幸福雑音
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☆「東方琳鈴哀楽譚」第一話後編 美フラ マリアリ
アリスという魔女は魔理沙が来ると分からないはずの時でも、いつもお茶と少しつまめるものをテーブルに用意していた。今日も例に漏れずアリスのテーブルの上に、クッキーのなだらかな山が出来ていた。
魔理沙はいつかアリスに、どうして自分を待ち構えるように食べ物が用意されているんだと尋ねてみたことがある。
アリスの答えはこうだった。
『一日のうち、朝ご飯・昼ご飯・夜ご飯・十時と三時のおやつ・夜食の時間の、前の時間というのが存在するでしょ。私がその準備をした時間に限ってあんたが来るんだから。』
アリスはいちいち自分が羅列した回数の食事を摂るほど大食ではない。むしろ三度の食事の時間さえ魔法の研究と人形作りに充ててしまいそうな女だ。
そう。アリスという女は素直じゃない。だがそれ故に不器用という凡人のパターンに嵌まり込んで悩む女じゃない。その手先と思考回路の器用さは、器用という言葉が蔑称になるくらい細やかなのだ。
魔理沙はクッキーを齧り茶を啜りながら美鈴の思い出話の愚痴を語った。アリスは適度な相槌を打ちながら眉一つ動かさず聞いている。
「あんたの話を聞いていると、あんたは純朴な中華妖怪の優しさに付け込んだ上に、適当にどんな形でも解釈可能なメッセージもどきで簡単にあしらった、妖怪以上に妖怪じみた人間に腹を立ててるように一見聞こえるけど。」
魔理沙は首を横に振る。
「人間のずるさに人間の私が腹を立ててどうするのさ。」
「じゃあ私の解釈その二。あんたは美鈴のすぐ騙される馬鹿っぷりと、幻想郷に来ての転職先である紅魔館でも同じ過ちを犯した美鈴の学習能力の無さに呆れている。」
魔理沙はあーだのうーだの言いながら、そうかもしれないと頷く。
「美鈴は馬鹿だと思った。それは確かだ。」
魔理沙は納得したようなことを言いながら、納得がいかず眉間に皺を寄せた顔で紅茶を啜る。
「今日はスコーンも焼いてみたけど、食べる?」
「もらう。」
アリスが持つスコーンの入った籠の中から一つだけ引っ手繰って大きく齧りつく。
「そんでさあ」
「口の中にもの入れたまま喋らない。」
魔理沙は再び紅茶を口に含んでスコーンを飲み下す。アリスはそれを満足そうに見て微笑んだ。
「あとマフィンとパウンドケーキと他にもいろいろ作ってあるんだけど。」
何かを取りにキッチンへ向かいそうなアリスを、袖をつまんで魔理沙は引き止める。
「おい。小麦粉で作る似たようなお菓子ばっかりで腹膨らまされても困るんだぜ。」
「ごめんね。魔理沙。今日は興が乗ってしまったの。」
自分のうっかりを肯定する言葉を吐くアリス。
「私は一人暮らしだから、こんなに作ってしまって自業自得だけど魔理沙が引き取ってくれないかしら? あんたはお友達が多いことだし適当に配ってよ。」
アリスが「お友達」と強調するところに魔理沙は少し背筋が震えた。わけがわからないが無性に震えてしまったのだ。
「ぱ、パチュリーのとこにはアリスが行けよ。今日だと私は二度手間になるだろうし、あいつが私からお菓子を受け取ってくれるとは思えないし。」
「そうね。ひと月ぶりに遊びに行こうかしら。」
パチュリーは活字がないとご飯が食べれないわけじゃないけどと呟きながら、アリスは少し思案するように口元に指を当てる。
「マフィンがいいかしらね。」
結局アリスはキッチンに消えてしまった。魔理沙に押し付ける分とパチュリーへの手土産の準備をするのだろう。
魔理沙はアリスの本棚に向かう。魔理沙やほかの客人を迎え入れるこの部屋にある本はごく一般的で、魔法に関するものはない。魔法に関する本は本当の意味でアリスのプライベートの密室にしかないのだろう。
「魔法ものの小説はあるんだけどな。」
実際に魔法を扱う魔理沙に創作上の魔法はあまり意味がないのだった。創作上の呪文を唱える魔女はただの痛い人間なだけである。
ほどなくしてアリスが部屋に入ってきた。
「魔理沙。本棚なんか見て、何か借りるの?」
魔理沙はアリスに振り返る。
「別に……。」
「あら。そう。」
これとアリスに大き目のバスケットを手渡される。魔理沙がそれを受け取って中身を見ると美味しそうなお菓子がみっしり詰まっていた。
「ありがと。」
お菓子を押し付けられる立場の魔理沙はごく自然にアリスに告げた。
「あんたが今日話してくれた中国妖怪が何度も人間に騙されて馬鹿って話ね……。」
アリスは言いにくそうに顔を魔理沙から背ける。
「あ……嫌な話を愚痴ってごめん。」
「嫌とは思ってないわよ。ただ……妖怪が人間に騙される気持ちってのも、わかんないわけじゃないかも。」
アリスにしては不器用な物言いに魔理沙はテーブルの上にそそくさとバスケットを置き、アリスの両手首を握り身を乗り出す。アリスはたじろいで言葉の続きを口早に吐き出す。
「進んで、騙されたいとは思ってないわよっ。――騙されたくもないし。だけどお伽噺で残ってる妖怪のはなしって、大抵最後は人間のほうが妖怪騙してやっつけたり、してた約束破って別離でお終いになることが多いし。ふと騙されたままのほうが楽なのかなって……魔が差したように思いついただけ。」
早口で慌てて捲し立てるアリスを魔理沙は可愛いと思ってしまう。魔理沙は進んでアリスを騙したり、してた約束を破ってしまった覚えもない。これからも別にアリスを騙すつもりもない。しかし今のアリスの物言いだと近い将来には魔理沙がアリスを騙して、今もアリスを騙し続けていると言われているような気がしてならない。
テーブルの上には冷めかけている紅茶と、バスケットに入りきらないあらかじめ魔理沙の前に出されたお菓子の山。いくら作りすぎたとはいえ、バスケットに入っている分と合わせれば異常なほど、アリスの一人暮らしのオーブンで作られたことが想像出来る。
一人では食べきれないお菓子の山。魔理沙が一人加わっても、パチュリーにおすそ分けしても、腐らせるほうが多くなりそうな気の遠くなるような量。
バスケットの中のお菓子を改めて見ると、よくわからないがまた背筋が震える。急に思い出したのだ。お菓子の家の魔女のお伽噺を。子どもに高カロリーのお菓子をたらふく食べさせて、丸々太ったところを食ってしまうという魔女のお伽噺。もし魔理沙が持ち帰る方向に話を持って行かなかったらどうなっていたのだろうか?
『アリスはそんなことしないっ。』
魔理沙は強い意志で疑いを否定する。しかしアリスは泣きそうな顔をしている。ここでお菓子を食べてもらえないことを悲しんでいるように見える。
お菓子を作るか詰めるときに何か考え事をしていて、考え事がアリス自身では抱えきれないほど大きくなって、それを魔理沙に吐露しなければならない心情に陥った。普段はなにもかも洗練されているくせに、なんで時々不器用なんだろう。
「アリス。私はお前を騙すつもりないぜ。」
魔理沙はぎゅっとアリスを抱きしめる。
「永夜のときとか地底のときみたいに、また二人で異変解決しようぜ。そんで。いろいろ……な。お前が不安がる必要なんてないんだ。」
アリスはうんと頷いて魔理沙の肩口に肩を埋めた。手を伸ばせばそこには柔らかなアリスの色白な肌がある。
ただそこに手を伸ばすだけなのに今日はなんだか気が引けてしまう。だけどそこが魔理沙の手を待っているように息づいているような気がした。
「……」
「ん……どうしたの?」
乱れたお互いの少し色合いの異なる金髪がベッドに流れている。アリスは恥ずかしそうに手櫛で髪を梳くが魔理沙は乱れてたほうが色っぽいからやめてとアリスを制した。アリスは仰け反るように背中を起こし上掛けを胸元に引き寄せた。布団の隙間を作らないように魔理沙もベッドに半身を起こす。
「なんか外から妙な連中が来てるらしいぜ。紫ん家に行ったときに異変になったらよろしくねと言われたんだけど。」
「紫? あの神出鬼没のスキマ妖怪の屋敷によく行けたものね。」
「いや。招かれたわけじゃないけど、ちょっとご尊顔を拝観しにねー。」
「顔を見るだけでも大変だったでしょうね。」
魔理沙の好奇心の強さや物見高さは今に始まったわけではない。しかしながら物見高さだけで八雲邸を見つけようとするには、動機と労力が釣り合わない。
「かの博麗の巫女でさえも訪れるのに運任せなところなのに。」
「運だけならあの天才さんには負けないつもりだぜ。そんで辿りついた私に敬意を示してくれたのか、霊夢より先に異変の予兆を私に伝えてくれたんだぜ。」
「それはあんたに教えれは霊夢にも自動的に伝わると踏んだからでしょ。でもね魔理沙。私が訊きたいのは、いつ会いに行ったの? 昼? 夜?」
「ひ……よ、夜だった気がするぜ。」
まったくこのろくでなしは嘘つきにはなれないんだからとアリスは溜息をついた。
「なんでわざわざ夜に?」
魔理沙は目を泳がせながら正直に答えた。
「紫が寝るときには何着て寝てるか気になって。」
「その答えは見つかった?」
「すけすけのネグリジェでした。そんな格好で私の前に行く主人に式が慌てふためいていたぜ。」
ふーんとアリスは興味なさそげに相槌を打つ。朝自分が脱いで畳んでおいたいかにも思春期の女子な薄ピンク色のパジャマを見て自分が情けないと思えてくる。
「魔理沙。私が何着て寝てるか興味ない?」
「もちろんあるに決まってるだろ!」
身を乗り出してくる魔理沙に対してアリスはくすっと笑う。
「それじゃ、明日は夜に訪ねてきてね。二日続けては面倒だなんて言わせないわよ。作りすぎない程度に夕飯も用意しておくから、しっかりお腹を空かせていらっしゃい。お夕食のあとには一緒にお風呂に入ってそれからドレスアップした夜の私を見せてあげるから。」
魔理沙の顔は少し引き攣っていたが、八雲邸に不純な動機で訪れた罪に対しての罰にしては極上に甘すぎるので、それに甘んじるしかなかった。
それにしてもとアリスは思う。八雲紫は何を思ってすけすけのネグリジェという魔理沙を喜ばせるような格好で、魔理沙の前に現れたのだろうか。紫は魔理沙のことなんてなんとも思ってないくせに。まさか霊夢がこのごろは妖怪の山の神社の巫女にご執心なことへの当てつけなのだろうか。だとしたら魔理沙はとんだ当て馬なんだろうと、そういう考えでアリスは横にいるチンピラへの腹立たしさの溜飲を下げたのだった。
そして魔理沙が言い出した外から来た奇妙な連中の情報は、見事にアリスはスル―して、またそれが蒸し返されるのは数刻後だった。
そうこうアリスが考えているうちに魔理沙は身支度を整えて「じゃあ明日の夜までお別れだぜ」と言って去っていこうとする。
「今夜はもうどこにも寄らないわよね?」
いまだ宵の口なのに、アリスはそそくさと出て行こうとする魔理沙を引き止めはしないが念は押しておく。
「あ、ああ。まっすぐとは言わないが、もう一軒だけ用事済ましたら家には帰るから。」
そんな真面目ぶったことを言っているが、好奇心の赴くままにどこぞの女のもとに行くのだろう。そして色んな厄介ごとに巻き込まれて今度こそ懲りればいいとアリスは願うのだった。
アリスもアリスでパチュリーにお菓子を押し付けに出掛けようと思い立った。
夏祭りの夜からまだ三日しか経っていない。
ゴム風船のヨーヨーは夜が明けた頃に少し小さくなったなと思えば、二日目で半分ほどの大きさになって、今日はもうしぼんで水が入っているぶんだけ膨らんでいる。
フランドールはそれに落胆する。自分の能力で壊さないようにしたのに、結局ヨーヨーのほうから駄目になった。
綿あめは食べなければべとつくし蟻がたかる。たこ焼きは腐る。かき氷はすぐ解ける。金魚はビニール袋に入れたままだと死んでしまうから咲夜に水槽に移してもらった。
美鈴が連れ出して連れて行ってくれたお祭り当時の形のまま残っているのは、プラスチックのお面だけだった。それもいつかは劣化する。
そんなことへの感慨はフランドールには存在しないが、なんだかしぼんだヨーヨーを見ると泣けてきた。涙は流していないけど。
「また遊びに連れていってくれないかな。美鈴。」
時計と一日ごとに咲夜が×印をつけていくカレンダー以外に時間感覚を保つための装置のない地下室で、フランドールは三日も美鈴に会えなかった。美鈴の指が完治していないから当然なのだが、そんなことは露とも知らないフランドールは膝を抱えながら美鈴を待っていた。世間知らずの令嬢らしく受け身だった。
地下室とはいえ、吸血鬼の令嬢らしく灰色の壁以外は調度品など姉の部屋と遜色はない。ふかふかのベッドと、客人を呼んでも大丈夫なテーブルと椅子。壁には綺麗な絵が立派な額縁に入れて飾られていた。本棚には随時新しい本を咲夜や小悪魔らが仕入れてくれる。
だけど美鈴が連れて行ってくれた夏祭りに比べれば、そんな至れり尽くせりもあっけなく霧散する。
フランドールは地下室の扉の前に突っ立って、手のひらを翳した。扉はひしゃげ外側に吹き飛ばされる。
「ん? 結界の張り忘れ? 姉さまにしては珍しいな。でも姉さまがうっかりなのが悪いんだから。」
でちゃお。
フランドールの結論はシンプルだった。いつもは結界があって壊せないと思っていた扉が、今日は壊せそうだから壊してみた。結果壊れた。この間美鈴と一緒に出掛けても姉さまは叱らなかったから、美鈴と一緒なら外出オッケー。でもしばらく美鈴はこない。なら今自由に出てこれる自分が、美鈴のところにいけばいい。
フランドールは鼻歌交じりに冷たい石造りの廊下を歩く。美鈴はやけに口元に手をやって「しー」っと言っていた。咲夜にばれたらおじゃんだから。だからフランドールも口元に人差し指を当て、声をあげずにしーっと言ってみる。あの日の美鈴との体験はこんな初歩から楽しかった。
フランドールの行動は、あの夏祭りの日の美鈴との行動をなぞっていた。地下から出る前に誰かが通らないかきっちり十を数えて待ってみる。出たあとは扉はきっちり閉める。屋敷の廊下を一気に走り抜けて、美鈴がやったように、あのときと同じ無人の部屋にまず駆け込んでみる。
それからまた廊下を窺って出て行って走るを繰り返して三回目の部屋で浴衣に着替えていたとフランドールは覚えている。その時は青い髪の、美鈴と全然違うけど匂いが似ている女がいて、美鈴とフランドールの脱走に協力してくれていたが、今日はいない。
また前述の行動を三回ほど繰り返して屋敷の裏口から出る。フランドールはやったと小声で呟いた。
つまりこれらの行動は、美鈴のやった行いがフランドールの脱走の手引きになってしまったということである。
フランドールは美鈴を驚かせてやろうと、庭の木の陰から木の陰に移って美鈴に接近していく。
「あ。やばい。」
美鈴の傍には咲夜がいる。フランドールは息を潜めて咲夜が去るのを待つことにした。
咲夜と美鈴の話し声が聞こえてくる。
「手は痛まない?」
「あの医者がくれた薬が効いているから大丈夫です。」
「そう。ならいいけど。貴女も思い切ったものね。お嬢様は指五本って要求しなかったでしょう。お蔭で医者を呼ぶ羽目になるんだから。」
お姉さま? フランドールは首を傾げる。お姉さまの言い付けで美鈴は指を切り落とした。なんでそんなことをお姉さまは美鈴に言いつけた?
疑問に思っていても問いかけなければ、咲夜も美鈴も答えてくれない。
「え? 五本もじゃなかったら医者呼ぶほどじゃなかったんですか?」
「指を詰める意味を考えてみなさいな。それに止血と消毒くらいは私にも出来るんだから。」
「たはは。手間かけさせて、すみません。」
「加減を考えなさい。」
咲夜は美鈴の包帯を巻きなおして救急箱片手に去っていく。美鈴はさぼりにナイフを投げてくる以外に構ってくれた咲夜ににやけながら門の外から見送った。
フランドールはわけがわからないまま、美鈴に近寄れないまま呆然と見ていた。
「わっ。」「ひゃうっ。」
後ろから口元を抑え込まれ、耳元で囁かれる。その声は姉のレミリアのものだった。
レミリアは意地悪さを垣間見せつつも優しく微笑んでフランドールに小さな声で告げる。
「一人でお外に出てきてくれたついでだから、久しぶりに私の部屋でお茶しましょう。」
「う、うん……。」
レミリアはフランドールを振り向かないまま先導して歩く。まるでフランドールがついてくることが当然のように。フランドールも姉の期待を裏切ることなくついていく。
「咲夜。開けて。」
咲夜は屋敷に入る扉の前に控えていて、レミリアの言葉に従い扉を開閉する。
「咲夜。二人分の紅茶をお願い。それとフランの部屋を寝る前までに他のメイドに指示して隣部屋に移して。ドアを直すより手っ取り早いから。」
フランドールの背筋が震える。姉にはとっくにドアを破壊しての脱走のことはばれていた。レミリアは愉快そうに笑う。
「パチェに頼んで今日だけ破壊防止の魔法をキャンセルして貰ったの。素直なフランなら鍵掛かっててもぶち壊して出てくると思ったから。」
フランの顔が真っ赤になる。そして絞り出すようにごめんなさいと言った。
「なんで謝るの? わざと、パチェに頼んでまで、脱走出来るようにしたのは私よ。」
「わかんない。だけどごめんなさいって、言わなくちゃいけないような気がした。」
「そう。」
「ねえ、姉さま。」
「なあに?」
「どうして美鈴に指を切れって言ったの?」
レミリアはその質問には口を噤んだ。その代わり部屋に行って紅茶がきたらねとフランドールに予告する。フランドールは文句一つ言わずに姉に従うことにした。
「そこまで素直とは思わなかったわ。」
「?」
その平然とした態度にレミリアは苦笑する。せめてもう少しぐずってくるくらいがちょうど良かったのにと。しかしそのレミリアの中の違和感はイントロにしか過ぎなかった。
レミリアは席につくと自分は窓側、フランドールに廊下側の席をすすめた。
それほど待つことなく咲夜が紅茶と茶菓子を持ってくる。茶菓子はアリスが作りすぎて来客の魔理沙がいても処理しきれず、パチュリーへのお土産にしたのだが、パチュリーと小悪魔でも食べきれないほどの量だったらしく、最終的に一部をメイドたちやレミリアに横流しされたものだった。
レミリアは咲夜から聞いた菓子の由来に吹き出した。咲夜はレミリア的にこの菓子の由来が面白いと思っていたので、敢えてこの菓子を出したのだった。
「ぷぷっ。あの魔女も案外露骨ね。」
「露骨?」
「フラン分からないの?」
そういう言い方にはフランドールはふくれて怒る。しかし幼い感情表現でますます姉に子ども扱いされてしまうのだ。
「咲夜は下がりなさい。」
「はい。」
咲夜は音も立てずに退室した。レミリアは紅茶を啜って、フランドールがパウンドケーキを口に運んだところで話し始める。
「美鈴が指を切ったのは罰よ。」
「なんの?」
「あなたを勝手に外に出したから。」
「なんで? 私は勝手に外に出ちゃ駄目だけど、夏祭りには美鈴が連れていってくれたのよ。咲夜だって私を時々外に連れて行ってくれるのに。」
フランドールの不平不満をレミリアは聞き流す。同時に自分の妹の頭の程度を測る。
「咲夜が外にあなたを連れて出るとき、私は咲夜から事前にどこにあなたをつれていくか教えてもらってるの。」
「うん。」
「だけど美鈴からはそんな相談はなかった。」
フランドールはぽかんと口を開けている。畳み掛けるようにレミリアは言葉を続ける。
「主人の命令もなく、主人になんの注進もせずに、主人の知らないところで勝手なことをした。あなたも言ったじゃない。私は勝手に外に出ちゃいけないって。」
「う、うん。」
「なら外に連れ出す人も勝手にじゃダメ、ってことにならないかしら。」
「め……美鈴は姉さまには内緒って言ったけど、指を切らせることないんじゃ……」
フランドールの怯えた表情に良いタイミングだとばかりにレミリアはフランドールに迫る。
「美鈴には指の本数は指定しなかった。私は左手小指一本でも構わなかった。だけど美鈴は敢えて、利き手の右手の指五本一気に切り落としてくれたわ。この意味わかるでしょ。」
レミリアはフランドールの顔を覗き込むが、フランドールの表情から怯えが消えて、思考停止したように呆けた顔で姉を見上げていた。
「どっちにしろ、指は切らなくちゃいけないのよね?」
どうにも言外のニュアンスが分かってない妹に姉は呆れた。
「そうね……。本気で反省して、その過ちがどれほどのものか美鈴は知ったから、なるべく多くの指を切り落としたのよ。しかも利き手の。」
レミリアは自分が設定した思考のゴールを提示する。フランドールはそっかとようやく理解してくれたようだ。
「どれだけ反省したか、指の本数の多さで表したわけね。」
レミリアはその解答をフランドールに求めていたわけだが、どうしようもなく釈然としない。そういう解答を設定したのはレミリアだが、実際のあのちゃらんぽらんの美鈴の反省度も、どんだけのものか疑問だ。だから五本の指を切り落とした真意はレミリアがこじつけたもっともらしい嘘もいいところだ。
それにフランドールもフランドールだ。自分が納得したらアリス手製の何かの怨念てんこもりっぽいケーキを頬張っている。もう少し美鈴を庇おうとするなり、自分を責めたりせんのかこの娘はと、レミリアは今に始まったことではない妹へのストレスに頭をぐるぐるさせていた。
レミリアはようやくアリスの作った菓子に手を伸ばした。
アリスの作ったケーキは誰かへの怨念が凝縮されているがとても美味だ。その怨念をまたの名を愛情と呼ぶ。
「罰なんだからね、美鈴には手の治療が終わるまであなたに会っちゃいけないって言ってあるから。会いに行っちゃ駄目よ。」
「はーい。」
「はあ……」
「どうしたの。姉さま!」
姉がいきなりテーブルに突っ伏してしまったことに妹は本気で驚いている。それも姉を脱力させる原因だった。
『思わず美鈴のところへ駆け出す、くらいの衝動は持ってもいいじゃん。』
美鈴報われなさすぎじゃん。だけど美鈴は気にしないだろうし。姉の煩悶を妹は理解出来ずに姉の顔を覗き込んでいる。レミリアはよろよろと起き上って紅茶をまた一口啜った。
「ねえ、フラン。美鈴は好き?」
「好きだよ。」
そのあっけらかんとした答えにレミリアは口を引き攣らせる。
「美鈴は私に内緒であなたと出掛けたいくらいに、フランのことが好きなのよ。」
「へー。そうなんだ。」
レミリアはフランの顔を見ていられなくなって、唐突に窓の外の物言わぬ月を見たくなった。紅茶を片手に窓辺に立つ。本当なら百年くらい友人でいてくれるパチュリーに愚痴を言いたいところだが、魔法使い友達のアリスが図書館にやってきているらしい。今はあらゆる四方山話をしているのだろう。由来が面白い菓子もくれたことだし邪魔はしないでおきたかった。
ふと窓から見える庭園の向こうに目が行く。庭園のまたその向こうに美鈴が佇んでいる。美鈴も妹同様に素直で、フランドールのもとに顔を見せに行こうとさえしない。忠実に紅魔館の門の前に立っている。そしてそのすぐ傍に常連の黒白魔女の姿が見えた。
「チンピラがチンピラに話しかけてるわ。よく飽きもしないわね。」
「チンピラ! 魔理沙のことっ。」
妹が椅子から立ち、姉のもとに駆け寄ってくる。チンピラと揶揄しただけで魔理沙と判断するし、もう一人のチンピラと言われた美鈴のことを気にしていない様子だった。
「魔理沙! おーい、魔理沙!」
距離からしてガラス越しだから聞こえないはずなのに、妹は無邪気に魔理沙に手を振っている。しかしチンピラはチンピラ特有の勘で美少女の歓声と自分に向けられた視線を察知したのか、箒に乗って窓の外まで迫ってきている。当然美鈴も門から屋敷に向かって走り出していた。自分のような主人を持ったチンピラではない、そこらへんの野良チンピラがお嬢様たち目掛けて突進している。
そしてフランドールは大きな窓を開け放った。
「やあ。フランちゃん。ご機嫌麗しゅうだぜ。」
アリスが危惧したとおり、チンピラは他の可愛い女の子のところにやってきていた。その屋敷にアリスが訪れていることも知らずに。
しかし魔理沙は今夜は珍しく魔理沙なりに真面目だった。
「レミリアお嬢も夜分遅くに失礼するぜ。是非ともこの館の住人に警告することがあってな。」
アリスがスルーした案件について、魔理沙は紅魔館の住人に対しても通告する。それは紫からの依頼だった。たぶん今回の奇妙な連中は紅魔館の主人たる吸血鬼にとって脅威になるかもしれないと。
「紫が特にお前らは気を付けておけって言ってた。どっちにしたって外の人間にとっちゃこの幻想郷の人間以外は脅威や恐怖であると同時に、珍重な生き物なんだ。まあ、なんかあったときに霊夢に立会人になってもらう準備はしておけってことだ。相手は人間らしいから穏便に帰ってもらうのが最優先だし。」
昼間魔理沙が訪れたのはこれを伝えるためだったが、美鈴から話されたショッキングな案件でど忘れしてしまっていた。そのあとアリスのところでご休憩したあとに思い出したのだ。
「そう。わかったわ。貴女からの好意ってことね。」
レミリアは魔理沙の伝言を直々に承った。部屋の外ではけたたましい足音が近づいてくる。
「お嬢様! ……あ。妹様。えっと……」
妹様に会ってはいけないという言い付けがあるのにフランドールが同じ部屋の中にいる状況だったので、美鈴は狼狽して次にどういう行動をしていいのか分からなくなってしまった。
「美鈴。今夜のこの目の前にいる侵入者は例外よ。あなたの迎撃対象には残念ながらならないわ。それとあの命令のことは今は気にしなくていいわよ。」
レミリアの言葉に畏まる美鈴だったが、表情はフランドールに久しぶりに会えたお蔭で嬉しそうで、目だけ姿を窺おうときょろきょろしている。
ところがフランドールときたら箒に乗った魔理沙に手を伸ばし、美鈴のことなど見えていないかのようだった。
「魔理沙。魔理沙。降りてきてよ。紅茶もあるよ。咲夜にもう一つカップ用意してもらうね。」
「あー。ご相伴さしてもらうかな。いいかお嬢?」
「はあ……。あのねえ、今ね、貴女のこわーい情人がこの館の図書館にいるの。さっき美鈴がばたばた走ってきたし、フランもはしゃいで咲夜まで呼んでるし。今頃貴女がここに来たことを察知して、この部屋に向かっているんじゃないかしら。ちなみにこのテーブルのお菓子、見覚えはあるわよね。私が貴女を追い払おうとして、そういう大嘘をついてるわけじゃないこと、わかるわよね?」
「ははっ。はははっ。」
しかし魔理沙はすごすごと帰れない。だってフランドールが引き止めてるから。
「魔理沙―。アリスくらい大丈夫だって!」
「そう。アリスくらい大丈夫、なのね。」
アリスがゆっくりとレミリアの部屋に入ってくる。レミリアは最悪の事態になったと判断し、屋敷の主人としてどう収めようかと思案する。しかしフランドールはそんなことは露も考えなかった。
「魔理沙はフランのこと好きだって言ったよね。アリスのことは魔法友達だって言ったもん。幻想郷の中じゃフランが一番可愛いって言ってくれたもん。」
「じゃあ私は何?」
フランのセリフに魔理沙は全身が凍りついた。しかし誤魔化すような口は動いてくれた。
「アリスは、幻想郷で一番、美人っ。」
フランドールは不満そうに魔理沙を見上げてくる。
レミリアからしたら退屈凌ぎの愛憎ドラマにだと呆れればいい。身内さえ関わっていなければ。
さっきから自分の身の置き場を見失っている自分のチンピラがぼーっと突っ立っている。ここまで息せき切って走ってきたのだから、ここでかっこよくあのどチンピラを追い返せばいいのにと思った。この場にいる自分の主人がそれを言いあぐねているのだから察してくれてもいいのにと。やっぱりチンピラの頭の程度はそれくらいだった。
フランドールはどっちつかずな態度の魔理沙のスカート掴んでいる。
「魔理沙言ったよね。フランはおっきくなったらすっごい美人になるって。おっきくなったらキス以上のこともしようって。」
レミリアは心の中で突っ込む。キス以上のことをする日はずっと来ないわよと。だって自分たちは永遠に幼い風体なのだから。そしてアリスもフランドールの言葉に氷のように冷たい青い目をさらに凍えさせて魔理沙を見る。
「キス以上のことはしていないってことは、キスはしているのかしら? そのどう見てもあなたよりうんと幼く見える彼女に?」
「あいさつのキスっていうのもあるしさ!」
「えー魔理沙はいつも口にしてくれてるよ。こういうふうに。」
えいっとばかりにフランドールは飛び上がって魔理沙の膝によじ登り、魔理沙の唇にキスをした。
アリスは穏やかな笑みを浮かべた。そしてレミリアのほうに歩み寄る。
「今夜はお暇させていただきますわ。夜分にこのような騒ぎを私の連れが起こしたこと、大変申し訳ありませんでした。」
レミリアも珍しく恐縮したようにスカートを摘まんでアリスに深々とお辞儀をした。
「うちの妹も貴女の連れに大変な失礼をしたこと、こちらこそお詫び申し上げるわ。」
幻想郷の実力者同士が慇懃に弾幕も使わずに世間体塗れの挨拶を交わしている間、フランドールはまだ魔理沙に抱き着いていたし、美鈴はさっき目撃した衝撃シーンに衝撃通り越して変な恍惚感を覚えているようだし、魔理沙は自業自得だし、アリスからの申し出にレミリアは乗っかってしまうしかなかった。
「じゃ……じゃあ、ここにいるみんな全員で、マーガトロイドさんを見送りましょう。さあ霧雨さんもそんなところで浮いてないでさっさとこっちに降りてくる。フランもお客様がお帰りになるときには、ちゃんとご挨拶しましょうねって、いつも言ってるでしょ。美鈴、あなたは先に行って門を開けて待機してなさい。」
それぞれに指示を出したあと、レミリアはアリスと並んで長い廊下を何事もなかったように歩いて、屋敷を出た後も庭園を悠々と通り抜け、美鈴が先に待っている正面門まで案内した。
「ほほほ。ここの当主様や御一同に見送られてこの館を出るのは初めてだわ。慣れた場所であっても驚くことはあるものね。」
「今までが私が少し無精をしてただけよ。今まで構わなくて済まなかったわね。」
「いいのよ。私も今まで当主の貴女に挨拶一つすらしていなかったから。それにしても無邪気な妹さんがいると気苦労が絶えないわよね。貴女も。」
「妹は世間知らずなことで。貴女こそ奔放なご友人を持って苦労してるわよね。」
「あら。それほどでも。」
「そう。私もよ。」
女同士の苦労性側の当てこすりと強がりが交錯する会話を、後ろで何とも言えない気持ちで魔理沙と途中で合流した咲夜は聞いていた。
「それでは皆様ごきげんよう。それで、魔理沙。」
魔理沙はびくっと背筋を正した。
「用事が済んだらさっさと家に帰るんだったわよね。だったらさっさと家に帰りなさい。そして明日の晩は約束通り私の家に来るのよ。いいわね。絶対よ。」
フランドールは無邪気にアリスに問いかける。
「明日の晩、あの人のとこに行くの? 晩におうちに行くってことはキス以上のことするんだね。わあ、すごい!」
アリスは振り向いて、フランドールの世間知らずさを確かめるように頷いた。
「そうね。夜におうちに招くような関係なの。」
そしてアリスはトンっと一歩踏み出すと空に向かって駆け出した。そのまま空を飛んで帰っていった。
「じゃ、じゃあ。私もアリスとの約束もあるし帰って寝るぜ。」
やけくそのように魔理沙は箒に跨り空を飛んで帰っていく。それをレミリアは見送った。
「ふう……。フラン。今日はもうお開きにしましょう。姉さまは少し疲れたわ。」
「私も部屋に帰るね。美鈴、怪我治ったらまた遊ぼう。」
「あ……はい……。」
咲夜はどうぞとばかりにフランドールについていく。目顔でレミリアに問いかけるが、レミリアは美鈴のほうに親指を指して咲夜とフランドールを先に行かせた。
二人の姿が見えなくなったあと、レミリアは衝動的に美鈴にごめんねと告げた。心からの謝罪とは言えないが、無性に謝らなくちゃいけない気分になっていた。
「あんな妹で、ごめん。」
「えー。ああ。いいです。私はあんな妹様でいいです。」
「私が……私の一族が寄ってたかって、あの子からあらゆる機会を奪ってしまって、あんなにしちゃった。」
「そうなんですか。でもそれは、私には関係ないですし。私にとってはあの妹様だけですし。」
不幸なのか幸せなのか分からない女だった。この美鈴もあの妹同様、あらゆる機会を周囲から奪われた故なんだろう。だからこんなに頭が悪い。悲しいくらいに頭が悪い。
「今度あの魔法使いが来て、黒白のほうね。あいつが来てフランにいらんちょっかい出したら遠慮なくミンチにして良いわよ。」
「えっと……それは、妹様がかなしまないですかね。」
この期に及んでチンピラ妖怪は主人の許しが出たというのに、自分のどうしようもない怒りや悲しみに無頓着だった。その怒りや悲しみもレミリアの当て推量だったが。
「いいのよ。あの子だったらきっとその光景を見て笑って言うでしょうね。『あら魔理沙。何をぐちゃぐちゃのバラバラになってるの?』って。」
「だったら私が死んだときも妹様にはそう言って笑って欲しいっす。そしたら私しあわせっす。」
狂った幸せにレミリアは涙が滲みそうになった。それでも妹も門番も見捨てられない自分を奮い立たせるしかなかった。
魔理沙はいつかアリスに、どうして自分を待ち構えるように食べ物が用意されているんだと尋ねてみたことがある。
アリスの答えはこうだった。
『一日のうち、朝ご飯・昼ご飯・夜ご飯・十時と三時のおやつ・夜食の時間の、前の時間というのが存在するでしょ。私がその準備をした時間に限ってあんたが来るんだから。』
アリスはいちいち自分が羅列した回数の食事を摂るほど大食ではない。むしろ三度の食事の時間さえ魔法の研究と人形作りに充ててしまいそうな女だ。
そう。アリスという女は素直じゃない。だがそれ故に不器用という凡人のパターンに嵌まり込んで悩む女じゃない。その手先と思考回路の器用さは、器用という言葉が蔑称になるくらい細やかなのだ。
魔理沙はクッキーを齧り茶を啜りながら美鈴の思い出話の愚痴を語った。アリスは適度な相槌を打ちながら眉一つ動かさず聞いている。
「あんたの話を聞いていると、あんたは純朴な中華妖怪の優しさに付け込んだ上に、適当にどんな形でも解釈可能なメッセージもどきで簡単にあしらった、妖怪以上に妖怪じみた人間に腹を立ててるように一見聞こえるけど。」
魔理沙は首を横に振る。
「人間のずるさに人間の私が腹を立ててどうするのさ。」
「じゃあ私の解釈その二。あんたは美鈴のすぐ騙される馬鹿っぷりと、幻想郷に来ての転職先である紅魔館でも同じ過ちを犯した美鈴の学習能力の無さに呆れている。」
魔理沙はあーだのうーだの言いながら、そうかもしれないと頷く。
「美鈴は馬鹿だと思った。それは確かだ。」
魔理沙は納得したようなことを言いながら、納得がいかず眉間に皺を寄せた顔で紅茶を啜る。
「今日はスコーンも焼いてみたけど、食べる?」
「もらう。」
アリスが持つスコーンの入った籠の中から一つだけ引っ手繰って大きく齧りつく。
「そんでさあ」
「口の中にもの入れたまま喋らない。」
魔理沙は再び紅茶を口に含んでスコーンを飲み下す。アリスはそれを満足そうに見て微笑んだ。
「あとマフィンとパウンドケーキと他にもいろいろ作ってあるんだけど。」
何かを取りにキッチンへ向かいそうなアリスを、袖をつまんで魔理沙は引き止める。
「おい。小麦粉で作る似たようなお菓子ばっかりで腹膨らまされても困るんだぜ。」
「ごめんね。魔理沙。今日は興が乗ってしまったの。」
自分のうっかりを肯定する言葉を吐くアリス。
「私は一人暮らしだから、こんなに作ってしまって自業自得だけど魔理沙が引き取ってくれないかしら? あんたはお友達が多いことだし適当に配ってよ。」
アリスが「お友達」と強調するところに魔理沙は少し背筋が震えた。わけがわからないが無性に震えてしまったのだ。
「ぱ、パチュリーのとこにはアリスが行けよ。今日だと私は二度手間になるだろうし、あいつが私からお菓子を受け取ってくれるとは思えないし。」
「そうね。ひと月ぶりに遊びに行こうかしら。」
パチュリーは活字がないとご飯が食べれないわけじゃないけどと呟きながら、アリスは少し思案するように口元に指を当てる。
「マフィンがいいかしらね。」
結局アリスはキッチンに消えてしまった。魔理沙に押し付ける分とパチュリーへの手土産の準備をするのだろう。
魔理沙はアリスの本棚に向かう。魔理沙やほかの客人を迎え入れるこの部屋にある本はごく一般的で、魔法に関するものはない。魔法に関する本は本当の意味でアリスのプライベートの密室にしかないのだろう。
「魔法ものの小説はあるんだけどな。」
実際に魔法を扱う魔理沙に創作上の魔法はあまり意味がないのだった。創作上の呪文を唱える魔女はただの痛い人間なだけである。
ほどなくしてアリスが部屋に入ってきた。
「魔理沙。本棚なんか見て、何か借りるの?」
魔理沙はアリスに振り返る。
「別に……。」
「あら。そう。」
これとアリスに大き目のバスケットを手渡される。魔理沙がそれを受け取って中身を見ると美味しそうなお菓子がみっしり詰まっていた。
「ありがと。」
お菓子を押し付けられる立場の魔理沙はごく自然にアリスに告げた。
「あんたが今日話してくれた中国妖怪が何度も人間に騙されて馬鹿って話ね……。」
アリスは言いにくそうに顔を魔理沙から背ける。
「あ……嫌な話を愚痴ってごめん。」
「嫌とは思ってないわよ。ただ……妖怪が人間に騙される気持ちってのも、わかんないわけじゃないかも。」
アリスにしては不器用な物言いに魔理沙はテーブルの上にそそくさとバスケットを置き、アリスの両手首を握り身を乗り出す。アリスはたじろいで言葉の続きを口早に吐き出す。
「進んで、騙されたいとは思ってないわよっ。――騙されたくもないし。だけどお伽噺で残ってる妖怪のはなしって、大抵最後は人間のほうが妖怪騙してやっつけたり、してた約束破って別離でお終いになることが多いし。ふと騙されたままのほうが楽なのかなって……魔が差したように思いついただけ。」
早口で慌てて捲し立てるアリスを魔理沙は可愛いと思ってしまう。魔理沙は進んでアリスを騙したり、してた約束を破ってしまった覚えもない。これからも別にアリスを騙すつもりもない。しかし今のアリスの物言いだと近い将来には魔理沙がアリスを騙して、今もアリスを騙し続けていると言われているような気がしてならない。
テーブルの上には冷めかけている紅茶と、バスケットに入りきらないあらかじめ魔理沙の前に出されたお菓子の山。いくら作りすぎたとはいえ、バスケットに入っている分と合わせれば異常なほど、アリスの一人暮らしのオーブンで作られたことが想像出来る。
一人では食べきれないお菓子の山。魔理沙が一人加わっても、パチュリーにおすそ分けしても、腐らせるほうが多くなりそうな気の遠くなるような量。
バスケットの中のお菓子を改めて見ると、よくわからないがまた背筋が震える。急に思い出したのだ。お菓子の家の魔女のお伽噺を。子どもに高カロリーのお菓子をたらふく食べさせて、丸々太ったところを食ってしまうという魔女のお伽噺。もし魔理沙が持ち帰る方向に話を持って行かなかったらどうなっていたのだろうか?
『アリスはそんなことしないっ。』
魔理沙は強い意志で疑いを否定する。しかしアリスは泣きそうな顔をしている。ここでお菓子を食べてもらえないことを悲しんでいるように見える。
お菓子を作るか詰めるときに何か考え事をしていて、考え事がアリス自身では抱えきれないほど大きくなって、それを魔理沙に吐露しなければならない心情に陥った。普段はなにもかも洗練されているくせに、なんで時々不器用なんだろう。
「アリス。私はお前を騙すつもりないぜ。」
魔理沙はぎゅっとアリスを抱きしめる。
「永夜のときとか地底のときみたいに、また二人で異変解決しようぜ。そんで。いろいろ……な。お前が不安がる必要なんてないんだ。」
アリスはうんと頷いて魔理沙の肩口に肩を埋めた。手を伸ばせばそこには柔らかなアリスの色白な肌がある。
ただそこに手を伸ばすだけなのに今日はなんだか気が引けてしまう。だけどそこが魔理沙の手を待っているように息づいているような気がした。
「……」
「ん……どうしたの?」
乱れたお互いの少し色合いの異なる金髪がベッドに流れている。アリスは恥ずかしそうに手櫛で髪を梳くが魔理沙は乱れてたほうが色っぽいからやめてとアリスを制した。アリスは仰け反るように背中を起こし上掛けを胸元に引き寄せた。布団の隙間を作らないように魔理沙もベッドに半身を起こす。
「なんか外から妙な連中が来てるらしいぜ。紫ん家に行ったときに異変になったらよろしくねと言われたんだけど。」
「紫? あの神出鬼没のスキマ妖怪の屋敷によく行けたものね。」
「いや。招かれたわけじゃないけど、ちょっとご尊顔を拝観しにねー。」
「顔を見るだけでも大変だったでしょうね。」
魔理沙の好奇心の強さや物見高さは今に始まったわけではない。しかしながら物見高さだけで八雲邸を見つけようとするには、動機と労力が釣り合わない。
「かの博麗の巫女でさえも訪れるのに運任せなところなのに。」
「運だけならあの天才さんには負けないつもりだぜ。そんで辿りついた私に敬意を示してくれたのか、霊夢より先に異変の予兆を私に伝えてくれたんだぜ。」
「それはあんたに教えれは霊夢にも自動的に伝わると踏んだからでしょ。でもね魔理沙。私が訊きたいのは、いつ会いに行ったの? 昼? 夜?」
「ひ……よ、夜だった気がするぜ。」
まったくこのろくでなしは嘘つきにはなれないんだからとアリスは溜息をついた。
「なんでわざわざ夜に?」
魔理沙は目を泳がせながら正直に答えた。
「紫が寝るときには何着て寝てるか気になって。」
「その答えは見つかった?」
「すけすけのネグリジェでした。そんな格好で私の前に行く主人に式が慌てふためいていたぜ。」
ふーんとアリスは興味なさそげに相槌を打つ。朝自分が脱いで畳んでおいたいかにも思春期の女子な薄ピンク色のパジャマを見て自分が情けないと思えてくる。
「魔理沙。私が何着て寝てるか興味ない?」
「もちろんあるに決まってるだろ!」
身を乗り出してくる魔理沙に対してアリスはくすっと笑う。
「それじゃ、明日は夜に訪ねてきてね。二日続けては面倒だなんて言わせないわよ。作りすぎない程度に夕飯も用意しておくから、しっかりお腹を空かせていらっしゃい。お夕食のあとには一緒にお風呂に入ってそれからドレスアップした夜の私を見せてあげるから。」
魔理沙の顔は少し引き攣っていたが、八雲邸に不純な動機で訪れた罪に対しての罰にしては極上に甘すぎるので、それに甘んじるしかなかった。
それにしてもとアリスは思う。八雲紫は何を思ってすけすけのネグリジェという魔理沙を喜ばせるような格好で、魔理沙の前に現れたのだろうか。紫は魔理沙のことなんてなんとも思ってないくせに。まさか霊夢がこのごろは妖怪の山の神社の巫女にご執心なことへの当てつけなのだろうか。だとしたら魔理沙はとんだ当て馬なんだろうと、そういう考えでアリスは横にいるチンピラへの腹立たしさの溜飲を下げたのだった。
そして魔理沙が言い出した外から来た奇妙な連中の情報は、見事にアリスはスル―して、またそれが蒸し返されるのは数刻後だった。
そうこうアリスが考えているうちに魔理沙は身支度を整えて「じゃあ明日の夜までお別れだぜ」と言って去っていこうとする。
「今夜はもうどこにも寄らないわよね?」
いまだ宵の口なのに、アリスはそそくさと出て行こうとする魔理沙を引き止めはしないが念は押しておく。
「あ、ああ。まっすぐとは言わないが、もう一軒だけ用事済ましたら家には帰るから。」
そんな真面目ぶったことを言っているが、好奇心の赴くままにどこぞの女のもとに行くのだろう。そして色んな厄介ごとに巻き込まれて今度こそ懲りればいいとアリスは願うのだった。
アリスもアリスでパチュリーにお菓子を押し付けに出掛けようと思い立った。
- * *
夏祭りの夜からまだ三日しか経っていない。
ゴム風船のヨーヨーは夜が明けた頃に少し小さくなったなと思えば、二日目で半分ほどの大きさになって、今日はもうしぼんで水が入っているぶんだけ膨らんでいる。
フランドールはそれに落胆する。自分の能力で壊さないようにしたのに、結局ヨーヨーのほうから駄目になった。
綿あめは食べなければべとつくし蟻がたかる。たこ焼きは腐る。かき氷はすぐ解ける。金魚はビニール袋に入れたままだと死んでしまうから咲夜に水槽に移してもらった。
美鈴が連れ出して連れて行ってくれたお祭り当時の形のまま残っているのは、プラスチックのお面だけだった。それもいつかは劣化する。
そんなことへの感慨はフランドールには存在しないが、なんだかしぼんだヨーヨーを見ると泣けてきた。涙は流していないけど。
「また遊びに連れていってくれないかな。美鈴。」
時計と一日ごとに咲夜が×印をつけていくカレンダー以外に時間感覚を保つための装置のない地下室で、フランドールは三日も美鈴に会えなかった。美鈴の指が完治していないから当然なのだが、そんなことは露とも知らないフランドールは膝を抱えながら美鈴を待っていた。世間知らずの令嬢らしく受け身だった。
地下室とはいえ、吸血鬼の令嬢らしく灰色の壁以外は調度品など姉の部屋と遜色はない。ふかふかのベッドと、客人を呼んでも大丈夫なテーブルと椅子。壁には綺麗な絵が立派な額縁に入れて飾られていた。本棚には随時新しい本を咲夜や小悪魔らが仕入れてくれる。
だけど美鈴が連れて行ってくれた夏祭りに比べれば、そんな至れり尽くせりもあっけなく霧散する。
フランドールは地下室の扉の前に突っ立って、手のひらを翳した。扉はひしゃげ外側に吹き飛ばされる。
「ん? 結界の張り忘れ? 姉さまにしては珍しいな。でも姉さまがうっかりなのが悪いんだから。」
でちゃお。
フランドールの結論はシンプルだった。いつもは結界があって壊せないと思っていた扉が、今日は壊せそうだから壊してみた。結果壊れた。この間美鈴と一緒に出掛けても姉さまは叱らなかったから、美鈴と一緒なら外出オッケー。でもしばらく美鈴はこない。なら今自由に出てこれる自分が、美鈴のところにいけばいい。
フランドールは鼻歌交じりに冷たい石造りの廊下を歩く。美鈴はやけに口元に手をやって「しー」っと言っていた。咲夜にばれたらおじゃんだから。だからフランドールも口元に人差し指を当て、声をあげずにしーっと言ってみる。あの日の美鈴との体験はこんな初歩から楽しかった。
フランドールの行動は、あの夏祭りの日の美鈴との行動をなぞっていた。地下から出る前に誰かが通らないかきっちり十を数えて待ってみる。出たあとは扉はきっちり閉める。屋敷の廊下を一気に走り抜けて、美鈴がやったように、あのときと同じ無人の部屋にまず駆け込んでみる。
それからまた廊下を窺って出て行って走るを繰り返して三回目の部屋で浴衣に着替えていたとフランドールは覚えている。その時は青い髪の、美鈴と全然違うけど匂いが似ている女がいて、美鈴とフランドールの脱走に協力してくれていたが、今日はいない。
また前述の行動を三回ほど繰り返して屋敷の裏口から出る。フランドールはやったと小声で呟いた。
つまりこれらの行動は、美鈴のやった行いがフランドールの脱走の手引きになってしまったということである。
フランドールは美鈴を驚かせてやろうと、庭の木の陰から木の陰に移って美鈴に接近していく。
「あ。やばい。」
美鈴の傍には咲夜がいる。フランドールは息を潜めて咲夜が去るのを待つことにした。
咲夜と美鈴の話し声が聞こえてくる。
「手は痛まない?」
「あの医者がくれた薬が効いているから大丈夫です。」
「そう。ならいいけど。貴女も思い切ったものね。お嬢様は指五本って要求しなかったでしょう。お蔭で医者を呼ぶ羽目になるんだから。」
お姉さま? フランドールは首を傾げる。お姉さまの言い付けで美鈴は指を切り落とした。なんでそんなことをお姉さまは美鈴に言いつけた?
疑問に思っていても問いかけなければ、咲夜も美鈴も答えてくれない。
「え? 五本もじゃなかったら医者呼ぶほどじゃなかったんですか?」
「指を詰める意味を考えてみなさいな。それに止血と消毒くらいは私にも出来るんだから。」
「たはは。手間かけさせて、すみません。」
「加減を考えなさい。」
咲夜は美鈴の包帯を巻きなおして救急箱片手に去っていく。美鈴はさぼりにナイフを投げてくる以外に構ってくれた咲夜ににやけながら門の外から見送った。
フランドールはわけがわからないまま、美鈴に近寄れないまま呆然と見ていた。
「わっ。」「ひゃうっ。」
後ろから口元を抑え込まれ、耳元で囁かれる。その声は姉のレミリアのものだった。
レミリアは意地悪さを垣間見せつつも優しく微笑んでフランドールに小さな声で告げる。
「一人でお外に出てきてくれたついでだから、久しぶりに私の部屋でお茶しましょう。」
「う、うん……。」
レミリアはフランドールを振り向かないまま先導して歩く。まるでフランドールがついてくることが当然のように。フランドールも姉の期待を裏切ることなくついていく。
「咲夜。開けて。」
咲夜は屋敷に入る扉の前に控えていて、レミリアの言葉に従い扉を開閉する。
「咲夜。二人分の紅茶をお願い。それとフランの部屋を寝る前までに他のメイドに指示して隣部屋に移して。ドアを直すより手っ取り早いから。」
フランドールの背筋が震える。姉にはとっくにドアを破壊しての脱走のことはばれていた。レミリアは愉快そうに笑う。
「パチェに頼んで今日だけ破壊防止の魔法をキャンセルして貰ったの。素直なフランなら鍵掛かっててもぶち壊して出てくると思ったから。」
フランの顔が真っ赤になる。そして絞り出すようにごめんなさいと言った。
「なんで謝るの? わざと、パチェに頼んでまで、脱走出来るようにしたのは私よ。」
「わかんない。だけどごめんなさいって、言わなくちゃいけないような気がした。」
「そう。」
「ねえ、姉さま。」
「なあに?」
「どうして美鈴に指を切れって言ったの?」
レミリアはその質問には口を噤んだ。その代わり部屋に行って紅茶がきたらねとフランドールに予告する。フランドールは文句一つ言わずに姉に従うことにした。
「そこまで素直とは思わなかったわ。」
「?」
その平然とした態度にレミリアは苦笑する。せめてもう少しぐずってくるくらいがちょうど良かったのにと。しかしそのレミリアの中の違和感はイントロにしか過ぎなかった。
レミリアは席につくと自分は窓側、フランドールに廊下側の席をすすめた。
それほど待つことなく咲夜が紅茶と茶菓子を持ってくる。茶菓子はアリスが作りすぎて来客の魔理沙がいても処理しきれず、パチュリーへのお土産にしたのだが、パチュリーと小悪魔でも食べきれないほどの量だったらしく、最終的に一部をメイドたちやレミリアに横流しされたものだった。
レミリアは咲夜から聞いた菓子の由来に吹き出した。咲夜はレミリア的にこの菓子の由来が面白いと思っていたので、敢えてこの菓子を出したのだった。
「ぷぷっ。あの魔女も案外露骨ね。」
「露骨?」
「フラン分からないの?」
そういう言い方にはフランドールはふくれて怒る。しかし幼い感情表現でますます姉に子ども扱いされてしまうのだ。
「咲夜は下がりなさい。」
「はい。」
咲夜は音も立てずに退室した。レミリアは紅茶を啜って、フランドールがパウンドケーキを口に運んだところで話し始める。
「美鈴が指を切ったのは罰よ。」
「なんの?」
「あなたを勝手に外に出したから。」
「なんで? 私は勝手に外に出ちゃ駄目だけど、夏祭りには美鈴が連れていってくれたのよ。咲夜だって私を時々外に連れて行ってくれるのに。」
フランドールの不平不満をレミリアは聞き流す。同時に自分の妹の頭の程度を測る。
「咲夜が外にあなたを連れて出るとき、私は咲夜から事前にどこにあなたをつれていくか教えてもらってるの。」
「うん。」
「だけど美鈴からはそんな相談はなかった。」
フランドールはぽかんと口を開けている。畳み掛けるようにレミリアは言葉を続ける。
「主人の命令もなく、主人になんの注進もせずに、主人の知らないところで勝手なことをした。あなたも言ったじゃない。私は勝手に外に出ちゃいけないって。」
「う、うん。」
「なら外に連れ出す人も勝手にじゃダメ、ってことにならないかしら。」
「め……美鈴は姉さまには内緒って言ったけど、指を切らせることないんじゃ……」
フランドールの怯えた表情に良いタイミングだとばかりにレミリアはフランドールに迫る。
「美鈴には指の本数は指定しなかった。私は左手小指一本でも構わなかった。だけど美鈴は敢えて、利き手の右手の指五本一気に切り落としてくれたわ。この意味わかるでしょ。」
レミリアはフランドールの顔を覗き込むが、フランドールの表情から怯えが消えて、思考停止したように呆けた顔で姉を見上げていた。
「どっちにしろ、指は切らなくちゃいけないのよね?」
どうにも言外のニュアンスが分かってない妹に姉は呆れた。
「そうね……。本気で反省して、その過ちがどれほどのものか美鈴は知ったから、なるべく多くの指を切り落としたのよ。しかも利き手の。」
レミリアは自分が設定した思考のゴールを提示する。フランドールはそっかとようやく理解してくれたようだ。
「どれだけ反省したか、指の本数の多さで表したわけね。」
レミリアはその解答をフランドールに求めていたわけだが、どうしようもなく釈然としない。そういう解答を設定したのはレミリアだが、実際のあのちゃらんぽらんの美鈴の反省度も、どんだけのものか疑問だ。だから五本の指を切り落とした真意はレミリアがこじつけたもっともらしい嘘もいいところだ。
それにフランドールもフランドールだ。自分が納得したらアリス手製の何かの怨念てんこもりっぽいケーキを頬張っている。もう少し美鈴を庇おうとするなり、自分を責めたりせんのかこの娘はと、レミリアは今に始まったことではない妹へのストレスに頭をぐるぐるさせていた。
レミリアはようやくアリスの作った菓子に手を伸ばした。
アリスの作ったケーキは誰かへの怨念が凝縮されているがとても美味だ。その怨念をまたの名を愛情と呼ぶ。
「罰なんだからね、美鈴には手の治療が終わるまであなたに会っちゃいけないって言ってあるから。会いに行っちゃ駄目よ。」
「はーい。」
「はあ……」
「どうしたの。姉さま!」
姉がいきなりテーブルに突っ伏してしまったことに妹は本気で驚いている。それも姉を脱力させる原因だった。
『思わず美鈴のところへ駆け出す、くらいの衝動は持ってもいいじゃん。』
美鈴報われなさすぎじゃん。だけど美鈴は気にしないだろうし。姉の煩悶を妹は理解出来ずに姉の顔を覗き込んでいる。レミリアはよろよろと起き上って紅茶をまた一口啜った。
「ねえ、フラン。美鈴は好き?」
「好きだよ。」
そのあっけらかんとした答えにレミリアは口を引き攣らせる。
「美鈴は私に内緒であなたと出掛けたいくらいに、フランのことが好きなのよ。」
「へー。そうなんだ。」
レミリアはフランの顔を見ていられなくなって、唐突に窓の外の物言わぬ月を見たくなった。紅茶を片手に窓辺に立つ。本当なら百年くらい友人でいてくれるパチュリーに愚痴を言いたいところだが、魔法使い友達のアリスが図書館にやってきているらしい。今はあらゆる四方山話をしているのだろう。由来が面白い菓子もくれたことだし邪魔はしないでおきたかった。
ふと窓から見える庭園の向こうに目が行く。庭園のまたその向こうに美鈴が佇んでいる。美鈴も妹同様に素直で、フランドールのもとに顔を見せに行こうとさえしない。忠実に紅魔館の門の前に立っている。そしてそのすぐ傍に常連の黒白魔女の姿が見えた。
「チンピラがチンピラに話しかけてるわ。よく飽きもしないわね。」
「チンピラ! 魔理沙のことっ。」
妹が椅子から立ち、姉のもとに駆け寄ってくる。チンピラと揶揄しただけで魔理沙と判断するし、もう一人のチンピラと言われた美鈴のことを気にしていない様子だった。
「魔理沙! おーい、魔理沙!」
距離からしてガラス越しだから聞こえないはずなのに、妹は無邪気に魔理沙に手を振っている。しかしチンピラはチンピラ特有の勘で美少女の歓声と自分に向けられた視線を察知したのか、箒に乗って窓の外まで迫ってきている。当然美鈴も門から屋敷に向かって走り出していた。自分のような主人を持ったチンピラではない、そこらへんの野良チンピラがお嬢様たち目掛けて突進している。
そしてフランドールは大きな窓を開け放った。
「やあ。フランちゃん。ご機嫌麗しゅうだぜ。」
アリスが危惧したとおり、チンピラは他の可愛い女の子のところにやってきていた。その屋敷にアリスが訪れていることも知らずに。
しかし魔理沙は今夜は珍しく魔理沙なりに真面目だった。
「レミリアお嬢も夜分遅くに失礼するぜ。是非ともこの館の住人に警告することがあってな。」
アリスがスルーした案件について、魔理沙は紅魔館の住人に対しても通告する。それは紫からの依頼だった。たぶん今回の奇妙な連中は紅魔館の主人たる吸血鬼にとって脅威になるかもしれないと。
「紫が特にお前らは気を付けておけって言ってた。どっちにしたって外の人間にとっちゃこの幻想郷の人間以外は脅威や恐怖であると同時に、珍重な生き物なんだ。まあ、なんかあったときに霊夢に立会人になってもらう準備はしておけってことだ。相手は人間らしいから穏便に帰ってもらうのが最優先だし。」
昼間魔理沙が訪れたのはこれを伝えるためだったが、美鈴から話されたショッキングな案件でど忘れしてしまっていた。そのあとアリスのところでご休憩したあとに思い出したのだ。
「そう。わかったわ。貴女からの好意ってことね。」
レミリアは魔理沙の伝言を直々に承った。部屋の外ではけたたましい足音が近づいてくる。
「お嬢様! ……あ。妹様。えっと……」
妹様に会ってはいけないという言い付けがあるのにフランドールが同じ部屋の中にいる状況だったので、美鈴は狼狽して次にどういう行動をしていいのか分からなくなってしまった。
「美鈴。今夜のこの目の前にいる侵入者は例外よ。あなたの迎撃対象には残念ながらならないわ。それとあの命令のことは今は気にしなくていいわよ。」
レミリアの言葉に畏まる美鈴だったが、表情はフランドールに久しぶりに会えたお蔭で嬉しそうで、目だけ姿を窺おうときょろきょろしている。
ところがフランドールときたら箒に乗った魔理沙に手を伸ばし、美鈴のことなど見えていないかのようだった。
「魔理沙。魔理沙。降りてきてよ。紅茶もあるよ。咲夜にもう一つカップ用意してもらうね。」
「あー。ご相伴さしてもらうかな。いいかお嬢?」
「はあ……。あのねえ、今ね、貴女のこわーい情人がこの館の図書館にいるの。さっき美鈴がばたばた走ってきたし、フランもはしゃいで咲夜まで呼んでるし。今頃貴女がここに来たことを察知して、この部屋に向かっているんじゃないかしら。ちなみにこのテーブルのお菓子、見覚えはあるわよね。私が貴女を追い払おうとして、そういう大嘘をついてるわけじゃないこと、わかるわよね?」
「ははっ。はははっ。」
しかし魔理沙はすごすごと帰れない。だってフランドールが引き止めてるから。
「魔理沙―。アリスくらい大丈夫だって!」
「そう。アリスくらい大丈夫、なのね。」
アリスがゆっくりとレミリアの部屋に入ってくる。レミリアは最悪の事態になったと判断し、屋敷の主人としてどう収めようかと思案する。しかしフランドールはそんなことは露も考えなかった。
「魔理沙はフランのこと好きだって言ったよね。アリスのことは魔法友達だって言ったもん。幻想郷の中じゃフランが一番可愛いって言ってくれたもん。」
「じゃあ私は何?」
フランのセリフに魔理沙は全身が凍りついた。しかし誤魔化すような口は動いてくれた。
「アリスは、幻想郷で一番、美人っ。」
フランドールは不満そうに魔理沙を見上げてくる。
レミリアからしたら退屈凌ぎの愛憎ドラマにだと呆れればいい。身内さえ関わっていなければ。
さっきから自分の身の置き場を見失っている自分のチンピラがぼーっと突っ立っている。ここまで息せき切って走ってきたのだから、ここでかっこよくあのどチンピラを追い返せばいいのにと思った。この場にいる自分の主人がそれを言いあぐねているのだから察してくれてもいいのにと。やっぱりチンピラの頭の程度はそれくらいだった。
フランドールはどっちつかずな態度の魔理沙のスカート掴んでいる。
「魔理沙言ったよね。フランはおっきくなったらすっごい美人になるって。おっきくなったらキス以上のこともしようって。」
レミリアは心の中で突っ込む。キス以上のことをする日はずっと来ないわよと。だって自分たちは永遠に幼い風体なのだから。そしてアリスもフランドールの言葉に氷のように冷たい青い目をさらに凍えさせて魔理沙を見る。
「キス以上のことはしていないってことは、キスはしているのかしら? そのどう見てもあなたよりうんと幼く見える彼女に?」
「あいさつのキスっていうのもあるしさ!」
「えー魔理沙はいつも口にしてくれてるよ。こういうふうに。」
えいっとばかりにフランドールは飛び上がって魔理沙の膝によじ登り、魔理沙の唇にキスをした。
アリスは穏やかな笑みを浮かべた。そしてレミリアのほうに歩み寄る。
「今夜はお暇させていただきますわ。夜分にこのような騒ぎを私の連れが起こしたこと、大変申し訳ありませんでした。」
レミリアも珍しく恐縮したようにスカートを摘まんでアリスに深々とお辞儀をした。
「うちの妹も貴女の連れに大変な失礼をしたこと、こちらこそお詫び申し上げるわ。」
幻想郷の実力者同士が慇懃に弾幕も使わずに世間体塗れの挨拶を交わしている間、フランドールはまだ魔理沙に抱き着いていたし、美鈴はさっき目撃した衝撃シーンに衝撃通り越して変な恍惚感を覚えているようだし、魔理沙は自業自得だし、アリスからの申し出にレミリアは乗っかってしまうしかなかった。
「じゃ……じゃあ、ここにいるみんな全員で、マーガトロイドさんを見送りましょう。さあ霧雨さんもそんなところで浮いてないでさっさとこっちに降りてくる。フランもお客様がお帰りになるときには、ちゃんとご挨拶しましょうねって、いつも言ってるでしょ。美鈴、あなたは先に行って門を開けて待機してなさい。」
それぞれに指示を出したあと、レミリアはアリスと並んで長い廊下を何事もなかったように歩いて、屋敷を出た後も庭園を悠々と通り抜け、美鈴が先に待っている正面門まで案内した。
「ほほほ。ここの当主様や御一同に見送られてこの館を出るのは初めてだわ。慣れた場所であっても驚くことはあるものね。」
「今までが私が少し無精をしてただけよ。今まで構わなくて済まなかったわね。」
「いいのよ。私も今まで当主の貴女に挨拶一つすらしていなかったから。それにしても無邪気な妹さんがいると気苦労が絶えないわよね。貴女も。」
「妹は世間知らずなことで。貴女こそ奔放なご友人を持って苦労してるわよね。」
「あら。それほどでも。」
「そう。私もよ。」
女同士の苦労性側の当てこすりと強がりが交錯する会話を、後ろで何とも言えない気持ちで魔理沙と途中で合流した咲夜は聞いていた。
「それでは皆様ごきげんよう。それで、魔理沙。」
魔理沙はびくっと背筋を正した。
「用事が済んだらさっさと家に帰るんだったわよね。だったらさっさと家に帰りなさい。そして明日の晩は約束通り私の家に来るのよ。いいわね。絶対よ。」
フランドールは無邪気にアリスに問いかける。
「明日の晩、あの人のとこに行くの? 晩におうちに行くってことはキス以上のことするんだね。わあ、すごい!」
アリスは振り向いて、フランドールの世間知らずさを確かめるように頷いた。
「そうね。夜におうちに招くような関係なの。」
そしてアリスはトンっと一歩踏み出すと空に向かって駆け出した。そのまま空を飛んで帰っていった。
「じゃ、じゃあ。私もアリスとの約束もあるし帰って寝るぜ。」
やけくそのように魔理沙は箒に跨り空を飛んで帰っていく。それをレミリアは見送った。
「ふう……。フラン。今日はもうお開きにしましょう。姉さまは少し疲れたわ。」
「私も部屋に帰るね。美鈴、怪我治ったらまた遊ぼう。」
「あ……はい……。」
咲夜はどうぞとばかりにフランドールについていく。目顔でレミリアに問いかけるが、レミリアは美鈴のほうに親指を指して咲夜とフランドールを先に行かせた。
二人の姿が見えなくなったあと、レミリアは衝動的に美鈴にごめんねと告げた。心からの謝罪とは言えないが、無性に謝らなくちゃいけない気分になっていた。
「あんな妹で、ごめん。」
「えー。ああ。いいです。私はあんな妹様でいいです。」
「私が……私の一族が寄ってたかって、あの子からあらゆる機会を奪ってしまって、あんなにしちゃった。」
「そうなんですか。でもそれは、私には関係ないですし。私にとってはあの妹様だけですし。」
不幸なのか幸せなのか分からない女だった。この美鈴もあの妹同様、あらゆる機会を周囲から奪われた故なんだろう。だからこんなに頭が悪い。悲しいくらいに頭が悪い。
「今度あの魔法使いが来て、黒白のほうね。あいつが来てフランにいらんちょっかい出したら遠慮なくミンチにして良いわよ。」
「えっと……それは、妹様がかなしまないですかね。」
この期に及んでチンピラ妖怪は主人の許しが出たというのに、自分のどうしようもない怒りや悲しみに無頓着だった。その怒りや悲しみもレミリアの当て推量だったが。
「いいのよ。あの子だったらきっとその光景を見て笑って言うでしょうね。『あら魔理沙。何をぐちゃぐちゃのバラバラになってるの?』って。」
「だったら私が死んだときも妹様にはそう言って笑って欲しいっす。そしたら私しあわせっす。」
狂った幸せにレミリアは涙が滲みそうになった。それでも妹も門番も見捨てられない自分を奮い立たせるしかなかった。
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☆ss「或る妖怪の感傷的な考察」 東方レミ咲
私が思うような彼女は、完全で瀟洒。そして誰よりも一途です。
そんな今朝の彼女は、一途さ故に、まったく完全でも瀟洒でもありませんでした。
銀色の髪は一応は結われていたものの、それは朝に結いなおされたものではなく、昨日の夜からずっとそのままで、ところどころ三つ編みが緩みかけ、見た目にも少々疲れているような印象を醸し出していた。
朝の四時。本当ならこの紅魔館の主は就寝に入るはずだった。しかしまだその主人・レミリアは紅魔館のどこにも姿を見せていない。咲夜は図書館も探してみたが、図書館に篭りきりのパチュリーもレミリアの姿を見てないという。
こんなことならレミリアの外出に自分もついて行きたかった。だから同行を申し出たのに。しかし昨日の夜は、レミリアについてこないで欲しいと言われたので、特別な理由も無いのに主人の命令に背くことが出来ない咲夜は、ただ出掛けていく主人の後姿を見送るしかなかった。
咲夜は屋敷を出て屋敷と外界を隔てる門扉のところまで来ていた。そこでずっと佇んでいる美鈴に挨拶もそこそこに問いかける。
「美鈴。お嬢様は今朝はここを通らなかったかしら?」
美鈴は首を振る。
「昨夜出て行かれる時にはここを通られましたけど。」
「そう……。まだ帰ってきてないのね。」
綺麗な白い糸切り歯が薄い色の唇を噛む。美鈴は努めて明るく声に出す。それはいつもの完璧な咲夜の憔悴も入り混じった顔に妙な色気を感じたのを誤魔化す為でもあった。
「咲夜さん。お嬢様は心配ないですよ。なんならここで私と待ちませんか?」
そう言いながら、さりげなくその頼りなげな肩を引き寄せようとしたが、咲夜は自然で緩慢な動作で、その美鈴の手を振り払った。というより美鈴の手は美鈴の胸に引き戻されてしまった。
邪な考えを悟られてしまったのかと、焦って次の誤魔化しの言葉が口をついて出る。
「そ、そうですね。ここで二人ともいたんじゃ、一箇所しか見張れないですもんね。でもですね。お嬢様はここの主人なんだから、泥棒みたいに裏口から帰ってくる必要なんか、ないんじゃないですか? よっぽど疚しいことがない限り。」
「疚しいことって何?」
咲夜の顔色が余計に白くなる。美鈴は取り繕うように自分の言葉に付け足す。
「だから、お嬢様には妹様がいらっしゃいますし、友人のパチェリー様も。もちろん一番の懐刀の咲夜さんもいるのですから。」
咲夜の手は白いエプロンを皺くちゃにしてしまうほど、その白くて清潔な生地を握り締めていた。
口数の多い妖怪は、やはり下々の邪推するようなレベルでしか話をしない。
下世話なその想像はしかし、主たるレミリアを揶揄するものではないようだ。
「外で逢うような女がいても、所詮はたまに遊ぶくらいでしょう。いつも支えてくれている咲夜さんより、上なことは無いと思います。」
気楽な妖怪は慰めているつもりかもしれないが、咲夜が心の中で思わないようにしていた、悪い予感そのままを口に出してしまっている。しかもレミリアなら当然だといわんばかりだ。
確かにレミリアは高貴な身分である。例えば外の世界で言うところの貴族みたいな。彼らは伴侶の他に恋愛の相手を持つなんてのは日常茶飯事。今の咲夜のようにやきもきしたり、心配を募らせるのは寧ろ、階層の低い女の発想だと取られてしまう。
だから咲夜はそれを口に出さない。口に出すのは、吸血鬼である主人の身体を気遣っていると取られる程度の、言葉だけ。
そんなにやせ我慢して。自分は所詮使用人頭じゃないかと、咲夜は本来の自分の立場を振り返ろうとした。レミリアを高貴たらしめているのは、メイド長である咲夜の振る舞いにも掛かっているから。咲夜はそれを認識している。だから妖怪の言葉に何も反応をしめそうとしない。
何もその表情は感情を表そうとしない。
完全で瀟洒。その鋳型を精神的な枷だと今日ほど思ったことはない。
「あれって、お嬢様?」
うな垂れそうになる頭をなんとか前方に向かせる。咲夜の健気さが報われたのか、門の遥か向こうでレミリアの小さな影が現れた。妖怪が指差した先、少し霞んだ視界の中に白く浮かぶドレス姿が、自分たちの方に歩み寄って来る。
「おはよう。二人とも早いのね。」
「お嬢様。おかえりなさいませ。」
咲夜は最敬礼でレミリアを迎える。いつもどおりの瀟洒な表情で、完全なるメイドの姿だった。ただ、その頬がいつもより艶がなく、どこかやつれたような顔色を顔を下げることで隠そうとしているようにも、傍目からは見える。気付いているのか、気付いていないのか、レミリアは何気ないふうに口元に手を当てて欠伸をした。
「違ったわ。私が夜更かしだったのね。咲夜、お茶はいらないわ。それと寝る前のお風呂も今日はしなくていいわよ。」
咲夜は顔を上げてレミリアの帽子から覗いている髪を見る。明らかに夜明け前に洗われて、乾かしたばかりの髪だった。今の自分の髪とは全く逆の、今さっき家に帰ったばかりの主人の姿にしては、不自然な清潔さだった。咲夜は理由を訊こうか訊くまいか一瞬迷ったが、レミリアが屋敷に眠りに着くために入って行こうとするので、結局は何も言えずにレミリアの寝る支度を始めるために、その背中についていくしかなかった。
* * *
「今日も図書館に用なのか?」
「お? 門番妖怪は今日は忙しいのか。暇つぶしに何もしないなんてな。」
堂々と正面から入ってくる図書館の本泥棒と、紅魔館付きの門番妖怪は、自分たちの立場の違いにたいして気遣うことなく、互いに軽口を叩き合った。お互いにレベルの合った者同士、忌憚なく隣り合って紅魔館の塀に凭れて座った。
「弾幕ごっこでもするか? どうせ本が目当てなんでしょうが。」
「いやいや、門番妖怪。私はこの館の芳しい香りに誘われてやってきただけだぜ。」
「この女好きが。」
「お前こそな。」
「私は、女は泣かしたことは無いけど、女に泣かされたことは何回もある。」
美鈴の意味深っぽく聞こえる言葉に、魔理沙は身を乗り出した。
「なんかある意味羨ましいぞそれ。どんなめくるめく体験をしてるんだあんた。」
「あんたこそ。女に纏わることなら、なんでもOKなんだな。」
「いや。それほどでも。」
「褒めてないぞ。この勘当娘。」
「ドロップアウトはお互い様だろ。」
ふうと美鈴は溜息をつく。魔理沙はどうしたんだと美鈴の顔を覗き込んだ。
「またあの咲夜さんがらみか? 片思いは辛いねえ。」
「片思いって言っても、私はレミリア様にも妹様にも、パチュリー様にも気があるから、あまり堂々と片思いって言えないんだ。」
「アリスに対する私に近いもんがあるぜ。」
私は両思いだけど。
魔理沙は少女らしくなくかっかっと大口開けて笑っている。
「それで、片思いの一人の咲夜さんがどうしたって?」
美鈴はさいして気にすることなく、自分の身内の出来事を部外者に語り始める。
「お嬢様が朝帰りなさって。ちょっと咲夜さんがナーバスになってしまいましてね。私は気が多くてしがない門番妖怪だから、なーんにも、咲夜さんの力になれそうにないんです。」
「おいおい。あの咲夜がレミィの朝帰りくらいで落ち込むのかよ。」
「後から思い返して考えてみれば、私が何気に失言してしまったようで。口数の多さを呪うのですが。反省はしても覆水は盆に帰りませんし。つまみ食いしたクッキーも元に戻りません。つまり悩みの種を、私が咲夜さんの心に蒔いてしまったんです。」
魔理沙はあまり合点がいかないようで、腕を組んで頭を捻っている。
「あんたは咲夜さんについて、あまり分かってないようだから言うけど、あの人は一人の人しか想えない人なんだ。」
魔理沙はへえそうなのと言う様に今度は頷いた。
「つまりレミリアお嬢様一筋ってことか。あいつはヒトじゃないけどな。」
「咲夜さんはレミリアお嬢様のことを種族の違う吸血鬼だと思い切るか、それ故に心を縛られるかの選択に悩まされてるんです。」
「無茶苦茶難しいことを、普通の魔法使いに言わないで欲しいんだぜ。」
「あんたの頭は豆腐かい。」
「角にぶつけても死なないけどな。」
そんなことよりと美鈴は立ち上がる。
「あんたは咲夜さんの名前をどう思う?」
唐突に美鈴は魔理沙に問う。
「いい名前なんじゃないか。」
魔理沙の素直な返答に、美鈴は深くうなずいた。
「そう。良い名前なんだ。姓も名も、どっちも月を思わせるような、素敵な名前なんだ。だけどそれは咲夜さんが生まれた時に貰った名前じゃない。レミリアお嬢様が付けてくれた名前なんだ。」
「それこそいい名前じゃないか。自分が選べない親がつけたんじゃなくて、自分が敬愛するお嬢様がつけたんだから。」
魔理沙が言うとやけに説得力があるように聞こえる。父親と喧嘩別れしたせいだろうか。
美鈴はしかし、魔理沙の相槌に再び頷くことが出来なかった。
「だけど咲夜さんは、名前の意味とか由来をお嬢様から何も伝えられてないんだ。」
魔理沙は一瞬ぽかんと口を開いた。
「なんか分かった。つまりその十六夜って苗字も、咲夜って名前も、レミリアが昔好きだった女の名前じゃないかって、疑い始めてるんだろ。」
こういうときだけ勘がいいなと感心する反面、軽蔑したくもある美鈴だった。
「咲夜さんの髪や目の色や、白い肌は、東洋の名前にはちょっと不釣りあいだろ。なのに、敢えてそんな名前を付けられたんだよ。あまりにも音も字も意味も綺麗だから、私も咲夜さんもみんな気に留めてなかったけど。改めて考えれば、なんて意味深で疑いようのある名前の付け方なんだろうってなって。」
「さく『や』ってことは、男の名前の可能性もあるしな。」
「そうなのか?」
門番妖怪はそこまではレミリアを疑っていなかったらしい。まあ、人間の名前の付け方だから、妖怪の美鈴が男女の名付けが判別出来なくても可笑しくない。
「男。男かあ。まあそのほうがまだ、咲夜さんにとっちゃあ救われるかもしれない。」
「私珍しく良いこと言った?」
少し褒めれば多大に勝ち誇るところが、魔理沙の惜しいところだった。
「いや。やっぱり咲夜さんじゃない咲夜さんがいないことを願うよ。私は。」
「そうだな。絶対無理があるよな。あんな可愛い顔した少女に、わざわざ男の名前を付けるなんて無理があり過ぎるもんな。」
自分から自分の推理に駄目だしをする阿呆がそこにいた。
咲夜がレミリアに出会って心酔してここにいるのは、屋敷の外の人間が思うほど長くはない。レミリアにとってはたいしたことのないたまたま復活した夜の遊びだろうが、咲夜にとっては身も心も捧げた主人が別の女の匂いを漂わせていることで、主人を疑って苦しんでいるのだろう。そして自分が触れることの叶わない主人の過去にまで嫉妬している。そして今まで主人から押戴いた名前にまで疑いを深めている。美鈴にしてみても、この状態はあまりよくないと思えた。しかし自分に何が出来るのかと自問してみれば、答えはあっさりと何も出来ないしか言葉が出ない。
ふと見上げると今日も月が綺麗だった。館の中のことまでは、門番妖怪が知ろうはずもないが、あのレミリアお嬢様が気紛れでもいいからメイド長に優しくしてくれたら良いのになと、気の多い門番妖怪は薄い希望を胸に秘めて、紅い屋敷を振り返った。
初の東方小説です。続きはそのうち書きます。
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