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幸福雑音

女性向け二次創作サイト。 イベント参加情報もここに載せています。 オフは忍たま、オンでは青エク中心。

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☆「super scription of data」後編 燐雪前提の朴雪 グロ注意 

*今回グロシーンがあります。




 正十字教会に向かって自転車を走らせていた朴は途中で公衆電話を見つけ、自転車をその脇に止めた。
「うふふ。とりあえず連絡手段を設置しといて良かったわ。さてそろそろ理事長が近隣に散らばっている私をかき集めたころかな。」
 朴は単なる思い付きで公衆電話を設置したことを棚に上げながら自分で自分を褒め、十円玉を財布から出すと公衆電話に入れた。そして架空ラブホのフロントに電話を掛ける。
『はい。ホテルぱくぱくです。』
「なに勝手にホテルの名前決めてるのよ。」
『いや、のりのりでも良かったんだけど。』
「まあいいわ。どうかな? 理事長はちゃんと私の依頼を聞いてくれたかな。」
 依頼と聞いた三号は言いよどむ。
『頼みごとは聞いてはくれたけど、それなりの成果を期待しますって言われちゃったよ。あの人に。』
「そう。」
 そのくらいは常套句というか、決まりごとみたいな朴とメフィストの関係だった。しかしそれを共有している端末の三号の様子がおかしい。
『理事長は十分過ぎるくらいこっちの要望は叶えちゃってる。つまりは集められた私たちの数なんだけど。どんだけーって感じで。』
 朴は自分の見積もりと三号の半ばびびっている声を天秤にかけてみた。これから起こることは、まだ朴にも予想がついていない。ただ燐がすんなりと現実世界に戻ってくれる可能性を朴は全く感じていない。その証拠に未だに朴は燐を連れた雪男と合流することが叶っていないからだ。兄か弟か。問題をややこしくしているのはどちらなのか分からないが、なんだか雪男のような気がする。
 だから圧倒的な人数を揃える意味は十二分にある。三号がびびるような人数でもひょっとして足りなくなる可能性すらある。つまりそれは未曾有の大事件と混乱を意味する。
「ふうん。んで、何人くらい集まったって? ふん。そう。祭りを盛り上げるにはそれくらいは必要かもね。」
 電話の向こうで三号は用心のために零号を呼んでおこうかと朴に提案した。朴はいらないときっぱりと言い放つ。
「頭数の中に零号を入れたら祭りを盛り上げても意味がなくなっちゃう。」
 朴はそれじゃと言って電話を切るとまた自転車で走り出した。
 
     *   *   *
 
 雪男は伏せた睫の下の緑がかった青い目を自分の下にいる燐の痴態に向けていた。
燐はどうして自分がこんな仕打ちを受けているのかと言わんばかりに、絶望に濁った目で虚ろに雪男を見上げている。雪男は行為の前の激昂した自分や兄に対する嗜虐的な思いが冷めたように燐を見ている。雪男が見ているのはかつて燐の下で自分が喘いだ姿と二重写しの光景だった。しかし自分はその姿になってなんらかの充足感を感じていたのに、兄は全てを剥ぎ取られたかのように床に寝転がっている。
 雪男は胃のあたりに疼痛を覚えて、またがっていた燐の身体から腰を浮かせた。燐の局部に埋めていた指を引き抜くと燐は背中を丸めて蹲り小さく嗚咽を漏らしている。雪男はそんな燐に自分の上着を着せかけ、自分は脱ぎ捨てた下着とスパッツを履いて、逃げるように一旦礼拝堂の外に出た。
 なんだか自分がすごく虚しい行為に熱中していたような気がしてきた。彼女の言うように自分一人で兄を迎えに行かなければ良かったような気がする。
 雪男は無性に一人になりたくて、どこに行っても一人だろうに教会の住居部分のかつての自分たちの部屋に足早に向かった。
 扉を開けて中に入り懐かしい勉強机の前まで行き、手をついて俯いたとき、自分の机の上や本棚が空っぽになっていることに気づいた。そこには雪男が祓魔師の修行中に使った本がたくさんあったはずなのに、たった一冊すら見つからず全て消えていた。
 雪男は首を捻りながらも、ここは現実と違うんだからしょうがないと安易に自分を納得させる。
「いるんだったら姿見せたら?」
 ふと気配を感じて雪男がどことも知れず言葉を掛けると、二段ベッドの上の段の布団から、小動物的な姿の悪魔が机の上に飛び降りてきた。あの祓魔塾の箱の中に閉じ込められいた悪魔だった。雪男がメフィストを昏倒させるために使ったダミーの使い魔が雪男の前に姿を現したのだった。
「弟様。お久しぶりです。」
 小さくて見ようによっては可愛い姿に似合わずに悪魔は成人男性の声で雪男に語りかける。
「お久しぶり。」
 悪魔は雪男のことを「弟様」と呼ぶ。燐が「若君」ならその弟という意味だろう。雪男は忠実な悪魔に自分が引っかかっていることについて問いかける。
「あの卵。あれはまさか兄さんの言うように僕たちの子どもってわけじゃないよね?」
 悪魔はぶんぶんと首を振る。
「若君には残念なことですが、あれからは子どもは生まれません。」
「じゃあなぜ、最初は手のひらサイズだったのに、抱えられるくらい大きくなってるの? 何が入っているの? あれには?」
 雪男は礼拝堂に置き忘れた卵を回収しなかったことを後悔する。幾らいたたまれなかったとはいえ、もう少し冷静さがあれば兄から卵を没収出来るはずだった。そして卵の中身は子どもではなく得体のしれない何かだということは確実なようだ。
 悪魔は端的に答える。
「ゲートですね。」
「あのサタンが作れるというあれと一緒? 卵が孵ったら虚無界にいけるわけ?」
 悪魔はまた首を振る。雪男は自分の予想を口にする。
「僕の能力は人や悪魔の精神に干渉することで、その脳内に異次元空間を作り出してしまうこと。僕はその能力を自分とフェレス卿に使った。だからこの精神世界が物質界と異なりながらも異次元として存在出来る。」
「弟様は賢くていらっしゃいます。私が言わずともあの卵の正体にはお気づきでしょう。」
「そうだね。あれもここと同じような異次元空間を作り出すんだろうね。僕と兄さんが性交して僕から生まれて、兄さんに七年近く守られて育ったあかつきには、きっと物質界でも虚無界でもない世界が生まれるんだろうね。」
「どうやら物質界や虚無界より混沌として、どちらとも絶縁された世界ではないかと予想できるのです。若君と弟様との組み合わせが悪すぎたのです。真に残念ながら。」
「それは僕と兄さんが血縁だから?」
 悪魔は短い手足で腕組をし、唸って困った顔をした。
「お二人とも悪魔として上級すぎるのです。弟様の場合能力が能力ですから、それに青い炎を継いだ若君の精を受けることで弟様が望まずとも能力が強制的に発動されたのでございます。」
 雪男は悪魔の答えを聞いて予想通りだったなと肩を竦める。最初の交渉以来、雪男は常に兄に避妊具を使わせていた。自分の体内に精を受ければまた卵が生まれていたのは確かだったようだ。それを考えれば、あの卵はそういう側面で言えば兄の言うように子どもではあるのかもしれない。
「それで? あの卵を放置すればどうなるの?」
 一応の問いではあるが雪男にはすでに予想がついていた。悪魔は示し合わせたように答える。
「何回も残念と申し上げてばかりですが、真に残念なことですが、あれほど成長した卵は単に放置しただけでは孵化してしまいます。」
「じゃあ、壊すことはできる?」
 悪魔は瞼を硬く瞑り口ごもった。
「今、あの卵は若君の加護により守られている存在でございます。例え強制的に引き離せたとしても若君と卵のリンクを切ったことにはなりません。」
 礼拝堂の中であんなに手荒に扱った割にはヒビ一つ入れられなかった卵のことを考えれば、兄と卵の間には切れがたい何かがあることは薄々感づいていた。たぶん雪男の銃弾をもってしてもあの卵は破壊出来なかったのだろう。もし礼拝堂から卵を持ち出せなかったとしても無駄だったということだ。
「ですから若君の加護を断ち切れば破壊も可能で御座います。しかしながら若君のこの空間での七年間は、あの卵に支えられていたようなものなのです。リンクはそうそう簡単に切れないことでしょう。」
「それなら、兄さんにあの卵を諦めさせればいいんだね。そうしないとあの卵の孵化によって出現したゲートが物質界にも虚無界にも影響を及ぼすんだろ。もともと混沌とした虚無界はどうにかなるかもしれないけど、虚無界からの侵攻を防御するのが精一杯な物質界は二重の脅威に晒されることだろうし。はっ。僕たちは本当になんて罪深いことをしてしまったんだろうね。」
「弟様。それこそが悪魔で御座います。わたくしは貴方が思い悩む行為こそ嬉しく思うのです。悪魔になってからの貴方は禍々しいほどに輝いてらっしゃいました。どうかこの先も貴方が思うままに選択して振る舞い、この世界を脅威にも救いにも振り回して欲しいものです。」
 悪魔はとても嬉しそうに雪男を褒め称えた。それこそが悪魔の若君の弟君に相応しいと言わんばかりに。雪男はそんな悪魔に鼻白む。そして悪魔落ちをしたとはいえ、自分は人間側だという思いも込め悪魔に告げる。
「じゃあ。僕が産んでしまった卵を、僕の都合で破壊しても、お前は文句言わないわけだね?」
「貴方の生み出したものは貴方の所有物。思う存分それ相応の扱いをして下さいませ。」
 悪魔は歯をむき出しに笑う。それは雪男に対して悪魔としてこれからもあり続けるように促さすような言葉だった。雪男はそれに反発したくなりつつも現実は悪魔のいうまま、自分の振る舞いのままなので言い返せない。
「とにかくもう一回兄さんを説得してみる。兄さんの卵に対する加護は兄さんが卵を諦めないと断ち切れないんだろ?」
 雪男は悪魔に背を向ける。後ろの悪魔は残念そうにため息をついた。
「弟様。頑張ってくださいませ。恐らくかなりの困難を極めることでしょう。ご無理ならご無理でも致し方ないのです。物質界でも虚無界でもない世界が生まれるというのも、我々
悪魔にとっては歓迎するものなのです。」
 雪男は顔を歪める。自分にとって忠実な悪魔でもやはり悪魔は悪魔だった。
 
 雪男は再び礼拝堂に足を向ける。住居部の廊下の窓から、必死に礼拝堂の扉を開けようと奮闘した結果、バッドで扉をたたき続ける朴の姿を見つけた。
 朴は振り向いて「あ、先生。」と手を振っていた。
 雪男が駆け寄ると礼拝堂の扉はところどころへこんでいた。
「朴さん。教会内でそんなもん振り回さないでください。というか入り口門もそれで突破してきたわけですか?」
「そうだよ。この降魔剣改・降魔バットで。」
「そんなことしなくても僕なら開けられるんですから。今度は一緒に入りましょう。兄さんはここにいますから。」
「最初からそうしてくれれば良かったじゃないっ。」
 朴はぜえぜえと息を吐きながら雪男に泣き言を言った。しかしこの世界での最終兵器である降魔剣改・降魔バットは、流石に燐が他者を排除するための二重の門の一つを破壊出来たようだった。
 雪男は降魔バッドの性能に感心しながらも朴を横目にいとも簡単に扉を開けようとした。
「あれ?」
 礼拝堂の扉は開かない。ドアノブが一ミリも動いてくれない。
「なんで?」
 雪男の顔が真っ青になる。なんでなんて自分自身がよく分かってる癖に。
「先生。どいて。やっぱり私がやる。」
 朴はいろいろと察しているように雪男を押しのけるとバット構えなおす。
「先生。一旦こっちに出てきたってことは、燐君となんかあったよね? 私が二人きりで会わないほうがいいって言ったのは、ひょっとしたらそうなるかもしれないって思ったからだよ。やっぱり予想は当たっちゃったんだね。」
 朴は大きく振りかぶってバットを扉に叩きつける。中から燐の言葉にならない金切り声が聞こえる。朴は中にいる燐に呼びかける。
「燐君。あんまり手荒なことはしたくないんだ。頼むから出てきてくれないかな?」
「朴さん。ちょっと兄さんと言い合いになって僕が無理強いしてしまったせいで、兄さんは今混乱しているんだ。」
 雪男は朴の腕を掴んで朴を制止しようとする。しかし朴はまた降魔バットで扉を破壊しにかかる。
「無理強いしてしまったなら、最後まで無理強いでいこうよ。」
「駄目だ朴さん。そんなことしたら卵を守っている兄の力が余計に強くなる。」
「卵? なにそれ?」
「……兄さんが、僕と兄さんの子どもだと思い込んでいるもの。」
 雪男は無意識ながら真実そのままを話せなかった。朴が躊躇している内に礼拝堂内から音が聞こえる。それを聞きつけた朴ははっと我に帰ると、最後の一撃とばかりに扉にバットを叩きつけた。
 扉は朴と雪男を吹き飛ばすように観音開きに開け放たれる。
「兄さん!」「燐君!」
 二人の視界には卵を抱きかかえて二人を怯えたように見る燐の姿があった。中の光景は未だに礼拝堂のようだが、燐の立ち姿を見るとまるで別の場所のように見える。朴と雪男に対して身体を横に向けて、何かを待っているその姿を捉えた。
「やばい。燐君がこの精神世界を自由に操る力を習得しているのかもしんない!」
 旧・男子寮の場所に教会を入れ替わりに出現させ、そこで六年間過ごしていたという事実からして、また燐がその力を使ってこの場所を変化させにかかっていると朴は直感する。燐の立ち姿は自分でも見に覚えがある姿なのだが、いったいどこで見たか、自らその姿をしたか、まったくもって思い出せない。
「先生!」
「はい!」
 朴と雪男は同時に燐に駆け寄ろうとする。とりあえず考えるより気力の薄い燐を捕らえるほうがいいと判断した。
 しかし状況は一変する。燐のいる範囲がいきなりせりあがった。コンクリートの無機質な塊。そしてその下に礼拝堂を縦断してレールが敷かれている。
「思い出した! プラットホームで電車を待つ人だあれは。」
 礼拝堂の壁がプラットホームの壁になる。そして祭壇を押しつぶしながらローカル線の電車がこちらに向けて走ってきた。二人は電車に轢かれないようにレールの外に外れる。
「兄さん!」
 雪男が叫んでも燐は振り向かない。止まった電車のドアが開く音がする。そして燐は自分だけの無人の電車に乗り込んだ。
『発車致します。』
 無機質なアナウンスが流れ電車は走り出す。朴と雪男が見るプラットホームには誰もいなかった。燐は教会内を駅に作り変え、逃走用に電車を作り出した。その今起こった事実に雪男は愕然としていた。
「兄さんが僕たちから逃げた……」
「ああ、そうだね。何もかもから燐君は逃げたくなったんだね。電車か。やるなあ、サタンの息子。」
「兄さんは弱い人間じゃないのに……」
「それは現実の世界ではだよ。ここは人間の弱さが浮き彫りにされる場所なんだ。先生にも見に覚えがあるでしょ。先生も燐君を巻き込んで現実世界から逃げようとしたんじゃなかったっけ? 燐君一人だったらそこまで弱くなくても、先生に引きずられたっていう線もあるよ。」
「全部僕が悪いって言うんですか!」
「全部とは言ってないよ。だけどほとんど全部だよね。だからね。私はちょっと残酷なことして燐君を引き止めて引き上げるつもりだから、それは許してくれるよね?」
 雪男は口を固く閉ざして唇をかみ締める。朴は燐の大掛かりな逃走劇から早くも冷静になってこれからするべきアクションを考え出した。
「巨大な乗り物の召喚も燐君のお陰で可能だって分かったから。」
 朴は青い空を仰ぎ見る。今頃燐はどことも宛てもなく伸びるレールに沿って逃げ続けているのだろう。あっけらかんと明るく晴れた景色の中、どことも分からない場所に逃げて心安らかになりたがっているのだろう。
「あの卵は、孵化すると物質界にとって脅威になるものが生まれてくるんです。」
 今更ながらに雪男は朴と目を合わせないように俯いて自分の更なる罪を告白する。
「やっと正直に話してくれたね。」
「もうたぶんあまり時間がないです。早く破壊しないと。」
 そうだね。と朴は淡々と答える。
「朴さん。僕はどうしたら……」
「もう、なにもするな。」
 朴は苛立ったように雪男に言い放つ。しかし思い直したように少し言葉を和らげた。
「先生はもう何もしなくていいから。全部私に任せて。そんで現実に帰ってこれたら、後腐れなく目を覚ました燐君におはようって言ってあげて。怖い夢を見たって言ってきたら、平気な顔をして夢だよって言ってあげて。」
「それは僕たちに普通の兄弟に戻れってことですよね。この世界のことはなかったことにしろってことですよね。」
「出来るでしょ。先生なら。燐君を守るためなら。兄弟で愛し合うこともなかった。絶望することもなかった。一人ぼっちで取り残されることもなかった。世界の災いの種なんてなかった。」
 青い空に黒い影が幾つも浮かぶ。それは自衛隊やら兵器に関するニュースでしか見たこと無いような垂直離着陸型大型輸送機だった。
「三号が上手いこと察してやってくれたようだね。」
 その中の一機が雪男たちから百メートル離れたところに教会を形作る木々や墓石やレンガなどの上に降り立った。もはや教会は瓦礫の山と化していた。
「一号。朴朔子現在五百名集合しました。大型輸送機二十機にて作戦待ちであります。どうぞ指示を。」
 三号が輸送機から朴に告げる。朴は悠々と雪男の手を引きながら輸送機の中に入った。
「それじゃあ、朴朔子史上最大の作戦やらかしちゃおうかな。この輸送機軍団二十機で、このレール見えるよね? この轍を辿って、いや先回りするか。対面したほうが後から追うより、前方で待ち受けたほうがインパクト強いよね。出来るかぎり全速前進で。目下逃亡中の燐君を乗せた電車の先回りをして待ち伏せる。」
「そんなこと出来るんですか?」
 雪男の不安そうな顔に朴はちっちと指を振る。
「地上を走る電車より、空を飛べる飛行機のほうが移動の幅は広いんだよ。」
「いやそういうことじゃなくて。これを操縦しているのも貴方の中の一人だっていうことでしょ? ちゃんと飛べるんですか。」
「私はやればできる子だよ。というか、やるときはやる子だよ。飛行機ぐらい飛ばせて当然なんだから。それとも夢の世界なのに死ぬのが怖いのかな?」
 雪男はしかめっ面になって問いかけることすらやめた。二人で乗り込んで待機中の一機に、搭載されていると言わんばかりに揃った二十五人の朴と対面する。雪男はその異常な光景にほんの少し顔色をなくした。
「この朴さんたちはどうしたのですか。」
「理事長に集めてもらったんだよ。お得意の時と空間を操る能力でね。」
 朴たちは誂えたように正十字学園の制服を着ている。たぶんメフィストのおたく趣味による演出のうちだろう。そして背中にパラシュートらしきリュックを背負っている。
 朴は次にコックピットにいる三号のもとに雪男を連れていく。
「三号。おつかれ。もう少しお仕事頑張って。」
「分かってるよ一号。それじゃぼちぼち燐君の乗った電車に先回りするから。」
 朴たちを乗せた輸送機が垂直離陸し始める。
「燐君が乗ったのがローカル線の電車で良かったよ。もし新幹線だったりもっと速く走れる乗り物だったりしたら厄介だったろうからね。」
「兄さんはあなたほど過激じゃないですから。」
 雪男にしてもまさか軍用機を使って兄を追跡する日が来るとは思わなかった。どうせこの女のことだからうけ狙いも兼ねているのだろう。
「呆れてるでしょ。私のやり方。」
「今回の僕のやり方よりずっと上等だとは思いますよ。」
 朴はかすかに笑うと自嘲気味に雪男に語りかける。
「私には先生にとっての燐君みたいな、目の上のたんこぶみたいな奴が一人いるんです。ぶっちゃけ姉なんですけどね。私たちはそいつのことを零号って呼んでいるんです。朔(いち)の前の零。私は要するにナンバリングされた一から九千九百九十九で、たった一人の零をハブにして目の敵にしちゃってる、せこい妹をやってるわけで。それでも九千九百九十九の朔(いち)の私は、零に絶対勝てない。それは零が圧倒的に正当で正義だからなんです。」
 雪男はこんな状況でそんな話がどう関係するのだろうと首を傾げる。朴はそんな雪男に照れたようにうっすらと笑みを浮かべる。
「いや。私の恥ずかしい話もたまには誰かに聞いてもらわないと。」
「つまりあなたにも僕と同じようなジレンマがあると言いたいんですね。」
「まあ私も九千九百超を従えているとはいえ、妹に生まれたというのは変えられない事実でして。しかも私の前の零に明らかに劣っているわけで。おまけに私のやることは正当性のないイカサマばかりだし。だけどね先生。私は正しさなんてなんぼのもんだって思うんです。」
 朴は正しさではこの兄弟は救われるどころか、正当性をかさに来た人間によって地獄に落とされること重々承知していた。
「これからやることは私の初にして一世一代のイカサマ大舞台なんです。大義があるとすれば兄思いの弟がやらかした罪を馬鹿騒ぎで誤魔化すことで、ある兄弟を不幸にしないだけのことです。正しさなんてありません。悪者は真っ当な方法で罰せられません。真実なんて審らかに明らかにされません。全部なあなあで終わらせるんです。どうです?」
 雪男は困ったような顔をする。ただ朴が自分たちを助けるために真っ当でないことをすると宣言されてしまった。雪男はまだ理解には程遠いが、(まだメフィストから朴が要求されたことを知らないからではあるが)、自分を庇うためにいわゆる世間でいう悪いことをすると言われた気の重さに眉を顰めてしまう。
「ぱ……朴さん。僕は今の段階でヴァチカンから正当な処罰を受けるわけにはいきませんが、あくまで僕は人間でいたいわけですけど。兄さんが完全に無事だと分かれば申し開きしようかとも考えてるわけだし。」
 だからあなたがそんなに無理しなくてもと言おうとしたら、朴は駄目だと大声を上げた。
「先生は今回のことはお墓まで持っていくって約束して。先生が真っ当な方法で罰せられるのは私が許さない。」
「いや僕は真っ当でいたい人間なんだ。」
「だーめ。」
 朴は絶対的な意思を持って雪男の真っ当さに対する最後の悪あがきを却下した。そこまで高圧的に言われると雪男の真っ当でいたいという意思も揺らいでくる。
「いいのかな……。僕は罰を受けなくても。」
「いいんだよ。まともに罰を受けない罪があったって。」
 罪には罰という綺麗な論理を馬鹿にするような言葉に雪男は肩を竦めた。
 
「一号。二十機全て先回りに成功。一両目窓に燐君の姿を発見。電車は今も速度を保ったまま走り続けてる。」
 
 朴はコックピットに行き三号に話しかける。
「先生が言うには世界が終わりになるような卵を所持しているらしいけど、そんなの持ってる?」
「カメラで見てみようか。あっ。なんか丸いものは抱えてるみたい。」
「燐君の確保もそうだけど、その前に燐君と交渉して卵を放棄させなきゃいけないみたい。」
「でないと世界の終わりってわけね。こわっ。そんじゃ、えーと一両目になるべく燐君が安全なように近づいてみなくちゃ。」
「頼むね。」
「はいはい。ぎりぎりまで高度下げるわね。」
「横着して地面に激突しないでよ。」
 朴の言葉を聞いた三号は燐の乗った電車に近づいていった。
 
 燐は一人きりの電車の窓から外を眺めていた。一人でいることには慣れていながら今までは孤独と苦痛しか感じることはなかったが、今はとんでもなく安らかで眠ってしまいそうになる。電車の振動が眠気を促している。自分の腕には愛しい卵がある。
「ゆき。電車が止まったとこに家建ててさ、お前が生まれたら俺はお前のことを大事に育てるから。お前のお母さんはお前のこと嫌いになっちゃったみたいだけど、それはほんとうに俺の……お父さんのことが好きだからそうなっちゃったんだよ。お前が悪いわけじゃない。」
 燐は卵に話しかけている。「ゆき」というのは卵の中の子どもが生まれてくるまでの仮の名前だ。燐は卵にそう呼びかけることで少し生きる気力を取り戻していた。
「お父さんが強くならなくちゃな。六年間もお前と頑張ってきたんだから出来るさ。」
 しかしその意思が導き出した行為は逃避。誰もそれを咎めて連れ戻すことも出来ない。
 はずだった。
 
 燐は目の前の光景にとろんと寝ぼけたような眼を見開いた。上空には青い空に不似合いな鉄の塊が電車と平行に飛んでいる。あまりニュースを注視せず聞き流すことの多い燐には、それが軍事用輸送機だと理解するのに多少の時間が掛かった。
その入り口部分から朴の姿が現れる。風速も強いのだろうか、朴の髪や服は風に煽られて滅茶苦茶になっている。軍事用輸送機とも相俟って異様な迫力を見せていた。
朴は手すりになる部分に掴まりながらこちらに向かってなにかを叫んでいる。
「…くん。」
「なんで朴が……」
 呼びかけようが朴側の輸送機の巻き起こす風やらエンジン音で何も聞こえない。だから朴がここにいる理由を話していたとしても分かるわけがない。それでも燐は叫ばずにはいられなかった。
「お前なぜいるんだよ! 関係ねえだろうが!」
 
 燐が叫ぶ光景を見下ろしていた朴は、後ろに控えていた雪男と、輸送機を自動操縦モードにしてこちらに来ている三号に声をかけた。
「先生。三号。手すりに掴まって後ろで私の背中掴んで。」
 朴は二人に制服の背中を掴ませると手すりから両手を離した。朴は両手を前に翳して自分が落ちないことを確かめた。そのまま両手を前方に突きつける。所謂とまれのジェスチャーだが燐には理解されていないらしい。電車の速度は緩まない。朴は両手で握りこぶしを作るとファイティングポーズを取る。これは燐にも判別出来たようだ。
 
「俺がこの電車を止めないと実力で来るってことか。」
 燐には理解出来なかった。たかが数ヶ月机を並べただけの同級生の朴がこんなことをする理由が分からない。幾ら夢の世界とはいえ理不尽過ぎる。前回のサルベージからの記憶が曖昧な燐だったが雪男は無事連れ戻されたらしい。多分朴によって。ならば今度連れ戻されるのは燐の番だ。
 それは分かる。それでも燐は帰れない。卵も一緒に現実に帰れないことがわかっているから。自分が現実に戻れば卵はこの世界に置き去りにされる。六年間いや、それ以上の時間をこの世界に取り残された自分同様、置いていかれてしまうのだ。
「そんなこと出来るかよ……」
 燐は大きな動きで首を横に振る。そして自分の気持ちを分かってくれと言わんばかりに、開け放たれた窓から身体を乗り出して獣のような雄叫びを上げた。
「うおおおぉおお!」
 
 朴はかすかに聞こえた叫びに耳を塞ぐジェスチャーをする。そしてゆっくりと自分の腕を胸の前にクロスさせた。
「駄目なんだよ燐君。君には事前に真実を教えられないけど、私は有無を言わさず君の乗ってる電車を止めるから。」
 朴は三号にサインを送って電車の前方に輸送機を飛ばした。それに続いて残り十九機も電車を追い抜き電車前方に速力を上げる。
 朴は三号と雪男に引きずられて輸送機の中に戻っていた。
「ごめん。やっぱりやるしかないようだわ。」
「一号。私もう手が限界だったよ。」
「次は精神が限界になるからね。」
「あんた、やっぱりやる気?」
 雪男は自分でも痺れそうになっていた手を擦りながら二人の朴のやり取りを聞いていた。朴は雪男に笑いかける。
「覚めない悪夢は、最高のブラクラ画像で飛び起きさせるしかないようだね。」
「ブラクラ画像……、なんですかそれ?」
「先生。ここから先は目を瞑ったほうが賢明だと思います。でもお兄さんと同じ光景を見る勇気があるならば見ていって下さい。これが朴朔子の本気ですから。」
 
 朴は三号と共にコックピットに向かう。
「先生。どいてください。」
 二十五人の朴が列を作って入り口に押しかけてきた。雪男は端に追いやられついには朴たちが待機していた座席に押し込められた。
 輸送機の中に朴のアナウンスが木霊する。
「みんなー。これは夢だから死なないからね。一瞬だから怖くならないからね。」
 この輸送機だけではない。雪男には聞こえないが全ての輸送機に朴のアナウンスが無線を伝って響いている。朴が持っていたマイクがもう一人の朴に引っ手繰られる。
「はーい。みんな、三号だよ。私が一番に飛び降りるからみんな間髪いれずそれに続くんだよ。」
 再びマイクは朴に戻る。しかしその電源は切られていた。
「三号。あんた操縦は。」
「あー。他の子に変わってもらった。やっぱこういう作戦の切り込み隊長は私でないとね。」
「三号……あんた。」
 コックピットのドアから一人の朴が入ってくる。
「二号だよ。三号と交代だったねえ。」
「あんたか!」
 二号はいつもこんな感じだった。大変な作業をすぐ下位の三号に丸投げして、三号にかっこいいかつ大変な役目を譲ってしまう悪癖を持つ二号。そしてそつなくいつも一号を支える三号。どっちにしたって自分だが。これだから朴は自分が大好きなのだ。自分が複数いて同スペックで協力戦線を越えられる。これで自分を嫌いと言い出したら自分に申し訳ない。
「ほんじゃあ、景気良く頼むわよ。わたしたち!」
 
 既に三号は入り口の最前列で機体の開け放たれたところから足を踏み外した。
 うわあ! 雪男はその光景を声を上げて見ていた。
 あっという間に制服姿の三号はパラシュートを広げ、電車の軌道上のレール部分に綺麗に着地する。電車と輸送機の距離は約一キロだった。三号は電車が迫ってくるのをにやりと笑いながらレール内に侵入して電車に向かって走った。その間も次々と朴たちが着地してはレール内に侵入する。それを燐は呆然と見ていた。
「あいつら……なにやって…」
 軍事輸送機を用意するような女だから何か兵器を使うのか? そう頭に過ぎった。だがそれならレール上に待機しているのはおかしい。しかも電車を止められるような兵器の形すら見えない。
 朴たちはおのおのパラシュートをその場に置き捨ててレール上に三列にぎゅうぎゅうに並んでいる。そして待機するだけだ。
 燐は迷った。電車を止めなければ大変なことになるんじゃないかと。だが止めれば今度は自分は卵の「ゆき」と引き離されてしまう。卵を守るためには電車を走らせるしかない。
「大丈夫だ。あいつらのあれはただのハッタリだ。脅しなんだ。」
 脅しで本当に電車に轢かれては元も子もない。燐は夢と現実の区別をせず判断した。
 燐は夢と現実の区別がついてなかった。
「よける。よけるに決まってる。」
 レールに降り立った三号は他の朴より百メートル先にいた。既に百五十人の朴は地面に降下している。そしてまた続々と輸送機は二十五人単位の朴を吐き出し続けている。
 三号は走った。電車に向かって。
「とめてえ、みせる!」
 燐は窓から身体を乗り出して、電車に向かって走ってくる朴を見ていた。
「よけろ! 馬鹿!」
 言った途端にぐしゃっという嫌な音と、そのあと電車の車輪が何かを押しつぶした感触。そして燐の顔に人間の肉片の混じった血液が飛んできた。
 朴三号は弾けた。電車にぶつかって。そしてその身体は電車の下に引き込まれ、血液は空中に四散した。朴の血液色の欠片が空中の酸素を取り込んで、鮮やかな紅を青い空に撒き散らす。
 燐は自分の頬についた血を拭い取った。すぐさま手をふってそれを落とそうとする。
「ぎゃあ……」
 慌てて電車の中に戻って卵に駆け寄り卵を通路の真ん中で蹲って抱きしめる。一両目電車の運転席から見える景色が今までののどかさから一変する。
 運転席の窓が赤く染まった。まだ前方が見える窓の外に数百人の女子高生が待ち構えているのが見えた。
「あいつら…あいつら……まさか全員……」
 未曾有の大惨事もいいとこだった。三号のようには駆け寄ってこないが女子高生の群れは電車に轢かれるのを待っている。そしてその止まらない電車はその女子高生の群れに突っ込むしかない。
 飛び散る女子高生の身体。三号のように木っ端微塵でパーツが見えないのはまだいいところで、ガラスに張り付いてはまた落ち、また別の朴のものが張り付く足だとか腕だとか、それなら人形のものだと思い込めばいいが、あくまでその断面はそれが人間のものだと証明するように赤黒く燐に見せ付けている。
「やめろ! もうやめろっ。」
 しかし電車はまだ四分の一の朴も押しつぶしていない。たかが女子高生の軽い身体だが電車にぶつかるその衝撃はやはり燐の身体に響いている。生身の人間が破壊される音が燐の耳に入る。しかも普段はコンパクトに収めている質量も体積も拡散してしまって、燐が思う以上の血液の量が電車を赤く染めている。
 そして電車の駆動部分に肉やら血液やら骨片やら髪の毛やら、はては朴たちが身に付けていた衣服の繊維が食い込んできたのか、電車の速度は格段に落ちた。いや駆動部分の不調ではなく、燐の精神がこのグロテスクな光景に負けているようだった。
 電車の速度が落ちるにつれ、朴のパーツも大きく残ってしまうものも出てきた。燐は忘れていた。窓を閉めることを。
「燐君……」
 手を窓に引っ掛け顔をこちらに向けている朴が笑っている。速度の落ちている電車だ。もしかしたらあの惨劇から免れて、電車の車体に取り付くことに成功した朴もいるのかもしれない。燐は思わず卵を置いてそんな生存者に近づいた。
「おい。朴、あいつら避難させろよ。」
「えー……だめだよ。そんなことより燐君帰ろうよ。」
「そんなことよりは俺が言う台詞だ。すぐに引き上げてやるから。」
「引き上げても無駄だよ。」
 燐は構わずに朴を引き上げた。その朴には下半身がなかった。
 燐はもう声にならない。電車の通路に転がった朴はこと切れた。
「うわあ…うわっ。うわあああ!」
 燐は這いずり回っている。そして自分にとって最善の状態に持っていくために、脳が意識をシャットダウンした。その瞬間には卵のことなど考えられなくなっていた。
 燐が意識を失うと新たに何十人かの朴を巻き込んだが電車は急停車した。まだ前には百人ほどの朴が並んでいて、最後の二十五人が降下を終えるところだった。
 輸送機二十機は垂直着陸してパイロット役の朴二十一人と朴一号と雪男は電車の中に乗り込んだ。電車のドアを壊したのも勿論、降魔バットだった。
「兄さん!」
 雪男は青い顔をしながらも気丈に兄を抱きしめている。卵は急停車したときの衝撃で割れていた。燐が意識を失うことも燐と卵のリンクが切れたと解釈されたようだった。雪男は血の気が失せた顔を朴に向ける。
「あなたの本気っていうのは、こういうことだったんですね。大量の人間が破壊される地獄絵図を見せる。そうすることで強制的に目を覚まさせる。ショッキングな体験によって今まで起きた現実と夢の区別がつかないことを、完全に夢に収束させてしまう。すごい手際ですよ。普通の人間なら思いつかない。」
「先生。思いついても半端な情と偽善で出来ないだけですってば。私は他人の夢の中で制限ないだけですから思う存分やれただけで。私は現に飛び降りもせずに命令してただけでしょ?」
「全部あなたに跳ね返るくせに。」
 朴の笑顔は少しぎくしゃくしている。一番に飛び降りた三号のことといい、自分が死ぬところを自分の目で見てしまうことは朴にしてもきつかった。たぶんひとつなぎになっている朴の精神なら、ひとりひとりの朴の死の瞬間を詳細に捉えてしまっていることだろう。そしてそれは朴の脳内に消えることなく残る。夢の中で自由になれるぶん、覚醒してもその夢の記憶は現実と変わらない。
「忘れられないなんて辛いですね。」
「でも夢なんだから。いつまでも内容が忘れられない悪夢もあるでしょ。でも笑い話にできるじゃん。」
 そう言いながらも朴は震えている足を悟られないように、さりげなく座席に座ってみせた。雪男も兄を抱えて座席に座る。
「朴さん。朴さんがこの夢を忘れないなら、自らこの世界を作った僕もこの夢を忘れないんでしょうね。」
「そうだね。自分の意思で来て自分の意思で帰るからね。」
「そっか。兄さんに抱かれたこと覚えたまま、現実世界だとそんな事実はなかったことにして過ごさなくちゃいけないのか。」
 雪男は微妙な顔をしていた。朴はにやにや笑っている。
「したいんだったら、現実世界で仕切りなおして関係持てばいいんじゃないの?」
「いやちょっと……また兄さんにいろいろ強制しそうで。しばらくは無理。」
「それでいいんじゃないのかな。」
 雪男は朴に燐は今回のことで現実世界に支障はないのかと問いかけた。朴は大丈夫じゃないのかなと答える。
「電車を走り続けさせることの出来なかった燐君は、夢の世界での支配権を極端に失ったからね。志摩君の状態と似てるのかもしれないね。目覚める寸前の衝撃ばかりが先行してそれ以前を記憶出来ないような状態。だから燐君も私のぐちゃぐちゃ死体のことは覚えてないと思う。」
 それでは、はい。朴は雪男にバットを手渡す。
「今回は撲殺でお願いします。」
 撲殺のためのバットだったが、今回は破壊活動にも役立った。そんな思いの詰まったバットで雪男は正面から殴りかかろうとした。
「ちょっと待って。先生。あの教会の中で何か気がついたことはなかった?」
「何か気がついたこと?」
 朴は何かあるべきものがなかったりした場所はなかったと問いかけてくる。
「私が自転車を拝借するとき、大量の教科書が物置に置いてあったんだよ。あれってこの世界での八十ヶ月、燐君がこつこつ勉強した形跡のあるノートも一緒だったんだ。」
「教科書なら……僕の机からごっそり消えてましたが。祓魔師関連なら。」
 朴はネタばらしをする者特有のドヤ顔で雪男に嬉しいサプライズを告げる。
「燐君がこの世界に閉じこもったのが八十ヶ月。そしてプラスその前に先生といた四ヶ月。合計で八十四ヶ月。これって先生が祓魔師になるのに費やした七年間に相当しないかな? 燐君はけして、卵だけにかまけていたわけじゃないんだよ。先生のために一人ぼっちの時間を勉強して頑張ってたんだよ。先生と同じ祓魔師になるために。」
その推理を聞き終わると、雪男は間髪いれず朴に殴りかかってバットに脳漿を塗りたくりながら撲殺した。
わかりやすく嫉妬だった。
「なにもかも分かったようなことを言う。だから僕はあなたは嫌いなんだ。」
 自分もあの本の消えた本棚を見れば気づけるはずだった。自分の子どもに固執した兄の心情を思えば、何をしていたかは歴然のはずだった。だけど自分は何も気づけなかった。
「だから僕は僕の言うとおりになる、分かりやすい兄さんを欲しがってしまったんだ。」
 こんな分かりにくい深い愛情に気づけるはずがないんだから。
 雪男は自分の持ってきた銃の銃口をこめかみに当てる。もうこんな世界はお終いにしなくちゃいけない。ご都合主義でありながら何もかもが叶えられない、こんな世界は。
 
 パンっ!
 
 雪男は電車の通路に倒れるはずだったが、床には何もなかった。座席にも燐はいないし、撲殺された朴の死体もなくなっていた。
 とうとうこの夢には誰もいなくなってしまった。





ついに終わりました。あとはエピローグです。

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