幸福雑音
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☆ss「メヌエット」勝燐、雪燐 性描写微妙にあり「パドドゥ」「ストルネッロ」の続き
なんも知らん奴に煽られとった。
勝呂は努めて平静な顔をしていた。
なんもというのは、性的なことの詳細だった。男同士のセックスは知ってる奴も知らない奴も全体の男の中で半々くらいじゃないかと踏んでいた。自分の付き合っている相手がそういうことを知らない部類だとは予想していたけど、それでも軽いショックはあった。自分は男同士のセックスの仕方を知って、なおかつ手を出さないと言っていたのだが、本格的に手を出せないとなるとなんだか、もやもやと頭の中が煙のようなもので満たされたような気がした。
勝呂にとってはそれは落胆には値しなかったが、やっぱりかという諦めの気持ちを募らせることになった。
『ほんまに人の気も知らんとにこいつは。』
いつものように自分に構う勝呂に、嬉しそうに微笑みかける顔が憎たらしく見えてくる。何にもしらない『おぼこ』の癖に。煽るだけ煽って何も知りませんでした。それって詐欺やないかと文句の一つくらい口から出てきそうだ。
顔には出さないが、ここで思い知らせてやろうかと思って衝動的に燐の手首に手が伸びそうになったが、すんででそれは回避した。流石に他愛も無い無知の罪に対して罰が厳しすぎると思ったからだ。
何も知らぬげに燐は勝呂の膝の上で猫のように甘えてくる。安心しきった顔で時々自分の前で組まれている勝呂の腕に頬を摺り寄せてくる。キスもねだってくる。
なんて思わせぶりで。なんて拍子抜けで。なんて可愛い奴なんだろう。
* * *
勝呂は燐と旧寮と新寮への分かれ道で別れる。そこからレンガの歩道を歩いて寮に着く。
今頃燐も弟の待つ部屋に戻っているだろう。
奥村雪男は自分たちの交際にたぶん気付いていると思う。しかし何も勝呂に言ってこない。黙認されているのか?
「それにしても誰なんやろうな。あいつにあんな男同士のアレを入れ知恵したやつは。」
志摩が一番に頭に浮かぶけど、燐と二人で話しているところは最近は見ていない。それにあんまりどぎついことや、ドつぼにはまることは極力言わないのが志摩という男だ。大抵はその場限りの戯言で済まされる。
「ならやっぱり奥村先生やろか?」
勝呂は頭を抱える。あの旧寮の部屋で燐と雪男の間で、どんなやり取りがあるのかは知らない。雪男も勝呂の前では態度には出さないのが、黙認はしてくれても警戒はばっちりされているということだろう。しかもあの燐の性格を誰よりも熟知しているから、勝呂への甘えたようなアプローチも予想済みだろう。
「あの人とはあんまり、どうのこうのと言う事態は避けたいんやけどな。」
燐のことであっちから何も言ってこないのなら、こっちとしても態度で示してわかって貰う他ない。
『俺は燐のことをいい加減な気持ちで好きなわけやない。』
『燐の身近な人が心配するような、軽はずみなことは絶対にせえへん。』
あの人も自分と同じ慎重な人やからと勝呂は思った。
勝呂は顔を上げる。目の前には寮の扉があった。扉を開けるとそこは整然とした学校と違って、雑然とした生活臭さが眼に入ってくる。いくら外装を西洋風に整えたって、中の人間のほとんどは日本人ばかりだし、年頃の野郎どもばかりだった。勝呂もその中に入ってしまえば、それにまぎれてしまえば、年頃の野郎どものその何百何十何番目にしか過ぎない。
勝呂の燐に対する思いだって、何百何十何人の誰かと重ならないわけじゃない。同じ考えかたの奴がいれば、勝呂の考え方だって平均化されてまぎれてしまう。それが勝呂にとって嫌なわけじゃない。男が男を好きなんだから、頭の中で幾ら取り繕ったって、受け入れがたい真実も浮き彫りにされる。でも燐のはにかんだような笑顔とか、自分に向けられる甘い声とか、それと引き換えに出来るものなど、今のところは思いつかない。究極のところ、自分の一番の前提である「サタンを倒す」という夢というか野望の障害になるはずもないので、頭の中を満たす煙にむせて苦しむのはお門違いかもしれない。だがいつも頭の隅っこには奥村雪男の気配が燻っている。それが頭の中の煙の元だろうか。
「まあ。あの人があんまり完璧すぎるんや。それに対する嫉妬やと思っとこ。」
勝呂は今日も整然と自分の物思いに決着が付けられたことに安堵する。今の自分と燐の関係がこれからも変わらないという、根拠にしたかった。
勝呂は自室のドアを開けると志摩がベッドに寝転がっておかえりやすと出迎えた。ただいまと当然返す。壁に作りつけの机にさっきまで抱えていた荷物を下ろした。
さて――。心のもやもやはとりあえずは解消した。問題なのは如何ともし難い生理的欲求だった。
「志摩。ちょっと外出るわ。」
「いってらっさーい。」
勝呂は再び部屋をあとにする。入れ違いに子猫丸が入ってくる。
「子猫。俺はちょっと出てくるわ。すぐに戻ってくる。」
「あ……。そ、そうですか。」
心なしか視線を逸らされたような気がした。
志摩にしても子猫丸にしても勝呂が何の為に部屋をあとにしたか、薄々気付いている。何回も燐と会う度に行われる儀式めいたものだから、当然と言えば当然かもしれない。二人はそのことについて一度たりとも勝呂に問いかけたり、不愉快そうにしなかった。こういうところがなあなあなのは、幼馴染だからこそかもしれない。
勝呂が向かった先は共同トイレの一番奥の個室だった。金持ち学校だからか綺麗に掃除されているけど、使う対象が男子高校生なために、どうしても避けられない後ろぐらいところも目に入る。いわゆる落書きだった。
「また消されとるわ。」
しかし新着の落書きが鉛筆で書かれていた。短い言葉で「犯りたい」と。悪戯心というには妙に生々しい走り書きだった。これが三つ四つ並んだ頃に必ず大人の手で消されてしまう。まるで自分達が管理している男の端くれの、子供たちの性欲を否定したがっているようだ。
大人の気持ちは勝呂は分かるかどうかは知らないが、自分の性欲がなんとなく邪魔っ気だとこの頃はよく感じている。なんもかんもあのとんちんかんな奥村燐の所為だ。
勝呂は性急にズボンのチャックを下ろす。そして自分の性器を扱き始めた。エロ本など手元には無い。頭の中で勝呂を煽っているのは、奥村燐ただ一人だった。甘え声や肌の感触を思い出して、自分の分身に熱を与えていく。
「ほんまに。ほんまに……。あいつは人の気も知らんとに――。」
勝呂には燐に思い知らせるという選択肢もあった。でもその選択肢は選べなかった。選べなかった選択肢を悔やんでも仕方ない。例え燐が妊娠することがないとしても、自分の欲望だけの為にそれを強要出来るはずもない。現に男同士のセックスの仕方を知って、怖がられたじゃないか。手を出さないと言ったとき、なんとなく安堵の表情を浮かべてたじゃないか。ならこれは正しいルートじゃないか。
「ほんまに――。同じ男やのにややこしい。」
終わった後の汚れた手の平を見て、勝呂はほっと安心する。
「これは自己満足やなんかやない。」
他人への愛は、自分に対する自己愛も混じっているというのが定説だろうが、自分はまじりっけ無しに燐のことが好きだ。それが勝呂の持っている真実だ。例え抑えがたい性欲に苛まれても。
「そんでも可愛いんやから仕方ないわ。」
勝呂は個室をあとにして志摩と子猫丸の待つ部屋に帰って行った。
* * *
「もういいだろっ。本当に俺に対してそんなことはしないんだ。」
「そりゃあまだ付き合ってそんなに経ってないからだよ。」
燐の言葉や自分を庇おうとする手を押しのけて、雪男の手が燐のシャツのボタンにかかる。
「兄さんが自分で脱がないなら僕が脱がせる。」
「雪男。どうして俺を信じてくれないんだ? どうして勝呂の言葉を信じてくれないんだ?」
「男が男を信用出来るわけない。」
それは自分に対する罪悪感の裏返しだった。雪男は自分自身の理性だとか兄への愛情にも疑心を募らせているから。目の前でしおらしく可愛らしい言い訳ばかりする、その面の皮の奥がシロだと分かるまで、兄の言葉も信じられるはずもない。
「服を脱いで、昨日と同じところを僕に見せるんだ。いいね。兄さん。」
燐の顔がくしゃくしゃと歪む。
「俺がサタンの息子だから悪いのか?」
お定まりの泣き言は聞かない振りをする。
「さあ、兄さん。」
雪男は後ずさる燐をベッドに追い詰めて冷たく笑った。
勝呂がどれだけ誠意を見せようが、燐がどれだけ信じてと叫ぼうが、通用しない男・奥村雪男でした。
しかし勝呂と雪男の間で、燐に手を出さない耐久レースのような様相も呈してきました。
当事者にとっては我慢できなくなったほうが負けと思い込んでいるようです。
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