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幸福雑音

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☆「ポケモンデイズ⑤前編」主♂チェレ アロキダ アーティ

 本日はトウコとエンブオーは町の外れの森で野宿だった。本日はというよりは本日もだった。今日も今日とてお捻りを貰ってはいるが、トウコは宿に金を使うような女ではなかった。
「エンブオー。アクロマさんみたいにカレー作ってみたよ。」
 トウコはけしてメシマズではない。平均的に料理はこなせる。ちゃんとポケモン仕様に香辛料を控えたカレーを作っていた。
 エンブオーはアクロマの名前を聞いてひくっと顔を引き攣らせたが、トウコにスプーンを渡されると大人しくカレーを食べ始めた。
「エンブオーは本当にお行儀よくご飯を食べるよね。私ご飯の食べ方が綺麗な男の子って好きだな。んー。そういえば、エンブオーはなんでそんなに食べるの上手なの? 普通ポケモンってよっぽどお利口さんだったり、訓練しないとスプーンなんて使えないよね。」
 エンブオーは「え?」というように驚いて泣きそうな顔になった。もう七年くらい前のことだった。旅の途中でチャオブーに進化して二足歩行が出来るようになってすぐの出来事だった。
 
『チャオブー。これ持ってご飯食べられるようになりなさい。』
 
 わずか十一歳の少女が母親のような口調でチャオブーに言ってきた。
『私、チャオブーと一緒にご飯食べたいの。だけど同じご飯を手掴みだったり犬食いされるのは我慢ならないの。』
 チャオブーは、四足歩行のポカブだったときに直接口で食事を摂っていたことが、まさかトウコにとって不愉快な行為だったとは、このときまで思ってもみなかった。そして二足歩行になったからって即人間のようにご飯を食べる訓練をしろと命令されたことがショックだった。無性に悲しかった。
 だけどチャオブーは健気にトウコに従った。トウコは別に訓練して最初の不器用そうなチャオブーに苛立ったりする様子はなかった。だがその平然とした態度が余計怖かった。腹の中ではさぞや立腹されているのではと、一人前にこぼさずに食事が出来るまで怯えて気が気ではなかった。
 なのに、今のトウコはそんなことを忘れたように、どうしてエンブオーの食事の仕方が綺麗なのかと問うてくる。エンブオーがどれほどの失敗を毎日重ねながら、ここまで食事の仕方が上達するまでの過程を見てきたはずなのに、トウコは無邪気にエンブオーの心を抉ってきた。
「ブオ……」
 今はお馬鹿なトウコも流石に何か悟ったらしい。
「あ……なんか私が言ったんだろうね。あ。思い出した。私そう言えばこう言ったんじゃなかったっけ? 『私の食べ方をよく見なさい。そしてそれを真似するの。これはね、倣るってことの訓練なの。』って。」
 エンブオーは安心する。記憶が抜け落ちるのはよくあることだ。トウコは覚えてくれていた。でもエンブオーはトウコが言った訓練云々は、食事の仕方を改めさせられた時から何ヶ月か経ったあとに言われたんじゃなかったかなと首を捻る。その頃にはチャオブーだったエンブオーはきちんと食事が出来るようになっていた。トウコは比較的新しい記憶の言葉を口にして、忘れていたことを誤魔化しているのではと勘繰りたくもある。
だいたいあの時真似をしろと言ったのは、箸を使って何か野菜の煮物を掴んでみろという、一歩進んだ課題を遊びっ気まじりに提示してきた時だった。流石に箸はエンブオーには無理だったので、トウコはごめんごめんと言いながら、エンブオーの横から箸をスプーンかフォークに持ちかえさせていた。エンブオーも人間のような食べ方に慣れてきたせいもあったが、そのトウコの言い方に以前のようにいつまでも胃をじくじくさせるような怖さは感じなかった。
 そしてそのうちトウコのほうがポケモンっぽいものの食べ方をするようになっていたような気がする。木の実をもいだそばから丸かじりにしたり、ひょいひょい投げながら遊び食いしたり、逆にお行儀の悪さをエンブオーが窘めるようになっていた。
 その当時にはエンブオーの他にもポケモンがいた。
 カレーを食べ終えてトウコは既に片づけもそこそこに眠り込んでいる。エンブオーは当時いた仲間を指折り数えるように指差ししながらふと違和感に気付いた。
「オ?」
 ロコン。ダルマッカ。ヒトモシ。メラルバ。そして自分。いち、に、さん、よん、ご? なんだか一匹足りないような気がする。だけど誰かがいたはずだ。なのに。そいつの名前が思い出せない。
 エンブオーはトウコに替わって食器を片づけながら首を捻り続ける。トウコのことだからわざと五匹だけで旅をするなんて考えづらい。しかし仲間の種別をいちいち覚えていたエンブオーなのに、どうしても六匹目の名前が思い浮かばない。トウコのことだから炎タイプの可能性が高いけれど、なんだか違う気がする。
 おぼろげながらに見たような記憶は、自分の斜向かいにスプーンを使ってご飯を食べる姿だった。そいつは自分とは違って箸も使えたような気がする。それが無性に悔しくて羨ましかった。どうしてかそいつの姿は分からないのに、当時の感情だけはありありと蘇る。
「エンブオー…」
 トウコが寝言を言っている。
「エンブオーは心配しすぎ……。」
 夢の中でもアクロマが出てきているのだろうか。ならば自分もこんなぐだぐだしたことを考えずに、トウコの夢の中に駆けつけたほうがいいかもしれない。何せあの科学者は他人の夢の中に入る機械なども発明してそうな気がしてならないからだ。
 
 エンブオーは目を閉じた。眠りはすぐにやってきてエンブオーを夢の中に誘ってくれたが、その中に出てきたのは誰だか分からない六匹目と向かい合わせでご飯を食べている夢だった。そしてそいつは言ってくるのだった。
『お前、メシ喰うの上手いな。』
『お前のほうが上手い。』
 エンブオーは答えた。
『いやいやいや。』
 そいつはエンブオーの渋い顔に悪びれることなく、ふざけたように首を振った。エンブオーは少しむっとなって、スプーンを置いた。
『上手じゃないことで褒められるのは嫌いだ。』
『あのさあ……、まあいっか。』
『なんだよ?』
『お前は頑張り屋で謙虚ないいやつってことだよ。』
『俺はただのいじけ虫だよ。』
『炎タイプのくせにっ。』
『いつもいじいじじめじめしてる。炎タイプなんだから湿ってちゃ駄目なのに。』
 六匹目は意地悪そうに笑っていた。
『俺は炎ポケモンじゃねえから。天候には左右されにくいっちゃ、にくいけど。』
『お前はそう言えば――タイプだったな。』
 
 顔も姿も思い出せない奴の「タイプ」をエンブオーは夢の中で口にした。だけど目が覚めたら忘れていた。そうかあいつは炎タイプじゃなかったんだ。だけどそれはそいつを特定する手掛かりになり得なかった。
 

  •   *   *
 
 トウヤはシッポウシティのポケモンセンター内で、手に持った木の実を見ながら苦笑いを浮かべている。その木の実はチェレンからお裾分けして貰ったオレンの実で、思わずにやけてしまうくらい嬉しい品だが素直に喜べない。
 お裾分けのお裾分けだったからだ。
 
『貰い物なんだけど。トウヤも持っていて役に立つかもしれないし。僕が木の実を貰った人が言うには、レンジャーがトレーナーに木の実をわけてやるのは当たり前って話だし。だから……どうぞ?』
 
 はにかみながらぶっきらぼうに、不器用可愛く木の実を差出してくるチェレンの好意を、トウヤが断るはずもなかった。
 しかし。その木の実をチェレンにあげた人物は、チェレンがトウヤにその正体を秘密にしている「ポケモンの年齢当てが得意な人」と同一人物だとほぼ確信している。「木の実をチェレンにあげた人」と別人である可能性は限りなく低い。
 チェレンは件の人物に人間として良い方向に毒されてきている。あの子はもっと気難しくて人見知りだったのに。あの子は幼少から病弱なせいで頑なに育ってしまったのに。何をやらかせば、旅先で見かけた知り合いに声を掛けられるようになったり、自分から木の実を分けてあげたいと言い出せるようになれるのか? チェレンにこれほどの化学変化をもたらすくらいに、その人物はどれほどのチート性能を誇っているのだろうか?
 トウヤはとりあえずミジュマルに木の実を持たせてみた。ミジュマルは喜んでいる。トウヤはミジュマルが勢い余って木の実にかぶりつく前に言う。
「これはね。バトルで体力がやばいって時に食べる非常食なんだよ。」
「みじゅじゅ。」
 ミジュマルは頷いている。トウヤは他のポケモンにも同じように木の実を持たせた。
 木の実を持ったあとの手を嗅いでみると柑橘系の匂いが染みついていた。確かに良い匂いだし、嫌いな匂いでもない。
 トウヤはミジュマル達をボールに戻すと、そのまま施設内のトイレに入って手洗い場で手を洗い始めた。普段は自分は好きでも嫌いでもなく、妻だったベルは寧ろ好んでいたからどちらかというと親しんでいた香りなのに、どうしてかその匂いが手についていると思うとイライラしてくる。石鹸も多めに手に付けて飲食店の店員かというくらい入念に手を洗った。
「よし。石鹸の匂いしかしない。」
 手の匂いを嗅いでトウヤは頷いた。
 この頃はトウヤは狙いすまされたように騒動に見舞われている。シッポウシティに行く途中もポケモンを盗られた女の子の為にプラズマ団のしたっぱと戦う羽目になった。
そしてつい一時間前にはジム戦に向かおうと思いきや、プラズマ団がジム兼博物館に押しいり強盗してきて、ドラゴンタイプのポケモンの頭骨を持ち出そうとした。たまたまそばにいたトウヤも駆り出された結果、なんとか無事に頭骨は奪還できた。
「厄年でもないのになあ。」
 前の厄年の時はお祓いしなくても、今のような巻き込まれ事故的な状況にはならなかった。昔と違って会社という組織に守られている身ではないからかもしれないが、短期間に色々ありすぎである。
「アロエさんやアーティさんを待たせるわけにはいかないし。とりあえず行こうか。」
 ポケモンセンターのガラス張りのドア越しに外を見てみるが、カラクサタウンで偶然にもNを見つけたような運命のイタズラはもう起こらなかった。それはわかっていたことだ。Nはもうとっくにシッポウシティでの目的は果たしているだろう。今頃はヒウンシティにでも向かっていてもおかしくない。
トウヤはNに関するジム戦などでの公式試合の記録は努めて見ないようにしていた。早すぎはするがもう過去のことにしていた。どうもああいう記録を見ると、自分のペースでやればいいはずのことでも不必要に焦ってしまう。地上を駆けるしかない獣が天を舞う鳥を見上げて、大地の切れ目で遠回りすることに歯噛みするのと同じくらい無意味なことだ。
「遠回り上等じゃないか。そのうち彼は僕の視界からも記憶からもなくなるさ。そしてとっくに彼の視界にも記憶にも僕はもういないんだろうし。」
 トウヤは知らず知らずのうちに、Nに対しての自分の立場を弱者に置くことで精神の均衡を保っていた。いや逆にNを遥か高いところに置いてしまったのかもしれない。
 博物館の中に入るとアロエの夫がいた。猫背ぎみの気弱そうな眼鏡の男はぴょこんとトウヤにお辞儀をする。名前はキダチと言っていた。
「さきほどはありがとうございます。あ、ママが待ってますからどうぞ奥に進んで下さい。今、アーティさんと一緒にお茶飲んでるはずです。どうせならあなたも、一休みしてからうちのママと戦ってみてはどうでしょう?」
 かつての自分のようなサラリーマン稼業ではないこの博物館の副館長は、いかにもアットホームなのんびりとした空気を漂わせている。少々のんびりしすぎな感さえあった。しかしながらトウヤのような大人より、子どもを相手する機会のほうが多いせいなのかもしれないと思った。ジムはあくまで公共機関ではあるが市役所みたいな対応を子どもにするわけにはいくまい。
「アーティさんはうちのママと本当に仲良しで、よくジムを留守にしてこっちに来られるんですよ。要はさぼってるんですよ。アーティさんが留守にしている間に、先ばっかり急ぐトレーナーさんたちにヒウンを観光させてあげてるんだよと嘯いてるんです。確かにヒウンは大きい街ですけど。」
「そ、そうですか……。でも僕もどちらかというと観光よりジム戦を優先したいから、そうだな。僕がヒウンに行くときには手でも繋いでアーティさんも一緒に連れて帰らなくちゃですね。」
 キダチはあーと声を上げながら言う。
「それは名案って言えば名案なんですけど、あのトレーナーはあなたよりさらにせっかちでしたよ。あの緑の髪の背の高いトレーナーは――。」
 トウヤの肩がびくっと震える。トウヤの前を歩きながらキダチはまるで詩の文句のように滔々と、緑の髪の背の高いトレーナー=Nのことを語る。
「先を急ぎます。お願いしますと彼はアロエママとアーティさんに頭を下げました。彼があの人たちに頼んだことって、いやアーティさんに頼んだことってなんだと思いますか? このジムでアロエママに勝ったその場でアーティさんにも挑戦したんですよ。彼は。基本自由人なアーティさんも、それはそれは戸惑っていました。」
 トウヤは無機質な声でキダチの言葉のあとを継ぐ。
「きちんとした手続きを踏まない、前例のないこと。そんなことを言われれば誰でも戸惑いますよ。」
 キダチは首を振る。
「そんなんじゃないですよ。このイッシュの風土で手続きや決まり事なんてそんなに問題じゃないんです。彼が申告した手持ちポケモンのレベルは、アロエママのジム戦での水準には届いていたのですけど、アーティさんのジムの水準には到底無理だと。しかもアロエママとのバトルのあとすぐなんて、誰が勝てると思いますか?」
 でも彼は勝ったんだろ? 
トウヤは口にはしなかったが結論じみた卑屈な問いが頭に浮かんだ。
「結果彼はアーティさんを倒しました。アーティさんは先を急ぐ彼の為にジムの職員に電話して、彼がヒウンのジムについたときにすぐにバッジを渡せるように手配しました。」
「公式戦扱いにしちゃうんですか?」
 流石のトウヤもその破格の扱いに驚いた。キダチはそうしなきゃ彼が頼み込んだ意味がないでしょうと苦笑を浮かべた。
「ジムリーダーに勝ったんですから。しかもかなり挑戦者に不利な条件で。」
 Nならやりかねないとトウヤは思った。天才の才能だけではない。Nには明確にして強固な意志があり、それはどんな状況でさえもNに向かって吹いてくる風にできる。しかもそれは追い風だ。
「えっと……。でも、良い子でしたよ。ほんとに無理なこと言ってすみませんって、何度も何度もアロエママとアーティさんに謝ってましたから。泣きそうな顔してね。僕のような凡人には分からないことなんですけど、あの子には本当に泣くほど先を急ぐ理由があるんだなって。ほんとは喜んであげなきゃいけないのに可哀そうになっちゃいましたもん。才能があるんだから、もっと余裕こいていればいいのに。才能があるせいで自分をすり減らしてるんじゃないかと心配になっちゃうような子でしたよ。」
 そうやって天才が人前で悲壮感を漂わせて切羽詰っているから、自分やキダチみたいな凡人が余計に焦る羽目になるんだと、少しNに説教をしたくなるトウヤだった。たぶんこれは説教したいというより八つ当たりに似た感情だろう。だからふつふつと獣が崖の突端から向こう岸まで跳躍してやろうという気概が湧いてきていた。
「ごめんなさい。」
 キダチは何故かトウヤに謝ってきた。
「僕が彼に何かやってあげたり出来るわけじゃないのに。勝手なことをあなたに愚痴ってばかりで。」
 キダチはそう言いながらアロエのオフィスまで案内してくれた。アロエとアーティはデスクで紅茶のカップを手にトウヤを見た。
「アロエさん。アーティさん。お願いがあるんです。」
 アロエは口元だけ、にやっと笑ってみせた。
「もしかしてうちのダンナから聞いたのかい?」
 キダチはトウヤの意図することを察して額に冷や汗が滲んだ。ただこういうトレーナーがいたと世間話のつもりだったのに、見た目冷静そうな男をひどく動揺させてしまったのだと気が付いた。
 トウヤは冷静そうに見える顔のまま頷いた。
「ええ。」
 アーティは「あーあ。せっかくさぼりに来たのに」と言わんばかりに肩を竦めた。
「いいよ。シッポウジム・ヒウンジムの連チャンバトル。前例作っちゃったんだから、これも公式扱いだね。」
「では。お願いします。」
 トウヤは背筋を正して最敬礼より深く頭を下げた。胸の中には、やってやる、Nに追い付いてやるという気概が満たされていた。二人のジムリーダーは静かに紅茶のカップを置いて立ち上がった。
 

  •   *   *
 
 トウヤの膝は完全に折れて床についていた。キダチはあんなことをバトルの前に言うんじゃなかったと後悔するかのように唇を噛みしめている。トレーナーにとって強い存在が傍にいるということがどれほど焦燥感を煽るのか、キダチはうっかり忘れていた。
「気にすることじゃないですよ。トウヤさん。ママには勝ったじゃないですか。アーティさんにもあんなに善戦したし。タブンネでアーティさんのハハコモリにあんなに競るなんて、僕見たことなかったですもの。」
 トウヤは俯いている。キダチが言ったことは正真正銘の真実だろう。でも結果は――。それでもキダチは語らずにはいられなかった。
「結果は全てですけど、結果が全てじゃないんですよ。勝った人は負けた経験が出来ないんですよ。負けた人はその経験を活かして勝つことだって出来るんですから。いいですか? 僕はアロエママのしがない夫です。アロエママにはトレーナーとして足元にも及ばない凡夫です。だけど子どもが一人前になった今でも一緒にいられるのは、アロエママに負けっぱなしでも腐らずにいられたからです。」
 ポケモン勝負してたのかこの夫婦はと、トウヤはぼんやりとアロエとキダチを交互に見やった。のんびりと穏やかそうな貧弱な男がトウヤに向かって何故か熱く語っている。
「緑の髪の彼だって、勝つべくして勝ったんじゃないですよ。勝てるまで頑張ったから勝ったんですよ。彼の服には草むらを何遍も通り抜けてきたような染みがついていたし、ポケモンも彼を慕っていました。トウヤさんはこのジムを出たら、ヒウンでアーティさんに再戦して、今度こそバッジをゲットするんでしょ? ヒウンに行くまではヤグルマの森だってあります。そこでポケモンと一緒に頑張ればいいじゃないですか。草むら百ぺんはトレーナーの基本ですよ。」
「そうだね。あんたもよくヤグルマの森に行っては葉っぱくっつけて帰ってきてるよね。それにしても、あんたそんなに私に勝ちたかったの?」
「当たり前じゃないですか! 僕はあなたの旦那さんですからあ!」
 アロエはその大きな胸にキダチを抱えてよしよしとあやしていた。そんな夫婦の様子を見て、アーティに負けたトウヤなのに、なんでか落ち込んでた気分がバカバカしくなってきた。
「アーティさん。ヒウンジムでまた挑戦させてもらいますね。」
「そうなると……。僕は今からジムに帰らなくちゃいけない空気だよねえ。うう……。アロエ姐さん。寂しいよお。ていうか僕のとこにもアロエ姐さんが来て欲しいな。」
「私ぁあんたみたいな自由業とは違うんだよ。あんまし都会も好きじゃないしね。」
「うう。ヒウンの芸術仲間に僕の最高のミューズだって紹介したいのに。」
「冗談言うんじゃないよ。私はミューズなんかじゃなくってママなんだから。」
 あれ? トウヤは首を傾げた。どうしてかジムリーダーの表ざたにならない人間関係を垣間見たような気がする。見ればアロエの左手をしっかりとアーティが握り、右手をキダチが捕まえていた。ああそうかと合点はいく。
「それでは僕はヤグルマの森で鍛えてからヒウンに行こうと思います。アーティさん。間違いなくヒウンで待っててくださいね。」
「ああ。わかってるよお。じゃあアロエ姐さん。またそっちに行くからねえ。」
 限りなく名残惜しげにアーティはジムから去っていく。出ていく間際にちらりと顔を覗かせてからキダチに向かってべーっと舌を出していた。
「あの。トウヤさん。」
 キダチがアロエから手を離して、お願いがあるのですがと申し出る。
「前から思ってたことなんですけど。僕もヒウンのアーティさんのジムのジムバッジをゲットしにトウヤさんに同行していいですか? ヤグルマの森なら僕も熟知してますから、一緒に僕も特訓させてください。」
「え?」
「こんなおじさんとじゃダメですか?」
「いや僕もかなりおじさんなほうですから。かまいませんよ。」
 キダチはくるっとアロエのほうを振り向いて言った。
「ママ。いいよね?」
「まあ、たまにはいいだろうね。しっかりやりなよ。」
 こうしてトウヤに束の間の同行者がつくことになった。
 

  •   *   *
 
 ヤグルマの森の中で野性の虫ポケモンと戦ったり、自然に溶け込んでいるレンジャーと遭遇したりしながら、トウヤとキダチは先に進んでいた。
 トウヤのミジュマルはまだまだ子どものせいか、あまり見たことのない虫ポケモンに対して少々怖がり気味だった。他の手持ちも大げさに怖がったりしないが虫ポケモンは苦手な様子だった。いきなり糸を吐かれたり毒を吐かれたりすれば、ダメージ以外の精神的あれやこれやも受けるには違いない。だからとにかく虫ポケモンの独特な攻撃に慣れさせることを先決とした。
思えば結構繊細な神経のトウヤの手持ちがアーティの虫ポケモンにボロ負けしたのは当然のように思える。そんなことも考えずにバトルをごり押しした自分は、やはり大人を気取っているがトレーナーとしては未熟なのだろう。
「ごめんね。ミジュマル。チョロネコ。シママ。タブンネ。お前たちは虫ポケモンとはアーティさんの手持ちが初めてだったんだよね。」
 特にチョロネコは普段から使えない奴ではあるが、虫タイプが弱点でもあったので今回ばかりは彼女を叱れない。ミジュマルも草タイプまで持つハハコモリには対応出来ないし、タブンネも決定打を持っていない。それより何より焦りすぎたと反省する一番のポイントはシママにあった。
「ニトロチャージか。」
 シママはいましがたそれを覚えたばかりだった。レベルが一つ二つ違うだけでアーティのポケモンに圧倒的に有利な技を習得出来たのである。本当に自分が焦りすぎたせいで、とんだとばっちりをポケモン達に食わせてしまったとトウヤは思った。
 ヤグルマの森には他の虫以外のポケモンが飛び出てきたりするが、やはり虫が出てきた時にトウヤのポケモン達は動きがぎこちなくなる。虫ポケモンを初めて相手にしたのが、ジムリーダーの手持ちだったのが痛かったのかもしれない。
 その点、キダチのポケモン達は慣れたものだった。多少の粘つく糸くらいは易々と躱すし、少々毒液を浴びてもステータス異常達しない程度はそのまま野性の虫ポケに向かっていくのだ。
 トウヤとキダチは大人の男同士らしく、おてて繋いで特訓などというぬるいことはしなかった。お互いに別々の場所で自分たちのポケモンに専念している。でも同じように強くなろうとしている同類がいることはトウヤにもポケモン達にも励みになった。
トウヤにもうっすら感づいたことだが、キダチがアーティに挑戦しようと決心したのは、どうやらアーティがアロエに対して特別な想いを抱いていることが原因なようだ。
「みじゅ。」
 ミジュマルはキダチのポケモンの様子と自分に纏わりついている糸をそれぞれ見て、憑き物が落ちたように悟り始めていた。べたべたの糸が絡んできても死にはしないと。きっかけがあればそこから先は楽になる。他のポケモンも段々と虫ポケモンの攻撃を気にしなくなってきた。
無機質で表情が読みにくい虫ポケモンの攻撃を最初は読めなかったトウヤだが、次第にパターンが読めてきた。毒や麻痺攻撃がどんなタイミングで来るか読めるようになった。
「みじゅ。」
 最初はフシデに追いかけられて泣きべそをかいていたミジュマルも、遠隔攻撃なら楽に倒せるようになってきた。ただし自分の大切なホタチをぶつけるには少々の躊躇が見られたが。
 やっぱり自分にはこういうのが向いている。積み重ねたものを根拠にして、先を読んでいくやり方こそがトウヤのスタイルなのだと。天才のNには届かないがなんやかやのコツを掴むのは得意なのだとトウヤには自負するところがあった。
 Nを気にしていたら、自分は躓いてしまう。
 Nを振り切るためにNを無理に越えようとするのはよそうと改めて思ったとき、トウヤの風邪熱にじくじくと浸食されていたような脳がさあっと冷めた。
 もともとトレーナーになったのはチェレンのことを陰ながら見守りたいがためだったじゃないかと、チェレンと別れてから半日ほどまったくそのことに頭がいってなかったことを訝しく思った。そしてNという憑き物が落ちたことを改めて自覚した。
「トウヤさん。ポケモンに対しての指示がすごくナチュラルになってきたじゃないですか。」
「え? そうですか?」
 わざとらしく謙遜してみせるがそんなことはトウヤ自身がとっくに自覚していた。
 そろそろ夕闇が迫ってくる時間だった。キダチは川辺にシートを広げてトウヤを手招きした。川の水に手を突っ込んでキダチは缶ビールをトウヤに差出した。
「冷やしておいたんですよ。特訓が終ったら一緒に呑もうかと思って。」
「ありがとうございます。」
 トウヤはあちゃあと小声で呟いた。トウヤにはツマミも何もそういう準備はなかったからだ。
「ママが二人分お弁当を持たせてくれましたから。」
「何から何まですみません。」
 恥ずかしさで笑いが込み上げてきて小刻みに震えてしまう。しかしながらにこにことキダチが勧めてくるなら喜んでお言葉に甘えるしかない。
「キダチさんて、ビールといいお弁当といい……本当に気が回られる方ですね。」
「だって僕はアロエママの片腕ですから。あの博物館、ママが館長で僕が副館長で。何かイベントがあったときのなんやかんやの手配は僕の担当なんです。」
「僕もサラリーマン時代にはそういうことしてたはずなんだけどな。ここのところちょっと焦りが出てきたせいで、余裕なくなってたかも。缶ビールなんてすごく久しぶりな気がするし。」
 互いに缶を開けて乾杯をする。トウヤもキダチも一口飲むとぷはっと息をついた。
「トウヤさん。緑の髪の彼と知り合いなんでしょ? だから負けたくなくてああいうことしたんですよね。」
「キダチさんだってアーティさんに負けたくないんですよね。」
「緑君うちのジムに入る前になんだか後ろ振り向いて何かを気にしていたみたいなんですよね。それは後からくるあなたのことを気にしてたんじゃないかと――。」
「アーティさんなんですけど、アロエさんがママ呼びをそれとなく推奨するのに、頑なに姐さんって呼びますよね。あれってあなたに対する当てつけですよね。」
「トウヤさん酔ってますか? 嫌なこと言わないで下さいよ。」
「あなたが先に言ってきたんじゃないですか。」
 男二人は少量のアルコールで既にほろ酔いになっていた。キダチははにかむように笑う。
「女王様に指名されて夫になった男の気持ちってわかります?」
「なんとなくは、想像できる気はします。」
 あ、なんか惚気話きたなとトウヤは思った。トウヤだってNに二人の英雄の話をされてそれとなくトウヤに対する期待を仄めかされたとき、少しの高揚感となんで自分なのだという疑念に襲われた。だからキダチの抱える思いもわかる。しかしトウヤには既に心の中にチェレンがいる。勿論何一つチェレンには伝えていないが、Nからのご指名を断るだけの動機になり得た。反対の動機でキダチはアロエに望まれたからこそ、分不相応な彼女の夫という立ち位置を誰にも譲ることなく今まで過ごしてきた。
 キダチにアロエといたことによって後悔があると疑うほうが野暮なのだろう。しかしそれなりのジレンマを耐えてきたのは間違いない。
「やっぱり思われたくないんですよね。副館長だから館長と結婚出来たとかって。」
「いや。女王様はそんなこと思ってないでしょ。あなたが忠実で優秀な臣下だから駙馬にしたなんて。アロエさんはそれに自分のこと女王様なんて思ってないでしょう。あの人は自分のことはママだってアーティさんにも言い張ってましたし。」
「でもアロエママはやっぱり女王様なんですよね。」
「そうですね。本人が望もうとも望まざろうとも、あの人なら生まれながらの女王様だって誰もが納得しますもんねえ。」
 キダチはそうなんですとなんだか気弱そうな笑みを浮かべたが、そこから顔を赤くして少しにやけながらトウヤに言った。
「でもね。夜は僕が王様なんですよ~。」
「キダチさん。あなた相当酔ってますよ。」
「いやいいでしょ、このくらい。大人同士なんですから。」
「いや。あなた今絶賛キャラ崩壊中だからっ。」
 くそ。このリア充が。と、キダチのにやけたくすくす笑いにトウヤは苦虫を噛み潰したような笑みを返した。世間体からくる重圧や葛藤なんて、夜に仲良くいちゃいちゃすれば解消されるなんて、本当に羨ましいったらありゃあしない。
「アーティさんに嫌味言われても仕方ないですよ。それって。」
「そうですね。それくらい我慢しましょうかね。」
 ああ。はやくリア充になりたい。トウヤは一つ心に秘めるものが増えた。次にチェレンに会えたら、思い切って告白するのも手かもしれない。
 キダチは本当に酔ってしまったのか、こくりこくりと眠そうに身体を揺らしている。トウヤはビールの缶をキダチから取り上げてシートの上にキダチを寝かせた。
「おやすみなさい。夜の王様。」
「うむ。苦しゅうない。」
 それは殿様だとトウヤは突っ込んだ。そして自分も良い心地な酔いのうちに寝てしまおうとシートの上に横になった。ビールの缶は朝片付けようとものぐさなことを思いながら。
 




後編に続く。

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プロフィール

HN:
柴仲達
性別:
女性
職業:
会社員
趣味:
読書、二次創作
自己紹介:
忍たまで「幸福雑音」というサークルで、大阪のイベントに出没しています。
絵描きの竹さんと字書きの柴の二人サークルです。
柴はツイッターもしています。http://twitter.com/#!/hitsugi12

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