幸福雑音
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☆ss「悪魔の兄を弟がエンドにしちゃうぞな腐った話」第十話「境界ネクロ」燐雪、燐アサ、燐メフィ
「ほう。白山羊さんからお手紙ですか。黒山羊さんとしては読まずに食べたいところですが、読むしかないでしょうね。」
二十時半に自室兼理事長室に帰ってきたメフィストは、よく女子中学生が多用するような細工じみた折り方をした便箋を執務用のデスクの上で見つけた。広げてみるとキャラクターものの便箋に平仮名多めの丸っこい書体でメッセージが綴られていた。
『りじ長へ。今日はリンが早くむかえにきたから、このままかえってあげます。一つおねがいがあるんだけど。明日はちゃんとおまえはへやにいろ。かしこ。アサ子より。ついしん。ちゃんといたらいいことあるかも。ついき。たのしみにしてろ。ついでに。このチャンスをのがしたら、つぎはないと思え。あ、ごめん。思ってね。』
メフィストは腕を組んで考え込む振りをする。この追記だらけの手紙の要求に応えてやるのは簡単なのだが、さあどうしよう。
メフィストはこの部屋に燐から頼まれて現・聖騎士を燐が学校と塾に行っている間だけ懐に預かっている状態だった。メフィストは直接的接触を避けるため、変則的な出張を口実にアーサーの前に出てくることはなかった。
「あの聖騎士と私は以心伝心というか、前世の因縁じみた確執がありますからね。なるべく顔を合わせたくなかったんですが。」
どちらかがツンデレしてて嫌い嫌い言い合っているような仲はない。純粋に嫌いあっているような関係だ。メフィストがアーサーのあることないことをどこやかしこに吹き回ってアーサーを窮地に陥れれば、アーサーは馬鹿正直に道路標識やコンビニのゴミ箱を武器に対抗してきたものだった。その律儀さと執拗さはまさに聖戦と呼んでもよかろう。アーサーは聖職者の癖に「殺す」などという通報ワードを口にしたりもした。
メフィストは昔の思い出に苦笑しながら部屋を検分し始める。
「おやつ類はほとんど壊滅ですね。紅茶も勝手に淹れたあとがあります。最近の書類は一応もとあったように戻してありますが、内容は見られていると思っていいでしょう。ふむ……。学園生徒や教員の個人資料には手をつけていないようですね。馬鹿正直に『さわってない』とメモがありました。本当に馬鹿がつくほどの純粋培養。」
メフィストはメモを指で弾き飛ばしながら「アホですね」と呟く。
「この中にサタンの息子――、燐の資料があるのは確実なのに。いや。ヴァチカンが下しそうな命令を考えれば、資料なんて必要ないか。」
良くてヴァチカンに連れて来い。悪ければ。
「殺せってことでしょうから。」
断然、後者の確率が高いとメフィストは踏んでいる。
アーサーが燐と接触を図ってからかなりの日数が過ぎている。それでも仇敵は本来の目的(?)を遂げようとしない。しかし記憶喪失を装い憎悪する悪魔の牙城の本陣に堂々と乗り込んできた。お菓子を食べ散らかし、お茶を飲みまくり、勝手に仕事の書類を覗き見した。たぶんベッドルームで昼寝なんかもしていたのだろう。
「考えられることと言えば、燐を成敗する前に私のヴァチカンに対する落ち度や失点を漁るつもりだったのでしょうか。でもそれなら、変な芝居なんかせずに聖騎士の権限を振りかざせばいいものを。」
メフィストは部屋の検分を続けている。用心するべきところは全て確認した。というか。アーサーはほとんど上っ面だけしかこの部屋を見ていないらしいことがなんとなく分かった。見られていた書類にしたって、ひょっとしたら退屈しのぎにしかなっていなかったのかもしれない。(書類は二年生の修学旅行のしおりの元原稿だった。メフィストのおすすめスポットマップ付の。)
「まあ、とりあえず。黒山羊さんから返事を出しときましょうかね。」
メフィストは指を振ってどこからともなく現れた万年筆を取り、羊皮紙に返事をしたためる。署名までしたあと封筒に入れて封ろうまで丁寧にした。
「まだ起きてますかね彼らは。」
メフィストは自室のドア歩いて鍵を取り出すと鍵穴に差す。そしてその鍵の魔法で旧男子寮の六○二号室のドアを開いた。
「こんばんは。」
「お?」
出迎えたのは燐だった。後ろで雪男があからさまに嫌そうな顔をしている。まるで旦那の愛人が訪ねてきた本妻のように気丈にはしていたが、目は鋭く威嚇している。
「今日アサ子さんから手紙を頂きましてね。夜分に失礼かと思いましたが、お返事に上がりました。ところで、アサ子さんは?」
「寝てるけど。」
燐は部屋の突き当たりの自分のベッドを振り返って指差す。
「起こそうか?」
「いいえ。起きたらこの手紙を渡して下さいね。」
「おう……。明日になっても大丈夫なのか?」
「大丈夫だと思いますよ。それでは失礼しました。」
きょとんとする燐をほっといて、メフィストは再び自室に戻る。
「さあて。どうしましょうかね。」
睡眠時間が一時間のメフィストにとって、夜というのは退屈で長い。大抵は深夜アニメだのレコーダーに溜め込んだ昼間のアニメやドラマを見るのが日課だが、今夜はそういう気分になれない。それにおやつを食べつくされたので、夜食もない。
「久しぶりにコンビニにでも行きましょうか。」
メフィストはいそいそとコンビニに行く準備をし始めた。
夜道に降り立ったメフィストはシャッターが下りた商店街を通り抜け、昼も夜も無い店に入っていった。
* * *
次の日のアーサーは珍しく燐に起こされる前に自分から起きて身支度していた。エプロン姿の燐が六○二号室に入ってくると「読んだか?」と尋ねてきた。アサ子は「読んだ。」と短く答えた。昨夜メフィストから渡された手紙は寝ていたアーサーの枕元に燐が置いておいたのだった。朝起きたアーサーが一番に気づくように。
「頼まれた弁当は作ったぞ。二人分。」
「ありがとう。燐。今日は一日中理事長が俺の相手をしてくれる、お呼ばれだから。弁当持参したら喜ぶんじゃないかなと思って。」
「アサ子は本当に気が利く良い子だな。俺頑張って美味しいお弁当作ってやったから、理事長と仲良く食べるんだぞ。」
アサ子のこともメフィストのことも一ミリも疑っていない燐はアサ子の頭を撫でている。雪男は頭痛を催したように溜息をついた。昨夜のメフィストの訪問と手紙の翌朝のアサ子の行動に何か思ったのか、珍しく雪男からアサ子に話しかける。
「アサ子さん。さっきの口ぶりだとずっと今日は理事長があの部屋にいるようなことを言ってたけど。これからのことを相談するつもりなのですか? 記憶喪失のアサ子さんがこの先もこの学園に留まるかどうかとか。」
アサ子は少し迷う。
「理事長次第だと思うぞ。んー……。もしかしたら、その話し合いだったとしたらお泊りになるかも。ひょっとしたら何日かお世話になるかもしれない。理事長次第だけどね。」
「そう……。」
雪男は無表情のまま呟く。アサ子から見たその横顔は何かを予感しているように見えた。そして同時にやはり自分はなるべく早く帰るべきだと思った。でも雪男の目はそれとは反対のことを期待している。アサ子はそれに気づかない振りをして燐を急かす。
「それじゃ行ってきます。」
「鍵開けるから待てって。」
アーサーは燐が寄越した弁当の包みをよっこらしょと抱えた。雪男の側を通り過ぎるとき、雪男が何かを呟いた。それをアサ子は聞かなかったことにした。雪男の声は「もう帰ってこないで」と唱えていた。
燐は何も疑わずにドアを開ける。アサ子は何も疑っていないようにドアの外に向かう。
「燐。」
「なんだ?」
「俺が帰ってこなかったら寂しいか?」
「寂しいに決まってるだろ。」
アサ子は満面の笑みを浮かべて理事長室に乗り込んだ。
* * *
燐が背後で名残惜しいようにゆっくりドアを閉める。ぱたんと音がしたと同時に、アーサーはアサ子をやめた。
「出て来い。甘言の悪魔。この聖騎士が直々に出てきてやったぞ。」
ベッドルームのドアが開いて、ナイトキャップにパジャマ姿のメフィストが姿を見せた。
「ああ……。おはようございます。」
メフィストはかったるそうにコーヒーメーカーをセットしながら執務室の椅子にパジャマのまま座る。
「手紙読んでくれましたか?」
「読んだ。奥村燐はサタンの息子で、生前の前・聖騎士藤本獅郎から、お前は彼の死後に燐を譲渡されることになっていたから、あのサタンの息子はこの学園でお前の下にいると書いてあったな。まるで死人に全ての責任を負わせているような言い草が実に鼻につく。」
メフィストはカップにコーヒーを注ぎながら口元を緩ませていた。
「死人に口なし。ではありますが、藤本獅郎は死後の自分の名誉なんか特に気にするような男ではないので、私は好きなだけ彼の罪状を騙れるわけです。」
「この天邪鬼が。奴の死後の名誉を汚すことで、奴の願いも叶えてやっているようなものだろう。」
「さあて。どうでしょうかね。言えることは、まだまだ私はヴァチカンでの名誉騎士としての地位から落とされたくないだけです。」
それともう一つ。アーサーはメフィストを非難するべき点を口にする。
「『譲渡だ』なんて、まるで燐がモノみたいな言い方じゃないか。」
「それこそ貴方の後ろにいるヴァチカンの有力者は、まるで燐を『害虫』のように駆除対象にしていたでしょう。十六年前に、まだ自分の意思ではなんの行動も出来ない赤子に真っ先に抹殺命令を出したのはそっちです。」
「だから再びその赤子が十五歳になった今、抹殺命令が降りたところだ。」
「いいでしょう。抹殺したいなら抹殺すれば。」
メフィストの言葉が終わるか終わらないかの内にメフィストが手にしていたコーヒーのカップが真っ二つになる。メフィストは熱いコーヒーを手に浴びたが微動だにせず、アーサーを睨みつける。
「私に八つ当たりしないで下さい。ちょっと記憶喪失ぶって悪魔と馴れ合った結果情が移って殺せなくなったからって。」
メフィストは手に残っていたカップの半分をアーサーに向かって投げつける。カップはアーサーの背後のドアにぶつかって割れた。
「あちい!」
メフィストは今更のようにキッチンに走って冷水で火傷を洗い始める。
「わざとらしいな。悪魔の回復力があればそんなのどうってことないだろ。」
「煩いですね。憑依体は人間なんですから痛覚だってあります。」
メフィストは水を流し続ける。アーサーは背後から覗き込むと、メフィストの白い手が痛々しく赤くなっていて、アーサーはわずかに身を乗り出した。メフィストはそれを追い払おうと片手を振った。
「私の背後に立たないで下さい!」
「なんだよ。痛いって言うから心配してやってんのに。もうちょっと水出したほうがいいんじゃないのか?」
アーサーは伸び上がって蛇口に手を伸ばす。
「身体押し付けないで下さいよ。気持ち悪いな。」
「好きでやってるわけじゃない!」
アーサーはじゃばじゃばと流される水音に掻き消されない大声で叫ぶ。メフィストはそれに顔を顰めていた。
「あっそう。じゃあ、割れたカップ片付けといて下さいよ。そっちのほうが助かります。ちゃんと掃除機もかけてください。」
アーサーはぶつくさ言いながら手近なペーパータオルに破片を集める。ややあってから掃除機の音がしてきた。メフィストは蛇口を閉めて赤みの少なくなってきた手を布巾で拭いてアーサーのほうを振り返った。
「ちゃんと片付けてやったからな。」
「貴方が割ったんだから当たり前です。」
アーサーが燐たちの部屋を出たのは八時くらいだった。今は時計はもう九時を過ぎている。アーサーは無駄な時間を過ごしたと舌打ちをした。
「とりあえずそのふざけたパジャマ姿をどうにかしろ。俺はそっちのソファーで待ってるから。」
はいはいとメフィストはのろのろと寝室に入る。
しばらくして室内なのにシルクハットも被った正装でメフィストは現れた。アーサーはというと、燐が祓魔塾から持って帰ってきた講師のお古の祓魔師のコートを羽織っている。それが普段着の代わりだろうか。金髪に黒いコートが婀娜っぽい。まるで喪服の未亡人だなとメフィストは思った。
「メフィストフェレス。俺の向かいに座れ。」
「言われなくても貴方の隣になんか座りませんよ。」
メフィストはアーサーの向かい側のソファーに座る。不愉快そうにわざと音を立てがっしりとしたソファーを占領するように足を広げて。
「で? 用件をさっくりさくさく話してください。」
「お前にヴァチカンに要請して貰いたいことがあるんだ。」
「なにを?」
メフィストは用件を聞くだけ聞いて手酷く拒絶するつもりでいた。アーサーはそれを読み取っておきながら眉間に皴を寄せながらふてぶてしく言う。
「俺を正十字騎士団日本本部の臨時職員にしてくれ。日本本部支部長殿。」
それを聞いたメフィストはぽかんと口を開けた。アーサーは畳み掛けに入って付属のテーブルに手をついて身を乗り出した。
「は?」
「そういう口実だけが欲しい。つまり実質、俺は今までどおり燐と共に生活する。」
虚を突かれたメフィストは次に呆れたように顔を歪めてアーサーを指差す。
「そんな虫の好い条件は飲めませんよ。貴方はいわば私や燐にとっては暗殺者とか刺客と呼んでもいい存在。そんな貴方を燐の側にずっと置くわけにはいきません。」
「そんな卑怯なことはしない。」
「そうだとしても私には何のメリットもないじゃないですか。」
「なら。この部屋に預けられているときは、この部屋の掃除もしてやっていい。」
「それでもまだ虫の好い話ですよ。」
アーサーは眉間に皴を寄せながら自分の側に置いてあった包みを広げる。
「燐がお前と俺に仲良く食えって作ってくれた弁当だ。」
「それが何か?」
「俺が頼めば、燐はお前の分の弁当も作ってくれると思う。これからも。」
メフィストはまだ合点がいかないように人差し指でテーブルを忙しなく叩いている。
「貴方がそこまで私に対して下手に出る理由を話してください。」
「さっき火傷させちゃったから。」
「うそつけ!」
アーサーはメフィストから目を逸らしつつもじもじと身体を揺らしている。
「メフィスト。実は俺は……」
「なんです?」
「燐のところにいる間ずっと、有給休暇を使ってたんだ。」
「はあ?」
「そんで今日でそれが切れる。有給がゼロになったんだ。明日からヴァチカンに顔を出さないといけない。ここで俺が日本支部の臨時職員にするとヴァチカンに申請してくれれば、俺はまだここに留まれる。」
メフィストはぶっと噴出す。
「くふふふふ……。腹が捩れそうですよ。聖騎士ともあろう者が、サタンの息子から離れたくなくて、憎き悪魔の下で掃除や皿洗いの身分に落ちても構わないと言う。」
「別に俺は掃除や皿洗いは好きだし、全然苦にならないし。お前には交換条件に弁当も持ってきたし。」
「ところがどっこい。そこで貴方と私が同等になるわけではない。どうしても貴方は私のお情けに縋ってしまう形になる。」
メフィストはソファーに横になって痙攣する身体を落ち着けようとするが小刻みに震えている。
「……。そんなに燐が好きになりましたか? 貴方の一番はキリちゃんだったんじゃないんですか?」
「サタン抹殺の任務が下されたのがキリちゃん……いやシュラなんだ。だけどシュラはいつまでたっても帰ってこない。だからここにいる目的は、シュラ探しも兼ねてるんだ。」
「そりゃあ、彼女は帰ってこないでしょう。サタンの息子があのザマじゃ、殺して帰るほうが目覚めが悪い。というわけで、彼女は任務が果たせないからヴァチカンに帰れないんじゃないですか。」
「そうか。やっぱりシュラも俺と同じように、あのサタンの息子に何か感じてるのか。」
「知りませんよそんなこと。サタンの息子たる彼は色んな意味で有名人で、あらゆる意味で沢山の人の注目と同情を集めて止まないですから。」
メフィストの言葉にアーサーは考え込んでいる。
「そんなんじゃないんだけど。お前は俺の記憶喪失を「振り」なんて言ったが、一日目だけは本当に記憶喪失だったんだ。燐はわけのわかってない見知らぬ俺に晩御飯を食べさせてくれて、お風呂に入れてくれて、自分のベッドを譲って寝かせてくれて。」
アーサーは弁当の箱を開けながら語る。
「何も心配することないからと、俺のことをぎゅっと抱いて頭撫でてくれたんだ。」
「それは貴方が綺麗だからですよ。」
「次の日の朝には俺は自分の本当の名前とやるべきことを思い出した。優しくしてくれた恩人がサタンの息子だってことも。今までの俺だったら優しくされても悪魔の甘言だって思い直して、きっと燐を躊躇なく殺してただろう。」
それにはメフィストも同意する。アーサーが寝泊りしていた間に燐に何の危険もなかったのが奇跡だと思うくらいに。
アーサーはそういうふうに祓魔師として清く正しく育てられてきた。いや違う。そういうふうに生まれついた。そんなアーサーを知っているだけに、メフィストはアーサーの語ることに違和感を感じる。俗に言う「キャラがぶれている」と呼ばれる現象だった。
「そうですね。燐を貴方は殺してない。何故ですか?」
「作ってくれたご飯が美味しかったんだよ。」
アーサーは泣き笑いのような顔をしてメフィストに同意を求めるように言った。しかしメフィストはその言い分を認めない。それはアーサーの理由として不十分だからだ。
「それでも貴方は燐を殺すはずだ。」
「髪の毛だってとかしてくれたんだ。」
なんだそれ。メフィストは首を傾げる。またそれを却下する。
「それでも貴方は燐を殺す。」
「俺にベッドを譲ったから、燐はずっとダンボールを積み重ねてベッド代わりにしてるんだ。」
「殺さない理由になってない。」
「雪男も塾の人たちも薄々俺のこと疑ってるのに、燐だけはこんなバレバレの嘘も信じてくれた。俺のこと、いつもいい子だって信じてくれている。」
「それでも貴方は燐を殺すに決まってる。っていうか、どんだけ甘やかされてんですか、あんたは! 聖騎士の癖に年下の悪魔に……。ばっかじゃないの!」
メフィストはぜえぜえと息切れを起こしている。どれだけアーサーがそれらしいことを言おうとも誰もそれを「アーサーが燐を殺さない理由」だと認めてくれるはずがない。しかしメフィストは理解し始めていた。アーサー自身の口から聞ける理由はこんなくだらないことの寄せ集めでしかないことを。自分達が納得するためには、自分達こそがそれらしい理由を頭の中で捏造するしかないということを。
「サタンの息子の存在を知らぬ存ぜぬということにして、貴方はヴァチカンに帰るという筋書きじゃ駄目なんですか?」
「それは……えーと…」
メフィストはそりゃそうだと受け止めるしかない。要するにアーサーはまだ燐と離れたくないのだろう。聖騎士であるということを隠して、燐と一緒にいたいらしい。
「分かりました。ただし貴方が私を騙そうとしている可能性もあるわけですから。」
アーサーは弁当箱の包みの中から割り箸を一膳取るとメフィストに渡した。
「だからベタなことをしてみようと思った。」
テーブルの真ん中に弁当の箱を並べる。いかにも食欲をそそるおかずとおにぎりが詰まった弁当だった。
「はあ。だし巻き卵にキッシュにオムレツですか。ゆで卵もある。なんか卵ばっかですね。」
「色んなおかず出してどれもお前の好みじゃなかったら困るからな。卵一点で攻めればどれか当たりだろうって思ったんだ。」
「ていうか、あんたの好きなもんばっかでしょうが。ったく……。」
メフィストはぱちんと箸を割って弁当のおかずを取る。アーサーはそれを見て安堵したように笑った。
「同じ釜の飯を食うですか。確かにベタですね。」
「初めて出会ったとき握手もしてくれなかった相手だからな。なんかもっと人情に訴えるもんじゃないと駄目だと思って。」
「貴方はそんな昔のこと根に持ってたんですか。まあ今回は及第点ということにしておきましょう。貴方から手紙を貰ったことと、腹を割って自らの恥を晒してくれたことと、この手土産で。」
アーサーはその言葉を待ってたと言わんばかりに弁当に箸を付ける。
「そういえばメフィストは卵料理で何が好きなんだ?」
「茶碗蒸しですかね。」
「……。」
「燐の作る茶碗蒸しなら美味しいでしょうね。ですが。弁当向きではないですから、ここで食べられないでしょうね。」
ぐぬぬとアーサーは唸る。それを見て悪魔は若造聖騎士に皮肉交じりの笑みを見せるのだった。
燐雪のターンを書きたかったけど掛けませんでした。次回はこれの裏の燐雪展開になると思います。
二十時半に自室兼理事長室に帰ってきたメフィストは、よく女子中学生が多用するような細工じみた折り方をした便箋を執務用のデスクの上で見つけた。広げてみるとキャラクターものの便箋に平仮名多めの丸っこい書体でメッセージが綴られていた。
『りじ長へ。今日はリンが早くむかえにきたから、このままかえってあげます。一つおねがいがあるんだけど。明日はちゃんとおまえはへやにいろ。かしこ。アサ子より。ついしん。ちゃんといたらいいことあるかも。ついき。たのしみにしてろ。ついでに。このチャンスをのがしたら、つぎはないと思え。あ、ごめん。思ってね。』
メフィストは腕を組んで考え込む振りをする。この追記だらけの手紙の要求に応えてやるのは簡単なのだが、さあどうしよう。
メフィストはこの部屋に燐から頼まれて現・聖騎士を燐が学校と塾に行っている間だけ懐に預かっている状態だった。メフィストは直接的接触を避けるため、変則的な出張を口実にアーサーの前に出てくることはなかった。
「あの聖騎士と私は以心伝心というか、前世の因縁じみた確執がありますからね。なるべく顔を合わせたくなかったんですが。」
どちらかがツンデレしてて嫌い嫌い言い合っているような仲はない。純粋に嫌いあっているような関係だ。メフィストがアーサーのあることないことをどこやかしこに吹き回ってアーサーを窮地に陥れれば、アーサーは馬鹿正直に道路標識やコンビニのゴミ箱を武器に対抗してきたものだった。その律儀さと執拗さはまさに聖戦と呼んでもよかろう。アーサーは聖職者の癖に「殺す」などという通報ワードを口にしたりもした。
メフィストは昔の思い出に苦笑しながら部屋を検分し始める。
「おやつ類はほとんど壊滅ですね。紅茶も勝手に淹れたあとがあります。最近の書類は一応もとあったように戻してありますが、内容は見られていると思っていいでしょう。ふむ……。学園生徒や教員の個人資料には手をつけていないようですね。馬鹿正直に『さわってない』とメモがありました。本当に馬鹿がつくほどの純粋培養。」
メフィストはメモを指で弾き飛ばしながら「アホですね」と呟く。
「この中にサタンの息子――、燐の資料があるのは確実なのに。いや。ヴァチカンが下しそうな命令を考えれば、資料なんて必要ないか。」
良くてヴァチカンに連れて来い。悪ければ。
「殺せってことでしょうから。」
断然、後者の確率が高いとメフィストは踏んでいる。
アーサーが燐と接触を図ってからかなりの日数が過ぎている。それでも仇敵は本来の目的(?)を遂げようとしない。しかし記憶喪失を装い憎悪する悪魔の牙城の本陣に堂々と乗り込んできた。お菓子を食べ散らかし、お茶を飲みまくり、勝手に仕事の書類を覗き見した。たぶんベッドルームで昼寝なんかもしていたのだろう。
「考えられることと言えば、燐を成敗する前に私のヴァチカンに対する落ち度や失点を漁るつもりだったのでしょうか。でもそれなら、変な芝居なんかせずに聖騎士の権限を振りかざせばいいものを。」
メフィストは部屋の検分を続けている。用心するべきところは全て確認した。というか。アーサーはほとんど上っ面だけしかこの部屋を見ていないらしいことがなんとなく分かった。見られていた書類にしたって、ひょっとしたら退屈しのぎにしかなっていなかったのかもしれない。(書類は二年生の修学旅行のしおりの元原稿だった。メフィストのおすすめスポットマップ付の。)
「まあ、とりあえず。黒山羊さんから返事を出しときましょうかね。」
メフィストは指を振ってどこからともなく現れた万年筆を取り、羊皮紙に返事をしたためる。署名までしたあと封筒に入れて封ろうまで丁寧にした。
「まだ起きてますかね彼らは。」
メフィストは自室のドア歩いて鍵を取り出すと鍵穴に差す。そしてその鍵の魔法で旧男子寮の六○二号室のドアを開いた。
「こんばんは。」
「お?」
出迎えたのは燐だった。後ろで雪男があからさまに嫌そうな顔をしている。まるで旦那の愛人が訪ねてきた本妻のように気丈にはしていたが、目は鋭く威嚇している。
「今日アサ子さんから手紙を頂きましてね。夜分に失礼かと思いましたが、お返事に上がりました。ところで、アサ子さんは?」
「寝てるけど。」
燐は部屋の突き当たりの自分のベッドを振り返って指差す。
「起こそうか?」
「いいえ。起きたらこの手紙を渡して下さいね。」
「おう……。明日になっても大丈夫なのか?」
「大丈夫だと思いますよ。それでは失礼しました。」
きょとんとする燐をほっといて、メフィストは再び自室に戻る。
「さあて。どうしましょうかね。」
睡眠時間が一時間のメフィストにとって、夜というのは退屈で長い。大抵は深夜アニメだのレコーダーに溜め込んだ昼間のアニメやドラマを見るのが日課だが、今夜はそういう気分になれない。それにおやつを食べつくされたので、夜食もない。
「久しぶりにコンビニにでも行きましょうか。」
メフィストはいそいそとコンビニに行く準備をし始めた。
夜道に降り立ったメフィストはシャッターが下りた商店街を通り抜け、昼も夜も無い店に入っていった。
* * *
次の日のアーサーは珍しく燐に起こされる前に自分から起きて身支度していた。エプロン姿の燐が六○二号室に入ってくると「読んだか?」と尋ねてきた。アサ子は「読んだ。」と短く答えた。昨夜メフィストから渡された手紙は寝ていたアーサーの枕元に燐が置いておいたのだった。朝起きたアーサーが一番に気づくように。
「頼まれた弁当は作ったぞ。二人分。」
「ありがとう。燐。今日は一日中理事長が俺の相手をしてくれる、お呼ばれだから。弁当持参したら喜ぶんじゃないかなと思って。」
「アサ子は本当に気が利く良い子だな。俺頑張って美味しいお弁当作ってやったから、理事長と仲良く食べるんだぞ。」
アサ子のこともメフィストのことも一ミリも疑っていない燐はアサ子の頭を撫でている。雪男は頭痛を催したように溜息をついた。昨夜のメフィストの訪問と手紙の翌朝のアサ子の行動に何か思ったのか、珍しく雪男からアサ子に話しかける。
「アサ子さん。さっきの口ぶりだとずっと今日は理事長があの部屋にいるようなことを言ってたけど。これからのことを相談するつもりなのですか? 記憶喪失のアサ子さんがこの先もこの学園に留まるかどうかとか。」
アサ子は少し迷う。
「理事長次第だと思うぞ。んー……。もしかしたら、その話し合いだったとしたらお泊りになるかも。ひょっとしたら何日かお世話になるかもしれない。理事長次第だけどね。」
「そう……。」
雪男は無表情のまま呟く。アサ子から見たその横顔は何かを予感しているように見えた。そして同時にやはり自分はなるべく早く帰るべきだと思った。でも雪男の目はそれとは反対のことを期待している。アサ子はそれに気づかない振りをして燐を急かす。
「それじゃ行ってきます。」
「鍵開けるから待てって。」
アーサーは燐が寄越した弁当の包みをよっこらしょと抱えた。雪男の側を通り過ぎるとき、雪男が何かを呟いた。それをアサ子は聞かなかったことにした。雪男の声は「もう帰ってこないで」と唱えていた。
燐は何も疑わずにドアを開ける。アサ子は何も疑っていないようにドアの外に向かう。
「燐。」
「なんだ?」
「俺が帰ってこなかったら寂しいか?」
「寂しいに決まってるだろ。」
アサ子は満面の笑みを浮かべて理事長室に乗り込んだ。
* * *
燐が背後で名残惜しいようにゆっくりドアを閉める。ぱたんと音がしたと同時に、アーサーはアサ子をやめた。
「出て来い。甘言の悪魔。この聖騎士が直々に出てきてやったぞ。」
ベッドルームのドアが開いて、ナイトキャップにパジャマ姿のメフィストが姿を見せた。
「ああ……。おはようございます。」
メフィストはかったるそうにコーヒーメーカーをセットしながら執務室の椅子にパジャマのまま座る。
「手紙読んでくれましたか?」
「読んだ。奥村燐はサタンの息子で、生前の前・聖騎士藤本獅郎から、お前は彼の死後に燐を譲渡されることになっていたから、あのサタンの息子はこの学園でお前の下にいると書いてあったな。まるで死人に全ての責任を負わせているような言い草が実に鼻につく。」
メフィストはカップにコーヒーを注ぎながら口元を緩ませていた。
「死人に口なし。ではありますが、藤本獅郎は死後の自分の名誉なんか特に気にするような男ではないので、私は好きなだけ彼の罪状を騙れるわけです。」
「この天邪鬼が。奴の死後の名誉を汚すことで、奴の願いも叶えてやっているようなものだろう。」
「さあて。どうでしょうかね。言えることは、まだまだ私はヴァチカンでの名誉騎士としての地位から落とされたくないだけです。」
それともう一つ。アーサーはメフィストを非難するべき点を口にする。
「『譲渡だ』なんて、まるで燐がモノみたいな言い方じゃないか。」
「それこそ貴方の後ろにいるヴァチカンの有力者は、まるで燐を『害虫』のように駆除対象にしていたでしょう。十六年前に、まだ自分の意思ではなんの行動も出来ない赤子に真っ先に抹殺命令を出したのはそっちです。」
「だから再びその赤子が十五歳になった今、抹殺命令が降りたところだ。」
「いいでしょう。抹殺したいなら抹殺すれば。」
メフィストの言葉が終わるか終わらないかの内にメフィストが手にしていたコーヒーのカップが真っ二つになる。メフィストは熱いコーヒーを手に浴びたが微動だにせず、アーサーを睨みつける。
「私に八つ当たりしないで下さい。ちょっと記憶喪失ぶって悪魔と馴れ合った結果情が移って殺せなくなったからって。」
メフィストは手に残っていたカップの半分をアーサーに向かって投げつける。カップはアーサーの背後のドアにぶつかって割れた。
「あちい!」
メフィストは今更のようにキッチンに走って冷水で火傷を洗い始める。
「わざとらしいな。悪魔の回復力があればそんなのどうってことないだろ。」
「煩いですね。憑依体は人間なんですから痛覚だってあります。」
メフィストは水を流し続ける。アーサーは背後から覗き込むと、メフィストの白い手が痛々しく赤くなっていて、アーサーはわずかに身を乗り出した。メフィストはそれを追い払おうと片手を振った。
「私の背後に立たないで下さい!」
「なんだよ。痛いって言うから心配してやってんのに。もうちょっと水出したほうがいいんじゃないのか?」
アーサーは伸び上がって蛇口に手を伸ばす。
「身体押し付けないで下さいよ。気持ち悪いな。」
「好きでやってるわけじゃない!」
アーサーはじゃばじゃばと流される水音に掻き消されない大声で叫ぶ。メフィストはそれに顔を顰めていた。
「あっそう。じゃあ、割れたカップ片付けといて下さいよ。そっちのほうが助かります。ちゃんと掃除機もかけてください。」
アーサーはぶつくさ言いながら手近なペーパータオルに破片を集める。ややあってから掃除機の音がしてきた。メフィストは蛇口を閉めて赤みの少なくなってきた手を布巾で拭いてアーサーのほうを振り返った。
「ちゃんと片付けてやったからな。」
「貴方が割ったんだから当たり前です。」
アーサーが燐たちの部屋を出たのは八時くらいだった。今は時計はもう九時を過ぎている。アーサーは無駄な時間を過ごしたと舌打ちをした。
「とりあえずそのふざけたパジャマ姿をどうにかしろ。俺はそっちのソファーで待ってるから。」
はいはいとメフィストはのろのろと寝室に入る。
しばらくして室内なのにシルクハットも被った正装でメフィストは現れた。アーサーはというと、燐が祓魔塾から持って帰ってきた講師のお古の祓魔師のコートを羽織っている。それが普段着の代わりだろうか。金髪に黒いコートが婀娜っぽい。まるで喪服の未亡人だなとメフィストは思った。
「メフィストフェレス。俺の向かいに座れ。」
「言われなくても貴方の隣になんか座りませんよ。」
メフィストはアーサーの向かい側のソファーに座る。不愉快そうにわざと音を立てがっしりとしたソファーを占領するように足を広げて。
「で? 用件をさっくりさくさく話してください。」
「お前にヴァチカンに要請して貰いたいことがあるんだ。」
「なにを?」
メフィストは用件を聞くだけ聞いて手酷く拒絶するつもりでいた。アーサーはそれを読み取っておきながら眉間に皴を寄せながらふてぶてしく言う。
「俺を正十字騎士団日本本部の臨時職員にしてくれ。日本本部支部長殿。」
それを聞いたメフィストはぽかんと口を開けた。アーサーは畳み掛けに入って付属のテーブルに手をついて身を乗り出した。
「は?」
「そういう口実だけが欲しい。つまり実質、俺は今までどおり燐と共に生活する。」
虚を突かれたメフィストは次に呆れたように顔を歪めてアーサーを指差す。
「そんな虫の好い条件は飲めませんよ。貴方はいわば私や燐にとっては暗殺者とか刺客と呼んでもいい存在。そんな貴方を燐の側にずっと置くわけにはいきません。」
「そんな卑怯なことはしない。」
「そうだとしても私には何のメリットもないじゃないですか。」
「なら。この部屋に預けられているときは、この部屋の掃除もしてやっていい。」
「それでもまだ虫の好い話ですよ。」
アーサーは眉間に皴を寄せながら自分の側に置いてあった包みを広げる。
「燐がお前と俺に仲良く食えって作ってくれた弁当だ。」
「それが何か?」
「俺が頼めば、燐はお前の分の弁当も作ってくれると思う。これからも。」
メフィストはまだ合点がいかないように人差し指でテーブルを忙しなく叩いている。
「貴方がそこまで私に対して下手に出る理由を話してください。」
「さっき火傷させちゃったから。」
「うそつけ!」
アーサーはメフィストから目を逸らしつつもじもじと身体を揺らしている。
「メフィスト。実は俺は……」
「なんです?」
「燐のところにいる間ずっと、有給休暇を使ってたんだ。」
「はあ?」
「そんで今日でそれが切れる。有給がゼロになったんだ。明日からヴァチカンに顔を出さないといけない。ここで俺が日本支部の臨時職員にするとヴァチカンに申請してくれれば、俺はまだここに留まれる。」
メフィストはぶっと噴出す。
「くふふふふ……。腹が捩れそうですよ。聖騎士ともあろう者が、サタンの息子から離れたくなくて、憎き悪魔の下で掃除や皿洗いの身分に落ちても構わないと言う。」
「別に俺は掃除や皿洗いは好きだし、全然苦にならないし。お前には交換条件に弁当も持ってきたし。」
「ところがどっこい。そこで貴方と私が同等になるわけではない。どうしても貴方は私のお情けに縋ってしまう形になる。」
メフィストはソファーに横になって痙攣する身体を落ち着けようとするが小刻みに震えている。
「……。そんなに燐が好きになりましたか? 貴方の一番はキリちゃんだったんじゃないんですか?」
「サタン抹殺の任務が下されたのがキリちゃん……いやシュラなんだ。だけどシュラはいつまでたっても帰ってこない。だからここにいる目的は、シュラ探しも兼ねてるんだ。」
「そりゃあ、彼女は帰ってこないでしょう。サタンの息子があのザマじゃ、殺して帰るほうが目覚めが悪い。というわけで、彼女は任務が果たせないからヴァチカンに帰れないんじゃないですか。」
「そうか。やっぱりシュラも俺と同じように、あのサタンの息子に何か感じてるのか。」
「知りませんよそんなこと。サタンの息子たる彼は色んな意味で有名人で、あらゆる意味で沢山の人の注目と同情を集めて止まないですから。」
メフィストの言葉にアーサーは考え込んでいる。
「そんなんじゃないんだけど。お前は俺の記憶喪失を「振り」なんて言ったが、一日目だけは本当に記憶喪失だったんだ。燐はわけのわかってない見知らぬ俺に晩御飯を食べさせてくれて、お風呂に入れてくれて、自分のベッドを譲って寝かせてくれて。」
アーサーは弁当の箱を開けながら語る。
「何も心配することないからと、俺のことをぎゅっと抱いて頭撫でてくれたんだ。」
「それは貴方が綺麗だからですよ。」
「次の日の朝には俺は自分の本当の名前とやるべきことを思い出した。優しくしてくれた恩人がサタンの息子だってことも。今までの俺だったら優しくされても悪魔の甘言だって思い直して、きっと燐を躊躇なく殺してただろう。」
それにはメフィストも同意する。アーサーが寝泊りしていた間に燐に何の危険もなかったのが奇跡だと思うくらいに。
アーサーはそういうふうに祓魔師として清く正しく育てられてきた。いや違う。そういうふうに生まれついた。そんなアーサーを知っているだけに、メフィストはアーサーの語ることに違和感を感じる。俗に言う「キャラがぶれている」と呼ばれる現象だった。
「そうですね。燐を貴方は殺してない。何故ですか?」
「作ってくれたご飯が美味しかったんだよ。」
アーサーは泣き笑いのような顔をしてメフィストに同意を求めるように言った。しかしメフィストはその言い分を認めない。それはアーサーの理由として不十分だからだ。
「それでも貴方は燐を殺すはずだ。」
「髪の毛だってとかしてくれたんだ。」
なんだそれ。メフィストは首を傾げる。またそれを却下する。
「それでも貴方は燐を殺す。」
「俺にベッドを譲ったから、燐はずっとダンボールを積み重ねてベッド代わりにしてるんだ。」
「殺さない理由になってない。」
「雪男も塾の人たちも薄々俺のこと疑ってるのに、燐だけはこんなバレバレの嘘も信じてくれた。俺のこと、いつもいい子だって信じてくれている。」
「それでも貴方は燐を殺すに決まってる。っていうか、どんだけ甘やかされてんですか、あんたは! 聖騎士の癖に年下の悪魔に……。ばっかじゃないの!」
メフィストはぜえぜえと息切れを起こしている。どれだけアーサーがそれらしいことを言おうとも誰もそれを「アーサーが燐を殺さない理由」だと認めてくれるはずがない。しかしメフィストは理解し始めていた。アーサー自身の口から聞ける理由はこんなくだらないことの寄せ集めでしかないことを。自分達が納得するためには、自分達こそがそれらしい理由を頭の中で捏造するしかないということを。
「サタンの息子の存在を知らぬ存ぜぬということにして、貴方はヴァチカンに帰るという筋書きじゃ駄目なんですか?」
「それは……えーと…」
メフィストはそりゃそうだと受け止めるしかない。要するにアーサーはまだ燐と離れたくないのだろう。聖騎士であるということを隠して、燐と一緒にいたいらしい。
「分かりました。ただし貴方が私を騙そうとしている可能性もあるわけですから。」
アーサーは弁当箱の包みの中から割り箸を一膳取るとメフィストに渡した。
「だからベタなことをしてみようと思った。」
テーブルの真ん中に弁当の箱を並べる。いかにも食欲をそそるおかずとおにぎりが詰まった弁当だった。
「はあ。だし巻き卵にキッシュにオムレツですか。ゆで卵もある。なんか卵ばっかですね。」
「色んなおかず出してどれもお前の好みじゃなかったら困るからな。卵一点で攻めればどれか当たりだろうって思ったんだ。」
「ていうか、あんたの好きなもんばっかでしょうが。ったく……。」
メフィストはぱちんと箸を割って弁当のおかずを取る。アーサーはそれを見て安堵したように笑った。
「同じ釜の飯を食うですか。確かにベタですね。」
「初めて出会ったとき握手もしてくれなかった相手だからな。なんかもっと人情に訴えるもんじゃないと駄目だと思って。」
「貴方はそんな昔のこと根に持ってたんですか。まあ今回は及第点ということにしておきましょう。貴方から手紙を貰ったことと、腹を割って自らの恥を晒してくれたことと、この手土産で。」
アーサーはその言葉を待ってたと言わんばかりに弁当に箸を付ける。
「そういえばメフィストは卵料理で何が好きなんだ?」
「茶碗蒸しですかね。」
「……。」
「燐の作る茶碗蒸しなら美味しいでしょうね。ですが。弁当向きではないですから、ここで食べられないでしょうね。」
ぐぬぬとアーサーは唸る。それを見て悪魔は若造聖騎士に皮肉交じりの笑みを見せるのだった。
燐雪のターンを書きたかったけど掛けませんでした。次回はこれの裏の燐雪展開になると思います。
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