幸福雑音
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☆ss「ラプソディ」 勝燐「カノン」の続き。お泊り編。
旧寮は勝呂が想像していたよりも設備としてはそんなに古くなかった。寺で生まれ育った勝呂にとっては、古い内には入らない。しかしたった二人しかいないものだから、男子寮に付き物な活気という油気がほとんど抜けたような、無味乾燥な印象はうける。
六○二号室の奥村兄弟の部屋の前まで来ると、ドアをノックした。
「俺や。入るで――。」
時刻はまだ夕方を過ぎたばかり。燐の思惑とは別に勝呂にとっては、燐にみっちりと勉強を教えなければならないという使命感があったので、こんなに早く来てしまった。
「勝呂。ちょっと早くないか?」
燐は何故か赤面していた。
「あんじょう勉強するためやからな。」
絶対燐は自分の顔を早く見たいからだろうなんて誤解している。しかしその甘ったれた根性は、すぐさま叩き直される。甘やかしてやるのは、やるべきことをやってからだ。
勝呂は燐に案内されて部屋の中に入る。
「あ。こっちが俺だから。」
「見れば分かるわ。」
手前のスペースには本がみっしり入った本棚がある。そして机の上にも付箋が幾つも挟まれた本が積み重なっている。どう見ても燐の弟の雪男の領域だった。
「ほな。早速始めようか。」
「さ、早速……。」
「勉強や。勉強。」
「そうだよな……。」
燐は自分の落胆を押さえ込む。そして雪男の机の前から椅子を引っ張り出してくる。
「よろしくお願いします、先生。」
そんなに畏まらなくてもいいのにと勝呂は思った。まあこいつにとっては家庭教師なんて始めてだろうし。そういえば学園内の教室で勉強を教えることはあったが、こうしてプライベートな場所で私服姿で勉強を教える状態は、本当に家庭教師みたいだった。
「ほんじゃ、始めるで。数Ⅰのテキスト二十ページから――。」
* * *
三時間が経った。時計を見ると九時を回っている。そろそろこいつに休憩させないと頭がパンクするかもしれんと勝呂は判断した。
「燐。」
燐がしょぼしょぼした目を向けてくる。やはり限界間近だったらしい。
「少し休もうか?」
「やっと、休憩だっ。」
燐は机に突っ伏する。しかしゆるゆると起き上がると燐は言う。
「腹減らないか? 食堂でお茶とお菓子食わねえ?」
「そうやな。」
休憩だけでなく、糖分も必要かなと勝呂は思った。こいつの所の菓子が甘いもの系のものでなかったら、今度来る機会があったら自分でも用意しておこうとも思った。
椅子から立ち上がって部屋を出ようとする。
「あー。腰いてえ。」
燐がドアノブを回そうとする。しかし燐は焦ったように両手で開けようとしている。
「あれ? 鍵掛けたわけじゃねえのに……。」
回しても回してもドアは開かない。
「おい。どうしたんや。」
「ドアが開かない。古い建物だけど、建てつけ悪いわけじゃないのに。」
「貸してみい。」
燐に代わって勝呂がドアノブを回す。ドアノブは上手く回ってくれる。しかしドアは押しても開かない。
首を傾げていると、今度は部屋の天井あたりからぱしぱしと音がする。
「ラップ音かっ。」
続いて部屋の照明が点滅を始める。勝呂は確信する。
「こりゃあこの寮に、霊がおるわ。」
「えっ。今までなんともなかったけど。」
「祓魔師の奥村先生も一緒やったからや。だから大人しゅうしとったんや。今までは。」
「俺達舐められてるってこと?」
そのようやなと言って勝呂は頭の中の霊の致死節を検索にかかる。この学園に住み着くということは、たぶんキリスト教と縁がありそうだった。人を見てイタズラをするとかしないとかを判断するところからして、霊の割には理性的というか狡賢そうだ。まあ致死節を唱えれば一発だなと勝呂は思った。
「勝呂ちょっと待てよ。致死節言うのかよ。」
「そうせなあ、この状況どうにか出来んやろ。」
「いや。ちょっと可哀想じゃね? こんなガキのイタズラ程度のことで殺すまでもないんじゃねえのか。」
しかしこの霊のイタズラはエスカレートしていく。下級であろうが無抵抗でいれば、雪男の本棚の本をこちら目掛けて飛ばしてくるし、窓がいきなり開いたと思えば、けたたましい音を立てて勢いよく閉めてくる。
「やっぱり、殺るか。」
「だからちょっと待て。俺が、なんとかする。」
勝呂は怪訝な顔をする。実体を現さない霊に対してまた剣でも振り回そうというのか。いや。その前に燐は殺すなとも言っている。じゃあこの状況をどうするつもりだ。
「聖歌に致死節なんて無いよな?」
「詳しゅうは知らんけど。たまたまこのゴーストにヒットする確率は低いやろうな。」
「じゃあ……。殺るんじゃなくて、宥めてみる。」
燐は深呼吸する。そして目の前で十字を切って、アーメンと唱えると歌い始める。
「いざ皆来たりて喜ばしく 声を一つにし誉め称えよ。子羊イエスに御栄あれや。ハレルヤ。ハレルヤ。――。」
勝呂は目を剥いた。いつも背を丸めてだらしなく手をポケットに突っ込んで歩いている不良が、背筋をピンと伸ばして聖歌を朗々と歌っている。しかも――。
「なんか大人しくなってきとる。」
詠唱で瞬間的に消滅させられるのとは違う。霊が自発的に大人しくなっている。燐はその様子を見て、歌いながらも頷いた。
「称え奉れ我が内のものよ。称え奉れ生けるものよ――。」
今まで荒れ狂っていた部屋の中が静まり返り、散らばった物は元あった位置に戻され、勝呂と燐の前でドアが魔法のようにぱっと開いた。
「上手くいって良かった。」
歌うのをやめた燐が勝呂のほうを振り返る。勝呂は力が抜けた惰性で頷いた。
「あ、ああ……。」
* * *
霊が騒いでいる最中は時間を長く感じたけれど、実際は十分も経っていなかった。食堂で燐は厨房の奥で誰かから菓子とお茶を貰って、勝呂のほうに運んで来る。渋茶でもてなされると思いきや、思い切り香りのいい紅茶と、香ばしく焼けた焼き菓子が出てきた。
「ウコバクが好きでやってることだから……。」
「変わった名前やなあ。お礼言ってこんと。」
「いいからいいから。あいつ、いやあの人は、あまり男の前には出たくないらしいんだよ。でも料理振舞うのは好きだから。」
勝呂はとりあえずそこで納得する。二人で菓子を食べ、紅茶を啜る。先に会話を切り出したのは勝呂だった。
「教会育ちとは聞いとったけど、お前聖歌なんか歌えたんや。」
燐は恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべる。
「ガキの頃から聖歌隊に入ってたんだよ。」
「それにしては、よう歌詞なんて覚えとったな。」
「うん。あのな……。」
燐は昔の記憶を辿るように話し始める。
『おーい。いつまで寝てるんだ不良息子! 日曜日はお前の数少ない社会貢献の日だろうが。』
『ジジイっ。俺もう中学生なんだぜ! いつまでセーラー服着せて歌わす気なんだよ。』
『その台詞は声変わりしてから言うんだな。お前のソロと雪男のオルガンが、うちの教会の売りなんだよっ。早くしないと、ミサに来てくれる信者さんたちに申し訳ないだろうが。』
『くそう。雪男の奴は声変わりしてるから、カソック姿で俺の後ろに隠れてりゃあ良いけど。ちくしょー。』
『つべこべ言わず服着替えて、歌え。』
その頃の燐はいつまでたっても低くならない自分の声を呪っていた。雪男は早々と小学校の五年生くらいから声が掠れ始めていたから、燐のような不運には見舞われなかった。ひょっとしたら雪男だったら、嫌がりもせずにセーラー服着て歌ってくれるだろうに。
『俺がオルガン弾けないのか……。』
「というわけなんだよ。」
「お前いつまで、セーラー服着とったん?」
「そこは聖歌歌ってたって訊くべきだろ!」
「すまん。」
「別にいいけどさ。……中二の初め頃までかな。」
勝呂は燐の顔を見つめて感慨深そうな顔をする。
「一年と半年前まではセーラー服やったんか、お前。」
「セーラー服から離れてくれよ! 大体セーラーって言っても下はスラックスだぞ。女子高生って言うよりは、見た目水兵さんだぞ。ウィーン少年合唱団だってセーラー服だろうが!」
燐の言うことは常識の範囲だ。しかしセーラー服という響きが、日本人独特なイメージによって、勝呂の頭の中で変な変換が行われている。
「すまん。俺はそのつもりないんやけど、どうしても女子の制服のほうを思い浮かべてまう。」
燐はまあいいけどとフンと息を吐く。
「でもええ声しとったな。お前。流石はお父はんがソロを任せるくらいやわ。」
途端に燐は上機嫌になる。
「え? 声が良いって。……やった。勝呂に褒められた。なんか初めて。わー。凄い感動。」
「いや。前に料理も褒めたはずやけど。」
「あっちのほうは俺が好きでやってることだから、意外性がなかったのっ。初めて聖歌隊で良かったと思えたぜ。」
つくづくポジティブな奴だと勝呂は思った。だけどこれがこいつの取り得でもある。そしてこいつをこんな風に育てた、死んだジジイこと藤本獅郎のことが頭を掠める。
「やっぱりこいつのお父はん、こいつにセーラー服着せたくて聖歌隊やらせとったんやないか?」
全ては神のみぞ知る。
聖歌隊設定はアニメの回想から。燐の歌よりは、個人的には雪男のオルガンが聞いてみたいです。セーラー服印象はやはり女子制服のほうが思いつきやすい罠。
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