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幸福雑音

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☆「東方琳鈴哀楽譚」第一話前編 美フラ 

「恋符『マスタースパーク』!」
 魔理沙の宣言と共に発動した弾幕と光線が美鈴を襲う。美鈴はその弾幕を掻い潜り自らが攻撃態勢に出ると思いきや、弾幕の狭間で少し考え込んでいる。
「なんなんだよ。余裕かましてんじゃないぜ。」
 魔理沙は当然怒る。そして弾幕の隙間を移動する美鈴はどういうわけか自分のスペルを宣言しようともしない。
 あくまで魔理沙のトレーニングに付き合っているという体裁だからやる気がないのかこいつはと、魔理沙は美鈴が移動する先に向かってマスタースパークを撃っていた。
「紅さんっ。本気出してくれなきゃ嫌なんだぜ。ノーショット耐久気取ってるんじゃないぜ。」
 二人の足の下には地面がない。360度のバトルフィールド。魔理沙が紅魔館の門前に押しかけ、そこで業務を果たしているのか油を売っているのか分からない風情で立っていた美鈴を一方的にトレーニングの相手に選んだ。美鈴は妖怪にしては気のいいほうなのでほいほいと付き合ってくれた。が、美鈴は一度もスペルを宣言していない。
「ほんとに頼むからスペル宣言してくれよ。」
「私スペル苦手なんだけど。いいじゃないか今回は弾幕のコントロールの練習台で。」
「いやだあ! ちゃんとやってくれないとやだ!」
「しょうがないなあ。」
 妖怪相手に駄々をこねる人間の魔法使いに美鈴はそれでもあまり嫌な顔をしていない。本気でやろうが遊びでやろうが、美鈴の勝手だ。むしろ美鈴に本気の実力を見せて欲しいというなら、それはスペルカードルールでは叶わないことだ。そんなに怖い目が見たいのかなこいつと美鈴は拳に力を入れる。
「そんなに頑張りたきゃ巫女さんに頼めば? 私なんて異変のときに一回あんたに負かされた相手だし。」
「その巫女さんに勝ちたいから手の内見せるのが嫌なの!」
「あのさあ、スペルカードルールに手の内ってないと思うんだけど。」
「とにかく。あいつの知らないところで修行して強くなって負かしたいの! ボーンといってバーンって。」
「そうしたいなら、まず。」
 美鈴は一気に距離を詰める。魔理沙は一方方向の弾幕を美鈴に照準を向ける暇なく、美鈴はマスタースパークの本体から明後日の方向に移動し続けている。
「ちょっと待つんだぜ……」
 でかい口をきいていた割には豹変したように自分に接近してきた美鈴に魔理沙は狼狽えた。
 スピードは半端ない。しかも魔理沙の死角に移動しているように見せかけて、その逆に抉りこむように魔理沙の目の前にいる。
 魔理沙は地面に振り落とされた。箒があったので地面には激突はしなかったが、美鈴がスペルを宣言していれば確実に被弾していた。
「うう……」
 美鈴は中空から魔理沙を見下ろしごめんねと笑って言った。地面に降りてくる美鈴を見ながら魔理沙は不満そうな顔を見せた。
「そりゃないぜ。紅さんの馬鹿。」
「どういたしまして。」
 美鈴は馬鹿呼ばわりされたのに、露とも不快そうな顔もしない。というか一方的に熱くなっていた魔理沙にも分かるほど、別のことに気が取られているように屋敷にちらちらと視線を向けている。
「どうしたのだぜ。用事があったんなら、事情を言ってくれれば無理に付き合ってくれとは言わなかったぜ。」
「うん。そろそろお嬢様が指定してきた時間だなって思った。」
「レミリアかフランになんか用事でも頼まれてるの?」
 美鈴は口籠る。
「頼まれごととは違うっぽい。魔法使い。落とし前って知ってる?」
「責任取れってことだろ。お前管理職じゃないのに、ただの下っ端なのに始末書書かされるのか?」
 美鈴は私文章書くの苦手だなと呟く。そして魔理沙に下っ端が上の者に逆らったらそれなりの行動で示して深謝するのが当たり前なんだよ、それを落とし前って言うんだよと当たり前のことを魔理沙に教えた。
「紅さん。レミリアになんか逆らったわけ。」
「逆らうことになっちゃうことをしたみたい。」
「余計なお世話とか。」
「ああ。確かにそれが近いかも。私馬鹿だから。」
 馬鹿だから利口な者には思いつかないような愚行を犯す。でも本当は利口な者は馬鹿な者のやることはお見通しだ。だから結局馬鹿は反省しなければならない。反省しても馬鹿が直るわけではないが、そうしなければ利口な者に許してもらえないし、利口な者としても事の収拾がつかなくなってしまうのだ。
「紅さん。始末書の文章が思い浮かばなかったら、ひたすらごめんなさい反省してます、もう二度とやりませんを千回繰り返しで書けばいいんだぜ。」
「うん。参考にする。」
 美鈴はそれじゃあと言って魔理沙に手を振って館に向かう。そして魔理沙の気配が後方で消えるのを待って自分の目の前にその手を翳してみる。
「思い切って、五本かな。」
 その手をグーパーグーパーしながら美鈴はなんでもないように主人のもとに行くのだった。
 
  •   *   *
 
「来たわね」
「来たわよ。」
 十代の小娘の味気ない挨拶に永琳はさして口を挟まなかった。永琳は単に一年に一度あるかどうかわからない往診に来ただけなのだから。医者を呼びだすような事態になっているのだから、少し礼儀を欠いているくらいが、そんな怪我人だか病人のいる家人の態度としては相応しいだろう。
八意永琳は紅魔館の主に呼ばれ、そしてメイド長の咲夜にとある地下の一室へ案内されている。
永琳は急な怪我人だとしか聞かされていない。
地下に案内された時は噂に聞く地下に閉じこもる館の主レミリアの気の触れた妹が患者なのかと予想するが、咲夜が言うには紅魔館にはフランドールを閉じ込めているのとは別の地下施設もあると永琳に告げた。
「なんで怪我人を地下に?」
 永琳の問いに咲夜は顔色一つ変えずに答える。
「その者の負傷はここで懲罰を受けてのことだったから。わざわざ移動させるより、その場で治療を受けさせるほうが早いわよね。」
 よくよく考えれば合理的に聞こえるかもしれないが矛盾している。この館の主は冷酷なのか温情主義なのか分かったもんじゃない。しかしその主人の塩梅が咲夜のような優秀過ぎるくらい完璧な従者を生むかもしれないと永琳は考えていた。
「それよりも、今日は門にいなかったわね。意外とこの館に馴染んでいる中華妖怪。」
 咲夜は永琳に微笑んでから重苦しい金属製の扉を開ける。
「美鈴のことかしら。彼女は今日はここに。」
 永琳は扉の向こうの妖怪を見て納得した。
 本来ならほぼ二十四時間体制で門前で待機しているはずの妖怪が、簡素な木の椅子に座って右手を左手で覆って眉間に皺を寄せていた。 
右腕には血が幾本も歪んだ曲線を描いて、肘からぽたりぽたりと机に滴り落としていた。机の上には血のついた刃物。片手で扱える大きさだが指なら容易く切り落とせそうな重量感と無骨さを主張していた。
 
「美鈴。医者を呼んだわ。」
「わざわざすみません。自業自得で指を切り落とすことになっちゃいましたから、これから先この右手と付き合わなくちゃいけないかと思いました。」
 軽薄そうに紅美鈴は笑って言う。咲夜は呆れたように溜息を洩らした。
「貴女もなんだかんだで、お嬢様に買われてるんだから。少しは自覚なさい。」
 咲夜は失礼と永琳に一礼する。
「それではお願いします。」
 永琳は肩を竦めて咲夜の横を通り抜けて部屋に入った。
 
 
 永琳は黙々と美鈴の治療に入る。
「怪我は右手ね。見せて。」
 美鈴は永琳に対してやりにくそうに右手を差出す。その右手には指が一本も残ってなかった。机の上には刃物とは別に金属のバッドが置かれており、その中に適切に扱われた指が五本入っていた。
「左利きなの?」
「最初にその質問が出てくるのか。いや違うよ。基本は右利きの両利きだ。」
「お嬢様か、あのメイドにやられたの?」
「うんにゃ。自分でやった。」
「五本とも?」
「そう。」
 永琳は顔色一つ変えない。美鈴もへらへら笑いながら永琳の治療を受けている。
「この館の中って見た目とは裏腹に任侠な世界なのね。」
 指を詰めて落とし前とはなんと古風でありきたりな罰なのだろうと永琳はそれを口にはしなかった。
「躊躇いなくやったわね。何をやらかしたの?」
 美鈴はえへへと口に出して誤魔化そうとした。
「……」
「……」
 しかし永琳は別の話題を振ったりしないし、美鈴も永琳というインテリな医者が乗ってくれるような話題が思いつかない。話題も狭い上に他者と共にいての沈黙が耐えられない美鈴は、五分もしない内に自分からゲロする羽目になった。
「門番の仕事サボって妹様とデートをした落とし前に、こうなっちゃいました。」
「そう。」
「昨日夏祭りがあって。」
「人里のね。」
「お嬢様も咲夜さんをお供にそこに行っていたので、あの二人と鉢合わせしなきゃ大丈夫かと思ったのですが。うん。私の考えが甘いとしか言いようがないわ。」
「サボタージュくらいのことであの主人は指を詰めさせるの?」
 永琳は薄々事情を理解しながらわざと的外れなことを言う。
「いやいや。私のサボりは問題じゃないんだ。」
 頭の程度が低い上に美鈴は口が軽かった。だから勢い余ってとレミリアの弁解のつもりで簡単に口を滑らせる。
「サボりと指はほぼ関係ない。妹様を連れ出したことの責任なんだ。私はお嬢様に反発するつもりはないけど、妹様……フラン様も可愛くて仕方ないんだ。」
 わかるかなと言うように美鈴は小首を傾げている。目の前にいるインテリにする話にしてはかなり次元が低くて具体的ではない。永琳はそれを理解する為に想像力を駆使してなんとか頷いた。
「昨日はフラン様の精神状態も良さそうだったから、せっかくのお祭りだしと思って。」
 美鈴は縫合の痛みを感じていないように笑う。永琳の頷きが合意を得られたのだと信じて。
「お嬢様も鉢合わせた時には何も言わず妹様と祭りを楽しんでたんだ。妹様の舌がかき氷のシロップで緑になったのを見せびらかした時なんか優しげで。祭りが終ったあとも博麗神社や魔理沙の家に寄り道してみたりして。」
「帰ってきたら、あなたはここで指を詰めろと言われた。」
「鉢合わせした時には何らかの罰があることは覚悟はしてた。」
 場違いなくらいに耳心地のいい声が永琳の耳に入る。
「やけに誇らしげね。」
 永琳は怪訝そうな顔をする。
「私のようなしがない門番妖怪が、地下に閉じ込められた令嬢を連れ出してしまうなんて、とんでもない暴挙でしょ。しかもそれを妹様は喜んでくれた。」
 美鈴は目を細めて自分の所業に酔いしれている。永琳の中で小さく糸が千切れる音がする。
「あなたのその勝手な行動のせいで、あなたの主人は妹様とやらの姉としての顔が丸潰れね。」
 美鈴は陶酔感に水を差す永琳の言い方にしゅんと猫背になった。このインテリな医者にとって、やってはいけないことをしたことについて、その結果喜ぶ誰かがいたという結果は言い訳にならないらしい。
永琳は美鈴の反応に構わず言葉を続ける。
「妹様とやらは聞く話によればかなり精神が不安定だそうね。それでも吸血鬼とはいえ見た目も中身も可愛らしい女の子なのは、あなたの言葉から察しはつく。少しでも親身になったら外に連れ出したくもなるかもしれないわね。でも物凄く身勝手だわ。」
 本来なら美鈴の主人たるレミリアが既に、またはこれからするであろう説教を、永琳はしようとしている。
永琳は医者としてここに来ている。医者は閻魔と並ぶくらいに説教をする生き物だ。それでも美鈴への小言は美鈴はともかく、レミリア他紅魔館の住人にとっては余計なお世話でしかない。しかも説教の内容は患者の不養生という名のメンテナンスの怠りではなく、他所の組織の自分とは関係ない構成員の勤務態度についてなのだ。
それでも永琳は己の立場を知りながら、美鈴しかここにはいないことをいいことに喋る。
「スカーレット家の当主だからって姉自らが妹を地下に閉じ込め続けているわけでしょう? ここで暮らしているあなたなら、その事情を承知しているはず。」
「その事情は……私がここにお世話になる最初の日に教えられた。」
 美鈴も最初から門前に置かれっぱなしだったわけではない。使用人の研修の名のもとに、屋敷全体を案内されたことはある。
 
地下室にいる気の触れた妹様の話を聞かされたとき、思わずレミリアの前で「可哀そう」と呟いてしまった。その後にレミリアは美鈴に対面させたのだった。たまたまその日、気が触れていたフランドールに。
 
 上の空になりつつあった美鈴の意識をこちらに向けさせる為に、永琳は机を乱暴に叩いた。美鈴は授業中の居眠りをたたき起こされた子供のように身体を跳ねさせ「わっ」と声を上げた。
「そう。それほど妹様とやらの幽閉はこの館にとって大事なことだった。門番で地下室に縁のない仕事のあなたに説明するほどにはね。」
 永琳は美鈴の指を縫い合わせていた手を止め、その手の甲を叩く。美鈴はびくっと身体を震わせて「ひっ」と短い悲鳴を零す。
「あなたがその妹様を夏祭りに連れて行くことで、妹様を閉じ込めている意義がぶれてしまった。姉が妹を幽閉するという、特別な理由があってもなかなか許されない構図にひびが入る。その妹様が少しでも頭が回って姉に反抗心がある場合、今回のことを理由にして、レミリアに幽閉状態を解除することを要求するかもしれない。そうなったとき、あなたはこの件からして自動的に妹様の味方になってしまうわ。」
 美鈴はおろおろと意味もなく左右を交互に見た。
 レミリアとフランドールという姉妹。美鈴は彼女らが永琳の言うように争う光景が想像出来ない。
「あのう……。それマジで言ってるんですか? 私は遊びに連れて行っただけですって。そんなことでお嬢様と妹様が敵対するなんてありえないって。」
 永琳は実際の住人の言葉に耳を貸さず自分の推測を推す。
「あり得るからこそ言ったのよ。そんな覚悟もなくて、考えなしにそんなことをしたの?」
 美鈴は永琳が指を全て繋げるまで永琳から離れられない。部外者にされる説教は苦痛でしかないが、いいがかりとは言えないくらい筋が通っているものだから聞くしかない。
「さっきの言葉からして、連れ出したのはあなたの短慮ってことかもしれない。私はこの館の事情については噂でしか知らないから。問題はここから。あなたは妹様の喜んだ顔が見られて嬉しかったと言ったけれど、本当に喜ぶ顔が見られただけで気が済んだのかしら?」
 永琳の言葉は泥のついた靴で家に踏み込むより失礼極まりなかったし、医者の焼くべき世話の範疇を飛び越え過ぎている。
 
「私が妹様になにか見返りを求めていたと言いたいのか?」
 
 美鈴のした質問返しが「部外者のお前が何故そこまで紅魔館のことに干渉する?」なら、永琳にこれ以上言いたい放題言われなかったのかもしれない。しかし美鈴はそこまでは頭が回らず口に出てしまった。
 その理由は簡単である。永琳の言ったことが真実だったからだ。
 永琳は美鈴の指を縫いわせながら、美鈴から曖昧ではっきりしない何かを感じ取って、不愉快なものを見る目で美鈴に語りかける。美鈴は首を横に向けようとするが、横に向けた途端何されるか想像してしまうためか永琳から視線を外せない。
「あなたは妹様のことを可愛いと言ったし、自分のしたことが暴挙だとも言った。妹様の立場からしたら、あなたは姉の目を盗んで外に連れ出してくれた王子様にでも見えるかもしれないわね。」
「王子様だなんて、そんないいもんじゃないから。」
「あなたがどういうつもりだろうが、状況がそう思わせる。そしてもし、レミリアに見つからなかった場合、あなたと妹様はずっと二人きり。妹様は外に出ることがなかったから、あなたにエスコートされるままでしかない。人通りのない所に誘導しようが妹様は何も疑うことはない。」
 美鈴は口が滑るままに言葉を発することしか出来ない。
「何が言いたいんでしょうかねえ。それじゃまるで誘拐犯じゃないですか。」
「あなたが妹様に外に連れ出した見返りなり、お礼を要求する可能性があったということ。そもそも、姉の方は夏祭りに出掛るつもりだったし、見つかっても妹をすぐに連れて帰らなかったわけだから、今日は妹様の状態もよろしいですし一緒に出掛けられてはどうでしょうか、と提案するべきだった。なんで敢えて指を切り落とすかもしれないリスクを負ってまで、喜ぶ顔が見たいというささやかな動機で、主人の目を盗んで出掛ける必要があったのかしら?」
 美鈴は自分で記憶を辿っても、レミリアに何かを言おうという頭はなかった。当時の自分は誰にも相談することなく独断専行でフランドールを夏祭りに連れて行くことで頭がいっぱいだった。
「私頭が回りませんから。咲夜さんじゃあるまいし。」
 インテリな医者は美鈴にも少しでも回る頭があると信じて疑わない。目の前にいる美鈴レベルの足りない頭は存在しないと決めてかかっている。それが美鈴には苦痛だった。
 それでも美鈴は自分の頭の足りなさ加減を「頭が足りない」と馬鹿正直に申告することでしか主張出来ない。しかしそれをインテリは努力不足と決めつける。
「咲夜さんの話はしてないわよ。咲夜さんは妹様のことに気が回ってないわけでしょ。咲夜なんかより、あなたのほうが余程妹様とやらのことを見ていたってことでしょ。」
 永琳は美鈴の申告を切り捨てた。
 美鈴は思い出していた。永琳の説教と尋問に耐えられなくなった脳が、楽しかったことの回想に逃亡しようとしているのだ。
 夏祭りだから知り合いの協力者に頼んで浴衣を用意して貰って、それにフランドールを着替えさせた。真っ白い胸は膨らみはないが、なだらかで美しい曲線を描いていて、浴衣に隠されてしまうのが惜しいような、そうであるのが良いような、どっちつかずな気分にさせられた。
フランドールが美鈴と手を繋いで歩いている様は、まるで盲人が先導する者の行先をそのまま信じているみたいで、その信頼が純粋に嬉しかった。だけどそれを裏切ってしまいたい衝動も否定出来ない。
レミリアに秘密にしなければフランは夏祭りに行けなかった。それは今の顛末を知らなかった当時の美鈴にとっては事実だった。しかし主人に秘密に出来ればなんでも出来ると思うのが美鈴だった。
「このっ」
永琳は再び机を力いっぱい叩いた。自分の言葉に言い訳がましい言葉を律儀に吐いていたと思いきや、突然口を半開きにして言葉を聞き流し始めた美鈴の一貫性の無さ加減に怒りが隠せない。
 永琳は最後の指を縫いつけ終り、包帯を巻いていく。もう紅魔館と永遠亭の括りが関係ない本音が喉に競りあがって我慢ならなくなってきた。
「私は輝夜の従者。」
 永琳は美鈴を凝視する。それは誰もが勢い余って謝り倒したくなるくらいの迫力を宿していた。先ほどまでの説教の内容を本気で理解して、それが自分にとって的外れでなければ、その場限りであっても「ごめんなさい」を言ってしまうのが当たり前である。
しかし美鈴は「ごめんなさい。」という言葉一つすら頭に掠めずに、首のあたりを引っ掻いていた。
 
「あなたみたいな何を考えてるか分からない、あなたみたいに何をしでかすか分からない部下は、絶対に輝夜の傍に置いておけないわ。」
 
 
「あなたのお姫様の傍に置いておけなくても、私は美鈴を私の館の門前に置くだけよ。」
 
 咲夜に扉を開けられてレミリアが部屋に入る。レミリアは腕組みをしながら永琳と美鈴を交互に見る。
「仕事熱心なお医者様で従者ね。他所の家の使用人の教育にまで口を出すなんて。でも残念ね。こっちにはこっちのやり方があるし、あなたの言うことは正しいのかもしれないけど、あなたのこの屋敷についての理解は不十分過ぎるわ。」
 レミリアは後ろにいる咲夜に振り返る。
「咲夜は本当に完璧で優秀な子。だけどこの歳の人間にしては完璧過ぎるから心配になっちゃって、時々咲夜のペースを意地悪して崩したくなっちゃうわ。」
 咲夜は何も言わず礼をする。
レミリアは今度は美鈴の後ろに歩み寄り両肩に優しく手を掛けた。美鈴はレミリアの手に視線を向けたあと、瞬きをしながら後ろにいるレミリアを見ようとした。
「美鈴は大事な鉄砲玉。すこぶる強いけど目の前のことにすぐ夢中になって周りが見えなくなっちゃうことがあるの。」
 永琳はレミリアを一瞥して言う。
 
「差し出がましいことを言って失礼したわ。」
 
 そして美鈴に薬を手渡す。美鈴はどうもと言いながら会釈をする。自分に説教をしてきた相手に対しているにしては、それは気安くて無造作な仕草だった。
「化膿止めと痛み止めの薬を出しておくから。化膿止めは毎食後、痛み止めは頓服で飲むこと。妖怪だから指を切り落としても抜糸までに時間は掛からないと思う。だけど、なるべく右手は水に濡らさないこと。」
「美鈴はメイドじゃないから、用心するのはお風呂のときくらいね。」
 レミリアの言葉を他所に永琳は道具を全て鞄に仕舞い込む。
「咲夜。八意医師を永遠亭までお送りしなさい。」
 咲夜はレミリアに言われると永琳の傍に行き「お荷物お持ちしましょうか?」と尋ねてきた。永琳はそれを断って咲夜を伴って部屋から出た。
 永琳と咲夜の足音が聞こえなくなったところで、レミリアは美鈴に向かって口を開く。
「言いたい放題言われたわね。」
「はい……。少しは言い返そうとも思ったんですけど。私は学がありませんから。」
 レミリアが庇ってくれなかったら、永琳のパーフェクト従者教室はいつまでも続いていたのかもしれない。
「言い返さなくてもいいのよ。よそ者の言葉で本気で反省しないでね。反省なら私の目の前で指を切り落とした時にしたはずなんだから。あと、ああいう時は何も喋らず顔と身振りだけ神妙にして受け流すこと。ああいうオバサンは相手が何か喋る度に口答えと取ってエスカレートするんだから。」
「はい。今度から気を付けます。レミリアお嬢様。それで……」
「何?」
「妹様をまた外に連れ出すときはどうしましょうか?」
「ん? そうねえ。」
 美鈴の問いにレミリアは何故かあくどい笑みを浮かべる。
「連れ出さないことは前提だけど、まあ次の機会までに考えておくわ。それまでは勝手な外出をさせたりしたら駄目。美鈴。仕事に戻りなさい。」
 レミリアは美鈴を手招きして一緒に部屋を出る。廊下を歩いて階段に差し掛かったところで、思い出したようにレミリアは「あ」と声を漏らした。
「あと、抜糸するまではフランに会っちゃ駄目よ。折角の楽しい思い出に水を差すわけにはいかないんだから。」
 美鈴はわずかに目を丸くして立ちすくんだ。レミリアは首を傾げる。
「当たり前でしょ? 連れ出してくれた美鈴がお姉さまの罰で指を切り落としたなんて、そんな惨い後日談をあの子に教えられるわけないじゃない。」
「わかりました。」
 美鈴は再びへらへらと笑ってレミリアの命令を了承した。レミリアはくすっと笑って「当たり前じゃない。あなたはフランの従者でしょ。」と美鈴の胸を小突いた。
 美鈴は縫い合わせられた自分の右手を見た。指と手を繋いでいる糸が取れたらまたフランドールに会える。その日が楽しみだと単純に美鈴は思った。
 
  •   *   *
 
 紅魔館は主人が吸血鬼故に昼夜逆転営業である。咲夜はレミリアが寝ている間に屋敷の諸管理に追われている。
 門番で鉄砲玉の美鈴は暇人で、昼間に通りかかる周辺住民と交流するのが常だった。
そして今日も美鈴は魔理沙と門前に座って与太話をしていた。
「うわあ。私が家に帰ったあと、そうなってたのかよ。始末書じゃ済まなかったのかよ。」
 美鈴の右手首を握って魔理沙は糸で繋がれた指をじっくり観察していた。
「抜糸は長く掛かって二週間後だってさ。」
 口の軽い美鈴は目を覆いたくなるような右手を隠しもせず、簡単に回る口で魔理沙にことの顛末を話している。魔理沙は「うわあ」だの「ひゃあ」だの相槌代わりに声を出して驚いているような素振りを見せていた。
「五本ってレミリアもよく要求出来たもんだよな。」
「んー? 五本って指定はされなかったような。だけど、切る本数は多いに越したことないかなって。」
「なら十本いっちまえよ。」
「だって左手の指を切る右手の指がないんだからしょうがないさ。」
 魔理沙の悪趣味な冗談にさえも美鈴はへらへらと笑っている。魔理沙は美鈴の返答に閉口した。
「フランには暫く会えないのか。……踏んだり蹴ったりもいいとこだな。」
「指が治れば会えるから私は気にしてない。」
 門番妖怪は開き直りとも取れることを明るく言った。
「いや……踏んだり蹴ったりは、紅さんじゃなくて」
 魔理沙は口籠る。美鈴が首を傾げて眉間を掻いている姿を横目に魔理沙はぶつぶつと呟いている。
「言いたいことがあればはっきり言え。」
 魔理沙は美鈴の要求に答えない。
「他所ん家のことだし……今回は言わない。」
 そうかと言って美鈴は意味深な魔理沙の言葉を気にしないことにした。そしてまた軽い口を滑らせる。
「お嬢様はわざわざ永遠亭の永琳を呼んで、私の指を縫い合わせてくれたわけだけど」
「さっきすっごく怒られたって言ってたよな。」
 美鈴は空を見上げながら永琳とのことを思い出した。永琳のあの怒りようだったら、治療を途中で投げ出されてもおかしくなかった。美鈴は永琳にそのような態度を取られてもしょうがないと思うだけだ。
 何せ美鈴にとって自分の指というのは――。
「私の指。もし腐り落ちたとしても、また生えてきそうな気がするんだよね。……あいてっ。」
 魔理沙は美鈴の頭を叩いた。
「紅さん。医者ほど怒ると怖いもんはないんだぜ。紅さん治療中にそんなこと言ってるから、永琳に怒られるんだぜ。」
「治療中には言ってないよ。ただ昔を思い出したら、この指を繋ぎ合わさなくても良かったのかもって思っただけ。」
「昔?」
 魔理沙は怪訝そうな声音で語尾を上げた。そう、昔、と美鈴は魔理沙に言う。世間話のようにお手軽な話題として。
「私はこの館の使用人歴は実は短いんだ。人間の咲夜さんがそろそろ十年になるのに対して、私はまだ五年くらいしかここにいないんだ。」
「紅さん幾つだよ。そんななりでメディスンのような生後数年の妖怪なわけないだろ。」
 美鈴は湖の水平線を見据える。
「私は外の世界にいたんだ。」
 美鈴が思い出すのは過去のこと。外の世界の中国にまだ皇帝が幻想ならぬ現実に存在していた頃のことだった。
 広大な敷地の優雅な建物と庭園。それは全て皇帝の持ち物。そこに住まう人間も人間でありながら王の持ち物だった。
 妖怪である美鈴も皇帝の持ち物としてそこに長く住んでいた。
「そこの国の皇帝や権力者は誰の時代であろうが奥さんが多くて三千人くらいいて、奥さんたちを集めて生活させる場所に、私は妖怪の身でありながら彼女たちの世話係をしていた。」
 魔理沙は途方もない人数に息を飲んだ。
「三千人って……。幻想郷の人間の女を全員集めてやっとじゃないのか? 下は三歳から上は九十歳までとか。」
「ところが若い娘ばっかりだったよ。」
 それぞれの個性が失われてしまう勢いの美女たちの群れ。美鈴はそのひとりひとりの名前を覚えられるはずもない。ただ一部の不憫な「彼女」を除いて。
「うはうはだな。その男は。」
 魔理沙の率直な感想から美鈴はおぼろげな記憶が鮮明になる。魔理沙が口にした言葉こそ美鈴が「彼女」を鮮明に覚えられた理由に直結するからだ。
「うはうはだったと思うよ。だけど彼らは大抵、そのうはうはの大人数を持て余していた。」
 一日交代で可愛がるとしても十年近くたって、やっと一周するという人数だ。それに妖怪も人間も異性に対して好みというものがある。やはり一部の一握りにだけ、皇帝の愛が注がれてしまう構図は避けられない。
「初めての一回だけしか皇帝といちゃいちゃ出来なかった子なんてざらにいた。その一回で子ども……男の子が出来てたら幸運な方かな。」
 美鈴は人間の小娘にするべき話かどうかあまり迷わなかった。魔理沙は美鈴の話す異常な状況に目を逸らせなくなっている。
「皇帝にいまいち好かれなかったからって、彼女たちはじゃあ他所の男にしようか、なんて出来なかった。皇帝の名ばかりの妻として死ぬまで後宮にいることが運命づけられていた。」
「その代わりにある程度贅沢な生活は補償されてたんだろうな。だけどあまりいい話じゃないや。」
「そう。彼女たちはあまり幸せそうじゃなかった。」
 美鈴は遠い日に恋した不遇な娘たちとフランドールの姿を重ねていた。
「いつも綺麗な服を着て、美味しいものを食べて、暇つぶしに困らないくらいの本や音楽に恵まれていても、彼女たちは寂しかったんだ。彼女たちは皇帝の花嫁になるくらいだから、そりゃあ綺麗で可愛くて。だけど皇帝の好みとはちょっと食い違ったから夢見てた生活が実現しなくて。いつのまにか、ほんのちょっとの差で、他の女が皇帝に気に入られて子ども生んで幸せになっている。私はそんな彼女たちに惹かれて世話を焼いていたんだ。私は妖怪だけど女だから、私を気に入ってくれる娘も時々いた。私は彼女たちの慰みになれるのが嬉しかった。」
 魔理沙は美鈴の話を聞いて、話を聞いている分には「泣かせるな」と思った。しかし素直に共感して泣くには引っかかることがある。
「あのさ。それと指が腐っても大丈夫って話と繋がらないぜ。」
 美鈴はごめんと手を合わせる。
「前置きが長くなった。」
「前置きだって思ってないぜ。」
 美鈴は続きを話し始める。
「彼女たちの心の隙間は、ただの与太話じゃ埋められる程度の浅いものじゃなかったんだ。だけど私は学がないから。そんで流れでその娘にエッチなことして慰めるような関係になっちゃった。私としちゃあ、……あはは。」
「おいおい。健気な話だと思った私の内心の涙を返せ。」
「しょっちゅう着替えとか手伝って裸も見てるし、触れたらいいなあって考えてたら、その願いが叶っちゃったんだ。彼女も気持ちよさそうだったし。だけどほとんど相手にされてなかったとはいえ、彼女は皇帝の妻なんだ。どんな人妻よりも触れてはいけない存在だった。そんで罰を受けた。」
「やっぱり指を詰めろって?」
 美鈴はゆるゆると首を横に振った。
「数人がかりで押さえつけられて、歯を全部抜かれた。」
 魔理沙は愕然としてどんな顔をしていいか分からなかった。自分もチンピラみたいなものだから痛い目にはかなりあってきた方だが、まだ歯がしっかりくっついている歯茎がむずむずして仕方ない。
「すげえな。それ。」
「あの時は今回のように医者を呼んでくれなかった。だけどしっかりまた生えてきた。」
「サメかよ! つーか、紅さんの歯って実は乳歯だったんか!」
 魔理沙は重たい話の軽いところをやっと見つけてツッコミに成功した。そうでもしないと美鈴の普段二割増しの真面目な話に音を上げそうだった。
「だからねえ。また指が生えてくるんじゃないかって思ったのよ。」
「そうかそうか。既に外の世界で前科があったわけか。そんで、その娘は大丈夫だったのか? 妖怪のあんたがそんな目にあったなら、その娘だって無事じゃ済まないだろ。そいつが浮気したってことは事実なんだから。」
「いや。その娘は無事だった。」
 美鈴は穏やかな笑顔を魔理沙に見せつける。
「そのことは全部、私のせいになったから。」
「おい! ……どういうことだ?」
 魔理沙の激昂具合に首を傾げながら美鈴は答える。
「だから。私が彼女を襲って無理やりってことで収まった。」
「あーあー。そういうことか。あんたは妖怪だから責任を全て吹っかけてもいいって思われたんだな。」
 魔理沙は頭では理解しても止められない憤慨を持て余していた。
世の中はそういうことばかりだと知っていても、そういうことに阿ることで生きていく身だとしても、友人がそういうことの犠牲になっていたと聞かされて平然としていられるほど達観していなかった。
 美鈴が昇華してへらへら笑えるようになったことについて、魔理沙は共感の真似事をして怒るしか思いつかなかった。
 しかし美鈴の思い出話に、魔理沙が覚えたような怒りの色は見えない。それどころか、何か危ない薬で強制的に齎された恍惚感に酔っているようだった。
「私は思いがけない良い思いをしたからね。罰が当たったのさ。歯を抜かれるより辛かったことがある。その次の日から彼女のとこに訪ねても姿を見せてくれなかったし、口も利いて貰えなくなったしね。」
 魔理沙はまた嫌な現実を理解してしまった。全てを美鈴の責任にした女は、二度と美鈴と親しくしないことで、周囲に対して自分はあくまで責任がないことだと主張したのだろう。女は皇帝にこそ愛されなかったが、わずかな恩恵である後宮での恵まれた生活を守った。
「だけどね。魔理沙。私が訪ねる度に彼女の居室の前には一輪の赤い花がいつでも落ちてた。」
 魔理沙は背中が痒くて仕方がない。
 どうしてそう捻くれて、漫然としていたら気づかないような自己主張をするのだろうか。それだけでこの愚直な妖怪に許しを乞えるなんて世の中狂っていると魔理沙は悶えている。そして一番魔理沙を悶えさせているのは、人間のよくわからん気紛れに振り回されながらも、たった一輪の花に夢を見ていた妖怪だった。
「私としちゃあ、良かったとは思う。彼女の一生のほんの一部でしかないけど彼女の寂しさを解せて、いざとなったら庇えたんだから。だけど未練なのかな?」
 美鈴は後宮の娘とフランの姿を二重写しでだぶらせる。
美しくて。可愛くて。健気で純粋で。無防備な。一生閉じ込められる籠の鳥。
「可哀そうなフラン様が可愛くて仕方なかった。彼女と同じように。」
 魔理沙は一気に疲れたように脱力した。
「そこでフラン重ねるなよ。」
 魔理沙は立ち上がって「帰る」と一言言った。
「ん? 図書館には寄らないのか?」
「泥棒を招き入れるようなこと言うな。気が変わったんだよ。アリスんとこ行く。」
「あっそう。じゃあ。」
「またな。」
 
 魔理沙は数歩進んだところで美鈴に手を振った。美鈴は左手を振る。なんだかんだで右手は動かすと痛いらしい。
 
 魔理沙は今日は無性に歩きたかった。特に昼間農作業している人間が見えるあぜ道を。
「よっ。魔理沙ちゃん。」
「おー。精が出るな。」
 腰を屈めた娘が伸びをして魔理沙に声をかけた。
「箒で飛ばないなんて珍しい。どしたの?」
「いや。時々歩かないと自分が人間だって忘れそうだし。」
「ところでお父さんとは仲直りしないの?」
「するかよ、そんなもん。」
 折角お嬢様な生まれなのに勿体ないと娘はわざとらしく大声で言う。農民として生まれた女だからしょうがないと魔理沙はいつも受け流している。
「じゃあ、森近さんと結婚するの?」
「あいつの方から断られる気がする。私もあいつとそういうことになるつもりないし。さっき妖怪の友達から遠い国の不幸な結婚話も聞いたから、そういう気にしばらくはならないな。」
「実家にも頼らない、結婚もしないって。あんた本格的に魔女になるつもりもしばらくはなさそうだし。歳取ったらどうするの?」
 初心そうな見た目に反しておばさん臭いことを言う娘だった。地に足が着いた生活をしているからこそ、そういうことが言えるのかもしれない。
 魔理沙にとって幼馴染と言えるこの娘は、とっくの昔に睦みあう男が出来ていたことを魔理沙は思い出す。娘は魔理沙が言い返してくる前に自分から魔理沙に告げた。
「私もぼちぼち結婚するし。今魔法使いにならないなら、婚礼までに本当の意味の魔法使いにならないでよ。頭の固い親もいる手前、魔女にお祝いに来てもらうわけにはいかないんだから。」
「それは私が決める。そして私は祝いには行かない。婚礼のご馳走を食べに行くんだ。」
 まったくと娘は肩を竦める。魔理沙に対する悪意も善意も知ったことではないという態度だった。
またねと娘は手を振る。魔理沙に背を向けて作業のために腰を屈めた娘のスカートから覗く白い脹脛に魔理沙はにやける。くそうと娘の婿に嫉妬しながらあの白い脹脛より上の部分を見せてもらえる男は果報だなと思った。魔理沙は少し癒されていた。健全なスケベ心も補充出来たので馴染の可愛い魔女の顔が脳裏に浮かぶ。
 紅魔館だの永遠亭だの白玉楼だのの上流社会の連中や、その他妖怪やら世捨て人ばかりと交流を深めてばかりいると、普通の感覚を忘れてしまう。
魔理沙は妖怪の形成する世界が好きだが、長く居すぎると息が詰まる。それは妖怪の友達に告白はしないが、時々普通の人間みたいに地べたを歩いて、普通の人間と話をして、自分の中の普通の人間の部分を補ってしまう。
「だから私は魔法使いになれないのか。」
 面倒な性分だと自分に辟易しながら、足は自然とアリスの家に向かっていた。
 
 
 足元が泥だらけの娘は川で足を洗おうとした。川に足を付けたところで動きが止まる。
 小高い丘の上にローブを身にまとった、自分とは似ても似つかない金髪の青い目の、自分の婿より遥かに背の高い男たちが座っていた。
 男たちはどこともなく指を差して談笑しているように見える。その中の一人が娘に気が付いて川辺に降りてきた。
 娘はひっと小さな悲鳴を上げ川の中を後ずさる。金髪の人間なんて魔理沙くらいしか知らないし、その魔理沙だって妖怪の側に少し片足を突っ込んでいる。寧ろ金髪なんて妖怪のほうが多いくらいだ。
 男は娘の怯えた反応に困りながら遠慮がちな笑顔を作った。
「お嬢サン。町へ行くニハどうすればいいのデスか?」
 耳に違和感を覚える日本語だった。娘は男のおどおどとした態度に気が抜けたように返す。
「町って? 里のことですか? それならここからもう少し北のほうです。」
「アリガトウ。ワタシたちここ来ルノ初めてダカラ。」
 娘はもしかしてこの男たちは迷って幻想入りしてしまったのかと心配になる。見知らぬ他人だが、幻想郷にいるが外の世界にはいない妖怪を知らない男達が食われてしまうのは忍びない。
「あのっ。ここって妖怪がいて、人間を食べたりするんです。里は結構すぐにありますから、里に着いたらすぐに里の人に博麗神社まで案内してもらって、そこにいる巫女さんを頼ってください。」
 娘の心配そうな声に男は微笑みを見せると、男は娘の頭を撫でた。
「アナタ優しいデスね。いざとナレバ博麗神社。覚えておきマス。」
「いざとかそんなんじゃなくて、里に着いたらすぐですってば!」
 娘の危惧を他所に男は仲間のもとに戻っていく。男は登っていく途中でこけた。それを仲間たちが笑っている。
「町はここからすぐ北だそうだ。」
 男は片言な日本語から西洋の自分の国の言葉に切り替えた。
「北は……ああ。あの水田に囲まれたとこか。」
「夕方を待たずに行けそうだが、道を尋ねたあの子の様子からして、幻想郷は外来の人間に慣れてなさそうだ。宿という物があるか、ちと不安だな。」
「まあ、人里も娘が教えた一か所とは限らないし。」
 男たちはトランクを引きずりながら丘を降りて行く。ところが先頭にいた男が倒れて、そこからドミノ倒しのように規則正しく男たちはこけていった。
 


「とうほうりんりんあいらくたん」と読みます。美鈴と永琳主体です。後編に続く。

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☆ss「why or why not」後編R18 燐雪

「兄さんなんなんだいっ。」
 塾を終えて職員室から出てきたところで雪男は兄に手首を掴まれ拉致された。
「いやあ。お前に見せたいものがあるんだよ。」
 兄はきょきょきょと笑いながら鍵を使って旧寮へ足早に駆け込む。手を繋いで階段を上がり廊下を進む。燐が足を止め部屋のドアを開けようとした。
「そこは空き部屋だろ。六○一号室だ。間違ってるよ。」
「ここでいいの。」
 燐はへへへと笑ってドアノブを回し、ドアを開け電気をつけ雪男に部屋の内部を示す。
「なんじゃあこりゃあ!」
 部屋のど真ん中にあったのは、天蓋つきのキングサイズのダブルベッドだった。白いシーツやレースの装飾は、なんだか新婚さん仕様で、用意した人物の皮肉が込められているようだった。何処からともなく芳しい花のパフュームが香る。
「お前があのせまっくるしいベッドじゃ、セックスする度に痣とか作るから。」
「僕のために……。」
 雪男は言葉を詰まらせる。燐はそんな雪男を見て、嬉しそうに雪男の横に立った。いきなり腕が伸びてきて燐の尖った耳を掴む。
「いてえ! いてえよ!」
「で? 誰に用意して貰ったんだこれ? 言ってみろよ糞兄貴。」
 弟のドスの利いた声に怯えながら燐は気まずそうに答える。
「め、メフィストに交渉しました。」
「そうだろうね。この趣味は明らかにフェレス卿の嫌味だろうね。」
 雪男は額を押さえて細く長く溜息を吐く。その手の甲にはつい最近出来たであろう青い痣が痛々しく残っていた。
「うん。僕の体格がアレだからね。それに僕は最中に結構わけわからなくなるっぽいから。知らないうちに何処やかしこをぶつけてるよ。朝になってかなり痛かったりして、またやらかしたと思うこともあったよ。そんな痛みが気にならないくらい、最中にどんだけ自分が夢中なのか我ながら呆れるよ。」
「そうだろう。お前、痣見ながら溜息ついてたから、すごく辛いのかなって思ってた。」
「それは自分自身に対する自嘲だよ。まさかそんなことを兄さんに気にされてて、それをフェレス卿に相談するとは思わなかった。兄さんのことだから、馬鹿正直に僕らのことを喋っただろうし。……どうしようもないな。」
 雪男が推理したのは今日の事実そのものだった。
「だ、だからさ。こんくらい大きなベッドだったら雪男どこもぶつけないじゃん。やってる時にでんぐり返ししたり、足を上げるのも楽そうだし。」
「兄さんも頭ぶつけないでいいよね。」
 雪男はベッドに腰掛けてみる。スプリングの利いたベッドのシーツはひたすら白く、何の用途で用意されたか露知らずといった風情だった。
「馬鹿か……」
 本当に愚直な兄だった。道徳や倫理に背いた心の痛みや快楽より、目の前の弟の怪我に目が行くなんて。 それに対して誠実に答えてしまう上級悪魔も、やはりお人好しとしか言いようが無い。雪男自身でも心の片隅では、畜生のような行為を兄としているんだという感覚がなくもなかった。陰惨な自分の痣を見るたびに、兄に良い様にされたらしいという事実に心震えた。兄との行為の副産物はほぼ全て、そんな隠微な悦びを引き出すものになりつつある。まるで悪魔の心のように。
 しかし目の前の白いベッドは御伽噺に出てくるものみたいで、まるで自分たちのことを言祝いでいるようだった。あの悪魔なりのアイロニーを込めた祝福の仕方なのかもしれない。少なくともこの地上に一人だけでも、この歪んだ恋を認めてくれた存在がいてくれたことに、雪男はその当人に対し静かに口の端だけ上げて笑ってみせた。
「兄さん。フェレス卿はなんて言ってた?」
「幸せならいいんじゃないですかって。」
「あ。そう。」
 雪男は傍らに立っている兄を引き寄せてイタズラっぽく顔を摺り寄せる。
「で? 兄さん。今日からこのベッドって使うつもり?」
 燐はどうしようかと小声で言っている。
「おとついしたばっかだよな。」
「そうだね。二回目だったよね。」
 二人は無言になる。先に口を挟んだのは雪男だった。
「僕たちってまだ何度目って数えられるしかしてないよね?」
「一週間だったら、そんなもんじゃね?」
 燐はなんとなしに部屋を出ようかと腰を浮かせている。メフィストに頼んだものが即日で来たことに十分に驚かされているのに、その来たばかりのベッドで早速というのも気が引ける話だった。しかもまだ学校から帰ってきて間もない。ここでは雪男にベッドのお披露目だけのつもりだった。だから、燐はこのあとは普段どおりに夕食を食べて風呂に入って、そこからどうするかというモチベーションだった。
「そんなもん、で済まさないでよ。」
 兄の明後日な方向の気遣いを野暮だとは思いながらも、その裏に隠れてしまっている自分を思いやる心は素直に嬉しい。だからこそ、その思いやりの結果が早く欲しい雪男だった。
「本当に痣一つ作らずにやれるか、試してみようよ。今。すぐ。」
「え! 今すぐ?」
 即物的な要求に燐は頭がついていってないようだった。ならば身体に訴えればいいというばかりに、雪男はベルトに手を掛け、素早く燐のズボンと下着を半分下ろした。
「雪男……。」
「兄さんがその気になるように先に口でしてあげるよ。」
 身じろぎしながら逃げようとする兄。しかし雪男はそんな兄を無理やりベッドに押し倒した。間髪いれずに足も抱えてベッドに転がす。反対側に逃げようとした兄だが、その退路を雪男は腕を伸ばして阻止した。手をベッドについて身体の下に兄を閉じ込め見下ろしてみる。
「いつも無理やりでごめんね。兄さん。」
「いや無理やりなんて思ってねえけど。」
「そうだよね。兄さんは遠慮してるだけだよねえ。」
 まだ行為に慣れていない兄は、雪男の身体に負担を掛けたくなくて、そんな野暮な理由で回避しようとばかりする。そんなところばかり理性的なのが雪男には歯痒い。二日前も雪男が半ば強引に迫ったようなものだ。雪男にとっては、兄に抱かれたあとの身体の気だるさや疲れすら愛おしいのに。それを子守唄のように求めてやまないのに。
「兄さんには骨身に染みて分かって貰いたいんだよ。僕が兄さんにして欲しいこと。」
「なにを?」
 雪男はにんまりと兄に婀娜っぽく微笑んでみせる。
 
「もっと滅茶苦茶にして。今までより容赦ないくらい。」
 
 燐の瞳孔が開いて全身が固まっている。
そんな男側にばかり都合のいいシチュエーションはあるわけがないと。そんなものはエロ本の中でしか有り得ないと。
雪男は中途半端な口だけ発言だと受け止められたのだと思い、自分のコートのボタンを外し始める。扇情的に兄に見せ付けるように。次第に肌を晒していく。
「ねえ? 兄さんも脱がしていい?」
 燐はなんて答えたらいいか分からない。しかし兄の下半身は確実に雪男の序の口な挑発に乗せられて煽られているのを雪男はそれとなく気づいて心の中で嗤った。
雪男の指がくすぐるように燐の首筋を辿り、ネクタイを緩めて解く。そして燐の顔にキスしながらワイシャツのボタンを外していった。
「雪男だめだ。そんなエロい脱がせかたしたら、俺は……。」
 燐が雪男の指を絡ませて抵抗を試みているが、その声は掠れている。
「少しは慣れようよ。セックスっていうのはそういう行為なんだよ。」
「二回しかしてねえのに、そんなん分かるかよ。」
 雪男は、そういう燐の口とは反対に既に理解の範疇を超えている足の間のモノを見て、微笑ましくなる。
「なあ雪男。俺ほんとに駄目だから。」
「何が駄目なの? こんなベッドまで用意しといて。今更僕のこと抱けないって言うの?」
 雪男は息を荒げている。火照った頬や高ぶった感情が、緑がかった青い瞳を潤ませて、生理的な涙が目じりに滲む。雪男はそれを指先で拭った。
「雪男お前泣いてっ……るのか?」
 仔細なところに反応する兄だと雪男は思った。だがこれは利用できるかもしれないとも考えた。
兄が肩を抱いてくる。取り乱しているように見える自分を宥めようとしているのだろう。本当に馬鹿な兄だ。この涙にはそんなしおらしい意味はまるで無いのに。
「ごめん。そんなつもりでお前にベッド見せたわけじゃねえんだ。でも考えてみりゃ俺の下心っぽいよな。露骨過ぎるよな。誤解させてごめん。」
 雪男は手で顔を覆って兄の罪悪感を惹く。
「そう言えば、僕がこの場で兄さんと一緒にこの部屋を引き上げるとでも思ってるの?」
 ぐすっと雪男は鼻を啜る。
「さっきも言ったじゃない。僕のこと滅茶苦茶にしてって……。兄さんこそ僕をどんだけ誤解してるんだよ。そんなつもりないってどういうことだよ。そっちのほうが理不尽だよ。そうだよね。兄さんは僕が二回目に誘った時も、なんだか嫌々っぽく見えて悲しかった。僕がどっかぶつける度に、そっちの方にばっかり気が行ってたみたいだし。途中で止まられたり、変に僕のこと窺うように見たりして、どんだけ僕が焦らされたんだか。それなのに兄さんは――。」
「しょうがねえじゃねえか! お前色白いから痣とか目立つんだよー。」
「だからってそっちばっかりに意識を散漫にしないでよ……。僕の傷なんかじゃなくて、僕のことちゃんと見てよ。」
「いや。俺の性分からしてそれ無理!」
 意外と兄は強敵だった。雪男は「わあ!」とここぞとばかりに泣き崩れる。
「兄さんの馬鹿! かっこ悪いこと堂々と言うなっ。」
「なあ雪男。いい子だからとりあえず、服着ようぜ。」
 燐は雪男の脱ぎ捨てたコートに手を伸ばす。雪男もそれに手を伸ばして兄と引っ張り合いになる。
「いやだ。」
「なに意地になってるんだよ。」
「意地にもなるよ。」
 泣き脅し作戦はなんとなく失敗に終わりそうだ。あのままお色気路線を貫いたほうが余程マシな結果が望めそうなくらいに。泣き脅しはどうも、小さい頃の力関係の再現になってしまって兄の土俵になり易くなるらしい。
「ねえ。どうしても駄目なの?」
「駄目ってわけじゃねえけど。今はここにアレとアレが無いだろ。このままなだれこんだら、なあ……?」
 雪男は「ああ」と思い当たった。回数を重ねていない自分たちはまだ、潤滑剤的なものの助けがないと、挿入時の時は特に心許ない。雪男が兄を鬼気迫る様子で掻き口説いているときでさえも、兄はそんな心配ばかりをしていたらしい。
「俺もベッドが来たからって舞い上がってたけど。お前だって迂闊だろ。それを言おうとするごとにお前が急かしてくるし。」
 雪男は頭の中が真っ白になりそうだった。そんな初歩的ミスを自分がしてしまうとは思わなかった。
だけどここで隣の部屋まで行ってくるというのも、気持ち的には屈辱的だった。それに今回も消極的な兄のことだから、雪男のいない間に服を元通りに着直して、一旦インターバルを取る方向に転換するつもりだろう。
 以上をもって、この部屋から出てはいけないという前提が打ち出される。しかし兄のネックとなっている、必要条件である雪男の身の安全というか、潤滑剤入手は――。
「いや。兄さん。僕多少切れたって大丈夫だから。切れた時の血の滑りでどうにかなるかも。」
「おいおいおいおい! 痣でも気になるのに、血なんか出た日にゃあ俺は、一生禁欲するくらいの覚悟しちまうよ!」
 雪男は冷静さを欠き、思わずやけくそのようなことを口走ってしまった。当然、兄の態度が余計に頑強になるに決まっている。
「今日はちょっと落ち着こうぜ。マジでお前らしくねえ。」
 雪男はきっと兄を睨みつける。
『血ぐらいで怖気づきやがって。てめえは僕の何倍もいままで出血してるじゃねえか。』
 幾ら傷の治りが早いと言っても、毎回そんな出血大サービスを見せられるこっちの身にもなれと思う。しかし兄は自分のことにはまるで無頓着だ。これを引き合いに出しても意味がない。俺は悪魔だから大丈夫、お前は違うと返されるのが関の山だ。
「な。雪男。」
 燐が雪男の頭を撫でて落ち着かせようとしている。弟を宥める兄貴面の兄に、雪男はますます頑固になる。
「やだ。」
「いつもは俺を窘めてくれる雪男だったら、自分が何言ってるか分かってるよな?」
「でもやだ。今すぐ抱いて欲しいもん。」
 燐はほとほと困り果ててしまった。雪男の言っていることは、どう考えてもワガママだ。しかもかなり自分が後押ししてしまった感じの。
 もっと違う状況なら、好きな子にワガママを言われて強請られたら何でも叶えてやりたくなる。でも今そんなことをすれば、確実に雪男の言うように血を見る他なくなる。
「僕はちゃんと傷薬だって持ってるし。後でちゃんと手当てすれば済むことだろ。」
 そんな言葉を素直に受け取れたら、どれだけ楽だろうか。もうこうなってしまえば弟を気遣うというより、いかにこの場を回避しようと逃げているような気がする。
『いや俺は、実践派だったはずだろ。』
 実践か、と燐は深く息を吐く。
「いいぜ。抱いてやるよ。」
「え。ほんと。」
 ただし、と燐は付け加える。赤面しながら。
 
「お前の後ろを……俺に舐めさせろよ。」
 
 雪男は誰もいやしない周囲を見回しながら動揺している。
「いやいやいやいやいや。いや。いやいや。何言ってるの! 兄さんがそこまでする必要は。僕が、僕が……我慢すればいいだけの」
「駄目だ。ちゃんと舐めて、湿らせて、ほぐしてやるから。俺は雪男が我慢するのが、我慢ならないんだ。」
「でも恥ずかしいじゃないか!」
 燐は吼える。
「恥ずかしいのがなんだよ! セックスはそういうのだって、言ってたのはお前だろ! 痛いのを我慢するのと、恥ずかしいのを我慢するのは同じようなもんだ!」
 雪男はぐっと押し黙る。そしてわざとらしい笑顔を見せながら提案する。
「じゃあこうしよう。僕が兄さんのアレを口でして。そのあとなら。」
「お前のことだから、俺の余裕を無くさせてうやむやにするつもりだろう。恥ずかしいのを回避するつもりだろう。」
 燐は雪男の腕を掴む。
「やめて! 兄さん!」
 燐はかつて雪男が言ったことを復唱する。
「容赦なく、滅茶苦茶にして。そう言ったのはお前だったよ?」
「い…、いやっ……。」
 兄の馬鹿力で身体をひっくり返され尻を上げた状態でうつ伏せにさせられる。広いベッドで前に逃げようとしたが、ズボンと下着を一緒に引き下ろされ、腰を強く掴まれてしまった。
「やだ。兄さんっ。ごめん……。許して……。」
「駄目。許さん。」
 雪男の今までの態度への報復というよりは、多分、逃げる雪男に興奮して、まるで肉食獣が子羊を蹂躙するような兄の悪魔の本能を煽り立てているのだろうか。
「いや! 兄さんっ。う……うぅ……。」
 雪男の途切れ途切れの訴えなどもう聞こえないとばかりに、湿った感触が雪男の後孔に触れる。
「……あ……ああ……」
 触れるというような生易しい感触じゃない。周りを舐められ、その後には突きたてられるように尖がらせた舌先で、雪男の閉じた秘部をこじ開けるようにほぐされてしまう。その動きの一つ一つが雪男の羞恥を掻き立てるのに、殊更にその羞恥を煽るのは。
「や……あ…。兄さん……そこ……。」
 拒否しているのか、甘えておねだりしているか区別が付かない自分自身の声。しかし時折我に帰って兄の腕から逃げ出そうと雪男は試みたが、そうすると兄は、前に回した片手で雪男のペニスに触れ、陰嚢を揉みしだいてそんな抵抗を封じてしまう。
「気持ちいい?」
 舌を引き抜かれて問われると、雪男は背中を震わせた。
「ひどいよ…。兄さん。僕が嫌がってるのに。」
「あー……。それはすまん。」
「もういいんじゃないの! 十分舐めたろ?」
「いや。まだだ。」
 雪男はそれに呻き声で抗議するが、何故かこれ以上強く言えない。何せ自分が容赦しないで良いと言ったし、滅茶苦茶にしてとも言った。
兄は何一つ、弟の究極的な所でのお願いに反故していない。それどころか、命一杯それを実践している。
 燐は粘着質に執拗に雪男の後ろを舌で犯している。自分が納得するまでこの行為を続けるつもりらしい。
「ひんっ……。もういいだろっ。……あんた僕を、おかしくするつもりだろっ……。」
 初めての時から淡い自覚はあったのだが、どうやら本格的に自分は後ろを責められるのが弱いらしい。それを決定的に、誰よりも好きな兄に、自覚させられている現実に耐えられそうにない。
「だって雪男を気持ちよくさせてあげたって思えたの、これが初めてなんだもん。」
 そんな奉仕の精神は要らないと雪男は叫びたい。好きな人にだからこそ、そんなはしたないことこの上ない性感帯に気づかれたくなかった。そんな矛盾した心理を兄はちっとも認めてくれない。相変わらず無邪気に弟を攻めている。弟の望んだように。弟の気も知らずに。
このまま限界が来るまで甚振るつもりかと睨みつけようにも、姿勢からして兄と目が合いようがない。だから声で訴えてみる
「もう変になる……。変に、なっちゃうから……。」
「いや。俺よりお前はもつはずだから。」
 燐はしれっと薄情なことを口にする。
「いちいち、僕の言葉に舌抜いて反応しないでっ。というか、返事しないで! それ……苦手なんだから……。」
「わかった。気をつけるわ。」
 燐はいつまで経っても雪男の望むものは与えてくれない。
まだ雪男のその部分の状態に納得がいってないのだろうか。それとも弟を良いように喘がせる快感に目覚めてしまって、その行為に夢中になっているのだろうか。
燐の甘くて惨い仕打ちに散々泣かされたあと、もう恥ずかしさやら抵抗しようという気がなくなって、雪男は虚脱状態に陥った。
「兄…さん……。」
「これくらいかな。」
 雪男の身体がまたひっくり返される。雪男の視界がうっすらと暗くなって、目の前に兄の顔がある。
「やっと柔らかくなったから。」
「え?」
 次の瞬間、初めての時のように何の前触れもなく兄は押し入ってきた。今度は「いくぞ」という言葉掛けすらなかった。ずっとあの恥ずかしさが継続されるものかと思っていた雪男は、その言葉の意味を悟ったころには、やはり性急で間の無い兄の行為に悲鳴をあげていた。
「あ。……や!」
 兄が丹念にほぐしたそこは、兄の熱いモノをなんなく受け入れて感じ始めている。
「雪男。」
「兄……さ…。あうっ。」
 さっきまでの甘い前戯も雪男には堪らなかったが、やはりこの快感には程遠い。それを自覚するのが尚更羞恥と敗北感を募らせる。
「良かった。気持ちよさそうだ。」
 自分の仕事ぶりに満足してなのか、弟のとろけた表情に心底嬉しそうな顔をしている兄がいる。本当に。場違いなくらいに慈しむような微笑ましい表情だった。
 
     *   *   *
 
「…………。」
 雪男は終わってからずっと、一時間近く、布団を頭から被って、ごろごろと寝返りを打っていた。
 兄は今頃遅い夕食を作っているのだろう。自分としては、さっさと起き上がって部屋にいくなり食堂に行くのが身のためなのに、雪男は何故かそれが出来ない。恥ずかしくて部屋から出られなくなっている。
 兄とメフィストの心づくしのベッドのお陰で、今日はどこも痛まない。そして疲れた身体を包み込むのに、これ以上ないくらいの柔らかい寝床だった。
 背徳的な感情やら、陰惨なものが一気に浄化される。こんなのは無いだろうと雪男は煩悶する。こんなんじゃないはずだと。今がここまでご都合主義だと、後からしっぺ返しを食らうに違いないと。必死に都合の悪い想像を掻き立てている。そうしないと今の幸せ状態に釣り合わないと言わんばかりだった。
「兄さんがそんなこと考えないんだから。僕が考えてあげないと。」
 真逆な兄弟だから均衡が保たれるんだと雪男は信じている。兄とまるで逆な自分だから兄を守れるんだと言い聞かせる。必死に目の前の幸せを見ない振りして。
 
 いきなり六○一号室のドアの開く音がする。
「お食事ですよ。お姫さま!」
 雪男はその台詞にかちんとくる。兄が自分の知らないところで、別の誰かを確実にそういうふうに呼んでいる気がしたからだ。
燐はというと、そんな雪男の気も知らずにどこから調達してきたのか分からないが、簡素なワゴンに食事の食器を並べてほくほくしている。
「いやあ。このベッドでお前と寝て、朝には寝たままここで朝飯を食べようかと思ってたんだけど。ちょっと予定が狂って晩飯になっちまったよ。」
「どこの欧米人だよ!」
 雪男は兄の満足げな声に腹が立って飛び起きる。燐はワゴンをベッドに近づける。雪男の目の前にちょうど料理が来るように。ワゴンだと思っていたのは、実はベッドテーブルだった。
「それじゃ。いただきます。」
「いただきます。」
 雪男は兄と目線を逸らしたまま、もそもそと料理を口に運ぶ。
 幸せならいいじゃないかと悪魔は言ったらしいが、本当にセックスしたあと美味しいご飯を食べるというのは、幸せなことに違いないだろう。しかしその幸せ感がこそばゆくて不安になる。
「雪男ぉ。」
 兄が間延びしたように弟を呼ぶ。
「なに?」
「俺は。お前がセックスに対してがっつく気持ちも分からなくはないぜ。でも俺はお前とこうしているだけで、本当に幸せだから。」
 雪男はそうだねと気のない返事を返す。でも、それが嬉しいのは真実だ。兄には絶対に悟られたくはないけれど。
 兄は自分の料理に「うん。美味しい。」と納得している様子だ。美味しい料理を作るのも弟に究極的に恥ずかしい行為を強要するのも、まったく同じ感覚なのだから始末におけない。でもそれが兄なのだから。
「あーもう。僕が馬鹿みたいじゃないか。」
 本当に自分は一度落ち着いてものを考える必要あると、雪男は溜息と同時に自覚した。







はいR18です。良い子は見てませんよね? ほんとに見ちゃだめだからね。前編までなら見てもいいからね。

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イラストアップ(画像クリックで見れます。)

伏尊伏尊。pop用イラスト使いまわし。でもカラーです。

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☆ss『Euphoric Field』 ろじ久 甘め


『好きなんです。』
 これはどういった意味の言葉なんだろう。
明け方まだ目覚めない隣の男を横目で見ながら、久作はその男に背中を向けられなかった。
 好きの意味は勿論わかってる。好意を持っているとか、特別だから言葉にしているのだとか、恋愛感情を抱いているとか、そんな行間もきちんと読める。でも具体的に相手が自分をどうしたいのかは、相手の出方が分からないと、本当の相手の真意は読めない。
しかし久作は、その短い言葉に絆されてしまった自分を認めている。
 両思いになってから、三郎次と自分の間で変わったことと言えば、朝と夜に顔の間近で「好きです。久作さん。」と言われるのが恒例になったことくらいだ。まあその前は、能勢とか久作とか同い年の同級生らしい無難な呼び方だったのが、この朝夜の挨拶だけは変にこいつは畏まる。
 原因はたぶん、漁村育ち故の純朴さもあると思う。あと久作が時々きれるときの、豹変振りのせいで日常的に宥めたり鎮めたりしていなければならないという脅迫観念もあるかもしれない。他に思い当たる節と言えば、勉強が出来て、図書委員の名に恥じることない知識を多く持つ久作に対して、実技寄りな三郎次なりの尊敬の思いもあるのだろう。
「いや。ちがう……。そうじゃない。」
 今まで頭の中で構築した自分の考えを、積み木崩しのようにあっさりと崩壊させる。
 うっかりと声に出してしまったせいで、三郎次が眠たそうに瞼を擦りながら目を開けようとしていた。
「……しまった。」
 久作は慌てて三郎次の身体を布団の上からぽんぽんと叩いて、再び寝付かせようとしたが、赤子ではないのだから一度目が覚めた三郎次は、そのまま焦る久作の目の前で身体を起こそうとしている。
 完全に起き上がってしまえば、また朝一番のあの台詞を聞くことになる。でも久作が三郎次を止めることは出来なかった。
「おはよう、久作さん。」
 久作は慌てて布団を頭に被ろうとしたが、それでその優しげな声が遮られることはない。
「久作さん。起きてるなら布団なんか被ってちゃ駄目だろ。」
「わ、わかってるよ。」
 潔く諦めて久作も上半身を起こす。三郎次は既に布団の外に出ていた。そして久作が同じように寝間から出てくるのを待っている。
上のほうから三郎次が自分を見ているだろう視線を感じる。
「さ……先に顔を洗ってきたら? 僕はあとから行くから。」
 なんで? 三郎次の声が降ってくる。
「別に……」
「なら一緒に行けばいいじゃん。」
 ね? というように目の前に見慣れた手が差し出される。その手を取らない限り、たぶん何刻でもこの男は、そのまま手を差し出し続けているに違いない。
 久作はその手に縋ることなく黙って立ち上がった。ようやくまともに三郎次の顔を見る。手を取って貰えなくてがっかりした様子はない。普通に久作が目の前にいることを嬉しがっている、そんな笑顔だ。
 そして、いつものように、お互いの足の指の先がくっつく距離で対峙する。今日もまた、久作は言われてしまうのだった。
 
「好きなんです。久作さん。」
 
 

オフに載せたろじ久です。カカア天下なカップルです。

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☆ss「モザイクロール」色の授業「授業編②」留文と高坂受

厳重注意。かなり下品な表現が出てきます。高坂さんが模型であーんなことやこーんなことをする描写とか。
肝心の留文は青臭い話をしているだけです。





次の講師はタソガレドキ忍者隊が誇る美丈夫・高坂陣内左衛門だった。高坂が来たのだから伊作目当てに雑渡もついて来るはずだと皆が思ったが、今回は意外なことに雑渡の姿は無かった。皆の心を代弁するように高坂は低い声で言う。
「皆さん。あからさまに予想を外されたとかお思いでしょう。というか、安堵したような顔をなさってますね。」
 高坂は溜息をつく。日頃は忍装束に隠されている花のかんばせが一瞬曇る様子は、風に吹かれてそれを耐える花の揺らめきだった。高坂の完璧で瀟洒な容姿と、色の授業というこれから話す内容に、興味を持たない者は無いだろう。
「実際の体験談は前の講師の白目君がしてくれたから――。私としては実際に私の身体で、行為自体を学んでもらいましょうか?」
 そういうと高坂はおもむろに着ていた私服を脱ぎ始め、一糸纏わぬ身体を六年生達の前に晒した。誰もが唐突な展開に息を呑んだ。どうせ忍術学園のことだから今度の講義も、体のいい逃げに走るかと思いきや、今は六年生のほうが逃げ腰になりそうになっている。
 特に文次郎はこんな生々しい実演があるとは思わなかったので、すっかり油断していた。そして自身の性格の潔癖さから、高坂から目を逸らしたくてたまらなくなり、何かに託けて(尿意とか)この場を出て行こうか出て行くまいか本気で迷った。
『前回のドクササコ忍者の体験談が結構身近な感じで、共感はしなかったけど、聞いてられない話じゃなかった。それだけに、今日のこの実演は思わぬ伏兵じゃないか。』
 油断させておいて、そのあと思いも寄らない展開に持ってくるところが、流石は忍術学園だった。
「それで――。どなたかと実際に行為を行って皆さんに見て貰えば良いのですが、今日の講義は私に一任すると言われてこの場に、学園関係の教員の方はいらっしゃいません。しかし君達はいかんせん学生ですので。こんなこともあろうかと、持参した模型でここはやりたいと思います。」
 高坂は側にあった包みを開くと、六年生達の目の前にそれをどんっと突き出した。
「今回の実習の為に作りました。色の授業用模型の金さん一号です。ほら、ここらへんなんかリアルでしょう。」
 高坂が示したものは、明らかに誰かをモデルにしたような個性的なナニの模型だった。リアルなそのフォルムを見て居た堪れなくなっているのは、文次郎だけじゃない。他の生徒もそれは金さんじゃなく棒さんだし、模型というより張り方とかおもちゃとか言ったほうが正しいんじゃないかと、こそこそと話し始めている。
 しかし高坂は気にしない。まるでヌードモデルの裸はエロじゃないとばかりにその目は据わっていた。
 文次郎は不自然にならない程度に下を向く。すると隣の留三郎からちゃんと見とけよと小声で言われ、メモを示された。
『やっぱり、見るのも駄目なの?』
 そのメモには留三郎の筆跡で走り書きがされていた。文次郎は小声で答える。
「お前は平気だってのか? こういうの見るの、初めての癖に。」
 すると留三郎も小声で答える。
「平気なわけじゃないけど。駄目だぞ。文次郎。高坂さんは真面目に俺達の為にやってくれてるんだから、恥ずかしくても、きちんと見ないと。お前はそういう礼儀に対しては、厳しい奴だっただろう?」
 そう言われれば、文次郎は顔を上げるしかない。
「これでいいのか。」
「そうだ。偉いぞ文次郎。」
 なんかカチンとくるが、留三郎のほうに理屈はあるので文次郎は言い返さない。しかし目の前数メートルのところで繰り広げられる光景は、あまりにも刺激が強すぎる。
「ここで実演しているのは私ですが、頭の中で私を自分だとシミュレーションしてみて下さい。じゃないと加減だとかが分かりませんよ。」
 自分自身だと思ってみろ言われると、文次郎はまたそこから目を背けたくなった。しかし、留三郎は肩に手を回した文次郎の顎を無理やり前方に向けさせる。
「おい。留三郎。」
「クールになれ文次郎。お前が金さんと合体してると思う必要はないんだよ。」
「だって高坂さんがそう言ったじゃないかっ。」
 目の前で既に高坂は金さんと合体している。
「高坂さんを自分だと思うなら、金さんも自分にとってイメージしやすい対象に摩り替えればいいじゃないか。」
「イメージしやすい対象って?」
「みなまで言わせるなよ。ていうか、言っちゃうけど。俺がいるじゃないか。」
「え? お前!」
「なんでそこで驚くんだよ。俺がオンリーで唯一で無二だよ。付き合ってるじゃないか。俺達は。」
 文次郎はしばし考える。そして結論を口にする。
「あ。俺やっぱり金さんでいいや。」
 留三郎はなんだか悲しくなった。だから言い返す。
「それって照れじゃなくて本気で言ってるわけ? 本気だったら俺悲しいよ。」
「いや。俺は生身の人間でイメージするより、模型の金さんでいいから。」
「お前初めてもまだなのに、そんな不純なこと言っていいの?」
「これは講義なんだろ? 実際にやってるわけじゃないし。」
 留三郎はぼそりと呟く。
「お前はそんなにエッチに対して抵抗あるの?」
 改めて訊かれると、文次郎は言葉に詰まる。そのものずばりで抵抗があるからだ。だけど留三郎のしょげた顔を見ると、それを正直に言うことが躊躇われた。
 文次郎だって付き合って数ヶ月経つのに、留三郎と進展がないことを気にしなかったわけじゃない。気にしていた癖に、留三郎が気長に待ってくれている様子に、現状に満足していたことは確かだった。留三郎が我慢しているだろうと想像出来た癖に、自分からは一向にそれに触れようとしなかった。
「え、えーと。金さんお前のナニに似てないし。そんな奴をお前だって思いにくいから、想像はしたくなかったんだよ。」
 文次郎は言い訳がましく、しかし留三郎を立てるかのような口ぶりで言った。
 今までの自分を良いとも思わないが、文次郎もあっさりとは自分の今までを変える気はなかった。とりあえず、今日のところは逃げの一手に徹することにした。たぶん今は高坂と金さんが作り出す非日常空間に、精神が引きずられているだけだ。そういうふうに冷静に考えることにした。
それもやはり留三郎の感情を置き去りにしていることを、文次郎は薄々分かっていたが、どうしようもなかった。今はこの状況をやり過ごすことだけ考えたかった。
「でも、文次郎――。」
 文次郎が留三郎の感情を一旦置き去りにしようとしても、留三郎が文次郎に自分の感情を届けに言葉を紡ぐ。
 
「お前がどう思ってるか大体想像つくけど。前回の白目さんも言ってたじゃないか。エッチはエッチそのものじゃなくて、コミュニケーションなんだって。だからさ。俺もそのコミュニケーションを取りたいって思うときもあるんだよ。それをちょっと心に留めて欲しいかな。」
 
 壇上の高坂は金さんの上で腰を揺らし、あえぎ声のバリエーションなんかも講義している。本当に教える熱意のある講義だった。最初は度肝を抜かれていた六年生達も、いつのまにか熱心にメモを取り、高坂に質問をするという勇者も出現している。
 文次郎はしばし留三郎の言葉に悩まされる。したいかしたくないかと言われれば、やはりしたくない。でもコミュニケーションといわれれば、言葉を交わしたりするのは良いのに、エッチが駄目、という理屈は駄目なようにも思える。文次郎がそこまで拒否する理由が、あやふやでふわふわした感覚的なものだったから。それを大して留三郎に責められてないから、余計にそう思った。
「俺は下心ありで講義を受けてたけど、やっぱプロ忍てすごいよな。」
 留三郎の呟きに文次郎はコクリと頷いた。文次郎も同じことを思ったからだった。同じもの見て、同じことを考えているという事実が嬉しかった。



金さんは人形ではありません。ただの棒状のものです。文次郎はエッチなしたくない派というより、しなくてもいい派です。
 

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☆ss「こんなに近くで」色の授業「講義編①」 凄腕×白目

☆ss『色の授業前夜』の続き。色の授業の1回目。凄腕×白目。

「すみません。立ったままじゃ長い時間は話しづらいので、私も皆さんのように座らせてもらいますね。では、あらためて。はじめましての人もいると思います。私はドクササコで忍をやっている――。匿名でこちらに講師として派遣されました。便宜上、白目と称させて頂きます。何年かぶりの忍術学園の特別授業に、私のような者の話がどのように役に立つかは、正直わかりません。ですが、私の体験談として私とボスの間であったことを、皆様にお話したいと思います。」
 まだそんなに年齢的にはいっていない青年が長い口上を述べた後、板敷きの床に腰を下ろした。見上げていたその場にいた者たち、忍術学園の六年生の面々の視線も下に下がり、ドクササコ忍者こと白目の目をじっと見つめている。その視線に白目のほうがたじろいだ。
「そ、そんなに見ないでください……。上司の命令で仕方なく来ただけなんです。そんなに期待するほどでもないんですから、気楽に聞いて………寧ろ聞き流してくださいっ。」
 それでも講師としての報酬は頂けるのですからと白目は小さく呟く。六年生たちはそんな白目を哀れだと思ったのか、今まで白目を凝視していた視線を、不真面目だと取られない程度にずらした。
「恐れ入ります。あ……すみませんっ。メモも取らないで下さいっ。本当にここだけの話で聞き流して。お願い。」
 そして白目の講義が始まる。
 
 私の身にそれが降りかかったのは、ドクササコ忍者になって間もない頃のことでした。私は皆さんがたと違って教育なども受けていなかったので、何もかも見よう見真似の下働き同然が、私のドクササコでの始まりでした。家に帰って寝るなんて論外で、道具小屋の土間の藁を布団に普段着のまま睡眠を取るのが、私の休息でした。時々迷い込んで来る猫を抱えて暖を取ることもありました。
 そんな身分だった私ですが、私ボスは私のことを目にかけてくれて、いろいろなことを教えてもらいました。こういっては何ですが、私の衣食住の不便さも修行を兼ねてのことだったそうです。一人前と呼ばれる今だからこそ、そういうことだったのだと知らされました。私より後から入ってきた者を見れば、自然と合点がいったのですけど。
 ここからが本題なんですけど。ある晩私がいつものように風呂に向かっている時に――。忍者の倣いですから、風呂にはまめには入らされました。それで、その途中で上司に会ったんですけど……。上司とはさっき言ったボスのことです。ボスは私に声を掛け、白い寝巻きを手渡してきたんです。そして、風呂から出たらこれを着て、ボスの居室まで来るように言われました。ただし誰にも見つかるなということでした。
 風呂に出たあと誰にも見つからないように、言われたとおりに寝巻きに着替えてボスの居室に向かいました。そこにいたボスは、私と同じように寝巻き姿で。私を部屋の中に招き入れました。
 なんかこのへんで皆さんも分かってきたと思います。……。言わないで済むなら済ましたいですけど。ここからが本題なんですよね。……やっぱり言わないといけないか。
 ――。ボスの居室は実は二部屋あって最初通されたのは居間で、その向こうの襖を開ければ寝室でした。寝室には布団が一組敷かれてました。
鈍い私は着せられた寝巻きだとか布団の意味が分からず、私を布団の前に追いやったボスを振り返って、ひょっとしてマッサージでもご所望されているのでしょうか? などと、見当違いな質問などしてしまいました。その時の上司の顔は、呆れたというか、少々引きつった笑みなど浮かべておりましたが、私としては寛いだ格好の上司と布団を見て、マッサージと勘違いしても仕方なかったと思います。
お前なにもわからないでここに来たのか。と、ボスが問いただしてきたのですが、だからマッサージでしょうと私は答えました。はい。本当にイライラする返答ですよね。もし皆様がたが上司の気持ちになったら、たぶんそうなったと思います。
ですが私の立場だとしたら、今日いきなりそんな展開になって、もう覚悟しているはずだと思われるのも心外でしょう。私は足軽以下だったところをボスに拾われた、食べること寝ること以外に楽しみの無い、しがない身分だったのですから。歳も今よりはるかに若いというより、幼いと言ったほうが正しいでしょう。つまり私は何も知らなかったのです。
上司は顔を紅くして、なんだか怒ったように眉間に皺を寄せていたので、私は何か不味いことをしたのではと思いました。しかしボスは、怒ってはない。お前があまりにも呆けたことを言うから、気勢を殺がれそうになっただけだと言いながら、実はそれが狙いかとか、疑心暗鬼をこちらに向けてきました。こちらとしては本当にボスに謂れの無い追及をされ、ものすごく慌てました。この誤解を解かないと、今後の私の生活が危ぶまれるのですから。そのときの私はなんにも考えずに、ボスに向かって何事もボスの意にかなうようにしますから、私の貴方への忠誠を疑わないで下さいと、お願いしてしまいました。
ボスはまだ眉間に皺を寄せながら、しかしその目はにやけたようにも見えました。今、振り返ってでの話です。そして私に、それって俺はお前のことを好きにして良いということなんだなと、ねちこい口調で念押しされました。当時の私は当然、何度も深く頷くに決まってます。ますますボスはにやけます。今振り返ってわかったことです。呆けたことを言いながらお前も俺をことをなどとぶつぶつ呟いておりました。その意味するところは、本当にボスに好きにされた後に理解しました。
まったく――。一見回りくどく見えるやり口の癖に、実はかなり露骨なやり方で、ボスは私に対して本懐を遂げたわけです。私は泣けばいいのか笑えばいいのかわかりませんでした。
ですが。尊敬しながらも恐れていた上司が実は、かなりのスケベ野郎で、中二病だったということにその時初めて気付かされました。ただ根は面倒見のいい上司なので、少しは優しくしてくれたのかな? あれは? すみません。私そういう相手はボスしか知らないもので。うーん。えーと……。皆様のその視線ですけど。嘘くさいとか、思ってません? 
うちは他所と違って、小規模の忍者隊ですからっ。けしてボスが自分の特権を濫用して私の、ファーストなんとかを奪ったとか、せく…はらとか、日常的に起きているわけじゃないんです。ちょっと濃めのコミュニケーションだと思ってます。えこひいきとも違いますからね。
でも。いつも抱いて寝ていた猫に、ボスとそういうことがあったときにそっぽ向かれた日は少し悲しかったな。それをボスに言って泣きついたら、じゃあ毎晩俺のところで寝ればいいと言われちゃったし。あんたエロいことか痛いことしかしないのに。私としちゃあ、猫と寝るほうがいいのに。
 
 半鐘の鐘が鳴る。白目はそれを聞いてはっとなり、居住まいを正した。
「はい。時間切れです。まとめに入りますね。つまり私の言いたいことは、君たちはかなり稀有な幸運に恵まれたということです。普通ならこういう講義無しで、ある日突然実践にもつれこむことのほうが多いそうです。でも特に今から準備とかしなくてもいいと思います。別に喜ばせようと思わなくても、エッチなおじさんは勝手に喜びますから。そういう意味では私も幸運な部類でしょう。何せ最初の相手が見知っている上司だったのですから。えー。別にあの人のこと好きっていうわけじゃないんだからね!」
 白目が退室する。途端に講堂にいた六年生はがくんと脱力した。
なんだったんだ。あの講義は。衝撃的だったが、とりあえず第一回目の色の授業は、終わった。





やっぱ先生方は逃げ出した。他勢力に金の力で丸投げ。おごる忍術学園はお金持ち。白目ちゃん出稼ぎの段でした。それにしても、この実体験を公表してよかったのかなあ?
次の講師は高坂陣内左衛門さんの予定です。

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☆ss『カンチガイ』伊雑、相変わらずのよれよれ

 

「――ですから。僕の同室の留三郎って野郎のことなんですけどね。月の綺麗な夜に僕が雑渡さんを偲んでいたんですよ。そうしたら無粋にもあの野郎は衝立越しから声を掛けてくるわ、自分の恋愛事情を愚痴ってくるわ。終いには一緒になって思う相手を偲ぼうぜってことになってしまったんですよ。」
 
 ここはある街道にある小さな茶屋だった。忍術学園の生徒と、タソガレドキ関係者がどちらも通ることの少ない街道だったので、伊作と雑渡はここの常連客になっている。菓子がそこらの茶屋より小振りだが上等で、茶器も可愛いと町の娘にも評判だった。だからこそ、この男二人の常連客の浮きぶりはものすごいものがあった。しかし伊作も雑渡も、もともとそんなことを気にするような人種ではなかった。
 
伊作が雑渡に語るのは数日前の夜の愚痴だった。雑渡は頬に手を当ててそうなのとか細い声で相槌を打っている。伊作は雑渡のことを偲んでいたと言葉ではきれいに誤魔化しているが、ぶっちゃけ伊作がしていたのは身も蓋もない言い方をすれば、オ●ニーという行為で、月が綺麗だとかというのは唯の飾り文句だった。別に月があろうがなかろうが特に関係ないが、そういった方がかっこいいと思い込んでいるのが伊作の年頃である。
「僕もあいつに結局は同情したわけなんですが。だけど後から考えればそこまで親身になる必要なんかなかったなって。我ながらなんてお人よしなんだろうと呆れましたよ。まあ所詮奴は僕と違って童貞野郎ですから。」
 伊作が言うところの一緒になってとは、連れションよろしくマスの掻きあいっこをしていたということだ。そんなふうに同室者を引き合いに出して、主張しなくても良い優越感を誇っている伊作だった。まさに団栗の背比べとか、目くそ鼻くそのレベルである。
「そうだね……」
 伊作は自分勝手に結論をまとめたところで、雑渡の顔色が少し悪いことに気がついた。そういえばこの茶屋に来てから、雑渡は茶以外のものには口を付けていないし、伊作への相槌も曖昧というかおざなりなところもあった。
「雑渡さん。もしかして体調でも悪いんですか?」
 伊作は保健委員として自負があったつもりだが、愚痴の夢中になってしまった自分が恥ずかしくなる。よくよく見ればやはりいつもの雑渡じゃない。声はか細いし目は寂しそうというか悲しげだし。もしかしたら体調じゃなく気持ちの問題なのかもしれない。
 そこで伊作ははっとした。もしかしたらこの人は今日、ここで、別れ話とか言い出すつもりだったのか。
「雑渡さん。今の僕に不満があるなら言って下さい。」
「違う。そんなの、ない。」
 やはり消え入りそうな声で雑渡は言う。言葉では伊作の問いを打ち消しているが、またもや伊作は自分の悪い想像を発展させた。
『無い……って。もはや取り付く島もないのか? 至らないところを修正しても無駄と思われているのか? それほどに気持ちが冷めてしまっているということか?』
 伊作の顔が青くなって、色を失った唇をわなわなと震わせている。思わず雑渡の袖を引いて雑渡を無理やり自分のほうを向かせる。そして、その覆面と包帯に包まれた頬に手を伸ばした。
「!」
 ふいに雑渡が伊作の横から消えた。慌てて見渡すと茶屋から三間離れた先に佇んでいる。そして伊作に泣きそうな顔を向けながらふるふると首を振った。
 伊作は腰掛の上に雑に茶代を置き、雑渡のもとに駆け寄る。そして今度こそは逃がさないように雑渡の手首を掴む。
「雑渡さん! 僕は絶対あなたと別れません。」
 雑渡は困り果てたように首を傾げている。
「貴方にとっては食い足りない、たかが十五の若造かもしれませんが。僕にとって貴方は掛け替えのない人なんです。今はいろいろと不平不満があるかもしれません。でも長い目で見れば、貴方を失望させたままで終わらせません。だから、もう少し待って貰えませんか?」
 雑渡はまたもふるふると首を振る。その目にはうっすらと涙が溜まっていた。
『泣くほど嫌なのか。僕のこと。今までのラブラブは、僕がそう思い込んでいただけなのか。ただの一人芝居の夢芝居だったのか? そんな。そんな。余りにも残酷だ。』
 伊作は目の前が闇に覆われそうになった。思わず足元がぐらついてしまいそうになる寸前――。
「痛い……。伊作くん。」
「痛い?」
 雑渡の訴えに伊作は意識を取り戻す。それは冷静な医者の顔だった。
「痛いのはどこなんですか?」
「歯。」
「口を開けてみて下さい。」
 雑渡はおずおずと覆面と包帯ずらして口を開く。伊作はその口の中を覗き込んだ。
「あー…。親知らずにでかい穴空いてますよ。そりゃ痛いでしょうねえ。これ、どんだけほったらかしにしてたんですか?」
 雑渡は伊作に言い返そうとするが、歯の痛みで何も言えない。
「雑渡さん。今すぐ忍術学園の保健室に直行ですよ。その虫歯を抜きましょう。」
 伊作に捕まえられている雑渡の身体が硬直する。
「抜いてしまえば楽なんですよ。どうせ親知らずなんですから。他の歯に虫歯が移らない内にやってしまいますよ。」
 雑渡は今度は駄々をこねるように思い切り首を振り、か細い声で反論する。
「抜いたら痛いんじゃない……。」
「抜かないとずっと痛いですよ。」
「でも僕は忍術学園じゃあ曲者だし。」
「今回ばかりは貴方は一刻を争う治療の必要な人です。誰にも文句は言わせませんよ。」
 雑渡は見た目にも分かるように肩を落として、小さな声で伊作に懇願の言葉を吐く。
「優しくして。痛くしないでね?」
「うっ。」
 伊作はまさかの言い回しに心臓を打ち抜かれた。しかし寸でのところで医者の顔を崩さずに済んだ。
「良い子にしていれば、優しくしてあげます。いいですね?」
 雑渡はうんと、子どものように頷いた。

 

 

雑渡さんの虫歯の原因は梅干の種を奥歯で割ったとき、親知らずが欠けたまま放置したからです。雑渡さんの泣くところを書いてみたかった。

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☆ss『色の授業前夜』(留文。注意:本番なし。ほのぼの?)

「忍術学園には女装の授業はあっても、色の授業はないなあ。」
 留三郎が何気なく呟くはずもないことを呟くと、文次郎はびくりと体を震わせた。
「お前……。なんかそれは含むところがあるのか。」
 留三郎は首を振る。
「含むところって。単に忍術として房中術って言葉は習うけど、実際の講義なんかうちには全然ないから。」
 文次郎は突然留三郎から今までの会話から何の脈絡もない「色の授業」などという言葉が飛び出したので、何かの前振りかと身構えたのだがそんな自分を少し恥ずかしく思った。
「諜報活動用なら女装と所作を教えるくらいでいいというのが、忍術学園の方針らしい。それ以上のテクニックなんて教えたら、そこから変な方向に行く奴が出てくるかもしれないというので、学園では色の授業については、あまり積極的じゃないって聞いたことがある。女装程度でも教員の山田先生のように中毒じみた癖になる人もいるくらいだから、ダイレクトに快楽を主体に置いた房中術なんて――。まあ、知りたい奴がいるなら自主的に調べろってことだな。」
 文次郎は、俺はそんなのには頼りたくないから勉強していない、と付け加えた。留三郎はお前らしいなと笑みを浮かべている。
「でも忍術学園って授業の進み方によっては、六年生の後半くらいで教えることがなくなった時に、しょうがないから座学で教えてみようかって企画が上がることもあるらしい。っていう話は昔の先輩から聞いたことがある。今の俺たちのカリキュラムからすると、ひょっとしたら色の授業とやらに遭遇するかもしれないな。」
「留三郎は受けてみたいのか? 色の授業。」
 真顔で問いかける文次郎の顔には戸惑ったような色が見える。留三郎は慌てて手を横に振って否定する。
「あったら逆に、なんか……。どうしようって思って。講義だけって聞いてても、なんか隣に同級生がいて、教えてくれるのも土井先生とかだったら気まずいじゃん。」
「……なんとなく、わかる。」
 文次郎は深く頷くのに留三郎はやはり頷いてみせた。
文次郎は思った。誰しも性的なことに多大な感心を、表に出す連中ばかりではない。自分たちは忍者にしては青臭いことを考えているのかもしれない。
仙蔵辺りに言わせればプロ根性が無いとか、細かいことを気にしすぎるとか、そんなに心に制限があってどうするかとか、とにかくどういうことに対してても知識は尊いとか、無知は罪だとか、そんな説教が飛び出るところだろう。
 留三郎の隣の男は、学園で一番忍者していると言われている。だけど付き合い始めてからは、こうやって普通の微妙な年頃らしいところを垣間見せてくれるようになって、とても嬉しい。文次郎は自分のそんな未熟なところを、恥ずかしく思って重く捉えてしまいがちだけど、留三郎からしてみればそんなに気にしなくてもいいと思っている。
「まあ。山田先生だって、エッチのテクで忍者として大成したわけじゃないし。学園長もそうだし。」
「そうだな。女装さえ出来れば、大概のことが出来るよな。」
 恩師の前例を以って、二人は根拠の無い結論を出した。それで納得がいくらなら、そしてそれが正解ならいいのだが。やはり理論に数々の大きな穴がある。しかしこの場にそれを指摘するであろう仙蔵がいない。
「良かった。」
 文次郎がぽつりと言う。
「何が?」
 留三郎の問いかけに、文次郎はしばらく黙ってから答える。
「お前が色の授業って言い出したとき、内心すごく焦った。俺が今までそういうことをお前にさせなかったから、授業の話にかこつけて俺を詰っているのかと思った。」
「え? 気にしてたのお前?」
 留三郎にとっては青天の霹靂な言葉だった。留三郎は文次郎を、潔癖でくそ真面目で天然だから、自分たちの恋愛関係においてそういう進展が無いのだと思い込んでいた。まさか文次郎が意識的にソッチ方面を避けていたというのは、本当に寝耳に水だった。
だとすればこれから自分の出方次第で、念願の初・××までに漕ぎ着けるかもしれない。(××はせいぜい手を繋ぐとか、デコチューに留まるかもしれないが。)とにかく、今までろくに触ることさえ叶わなかった文次郎に触れる可能性が見えてきた気がして、留三郎の心臓は煩いくらいに高鳴った。高鳴りすぎて次の一手が一向に決まらないくらいに。
「いいよな? 俺達このままで。」
 清清しいまでの声音で文次郎が言った。
「え? このまま?」
「だってお前も、苦手とか言ってたじゃねえか。」
 それは違うんだと言いたいところだが、今までの文次郎からの共感がぶち壊しになるのが惜しすぎる。しかし。このままでは文次郎は留三郎からしてみれば膠着状態の進展しない関係を全肯定して、そのまま続けていきそうな気配がひしひしと伝わってきた。
 
『だれか、俺に勝機を――。神でも仏でも悪霊でも、仙蔵でもいいから……。』
 
「おーい。お前ら!」
 そこに顔を出したのは仙蔵だった。留三郎の願いを聞いていたわけではないのだろうが、とにかくそこに仙蔵が降って沸いてきた。
「仙蔵。どうした? なんだかやけににやにやというか。」
「いやあ。カリキュラムでやることが無いと先生方が嘆いていらして、結果特別講義が入ることになった。」
「それってひょっとして……」
 文次郎の怪訝そうな声に反して、仙蔵はこれだと一枚のプリントを二人に差し出した。それはまさしく二人が話していた『色の授業』の講義日程だった。
「参加は希望者のみらしいが、お前らはどうする。私は尋ねるまでもないだろう。参加するぞ。」
「俺も参加するつもりだ。」
 え? 留三郎の間髪入れない返答に、文次郎は開いた口が塞がらなかった。それでも仙蔵の問いかけは文次郎にも容赦なく向いた。
「文次郎。お前も当然参加するよな?」
 留三郎が参加しないと思い込んでいて、自分も参加せずとも恥ずかしくないと思っていたが、留三郎が少しの躊躇も見せずに参加すると言ったので、文次郎はもう縦に首を振るしかない。
「そうか。毎年あるとは限らない講義だからな。我々にとって収穫になればいいな。」
 仙蔵はばしばしと文次郎の肩を叩く。
「そうだよな。無知は罪だからな。なんでも知っておいて損はないよな。」
 仙蔵が言い出しかねない言葉が、何故か留三郎の口から出てきた。白々しくならないように留三郎はあくまで知的好奇心だと付け加える。
「そうか。お前らは実生活に即役立つしな。」
 仙蔵が言わなくてもいい事を、さも良いことを言ったとばかりに言う。文次郎は苦笑いを浮かべて曖昧に頷くしかない。
「それじゃあ明日の午後の授業だからな。お前ら絶対に来いよ。」
 仙蔵は足取り軽やかに部屋を出て行く前に、文次郎と留三郎を振り返る。文次郎は留三郎に手をとられて、その握られた手で仙蔵に手を振ることになってしまった。
 仙蔵の姿が見えなくなった後、文次郎は留三郎のほうを向き直った。
「留三郎……。お前やっぱり――。」
 文次郎の疑わしげな眼差しに敢えて留三郎は目を背けなかったが、その顔はけして本当の笑顔ではなかった。
「出るって言わなかったら、いろいろとねちねち言いかねないだろ。あいつは。」
「それはそうかもしれんが、お前、興味が無いって。」
「興味は無いけど。そうだ、これは付き合いなんだ。そう考えれば気が楽だろ? 明日はたぶん伊作も長次も小平太も参加するだろうし。俺達二人だけ参加しないのも不自然な話だろ?」
 そういいながら、やけに鼻が膨らんで鼻息の荒くなる留三郎に、うそ臭いと思いつつも言い返せない文次郎だった。
                (授業編に続くかもしれない)

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☆ss『it`s show time!」(伊雑、留文前提で6は。自慰話注意)


「う……うぅ……ん。」
 裸足の足の裏が汗ばんで、乾いた敷布に足指が皺を作っている。
「く……。そ、そこ………。」
 伊作は既に灯火の消えた自室の布団の上で、仰向けに寝転がって悩ましげな声を上げた。右手は股間の立ち上がった愚息に添えられており、左手には何故か、一巻きの包帯が握られている。
「あ……雑渡さぁん……。」
 左手の包帯を鼻先に持っていくと、それに染み付いた匂いを嗅ぎ、鼻を擦り付ける。汗と、傷から染み出た白血球の死骸や血小板の匂いがするが、大方は傷薬のメンソレの匂いが伊作の、情欲に満たされた脳内に一つの映像を映し出す。
「雑渡さん――。」
 口からついて出る言葉は、伊作にとって可愛くて可愛くて可愛くて仕方の無い、二周り年上の恋人の名前だった。息を吸い込むごとに身体の中にその薄荷の匂いが入ってくる。それに刺激されたように右手の動きが早くなる。伊作の状態はいわゆる、一人エッチに入り込んでいるリアルな十代の姿だった。
目の前にはいないが、瞼の裏には、夜目を凝らして目に焼き付けた、自分だけに見せてくれた姿があった。
 その姿は伊作がタソガレドキに行かなければ見られない。見たと言っても、雑渡は昼日中の行為に対して抵抗があるとか、夜でも部屋の中は真っ暗でなければいけないとか、行為は雑渡の邸宅の寝室にのみ限るとか、やたら条件が厳しい。つまり光が差さない場所でのかなりおぼろげな映像。伊作の妄想の中の雑渡は、昼間に包帯を換えるときに見た裸と、夜に自分の下でかすかに自分に揺さぶられている雑渡を重ね合わせて、脳内で合成したものだった。
 それでも思春期真っ只中の伊作には十分だったと言いたいところだが、忍術学園に帰ってきた後の途方も無い欲求不満に時には、このように自分で慰めることになる。
「あー……はぁ…。は、は、はぁ……。」
 妄想するだけ妄想して伊作はもう少しだと思った。しかし――。
 
「伊作くーん。」
 衝立の向こうから留三郎の声がする。突然の、しかもらしくないくん付け。伊作は最後の大きな波を思い切り外してしまった。頬を引きつらせながら返事する。
「なあに。留三郎?」
 腹立たしさを抑えて、伊作はつとめて穏やかに言う。
衝立の向こうを意識してなかったわけではなかったが、同室者は熟睡しているか、それとも気を利かせて伊作のせわしないあえぎ声を知らん振りしていると思い込んでいた。まさかそんな最中に声を掛けてくるなんて。日ごろは荒っぽく見える癖に、人情家で気遣いが細やかな留三郎らしくないと伊作は思った。それ以前に同じ男なんだから、こんな時に声を掛けるのは非常識なんじゃないかとも思った。しかし自分に非がもしかしたらあるかもしれないので、ここは穏便にとりあえず下手に出てみることにする。
「えーと、なんか……僕の声。うるさかったかな? なるべく声を出さないようにして気を遣ったつもりだけど、駄目だった?」
 伊作の問いに留三郎はいやと返してきた。
「それほどじゃない……。」
 伊作は心の中で舌打ちする。じゃあ、邪魔すんじゃねーよ。イライラする自分を押さえ込んで、無理やり穏やかに相槌を打つ。
「そっか。留三郎に声かけられると思わなかったから。びっくりしちゃったよ。」
 衝立の向こうから、はははと力の無い笑い声が聞こえてくる。なんだか様子がおかしい。というか留三郎らしくない。気になるがあまり触れたくない。
「じゃあ。僕はもう寝るから、留三郎も寝たら?」
 留三郎の息が詰まる音が伊作の耳に入る。
「伊作くん。オナニーの途中だったんじゃないの?」
 伊作はうっと声を詰まらせる。
「わ、分かってたんだね。でも、こういう時はそんな風に声を掛けないのがお約束じゃなかったっけ? 一般的にはそうだよね?」
「それは、分かってるんだ。でも。俺、伊作くん。」
「その伊作くんって言うのやめてくれる? 僕を伊作君って呼ぶのは雑渡さんだけでいいんだけど。」
 今まで押さえに押さえてきたものが、わざとらしいくん付けの呼び方で、表に出ずに大人しくしていることが出来なくなった。声が刺々しくなっているのが伊作自身でも分かっているが、止められない。
「ごっご、ごめん。わざとじゃないんだけど、気がついたらくん付けしちゃったって感じ。」
 伊作の声の棘に気がついた留三郎が、気弱に弁解する。ますます伊作の言葉の棘が鋭くなる。
「本当にどうしちゃったんだよ。君は。僕が雑渡さんのこと考えながら、オナニーするのがそんなに不快? 邪魔せずにはいられないほどだったの?」
 忍術学園の生徒の交際としては褒められたものではないかもしれない。けれども伊作なりに、世間の逆風に対して覚悟して踏み出した恋愛であり交際なのに。別に誰かに深刻な迷惑を掛けているわけじゃないし。事情の分からない第三者に咎められるもんじゃないと、半ば開き直っている。
それでも身近な友達の留三郎にとって気に触る物件なのだったら、この先のこいつとの付き合いも考え直さなければならないなと、伊作は自分の腹を括ろうとしていた。六年間の友情より、数ヶ月の恋愛のほうが伊作にとっては重大で、友人より恋人の肩を持つということが、今の伊作にとっての正義だった。それは勿論、間違った正義であったが。
「お前の気持ちは分かるんだっ。」
 留三郎は衝立から身を乗り出してきた。伊作は股間を掛け布団で隠す。その伊作の所作を見て、留三郎が複雑な表情をする。しかめられた眉。少し噛まれた唇。嫌悪の表情なのだろうか。いや、なにか違うような気がする。いろいろと頭の中で考えてみたが、ふと思いついたのは、惜しいというかもの欲しそうな表情だった。
「じゃあ。なに?」
「お、俺は……!」
 語気の割には口篭っている。
「俺はってなんなの? 留三郎。」
 留三郎は顔を真っ赤にして吐き出すように言う。
「あの、俺の見てる前でオナニーしてくれないかな? ――どひゃっ。」
 伊作の枕が留三郎の顔面にヒットした。
「それってどういうプレイなんだい! 僕が君にそんなことしてあげる義理なんて無いだろうが!」
 伊作は立ち上がって股間を左手で押さえながら、今にも衝立を蹴飛ばす寸前だった。
「い、いいじゃないかっ。ちょっとくらいおすそ分けしてくれたって。」
「おすそ分けって何のおすそ分けだよ。」
 激昂している伊作の迫力に押されまいとしているのか、留三郎は歯を食いしばって衝立を押し返す。
「お前のネタって、あのプロ忍と休みの時に良い思いしたのを思い返してんだろ!」
「そうだよ! だからどうだってんだよ!」
 伊作の口調は完璧に元片思いの相手・潮江文次郎の留三郎への怒声をなぞっていた。
「だから、だからっ。羨ましいんだよ!」
「はあっ?」
「俺はな、文次郎をネタにしてセンズリ掻こうにも、ネタになるようなことひとっつもしたこと無いんだよっ。」
「嘘つけえ!」
「嘘じゃねえ!」
 留三郎は衝立をどんと伊作側に押す。しかしそれを伊作も負けじと押し返す。伊作と留三郎の間で火花が散った。
「同じ敷地でのうのうと一緒にいるじゃねえか! ふざけんなこの野郎! 誰がそんな不自然な状況、信じられるってんだよ! お前がまだ文次郎に手ぇ出してねえだって? じゃあ、文次郎は未だにバージンってことかよ。」
「そうだよ。文次郎はバージンで俺はまだチェリーだよ! 信じられないかもしれねえが、考えてもみろっ。文次郎と俺がいつ、二人きりになる機会があったよ? 授業だの補習だの自主練だの委員会だの就職活動だの実習だの後輩の世話だの、それで朝から晩まで埋まっちまうんだよ。それに一番にネックになってるのは、お前らとの付き合いだよ! それが楽しくないわけじゃねーよ。文次郎だって喜んでるし。あいつが喜んでるのに、俺がなんかぶつくさ言うのも可笑しいじゃねーか。」
「そうだね。留三郎だって、なんだかんだ言っていっつも楽しそうに僕らに付き合ってくれるよね。」
 留三郎の長い愚痴に、伊作は口を挟めなかった。さっきまでの文次郎口調は収まり、それと入れ替わりになんだか留三郎に申し訳ないと思う伊作が浮上してきた。
「たまーに二人になってもさあ。前みたいにどつきあう事もなくなって、顔を見合わせて笑いあうなんて、以前には思いもしないような感じになっちゃって。後輩の前で喧嘩するのも、あいつはどうか知らないけど、俺は実際それがパフォーマンスとかポーズみたいな感じになってるし。要するに満ち足りてるんだけど、その分あんまり激情っていうのかな? 衝動的なものがなくなっちゃったんだよ。次の段階に突き動かすきっかけがなくなちゃったんだよ。」
「君たちすっかり丸くなっちゃったんだ。」
 留三郎の言葉を伊作は反芻する。確かに思い当たる節ばかりだ。忙しいのは伊作も同じだが、留三郎と文次郎はその上に、基本的に付き合いが良いという性格もある。伊作のように休みごとに校外に出て雑渡とデートなんてことは、本当に留三郎にとって羨ましいことかもしれない。
「だから。別にそういう毎日に不満があるわけじゃねえんだよ。俺と文次郎が好きあってるのは確かなんだし。だけど欲求不満だきゃあ、充実した毎日でも如何ともしがたいんだよ。だから抜こうと思ったわけだけど、妄想に出てくるのはほんわかした笑みを浮かべる文次郎ばかりなんだよ。」
「文次郎のほんわかした笑顔って! それこそ羨ましいよっ。」
 自分の頭で合成した雑渡の痴態とどちらが逸品かはわからないが、甲乙付けがたいと思う伊作だった。しかし留三郎は涙ながらに語る。
「そんな眩しいもんで抜けるわけないだろうが……」
「まあ確かにね。」
「だからね。伊作くん。」
 留三郎はどっこいしょと衝立を持ち上げると、その重たい壁を脇にどかした。
「伊作くんがオナニーしているところ見て掻いたら、なんとか抜けるんじゃないかなって? いいだろ? 人助けだと思って。保健委員だろ。伊作くん?」
 伊作としては、お前は素直にいやらしい文次郎を頑張って妄想してくれと言いたい所だが、留三郎が告白した自分はまだ童貞という事実が、頭に引っ掛かって言えなかった。
「そ。そんならいいよ……。」
「ほんと! 伊作くんありがとう!」
 伊作の態度が軟化したせいか、留三郎の「くん」付け呼びが復活している。伊作はまた苦々しく留三郎を見る。目を潤ませる留三郎に、伊作は一言だけびしっと釘を刺した。
「その伊作くん呼び禁止! それと、今度は絶対に途中で声掛けないでね! 集中出来ないんだからっ。」
 

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☆ss 「世界はそれを愛というんだぜ」(伊雑)


「雑渡さんは僕となら、どんなことまでなら出来ますか?」
 唐突に伊作が雑渡に問いかける。
「どんなことって――。僕らとりあえず、その、なんやかんや、お互いに誤解しあってたこともあったけど。今はきちんと付き合っているじゃないか。それ以上なにかあるの?」
 雑渡はあまり抽象的な受け応えは得意ではない。自分の部下がそんな言い方をしたとしたら、絶対に注意なりして改めさせたりするのが常だった。しかし伊作は忍者隊のどのぺーぺーよりも歳が若いが、雑渡にとっては対等に付き合っている彼氏なので、勿論そんな年上ぶったことは言わない。しかし伊作の言いたいことがいまいち雑渡には分かっていない様子だった。
「なにかと言われても……。」
「ごめん伊作君。もうちょっと考えてみる。」
 それでも雑渡の首は捻られたままで、まっすぐに戻ろうとしない。それを横目に見ながら伊作は伊作で、なんで言葉の裏を読まないかなこの人、と思っていた。
 このままでは埒が明かない。伊作は雑渡の肩をぽんっと叩く。
「あ。ちょっと待って。今、言おうとしてたんだから。」
 業を煮やした伊作が性急に結論をだそうとしていると考えた雑渡は、慌てて伊作の手を振り払う。
「その、あの……アレだろう? アレ。将来的な展望とかそんな感じ? 君はすぐ就職だし。」
「ぶー。」
 伊作は顔の前で手を交差させる。
「それももちろん考えていることではありますが。あなたが僕と出来ることを言っているのです。」
「僕たぶん、君の就職に有利に働けると思うんだけど。」
「しちゃいけません。」
「えー……。」
 本当に油断も隙もない。不平の声を聞く限り、実際にやらかしかねない気配がひしひしと感じられた。一城一軍の組頭が、そんなふうに懇ろになった男に流され、割と重要であるはずの人事に私情を混ぜまくっていいのだろうか。
 いや。よくない。というか、伊作としてもこの年上の恋人の考え方が怖かった。しかしもう一方で、男の悪癖である虚栄心を満足させてくれる雑渡の甘さを嬉しいと思う。忍として類稀な男が、伊作がその気にさえなれば職権濫用も辞さないと言う。しかし悲しいかな、伊作にはその特権だとか恩恵に浴する度胸がいまひとつ足りない。
 人の甘やかしに甘えて駄目になることを避けるようにというのが、忍術学園の教育方針だが、そんな高尚な志など関係なく伊作は、自分の身に余る幸せというものに慣れていないだけなのだった。
「僕は苦労してるほうが合ってるんですよ。ていうか、たぶんその方が安心して生きていられると思うんです。」
「そっか。伊作君は幸せだと死んじゃうんだね?」
「うにっ! 幸せにはなりたいですよ! でも、それはそれ相応なりの、いや、それ以上の血が滲むような苦労をしてからじゃないと。……ぶっちゃけ、後の反動が怖いんです。」
「その怖いことも僕がぶち壊せるんだけどね。うにっ。」
 本当に冗談か正直か区別がつかない。伊作はいやいやと手を横に振った。雑渡は手を腰に当ててうんうんと頷いている。
 
すっかり話は横道に逸れてしまった。僕とならどんなことまでなら出来ますかという問いが、大分遠いところに置いていかれてしまっている。伊作はあくまで現在の交際について話したかったのだった。もう少し決定するには時間的には余裕のある自分の将来のことより、今、目の前の雑渡との恋愛を、どう発展させるかということを微に入り細を穿って際どく話し合ってみたかっただけなのに。
現在、伊作と雑渡は、一応の形では肉体関係を経た恋人同士なのだが、如何せんその(つまりエッチの)機会があまりにも少なかった。伊作が心置きなくその機会に恵まれるのは、長期の休みにタソガレドキ領に赴き、雑渡の屋敷に訪れるしか手段がない。雑渡はわりと忍術学園を訪問するが、あくまで忍術学園にとってタソガレドキは敵対だとしているので、とても、学園内でそのようなことをするわけにはいかない。幾ら雑渡が入り浸ろうが、後輩が雑渡の部下に恋をしようが、雑渡にうどんを振舞おうが、雑渡から土産をもらおうが、それだけは越えてはいけない一線だった。
というか、ぶっちゃけ無理だった。学習スペースには教師の目とじょろじょろした同級生や下級生のたくさんの目があって、生活スペースには留三郎の目があって、保健室は雑渡の出没地点として学園からマークされている。
だから――。伊作は雑渡に提案するつもりだったのだ。忍術学園の中がいけないんだったら、今、今日このときのように授業が休みの日に、人気のないところで逢引のついでにラブホでエッチとか、人に見られたくないというなら屋外で、とか。むろんそれは昼日中のことになるので(休みと言えども忍術学園には門限がある)、強引には迫れない伊作は雑渡の了解を得たくて、はるか冒頭の問いかけをしたのだった。
 
「伊作君は将来に対して前向きに悲観的なんだねえ。」
「後ろ向きに楽観的よりましだと褒めて頂けませんか?」
「うん。なんか足掻いてるって感じだよね。少年漫画だよね。」
「僕はそこまでかっこいいつもりじゃなかったんですけど。」
 それでも君の生き様は素敵だよという雑渡に、伊作は温い笑みを返した。それは、今までの会話があまりにも自分の胸の内と食い違ってしまったので、笑うくらいでしか間を持たせられなかったからだだった。
『もう。本来僕が雑渡さんに問いかけたかった話題に戻せないよ。』
今回は、堅実な将来の話になってしまったので、今更生臭い話でぶち壊すわけにはいかなくなってきた。それでも伊作は雑渡に(そのつもりがなくても)、一本取られたままではいられない。何か上手いこと言って、雑渡を驚かせてやりたい。
 
「ところであなたが思う僕達の将来って、普通に僕がタソガレドキ忍者隊に入ることを前提に、話されてますよね。だけどここで少し発想を逆転して考えてみてはどうでしょう。」
「発想を逆転?」
「僕があなたのもとに行くのではなく、あなたが僕のところ――忍術学園に教師として来るとか。そうしたら僕は保険医の助手なり、忍術学園印の薬の製造販売元になって、学園に就職という道もあると思うんです。つまり同じ職場で共働きですよ。」
「でもそれって、僕は教師としてなら学園にとってはいつまでも必要とされるだろうけど、君が学園において希望している職種は、君の後進の子達が君以上の医療の技術を身につけてしまえば、いらなくなるかもしれないポジションじゃない? 今までどおりに新野先生と生徒で委員会活動していれば、人件費はそんなにいらないし。君が必要とされるのは精精、三反田君が六年生になるまでの二年ほどになっちゃいそうだけど。」
「数馬は……、大丈夫ですよ。は組ですし。そんな台頭してくるような子じゃ……。」
「君だって、は組じゃない。じゃあもう一年あとの川西君は?」
「あ、あいつは……保健室で終わるような奴じゃないですよ。」
「今のところ一番年下の乱太郎君とか、伏木蔵君とかはどうなるのかなあ?」
「伏木蔵。乱太郎。……手ごわいな。ははっ……ははは……」
 伊作は、ここで言い返せなかったら学園就職ルートが途絶えてしまうと、まるで油で滑る棒に必死によじ上ろうとする蟻のごとく、または石鹸水の水溜りで必死に浮き続けようとしているアメンボのように、無理やり雑渡の言葉に言い返す。
「一旦、自分の役職を手に入れてしまえば、僕はそれにしがみつき、誰にもそれを渡す気なんてありません。どんな手を使っても学園に留まり続けて、例え実態がないと言われても、それで恩師に白い目で見られても、給料泥棒と学友に蔑まれても、安定した収入と生活を守りきってみせます。」
 勿論、雑渡さんの教員の給与を合わせれば二人で暮らすには大丈夫ですよと締めくくった。大見得を切った割には、雑渡の収入を当てにしているところが、伊作の惜しいというか気の小さいところだった。
「頑張ります。僕。」
 ただのネタ振りのつもりだったのだが、言っている内に伊作の中でなんかの固い決意のようなものになってしまっている。心なしか伊作の目には、雑渡の目が少しうるんでいるように見えた。しかしそれは、力みすぎて額から流れた汗が目元に伝って落ちてきたに過ぎない、かもしれない。
「伊作君――。」
 なんだかいい雰囲気だった。これなら件の願いもここで果たせるかもしれない。そしてそれが慣習化されれば、授業の休みごとにいちゃラブ出来る。
「雑渡さん。」
 伊作は手を雑渡の腰から移動させて肩を抱くと、せーので引き寄せようとした。雑渡はとっさに顔を背けてしまう。伊作はやわらかい笑みを作って囁きかける。
「どうしたのですか。」
 滅多に視線を外すことさえしない雑渡なのに。急に何故こんな、恥ずかしがるような仕草を見せるのだろうか。もしかしたら、今日はいけるかもしれない。そう確信した。
 顔は見えないが、雑渡が口ごもりながらも何かを言葉にしようとする、そんな気配が伝わる。伊作はそれを聞く前に自分が決めてしまおうと思った。
「雑渡さん」
「伊作君、僕は……」
 寸でで止められてしまったので、伊作は雑渡の言葉の続きを待つ。
「なんでしょうか?」
「僕は……外でとか、ラブホとか、そういうのは駄目だから。」
「え?」
 伊作の目が点になる。ずっと話題が逸れ続けていたのに。あれは単なる年甲斐のない、かまととぶりっ子だったのか。雑渡はいきなり核心をついた事を言い出し、しかも伊作の胸の内に隠し持っていた思惑を全否定した。
「駄目、というのは」
 駄目というのはすなわち、そういうところでのエッチは受け付けないということだろう。しかし雑渡のほうからそんな話題を言ってきたのだから、交渉の余地はあるかもしれない。伊作は現代の営業マンでもないのに、奇妙な粘りを見せつけようとする。しかし雑渡はあっさりと伊作の手を逃れて、立ち上がった。
「僕は不特定多数の人が使った部屋とか、ましてや屋根も壁もないところであられもないことをするのは、ちょっと勘弁して欲しいんだ。伊作君はそれが訊きたかったんだよね。」
「それはそうだったのですが、それじゃ僕はどうしたらいいんですか! 性欲的なものとか、下半身的な事情とか。その他もろもろとか。」
「我慢して。君は僕の為なら、かなり忍耐出来るようだから。大丈夫だろうと思うよ。」
 君なら出来るよ。
 伊作はそうやって雑渡に期待されると、ぐうの音も出なくなった。



伊作敗北。もしかして彼はおだてられると退けなくなるタイプなんでしょうか。

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☆ss 『初恋は実らない(でも×××のネタにはなるらしい)』

伊雑。ちょっとお下品注意




初恋は実らない(でも×××のネタにはなるらしい)
 
初恋の人が同級生だと言ったときに、その人は、それは不味いんじゃないの? と言った。
「だって君たちの学校って全寮制でしょ。幼馴染というより、兄弟って言っても良さそうな人間関係じゃないのかい?」
 確かに。家を離れている間顔を見ない兄弟より、余程身近というか密着したというか、生活感をひしひしと感じさせる。好むも好まざるも、お互いの肌着の匂いだって嗅ぎなれた仲なのだった。
「伊作君はやっぱり僕にしておいて良かったと思うよ。初恋が誰かなんて知ったこっちゃないけどね。」
 伊作が現在会話を交わしているその人こと雑渡は、足元の籠に手を伸ばして立ち上がろうとしたが、横から伸びてきた伊作の手に腰を抱えられて、またその場に腰を下ろすしかなかった。
「どっちにしたって五分の一で特定されちゃいますけどね。」
 強引さを笑顔で誤魔化して伊作は再び雑渡に話しかけた。
 
 その日。伊作は薬草取りの途中だったのだが、待ち伏せしていたような雑渡と忍術学園から多少離れた山の中で、本来の目的を忘れたかのようにお喋りに興じていた。
 帰った後の籠の中の薬草の少なさに、下級生はさぞかし落胆するだろう。しかし、伊作も雑渡もそんなことは知ったことではなかった。ただ目の前の相手とのわずかな時間がだけが惜しいだけである。
 そこで唐突に出てきたのが伊作の初恋の話だった。付き合う前から雑渡が伊作の片恋の相手のことを気にし続けていることは、薄々感づいてはいたが。青臭い伊作にとって、ふた周りも年上の恋人がより自分に執着してくれるネタ的に美味しかったので、未だに自分からその初恋を打ち切ったとは宣言していなかった。
 せこいと罵られるかもしれない。ただでさえ年上であることに引け目を感じているかもしれない雑渡(実はそんなことは一ミリもない)に、余計に引け目を感じさせる真似は、伊作からしてみても、みっともなくて男らしくないと思う。
 しかしそれはただの綺麗ごとではないかと伊作は考える。利用出来るものは利用するのが忍者ではないのか。初恋を自分の手で汚すことに、胸が痛くならないことはないが、本当にちょっとのことだった。それはひとえに自分の初恋は、恋が破れて一人の男に敗北したことで償っていると、伊作は開き直っている。だから自分の初恋は、幾ら汚れても構わなかった。
「………。」
 雑渡は手にした薬草の葉っぱが、ぷちぷちと自分の指で引きちぎられていくのを凝視している。青臭いような、少しすーっと鼻に通るような匂いが辺りに撒き散らされる。
「弟やお兄さんの下着でマスターベーションしているような気持ちを、いつまでも持っているなんて不健全だよ。倒錯的だよ。だからやっぱり伊作君は僕にしといたほうがいいんだよ。」
 雑渡にしてはこじつけがましい、多少わざとらしい、道理の横っ面を張り倒したような、そんな言葉選びだった。
「雑渡さん……。恋に関連したキーワードの中で、一番に思いつくのがマスターベーションなんですか。」
「例えだよ。例え。」
「でも。僕としてはそれを一番に挙げるのは凄く抵抗あるんですけど。」
「もうっ。伊作君て、すごく真面目さんなんだから。少しはおじさんに話合わせてくれてもいいのに。」
 きっちりと巻きつけられた覆面部分がわずかに膨らむ。雑渡が子どものように頬を膨らませているからだ。
「すみません。僕としては真面目ぶってるつもりはなかったのですが。」
 雑渡は黙ってそっぽを向く。
「い、いや……。嘘です。」
「何が嘘だって?」
 雑渡は右目だけ伊作に向け、腕組みをして伊作の次の言葉を待つ。
「いやあ。マスターベーションが最初に来ますよね。やっぱ。」
「そう! やっぱりそうくるよねー。伊作君は僕が思ったとおりの人だったよ。」
「そう思われてしまうと、少し恥ずかしいですね。」
 雑渡はすぐさま振り返り、満面の笑顔を見せた。
 
 そして二人は互いが同学年の友達のように、思春期並みの恥ずかしい話に花を咲かせる羽目になった。

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☆ss『御茶の子さいさいではいかないこと』(仙文。食事風景)

     御茶の子さいさいではいかないこと
 
立花仙蔵は合理主義者だった。例えば複数の作業をする時は、それぞれの作業に均等に手をつけ、けして待機時間を作らないように配分しながら、無駄な時間を作らないように終了させる。また例えば、食事にしてもご飯と汁物とおかずを交互にバランス良く口に運び、最後には一口ずつで終了させる。しかも、おかず、ご飯、汁物の順序が狂ったためしがない。最後に汁物で〆るという、実に理にかなった食事法だった。
 とまあ、いつも物事の最終形を頭に置いた行動の数々だが、立花仙蔵は、そのもろもろを人に見せ付けるだけ見せ付けて、けして強要しようとはしない。
「むう。」
「どうした文次郎。あと二口ほどじゃないか。」
 文次郎は茶碗に残った白飯を睨みつけている。おばちゃんが作って配膳したという、仙蔵とまったく同じ条件なのに、最終形がアンバランスになってしまう。
いや。別に。仙蔵の真似を文次郎がわざわざする必要はないのだが。文次郎の日常是鍛錬気質によって、成績最優秀とも言える仙蔵の行動パターンの真似こそが、いつの間にか擬似鍛錬となっていた。
「いや別に。悩むことはないじゃないか。臨機応変だろ。そういうときは漬物か佃煮をご飯に載せて茶をぶっかけて、お茶漬けにして喰えばいいじゃないか。」
 文次郎は仙蔵の提案に眉を歪める。
「食事とはいえ、一定の動作を正確に行う訓練だと思っていたんだがなあ。仙蔵にとってはそうでもないのか。」
「えーと、そんなこといちいち思って食べていると、味なんてしないだろ?」
 ただでさえ文次郎の食事の仕方は傍から見ても、料理の味わいだとか、匂いにそそられるとか、触感を楽しむことを度外視しているのに。仙蔵はそんなことは口に出さない。しかし仙蔵としてはせめて、隣の席同士で食うときくらい何かしら会話ぐらいはあってもいいのにと思った。あくまで文次郎には言わないが。
「ひょっとして、お前は何も考えてないまま、精密機械のような三角喰いをしているのか?」
 仙蔵は目を丸くする。文次郎の仙蔵を尊敬するような視線に。
「私の食事をそういうふうに思っていたのか。まるで精密機械みたいだと。」
 仙蔵は文次郎から目を逸らす。そして一言ぼそりと呟いた。
「そういうとこばっか見ずに、もっと別のとこ見てくれればいいのに……」
 文次郎はまだ茶碗の中を睨みつけている。仙蔵は溜息をつくと、漬物の容器から梅干を一つ、文次郎の茶碗の中に放り込んで、急須の茶をその上から注いでやった。
 文次郎は仙蔵を見上げて、ありがとうと言う。それでも納得がいかないような顔をしながら、残りの飯を掻きこんだ。
 
 
 
文次郎の日常は常に鍛錬ということで。
文次郎が仙蔵の無駄のない日常の所作を真似していたら、ちょっと可愛いと思いませんか?

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☆ss『大工の休日』(留文前提で留三郎と仙蔵。卒業後設定)

注意:コピー本で出したシリーズものの後日談。

   大工の休日
 
おはよう。いい天気だな。
そう呟く男の背後の窓から見える空からは、雨がざんざん降っていた。仙蔵は無理に笑顔を作っている留三郎と、台風並みに降りしきる雨の音に憂鬱になるしかなかった。
「大工はさ……雨の日はお休みなんだ。」
明り取りの為に壁の一部にしつらえられた窓。その前に留三郎が立っている。深夜から降り出した雨から逃れるために、この家にひょっこりと顔を見せたのは、この家の主の留三郎の旧友である仙蔵だった。
そして一夜が過ぎても雨が止む様子はない。
「お前の表向きの顔は大工の留さんだったな。」
見渡せば簡素な家の中は、留三郎が用具委員時代から愛用している大工道具が置かれている。
「それにしても住む人間が違うと、こうも家の中の様子が違うものなのだな。」
仙蔵にとって昔は見慣れた自宅が、まるで他人の家そのものになっていた。
基本はワンルームの作りだが、無理やり仕切って作った一部屋は、昔仙蔵の父が篭っていた、書斎というにはお粗末な小部屋で、昨夜仙蔵はそこで寝た。
そこには学園時代の忍たまの友などの忍者のテキストが平積みされており、父が使っていた文机には、不釣合いな妙に重量感のある鈍色の算盤があった。
「お前から自宅を貸して貰って、凄く有難いと思っていたけど、昨日まで、なんだかんだで、礼をする時間が互いに取れなかったけど。今、言ってもいいかな?」
数年前の春、仙蔵が父親と決別してからずっと、空き家になっていた我が家。このまま朽ち果てると思っていた。しかし、この家の辿る運命はまだまだ終わりになることはなかった。
 
 卒業間際の雪の日。留三郎が渋る文次郎を説き伏せた、あの日。
 
『そんなの無理に決まってるだろ。』
『そんなこと、ないんじゃない?』
『ないことはないんだろうけど、そんな急にというか』
『卒業まで間がないんだから、この際せーのっ、で決めたらいいんじゃない。』
『せーのっ。って、お前な。』
 
卒業したあとに一緒に暮らさないかと、留三郎が意を決して文次郎に問い掛けた。当然、文次郎は答えを出し渋って、話し合いが平行線になるのは当たり前な成り行きだった。しかし――。
 
『頭っから無理だと決め付けなくても、お前さえその気になれば、どうにでもなるのではないか。』
 
結局は仙蔵の助言もあり、留三郎の卒業後の二人の生活設計を、文次郎はどうにか了承した。思わぬ展開に喜んだのはいいが、留三郎は、実家の他に特に手持ちの一軒屋を持っているはずがない。家を探さなければ、せっかくの文次郎との卒業後の同居(内容はそれ以上)がふいになる。そこでも仙蔵が、都合よくしゃしゃり出てきた。
仙蔵はその当時、あの父親もこの家を出て行ったと風の噂で聞いたので、なんとなしに自分の元実家を奨めてみた。そして現在はこのような有様になっている。
「いや、お前と文次郎の新居として貸すにしては、お粗末だと思っていたぐらいだから、寧ろ申し訳ないとさえ思っていたのだが。」
「でも、ありがとよ。」
「どういたしまして。」
この場に文次郎はいない。昨夜この家を訪れた時、百分の一の確率で、もしかしたらと思っていたが、そう簡単に叶えられるものではなかった。
そもそも常時、文次郎はこの家には住んでいない。普段は勤め先の城に詰めていて、休暇の時に帰ってくる。
この留三郎が待つ家に。二人が折りあいをつけて始めた新生活は、そこに落ち着いた。
仙蔵はそんなふうに聞いていた。文次郎は留三郎と出来る限りでいいから、ここで暮らすという条件で、職場である城とこの家を行き来していた。たとえひと月に一度、一日か二日の間でも、つかの間の休日を留三郎と過ごす、それが卒業後の文次郎だった。
 
 外の雨は収まる様子はない。そして仙蔵もまた、居たたまれない。埃が積もったテキストの類と、算盤を思い出して、上手く作れない作り笑いを、留三郎に向けていた。
「帰って、こないんだ……」
がっくりと膝を折る留三郎。誰がと訊けば、問われるまでもないだろうと留三郎は言うに違いないと、仙蔵は一人合点する。くるりと背中を向けると、勝手知ったる、元我が家の囲炉裏のほうに移動した。昨夜の夕餉の残りを温めようと、囲炉裏に火を入れる。
「お前。あいつのこと、何か聞いてないか?」
「私が聞いている情報では、文次郎らしき忍者の話は、ここ半年ほど聞かない。というか、お前の連れ合いなんだから、いい事も悪い事も、情報はお前の所に入ってくるはずだが。」
卒業後、仙蔵は文次郎に一度も逢っていない。遠慮したとかではないが、文次郎は留三郎と一緒にいるんだから、もうこれ以上自分が茶々を入れる必要はないし、入れる隙もなくなっただろうと思っていた。
「そりゃ、そっか。」
「他人事にするつもりはなかったが、少しは様子を見に来たほうが、良かったかな。俺。」
「うん。そうかもしれない。こんなことになると分かってりゃあな。」
留三郎は顔を上げる。優秀な役者が作るような、完璧な泣き笑いの顔だった。
 
     *   *   *
 
留三郎は文次郎を含めた同級生(しかし一番に文次郎)と、卒業後敵対する可能性を出来る限り避けるため、フリーの忍者になった。そしてまた仙蔵も、移り行く乱世を見届け、見極めるため、フリーとして忍者をしている。彼らの恩師の子息が、彼らに最良の可能性を示したわけだ。
しかし文次郎は、そんなあやふやな選択はしなかった。自分が身を置くべき城を選び取り、それに適う資格を得て、そこに見事就職した。そして数年が過ぎた。
文次郎も新入りと呼ばれる時期を乗り越え、留三郎もフリーの忍者として名を売れる段階まで進んでいる。
しかし文次郎には、城仕えの忍者とは別の顔があった。やはり恩師の関係者、ぶっちゃけ言うと、その配偶者たる彼女が、文次郎にとっての、影の師匠である。
紅と力を司る、朱雀である彼女。
その彼女から「伝説のくの一」を襲名した。かなり混乱を招く称号である。
忍者の世界の黒歴史において。くの一とは、女の長所を使うだけのお色気担当ではない。凄まじいまでの人体改造と、特殊能力の発現を持って、その異形とも呼べる力を振るう者のことを、一般の意味とは別に、その名前には、この由来が隠れていた。
女の字の崩し文字ではない。十ある内の九の死を、乗り越えられただけの一。有難いほどの確率で存在する、最早、人とは呼べなくなった者。
文次郎は、正確には自らの意思で、そんな異形に変化すると決めたわけではないが、いつの間にか、そう仕組まれていた。
仙蔵はそんな文次郎と対になる、黒と守護を司る存在である。ぶっちゃけ仙蔵も「伝説のくの一」の称号を会得していた。
号して玄武。
その話は別の場所で語られるかもしれない。
そんなことより。留三郎は泣きそうというか、昨夜から、いつ泣き言がくるか、仙蔵はひやひやしていたが、やはり現実のものになってしまった。
学生時代はずっと、文次郎と一つの部屋で過ごしてきた仙蔵の中の違和感。文次郎の家のはずなのに、文次郎の匂いがかなり薄い。仙蔵ぐらい文次郎と付き合いが長いと、文次郎が大体この家を出てからの時間は見当がつく。この匂いの薄れ具合からして半年かと思って、留三郎を見る。留三郎は緩やかに、しかし間断なく語り始めていた。
「新年にも帰って来なかった。その前まではひと月にいっぺんくらいは帰ってきたのに。だから心配になって手紙書いたけど、返事一つ返ってこなかった。ていうか、あいつの上司から送り返されてきた。現在そのようなものは、うちにはおりません、だとよ。どこの日本電電公社だよ。互いにこんな職業だし、最悪の事態を考えて、仕事の合間に情報をかき集めたけど、とりあえずは死亡は確認されてないらしい。まあ、忍者だから、いちいち生存とか死亡が確認されることは珍しいけど。たぶんあいつのことだから、なんらかの形で知らせてくれるとは思うんだ。あの十キロ算盤の玉が、ばらばらになるとか。」
「あの算盤はあいつの分身かっ。縁起でもない。というかあの算盤が学校の備品じゃなくて、あいつの私物だったことが驚きだ!」
「あ。知らないの? 用具とか保健とか会計とかの委員会の連中は、卒業後も学園時代の愛用品として、道具を学園からプレゼントされる伝統があるんだよ。俺が使ってるのもそれだし、機会があったら伊作にも聞いてみろ。作法にはそんな感じのないの? それはともかく、なんか嫌な予感がするんだよ。あいつ、例のアレを襲名してるから、新入りながら影で一目置かれていたらしいし。まあアレは大っぴらにすることの出来ない黒歴史の産物だから、それを自己アピールで宣伝して、就職したわけじゃないけど。しかしあの力を、かつて利用した国や、それに攻撃された国にとってはトップシークレットの厄ネタだから、消されてる可能性もあるわけだし。もう、この家に帰ってこれなくなってるんじゃないかって。思っちゃたり、しちゃったり。」
「お前は文次郎の能力と、職場の事情とを、文次郎が帰って来ない理由に結び付けようとしているようだが、お前ら自身に問題はないのか?」
「問題? 問題……、問題かあ……。」
仙蔵はますます鬱陶しくなる雨音に顔をしかめながら、留三郎の言葉を待った。
「問題って言っても別に、仕事にはあぶれてないし、貯金もまあまあ出来たところだし。つ、付き合った当時よりは、俺は落ち着いたつもりだし。」
「落ち着けって言ったのは私自身だが、その弊害が今更出てきたっぽいな。なにもかもを、文次郎中心に考えて生きているお前を、文次郎は疎ましく思いだしたのかもしれん。」
「まさかの自然消滅狙い!」
留三郎は顔を覆って泣き崩れる。相手をないがしろにして、見捨てられるならまだしも、相手に尽くして愛想をつかされてしまうのは、想像絶する絶望であろう。しかし割りとありがちな話である。
「なあ。留三郎。お前にとっては、仕事よりも愛する者かもしれないが、あいつの性格を考えてみろ。限りなくお前の優先順位は低いと思うぞ。そんなそれぞれの姿勢のズレが、この事態を引き起こしたのかもしれん。そんな現状が訪れるかもしれないのに、あの日、お前の独占欲丸出しの態度に対して、嫉妬と負け犬根性の勢いで、一方的に責め立て、殴ってしまった私にも責任がある。今そんな気がした。」
仙蔵は自分が提示した可能性が、さも事実であるかのように語る。そしてそれは留三郎の思考を侵食しかけていた。
仙蔵は意識してもしなくても、そのような言い方をしてしまう。特に仙蔵に悪気があるわけじゃない。ただひたすらに嫌な感じに言うことがリアルで、たとえ話がたとえ話として聞いていられなくなるのだ。
「あいつ、俺に気を使って、仕事のことは、この家に持ち込まなかったから。でも、あいつにとっては、俺と一緒にいても、やり残しの仕事が気になってたかもしれない。それに気付かず、あいつとのつかの間の平穏に、どっぷりと漬かっている俺を見て、心の中では俺を詰っていたかもしれない。」
 
『どうせこいつは、外の俺がどんな思いをしてるか知らないんだ。……くそう。幸せそうな顔しやがって。俺といるのがそんなに幸せか。そんな卑小なことが幸せなのか。天下国家を思えとは言わないが、もっと考えるべきことはあるだろうに。色恋にとろけきったこいつと居て、本当に俺はいいのだろうか。そりゃあ俺には、ごくたまに休息が必要かもしれない。安心出来る場所に、こいつがいる現実が幸せなのは、確かだけど、それだけじゃ駄目な気がする。』
 
「わー! わー! わー! きーこーえーなーいー。」
幻想の文次郎が背中を向けて去っていく。その先に、年のころは壮年と思われる手練の忍が、歩み寄ってくる文次郎に向かって、頷いているような気さえした。妄想の中で自分が作り上げたその男(文次郎の所属している忍者隊のベテラン忍者)に比べ、文次郎と同年の自分はなんと青臭い。敵うはずがない。
 そうだよ。あいつは、強い男や優れた男を手放しで尊敬する傾向が昔からあった。ただの憧れならいい。だけど、それが俺の知らない間に、恋に変り果てたとしたら。
「……う。嘘だろ……。そんなの嫌だ。」
「なんかさっきからブツブツと。妄想癖があるのは伊作だけと思っていたが、は組っこには一律伝播しているものなのか。」
留三郎は涙で濡れた片袖から、きっ、と顔を仙蔵に向ける。
「引き金を引いたのは、てめえじゃねえかよ。」
「俺は、一つの可能性を提示しただけだ。罪のないたとえ話だ。」
「どこが罪がないんだよ。お前が言うと、凄くほんと臭く聞こえるんだよ。」
「半年前の文次郎に、変わった様子はなかったか?」
「えっと、半年前か。いつも通りだったな。普通に帰ってきて、普通に俺の作ったご飯食べて、普通にエッチ……」
「やめんか! 要するに普通だったんだな!」
仙蔵がここぞとばかりに、留三郎の腹に拳を叩き込んだ。
「ごふっ。」
留三郎の呼吸が一瞬止まる音を聞いて、慌てて背中をさすってやる。
「しかしな、一見普通に見えたかもしれんが、文次郎とて、実社会に出てかなりの時が経っている。思っていることを顔に出さないくらいの処世術ぐらい身に付けたかもな。不器用なあいつにしても、時の流れというのは、人を変えていくのかもしれん。」
「また嫌なたとえ話っ。そんじゃ本格的に、俺はどうすりゃいいんだ。」
仙蔵は留三郎から視線を逸らし、しばし宙を睨んで思案していたが、一言あっさりと言った。
「待つしかないだろ。」
一瞬の間。その間にも、雨音は間断なく続いていたが、その雨音をかき消すように留三郎は叫んだ。
「待ったもーん。半年待ったもん! それ以上どう待てっていうんだよ。それにお前の言う可能性が本当なら、待ってたって、文次郎は帰って来ないもん。」
「甲高い声で叫ぶな。ていうかな、冷たい言い方になるが、俺にとっては、お前と一緒にいる文次郎が、幸せじゃなくてもいい。とにかく文次郎が幸せなら、どこで誰と、何をしていてもいいんだ。」
「ひでえ! なんかひでえこと、言われた。」
「そうだ。俺は文次郎の幸せには関心があるが、お前の不幸せには一切興味がない。人間が誰にでもボランティア精神を、掻きたてられると思うなよ。困った人間に手を差し伸べる。それは法律でも、なんでもないんだ。それは人間の善意なんだ。それがあればもっといい方向にいくだろうなあ、っと言うような、いかにも曖昧なもんなんだよ。希望的観測なんだよ。だがな」
仙蔵は留三郎の額を、人差し指で小突いた。
「お前が取れる一つの手段を言ってやろうか? それは」
ちょっと待て。留三郎が仙蔵の言葉を遮る。留三郎が向けられた、仙蔵の右手人差し指を掴んだ。そしてそっぽを向いて、気恥ずかしそうに呟く。
「俺は、この家で待ってるから。ちゃんと帰る場所を守るから、あいつがどこにいるのか、探してくれ。仙蔵。頼む。」
仙蔵は満足そうに言う。
「よくできました。」
自分でも持て余す問題なら、誰かに頼むのも一つの手段だ。自発的には人は動かないかもしれないが、名指しで依頼されれば動いてくれる人間だっている。曖昧なことを嫌い、物事に白黒つけたがる仙蔵は、直接頼まれれば動くような、そんな男だった。
 
外の雨はまるで降って降って降り続けて気が済んだかのように、だんだんと小降りになりつつあった。
「気は済んだか。少しは軽くなったか。」
「そうだな。自分だけで悩んで、物事がどう良いように転んでくれるか期待して、うじうじするよりは、幾らかましになったな。」
「それじゃ私は」
もうすぐ止みそうな雨を見て、仙蔵は戸口に視線を向ける。
「ちょっと待て。手紙を書く。」
留三郎は大慌てで硯と巻紙を探す。今度こそ届くかもしれない手紙を、仙蔵に託すつもりらしい。
 空はだんだんと明るくなってきた。恋人に宛てた文をしたためる男は、顔をしかめたり、にやけさせたりしながら、長々と筆を進めている。仙蔵は雨と同じように、まだまだ終りそうにない長い手紙が書き終わるのを待つことにした。
 
「大工の休日は雨の日か。私も大工の休日を満喫してから、また旅に出るとするか。」




続きは考えてないわけじゃないですが、書けてません。
またいつか書くかもしれません。

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☆ss『蟷螂の歌』 (伊作×雑渡)

伊作×雑渡。甘めのちしょっぱめ。

蟷螂の歌



きりぎりすが恋の歌を歌っている。

「誰を呼んでいるんだろうね。あの蟷螂は。」
雑渡のわざとかどうか分からないボケに、伊作は前のめりになってひっくり返った。
「え? 蟷螂って鳴かなかったっけ?」

「鳴きませんよ……。」
 雑渡は包帯の間から眼をぱちくりさせながら、こけている伊作を見ている。どうやらボケではなく本気で思い込んでいたらしい。
 しかし伊作は、三十六歳の男に言い聞かせるように言う。
「いいですか? 蟷螂は鳴きません。雌の出す特殊な匂いに惹かれて、雄が雌を見つけるんです。鳴く虫は雄が雌を呼ぶために鳴くんですよ。」
「へえ。そうなの?」
「そうなんですよ。」
「いやあ。おじさんは知識が偏ってるから。」
 小さな子どもでも知っているようなことを、このいい大人は知らないという。呆れる前に、怖気が立った。伊作からすればいつ誰から教えて貰ったなど、とうの昔に忘れて当然なほどの、知識以前のものなのに。
想像出来ることは、隣でずっと蟷螂が鳴くと思い込んでいた大人は、あまりまっとうな幼少時代を過ごしていないのかもしれない、ということだった。
「いや。僕はどの虫が鳴くのか知らないから、虫の鳴き声が聞こえてきたら、蟷螂で想像してたんだけど。あの頑丈な顎見てるとさあ……。良い音しそうだよね。でも鳴かないかな? 蟷螂。鳴いたら面白そうだけどなあ。」
「三十六になるまで、その思い込みを誰にも正して貰えなかったんですね。というか、虫は顎で鳴きません。」
「本当に伊作君はなんでも知ってるねえ。」
 この程度の薀蓄で褒められるほうが、なんとなく辛くなってくる。しかし伊作は気を取り直そうと思った。だって、本当に久しぶりに、雑渡といちゃつけると思っていたのだし。それは今、実現しているのだから。
 伊作は縁側に座っている雑渡の側に移動して、その隣に座る。そして腰に手を回すと、雑渡は伊作の肩に凭れかかってきた。
「この家も大分、人が住めるようになってきましたね。最初来た時はなーんにもなくって、殺風景を通り越して殺伐としてましたから。」
 雑渡は思い出していた。自分の家のはずなのに、帰ってきても安らげる場所じゃなかった。帰るべき時に帰らなかったから、家の中に必要なものは増えず、それで余計に帰らなくなるという悪循環を繰り返していた。ただ自分の身分として、一戸建ての屋敷がなければ体裁が取れなかったので、必要はないけれど所有していただけの家だった。まるで愛着のない場所だった。
「家具なんかも増えましたよね。結構趣味がいいものばかりで。」
「今まで使わなかったお金を使ったからね。あと、小頭にコーディネートしてもらったり。」
 元々は庶民クラスのいい加減な建て方をした家ではなく、それなりの職人の手による屋敷なので、それなりの調度品を配せば、それなり以上に趣のある佇まいにはなった。流石に荒れ放題だった庭も草を刈って、庭木を剪定すれば、庭園と呼んでも可笑しくないくらいには、その本来のあるべき姿に回復した。
 雑渡はその庭を眺めながら何気ないふうを装い、雑渡の尻を撫でている伊作の手を抓る。
「あいたっ。」
 伊作はそれで手を引っ込めることはなかったが、その独特な動作は止めた。
 
 今は夜半過ぎ。忍術学園の学生である伊作が、タソガレドキにある雑渡の家にお泊り然としていられる場合ではない。
 しかし、忍術学園は今、農繁期の秋休みなので自主的に学園に残る生徒以外は、家に帰っている期間だった。当然授業は無いし、農家の家ではない善法寺家は、伊作がこの時期に帰ってきてもお呼びではない。しかも伊作自身も家に寄り付かないのが常で、例年ならば友達の家を泊まり歩くとか、学園で薬を煎じる日々だった。
しかし今年は違う。ひと月半前、委員会の後輩とその彼氏に纏わる面倒ごとのため、このタソガレドキを訪れた。その際に衝撃的に激動的に、伊作と雑渡の関係における転換期が降って沸いてしまった。そして結論的には、伊作は一夜を雑渡と、今この伊作が滞在している家で明かした。先の伊作の回想は、その時の雑渡の家の様子を今と較べているものだった。
「あれから結構、頑張って色々集めてみたんだよ。ちゃんと今は住んでますよっていう体裁にしたし、ここでご飯作って食べてるし。」
「職場であるお城と自宅が近いんですから、前々からそうすれば良かったでしょうに。」
「だって一人暮らしだから、めんどくさかったんだもん。お城でも詰め所でも食べ物や寝る所はあったし。わざわざ出勤しなくても良かったし。それに、月の半分くらいは戦場だしね。僕の場合。」
「でもやっぱり、人間らしい暮らしは必要だと思いますよ。僕としては。」
 伊作は今度は、凭れかかっている雑渡の無防備な首筋に、口元を寄せて、わざとらしく自分の息が当たるように言葉を吐く。
「だから、僕の為にこんなふうに家を整えてくれたんですね?」
「うーん。誰かを招くことがなかったら、ずっと幽霊屋敷だっただろうね、この家は。」
 恥ずかしがったり照れくさがったりするわけでもなく、淡々と話す雑渡に、伊作はちょっと当てが外れたように眼を伏せる。
自分のためとは言わないが、自分と付き合って変わったという事実に、雑渡はあまり感動を覚えてないようなので、これも大人力の成せる業かと肩を落とした。自分が変わったことが劇的なことだと思わず、ただの成り行きだと思っていそうな所が、伊作のような青臭い十代にとっては、かなりやり辛い。
 しかしこうなれば伊作は意地になってくる。少しぐらいは雑渡が良い意味で動揺する姿を見なければ、気がすまなくなっていた。
「雑渡さん。」
腰に手を回したままで空いた手を肩にかけて、誘導するように雑渡にこちらを向かせる。向き合って顔を近づけると、雑渡は素直に瞼を閉じる。
素直すぎる。物足りないのではないが、伊作が欲しいのは雑渡の動揺という手ごたえである。こう、打てば響くような。
動きを止めた伊作を奇妙に思ったのか、雑渡は眼を開けると小首をかしげてみせた。
「どうしたの?」
 伊作はじっと雑渡を見ている。元々瞬きの少ない眼が、少しも揺れることなく伊作を凝視している。雑渡の心を少しぐらいは揺さぶろうとして肩を引き寄せた割には、なんだか自分の心のほうが波打っているような気がする。これが二十年の世代の差なのだろうか。
「雑渡さんは……、あんまり動じない人なんですね。」
「職業病だと思うよ。」
 そう受け答える間も、雑渡の片目は伊作を射抜かんばかりだ。思わず視線をずらしてしまう。負けている。完全に負けている。
「ま、まあ雑渡さんはあまり動揺しちゃうと、前みたいに身体機能がぐだぐだで、危険なことになっちゃいますからね。」
 雑渡の目がかすかに曇る。一ヵ月半前のことを思い出しているのだろうか。なんだか悪いことでも言ってしまったのかと、伊作は頭の中で軽い後悔を覚えた。
 とはいえ、わずかながらでも雑渡の心の動きを捉えた気がして、伊作は言葉を続ける。
「身体機能を改造してまで延命しているのが、貴方なんですよね。でもそれに不可欠なのは、いつも冷静で沈着でなければならないことなんですよね。少しの動揺で、貴方がどんなことになるか、あのときまでちっとも思い当たりませんでした。」
 伊作はそれをただ知っているだけだ。そんな危険な状態になった雑渡を、目の当たりにはしていない。過日の記憶に言及したところで雑渡が唐突に口を開いた。
「そういえば、彼はどうしてるのかな?」
「彼?」
 伊作は目を剥く。しかし伊作の右側に座っている雑渡にはそれが見えていない。なお淡々と続ける。
「君についてきた後輩の子で、尾浜勘右衛門君。」
「あいつが、あの野郎がどうかしたのですか?」
 今まで滑らかだった伊作の舌に引っかかりを感じて、雑渡は伊作を見た。
「僕が死に掛けたとき彼が僕の口を塞いでくれたお陰で、制御不能に陥っていた僕の身体は、コントロールを取りもどした。寸でのところで命拾いしたんだよね。」
 伊作は一瞬だけそんなことかと納得しかけたが、そこで思わぬものを見つけてしまい、唾を飲み込んだ。あの雑渡がうっすらと目元を染めている。包帯と包帯の隙間、そのわずかな間に見つけてしまった。どうして、あの後輩を思い出して頬を染めているのだ? この忍者隊組頭は。
 雑渡の先ほどの台詞を反芻する。
「………。……口を塞ぐって、どうやって塞いだんですか?」
「あのとき僕は、君が彼と真昼間から淫らな行為をしたと告げられて、すごくショックで、後先考えてなかったんだ。走り回って体温を調節することさえ忘れて。そこに尾浜君が通りかかったもんだから、ますます僕は激情で忘我の状態になって。身体が熱に侵されるまま、彼を詰った。そんなふうに心を波立てることが、さらに僕の身体を蝕んでいるのに、僕にはそれを止める気さえなかった。」
 滔々と語る雑渡の言葉は、あまり伊作の耳に入っていない。
「それで、あの野郎は貴方に何をしたんですかあ?」
 あくまで本題を踏み外さないように、伊作は執拗に雑渡に尋ねる。雑渡は伊作の苛立ったような口調に気付かない。
「だから熱で死にそうな僕を助けて――」
「それは分かっています。その手段を聞きたいんです。」
 一ヶ月前に、雑渡の精神を追い詰めて殺しかねない言動を取った男が、そんなことは全て高い棚の上にあげている。
伊作の知らない空白の時間。あの後輩は、この現恋人に何をしたか、追及することだけが伊作の頭を占めている。
 一ヶ月前のあの日まで、どちらかというと雑渡を疎み気味だった癖に。自分のものになったと確定した時から、傍で見れば見苦しく恥ずかしい独占欲を、これでもかとばかりに雑渡本人に見せつけていた。
 しかしそれは常に雑渡に軽く流されていた。悲しい年の差と実力の差だった。
「あのとき僕は相当弱っていたからねえ。まあ、それが結果的には良かったんだけど。尾浜君の手を振り払うことも出来なかったから、彼が僕を落ち着かせようとしてした行為を、我ながらあっさりと受け入れたんだよ。」
「だからどうやって――。く、口を塞いだんですよね?」
 雑渡はかりかりと頭を掻いている。
「マウス・トゥ・マウスっていうか、彼は両手で僕の身体を押さえてたから、口を塞ぐ手段として、僕にキスしてきたんだよ。」
 伊作はすぐさま反応できなかった。しかしそれは呆然としていたのではなく、大技を決めるための「溜め」みたいなものだった。
「………。あの野郎、殺す。」
 溜めに溜めた怒りは、凝縮された言葉で吐き出された。
「殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。」
 不穏な言葉を呟き続ける伊作を、雑渡はやはりあまり動じてないように見ている。まるで虫の鳴き声を聞いているように、その不吉な呪いの言葉を子守唄代わりにしているように、目を細めて聞いていた。
「ははっ。伊作君が恋の歌を歌ってるみたいだ。」
 命の恩人の命の危機を予感させる言葉の反復を、雑渡は持ち前の夢見がちな思考回路で、見事に甘ったるいものに変換してしまっている。
「殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。」
 伊作の口からは、ずーっと勘右衛門を呪う言葉が紡がれ続けている。雑渡はそれを止めようとしない。
 鳴かないはずの蟷螂が鳴いたら、こんな風に鳴くのかもしれないと、雑渡はいつまでもその響きに心地良さげに耳を傾けていた。

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柴仲達
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読書、二次創作
自己紹介:
忍たまで「幸福雑音」というサークルで、大阪のイベントに出没しています。
絵描きの竹さんと字書きの柴の二人サークルです。
柴はツイッターもしています。http://twitter.com/#!/hitsugi12

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