく、昼夜が逆転してしまう。そしてこれも今の状況とは関係ない。
「にゃはははは!」
 今度は馴染みのある女の声が聞こえてくる。正十字学園の敷地内で何やってるんだこいつらと雪男は思った。今は幸いにも学校が休みになっている日曜日の明け方だった。もしアマイモンが一般人のいるところまで戦闘区域を広げたとしても、対処出来ないわけではない。ふむと雪男は一人で頷く。とりあえず声のする現場へ向かった。
「やだあ。このお姉さん怖いですぅ。」
「にゃは。いい加減死ぬか、虚無界にけえれっ。」
 雪男の視界に入って来たのは魔剣を操って、か弱い悪魔をいたぶるシュラだった。しかしか弱い悪魔と言っても、アマイモンは八候王の一人。シュラに一方的に追い回される程度の悪魔じゃないはずなのに。その雪男の心を読んだかのようにアマイモンが叫ぶ。
「僕お腹がすいてるんですっ。」
 そうか。たぶん理事長に金をせびりに来たのだろう。そこをシュラに見つかったんだろう。空腹の所為で頭も身体も上手く動かなくて、逃げるのが精一杯なのだろう。しかし相変わらず顔と言葉は平坦この上なかった。あまり切実に助けてやろうとは思えない、そんな感じだった。
「蛇矛っ。」
 シュラが大技を炸裂させる。かろうじてアマイモンはよろけながらそれを避けた。雪男は辺りを見ると、周りの生垣やベンチは台風の直撃を食らった後のように、吹き飛んだり一刀両断されている。きっと何発も何発も大技の大売出しを繰り出したんだろう。
 雪男の携帯が震える。雪男は画面を見た。(雪男の携帯は最新のスマートフォンだった。たぶん擬人化すれば渡辺謙になるだろう。)
「理事長……。」
『グーテンアーベント。』
「なんの御用ですか? フェレス卿。」
 そこいらのコンビニのゴミ箱を投げたくなるような声が暢気にこんばんはと言った。
『私の寝室から貴方たちが見えているのですが、弟のアマイモンもいるようなので上手いこと追い返して頂けませんか?』
 雪男は学園の建物にくるっと背を向けて顔をしかめる。
「フェレス卿。弟君はお腹がすいているそうですよ。」
 メフィストの含み笑いがかすかに聞こえてくる。
『では、何かご馳走してやって下さい。それではグーテンナハト。』
「あのっ。切れた……。」
 おやすみなさいじゃねえんだよと雪男は頭を抱える。これであの二人の間に割って入るしかなくなった。再び二人がいる方向を向けば、先ほどよりもっと惨事のあなた的なことになっていた。アマイモンはまるで逃げ回る子猫ちゅわんのように壊れたベンチの影から影へと移動している。とっくに雪男の存在に気付いているのだろう。時々恨めしそうな目を向けながら「助けてくださーい。」と叫んでくる。
「まあ、いっか。」
 雪男は開き直って銃を構えると、自分の頭上に向けて引き金を引いた。
「おわっ。」
 わずかなタイムラグがあってシュラが尻餅をつく。
「空砲ですよ。それに貴女、僕に気がついてて無視してましたね。今更威嚇射撃に驚いた振りしないで下さい。」
「にゃはは。ばれたか。」
 シュラは雪男のほうに来るかと思いきや、ベンチの影のアマイモンに近づくと、震えているその頭をかいぐりかいぐりと撫で始めた。
「おらっ。もう剣はしまうから。」
「本当ですか?」
 いかにも信用していなさそうに聞こえるのはやはり抑揚の無さからだろう。しかしシュラはむかついている様子も無くアマイモンを撫で続ける。
「うーん。この頭のでっぱりがなんとも……。」
「お姉さんが悪魔をおもちゃにしていますっ。」
 そこへ雪男も駆けつける。限りなくやる気無さそうに。
「シュラさん。夜も明けないうちから地の王討伐なんて、貴女らしくない働きっぷりですね。」
「いや。昼寝してたから目が冴えてたし。」
「あんたも悪魔ですか。」
 雪男は溜息をつく。早くこの地の王に飯を食わせてやって、さっさとご帰還願いたいところだった。だから二人にさりげなく提案した。
「お二人とも、お腹がすいたでしょう?」
 そう言って今度はなにげなくシュラのほうを振り返った雪男は、あっと叫ぶ。
「シュラさんのちちが――。」
「私のちちがどうしたって?」
 水着みたいな衣服から零れんばかりだった胸が、どう見てもツーサイズくらい小さくなっていた。シュラはいけねっと舌を出す。
「長い付き合いなのに雪男ちゃんには教えてなかったな。」
「え? まさかそのちちが偽物とかいう、まだ日本では知られればスキャンダルっぽく騒がれる話題ですか。」
「わけねーだろ。魔剣使うのはカロリー消耗するんだよ。こいつに――」
 シュラはアマイモンを自分の胸に引き寄せた。そして後を続ける。
「蛇矛。虚々。しめて五十発ほど、ぶっぱなしたからな。一発につきそりゃあ、とてつもないエネルギーがいるんだから、皮下脂肪が消費されちまったわけだ。」
「その自慢のちち、脂身だって暴露しましたね。」
「その脂身に興奮するのがてめーら男だろうが。皮下脂肪馬鹿にしてると、雪山で簡単に死んじまうんだぞ。」
 雪男はこの人なら雪山どころか砂漠でも赤道直下でも生きられると思った。
「貴女の脂身には興味はありませんが」
「嘘つけ!」
「興味ありません!」
 雪男はきっぱりと言い切った。ちぇっとシュラの舌打ちが聞こえる。二人のやり取りを見てアマイモンが手を上げる。
「私もこのお姉さんの脂身に興味はありません。私は奥村燐の近くにいる、金髪の娘の脂身を味見してみたいです。」
「どいつもこいつも若いほうがいいってかい。」
 話題がとてつもなく脱線している。もう既に太陽は東の空から昇っていた。しかし雪男はアマイモンにこれだけは言いたかった。
「しえみさんのちちに詰まっているのは、脂身じゃありません。――あれは夢と希望なんです。」
「えー。それじゃ食べても美味しくないんじゃありませんか? やっぱり悪夢とか絶望のほうが美味しそうですよね。」
「それならこの人の脂身に詰まってますから。」
「お前ら! メルヘンチックにエグイことばかり言いやがってっ。」
 シュラは再び舌打ちするが、雪男とアマイモンはお互いに手こそ取り合わないが乳談義で共感し合っているようだった。そこはかとなく、アマイモンと雪男がシンクロしている。嫌な兆候だとシュラは思った。しかしシュラは懸命に無視だ無視だと己を叱咤して野郎二人に飯食いに行くぞと呼びかけた。
 
     *   *   *
 
 アマイモンが二十四時間経営のファミレス飯が嫌だと言うので、二十四時間経営の牛丼屋に連れて行って朝定食なり牛丼なりを頼んで、とりあえず食わせることにした。
「シュラさんは別に牛丼屋なんて大衆的なところについてこなくていいんですよ。上級の祓魔師なんですから、本部で朝食としゃれ込めばいいでしょう。絵になるでしょう貴女なら。」
「私だって一人で飯食うの寂しいんだよ。昔の知り合いは色んなとこに飛ばされてるし。」
「一人で飯食えなきゃ、女一人で生きていけませんよ。」
「雪男君。一生私が独身なこと前提で話進めないでくれなーい?」
「まあ、ご飯食べてるんですから、もっと和やかにしましょうよ。」
 二人の会話を無視するかのように、箸を二刀流にしてアマイモンは牛丼の特盛に牛皿特盛と、ハムエッグ焼き魚定食を口に運んでいる。シュラは牛丼の並にサラダ、雪男は朝定の焼き魚定食を頼んでいた。
「雪男。牛丼屋で焼き魚定食はねえだろ。」
「朝から牛丼はきついですよ。」
「けっ。てめーは女子かよ。あっ、でも私もサラダ食べてるもーん。女の子っぽいよね?」
「無理矢理ですよね。牛丼食ってる時点で。」
「ああ言えばこう言う。」
「だから、和やかにしようってさっき言ったばかりですよね。」
 前回のように高級レストランじゃないから、互いに空気を読みあう必要は無いので、雪男とシュラはやりたい放題だった。アマイモンは一人ではぐはぐと大量の食事を咀嚼している。
 焼き魚定食をちまちま食べる雪男と、大量の飯をかきこむ悪魔を見比べながらシュラは呟く。
「よくもまあそんな低カロリー食でそこまで育ったよなあ。しかも大食いなわけでもないし。どういう成長効率だよ。」
 雪男は自分の顎に手を当てる。本人にしてみても不思議なことだったらしい。
「兄さんにも言われたことがあるんですけど、思い当たるのはアレしかないんですよ。」
「アレって?」
 雪男は分かりませんかとシュラに問いかける。
「貴女も祓魔師の任務に参加されてたなら、思いつくでしょう。任務の後には必ず弁当が出てましたよね? 僕が祓魔師になっていたとバラした後、兄にその話をなんとなくしてしまったら、けっ、ロケ弁かよ。良いご身分だなと拗ねられましたよ。僕たちの体格差がそこで出てしまったんだとしたら、それこそ皮肉な話で、兄にしてみれば苦々しかったと思いますけど。」
「あー。アレは美味かった。そうだよな。祓魔師として先んじられたことが、身長差の原因になったとしたら、あの馬鹿には相当根に持たれても仕方ないかもな。うーん。それにしてもあの弁当は旨かったよ。」
「どうせ本部にいる間にちょくちょくは食べられると思いますよ。」
「ヴァチカンの飯も旨かったけど、やっぱ日本人の弁当は米だよねー。」
 二人の話を聞いていないように見えたアマイモンがシュラの発言を聞いて顔を上げる。
「ボクも祓魔師になれたら、それ食べれるんですか?」
 雪男が溜息をつく。
「貴方の場合、祓魔師になるところから駄目でしょう。」
 地の王はすっかり物質界に来てからのわずかな間で自分の立場を忘れているようだ。そうですか、といかにもがっかりしたように肩を竦めている。三人とも馬鹿話をしている間に、それぞれの頼んだメニューは完食していた。お茶を啜りながらシュラはぼやく。
「ちちがまだ元に戻らない……。」
「食べたばっかりでそれは無理でしょう。」
「お兄さん正直に言います。僕もまだお腹足りません。」
 そんなこと言われても。雪男はまたも頭を抱える。しかしあっさりとシュラが解答を出した。
「ならまた食べに行けばいいだろ。ただしもう飯はいいからな。」
「ご飯じゃないなら、何を食べればいいのですか?」
 疑問形の癖にアマイモンの目は輝いている。
「パンが無いならお菓子って言うだろ。」
 雪男は嫌な流れを感じてとっさに店員を呼ぼうと手を上げ言った。
「ここで追加注文すればいいじゃないですか。」
 アマイモンとシュラが雪男の腕を両方から押さえつけた。
「雪男ちゃん。第二ラウンドはデザートバイキングなんてどう?」
「ボクはお姉さんの意見に賛成です。デザート食べたいです。」
 シュラとアマイモンは申し合わせたように越後屋とお代官様のような悪い笑みを浮かべる。上一級祓魔師と上級悪魔にタッグを組まれては、天才といえども中一級祓魔師ごときでは手も足も出ない。
「僕がお金を出しますから、お二人でどうぞ。」
 雪男はポケットから財布ごと二人の前に差し出す。それほどまでにしてここでこの因縁を断ち切りたかった。
「駄目。雪男ちゃんも一緒に行くの。」
「お兄さんと一緒じゃないと嫌です。」
 二人は両端から雪男の腕を取る。
「なんで僕が――。」
 兄のロケ弁への恨みが巡り巡って雪男に降りかかっているのだろうか。嫌な両手に花を抱えて雪男は勘定を済ませると、三人連れ立って吉野屋をあとにした。
 目指すはホテルのデザートバイキング。雪男の長い食い倒れの一日が始まった。




pixivでスリラーを上げた時にアンケート一位を取ってしまった「吉野屋」です。あのときアンケートに答えて下さった皆様ありがとう御座います。後編は第二位の「デザートバイキング」にこの三人組はいきます。

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☆ss「高砂3」勝燐夫婦ネタ 雪男vs虎子

「ごめんください。」
「新聞なら間におうとりますぅ。」
「この僕が新聞屋に見えますか?」
「うわあ。ほんまや。どっからどう見ても祓魔師やわ。」
「奥さん。それは見抜き過ぎです。」
「しかも息子の上司の奥村さんやわ。」
「どうして分かるのですか? 不肖の部下の勝呂君のお母様。」
「そういうあんたかて、うちのアホ嫁の弟さんやないですか?」
「アホ嫁は失礼じゃないですか。」
 初対面の第一発から波乱含みの会話が玄関口で行われていた。穏やかな顔と口調、しかしその裏には一物どころではない兄への思いを隠し持つ奥村雪男、そして全ての良い事も悪いこともブルドーザーのようにならして平らにする京女にして明陀の母・勝呂虎子のファーストコンタクトだった。
 二人は口には出さないが、この出会いに宿命めいたものを感じていた。
『こいつ』『できる』
 不浄王の眼ん玉事件では、雪男は事件を追う側だったので虎子とは接触がなかった。しかしあの時は勝呂達磨も秘密を抱えていたし、不浄王の眼ん玉の件もあったので、もし出会っていたとしても遺憾なく会話出来たかどうかわからない。しかし二人はその当時ですら同じ空間に、自分と同じ関西でいうところの『いけず』の気配を感知していた。互いの息子と兄から。
 東の『いけず』と西の『いけず』の戦いが、始まらなくてもいいのに火蓋が切って落とされた。まさしく混ぜるな危険であった。
「まあお土産でもどうぞ。」
 虎子はお土産のパッケージを見て感嘆の声を上げる。
「いやあ。ひよこ饅頭やわ。でもうちは東京のひよこ饅頭より、九州のひよこ饅頭のほうが口に合うわあ。」
「よく見て下さい。これは九州福岡のひよこ饅頭です。」
 雪男はパッケージを裏返す。工場の住所は九州福岡だった。虎子はあっけに取られる。
「なんで東京から来たあんたが、九州のひよこを買えるん?」
「京都の方は東京に対する偏見があるということを予測したまでですよ。たぶん東京のひよこは口に合わんと言われるに違いないと。」
 虎子の問いかけに対して雪男は何も回答していないが、虎子はそのひよこ饅頭の入手ルートの予測がついていた。祓魔師の上級者には便利アイテムが付き物だと。
「ふうん。そうなん。」
 虎子は一発入ったと思ったが、まだ軽いと思った。
「そんなら戴こうな。お茶でも淹れるさかい。」
「有難う御座います。」
 雪男は部屋に通される。作法どおりに座って虎子が茶を淹れるのを待った。
「粗茶ですがどうぞ。」
 雪男はその茶を飲んだ。
「流石は宇治の玉露。味わい深いですね。」
 雪男は京都で茶と言えば宇治だということぐらい分かっている。しかし虎子の眼が光った。
「ぶー。これは玉露は玉露でも、静岡の清水の玉露やわっ。」
 雪男は思わず両手で己を庇った。
「なんでわざわざ静岡の清水……。」
 宇治緑茶という名産があるのに。これも自分の言葉を先取りして虎子が仕掛けた罠だと悟る。客にそんな引っ掛けをかまして大丈夫かこの旅館とも思った。
虎子はにやりと笑う。この若造がと言いたげである。
「こないな冗談も家族やからできるんですえ。」
 善人ぶるのは虎子の十八番だった。しかし雪男だってそれは得意だった。
「家族同然に扱って貰えるとは、光栄ですね。」
「そういうたら目の敵と書いて友と読むと言いますやろ?」
「奥さんそれは宿敵の間違いですよ。」
 あはは。うふふ。
なんとも言えない笑い声が静かな部屋に木霊する。
「ところで、うちの兄は奥さんの娘としてはどうでしょうか?」
 ん? と、虎子は柔らかく微笑む。
「アホ過ぎるのはあるけど、ええ子やと思いますわあ。」
「そうおっしゃられて頂けると嬉しいですね。弟としては。」
「うちの息子はあんたの新しいお兄さんとしては、どないですか?」
「まあ給料分の働きはしてくれますね。」
「あんた! うちちゃんと褒めたやろ。ちゃんと燐ちゃんのこと! 遅出しジャンケンみたいな手ぇ使ってくるなんて、やっぱり東京もんは恐ろしいわあ。」
 何をしおらしいことを言わんばかりに雪男はニコニコ笑顔を崩さない。
「このご時勢、十八歳の若者が、給料に見合う仕事をしてくれるだけでも有難いですよ。」
「くっ。流石は魔王やわ。ああいえばこういう。」
「僕がいつ悪魔落ちしたと?」
 雪男は必殺「原作はそこまで進んでない」を炸裂させた。
「ああ。そうやわ。これは原作でも『とっとこう』ハム太郎なネタやったわなあ。」
「そうですよ。『とっとこう』、ですよね。もう最終回まで『とっとこう』でいて欲しいですよね。」
 とって置こうがうまい具合に京都弁にマッチした。雪男はこんな普通の主婦にもこれでネタにされるのかと辟易した。
「みんな先を読みすぎなんですよね。」
「誰に言うてるか分からんけど、なんか同情するわあ。」
 二人は湯飲みを取るとずずずと音を立てて茶を啜る。
「ところで奥さん。」
「いやっ。虎子って呼んで!」
 ここでリアクションしたら負けだと思った雪男は続けて奥さんと呼ぶ。はあいと虎子は素直に返事をした。
「竜士君は近々、明陀の寺を継ぐ為にこの実家に帰るそうですね? そしてその際には兄もこの家に連れてくると聞いたのですが。」
「そうや。うちは全然かまへんで。うちは嫁に来た時から悪魔のちょっかいなんか慣れとるからなあ。」
「そこらへんの野良悪魔と、うちの兄を一緒にせんといてくれはりますか?」
「あらぁ。京都弁うまいわあ。」
「失礼。はっきり言いますとそちらへのご迷惑以前に、僕としては正十字本部から兄をあまり引き離したくないんですよ。」
「兄離れできへん弟かっ。」
 雪男の顔が引きつる。
「それは心の中だけで呟く言葉じゃないんですか。」
 虎子はすんまへんと心の篭らない返事をした。
「兄は祓魔師ですが、ヴァチカン本部にしてみれば特Aのマルタイなんです。本来なら籍だけだとしても結婚はNGなんです。」
「今更そんな話されても明陀は知りまへん。」
「何言ってるんですか。明陀も正十字騎士団に加入している団体でしょうが。」
「じゃあ、勝呂家はそんな話知りまへん。嫁にもろうてから言われても困ります。」
 嘯くように虎子は言う。
 雪男にとっては意外だったが、なんと虎子はあの馬鹿兄を気に入っているらしい。姑根性として、今にも勝呂の家から追い出したいとでも考えそうと思っていただけに。やはり関西人だからあの兄のボケを格好のツッコミ対象にしているのだろうか? それとも育成素材として見ているのだろうか?
「あんな元ヤンのどこがいいんですか。」
「そんな。うちかて昔は……。あ。これは内緒やった。」
「それはいいです。要するに、息子が選んだ嫁だからですか。」
「そうやねえ。」
 虎子はほっこりと笑みを浮かべる。
「あの子はなあ、親がええって言うのに明陀継ぐ言うて東京の学校に行ったんや。んで。うちなあ、東京に行く前にちょっと脅かしてやったんや。」
「なんて言ったんですか。」
 
『竜士。あんたがなあ、明陀継ぐのは勝手やけどなあ。明陀継いだらあんたの嫁はんになる人はなあ、漏れなく魔障が付き纏うんやで。うちもあんたのお祖母ちゃんも、その前もその前もその前も、明陀の嫁は命掛けて跡取りを産んできたんや。お陰でみんな一人っ子や。あんたは明陀継ぐんは自分だけ継ぐんか、そのあともずっと続いて欲しいんか、よく考えてみい。将来好きな子にそんなえらい思いさせる覚悟あるんか?』
 
「そしたら三年後に連れてきた嫁が、『あの』燐ちゃんや。男やから子ども産まんでもええし、悪魔のしかもサタンの子やから魔障も平気や。うちとお父ちゃんはな、ほんまにようやったと思ったわ。」
「でも竜士君がこのまま跡取りになったとしても、次が……」
「もうカルラおらへんし。不浄王も往生したし。明陀ある理由言うて、もう檀家さん相手か正十字の任務しかあらへんやろ。それとうちの旅館の仕事となあ。燐ちゃんうち来てもなんも問題あらへんやろ。」
 つまり燐は正真正銘、勝呂家の嫁ということらしい。雪男はがっくりとうな垂れる。
「貴女なら僕の言葉に乗って下さると思ったんですけどね。常識的に考えて。」
 褒めているのか貶しているのかどうか分からない言葉だった。せっかく兄と勝呂を別れさせようとして、京都まで二人の先回りをしたのに。とてつもなく当てが外れてしまった。雪男は膝に乗せた手を握り締めて俯く。虎子は無言でポットから湯を急須に足すと、雪男の空になった湯飲みに茶を注いだ。
「あんた。お兄ちゃんのこと、ほんまに好きなんやねえ。」
 普通なら頷けない。他の人間から言われたら絶対にはぐらかして誤魔化したくなる問いかけだった。しかし考えるより先に何故か雪男は涙をぼろぼろ零していた。
「奥村はん。あんたもうちに来ん?」
 いきなりの勧誘だった。しかし雪男は首を横に振る。
「出来ません。僕は管理職だから。」
 ふーんと虎子は気の無い返事をしたが、まだ雪男の返事に納得していないようだ。
「志摩さん家の三男さんとな、お姉ちゃん二人が騎士団の本部であんたの上におるはずなんや。うちが頼めば、あの三人のうち誰かがええように人事してくれると思うで。何せ坊の嫁の唯一の身内やからな。」
 雪男は顔を上げる。騎士団がどうの悪魔がどうのと理由付けをして雪男だが、たった一人の血の繋がった大好きな兄と離れるのが嫌なだけだった。でも自分はなまじっか立場があるだけに、京都に一緒に行くなんて考えもしなかった。
「奥さん。お言葉に甘えてもいいですかね。」
「雪男君。いや、雪ちゃん。もう今日からあんたもうちの娘やからね。」
「おかあはあん!」
 雪男と虎子は座卓を挟んで手を取り合う。日差しが二人をあたたかく包み込んだ。
 
 旅館『とらや』にて、女将・虎子の繁盛記は続く。本日は正十字騎士団屈指の天才祓魔師・奥村雪男を一本釣りした虎子であった。
 
     *   *   *
 
「奥村先生先行っとるって? 燐はよせなっ。」
「雪男が何にも言わず先に行ったのはアレだけど、どうしてそんなに急ぐんだ?」
 竜士は志摩から掛かってきた電話を切って、燐の手を引いて大股早歩きになる。
「嫌な予感がするんや。寺のほうやなくて、旅館のほうに行った言うとったから。」
「あのお義母さんなら大丈夫なんじゃないのか。」
「大丈夫なんが問題なんや。おかん絶対に変な方向に話持っていっとるに決まっとる。」
 同じ京都の空の下、燐と竜士はとらやに急ぐ。しかしもう、全ては終わっているはずである。
 



雪男君も勝呂家入りしました。竜士君のストレスメーターも上昇します。なのに虎子さんはしてやったりです。燐は驚きはするけど、雪男と一緒で嬉しいと思います。まだ続くのかな、これ。

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☆「Esperanza-ゆきおスノーマン-」(勝燐・獅燐前提。雪男とシュラ)

サタンの息子を隠匿していた――。ヴァチカンからの追及を受けていたはずのメフィストは、ちゃっかりと指揮権を取り戻し日本本部の祓魔師達を招集した上、京都遠征を敢行しようとしていた。
 
誰かを生涯を通して守り抜くというのは、どういうことだろう。
まずは環境的なものを考えなければならないだろう。その人の周りに危険なモノが近づかないようにしなければならない。そして次は自分自身のスキルの問題だ。スキルを習得するだけでは足りない。より一層それを高い位置に押し上げなければならない。
ここは結界が張られた正十字学園の敷地内にあるトレーニングルーム。雪男は自分に向かって来るゴム弾を銃で打ち抜く。この場所だからこそ兄を守り、自分の能力も向上出来る。
『好きだよ。好きだよ。兄さん――。』
 思いの丈を銃弾に込める。そして向かってくる凶弾を打ち落とす。雪男の愛はまさにハンドガンから放たれる銃弾そのものだった。障害を全て打ち抜いて自分の後ろにいる誰かを守る愛。でも振り向いた自分に向けられる表情は、果たして笑顔だろうか?
 それがずっと分かりたくなくて、雪男は振り向かずに後ろの誰かを守り抜こうとする。
『僕は兄さんの思いなんてどうでもいいんだ。ただ死んで欲しくないんだ。いなくなって欲しくないんだ。理事長の玩具にされたくないんだ。サタンの道具にされたくないんだ。そして――。』
 それが全て果たせたら、兄がなんと言おうと抵抗しようと自分のものにする。当たり前のようにそう心に決めていた。だから今、兄が勝呂竜士と付き合っていようと、雪男にとってはそんなこと関係ない。ただ自分が兄に触れる前に他の男に汚されるのは真っ平ごめんだった。
『兄さんは本当に馬鹿だ。』
 もう既に兄の初めてのキスは勝呂に奪われている。しかしサタンの息子だということがバレた途端に手の平を返された。馬鹿な兄のことだから悩んでいるかどうかは分からないが、雪男を問い詰めていたときの勝呂の表情からは苦悩が読み取れた。燐がどう思って釈明しようとしても、それを受け付けるような余裕は見られなかった。そんな両者のすれ違いを見て雪男は、二人ともいい気味だと思った。
 時間が経つごとに設定したとおり、自分に向かって放たれる弾の速度が上がってくる。その速度にもまるで動じず、眉も歪めることなく打ち落とす。
『兄さんを守るのは僕だ!』
 
 ピーっと甲高い音が鳴り響きトレーニングの終了を宣言する。全弾命中。ノーミス。乱れない息も、上がらない心拍数も、雪男に「これでいい」と思わせることはなかった。
「くそっ。」
 なんで舌打ちしたか分からない。でもせずにはいられなかった。
 どうせいつかはこんなことになるんだと思っていた。頭の悪い兄がいつまでも自分の正体を隠しておけるもんか。ただでさえ雪男の忠告も聞かずに勝呂と付き合うなんて馬鹿な真似をしたんだから。
 それでも悔しい。一時でも兄の心が他の男に傾いたという事実は変えられない。馬鹿で諦めが悪くて、一途な兄はきっと、勝呂と仲直りしようとするだろう。手酷く拒絶されればいい。あの能天気な顔が悲しみに歪めばいい。存分に泣けばいい。後悔すればいい。
 明日から京都への遠征が始まる。幸か不幸か雪男は別行動だ。
「今度の件が片付くまでには、兄さんの心の整理もつくんだろうな。」
「どう整理をつけさせたいのかな? 雪男君。」
 聞きなれた憎らしい女の声が後ろから響く。シュラが缶チューハイを片手に胡坐を掻いていた。
「任務の前日に何やってんですか? あんた。」
「そういう雪男ちゃんこそ、任務前に何考えてた?」
 シュラの吐き出す息にアルコールの匂いが混じっている。雪男は顔をしかめる。
「先に私が答えよっか。……任務始まったらそれこそ呑めねーだろ。」
 理屈としては筋が通るかもしれないが、シュラが本当にその言葉に順ずるかは疑わしい。雪男としては別に答える義理もへったくれも無いが、何も言わなかったら言わなかったで、背けた背にシュラの冷笑が向けられるのは必然なので、雪男は脚色した自分の考えを口にする。
「今回の任務が無事に済めば、僕はもう有無を言わさずに兄さんの行動を制限して、僕の言うことだけを聞かせるつもりです。」
「え? あの愉快な仲間たちと仲直りさせるつもり無いのかよ。」
「無理でしょう。ああなったら。」
「わかんないよー?」
「どっちにしたって、兄さんに残された時間は半年なんです。仲間との関係修復まで出来る余裕は無いですよ。」
「祓魔師は一人じゃ戦えないって言ったその口で――。」
 そういえばシュラ一学期の一時期に塾生に混じっていた。自分のことはさぞ皮肉交じりに見ていたんだろう。そこは少し手痛いところだった。
「お前。自分が一番正しいと思ってるだろ? 完全にして無欠。そして冷徹。私の好み通りに育ってはいるけど、なんかお前見てたら自分の好みを全否定したくなるぜ。」
 雪男はシュラから視線を外すとぼそっと呟く。
「そんなんだから、父さんに一度だって抱いて貰えなかったんだ。」
「なんだと。ガキが。」
 シュラが手に持った缶チューハイを握りつぶす。溢れた炭酸水がシュラの手を濡らして床に落ちる。
「僕は貴女とは違う。兄さんを守りきって、絶対兄さんを僕のものにしてみせる。」
「うわっ。生々しっ。」
「貴女だって父さんに生々しいこと思ってたでしょ。」
「………。雪男ちゃん、それ小学校の時から思ってたとしたら、すげえ末恐ろしいんだけど。その末ってのが今なんだけど。」
 シュラは潰された缶を床に置く。はあっと長い溜息をついた。
「ま、いいや。お前と同等で構わない。ここで先輩面はやめておく。私は藤本獅郎が好きだった。」
「そうやってしおらしく宣言すれば、僕から、何か本音らしきものでも引き出せると思ってるんですか。」
 シュラの獅郎への恋心を雪男は知っていた。たぶん獅郎も気付いていた。しかし雪男が見た二人からは、恋人同士というか男女の仲というような気配は感じなかった。不自然なくらいに健全な師弟関係だった。そしてそれは見ようによっては獅郎のシュラへの思いやりに見えたが、微妙にそうではなかった。
「だから私は奥村燐が嫌いだ。」
 俯いたシュラの突然の言葉を雪男は、やっぱりそうかと言わんばかりに聞いていた。雪男が生前の義父に感じていた、兄を見る義父の眼差しへの違和感が確証に変わった。
「生まれて十五年も藤本と一緒にいられたあいつが嫌いだ。最後まで藤本に放り出されることなく死を看取ったあいつが嫌いだ。私に頼みごとをするくらい大切に思われていたあいつが大っ嫌いだ。」
 それはそうだろう。雪男はらしくなくシュラに共感した。だから口に出してしまう。
「それを言うなら、僕も父さんのことが嫌いだったのかもしれませんね。」
「家族思いで親孝行な雪男ちゃんらしくないんだけど。」
「父さんと兄さんの関係が普通の父子関係で、あの二人のネックがサタンだけなら僕はそう思わなかったでしょう。」
 シュラは雪男の黒い言葉に頷いた。やっぱりこいつは気付いていた。私と同等で同類のクズだった。
「兄さんの初恋を奪った父さんが嫌いだ。」
「いや。雪男ちゃん。お前は嫌いになるギリギリのところで、獅郎が死んだんじゃないのか。燐に対しての獅郎はおかしかったからな。まあ。考えたくなかっただろうけど。もしかしたら、あと五年も経てば、獅郎と燐は――。」
 
 獅郎と燐は――。
 シュラの言葉の続きを掻き消したくて雪男は叫ぶ。
 
「やめろお!」
 
 雪男はシュラに向けて銃口を向けた。
 銃口を向けただけでなく、その指は引き金を引いた。その引き金は本来、五年後の自分が父に向かって、引いてしまうものだったかもしれない。
 
「あぶねえよ。」
 銃口からは硝煙の匂いが漂っている。シュラは間一髪のところで頭を伏せていた。
「はあ……はあ……。」
 雪男はもうシュラに銃口を向ける様子はない。シュラは雪男に大丈夫かなと確認を取って、雪男が頷くのを待った。
「良かったじゃんか。お父さんに銃を向けずに済んでさ。」
「そうですよ。父さんの本当の気持ちは兄さんにもう伝わることもないし、兄さんが父さんへの気持ちに気付くこともない。」
 雪男はまた自分が動揺するかもしれないと思い、銃を二丁とも床に置く。
「傍観者の私達が気付いていたことは、永遠に表に現れることはない。だって私達は燐にそんなこと知られたくないからね。私はそれで、ざまーみろって思って溜飲が下がるよ。」
「嫌な女ですね。」
 でも正しいことだろう。「ざまーみろ」と永遠に結ばれることがない恋人たちに呟いてみる。
「これからも本音で貴女と話したいですね。」
「え? 私もう真っ平だけど。まあいっか。もし雪男ちゃんに悪魔落ちされたら、それこそ燐が嫌いな以上に、あの人に顔向け出来ないわ。」
「なんかその前提って抜けませんね。」
「お前はさ。あの勝呂君って子に『ざまーみろ』って思っても、ちっともすっきりしたって顔してないもん。」
「まあ彼は兄さんにとっては、父さんの身代わりみたいなもんでしょうから。父さんみたいにカッコいいってね。」
「あーあ。やっぱり藤本が絡むか……。いらん置き土産ばっか残しやがって。残された者の身になってくれよだよな。雪男ちゃん。あ。そうだ。気苦労の多い雪男ちゃんに言っとくけど、悪魔落ちするときは私も呼んでよね。一人だけで楽にさせる気ねーから。」
 雪男は心底嫌そうな顔をして再び銃を拾い上げる。
「僕は悪魔落ちしませんよ。」
 その言葉にシュラは頷かなかった。肯定の言葉もその口から出なかった。
沈黙だけがその答えだった。
 


以前記事でアンケート紛いのことをした、esperanzaの回答を元にして書いてみました。回答を下さったrukuさん有難うございます。思う存分雪男視点やったら、雪男の性格がとことん悪くなってしまいました。
釣られてシュラも性根が悪くてすみません。
合言葉は「ざまーみろ」で。

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☆ss「メヌエット」勝燐、雪燐 性描写微妙にあり「パドドゥ」「ストルネッロ」の続き

 なんも知らん奴に煽られとった。
 勝呂は努めて平静な顔をしていた。
 なんもというのは、性的なことの詳細だった。男同士のセックスは知ってる奴も知らない奴も全体の男の中で半々くらいじゃないかと踏んでいた。自分の付き合っている相手がそういうことを知らない部類だとは予想していたけど、それでも軽いショックはあった。自分は男同士のセックスの仕方を知って、なおかつ手を出さないと言っていたのだが、本格的に手を出せないとなるとなんだか、もやもやと頭の中が煙のようなもので満たされたような気がした。
 勝呂にとってはそれは落胆には値しなかったが、やっぱりかという諦めの気持ちを募らせることになった。
『ほんまに人の気も知らんとにこいつは。』
 いつものように自分に構う勝呂に、嬉しそうに微笑みかける顔が憎たらしく見えてくる。何にもしらない『おぼこ』の癖に。煽るだけ煽って何も知りませんでした。それって詐欺やないかと文句の一つくらい口から出てきそうだ。
顔には出さないが、ここで思い知らせてやろうかと思って衝動的に燐の手首に手が伸びそうになったが、すんででそれは回避した。流石に他愛も無い無知の罪に対して罰が厳しすぎると思ったからだ。
 何も知らぬげに燐は勝呂の膝の上で猫のように甘えてくる。安心しきった顔で時々自分の前で組まれている勝呂の腕に頬を摺り寄せてくる。キスもねだってくる。
 なんて思わせぶりで。なんて拍子抜けで。なんて可愛い奴なんだろう。
 
     *   *   *
 
勝呂は燐と旧寮と新寮への分かれ道で別れる。そこからレンガの歩道を歩いて寮に着く。
今頃燐も弟の待つ部屋に戻っているだろう。
奥村雪男は自分たちの交際にたぶん気付いていると思う。しかし何も勝呂に言ってこない。黙認されているのか?
「それにしても誰なんやろうな。あいつにあんな男同士のアレを入れ知恵したやつは。」
 志摩が一番に頭に浮かぶけど、燐と二人で話しているところは最近は見ていない。それにあんまりどぎついことや、ドつぼにはまることは極力言わないのが志摩という男だ。大抵はその場限りの戯言で済まされる。
「ならやっぱり奥村先生やろか?」
 勝呂は頭を抱える。あの旧寮の部屋で燐と雪男の間で、どんなやり取りがあるのかは知らない。雪男も勝呂の前では態度には出さないのが、黙認はしてくれても警戒はばっちりされているということだろう。しかもあの燐の性格を誰よりも熟知しているから、勝呂への甘えたようなアプローチも予想済みだろう。
「あの人とはあんまり、どうのこうのと言う事態は避けたいんやけどな。」
 燐のことであっちから何も言ってこないのなら、こっちとしても態度で示してわかって貰う他ない。
『俺は燐のことをいい加減な気持ちで好きなわけやない。』
『燐の身近な人が心配するような、軽はずみなことは絶対にせえへん。』
 あの人も自分と同じ慎重な人やからと勝呂は思った。
 勝呂は顔を上げる。目の前には寮の扉があった。扉を開けるとそこは整然とした学校と違って、雑然とした生活臭さが眼に入ってくる。いくら外装を西洋風に整えたって、中の人間のほとんどは日本人ばかりだし、年頃の野郎どもばかりだった。勝呂もその中に入ってしまえば、それにまぎれてしまえば、年頃の野郎どものその何百何十何番目にしか過ぎない。
 勝呂の燐に対する思いだって、何百何十何人の誰かと重ならないわけじゃない。同じ考えかたの奴がいれば、勝呂の考え方だって平均化されてまぎれてしまう。それが勝呂にとって嫌なわけじゃない。男が男を好きなんだから、頭の中で幾ら取り繕ったって、受け入れがたい真実も浮き彫りにされる。でも燐のはにかんだような笑顔とか、自分に向けられる甘い声とか、それと引き換えに出来るものなど、今のところは思いつかない。究極のところ、自分の一番の前提である「サタンを倒す」という夢というか野望の障害になるはずもないので、頭の中を満たす煙にむせて苦しむのはお門違いかもしれない。だがいつも頭の隅っこには奥村雪男の気配が燻っている。それが頭の中の煙の元だろうか。
「まあ。あの人があんまり完璧すぎるんや。それに対する嫉妬やと思っとこ。」
 勝呂は今日も整然と自分の物思いに決着が付けられたことに安堵する。今の自分と燐の関係がこれからも変わらないという、根拠にしたかった。
 勝呂は自室のドアを開けると志摩がベッドに寝転がっておかえりやすと出迎えた。ただいまと当然返す。壁に作りつけの机にさっきまで抱えていた荷物を下ろした。
 さて――。心のもやもやはとりあえずは解消した。問題なのは如何ともし難い生理的欲求だった。
「志摩。ちょっと外出るわ。」
「いってらっさーい。」
 勝呂は再び部屋をあとにする。入れ違いに子猫丸が入ってくる。
「子猫。俺はちょっと出てくるわ。すぐに戻ってくる。」
「あ……。そ、そうですか。」
 心なしか視線を逸らされたような気がした。
 志摩にしても子猫丸にしても勝呂が何の為に部屋をあとにしたか、薄々気付いている。何回も燐と会う度に行われる儀式めいたものだから、当然と言えば当然かもしれない。二人はそのことについて一度たりとも勝呂に問いかけたり、不愉快そうにしなかった。こういうところがなあなあなのは、幼馴染だからこそかもしれない。
 勝呂が向かった先は共同トイレの一番奥の個室だった。金持ち学校だからか綺麗に掃除されているけど、使う対象が男子高校生なために、どうしても避けられない後ろぐらいところも目に入る。いわゆる落書きだった。
「また消されとるわ。」
 しかし新着の落書きが鉛筆で書かれていた。短い言葉で「犯りたい」と。悪戯心というには妙に生々しい走り書きだった。これが三つ四つ並んだ頃に必ず大人の手で消されてしまう。まるで自分達が管理している男の端くれの、子供たちの性欲を否定したがっているようだ。
 大人の気持ちは勝呂は分かるかどうかは知らないが、自分の性欲がなんとなく邪魔っ気だとこの頃はよく感じている。なんもかんもあのとんちんかんな奥村燐の所為だ。
 勝呂は性急にズボンのチャックを下ろす。そして自分の性器を扱き始めた。エロ本など手元には無い。頭の中で勝呂を煽っているのは、奥村燐ただ一人だった。甘え声や肌の感触を思い出して、自分の分身に熱を与えていく。
「ほんまに。ほんまに……。あいつは人の気も知らんとに――。」
 勝呂には燐に思い知らせるという選択肢もあった。でもその選択肢は選べなかった。選べなかった選択肢を悔やんでも仕方ない。例え燐が妊娠することがないとしても、自分の欲望だけの為にそれを強要出来るはずもない。現に男同士のセックスの仕方を知って、怖がられたじゃないか。手を出さないと言ったとき、なんとなく安堵の表情を浮かべてたじゃないか。ならこれは正しいルートじゃないか。
「ほんまに――。同じ男やのにややこしい。」
 
 終わった後の汚れた手の平を見て、勝呂はほっと安心する。
「これは自己満足やなんかやない。」
 他人への愛は、自分に対する自己愛も混じっているというのが定説だろうが、自分はまじりっけ無しに燐のことが好きだ。それが勝呂の持っている真実だ。例え抑えがたい性欲に苛まれても。
「そんでも可愛いんやから仕方ないわ。」
 勝呂は個室をあとにして志摩と子猫丸の待つ部屋に帰って行った。
 
     *   *   *
 
「もういいだろっ。本当に俺に対してそんなことはしないんだ。」
「そりゃあまだ付き合ってそんなに経ってないからだよ。」
 燐の言葉や自分を庇おうとする手を押しのけて、雪男の手が燐のシャツのボタンにかかる。
「兄さんが自分で脱がないなら僕が脱がせる。」
「雪男。どうして俺を信じてくれないんだ? どうして勝呂の言葉を信じてくれないんだ?」
「男が男を信用出来るわけない。」
 それは自分に対する罪悪感の裏返しだった。雪男は自分自身の理性だとか兄への愛情にも疑心を募らせているから。目の前でしおらしく可愛らしい言い訳ばかりする、その面の皮の奥がシロだと分かるまで、兄の言葉も信じられるはずもない。
「服を脱いで、昨日と同じところを僕に見せるんだ。いいね。兄さん。」
 燐の顔がくしゃくしゃと歪む。
「俺がサタンの息子だから悪いのか?」
 お定まりの泣き言は聞かない振りをする。
「さあ、兄さん。」
 雪男は後ずさる燐をベッドに追い詰めて冷たく笑った。





勝呂がどれだけ誠意を見せようが、燐がどれだけ信じてと叫ぼうが、通用しない男・奥村雪男でした。
しかし勝呂と雪男の間で、燐に手を出さない耐久レースのような様相も呈してきました。
当事者にとっては我慢できなくなったほうが負けと思い込んでいるようです。

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好きな子ぉにいけずpixivに上げたイラスト。わざと手は出さない勝呂。

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勝燐劇場1続きはたぶんない、勝燐劇場1。pixivに上げたものです。

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☆ss「Esperanza―りんメランコリー―」(勝燐、オチは雪燐)

 俺は悲しい。何故なら勝呂がしえみのことばかり褒めるからだ。
 
「本当に杜山さんがいなかったら本当ぉに危なかったわ。」
しえみは身を挺して樹木のバリケードを作って、詠唱が終わるまでの時間を稼いだ。屍の魔障で体力をけずられながらも、ぎりぎりまで守り抜いた。
だから候補生昇格試験のあと、勝呂はとにかくしえみに一目置くようになっていた。そして燐の気も知らずに、ことあるごとにしえみに無意識のアプローチを掛けている。それは恋愛のアプローチではなかったけれど、それだけで手放しで燐は安心出来なかった。
「杜山さんの非常時における心構えが常人のそれやない。寺の修行を齧った俺にも分かる。」
 齧ったくらいで分かるのかよお前と燐は心の中でツッコミを入れる。しかし、しえみが意外と度胸が据わった女であることは燐も認める。あの実力もあるし気も強い神木出雲のほうが、出遅れて援護するのがやっとだった試験中の状況――。勝呂もしえみの体力の消耗を見て、やっと腹を括ってグールと対決する意思を固めたぐらいの。そう何もかもがしえみを中心に起こった奇跡だった。
「う、うわあ。燐。私すごく褒められたよ。」
 普段が大人しいとか、おっとりしているからとか、あらゆる補正を差し引いても、その賞賛は当然と言えば当然だ。しかし修羅場慣れしている燐には分かっていた。
 しえみの非常時での剛勇ぶりは単に心の螺子が足りないせいなのだ。しえみはかつて自分の家の庭に引き篭もっていた。
それがいきなり塾に通いだして、祓魔師の勉強を仲間と一緒に始めた。出雲からの不当なパシリ扱いも、世間というのを知らないしえみにとっては、ある意味信頼の証の頼みごととして取っていた節もある。しえみはほぼ自分が生まれて初めてまっとうに所属することになった組織の一員として役に立ちたいという思いが強かったから。本来怖がって判断が鈍るはずの場面でも咄嗟に動けた。燐に言わせれば、ただの考え無しの怖いもの知らずが、あの時のしえみの本質だった。
 
勝呂はどっかの誰かさんは無謀にも一人で単独行動起こしよるしと、燐を追い討ちを掛けるようにしえみに言った。燐はずきっと胸が痛む。恨めしそうな眼で勝呂を見たが、こんな時に勝呂が甘やかしてくれないことは分かってる。
『俺が無茶なのはわかってるけど。』
 燐は自分の行動も振り返る。あれは誰からしても一見すれば独断専行の無茶苦茶なのは確かだった。身の程を知らずに囮を引き受けた馬鹿が、一匹しか対象を寄せ付けられず運良く倒せたにしか過ぎない。それが勝呂の中の燐としえみの評価の差を生んだ。
 勝呂は燐から見ればまっとうな世界でずっと過ごしてきた、いわゆるボンボンだ。しえみは無菌培養された、これまたお嬢さんと言っても差し支えがない。所詮、自分なんかと違う世界の住人だ。でもそれが燐には眩しく見える。
「俺だって、頑張ったのに……。」
 しえみと違って、燐はもの凄く勝呂に怒られた。その理由はもっともだけど、自分の活躍は誰にも見られてはいけない。自分の炎は誰にも見せちゃいけない。
「俺一度でいいから任務で杜山さんと組みたいわあ。」
「えっ。私とですか? 頑張りますっ。」
 また勝呂が悲しいことを言う。それにしえみがやる気になって応えてる。でも仕方ない。
 つらつら考えると、まるで自分が悲劇の主人公じみてくる。それはみっともなくて、惨めなことで。そんなのは嫌だから、無理矢理ポジティブに考えてみる。
『俺は隠れて皆を守る影のヒーローなんだ。』
 手前味噌なキャッチフレーズは不思議と気分が高揚する。うふふと薄く笑って勝呂に笑いかけようとしたら、視線の先が途中で、自分のことを何とも言えない顔で見ている弟と合った。
「兄さん。どうしたの?」
「雪男かよ! 勝呂はどこ行った?」
「勝呂君なら志摩君と三輪君と一緒に出て行ったよ。」
 しえみもいつの間にか消えていた。燐は考え事に夢中になっていた自分が恥ずかしくて机に突っ伏する。すると雪男が微笑ましそうに言う。
「残念ながら勝呂君は兄さんを分かってあげられないけど、僕だけは兄さんを分かってあげられるから。」
 自分と弟しかいない教室で、燐は悪魔に魂を売り渡してしまいそうになるような弟の笑みを見た。
「雪男だけ?」
「そうだよ。兄さん。」
 雪男は満足そうに兄の頭を撫でた。




候補生昇格試験のあとの勝燐です。

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イラストアップ(画像クリックで拡大)男風呂

ザ・男風呂肌色率高し。でももう燐は尻尾を隠さなくてもいいから、こんな裸の付き合いをする日も来るかも。カプがよくわからないイラストですみません。

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☆ss「ストルネッロ」勝燐 「パドドゥ」の続き

 

「なんや。今日はなんもねだってこんのやな?」
「そ、そうか?」
 勝呂は怪訝そうに燐に顔を近づける。二人は定例の二人きりの勉強会をしている。
今日の燐は一生懸命というか、雑念をまるで踏み倒し踏み潰し踏みにじるように勉強に集中している。勝呂としては先生役冥利に尽きるかもしれないが、どこか釈然としない。いつもなら甘えたそうに膝の上に乗ってくるのに、今日は大人しく机の向かい側に座っている。
「なんかあったんか?」
「なんにもないっ。」
 即答にも程があると思った。これは何かある。
『勝呂に凄く心配されてるよ。どうしよ……。』
 昨日あった雪男による『身体検査』について話せば納得はしてくれるかもしれない。しかしそれを話したら、勝呂との今の関係は終焉を迎えてしまうだろう。燐は頭の中がゆっくりとシェイクされるような気持ち悪さを覚える。
『今までエッチしたいって思ってたのは俺だけど。俺はなんにも知らずに思ってたんだよな。エッチすればもっと勝呂と近くなれるかもって、ふわふわした感じで考えてた。』
 雪男に触られた感触が蘇る。ああいうふうに勝呂にも自分の恥ずかしいところを開いて見られてしまうのだろうか。裸同士になるのは承知の上だったけれど(ここは尻尾のことはとりあえず置いといて)、あの感触を思い出すと身体が竦んでしまう。
 勝呂は、目の前で目を合わさないようにして何やら考え事をしている燐を無言で見つめている。
「燐。こっち来いや。」
 不自然に不自然を重ねない程度に燐はおずおずと席から離れ、勝呂の前に来た。勝呂は燐の手首を掴んで引き寄せる。
「お前の方からねだってこんかったら、なんや俺のほうがキスしとうなったわ。ええやろ?」
 普段なら嬉しい台詞のはずなのに、燐は血の気が引いていく錯覚を覚える。そして反射的に勝呂を跳ね除けようと燐の手の平が勝呂の胸板を押す。
「なんや。嫌なんか?」
「嫌じゃないんだけど、だけど……」
 勝呂の釣り目が燐の視界の中でへたれてくる。
「お前、珍しくは恥ずかしがっとんのか? そないなこと今まで無かったのに。」
「俺だってよく分からないけど、なんだかお前を見てると」
「見てると?」
 燐の頭の中は「うわー」とか「ひゃー」の叫びが反響しながら巡って、他の言葉がなかなか出てこない。
「見てたら、見てたら……」
 心の叫びの反響の渦の中、たった一つの形容詞がやっと口から出てくる。
 
「………怖い。」
「俺の顔が怖いのは今更やろ。」
 
 燐の反応で明らかになったこと。何気に勝呂も混乱しているようだ。
 ふるふると燐は首を振る。その度に勝呂には燐の顔色が失せてきているように見えた。でも勝呂は自分の何が燐を怖がらせているのか分からない。でも燐はそれを自分に話してくれそうにない。
「俺かて何が怖いんか、話して貰えんとどうしようもないんや。ゆっくりでええから。ちゃんと話してみい?」
 こうなっては、なんでもないよで終わらせられない。しかし燐としては話してしまえば全て終わってしまう気がする。というか普通なら全てが終わる。でも勝呂をこんなことで困らせるのは嫌だ。なのにカタカタと奥歯が鳴る。
 勝呂はふうっと長い溜息をつく。わかったと一言呟いて燐に覆いかぶさる。
「お前が何を怖がっとるか、ようわかった。」
 そして燐の唇にゆっくりとキスをした。
「………。」
 唇が離れても燐は放心したままぼーっとしていた。今までの触れればすぐに離れるようなキスではなく、お互いの唇の感触を確かめ合うような長いキスだった。今までのキスがおざなりと言わないけど、なんだかさっきのキスを知ってしまった後では、今までのは子どものごっこ遊び思えてしまう。それほどの本気のキスだった。
「お前が怖いんは、こっから先やろ?」
「あ………。ああ……。」
 やっぱりと勝呂は肩を竦めたと思ったら、いきなり噴出した。
「お前。どっかで男同士のそういうの耳にしたんやろ? 今までお前なんも知らんで俺のこと煽っとったんかい。ほんまアホやな。」
「……勝呂は知ってたのかよ!」
「何気に知っとったわ。けどそれは勉強出来る出来んとは違うで。」
 燐は呆けたように勝呂を見つめる。勝呂は爆笑しないように腹を抱えて笑いを押し込めていた。
「なんか薄々お前はなんも知らんのやないかと思うとったんや。やっぱそうやったんか。」
 すっかり見透かされていたようだった。だから勝呂は今まで燐が軽はずみなことを言って誘っても、それに応えなかった。それは当然の帰結だった。
「ほんで。俺はこれからもキスしかせんけど、それでもええな?」
 勝呂の誠実だけど薄情な問いかけに燐は苦しむ。
「うーん――。それでいい。」
 それでも燐は生殺しな問いかけに、それでもほっとして頷いた。




これだから未通男は。また進展しないフラグが立ちました。だいたい雪男のせいです。

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☆ss「Esperanza-まむしスネーク-」 柔金だが金造片思いで、ちょっと柔蝮風味

大学を出て、柔兄はやっと車を買った。人生初めての車なのに、仕事やおとん送り迎えの関係で、しょっぱなから何やらおっさん臭い普通車という事態になってもうたけど。
「別に金造がそないに不満顔せんでもええやろ。むしろ初めての車なのに、普通車なんて贅沢すぎるくらいやわ。」
「せやかておっさん臭い車やわあ。柔兄ならもっとカッコいい車のほうが似合うのに。」
 そう言いながらも俺は実直そうな柔兄に、件の車は案外似合ってるかもしれんと思った。運転手であることが前提でなければ、もっと素直にこの新車を弟としては喜べた。
「まあ俺個人はそないに車乗ることはあらへんけどな。親父に頼まれた時の運転手役ぐらいやな。」
 ほんまに柔兄は若い男にしては変わってはる。普通は車を買うたら、乗り回すんちゃうやろうか。でも柔兄らしい台詞といえばらしい。何せ趣味が山篭りと称したキャンプだし。あれ? キャンプが趣味やったら、余計に乗り回す機会があるんとちゃうやろうか。いや。柔兄は確かキャンプ場には電車を使って行っていた。根っからの修行者体質が染み付いとる。
「まあええわ。ほんなら乗る時には声かけてや。俺、柔兄の運転見てみたい。」
「ええよ。親父の頼みがない時にいっぺんくらいは乗せたるわ。」
 そのときの俺は、この車が引き起こした俺的な転機を予測しようがなかった。
 
     *   *   *
 
運転席の柔兄が携帯を出してちらりと着信を見る。助手席ではなく後部席から俺は柔兄の後ろ頭を見ていた。
「もうそろそろやと思うんやけどなあ。」
 京都のホテルの近くの駐車場。そこで俺たち兄弟はいけすかない奴を待つことになった。
「なんで蝮の迎えに俺達が行かなきゃならないんや。」
「しゃあないやろ。あいつのお父はんの頼みなんやから。」
「だったらあのおやっさんが行けば済みなんちゃうん?」
「あの人免許持っとらへんし。それに
あの人が言うにはな、他所のお嬢さんは彼氏に迎えに来てもろうとんのに、うちの娘だけ親が迎えに来るのは不憫過ぎるいうてなあ。」
「親心の方向性が間違っとるやろ!」
 厳しそうに見えて実はかなり娘を甘やかしとるやろうが! 友達出来んのも彼氏出来んのもあいつの責任やろっ。
 柔兄はいつものラフな私服と違って、余所行きとはいかない程度にワイシャツにネクタイという少々気合の入った格好をしている。俺は高校の制服のカッターシャツとスラックス。いや、別に俺の格好はええんやけど。柔兄は宝生のおやっさんの頼みに気を遣うて、それなりにきちんとしてきている。宝生のおやっさんの頼みと言うのが、娘の蝮が通っている大学のイベントがホテルであるので、その迎えに行って欲しいと言うのだ。
 俺は柔兄に先日言った通り、車を出そうとする柔兄にくっついて来たわけや。柔兄は他所の人に頼まれた言うたけど、俺はほぼ無理矢理ついてきた。そしてその他所の人というが、宝生さん家だったんやけど。
 柔兄は宝生のおやっさんから、柔兄にどうして迎えに行って欲しいかの理由は聞いて納得しているので、それほどまでに不満や愚痴を口に出さない。というか、別に不満や愚痴も無いんやろうけど。頼まれれば素直にええよと言う人やから。
 俺としては、志摩と宝生は不倶戴天の犬猿の仲ちゃうんかとか、あの蝮のことだから文句はあっても有難うやおおきにの一つもきっと無いんやとか、ついて来てなんだが不満だらけの愚痴だらけやった。
俺が横でわあわあ言うても、今回の柔兄はつられなかった。
 柔兄が携帯をちらっと見る。
「イベント言うて、そんなに定時で終わらんのとちゃう? そこまでこまめに気にせんでも……。」
「こんなことでも無いと、蝮の奴が俺にメールしてくることなんか無いからな。」
「なんやそれ。」
 俺は助手席の背もたれから顔を乗り出した。
「メール来て欲しいん? あの女から?」
 柔兄は驚いたように俺を振り向く。
「え? 俺変なこと言うたか?」
「十分変やがな。柔兄あの女苦手やなかったんか?」
 俺自身はそうでもないと柔兄はぼそっと呟く。
「あっちが俺を嫌っとんや。」
 俺にとっては青天の霹靂な言葉やった。頭がくらくらする。
 そんな俺を知らぬげに柔兄はとうとうと語りだした。
「お互いに跡取り同士やし、あいつは俺に対して張り合っとるだけかもしれへん。せやけどな、明陀が正十字騎士団に所属するって決まった当時、あいつ何気に十代の華の時期やったんや。それなのに東京の名門校に行くために必死に勉強して、学校に入っても祓魔師になるために勉強漬けで、それやから友達も男も出来んかったと思うと。なんか俺としても不憫に思っとったんや。」
「そんなんは、柔兄もおんなじやろ。」
「俺は……。やけど、あいつは不器用やったから。ずっと俺それ見とったから。」
 柔兄の横顔は今まで見たことのないような表情を浮かべていた。そんな顔する柔兄なんて俺は知らない。しかも天敵やと思っていた蝮のことで。
「あいつはな、休日に雨が降ってたらな、日がな一日ずっと蛇と一緒に雨を見とんや。」
それがどうしたというんや。
「たぶんあいつにとって人付き合い言うのは疲れるんやろ。ほんでもあいつは寂しがりやから、誰かが後ろで見といてやらんと。」
「柔兄はあいつをほっとけんのか。」
「そやな。ほっとけん。」
 柔兄はどっか分からんところを見ているような目でそう言った。俺の気持ちも知らずに。柔兄が東京に行っていた三年間。俺かて寂しかったのに。柔兄はその間ずっと蝮のことばかり気にしとった言うんか。そして今だって気にし続けてそんな目をする。せめてそんな柔兄の心配性が、ただの惰性だったらいいのに。だけどどうやら、そういうわけにはいかんようやな。
 俺は後部座席のシートに身体を預けた。俺だって柔兄のことが好きなのに。どうして柔兄のことを何とも思ってない女に嫉妬せなあかんのや。好きで好きで堪らへんのに、こっちは兄弟やから口に出せへんのに。世の中不公平や。
 俺が泣きそうな顔してるのに、柔兄はまた携帯の着信を気にしている。(そないなみっともない顔見られとうないから、バックミラーに写らんように座る位置を変えた俺も俺やけど。)
「あ。蝮からや。」
 ホテルの入り口前まで柔兄は車を移動させる。中からおめかしした女子大生が出て来て色めき立っている。
「うわあ。車? 彼氏?」
 車の中からでも女子大生の声が聞こえてくる。蝮が首を横に振っているのが見えた。
「蝮。」
 柔兄は蝮に手を振ると運転席から出て助手席のドアを開けて蝮を迎え入れる。その時の蝮の顔はムッと怒っているようでいて、悪目立ちっぽくなっている自分が恥ずかしいというような、どっちつかずな表情だった。
「父様、変な気ぃ遣い過ぎや……。」
 ぼそっと蝮が呟く。不本意ながら俺は蝮と同じ意見やった。この女の性格なら、別に世間並みに彼氏のお迎えが無いという劣等感に駆られるはずないのに。柔兄は非の打ち所の無いエスコートを遂行してどこか安堵を浮かべている。それがちらりとバックミラーに写った。ほんまこの人は蝮のことほっとけんのやろうな。
「どうしての父様の頼みごとを断らなかったん? 志摩の跡取りが、宝生の長女の世話を焼く義理はあらへんやろ。」
「まあええやん。俺とお前の付き合いやし。」
「なんやそれ。」
 蝮の捻くれた言葉にも柔兄は笑顔を崩さんかった。横にいる少し気合を入れて着飾った蝮をチラチラと見ている。もう、なんだか、そんな柔兄の後姿とかバックミラーに写る姿を見ていたら、本当に今すぐこの後部座席のドアから飛び出したくなる。危ないし死にたくないからせえへんけど。
 車は宝生の家の門で止まる。蝮は黙って自分でドアを開けた。柔兄がおやすみと言ったとき蝮は振り向いたけど、すぐにツンとそっぽを向いて玄関の中に消えていく。柔兄は不必要なくらい長い時間、その後姿を見送っていた。
 
     *   *   *
 
 次の日、志摩の家の前に蝮がいた。蛇やないよ。蛇のような顔の女やけど。
 柔兄はおとんを勝呂の本家に送っているのでいない。蝮は柔兄の車が無いのを見て、すぐに引き返そうとしている。俺はたまたま庭にいて姿を見てもうたから、引き止めんわけにもいかんかった。
「なんや。蝮、なんか用か?」
「お前相変わらず年上を呼び捨てにしよってからに。」
「お前が柔兄のこと柔造さん呼ぶようになったら、俺も蝮さん呼んだるわ。」
「態度のデカイ申やな。まあええわ。お礼言うにも手土産持ってこんかったし。」
「お礼?」
 俺は自分で顔をしかめているのがよう分かった。蝮は気まずそうに頭を下げる。
「昨日は、おおきに……。昨日は言わんかったから、柔造気ぃ悪うしてなかった?」
「別のそないことなかったで。」
 蝮はどこかほっとしたような顔をする。
「それならええんやけど。」
 ほなと言って蝮は元来た道を戻って行く。本当に不器用な女やと思った。うっかり俺に柔兄への言付けを忘れてるし。
「そないなことなんやな。」
だから柔兄がほっとかない。あの女が柔兄を何とも思ってなくても、柔兄がほっとかない何かを感じてしまう。
 それって俺が完全に負けとるいうことやないか。俺が幾ら好きでもいつまで経っても柔兄は気付かへん。なんで俺は柔兄の気持ちに気づいてしもうたんやろ。
「あーどうしたらええんや。頼まれんかったからって、蝮が礼を言いに来たこと柔兄には内緒にしとこうかな――? ……やっぱそれはあかん。」
 
 それでは余計に負ける気がした。




本当に予告詐欺ですみません。ネタというのは突然舞い降りるもんでして。
他キャラでも「同タイトルー名前○○ー」でシリーズ化するかもしれません。

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☆ss「パドドゥ」勝燐前提の雪燐 「カバティーナ」後の二人


「兄さん。服を脱いで。」
 雪男は相変わらず冷静で平坦な口調で燐に強制する。燐が放課後とかに勝呂と二人きりで過ごしたあと寮に帰ってくると、必ずそういうふうに求められる。弟曰く、やましいことをしでかしていないか、螺子の緩んだ兄が自分の正体をうっかり勝呂にばれるようなことをしていないかの確認だった。いわゆる身体検査だった。
 燐はそんなことをしていないし、勝呂もこれからも暫くの内はそういうことはしないと言ってきた旨を雪男には伝えているけど、いかんせん雪男は信じてくれない。その言葉の奥底には燐に対する歪んだ愛情があることも燐は承知しているので、雪男の気が済むならと思って弟の目の前で肌を晒している。
 雪男はまず全裸になった燐の全身を観察している。正直、雪男の目つきは内科のお医者さんと言った感じだが、却ってそんな事務的で温度の感じない視線が、わけのわからない恥ずかしさを駆り立てる。
「うん。変なうっ血とかもないし引っかき傷も無い。」
 雪男は独り言を言っているが、初心な燐にとっては雪男の頭の中の自分はどんな状況なんだと想像して紅くなる。勝呂が自分に対してそんな、うっ血や引っかき傷を作るなんてのは、どういうことなんだろうか。
「兄さん。変な想像しない。」
「し、してねえよ……。」
 嫉妬深い弟は妄想すら許さなかった。雪男は屈んで燐の性器まで観察し始める。そんなものを見て何が分かるんだと燐は首を傾げるけど、雪男は眉間に皺を寄せながら後ろを向いてと燐に指示だしした。
「何を見るんだよ――?」
 今までより執拗な雪男の確認作業だった。それでも燐は素直に後ろを向く。背中にうっ血やら引っかき傷が無ければ、もう服を着ても大丈夫だと思った。
「兄さん。ちょっと足開いてくれない?」
「え? こうか?」
 ちょっとと言われたから、燐は肩幅より狭いくらいに足を開いた。
「え? ええ? 雪男、なんで?」
 思いも寄らないところに雪男の手が伸びてきた。
「ちょっと待て。どうしてそこ触るんだよっ。」
「兄さん。これは身体検査なんだから。」
「いままでそんなとこ、……見なかっただろ。」
 雪男は燐の尻の薄い肉を割り開いて奥を観察している。
「雪男!」
 耐え切れなくなって燐は身をよじろうとしたが、それより一瞬早く雪男の手が離れていく。
「大丈夫みたいだね。出血も裂傷もない。」
 燐は声も出ない。あまり疲れを感じない身体なのに肩で息をしている。
「なんだよ。それ。」
「ちっ……。知らなかったのか――。」
 雪男はぶつぶつ独り言を言っている。しかし「余計なことをしてしまった」とだけは燐の耳に届いた。
「これで余計な知恵付けてしまったかも……。」
 燐は服を着ることも忘れて雪男を凝視している。雪男は一つ溜息をついて兄にごめんと謝った。
「僕が先走り過ぎて、念入りに検査し過ぎちゃっただけなんだ。」
「し過ぎちゃったって、おい!」
「だから、本当にごめん。」
 学園に入学してからずっと見ていなかった雪男の焦った顔と、深々と大袈裟に下げた頭に燐は戸惑ってしまう。
「男同士のエッチって、あそこ使うのか?」
 恐る恐る燐は訊いてみた。雪男を今回は許そうと思ったついでの、たった一つだけの質問だった。しかし雪男の顔がくしゃくしゃに歪む。
「泣くほど嫌な質問だったのか……。」
「兄さんが知らないなら知らないままで良かったんだ。それを僕が、ごめん。」
 燐としては謝るのはいいから、真実を教えて欲しいところだった。しかし雪男の泣き顔を見る限り、真実は一目瞭然のようだった。
「――大丈夫だ。勝呂はそんな変なことしない。勝呂は真面目だし、そんなことしないって言ったから。」
 雪男はうな垂れて顔を上げて、「本当?」と燐の両手に縋ってくる。その幼い仕草に兄としての嬉しさと優しさがこみ上げてくる。
「本当だから。そんな変なことするなら、俺今までどおりキスだけでいい。」
 雪男の肩がぴくりと反応したが、自分がさっきやらかしたことのショックが強すぎたのか、どちらかというと穏やかな眼差しで兄を見ていた。
「そっか。そうだよね。」
 自分の中の欲望を否定されたような気がしたが、兄の無垢さに疑心暗鬼が解かされたような気がする雪男だった。
 しかし――。
「兄さんはもっと大人にならなくちゃね。」
 そうしなければ自分の思いも永遠に一方通行だと、雪男は歪んだ愛までは捨てられなかった。
 
 



雪男君の痛恨のミスです。

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☆ss「ジークフリート」志摩燐 アサ燐 「アラベスク」の前話。全ての発端

京都から帰還した燐は再び学園生活に戻った。シュラからは相変わらずの魔剣の手ほどきを受けているし、祓魔師としての勉強も以前の五割増しくらいには頑張っているが、所詮実践から離れたところでは、目に見えるような成果は現れていなかった。燐の脳裏にはあまり現実味を帯びていない死という片方の未来が迫っている。認定試験まであと数ヶ月。
 
 燐はメフィストと面会するために学園の中心部への回廊を歩いていた。それまでに何人かの祓魔師とすれ違って胡乱な目で見られたり、覚悟は出来ているんだろうなと言いたげな睨みつけにも遭遇した。しかし、この学園に来るまでに多くの不良や、自分を怖がる一般人の視線に慣れているせいか、そんなことは屁とも感じていない燐だった。それでもある一点で燐の足は止められる。
「やあ。サタンの息子。」
 前方でにこやかな青年に声を掛けられる。目下のところ燐にとってはラスボスサタンより、心証としては最悪な男。アーサー・オーギュスト・エンジェル。燐の義父・藤本獅郎の死後に聖騎士に任命された男。
 見た目は青二才だが、なかなかどうして実力はあるらしい。元ヤンの燐でもなんとなくそんな雰囲気を察してしまう。今までの自分からすれば別世界の人間だ。関わりたくない人種の最もたる代表選手とまでは言わないが、ここで遭遇したのは不運と言わずなんとしようか。ぶっちゃけこいつは、自分の生殺与奪の権を握る騎士団の上層部の一人なのだから。しかも、燐は殺されるべき存在だと考える側の人間なのだから。
「………。」
 燐が黙っているとアーサーは勝手に話しかけてきた。
「相変わらず成績は芳しくないようだな。」
 どっかで聞いて回ったのかよと燐は心の中で舌打ちする。哀れむような口調がほっといてくれと言いたくなる。だから燐は自分が今胸を張って言える材料を口にした。
「京都行った時に炎の使い方はマスターした。」
「あのおぞましい炎が使えることと、祓魔師になれることは全く別だよ。」
「でもあんたには使えないよな。」
「使いたくも無いね。あんなもの。」
 さわやかにシンプルに燐の心を抉る。だからこういうエリートという人種は嫌いだ。
「………」
「何傷ついたような顔してるんだい? あ。傷つけたといえば、この間は君の足を傷つけて済まなかったね。病院には行ったか?」
「病院行く必要はねーよ。すぐ繋がった。」
「オレの剣は切れ味がいいからねえ。」
 人の足をぶった切っておいて、恩着せがましく言ってくる。
 これでよくわかった。こいつが嫌いな理由が。エリートとかそういうのは関係ない。こいつは自分を息でもするように見下してくる。怖がってるからとか。怯えているからとか。自分が燐によって傷つけられるかもしれない危機感からとか。異質だから排除したいとか。そういうふうに燐にも求められる過失があって、燐にそういう態度を取っているわけじゃない。幾ら燐が感情を押さえ込もうが、青い炎を制御出来ようが、関係ない。本当に、奥村燐というサタンの息子は認めるに値しない存在、だと決め付けている。悪気無しに。
 頭の中でぐるぐる考えている内に気分が悪くなってきた。どこかに座り込みたい衝動に駆られるけど、こいつの前でそんな真似は死んでも出来ない。しかし視界の端から靄がかかってくる。よろめくより先に、アーサーが動いた。
「調子が悪いなら言ってくれよ。」
 これまた勝手に燐の肩を抱いて支えにくる。触れてくる手の平から、嫌な体温が伝わってくる。
「あんたが離れてくれたら、治るから。」
 嫌味ではなく本当だった。
「サタンの息子は聖騎士が嫌いかい? いや――、そんなことはないか。何せ君を育てた父親は聖騎士だったしね。」
「お前と一緒にするなっ。」
「おっと、失敬。失敬。」
 アーサーは宥めるように燐の肩をぽんぽんと叩く。さっきからやけに自分に触れてくる男に燐は首を傾げたくなる。
「結局何の用だよ。声掛けてきたのは。」
「偶然だよ。でもオレに関してはあらゆることが必然になってしまうんだ。偶然近いうちに君に会えたら話しておきたいことがあるなと思ったら、君が向こうからやってきたんだよ。」
「さっさと話してくれよ。俺は理事長に会いに行くんだから。俺だってお前が嫌いだし、お前だって俺が嫌いなんだろ。これってなんて言うんだっけ? えーと……」
「不毛なやり取り、だろうね。」
 アーサーは燐の肩から手を離すと、その手を燐の顎にかけて燐に自分を直視させる。
「あれから君の行動に関する色々なことを調べさせて貰ったよ。悪魔だからかどうか分からないけど、相変わらず頭の悪い行動の数々だね。感情と行動がすぐに結びついてしまう。神妙にしていなければならない立場なのに。」
「うるせーよ。お前は俺がどうなろうが知ったこっちゃねーだろ。」
「オレは基本人情家なんだ。君のそんな未熟ながら微笑ましい姿には思うところがあるんだよ。」
 人情家が聞いて呆れると思った。アーサーの手は相変わらず燐の肩を支えている。顎に添えられた指が、燐の唇をなぞる。
「サタンの息子だという一点を除けば、君は少し学が足りない良い子なんだよ。だからオレは少し君を好きになった。」
 そういうとアーサーは顔を寄せてきたが、燐は必死の接近してくる顔から逃げようと横を向こうとする。まあ良いというようにアーサーは耳元で囁く。
「こう見えてもオレは聖職者でね。妻は持てないんだ。しかし愛人は幾らでも持てる。」
「は?」
 妻を持たないとイコールで愛人も持てないのではと燐は思った。それにそれが自分と何の関係があるのだろう。混乱している燐にアーサーは追い討ちのように囁く。
「君はオレの公然の愛人になるんだ。」
「なんでだよ!」
 今度こそアーサーを突き飛ばして離れようとしたが、そんな行動を予測していたのかアーサーは引き離されないように燐の両手首を掴んでいる。
「悪い話じゃないだろ。君は今まで前・聖騎士の庇護を受けて生きながらえていた。それがこれからもそうなるだけだ。」
「だけど愛人ってアレだろっ。エッチなことして、世話してもらうっていう……アレだろ。」
 限りなく偏った視点だが、限りなく一般人なものの見方で燐は言う。アーサーはにこやかにそうだよと返してきた。
「俺をそんな目で見てるのかよお前は!」
「おや? 君は悪魔の子にしてはそういう経験が無いのかな。」
 あるわけないだろと叫びたかったが、人通りのある回廊だったのと話題が話題なので羞恥心が先に立ってしまい真っ赤になった。
「君は初めてを好きな人に捧げたいと思うなら、君がオレを好きになればいいよ。」
 愛人になれと言ってくるような男に対して、そんな気になれるものか。その心中を察したのかアーサーは燐に言い聞かせてくる。
「焦る必要はない。オレに優しくされればその気になるに決まっているよ。今はまだあの審問の時のわだかまりが記憶に新しいから、互いにギスギスしてしまうんだ。君の言うエッチなことは、せめて十六歳になるまでは待ってあげられるよ。君のタイムリミットとちょうど合致するし。」
 とんでもないことを提案してくる男だと燐は思った。あくまで言っていることはアーサーの都合ばかりで、燐は口を挟めない。
しかし燐らしくもなく、小狡い考えも浮かばないでもない。どうせ自分はこの男が嫌いなんだ。嫌いな奴に対してズルをしても心は痛まないはずだ。自分の未来は百の内九十九は閉ざされたのも同然なのだ。たった一つの希望が祓魔師になることならば、この愛人契約は二つ目の希みになるかもしれない。この男の言う通り、唯々諾々と可愛い愛人を演じれば、自分の限界に絶望することもない。
「愛人前提ってのが気に入らないけど――。」
 とりあえずこの提案が死ぬよりはましかもしれないと思った。この男から言ってきたことなんだ。自分はそれに乗っただけ。この男が先に言ってきたんだと、燐は必死に言い聞かせる。それでもたった一つだけ、恨み言が出てしまった。それをアーサーは拾い上げて告げる。
「正妻というのはおこがましくないかい? 君の出自で。悪魔の子なら愛人のほうが世間的にも納得されやすいと思うよ。オレは君の負担も考えていたつもりだけど、気を悪くしたかな?」
 どんな正論を吐こうとも、その裏には見下しが見え隠れする。そして燐に対する欲も。
「じゃあ、愛人で仕方ないんだよな。」
 仕方ないと言った途端、胸がずきっと痛んだ。
祓魔師になって、サタンをどうにかした後には、ごく平凡な幸せな家庭を――なんて、夢見ていたはずなのに。だけどアーサーの申し出を受けたほうが安全だと理解している自分もいる。
「わかった。俺は……。」
 
「奥村君! それだけはあかん!」
 
 まるであつらえられた舞台のように、志摩廉造が燐が歩いてきた方向から一目散に走ってきた。
「理事長から連絡があってん。あんまり遅いから探してくれえと頼まれたけど、そこの兄ちゃんとそないな話してたんかいっ。」
「オレはこの内緒話を、そんなに大きな声でしたはずはないけどね。」
 考えもしなかった登場にアーサーは苦笑いを浮かべる。ここで志摩を追い払うのは得策ではない。あの(自販機を投げたくなる)メフィストの名が出たのだから。聖騎士と名誉騎士の立場の拮抗は他人が思うよりイーブンなのだ。しかもこちらは(表では)ごく普通の祓魔候補生されている少年を、公然とは言いながら愛人に据えようとしているのだから。あまり世間体の良い話ではない。
 この愛人契約は、燐をメフィストサイドから離脱させる算段でもあるので、あくまでアーサー単独で済ませておきたかった。しかし同じ候補生の志摩が現れたのは都合が悪い。
「デビルイヤーは地獄耳や。あんた偉いさんの癖に、なんちゅーことを奥村君に言ってくるんや。奥村君も奥村君や!」
 燐はびくりと背中を震わす。こんな剣幕で怒る志摩は初めて見るからだ。
「ははっ。まあいいや。オレのほうからはもう言わない。でもまだ君にその気があるなら、この番号にいつでも掛けて欲しい。携帯電話は買ったばかりで他人に番号を教えるのは君が初めてなんだよ。……なるべく良い返事を聞かせてね。」
 アーサーは燐に耳打ちした後、燐の手にメモを掴ませて颯爽と去っていく。志摩は燐の手からメモを奪うと、びりびりとその場で破り捨てた。燐がそれに手を伸ばそうとする。
「あかん言うたやろ。奥村君。」
 腕を取られて燐は勢いをつけて志摩の薄い胸板に引き寄せられる。
「奥村君には俺がおるっ。奥村君は、お……俺と………。」
「俺と?」
 志摩の喉がごくりと鳴るのを燐は聞いた。
「俺と結婚したらええんや。」
 真っ暗になっていた目の前に、何故か光が差したような気がした。
 





原因はアーサーでした。教会上層部としてはアーサーに燐を取り込ませて、燐をメフィストから引き離そうという作戦を取ったという設定です。さあこれから熱海に逃避行です。
なんか「だいたいアーサーのせい」です。

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☆ss「ロマンス」雪燐 「アラベスク」の続き 子ども生まれてます

窓から外を見下ろしていた雪男は、一台のタクシーがアパートの前に止まるのを見た。ドアを開けて出てきたのは、長いこと会えなかった双子の兄だった。思わず部屋を飛び出していこうとする足を、必死で留める。アパートの階段を上がってくる足音に合わせて、動悸が激しくなる。
「ただいま……」
 これが五年越しの再会になるとは思わなかった。燐は疲れた表情でおはようと雪男に言う。そんな声音が昔より大人びているというか、掠れたように聞こえた。
「悪かったな。急に呼び出しちまって。」
「兄さん気にしないでよ。この辺で頼れる身内は僕しかいないんだから。志摩君は実家は京都だし。」
 そんなことを言っていながら、五年間連絡も取ることもなく、顔も合わせることも無かった兄弟が今、ここで同じ空間に立っている。
 とはいえ、その内の三年間はお互いに正十字騎士団の監視下に置かれ、逢うに逢えない状況だった。そしてそのあとの二年も、逢えるような状況に互いが持っていけなかった。
 燐はどうだか分からないが雪男にしてみれば、逢わないことである意味自分の安定を保っていた節もある。逢ってしまえば、また心が走り出してしまいそうで怖かった。一晩中燐の子供たちと一緒にいて、何もなく一夜を明かせたものだと、雪男は自分自身の自制心が少しは残っていたことに安堵している。
「雪男。ちび達に会ったか?」
「爛君のほうとは少し話したよ。礼儀正しい子だね。」
「あれで結構、気は強いんだぜ。」
「お母さんの気性が気性だからね。」
「いや。俺のとはちょっと違うような気がする……。」
 燐は雪男の目を見上げてそう言った。
「なんだか、親父が死んでからのお前に似ている気がする。」
「父さんが死んだあとの僕?」
 意識していたつもりは無いが、雪男は尋ね返した自分の口調を異様に冷たいように感じた。燐は口ごもる。
「俺、ちょっと寝不足だから……。なんか変なこと言っちゃってるかな。せっかく会えたのに。変なこと言ってごめん。」
「兄さん。父さんが死んだあとの僕って、どういうふうに見えてたの? 知りたいなあ。」
「その前に飯でも食おう。用意するから。」
 
     *   *   *
 
 それでも話の続きを燐はなかなか切り出してこなかった。食事を作ったあとには子ども達が起きてきて、食事を終えた後には、手術後の志摩の為に燐は着替えやらの荷物を持っていかなければならなかったせいもある。(廉造はやはり急性の虫垂炎だったと燐は言った。)
 昼食の後に暫く遊んでいた子ども達は疲れたのか昼寝を始めて、また兄弟二人で向き合うことになった。
「朝の話なんだけど――。」
 お茶を淹れる燐に対して、雪男は早速切り出した。燐はなんとなく気まずそうに笑って、もういいじゃねえか、そのことは、と言って誤魔化し始めた。
「廉造が病院に運ばれて……俺がちょっとパニくっただけだよ。深い意味は無いぜ。」
「でも爛君が僕に似ているって思ってるのは事実でしょう? 僕は兄さんがどうしてそう思うのかが知りたい。」
 雪男と爛に今まで繋がりはなかった。雪男のことは自分と違って優秀な弟だとしか、この兄は話していないだろう。志摩にしても自分の妻が悪魔だと子どもに打ち明けても、その弟が同じように、悪魔と化して世界を滅ぼしかけた過去を話すようなことはたぶん、していないのではと雪男は考えた。話したとしても、四歳児の頭で理解できるものではないだろう。少なくとも昨夜話した爛からは、自分が怖いおじさんだと思われているような雰囲気は感じなかった。
「なんかそういえば、お前が俺のことどう思ってるか分かるかなって、思っただけだよ。」
 兄には珍しく、人の反応を遠まわしに窺うようなことを言ったというわけか。珍しくとも違うかもしれない。五年の間に知恵をつけてしまったということか。でもどこかぎこちなくて上手とは言えない。
「僕が兄さんのことどう思ってるかだって? そんなのは五年前どころか、そのずっと前から決まっているのに。」
「今でも俺のこと、好きか? 嫌いになんかなってないよな? 俺はお前にひどいことしたから。お前が悪魔落ちして、ずっと逢えなくて。ずっと訊けなかった。」
「嫌うことはないけど。ちょっと今でも怒ってるかな。」
 雪男は燐の両肩を掴む。燐はされるがままに雪男の胸に引き寄せられる。
「どうして僕じゃないんだって、苦しんだよ。例え兄さんの口からその理由を聞いたとしても、僕は一生納得しない。どれだけ志摩君が覚悟の程を見せたって、それで僕の心を変えることは出来ないってこと、覚えといて。そしてそれは、兄さんの胸にだけ留めといて。志摩君にだって、フェレス卿にだって、しえみさんにだって、誰にも話しちゃ駄目。」
 まるで呪詛だと雪男は自分を嗤った。こうまでして復讐めいた言葉まで言って、兄の心に自分の存在を刻み付けたいのかと。でもそんなことすら五年前は出来なかった。だから悪魔の側に落ちた。
「兄さん。好きだ。愛してる。」
 雪男の腕の中で燐は俺も好きだと答えた。





不倫オチじゃありません。でもたぶん雪男は志摩が退院するまで仕事を休んで、燐の家に泊まりこみます。
同じアパートに住んでいるはずのフェレス卿がまだ登場できません。

拍手[1回]


☆ss「スリラー」雪男とシュラ 獅燐、雪燐、獅シュラ前提

ある夜。雪男が兄に内緒でシュラを呼びだした場所は――。
 
「もんじゃ屋から随分とランクアップしたようだにゃあ。」
「お気に召しませんか?」
「いいや。豪華なフレンチは女の大好物さ。しかも十五歳の男の子が背伸びして頑張ったなら尚更ねえ?」
「日頃が質素なものでそう思われたのかもしれませんが、まあささやかな僕の気持ちだと思って下さい。シュラさん。」
 あつらえたような御揃い加減の漆黒のスーツ姿の男女が、黒いテーブルクロスの豪奢な席に着く。シャンパンカラーの内装は、天井から吊るされたシャンデリアの照明に照らされて、温かみのある落ち着いた空間を作り出していた。
 まさかその空間にいる漆黒の男女が、十五歳の少年祓魔師と魔剣を操る女剣豪だとは誰も思うまい。
いつもはほとんど胸のトップと三角地帯しか隠していないだろうというような、露出度の高い軽薄そうな姿形のシュラが、きっちりとスーツを着込んでいる。いつもならざっくばらんにポニーテールにしている髪も、きちんと結い上げていた。
 雪男は雪男でスーツを着込んでしまえば、持ち前の長身と落ち着いた所作の所為か、これが高校生になったばかりの少年とは思えない風貌になっていた。
 一言でいえば絵になる二人である。しかしその実体は、あるときは腹に一物を互いに抱えた狐と狸のばかし合い、あるときはハブとマングースの喧嘩上等である。
 しかし今は優雅にお互いに杯を傾ける。
「僕は未成年なのでミネラルウォーターで。」
「言わなきゃわかんねーのによう。お前水で乾杯するつもりかよ。」
「ジュースで乾杯するのと、どっちが子どもっぽいですかね。」
 会話は他の客に聞こえていないと踏んでいるせいで、いつもどおりのぞんざいさだった。
一人だけで呑むのはつまらねえんだよと言っていたシュラだが、料理が運ばれてくるとそれなりに和やかに会話を進めてくる。
「いやあ。お姉さんはこんなお店で、雪男ちゃんに奢って貰える日が来るなんて思わなかったよ。しかもこんなに早く……。」
 シュラはわざとらしく新品のレースのハンカチを取り出し、目尻を拭う振りをする。付け焼刃な淑女さ加減に雪男は呆れるが、これに乗らなかったら自分の負けだと思い、白々しくも言葉を返す。
「先輩孝行でしょうかね。って貴女もう、酔っ払ってるんですか?」
「私がそう簡単に酔うわけないんだにゃ。」
「シャンパンってビールやワインの感覚で呑むと回るのが早いそうですよ。」
「ほへえ。未成年で呑まないって言いながら、詳しいんだな? そこまでお姉さんに酔っ払って欲しい?」
 やらしいと言ってシュラは黒いスーツに包まれた豊満な胸を両手で庇う。流石の雪男もこめかみがひくつく。
雪男は手を伸ばすと、シュラの側に置いてあったシャンパンのボトルを掴んで、空になった自分のグラスに注いだ。
「じゃあ僕のほうが先に酔っ払ってしまいましょうか。貴女の面倒を見るのはまっぴらですから。」
 そう言うと雪男はグラスを煽る。シュラはアラアラと含んだような笑みを浮かべた。
「いっちょまえに。そのスーツも昨日今日で用意したもんでもあるまいに。」
「似合ってませんか?」
「いや。似合ってるけど。職業高校生で祓魔師のクセに。」
 雪男はシュラに皮肉げな笑みを見せる。
「祓魔師って、基本的に請負業でしょう?」
「まあ改めて言われてみればねえ……」
 依頼が無ければ、開店休業状態になるのも致し方ない。一般には悪魔という存在は未だにオカルトめいているからだ。やはり口コミでの評判に頼るほかない。
「働きによっては気に入られて付き合いなんかが発生するわけです。」
「高校生にさせるなよ。そんなこと。」
 雪男はシュラが言ったにしては珍しく常識的だなと心中で呟く。でもそれで苦労していると思われるのも癪だ。雪男はさらに畳み掛ける。
「僕が今着ているこの服はつまり、任務外の営業用というわけです。」
 シュラの口元が引きつる。
「お前にとっちゃ祓魔師は使命でやってんじゃなく、ビジネスってわけかい。」
 雪男はやんわりとした声音と口調でありながら、しかし即答する。
「はい。僕の使命は『兄さんを守ること』ですから。『祓魔師であること』も使命にしてしまうわけにはいかないんです。両立しようがないですからね。」
「はあ……。雪男ちゃんも大事なことを取捨選択出来る大人になったわけか。でもねえ――。」
 シュラは真剣な眼差しで雪男を射抜かんとする。
「そうやって、何かをビジネスって言い切ればカッコいいと思うのは、子どもの理屈で言葉遊びだかんな。覚えとけよ。」
「……。」
「にゃーんてな。」
 シュラはすぐにいつもの調子に戻った。三種盛り合わせの料理をぐさぐさとフォークで突き刺して、まとめて口に放り込む。飲み込んだあとに続けた。
「何年も祓魔師の認定試験ばっくれて、モラトリアムの長かった私に言われたくないよなあ。」
「そうですね。で、僕は真面目に営業しています。カッコいいとかは二の次です。」
「気張るなよ十五歳。私はどうせマックでも奢られりゃあ嬉しい女だ。」
「その割にはさっきからシャンパン何本も開けてますよね? それって全部勘定に入るんですけど。」
「ここで学ぶことは――。誰か特定の気に入らない奴に対して見栄を張ると、しっぺ返しを食らうよってことで。君の組んだ予算外のシャンパン代は授業料ってこと。」
 まあいいですけどと雪男は返して、シュラの手から注がれた自分のシャンパンを煽った。だんだんここが高級なフレンチレストランであることの意味がなくなってきた。シュラははいしゃいでいるし、雪男は雪男で目が据わっている。こんな雰囲気をぶち壊すような客は、外に放り出されてもいいはずなのに、傍から見ればまだ優雅に談笑しているように見えるのだろうか。まだ周囲からはそう見えているらしい。
「そうだ。こんな時だからこそ告白大会しないかにゃ?」
「告白大会ぃ?」
「互いの恥ずかしい秘密や初恋の相手、そして人生危機一髪エピソードなどを告白しあうにゃ。まず雪男ちゃんからっ。」
「言いだしっぺの法則を知らないんですか? いいですよ……。僕は初恋は………ですしい。恥ずかしい秘密なんてないですけど。危機一髪は………アレかなあ。」
「お? あるの?」
 普通ならそんなシュラの挑発には乗らないはずの雪男だが、シャンパンのアルコールのせいで頭の抑制が利いていないらしい。
「アレは、僕達が小学校に入ったばかりの頃でした。兄は幼稚園の頃から周囲から化け物だと疎まれがちでしたが、それは小学生になっても変わりませんでした。むしろ……世界が広がって悪化したかな? そのちょっと前から、僕は兄さんのそんな状況を父さんから説明されて、つまり兄がサタンの息子だという秘密を打ち明けられていたので、それを知らずに苦しんでいる兄さんの姿や、それでも精一杯に普通の子として育てようとする父さんの姿を傍らで見る日々でした。」
「ふむふむ。」
「僕はその前まで、自分の受けた魔障と、周囲からのからかいやいじめに怯えながら、まあ臆病で控えめな子どもで、やんちゃな兄に守られてばかりの存在でした。そんな僕が兄さんを守るという使命を持って、変わりたいと決意したのです。今でも思いますよ。自分で自分を健気だったと。」
「今じゃ草臥れたビジネスマンだもんなあ。」
 雪男の語り口がだんだん重くなってきたので、シュラは軽く茶々を入れた。
「でも健気さだけじゃ、弱虫だった僕がここまで変われたと思いますか?」
 シュラに語っていることを思い出した雪男は、シュラに問いかける。
「なんかあったのかにゃ?」
 今までの前振りは、お約束のような雪男が祓魔師を目指した経緯である。シュラだって涙は流さないだろうが共感するエピソードだろう。
「小学校に入った当時のことは言いましたよね。兄は相変わらず三日にいっぺんは問題を起こしてました。そして父はその都度叱ったり宥めたりしてました。」
「そんな律儀なことしてたんか。あの生臭坊主。」
「でもその日はタイミングが悪くて、珍しく兄が素直に何回も謝っているのに、父はらしくなく兄を許さなかったんです。」
「藤本も人間だからな。」
「そうです。普通の親だって、気分だけで子どもに八つ当たりみたいな叱り方をしてしまうこともあります。今思えば祓魔師の仕事で後味の悪いことでもあったのかもしれません。兄はもともと気が短い性質ですから、父に縋って謝り倒します。僕はそれを影で見ながら、父さん早く、兄さんを許してあげてと、心の中で叫んでいました。そしてそれが起こったんです。」
 いよいよ雪男の告白が核心に迫る。
「兄はままならない父の心に絶望したのか、父に向かって叫びました。」
 
『お父さんなんか、もういいよっ。』
 
「父は兄のほうを振り向いて、身体を震わせて涙交じりに父を見る兄の言葉を聞きました。」
 シュラはなんだよと消え入りそうな声で問いかける。雪男は当時の燐に似ても似つかない口調で、その時の燐の言葉を一言一句違わず、記憶に留めているそのままを言った。
 
「俺、本当のお父さんのところに行くから!」
 
「きゃあああああああ!」
 シュラの悲鳴が高級レストランのホール全体に響く。雪男はシャンデリアの光を眼鏡に反射させながら、指を組んで肘をついていた。
「実の親に育てられていない子どもなら、一度は告げてしまうかもしれない言葉じゃないですか。僕たちは母は死んだと聞かされましたが、父親については言葉を濁されるばかりだったんです。本当の父親というのは、藤本獅郎にとってはとてつもない地雷だったんだ。考えてみてくれよ。――僕たちの父親は、あのサタンだよ。」
「わあ。私ちょっと背筋凍ったよ。酔いが覚めたよ。」
 雪男は天敵のシュラが狼狽する様を見ても愉快な気分になれない。当時の自分はあのとき、どんな行動を取ったのか記憶にないが、とにかく気がつけば燐と獅郎を正座させて説教して、無理矢理仲直りさせたようだ。
その場に雪男がいなければ、獅郎は身体を乗っ取られて、燐はゲヘナに連れさらわれたことだろう。記憶に残る獅郎の青ざめた顔を思い出した雪男も、顔面蒼白になってかすかに震えている。シュラと雪男の二人分の震えでテーブルやグラスがカタカタと鳴っている。
「私もっとあの頃、藤本の言葉を好意的に取っていれば……。お前一人だけにそんな怖い思いさせずに済んだのかな?」
「済んだことは、済んだことですから。結局は父さんは七年後に――。」
「言うなっ。ごめんよう。雪男――。私、獅郎が燐に入れ込むもんだから、しかもサタンの息子だから色々許せなかったんだ。」
「やっぱりそうだったのですね。シュラさん。僕だって、兄さんと父さんの行き過ぎた痴話喧嘩をいつも苦々しく思ってましたから。でもそんな二人の間で上手く立ち回らなくてはならない自分を、偽善者だって認めてましたから。認めなきゃ強くなれなかったし。」
「うおおおおお。ゆきお!」
「シュラさあああああん。」
 二人はひっしと抱き合う。ずっと偽善者として振舞った者と、今まで偽善者になれかった者。けして交わることのない線が、どんな悪魔の計らいか分からないが、その時交わった。
 
 そのあとシュラは自発的に勘定の半分を引き受けたそうである。






ちょっと早いけど背筋が涼しくなるネタです。うちの雪男とシュラは絶対付き合うことなんて無いと思います。
でも腐れ縁の悪友にはなりそうです。
高級レストランとは縁が無いくせに、ぐぐりながらあーじゃねえこーじゃねえと店に難癖付けながら調べていました。

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☆ss「高砂2」勝呂家の家族会議ギャグ 勝燐 未来捏造

今日は勝呂家始まって第三千三百三十四回目の家族会議の日だった。
「はい。今日の議題です。」
 何故か志摩家と三輪家と宝生家の面々も、代々の祖先を祀った仏間に集まっている。彼らも勝呂の本家にとっては家族も同然であるから。というよりは、家族会議とは言いながら、宗派の総会じみている。しかし今回の会議はそんな堅苦しいものではないが、勝呂の表情は果てしなく硬い。
 勝呂の目の前には両親の虎子と達磨が対峙している。つまり今日の会議はこの親子の話し合いなのだ。しかも虎子の斜め前、つまり勝呂竜士の右側、妻の席にあたるところには何故か奥村燐という新顔がいた。
「竜士。よう長いこと、燐君をうちらに内緒にしとったなあ?」
 虎子の言葉に勝呂は言い訳できないが、言い訳したそうに俯く。虎子に言い返したのは燐だった。
「勝呂が俺のこと内緒にしてたのは、しょうがないんだよっ。だって俺は……」
「サタンの息子やろ。」
 虎子が平坦な声で言った。勝呂の肩がびくっと震える。
「そんくらい想定内やわ。」
 
 え?
 
 虎子の一言に、その場にいた一同がポカンと口を開けた。
「もちろん息子が男と付き合うなんてこと、うちにとっては想定内やったわ。」
「いや女将はん。最初の想定内より、そっちの想定内のほうが普通に聞こえるから不思議やわ。」
「コレが言葉のマジックいうやつや。」
 流石は恋愛結婚で明陀宗の座主の妻になった女である。ゴリ押しは得意だった。
「最初の想定内はなあ、あんだけサタン倒すサタン倒す言うとったら、サタンの子ども一人引き寄せても可笑しくないと思うとったんや。」
「おかん。それほんまに思うとったこと? 今思いつきで言っとらへん?」
「竜士。ちょっと京都離れとったら、京都弁なっとらへん。そういうときは言うとられまへんか、やろ?」
「こまかっ。でもそうかもな。」
 脈絡の無いところでも教育的指導が入るのが虎子だった。そういえば標準語に毒されてたかもしれんと思い直すところが、勝呂の律儀なところだった。
「はい。」
 すっかりホームルームのノリの燐が挙手をする。
「俺と勝呂は、まだエッチなことはしてないんだ。勝呂真面目だから。」
「アホかっ。」
 真っ赤になって母親に打ち明ける燐に対して勝呂は真っ赤になる。
「一応言っておこうと思って。」
「おとんやおかんだけならともかく、他の連中もおるんやから。」
「竜士あんた、不能やったん?」
「おかんもアホか!」
「そやかて。手出してこん男は、ホモか不能かというのがお母ちゃんの常識やから。」
「そんなお母ちゃん悲しすぎるわ! それに息子を不能呼ばわりするなやっ。燐かて真面目やから言うてたやろ?」
 虎子は燐の目を見据える。
「燐ちゃん。もしかしてうちの息子に騙されとらへん?」
「燐を被害者にするなや!」
 勝呂は会議が始まって十五分も経ってないのに、既に肩で息をしている。そんな息子と嫁と息子の嫁(?)をニコニコと眺めていた達磨だが、流石に息子に助け舟を出したくなってきた。
 
「いやあ。藤本君の言っていた子どもって、燐君やったんやねえ。手紙にはああ書いたけど、めぐり合わせって不思議なもんやなあ。」
 
 誰もが達磨の言葉が、坊にとって良い助け舟だと思っていた。しかし――。
「あんたやっぱり藤本はんのこと……」
「ええー?」
 虎子が斜め上方向に投げ返してきた。
「いやわしは単に、うちの息子の竜士と藤本君が育てた燐君が付き合ってるのは、本当に不思議な巡り合わせやと思っただけや。」
「仏教の坊主が紅い糸を語っとるわ。とんでもない破戒者や。」
 まさかの嫁のスマッシュ・ヒット。達磨は困ったような笑みを浮かべる。
「虎子。わしはそんな……」
「あの青い夜以来、うちがどんだけ苦労したと……」
 思わぬ細腕繁盛記的な山水館加代を彷彿とさせる話が燐に聞かされる。
「ろくでなしな亭主と理解の無い息子になあ……。」
「お義母さん――。」
 燐は熱心に相槌を打つ。勝呂家を取り囲む一同は思った。これは収拾がつかないと。
 司会者として機能しなかった志摩廉造が今更音頭を取る。
「本題に戻らせて貰いますわ。結局おっさまと女将さんは、坊と奥村君の仲を認めてはるんでしょうか?」
 よく言った! 志摩の父親の八百造が思わず声援を向けた。
 これが明陀宗の運命の分かれ目になると、誰しもが緊張した。悪魔との共存か。それとも、今までどおりなのか。達磨と虎子は耳打ちし合う。達磨が上を向いて口を開く。
 
「勝手にしたらええんと違いますか?」
 
「なんじゃそら。」「はっきりせなああかんやろ。」「サタンだよ。」「相手サタンの息子だよ。」「娘ならともかく息子だよ。」「そない適当なのは困ります。」
 行を変える暇も無く野次が飛んだ。その中でも、割と熱血漢な志摩家次男の柔造の叫び声が際立っていた。それでも虎子は動じない。
「うちはやっと、うちのもとに居てくれるお父ちゃんと、仲良う出来ればそれでええんや。そう、死んで……やっとなあ。」
 虎子の横の勝呂達磨は(実は)半分透けた姿だった。誰しもがそのことに触れないようにしていたが、虎子には通用しない。
「うわあ! 原作最悪のルート言ったあああ! しかも黙ってれば小説じゃ分からない設定だったのに!」
「霊ならもう女遊び出来へんやろ。」
 澄まして虎子は言う。達磨はすまんと謝る。虎子は首を振る。
「アホで腑抜けた振りするんは、死亡フラグの常套やろ? お父ちゃん、覚悟出来とったんやな。」
「まだ原作確定してませんから!」
 勝呂竜士は叫ぶ。原作で未確定の父の死を否定する為に。
「竜士。ろくでもない秘密ばかりの父親でごめんな。ええんやよ。男でもサタンの息子でも、幸せになれるんやったら。お前が明陀の秘密を背負わず幸せになれたら、お父ちゃんのやったことは無駄やなかったと思えるんや。」
「良い話にしようとすな!」
 絶対に父の死を確定させまいと、触れられないはずの胸倉を掴んで勝呂は叫び続ける。燐もそれに加わる。
「そうだぜ! 親父さんは絶対に助かるっ。だってまだ勝呂と仲直りしてないじゃないか! 俺にだけ手紙で打ち明けて終わりなんてズルイよっ。」
 感じ易い燐が涙を零して、実体の無い達磨に縋る。そんな燐に達磨は優しく言う。
「そうやな。こんなオチやったら、わしはずっと藤堂にやられた傷がもとで植物状態やったのが、三年後にふいに目覚めるフラグかもしれへんな。」
 おお!と一同が沸いた。ふっと達磨の姿が消える。
「病院やっ。」
「病院行くんや。」
「あては医師に電話して訊いてみるっ。」
「今電話鳴った! おっさま目ぇ開けたって……。」
 何もかもが混乱のうちに、今回の勝呂家の家族会議が終わった。
 今回解決したこと。勝呂達磨が植物状態から回復しました。



まさかの未来捏造です。夫婦ネタ二つ続けてみました。どちらかというと夫の両親のインパクトが強すぎる。
設定年齢は勝呂と燐は18歳です。7月号の続きがハッピーエンドになって欲しいという願いを込めて勝呂と燐の台詞は書きました。半透明の存在にしてごめんね。おっさま。
それにしても三年経ってもエッチ無しとは、そりゃあ実の母親に疑われますよ勝呂君。

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☆ss「高砂」勝燐 夫婦ネタ(?)

結婚というものは必ずしもゴールではない。そこから新たな試練と戦いが始まることがある。勝呂竜士と旧姓・奥村燐もその例に漏れなかった。
 
「燐。詠唱騎士言うたら、祓魔師にとっちゃ標準装備やで。なんでお前未だに取れんのんや。」
「勝呂。お前俺が暗記が苦手なの知ってて、そんなこと言うのか?」
 竜士は目の前でごねている燐に溜息をつく。ごねたいのはこっちのほうだった。是非ともお願いしてでも、強請っても集っても、詠唱騎士の称号を取って欲しいと言うのは、無茶苦茶な要求だろうか? こっちとしては『どうして取れないんだよ!』と叫びたいくらいだが、竜士の性格と物言いでは、目の前の男と同等の言い方なんて無理だった。
それにしても――。
「相変わらず勝呂言うとる。お前かて今は勝呂やろうが。」
 この春、青い夜から十八年が経っていた。竜士と燐はめでたく正十字学園を卒業、そしてスピード婚約と結婚に漕ぎ着けた。在学中になんとか称号も習得し、晴れて祓魔師にもなれて、今はその仕事に従事している。学生との二束の草鞋を履いていた頃とは違い、祓魔師として任務に没頭出来る身になれたのはいいことだが、まだまだこの道は先が長い。
 特に勝呂は実家の寺の座主を継ぐという特別な資格もそのうち取らなければならないが、今は子どもの頃に決意した、悪魔と戦うという志は達成しつつある。
「あ。そっか。俺も今は勝呂だったんだ。」
「だった。やないよ。」
 このもの覚えの悪い嫁が、自分が勝呂姓なのを自覚していないのには原因はある。
嫁の弟・奥村雪男は何気に、未だにこの結婚に納得していないらしく、他人に兄を紹介する時は、『兄の奥村燐です』と繰り返しているらしい。自分の知らないところでならまだいいが、嫁の弟は現在のところ、自分と嫁の上司でもある。いつも部下である兄を呼ぶ時は、『奥村君』呼びである。
『男同士のイレギュラーな結婚だからねえ。あ、勝呂君に不満があるのは重々承知ですが、勝呂君は妻が職場で旧姓を名乗ることに抵抗を感じるタイプでしょうか? ちょっと前時代的な考えじゃないでしょうかね? 勝呂君が同じ職場に二人いたらややこしいという、僕なりの気遣いなのですけど、癇に障ったのなら一応は謝っておきます。それでも、奥村君にしても呼ばれ慣れた呼称のほうがいいでしょう。』
 そういう雪男こそ奥村じゃねーかと突っ込みたくなった。しかし上司の言うことだからしょうがない。今の状況から抜け出すには、二年上の先輩上司を追い抜くしかない。それか夫婦揃って部署移動して上司が変わるか。
夫婦別姓なんて猛反対だ。
 話は果てしなく逸れた。しかし勝呂が燐に詠唱騎士を習得させたいのは、この上司絡みの事情もある。
「燐。今のところ奥村上二級祓魔師の専らの方針は、詠唱騎士の大量投入による広範囲かつ短期決戦やで。」
「最近上級の大物の悪魔はあまり出ないからな。」
 そのへんの現状はアホな嫁でも理解しているようだ。
「だから俺だけ任務に引っ張り出されとるやろ。詠唱騎士持ちの俺だけな。」
「なんでなんだよ。俺だって勝呂と一緒に戦いたいのに。」
「そこで話は戻るけどな。最近の傾向は下級の連中が大量に現れて騒動を起こして、一般人が被害被るのが多くなってもうとるんや。そんで、奥村先生の提唱する作戦は悪魔の発生したエリアを取り囲んで、詠唱をさながら弾幕のように大勢で唱えることで、その範囲の悪魔を根こそぎ消滅させるという、今までの祓魔師の常識を覆したもんなんや。詠唱騎士なら大抵は誰でも取ってるし、基本中の基本だから、祓魔師になったばかりのペーペーでも作戦に参加出来るわけや。ほんまに頭の良い人はとんでもないもん思いつくな。」
 ある意味悪魔と渡りあうという旧時代的な戦法でなく、兵力の大量投入という近代の戦争を思わせる光景だ。
ただしそれには祓魔師の組織図的に一つだけ難点がある。
「つまり当分は詠唱騎士とらんと、どれだけ強かろうと作戦に参加出来んのや。」
「がーん!」
 あの弟上司はそれを狙っていたのかもしれない。燐と勝呂が仲睦まじく共同戦線を張ることのないように、周囲にこの夫婦を夫婦だと認知させない為に。
 奥村雪男にしてみれば未だに燐と勝呂の関係は有名無実。書類の上だけの結婚でしかない。だからしつこく燐を奥村姓で呼ばわったりする。
「とにかく、詠唱騎士取るんや。それしかない。」
「わかった。……頑張ってみる。」
 これも雪男の計算の内かもしれない。燐と勝呂は夜の夫婦生活を削って、妻の詠唱騎士習得の為にその時間を勉強に当てざるをえなくなったのだった。




雪男はひとまず白星です。なんか夫婦やってないネタですみません。もう少し甘い予定だったのに、どうしてこうなった。
雪男の呪いか!
燐が詠唱騎士を取るのは二年後以降でしょうね。

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☆ss「アルペジオ」志摩と虎子の会話。勝燐前提(サタンの息子発覚後)

志摩廉造はなるべく早く京都の勝呂の母親に連絡を付けなければならないと思った。奥村燐と勝呂竜士が付き合い始めたとき、勝呂の実家に報告しようかと迷ったが、結局その時はしなかった。あの二人の性格の不一致加減なら、熱が冷めれば自然と別れる方向に行くと思っていた。
 しかし志摩の予想を裏切って、それなりに上手く行ってしまっている。しかし好事魔多しという言葉がある。魔は起こったのではなく隠されていただけなのだが、奥村燐こそその魔そのものだった。しかも最上級の。
 林間合宿にて悪魔の襲撃を受けた候補生。奥村燐は襲撃してきた悪魔と戦った。そして自分の正体を、勝呂を含めた候補生全員に晒してしまった。そのあと志摩は実家に連絡を取ったのだが、勝呂の父である達磨が倒れてしまったという報せも聞いてしまった。
まだ壮年の達磨だが、割と道楽癖のあるところは志摩も知っていたので、生活習慣病が原因なら勝呂家にとってもその一粒種である竜士にとっても一大事だ。
そのうえ、上は理事長から下は新任講師の奥村雪男までが、候補生全員に隠蔽していたのが、奥村燐がサタンの息子という事実だった。
達磨が床に伏しているのなら、せめて遅ればせながら、母親の虎子に竜士が知らなかったこととはいえ、悪魔と交渉があった事実は伝えなければならないと緩い志摩の頭でも思いついた。
(あかん。責任重大過ぎて手が震えるわ……。)
 一応東京に行く前に、父親からお前は坊のお目付け役だと言われたが、自分のほうが余程ちゃらんぽらんであることは認めている。それでも知らせなければならない。
 唯一救いなのは自分達が戴く坊が、歳の割にはしっかりしていて抑制が利く性格なので、志摩が観察する限りでは、奥村燐とはそんなに深い関係ではなさそうだということだ。だからと言って問題が回避出来るわけではないが、志摩の心持としてはその坊の母親である女将さんにそれとなく連絡するべきだろう。
 落ち着いて電話するためにわざわざカフェまで足を運んで、カウンターではなく隅のテーブル席に一人で座る。携帯電話の電話帳から、久々に電話をかける虎屋の番号をプッシュした。
『もしもし。虎屋ですぅ。』
 たった数ヶ月しか経ってないのに、京都弁のイントネーションが懐かしく響く。しかしその懐かしさで、志摩の緊張が緩むわけがなかった。
「志摩の廉造です。女将さんはいらっしゃりはりますか?」
『廉造はん? 虎子ですぅ。ほんま久しぶりやねえ。ほんでどうしたん?』
 相変わらずサクサクと会話を進める人だ。志摩は少々固まる。
『どうしたん? もしかしてうちの竜士が人様に迷惑かけたん? まあ、あの子の性格やったらそんなこと、あらへんやろうけど。真面目なのが取り得やからなあ。』
 そして相変わらず自分でツッコんでボケる人だ。ますます志摩は話を切り出しづらくなる。
「たまには世話話でもと思いましてなあ。」
 とりあえず前置きだけは言えた。その後が問題だ。
「あくまでたとえ話になるんですけど――。」
『なんやの?』
 廉造はたとえ話という盾を得て、やっと本題を口にする。
「女将はん。坊が東京で悪いやつに騙されとったとしたら、どないします?」
『悪いやつ言うて、尻尾生やした女狐でもあの子の側におるん?』
 流石は女の勘という奴だろうか。想定している対象をよく見極めている。
「いや尻尾いうて、ま……まあええんですけど。」
 奥村燐には尻尾が生えている。この目でも確認している。志摩はさらにたとえ話を進める。
「騙したというか、黙っていただけやけど。そいつ、ものごっつい秘密を抱えとったんですわ。坊もかなりショックやったみたいで……。いや、たとえ話です。そういうことがあったら、ショックやろうなあっていう話で。」
『でもそれ本当の話なんやろ。廉造はん。』
 相変わらず決め付け台詞が、真実に合致する人だった。
『騙されとったって。そうやな。うちの子やったら簡単に騙されるやろうな。』
「女将さん。それ言うたらあきまへんやろ。」
『せやかて。なんだかんだ言って、うちの子は世間で言うとこのボンボンやもん。そりゃなんぼでも騙されるわ。好きになった子のことなら、なんぼでも信じようとするわ。』
「好きになった子までは言ってまへんよ。」
『でも、そうなんやろ?』
「~~……。」
 もうなんか言葉にならない声が口の端から漏れる。
『本当に違う言いたいやったら、意地でも違う言う度胸はつけとき。でもな、廉造はん。うちの子は騙されても、後悔して好きな子を嫌いになるような子やあらへん。』
 流石の虎子の言葉でも、廉造は黙って頷けなかった。
(サタンの息子相手にそれはないやろ。)
 いっそのこと、息子さんが付き合っていたのは、男でしかもサタンの息子だったと暴露したい気分だった。
『他にどんな爆弾があるんな? おばちゃんに全部言ってみい?』
 相変わらず心まで読むような人だった。
志摩はもういいですと心の中で白旗を振った。
「ほな。切りますわ。」
『ほなさいなら。』
 廉造は電話を切る。一応は自分の義務を果たしたことにはなる。しかし虎子の言葉が引っかかる。
 
『騙されても、後悔して好きな子を嫌いになるような子やあらへん。』
 
「そんなら、坊と奥村燐はこれからも続いていくんやろうか。ありえへん。ありえへんやろ……。坊。あんたはほんまに、女将さんのいうような男なんか?」
 志摩はどっと疲れたようにカフェを後にする。頭の中の虎子の言葉がこれから先の未来を予知するようで、怖く思えてくる。
「後悔するような子やない、か……。」
 それでは困ると思いながらも、廉造の裏の本音はそうなって欲しいのかもしれない。廉造は重い足を引きずりながら竜士達のいる病院に戻ることにした。




うちは基本は今のところ「サタンの息子発覚前」という前提で書いています。今回に限っては「発覚後」の話を書いてみました。「京都編」が始まる前という設定です。
これからも時系列無視して「発覚前」の話を書くと思いますが、今回坊の京都の実家萌えの端っことして上げてみました。
また急に甘くなっても「発覚前」のお話と取ってもらえると恐縮です。京都編終わるまでは「発覚後」の話はタイトルに「発覚後」と付けることになります。

拍手[4回]


☆ss「バラッド」勝燐 デートネタ

「雪男。今日はちゃんとミネラルウォーター買ってきたぞ。」
部屋に帰ってくるなり小さな子どものように弟に勝ち誇る燐。雪男はそんな兄の姿が馬鹿可愛くて仕方なかったが、兄としてはどうなのかと少し目頭が熱くなった。これもサタンの息子という数奇な運命の成せる業か。
そんな弟の胸中を知らず、得意そうな笑みを浮かべて買い物袋からペットボトルを雪男に手渡す。そして自分も椅子に座ると、同じくゴリゴリ君を取り出し齧り始めた。しばらくしてゴリゴリ君が棒だけになると、またおもむろに一本取り出す。やはり自分のものは二本買っていたかと、これも目頭の熱くなる光景だった。
上機嫌でゴリゴリ君を齧る燐の尻ポケットに入れた携帯が鳴る。燐はその着信の名前を見る。
「雪男、俺ちょっと行って来る。」
「どこへ?」
「ど…どこでもいいだろ。」
 休日とはいえ、大量に課題があるのは正十字学園のお約束だ。燐は朝から勉強漬けの息抜きだと言って、買い物に出て帰ってきたばかりなのに。
「兄さんは息抜きばかりでちっとも進んでないじゃないか。そんなんで月曜日に間に合うのかい?」
「う、うるさいっ。ちゃんと課題持っていくから、大丈夫だもん。」
 そう言って両手にテキストとプリントを抱えて逃げるようにして燐は出て行った。あとに残った雪男の頬には妙な笑みが浮かんでいた。
「兄さんが勉強道具を持っていくということは、相手は勝呂君か。はっ……。」
 
     *   *   *
 
 燐は中庭に宿題と教科書を抱えて勝呂に駆け寄る。勝呂は両手にテキストを抱えて走る燐を危なっかしそうに見ながら自分から近づく。
「おい。走んなや。そんな本とか抱えて走ってたら、転ぶやろ。ほんま危なっかしいわ。」
「勝呂。待たせたか。」
「待っとらへん。五分経ってないで自分。そんなに急いで来んでもええのに……。」
燐は勝呂に飛びつこうとするが、如何せん両手が塞がっているので直前まで来て足踏み状態である。勝呂は相変わらず馬鹿だなと思いつつも、可愛い奴だと頬が緩めて両手で肩を抱いてやった。燐は嬉しそうに見上げてくる。
「ほんでお前そんな勉強道具抱えとるん?」
 え? と燐は声に出す。
「勉強じゃなかったのか?」
「……。」
 勝呂としては自覚が無かったが、そういえば二人きりで過ごす時には必ず勉強を教えていた。馬鹿は馬鹿なりにそういうことは学習している。勝呂からの呼び出しイコール、勉強だと結び付けられてしまった。
 勝呂はポケットから学校で昼食を買った時の紙袋を取り出すと、燐の手から教科書とプリントを取り上げた。
「とりあえずこれはこん中入れとき。」
 そう言って、勝呂は燐の持ってきた勉強道具を仕舞い込む。燐はきょとんとした表情を勝呂に向けた。
「違ったのか?」
「俺もメールに詳しいこと書かんかったのも悪かったけど。俺いつもお前に勉強させよう思っとるわけやないで。」
「それじゃ、今回の呼び出しは。」
 燐の顔がぱあっと明るくなる。
「デートいうことになるんかな。」
 勝呂は何故か燐から目を逸らしてしまう。視線を戻すと今まで見たこともないような燐の笑顔がそこにあった。
「ええ! 嘘っ。夢みてえ! 勝呂が勉強じゃなくて、デートに俺を誘った!」
「大きな声出すなや! それにいつも勉強させとる鬼みたいに言うな。どうせ課題プリント出来てないんやろ。デート終わったらそれもやるで。」
「それでも嬉しい! 初めてだ。勝呂が勉強せずにデート……。」
 ああもうこいつは。勝呂はやけになって頭を掻く。それにしてもこうも染み付かれているとは。まいったものである。勝呂自身は自分をそこまでの堅物だと思っていなかったけど、それは自分に対する甘い評価だったらしい。
「じゃあ……どうする?」
 勝呂は少し考え込む。そういえば考えてなかった。
「えーと……今日は普通に甘やかすつもりやたから。もんじゃでも奢ろうか?」
「うんっ。」
「もんじゃ済んだら、帰ってすぐ勉強やで。宿題やるで。」
「わかってる。」
「終わるまで帰さんからな!」
「それでもいい……」
 燐は目を輝かせて頷いた。
 
 勝呂と燐が立ち去ったあとに、心配性の弟が木の陰から姿を現した。
「あの兄に勉強するやる気を出させるなんて――。勝呂君……、なんてアメとムチなんだ。」




ワーカーホリックな勝呂君の珍しい休日でした。奥村先生もびっくりです。

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☆ss「ラプソディ」 勝燐「カノン」の続き。お泊り編。

旧寮は勝呂が想像していたよりも設備としてはそんなに古くなかった。寺で生まれ育った勝呂にとっては、古い内には入らない。しかしたった二人しかいないものだから、男子寮に付き物な活気という油気がほとんど抜けたような、無味乾燥な印象はうける。  
六○二号室の奥村兄弟の部屋の前まで来ると、ドアをノックした。
「俺や。入るで――。」
 時刻はまだ夕方を過ぎたばかり。燐の思惑とは別に勝呂にとっては、燐にみっちりと勉強を教えなければならないという使命感があったので、こんなに早く来てしまった。
「勝呂。ちょっと早くないか?」
 燐は何故か赤面していた。
「あんじょう勉強するためやからな。」
 絶対燐は自分の顔を早く見たいからだろうなんて誤解している。しかしその甘ったれた根性は、すぐさま叩き直される。甘やかしてやるのは、やるべきことをやってからだ。
 勝呂は燐に案内されて部屋の中に入る。
「あ。こっちが俺だから。」
「見れば分かるわ。」
 手前のスペースには本がみっしり入った本棚がある。そして机の上にも付箋が幾つも挟まれた本が積み重なっている。どう見ても燐の弟の雪男の領域だった。
「ほな。早速始めようか。」
「さ、早速……。」
「勉強や。勉強。」
「そうだよな……。」
 燐は自分の落胆を押さえ込む。そして雪男の机の前から椅子を引っ張り出してくる。
「よろしくお願いします、先生。」
 そんなに畏まらなくてもいいのにと勝呂は思った。まあこいつにとっては家庭教師なんて始めてだろうし。そういえば学園内の教室で勉強を教えることはあったが、こうしてプライベートな場所で私服姿で勉強を教える状態は、本当に家庭教師みたいだった。
「ほんじゃ、始めるで。数Ⅰのテキスト二十ページから――。」
 
     *   *   *
 
 三時間が経った。時計を見ると九時を回っている。そろそろこいつに休憩させないと頭がパンクするかもしれんと勝呂は判断した。
「燐。」
 燐がしょぼしょぼした目を向けてくる。やはり限界間近だったらしい。
「少し休もうか?」
「やっと、休憩だっ。」
 燐は机に突っ伏する。しかしゆるゆると起き上がると燐は言う。
「腹減らないか? 食堂でお茶とお菓子食わねえ?」
「そうやな。」
 休憩だけでなく、糖分も必要かなと勝呂は思った。こいつの所の菓子が甘いもの系のものでなかったら、今度来る機会があったら自分でも用意しておこうとも思った。
 椅子から立ち上がって部屋を出ようとする。
「あー。腰いてえ。」
 燐がドアノブを回そうとする。しかし燐は焦ったように両手で開けようとしている。
「あれ? 鍵掛けたわけじゃねえのに……。」
 回しても回してもドアは開かない。
「おい。どうしたんや。」
「ドアが開かない。古い建物だけど、建てつけ悪いわけじゃないのに。」
「貸してみい。」
 燐に代わって勝呂がドアノブを回す。ドアノブは上手く回ってくれる。しかしドアは押しても開かない。
 首を傾げていると、今度は部屋の天井あたりからぱしぱしと音がする。
「ラップ音かっ。」
 続いて部屋の照明が点滅を始める。勝呂は確信する。
「こりゃあこの寮に、霊がおるわ。」
「えっ。今までなんともなかったけど。」
「祓魔師の奥村先生も一緒やったからや。だから大人しゅうしとったんや。今までは。」
「俺達舐められてるってこと?」
 そのようやなと言って勝呂は頭の中の霊の致死節を検索にかかる。この学園に住み着くということは、たぶんキリスト教と縁がありそうだった。人を見てイタズラをするとかしないとかを判断するところからして、霊の割には理性的というか狡賢そうだ。まあ致死節を唱えれば一発だなと勝呂は思った。
「勝呂ちょっと待てよ。致死節言うのかよ。」
「そうせなあ、この状況どうにか出来んやろ。」
「いや。ちょっと可哀想じゃね? こんなガキのイタズラ程度のことで殺すまでもないんじゃねえのか。」
 しかしこの霊のイタズラはエスカレートしていく。下級であろうが無抵抗でいれば、雪男の本棚の本をこちら目掛けて飛ばしてくるし、窓がいきなり開いたと思えば、けたたましい音を立てて勢いよく閉めてくる。
「やっぱり、殺るか。」
「だからちょっと待て。俺が、なんとかする。」
 勝呂は怪訝な顔をする。実体を現さない霊に対してまた剣でも振り回そうというのか。いや。その前に燐は殺すなとも言っている。じゃあこの状況をどうするつもりだ。
「聖歌に致死節なんて無いよな?」
「詳しゅうは知らんけど。たまたまこのゴーストにヒットする確率は低いやろうな。」
「じゃあ……。殺るんじゃなくて、宥めてみる。」
 燐は深呼吸する。そして目の前で十字を切って、アーメンと唱えると歌い始める。
「いざ皆来たりて喜ばしく 声を一つにし誉め称えよ。子羊イエスに御栄あれや。ハレルヤ。ハレルヤ。――。」
 勝呂は目を剥いた。いつも背を丸めてだらしなく手をポケットに突っ込んで歩いている不良が、背筋をピンと伸ばして聖歌を朗々と歌っている。しかも――。
「なんか大人しくなってきとる。」
 詠唱で瞬間的に消滅させられるのとは違う。霊が自発的に大人しくなっている。燐はその様子を見て、歌いながらも頷いた。
「称え奉れ我が内のものよ。称え奉れ生けるものよ――。」
 今まで荒れ狂っていた部屋の中が静まり返り、散らばった物は元あった位置に戻され、勝呂と燐の前でドアが魔法のようにぱっと開いた。
「上手くいって良かった。」
 歌うのをやめた燐が勝呂のほうを振り返る。勝呂は力が抜けた惰性で頷いた。
「あ、ああ……。」
 
     *   *   *
 
 霊が騒いでいる最中は時間を長く感じたけれど、実際は十分も経っていなかった。食堂で燐は厨房の奥で誰かから菓子とお茶を貰って、勝呂のほうに運んで来る。渋茶でもてなされると思いきや、思い切り香りのいい紅茶と、香ばしく焼けた焼き菓子が出てきた。
「ウコバクが好きでやってることだから……。」
「変わった名前やなあ。お礼言ってこんと。」
「いいからいいから。あいつ、いやあの人は、あまり男の前には出たくないらしいんだよ。でも料理振舞うのは好きだから。」
 勝呂はとりあえずそこで納得する。二人で菓子を食べ、紅茶を啜る。先に会話を切り出したのは勝呂だった。
「教会育ちとは聞いとったけど、お前聖歌なんか歌えたんや。」
 燐は恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべる。
「ガキの頃から聖歌隊に入ってたんだよ。」
「それにしては、よう歌詞なんて覚えとったな。」
「うん。あのな……。」
 燐は昔の記憶を辿るように話し始める。
 
『おーい。いつまで寝てるんだ不良息子! 日曜日はお前の数少ない社会貢献の日だろうが。』
『ジジイっ。俺もう中学生なんだぜ! いつまでセーラー服着せて歌わす気なんだよ。』
『その台詞は声変わりしてから言うんだな。お前のソロと雪男のオルガンが、うちの教会の売りなんだよっ。早くしないと、ミサに来てくれる信者さんたちに申し訳ないだろうが。』
『くそう。雪男の奴は声変わりしてるから、カソック姿で俺の後ろに隠れてりゃあ良いけど。ちくしょー。』
『つべこべ言わず服着替えて、歌え。』
その頃の燐はいつまでたっても低くならない自分の声を呪っていた。雪男は早々と小学校の五年生くらいから声が掠れ始めていたから、燐のような不運には見舞われなかった。ひょっとしたら雪男だったら、嫌がりもせずにセーラー服着て歌ってくれるだろうに。
『俺がオルガン弾けないのか……。』
 
「というわけなんだよ。」
「お前いつまで、セーラー服着とったん?」
「そこは聖歌歌ってたって訊くべきだろ!」
「すまん。」
「別にいいけどさ。……中二の初め頃までかな。」
 勝呂は燐の顔を見つめて感慨深そうな顔をする。
「一年と半年前まではセーラー服やったんか、お前。」
「セーラー服から離れてくれよ! 大体セーラーって言っても下はスラックスだぞ。女子高生って言うよりは、見た目水兵さんだぞ。ウィーン少年合唱団だってセーラー服だろうが!」
 燐の言うことは常識の範囲だ。しかしセーラー服という響きが、日本人独特なイメージによって、勝呂の頭の中で変な変換が行われている。
「すまん。俺はそのつもりないんやけど、どうしても女子の制服のほうを思い浮かべてまう。」
 燐はまあいいけどとフンと息を吐く。
「でもええ声しとったな。お前。流石はお父はんがソロを任せるくらいやわ。」
 途端に燐は上機嫌になる。
「え? 声が良いって。……やった。勝呂に褒められた。なんか初めて。わー。凄い感動。」
「いや。前に料理も褒めたはずやけど。」
「あっちのほうは俺が好きでやってることだから、意外性がなかったのっ。初めて聖歌隊で良かったと思えたぜ。」
 つくづくポジティブな奴だと勝呂は思った。だけどこれがこいつの取り得でもある。そしてこいつをこんな風に育てた、死んだジジイこと藤本獅郎のことが頭を掠める。
「やっぱりこいつのお父はん、こいつにセーラー服着せたくて聖歌隊やらせとったんやないか?」
 全ては神のみぞ知る。
 




聖歌隊設定はアニメの回想から。燐の歌よりは、個人的には雪男のオルガンが聞いてみたいです。セーラー服印象はやはり女子制服のほうが思いつきやすい罠。

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