幸福雑音
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☆「東方琳鈴哀楽譚」第一話前編 美フラ
「恋符『マスタースパーク』!」
魔理沙の宣言と共に発動した弾幕と光線が美鈴を襲う。美鈴はその弾幕を掻い潜り自らが攻撃態勢に出ると思いきや、弾幕の狭間で少し考え込んでいる。
「なんなんだよ。余裕かましてんじゃないぜ。」
魔理沙は当然怒る。そして弾幕の隙間を移動する美鈴はどういうわけか自分のスペルを宣言しようともしない。
あくまで魔理沙のトレーニングに付き合っているという体裁だからやる気がないのかこいつはと、魔理沙は美鈴が移動する先に向かってマスタースパークを撃っていた。
「紅さんっ。本気出してくれなきゃ嫌なんだぜ。ノーショット耐久気取ってるんじゃないぜ。」
二人の足の下には地面がない。360度のバトルフィールド。魔理沙が紅魔館の門前に押しかけ、そこで業務を果たしているのか油を売っているのか分からない風情で立っていた美鈴を一方的にトレーニングの相手に選んだ。美鈴は妖怪にしては気のいいほうなのでほいほいと付き合ってくれた。が、美鈴は一度もスペルを宣言していない。
「ほんとに頼むからスペル宣言してくれよ。」
「私スペル苦手なんだけど。いいじゃないか今回は弾幕のコントロールの練習台で。」
「いやだあ! ちゃんとやってくれないとやだ!」
「しょうがないなあ。」
妖怪相手に駄々をこねる人間の魔法使いに美鈴はそれでもあまり嫌な顔をしていない。本気でやろうが遊びでやろうが、美鈴の勝手だ。むしろ美鈴に本気の実力を見せて欲しいというなら、それはスペルカードルールでは叶わないことだ。そんなに怖い目が見たいのかなこいつと美鈴は拳に力を入れる。
「そんなに頑張りたきゃ巫女さんに頼めば? 私なんて異変のときに一回あんたに負かされた相手だし。」
「その巫女さんに勝ちたいから手の内見せるのが嫌なの!」
「あのさあ、スペルカードルールに手の内ってないと思うんだけど。」
「とにかく。あいつの知らないところで修行して強くなって負かしたいの! ボーンといってバーンって。」
「そうしたいなら、まず。」
美鈴は一気に距離を詰める。魔理沙は一方方向の弾幕を美鈴に照準を向ける暇なく、美鈴はマスタースパークの本体から明後日の方向に移動し続けている。
「ちょっと待つんだぜ……」
でかい口をきいていた割には豹変したように自分に接近してきた美鈴に魔理沙は狼狽えた。
スピードは半端ない。しかも魔理沙の死角に移動しているように見せかけて、その逆に抉りこむように魔理沙の目の前にいる。
魔理沙は地面に振り落とされた。箒があったので地面には激突はしなかったが、美鈴がスペルを宣言していれば確実に被弾していた。
「うう……」
美鈴は中空から魔理沙を見下ろしごめんねと笑って言った。地面に降りてくる美鈴を見ながら魔理沙は不満そうな顔を見せた。
「そりゃないぜ。紅さんの馬鹿。」
「どういたしまして。」
美鈴は馬鹿呼ばわりされたのに、露とも不快そうな顔もしない。というか一方的に熱くなっていた魔理沙にも分かるほど、別のことに気が取られているように屋敷にちらちらと視線を向けている。
「どうしたのだぜ。用事があったんなら、事情を言ってくれれば無理に付き合ってくれとは言わなかったぜ。」
「うん。そろそろお嬢様が指定してきた時間だなって思った。」
「レミリアかフランになんか用事でも頼まれてるの?」
美鈴は口籠る。
「頼まれごととは違うっぽい。魔法使い。落とし前って知ってる?」
「責任取れってことだろ。お前管理職じゃないのに、ただの下っ端なのに始末書書かされるのか?」
美鈴は私文章書くの苦手だなと呟く。そして魔理沙に下っ端が上の者に逆らったらそれなりの行動で示して深謝するのが当たり前なんだよ、それを落とし前って言うんだよと当たり前のことを魔理沙に教えた。
「紅さん。レミリアになんか逆らったわけ。」
「逆らうことになっちゃうことをしたみたい。」
「余計なお世話とか。」
「ああ。確かにそれが近いかも。私馬鹿だから。」
馬鹿だから利口な者には思いつかないような愚行を犯す。でも本当は利口な者は馬鹿な者のやることはお見通しだ。だから結局馬鹿は反省しなければならない。反省しても馬鹿が直るわけではないが、そうしなければ利口な者に許してもらえないし、利口な者としても事の収拾がつかなくなってしまうのだ。
「紅さん。始末書の文章が思い浮かばなかったら、ひたすらごめんなさい反省してます、もう二度とやりませんを千回繰り返しで書けばいいんだぜ。」
「うん。参考にする。」
美鈴はそれじゃあと言って魔理沙に手を振って館に向かう。そして魔理沙の気配が後方で消えるのを待って自分の目の前にその手を翳してみる。
「思い切って、五本かな。」
その手をグーパーグーパーしながら美鈴はなんでもないように主人のもとに行くのだった。
「来たわね」
「来たわよ。」
十代の小娘の味気ない挨拶に永琳はさして口を挟まなかった。永琳は単に一年に一度あるかどうかわからない往診に来ただけなのだから。医者を呼びだすような事態になっているのだから、少し礼儀を欠いているくらいが、そんな怪我人だか病人のいる家人の態度としては相応しいだろう。
八意永琳は紅魔館の主に呼ばれ、そしてメイド長の咲夜にとある地下の一室へ案内されている。
永琳は急な怪我人だとしか聞かされていない。
地下に案内された時は噂に聞く地下に閉じこもる館の主レミリアの気の触れた妹が患者なのかと予想するが、咲夜が言うには紅魔館にはフランドールを閉じ込めているのとは別の地下施設もあると永琳に告げた。
「なんで怪我人を地下に?」
永琳の問いに咲夜は顔色一つ変えずに答える。
「その者の負傷はここで懲罰を受けてのことだったから。わざわざ移動させるより、その場で治療を受けさせるほうが早いわよね。」
よくよく考えれば合理的に聞こえるかもしれないが矛盾している。この館の主は冷酷なのか温情主義なのか分かったもんじゃない。しかしその主人の塩梅が咲夜のような優秀過ぎるくらい完璧な従者を生むかもしれないと永琳は考えていた。
「それよりも、今日は門にいなかったわね。意外とこの館に馴染んでいる中華妖怪。」
咲夜は永琳に微笑んでから重苦しい金属製の扉を開ける。
「美鈴のことかしら。彼女は今日はここに。」
永琳は扉の向こうの妖怪を見て納得した。
本来ならほぼ二十四時間体制で門前で待機しているはずの妖怪が、簡素な木の椅子に座って右手を左手で覆って眉間に皺を寄せていた。
右腕には血が幾本も歪んだ曲線を描いて、肘からぽたりぽたりと机に滴り落としていた。机の上には血のついた刃物。片手で扱える大きさだが指なら容易く切り落とせそうな重量感と無骨さを主張していた。
「美鈴。医者を呼んだわ。」
「わざわざすみません。自業自得で指を切り落とすことになっちゃいましたから、これから先この右手と付き合わなくちゃいけないかと思いました。」
軽薄そうに紅美鈴は笑って言う。咲夜は呆れたように溜息を洩らした。
「貴女もなんだかんだで、お嬢様に買われてるんだから。少しは自覚なさい。」
咲夜は失礼と永琳に一礼する。
「それではお願いします。」
永琳は肩を竦めて咲夜の横を通り抜けて部屋に入った。
永琳は黙々と美鈴の治療に入る。
「怪我は右手ね。見せて。」
美鈴は永琳に対してやりにくそうに右手を差出す。その右手には指が一本も残ってなかった。机の上には刃物とは別に金属のバッドが置かれており、その中に適切に扱われた指が五本入っていた。
「左利きなの?」
「最初にその質問が出てくるのか。いや違うよ。基本は右利きの両利きだ。」
「お嬢様か、あのメイドにやられたの?」
「うんにゃ。自分でやった。」
「五本とも?」
「そう。」
永琳は顔色一つ変えない。美鈴もへらへら笑いながら永琳の治療を受けている。
「この館の中って見た目とは裏腹に任侠な世界なのね。」
指を詰めて落とし前とはなんと古風でありきたりな罰なのだろうと永琳はそれを口にはしなかった。
「躊躇いなくやったわね。何をやらかしたの?」
美鈴はえへへと口に出して誤魔化そうとした。
「……」
「……」
しかし永琳は別の話題を振ったりしないし、美鈴も永琳というインテリな医者が乗ってくれるような話題が思いつかない。話題も狭い上に他者と共にいての沈黙が耐えられない美鈴は、五分もしない内に自分からゲロする羽目になった。
「門番の仕事サボって妹様とデートをした落とし前に、こうなっちゃいました。」
「そう。」
「昨日夏祭りがあって。」
「人里のね。」
「お嬢様も咲夜さんをお供にそこに行っていたので、あの二人と鉢合わせしなきゃ大丈夫かと思ったのですが。うん。私の考えが甘いとしか言いようがないわ。」
「サボタージュくらいのことであの主人は指を詰めさせるの?」
永琳は薄々事情を理解しながらわざと的外れなことを言う。
「いやいや。私のサボりは問題じゃないんだ。」
頭の程度が低い上に美鈴は口が軽かった。だから勢い余ってとレミリアの弁解のつもりで簡単に口を滑らせる。
「サボりと指はほぼ関係ない。妹様を連れ出したことの責任なんだ。私はお嬢様に反発するつもりはないけど、妹様……フラン様も可愛くて仕方ないんだ。」
わかるかなと言うように美鈴は小首を傾げている。目の前にいるインテリにする話にしてはかなり次元が低くて具体的ではない。永琳はそれを理解する為に想像力を駆使してなんとか頷いた。
「昨日はフラン様の精神状態も良さそうだったから、せっかくのお祭りだしと思って。」
美鈴は縫合の痛みを感じていないように笑う。永琳の頷きが合意を得られたのだと信じて。
「お嬢様も鉢合わせた時には何も言わず妹様と祭りを楽しんでたんだ。妹様の舌がかき氷のシロップで緑になったのを見せびらかした時なんか優しげで。祭りが終ったあとも博麗神社や魔理沙の家に寄り道してみたりして。」
「帰ってきたら、あなたはここで指を詰めろと言われた。」
「鉢合わせした時には何らかの罰があることは覚悟はしてた。」
場違いなくらいに耳心地のいい声が永琳の耳に入る。
「やけに誇らしげね。」
永琳は怪訝そうな顔をする。
「私のようなしがない門番妖怪が、地下に閉じ込められた令嬢を連れ出してしまうなんて、とんでもない暴挙でしょ。しかもそれを妹様は喜んでくれた。」
美鈴は目を細めて自分の所業に酔いしれている。永琳の中で小さく糸が千切れる音がする。
「あなたのその勝手な行動のせいで、あなたの主人は妹様とやらの姉としての顔が丸潰れね。」
美鈴は陶酔感に水を差す永琳の言い方にしゅんと猫背になった。このインテリな医者にとって、やってはいけないことをしたことについて、その結果喜ぶ誰かがいたという結果は言い訳にならないらしい。
永琳は美鈴の反応に構わず言葉を続ける。
「妹様とやらは聞く話によればかなり精神が不安定だそうね。それでも吸血鬼とはいえ見た目も中身も可愛らしい女の子なのは、あなたの言葉から察しはつく。少しでも親身になったら外に連れ出したくもなるかもしれないわね。でも物凄く身勝手だわ。」
本来なら美鈴の主人たるレミリアが既に、またはこれからするであろう説教を、永琳はしようとしている。
永琳は医者としてここに来ている。医者は閻魔と並ぶくらいに説教をする生き物だ。それでも美鈴への小言は美鈴はともかく、レミリア他紅魔館の住人にとっては余計なお世話でしかない。しかも説教の内容は患者の不養生という名のメンテナンスの怠りではなく、他所の組織の自分とは関係ない構成員の勤務態度についてなのだ。
それでも永琳は己の立場を知りながら、美鈴しかここにはいないことをいいことに喋る。
「スカーレット家の当主だからって姉自らが妹を地下に閉じ込め続けているわけでしょう? ここで暮らしているあなたなら、その事情を承知しているはず。」
「その事情は……私がここにお世話になる最初の日に教えられた。」
美鈴も最初から門前に置かれっぱなしだったわけではない。使用人の研修の名のもとに、屋敷全体を案内されたことはある。
地下室にいる気の触れた妹様の話を聞かされたとき、思わずレミリアの前で「可哀そう」と呟いてしまった。その後にレミリアは美鈴に対面させたのだった。たまたまその日、気が触れていたフランドールに。
上の空になりつつあった美鈴の意識をこちらに向けさせる為に、永琳は机を乱暴に叩いた。美鈴は授業中の居眠りをたたき起こされた子供のように身体を跳ねさせ「わっ」と声を上げた。
「そう。それほど妹様とやらの幽閉はこの館にとって大事なことだった。門番で地下室に縁のない仕事のあなたに説明するほどにはね。」
永琳は美鈴の指を縫い合わせていた手を止め、その手の甲を叩く。美鈴はびくっと身体を震わせて「ひっ」と短い悲鳴を零す。
「あなたがその妹様を夏祭りに連れて行くことで、妹様を閉じ込めている意義がぶれてしまった。姉が妹を幽閉するという、特別な理由があってもなかなか許されない構図にひびが入る。その妹様が少しでも頭が回って姉に反抗心がある場合、今回のことを理由にして、レミリアに幽閉状態を解除することを要求するかもしれない。そうなったとき、あなたはこの件からして自動的に妹様の味方になってしまうわ。」
美鈴はおろおろと意味もなく左右を交互に見た。
レミリアとフランドールという姉妹。美鈴は彼女らが永琳の言うように争う光景が想像出来ない。
「あのう……。それマジで言ってるんですか? 私は遊びに連れて行っただけですって。そんなことでお嬢様と妹様が敵対するなんてありえないって。」
永琳は実際の住人の言葉に耳を貸さず自分の推測を推す。
「あり得るからこそ言ったのよ。そんな覚悟もなくて、考えなしにそんなことをしたの?」
美鈴は永琳が指を全て繋げるまで永琳から離れられない。部外者にされる説教は苦痛でしかないが、いいがかりとは言えないくらい筋が通っているものだから聞くしかない。
「さっきの言葉からして、連れ出したのはあなたの短慮ってことかもしれない。私はこの館の事情については噂でしか知らないから。問題はここから。あなたは妹様の喜んだ顔が見られて嬉しかったと言ったけれど、本当に喜ぶ顔が見られただけで気が済んだのかしら?」
永琳の言葉は泥のついた靴で家に踏み込むより失礼極まりなかったし、医者の焼くべき世話の範疇を飛び越え過ぎている。
「私が妹様になにか見返りを求めていたと言いたいのか?」
美鈴のした質問返しが「部外者のお前が何故そこまで紅魔館のことに干渉する?」なら、永琳にこれ以上言いたい放題言われなかったのかもしれない。しかし美鈴はそこまでは頭が回らず口に出てしまった。
その理由は簡単である。永琳の言ったことが真実だったからだ。
永琳は美鈴の指を縫いわせながら、美鈴から曖昧ではっきりしない何かを感じ取って、不愉快なものを見る目で美鈴に語りかける。美鈴は首を横に向けようとするが、横に向けた途端何されるか想像してしまうためか永琳から視線を外せない。
「あなたは妹様のことを可愛いと言ったし、自分のしたことが暴挙だとも言った。妹様の立場からしたら、あなたは姉の目を盗んで外に連れ出してくれた王子様にでも見えるかもしれないわね。」
「王子様だなんて、そんないいもんじゃないから。」
「あなたがどういうつもりだろうが、状況がそう思わせる。そしてもし、レミリアに見つからなかった場合、あなたと妹様はずっと二人きり。妹様は外に出ることがなかったから、あなたにエスコートされるままでしかない。人通りのない所に誘導しようが妹様は何も疑うことはない。」
美鈴は口が滑るままに言葉を発することしか出来ない。
「何が言いたいんでしょうかねえ。それじゃまるで誘拐犯じゃないですか。」
「あなたが妹様に外に連れ出した見返りなり、お礼を要求する可能性があったということ。そもそも、姉の方は夏祭りに出掛るつもりだったし、見つかっても妹をすぐに連れて帰らなかったわけだから、今日は妹様の状態もよろしいですし一緒に出掛けられてはどうでしょうか、と提案するべきだった。なんで敢えて指を切り落とすかもしれないリスクを負ってまで、喜ぶ顔が見たいというささやかな動機で、主人の目を盗んで出掛ける必要があったのかしら?」
美鈴は自分で記憶を辿っても、レミリアに何かを言おうという頭はなかった。当時の自分は誰にも相談することなく独断専行でフランドールを夏祭りに連れて行くことで頭がいっぱいだった。
「私頭が回りませんから。咲夜さんじゃあるまいし。」
インテリな医者は美鈴にも少しでも回る頭があると信じて疑わない。目の前にいる美鈴レベルの足りない頭は存在しないと決めてかかっている。それが美鈴には苦痛だった。
それでも美鈴は自分の頭の足りなさ加減を「頭が足りない」と馬鹿正直に申告することでしか主張出来ない。しかしそれをインテリは努力不足と決めつける。
「咲夜さんの話はしてないわよ。咲夜さんは妹様のことに気が回ってないわけでしょ。咲夜なんかより、あなたのほうが余程妹様とやらのことを見ていたってことでしょ。」
永琳は美鈴の申告を切り捨てた。
美鈴は思い出していた。永琳の説教と尋問に耐えられなくなった脳が、楽しかったことの回想に逃亡しようとしているのだ。
夏祭りだから知り合いの協力者に頼んで浴衣を用意して貰って、それにフランドールを着替えさせた。真っ白い胸は膨らみはないが、なだらかで美しい曲線を描いていて、浴衣に隠されてしまうのが惜しいような、そうであるのが良いような、どっちつかずな気分にさせられた。
フランドールが美鈴と手を繋いで歩いている様は、まるで盲人が先導する者の行先をそのまま信じているみたいで、その信頼が純粋に嬉しかった。だけどそれを裏切ってしまいたい衝動も否定出来ない。
レミリアに秘密にしなければフランは夏祭りに行けなかった。それは今の顛末を知らなかった当時の美鈴にとっては事実だった。しかし主人に秘密に出来ればなんでも出来ると思うのが美鈴だった。
「このっ」
永琳は再び机を力いっぱい叩いた。自分の言葉に言い訳がましい言葉を律儀に吐いていたと思いきや、突然口を半開きにして言葉を聞き流し始めた美鈴の一貫性の無さ加減に怒りが隠せない。
永琳は最後の指を縫いつけ終り、包帯を巻いていく。もう紅魔館と永遠亭の括りが関係ない本音が喉に競りあがって我慢ならなくなってきた。
「私は輝夜の従者。」
永琳は美鈴を凝視する。それは誰もが勢い余って謝り倒したくなるくらいの迫力を宿していた。先ほどまでの説教の内容を本気で理解して、それが自分にとって的外れでなければ、その場限りであっても「ごめんなさい」を言ってしまうのが当たり前である。
しかし美鈴は「ごめんなさい。」という言葉一つすら頭に掠めずに、首のあたりを引っ掻いていた。
「あなたみたいな何を考えてるか分からない、あなたみたいに何をしでかすか分からない部下は、絶対に輝夜の傍に置いておけないわ。」
「あなたのお姫様の傍に置いておけなくても、私は美鈴を私の館の門前に置くだけよ。」
咲夜に扉を開けられてレミリアが部屋に入る。レミリアは腕組みをしながら永琳と美鈴を交互に見る。
「仕事熱心なお医者様で従者ね。他所の家の使用人の教育にまで口を出すなんて。でも残念ね。こっちにはこっちのやり方があるし、あなたの言うことは正しいのかもしれないけど、あなたのこの屋敷についての理解は不十分過ぎるわ。」
レミリアは後ろにいる咲夜に振り返る。
「咲夜は本当に完璧で優秀な子。だけどこの歳の人間にしては完璧過ぎるから心配になっちゃって、時々咲夜のペースを意地悪して崩したくなっちゃうわ。」
咲夜は何も言わず礼をする。
レミリアは今度は美鈴の後ろに歩み寄り両肩に優しく手を掛けた。美鈴はレミリアの手に視線を向けたあと、瞬きをしながら後ろにいるレミリアを見ようとした。
「美鈴は大事な鉄砲玉。すこぶる強いけど目の前のことにすぐ夢中になって周りが見えなくなっちゃうことがあるの。」
永琳はレミリアを一瞥して言う。
「差し出がましいことを言って失礼したわ。」
そして美鈴に薬を手渡す。美鈴はどうもと言いながら会釈をする。自分に説教をしてきた相手に対しているにしては、それは気安くて無造作な仕草だった。
「化膿止めと痛み止めの薬を出しておくから。化膿止めは毎食後、痛み止めは頓服で飲むこと。妖怪だから指を切り落としても抜糸までに時間は掛からないと思う。だけど、なるべく右手は水に濡らさないこと。」
「美鈴はメイドじゃないから、用心するのはお風呂のときくらいね。」
レミリアの言葉を他所に永琳は道具を全て鞄に仕舞い込む。
「咲夜。八意医師を永遠亭までお送りしなさい。」
咲夜はレミリアに言われると永琳の傍に行き「お荷物お持ちしましょうか?」と尋ねてきた。永琳はそれを断って咲夜を伴って部屋から出た。
永琳と咲夜の足音が聞こえなくなったところで、レミリアは美鈴に向かって口を開く。
「言いたい放題言われたわね。」
「はい……。少しは言い返そうとも思ったんですけど。私は学がありませんから。」
レミリアが庇ってくれなかったら、永琳のパーフェクト従者教室はいつまでも続いていたのかもしれない。
「言い返さなくてもいいのよ。よそ者の言葉で本気で反省しないでね。反省なら私の目の前で指を切り落とした時にしたはずなんだから。あと、ああいう時は何も喋らず顔と身振りだけ神妙にして受け流すこと。ああいうオバサンは相手が何か喋る度に口答えと取ってエスカレートするんだから。」
「はい。今度から気を付けます。レミリアお嬢様。それで……」
「何?」
「妹様をまた外に連れ出すときはどうしましょうか?」
「ん? そうねえ。」
美鈴の問いにレミリアは何故かあくどい笑みを浮かべる。
「連れ出さないことは前提だけど、まあ次の機会までに考えておくわ。それまでは勝手な外出をさせたりしたら駄目。美鈴。仕事に戻りなさい。」
レミリアは美鈴を手招きして一緒に部屋を出る。廊下を歩いて階段に差し掛かったところで、思い出したようにレミリアは「あ」と声を漏らした。
「あと、抜糸するまではフランに会っちゃ駄目よ。折角の楽しい思い出に水を差すわけにはいかないんだから。」
美鈴はわずかに目を丸くして立ちすくんだ。レミリアは首を傾げる。
「当たり前でしょ? 連れ出してくれた美鈴がお姉さまの罰で指を切り落としたなんて、そんな惨い後日談をあの子に教えられるわけないじゃない。」
「わかりました。」
美鈴は再びへらへらと笑ってレミリアの命令を了承した。レミリアはくすっと笑って「当たり前じゃない。あなたはフランの従者でしょ。」と美鈴の胸を小突いた。
美鈴は縫い合わせられた自分の右手を見た。指と手を繋いでいる糸が取れたらまたフランドールに会える。その日が楽しみだと単純に美鈴は思った。
紅魔館は主人が吸血鬼故に昼夜逆転営業である。咲夜はレミリアが寝ている間に屋敷の諸管理に追われている。
門番で鉄砲玉の美鈴は暇人で、昼間に通りかかる周辺住民と交流するのが常だった。
そして今日も美鈴は魔理沙と門前に座って与太話をしていた。
「うわあ。私が家に帰ったあと、そうなってたのかよ。始末書じゃ済まなかったのかよ。」
美鈴の右手首を握って魔理沙は糸で繋がれた指をじっくり観察していた。
「抜糸は長く掛かって二週間後だってさ。」
口の軽い美鈴は目を覆いたくなるような右手を隠しもせず、簡単に回る口で魔理沙にことの顛末を話している。魔理沙は「うわあ」だの「ひゃあ」だの相槌代わりに声を出して驚いているような素振りを見せていた。
「五本ってレミリアもよく要求出来たもんだよな。」
「んー? 五本って指定はされなかったような。だけど、切る本数は多いに越したことないかなって。」
「なら十本いっちまえよ。」
「だって左手の指を切る右手の指がないんだからしょうがないさ。」
魔理沙の悪趣味な冗談にさえも美鈴はへらへらと笑っている。魔理沙は美鈴の返答に閉口した。
「フランには暫く会えないのか。……踏んだり蹴ったりもいいとこだな。」
「指が治れば会えるから私は気にしてない。」
門番妖怪は開き直りとも取れることを明るく言った。
「いや……踏んだり蹴ったりは、紅さんじゃなくて」
魔理沙は口籠る。美鈴が首を傾げて眉間を掻いている姿を横目に魔理沙はぶつぶつと呟いている。
「言いたいことがあればはっきり言え。」
魔理沙は美鈴の要求に答えない。
「他所ん家のことだし……今回は言わない。」
そうかと言って美鈴は意味深な魔理沙の言葉を気にしないことにした。そしてまた軽い口を滑らせる。
「お嬢様はわざわざ永遠亭の永琳を呼んで、私の指を縫い合わせてくれたわけだけど」
「さっきすっごく怒られたって言ってたよな。」
美鈴は空を見上げながら永琳とのことを思い出した。永琳のあの怒りようだったら、治療を途中で投げ出されてもおかしくなかった。美鈴は永琳にそのような態度を取られてもしょうがないと思うだけだ。
何せ美鈴にとって自分の指というのは――。
「私の指。もし腐り落ちたとしても、また生えてきそうな気がするんだよね。……あいてっ。」
魔理沙は美鈴の頭を叩いた。
「紅さん。医者ほど怒ると怖いもんはないんだぜ。紅さん治療中にそんなこと言ってるから、永琳に怒られるんだぜ。」
「治療中には言ってないよ。ただ昔を思い出したら、この指を繋ぎ合わさなくても良かったのかもって思っただけ。」
「昔?」
魔理沙は怪訝そうな声音で語尾を上げた。そう、昔、と美鈴は魔理沙に言う。世間話のようにお手軽な話題として。
「私はこの館の使用人歴は実は短いんだ。人間の咲夜さんがそろそろ十年になるのに対して、私はまだ五年くらいしかここにいないんだ。」
「紅さん幾つだよ。そんななりでメディスンのような生後数年の妖怪なわけないだろ。」
美鈴は湖の水平線を見据える。
「私は外の世界にいたんだ。」
美鈴が思い出すのは過去のこと。外の世界の中国にまだ皇帝が幻想ならぬ現実に存在していた頃のことだった。
広大な敷地の優雅な建物と庭園。それは全て皇帝の持ち物。そこに住まう人間も人間でありながら王の持ち物だった。
妖怪である美鈴も皇帝の持ち物としてそこに長く住んでいた。
「そこの国の皇帝や権力者は誰の時代であろうが奥さんが多くて三千人くらいいて、奥さんたちを集めて生活させる場所に、私は妖怪の身でありながら彼女たちの世話係をしていた。」
魔理沙は途方もない人数に息を飲んだ。
「三千人って……。幻想郷の人間の女を全員集めてやっとじゃないのか? 下は三歳から上は九十歳までとか。」
「ところが若い娘ばっかりだったよ。」
それぞれの個性が失われてしまう勢いの美女たちの群れ。美鈴はそのひとりひとりの名前を覚えられるはずもない。ただ一部の不憫な「彼女」を除いて。
「うはうはだな。その男は。」
魔理沙の率直な感想から美鈴はおぼろげな記憶が鮮明になる。魔理沙が口にした言葉こそ美鈴が「彼女」を鮮明に覚えられた理由に直結するからだ。
「うはうはだったと思うよ。だけど彼らは大抵、そのうはうはの大人数を持て余していた。」
一日交代で可愛がるとしても十年近くたって、やっと一周するという人数だ。それに妖怪も人間も異性に対して好みというものがある。やはり一部の一握りにだけ、皇帝の愛が注がれてしまう構図は避けられない。
「初めての一回だけしか皇帝といちゃいちゃ出来なかった子なんてざらにいた。その一回で子ども……男の子が出来てたら幸運な方かな。」
美鈴は人間の小娘にするべき話かどうかあまり迷わなかった。魔理沙は美鈴の話す異常な状況に目を逸らせなくなっている。
「皇帝にいまいち好かれなかったからって、彼女たちはじゃあ他所の男にしようか、なんて出来なかった。皇帝の名ばかりの妻として死ぬまで後宮にいることが運命づけられていた。」
「その代わりにある程度贅沢な生活は補償されてたんだろうな。だけどあまりいい話じゃないや。」
「そう。彼女たちはあまり幸せそうじゃなかった。」
美鈴は遠い日に恋した不遇な娘たちとフランドールの姿を重ねていた。
「いつも綺麗な服を着て、美味しいものを食べて、暇つぶしに困らないくらいの本や音楽に恵まれていても、彼女たちは寂しかったんだ。彼女たちは皇帝の花嫁になるくらいだから、そりゃあ綺麗で可愛くて。だけど皇帝の好みとはちょっと食い違ったから夢見てた生活が実現しなくて。いつのまにか、ほんのちょっとの差で、他の女が皇帝に気に入られて子ども生んで幸せになっている。私はそんな彼女たちに惹かれて世話を焼いていたんだ。私は妖怪だけど女だから、私を気に入ってくれる娘も時々いた。私は彼女たちの慰みになれるのが嬉しかった。」
魔理沙は美鈴の話を聞いて、話を聞いている分には「泣かせるな」と思った。しかし素直に共感して泣くには引っかかることがある。
「あのさ。それと指が腐っても大丈夫って話と繋がらないぜ。」
美鈴はごめんと手を合わせる。
「前置きが長くなった。」
「前置きだって思ってないぜ。」
美鈴は続きを話し始める。
「彼女たちの心の隙間は、ただの与太話じゃ埋められる程度の浅いものじゃなかったんだ。だけど私は学がないから。そんで流れでその娘にエッチなことして慰めるような関係になっちゃった。私としちゃあ、……あはは。」
「おいおい。健気な話だと思った私の内心の涙を返せ。」
「しょっちゅう着替えとか手伝って裸も見てるし、触れたらいいなあって考えてたら、その願いが叶っちゃったんだ。彼女も気持ちよさそうだったし。だけどほとんど相手にされてなかったとはいえ、彼女は皇帝の妻なんだ。どんな人妻よりも触れてはいけない存在だった。そんで罰を受けた。」
「やっぱり指を詰めろって?」
美鈴はゆるゆると首を横に振った。
「数人がかりで押さえつけられて、歯を全部抜かれた。」
魔理沙は愕然としてどんな顔をしていいか分からなかった。自分もチンピラみたいなものだから痛い目にはかなりあってきた方だが、まだ歯がしっかりくっついている歯茎がむずむずして仕方ない。
「すげえな。それ。」
「あの時は今回のように医者を呼んでくれなかった。だけどしっかりまた生えてきた。」
「サメかよ! つーか、紅さんの歯って実は乳歯だったんか!」
魔理沙は重たい話の軽いところをやっと見つけてツッコミに成功した。そうでもしないと美鈴の普段二割増しの真面目な話に音を上げそうだった。
「だからねえ。また指が生えてくるんじゃないかって思ったのよ。」
「そうかそうか。既に外の世界で前科があったわけか。そんで、その娘は大丈夫だったのか? 妖怪のあんたがそんな目にあったなら、その娘だって無事じゃ済まないだろ。そいつが浮気したってことは事実なんだから。」
「いや。その娘は無事だった。」
美鈴は穏やかな笑顔を魔理沙に見せつける。
「そのことは全部、私のせいになったから。」
「おい! ……どういうことだ?」
魔理沙の激昂具合に首を傾げながら美鈴は答える。
「だから。私が彼女を襲って無理やりってことで収まった。」
「あーあー。そういうことか。あんたは妖怪だから責任を全て吹っかけてもいいって思われたんだな。」
魔理沙は頭では理解しても止められない憤慨を持て余していた。
世の中はそういうことばかりだと知っていても、そういうことに阿ることで生きていく身だとしても、友人がそういうことの犠牲になっていたと聞かされて平然としていられるほど達観していなかった。
美鈴が昇華してへらへら笑えるようになったことについて、魔理沙は共感の真似事をして怒るしか思いつかなかった。
しかし美鈴の思い出話に、魔理沙が覚えたような怒りの色は見えない。それどころか、何か危ない薬で強制的に齎された恍惚感に酔っているようだった。
「私は思いがけない良い思いをしたからね。罰が当たったのさ。歯を抜かれるより辛かったことがある。その次の日から彼女のとこに訪ねても姿を見せてくれなかったし、口も利いて貰えなくなったしね。」
魔理沙はまた嫌な現実を理解してしまった。全てを美鈴の責任にした女は、二度と美鈴と親しくしないことで、周囲に対して自分はあくまで責任がないことだと主張したのだろう。女は皇帝にこそ愛されなかったが、わずかな恩恵である後宮での恵まれた生活を守った。
「だけどね。魔理沙。私が訪ねる度に彼女の居室の前には一輪の赤い花がいつでも落ちてた。」
魔理沙は背中が痒くて仕方がない。
どうしてそう捻くれて、漫然としていたら気づかないような自己主張をするのだろうか。それだけでこの愚直な妖怪に許しを乞えるなんて世の中狂っていると魔理沙は悶えている。そして一番魔理沙を悶えさせているのは、人間のよくわからん気紛れに振り回されながらも、たった一輪の花に夢を見ていた妖怪だった。
「私としちゃあ、良かったとは思う。彼女の一生のほんの一部でしかないけど彼女の寂しさを解せて、いざとなったら庇えたんだから。だけど未練なのかな?」
美鈴は後宮の娘とフランの姿を二重写しでだぶらせる。
美しくて。可愛くて。健気で純粋で。無防備な。一生閉じ込められる籠の鳥。
「可哀そうなフラン様が可愛くて仕方なかった。彼女と同じように。」
魔理沙は一気に疲れたように脱力した。
「そこでフラン重ねるなよ。」
魔理沙は立ち上がって「帰る」と一言言った。
「ん? 図書館には寄らないのか?」
「泥棒を招き入れるようなこと言うな。気が変わったんだよ。アリスんとこ行く。」
「あっそう。じゃあ。」
「またな。」
魔理沙は数歩進んだところで美鈴に手を振った。美鈴は左手を振る。なんだかんだで右手は動かすと痛いらしい。
魔理沙は今日は無性に歩きたかった。特に昼間農作業している人間が見えるあぜ道を。
「よっ。魔理沙ちゃん。」
「おー。精が出るな。」
腰を屈めた娘が伸びをして魔理沙に声をかけた。
「箒で飛ばないなんて珍しい。どしたの?」
「いや。時々歩かないと自分が人間だって忘れそうだし。」
「ところでお父さんとは仲直りしないの?」
「するかよ、そんなもん。」
折角お嬢様な生まれなのに勿体ないと娘はわざとらしく大声で言う。農民として生まれた女だからしょうがないと魔理沙はいつも受け流している。
「じゃあ、森近さんと結婚するの?」
「あいつの方から断られる気がする。私もあいつとそういうことになるつもりないし。さっき妖怪の友達から遠い国の不幸な結婚話も聞いたから、そういう気にしばらくはならないな。」
「実家にも頼らない、結婚もしないって。あんた本格的に魔女になるつもりもしばらくはなさそうだし。歳取ったらどうするの?」
初心そうな見た目に反しておばさん臭いことを言う娘だった。地に足が着いた生活をしているからこそ、そういうことが言えるのかもしれない。
魔理沙にとって幼馴染と言えるこの娘は、とっくの昔に睦みあう男が出来ていたことを魔理沙は思い出す。娘は魔理沙が言い返してくる前に自分から魔理沙に告げた。
「私もぼちぼち結婚するし。今魔法使いにならないなら、婚礼までに本当の意味の魔法使いにならないでよ。頭の固い親もいる手前、魔女にお祝いに来てもらうわけにはいかないんだから。」
「それは私が決める。そして私は祝いには行かない。婚礼のご馳走を食べに行くんだ。」
まったくと娘は肩を竦める。魔理沙に対する悪意も善意も知ったことではないという態度だった。
またねと娘は手を振る。魔理沙に背を向けて作業のために腰を屈めた娘のスカートから覗く白い脹脛に魔理沙はにやける。くそうと娘の婿に嫉妬しながらあの白い脹脛より上の部分を見せてもらえる男は果報だなと思った。魔理沙は少し癒されていた。健全なスケベ心も補充出来たので馴染の可愛い魔女の顔が脳裏に浮かぶ。
紅魔館だの永遠亭だの白玉楼だのの上流社会の連中や、その他妖怪やら世捨て人ばかりと交流を深めてばかりいると、普通の感覚を忘れてしまう。
魔理沙は妖怪の形成する世界が好きだが、長く居すぎると息が詰まる。それは妖怪の友達に告白はしないが、時々普通の人間みたいに地べたを歩いて、普通の人間と話をして、自分の中の普通の人間の部分を補ってしまう。
「だから私は魔法使いになれないのか。」
面倒な性分だと自分に辟易しながら、足は自然とアリスの家に向かっていた。
足元が泥だらけの娘は川で足を洗おうとした。川に足を付けたところで動きが止まる。
小高い丘の上にローブを身にまとった、自分とは似ても似つかない金髪の青い目の、自分の婿より遥かに背の高い男たちが座っていた。
男たちはどこともなく指を差して談笑しているように見える。その中の一人が娘に気が付いて川辺に降りてきた。
娘はひっと小さな悲鳴を上げ川の中を後ずさる。金髪の人間なんて魔理沙くらいしか知らないし、その魔理沙だって妖怪の側に少し片足を突っ込んでいる。寧ろ金髪なんて妖怪のほうが多いくらいだ。
男は娘の怯えた反応に困りながら遠慮がちな笑顔を作った。
「お嬢サン。町へ行くニハどうすればいいのデスか?」
耳に違和感を覚える日本語だった。娘は男のおどおどとした態度に気が抜けたように返す。
「町って? 里のことですか? それならここからもう少し北のほうです。」
「アリガトウ。ワタシたちここ来ルノ初めてダカラ。」
娘はもしかしてこの男たちは迷って幻想入りしてしまったのかと心配になる。見知らぬ他人だが、幻想郷にいるが外の世界にはいない妖怪を知らない男達が食われてしまうのは忍びない。
「あのっ。ここって妖怪がいて、人間を食べたりするんです。里は結構すぐにありますから、里に着いたらすぐに里の人に博麗神社まで案内してもらって、そこにいる巫女さんを頼ってください。」
娘の心配そうな声に男は微笑みを見せると、男は娘の頭を撫でた。
「アナタ優しいデスね。いざとナレバ博麗神社。覚えておきマス。」
「いざとかそんなんじゃなくて、里に着いたらすぐですってば!」
娘の危惧を他所に男は仲間のもとに戻っていく。男は登っていく途中でこけた。それを仲間たちが笑っている。
「町はここからすぐ北だそうだ。」
男は片言な日本語から西洋の自分の国の言葉に切り替えた。
「北は……ああ。あの水田に囲まれたとこか。」
「夕方を待たずに行けそうだが、道を尋ねたあの子の様子からして、幻想郷は外来の人間に慣れてなさそうだ。宿という物があるか、ちと不安だな。」
「まあ、人里も娘が教えた一か所とは限らないし。」
男たちはトランクを引きずりながら丘を降りて行く。ところが先頭にいた男が倒れて、そこからドミノ倒しのように規則正しく男たちはこけていった。
「とうほうりんりんあいらくたん」と読みます。美鈴と永琳主体です。後編に続く。
魔理沙の宣言と共に発動した弾幕と光線が美鈴を襲う。美鈴はその弾幕を掻い潜り自らが攻撃態勢に出ると思いきや、弾幕の狭間で少し考え込んでいる。
「なんなんだよ。余裕かましてんじゃないぜ。」
魔理沙は当然怒る。そして弾幕の隙間を移動する美鈴はどういうわけか自分のスペルを宣言しようともしない。
あくまで魔理沙のトレーニングに付き合っているという体裁だからやる気がないのかこいつはと、魔理沙は美鈴が移動する先に向かってマスタースパークを撃っていた。
「紅さんっ。本気出してくれなきゃ嫌なんだぜ。ノーショット耐久気取ってるんじゃないぜ。」
二人の足の下には地面がない。360度のバトルフィールド。魔理沙が紅魔館の門前に押しかけ、そこで業務を果たしているのか油を売っているのか分からない風情で立っていた美鈴を一方的にトレーニングの相手に選んだ。美鈴は妖怪にしては気のいいほうなのでほいほいと付き合ってくれた。が、美鈴は一度もスペルを宣言していない。
「ほんとに頼むからスペル宣言してくれよ。」
「私スペル苦手なんだけど。いいじゃないか今回は弾幕のコントロールの練習台で。」
「いやだあ! ちゃんとやってくれないとやだ!」
「しょうがないなあ。」
妖怪相手に駄々をこねる人間の魔法使いに美鈴はそれでもあまり嫌な顔をしていない。本気でやろうが遊びでやろうが、美鈴の勝手だ。むしろ美鈴に本気の実力を見せて欲しいというなら、それはスペルカードルールでは叶わないことだ。そんなに怖い目が見たいのかなこいつと美鈴は拳に力を入れる。
「そんなに頑張りたきゃ巫女さんに頼めば? 私なんて異変のときに一回あんたに負かされた相手だし。」
「その巫女さんに勝ちたいから手の内見せるのが嫌なの!」
「あのさあ、スペルカードルールに手の内ってないと思うんだけど。」
「とにかく。あいつの知らないところで修行して強くなって負かしたいの! ボーンといってバーンって。」
「そうしたいなら、まず。」
美鈴は一気に距離を詰める。魔理沙は一方方向の弾幕を美鈴に照準を向ける暇なく、美鈴はマスタースパークの本体から明後日の方向に移動し続けている。
「ちょっと待つんだぜ……」
でかい口をきいていた割には豹変したように自分に接近してきた美鈴に魔理沙は狼狽えた。
スピードは半端ない。しかも魔理沙の死角に移動しているように見せかけて、その逆に抉りこむように魔理沙の目の前にいる。
魔理沙は地面に振り落とされた。箒があったので地面には激突はしなかったが、美鈴がスペルを宣言していれば確実に被弾していた。
「うう……」
美鈴は中空から魔理沙を見下ろしごめんねと笑って言った。地面に降りてくる美鈴を見ながら魔理沙は不満そうな顔を見せた。
「そりゃないぜ。紅さんの馬鹿。」
「どういたしまして。」
美鈴は馬鹿呼ばわりされたのに、露とも不快そうな顔もしない。というか一方的に熱くなっていた魔理沙にも分かるほど、別のことに気が取られているように屋敷にちらちらと視線を向けている。
「どうしたのだぜ。用事があったんなら、事情を言ってくれれば無理に付き合ってくれとは言わなかったぜ。」
「うん。そろそろお嬢様が指定してきた時間だなって思った。」
「レミリアかフランになんか用事でも頼まれてるの?」
美鈴は口籠る。
「頼まれごととは違うっぽい。魔法使い。落とし前って知ってる?」
「責任取れってことだろ。お前管理職じゃないのに、ただの下っ端なのに始末書書かされるのか?」
美鈴は私文章書くの苦手だなと呟く。そして魔理沙に下っ端が上の者に逆らったらそれなりの行動で示して深謝するのが当たり前なんだよ、それを落とし前って言うんだよと当たり前のことを魔理沙に教えた。
「紅さん。レミリアになんか逆らったわけ。」
「逆らうことになっちゃうことをしたみたい。」
「余計なお世話とか。」
「ああ。確かにそれが近いかも。私馬鹿だから。」
馬鹿だから利口な者には思いつかないような愚行を犯す。でも本当は利口な者は馬鹿な者のやることはお見通しだ。だから結局馬鹿は反省しなければならない。反省しても馬鹿が直るわけではないが、そうしなければ利口な者に許してもらえないし、利口な者としても事の収拾がつかなくなってしまうのだ。
「紅さん。始末書の文章が思い浮かばなかったら、ひたすらごめんなさい反省してます、もう二度とやりませんを千回繰り返しで書けばいいんだぜ。」
「うん。参考にする。」
美鈴はそれじゃあと言って魔理沙に手を振って館に向かう。そして魔理沙の気配が後方で消えるのを待って自分の目の前にその手を翳してみる。
「思い切って、五本かな。」
その手をグーパーグーパーしながら美鈴はなんでもないように主人のもとに行くのだった。
- * *
「来たわね」
「来たわよ。」
十代の小娘の味気ない挨拶に永琳はさして口を挟まなかった。永琳は単に一年に一度あるかどうかわからない往診に来ただけなのだから。医者を呼びだすような事態になっているのだから、少し礼儀を欠いているくらいが、そんな怪我人だか病人のいる家人の態度としては相応しいだろう。
八意永琳は紅魔館の主に呼ばれ、そしてメイド長の咲夜にとある地下の一室へ案内されている。
永琳は急な怪我人だとしか聞かされていない。
地下に案内された時は噂に聞く地下に閉じこもる館の主レミリアの気の触れた妹が患者なのかと予想するが、咲夜が言うには紅魔館にはフランドールを閉じ込めているのとは別の地下施設もあると永琳に告げた。
「なんで怪我人を地下に?」
永琳の問いに咲夜は顔色一つ変えずに答える。
「その者の負傷はここで懲罰を受けてのことだったから。わざわざ移動させるより、その場で治療を受けさせるほうが早いわよね。」
よくよく考えれば合理的に聞こえるかもしれないが矛盾している。この館の主は冷酷なのか温情主義なのか分かったもんじゃない。しかしその主人の塩梅が咲夜のような優秀過ぎるくらい完璧な従者を生むかもしれないと永琳は考えていた。
「それよりも、今日は門にいなかったわね。意外とこの館に馴染んでいる中華妖怪。」
咲夜は永琳に微笑んでから重苦しい金属製の扉を開ける。
「美鈴のことかしら。彼女は今日はここに。」
永琳は扉の向こうの妖怪を見て納得した。
本来ならほぼ二十四時間体制で門前で待機しているはずの妖怪が、簡素な木の椅子に座って右手を左手で覆って眉間に皺を寄せていた。
右腕には血が幾本も歪んだ曲線を描いて、肘からぽたりぽたりと机に滴り落としていた。机の上には血のついた刃物。片手で扱える大きさだが指なら容易く切り落とせそうな重量感と無骨さを主張していた。
「美鈴。医者を呼んだわ。」
「わざわざすみません。自業自得で指を切り落とすことになっちゃいましたから、これから先この右手と付き合わなくちゃいけないかと思いました。」
軽薄そうに紅美鈴は笑って言う。咲夜は呆れたように溜息を洩らした。
「貴女もなんだかんだで、お嬢様に買われてるんだから。少しは自覚なさい。」
咲夜は失礼と永琳に一礼する。
「それではお願いします。」
永琳は肩を竦めて咲夜の横を通り抜けて部屋に入った。
永琳は黙々と美鈴の治療に入る。
「怪我は右手ね。見せて。」
美鈴は永琳に対してやりにくそうに右手を差出す。その右手には指が一本も残ってなかった。机の上には刃物とは別に金属のバッドが置かれており、その中に適切に扱われた指が五本入っていた。
「左利きなの?」
「最初にその質問が出てくるのか。いや違うよ。基本は右利きの両利きだ。」
「お嬢様か、あのメイドにやられたの?」
「うんにゃ。自分でやった。」
「五本とも?」
「そう。」
永琳は顔色一つ変えない。美鈴もへらへら笑いながら永琳の治療を受けている。
「この館の中って見た目とは裏腹に任侠な世界なのね。」
指を詰めて落とし前とはなんと古風でありきたりな罰なのだろうと永琳はそれを口にはしなかった。
「躊躇いなくやったわね。何をやらかしたの?」
美鈴はえへへと口に出して誤魔化そうとした。
「……」
「……」
しかし永琳は別の話題を振ったりしないし、美鈴も永琳というインテリな医者が乗ってくれるような話題が思いつかない。話題も狭い上に他者と共にいての沈黙が耐えられない美鈴は、五分もしない内に自分からゲロする羽目になった。
「門番の仕事サボって妹様とデートをした落とし前に、こうなっちゃいました。」
「そう。」
「昨日夏祭りがあって。」
「人里のね。」
「お嬢様も咲夜さんをお供にそこに行っていたので、あの二人と鉢合わせしなきゃ大丈夫かと思ったのですが。うん。私の考えが甘いとしか言いようがないわ。」
「サボタージュくらいのことであの主人は指を詰めさせるの?」
永琳は薄々事情を理解しながらわざと的外れなことを言う。
「いやいや。私のサボりは問題じゃないんだ。」
頭の程度が低い上に美鈴は口が軽かった。だから勢い余ってとレミリアの弁解のつもりで簡単に口を滑らせる。
「サボりと指はほぼ関係ない。妹様を連れ出したことの責任なんだ。私はお嬢様に反発するつもりはないけど、妹様……フラン様も可愛くて仕方ないんだ。」
わかるかなと言うように美鈴は小首を傾げている。目の前にいるインテリにする話にしてはかなり次元が低くて具体的ではない。永琳はそれを理解する為に想像力を駆使してなんとか頷いた。
「昨日はフラン様の精神状態も良さそうだったから、せっかくのお祭りだしと思って。」
美鈴は縫合の痛みを感じていないように笑う。永琳の頷きが合意を得られたのだと信じて。
「お嬢様も鉢合わせた時には何も言わず妹様と祭りを楽しんでたんだ。妹様の舌がかき氷のシロップで緑になったのを見せびらかした時なんか優しげで。祭りが終ったあとも博麗神社や魔理沙の家に寄り道してみたりして。」
「帰ってきたら、あなたはここで指を詰めろと言われた。」
「鉢合わせした時には何らかの罰があることは覚悟はしてた。」
場違いなくらいに耳心地のいい声が永琳の耳に入る。
「やけに誇らしげね。」
永琳は怪訝そうな顔をする。
「私のようなしがない門番妖怪が、地下に閉じ込められた令嬢を連れ出してしまうなんて、とんでもない暴挙でしょ。しかもそれを妹様は喜んでくれた。」
美鈴は目を細めて自分の所業に酔いしれている。永琳の中で小さく糸が千切れる音がする。
「あなたのその勝手な行動のせいで、あなたの主人は妹様とやらの姉としての顔が丸潰れね。」
美鈴は陶酔感に水を差す永琳の言い方にしゅんと猫背になった。このインテリな医者にとって、やってはいけないことをしたことについて、その結果喜ぶ誰かがいたという結果は言い訳にならないらしい。
永琳は美鈴の反応に構わず言葉を続ける。
「妹様とやらは聞く話によればかなり精神が不安定だそうね。それでも吸血鬼とはいえ見た目も中身も可愛らしい女の子なのは、あなたの言葉から察しはつく。少しでも親身になったら外に連れ出したくもなるかもしれないわね。でも物凄く身勝手だわ。」
本来なら美鈴の主人たるレミリアが既に、またはこれからするであろう説教を、永琳はしようとしている。
永琳は医者としてここに来ている。医者は閻魔と並ぶくらいに説教をする生き物だ。それでも美鈴への小言は美鈴はともかく、レミリア他紅魔館の住人にとっては余計なお世話でしかない。しかも説教の内容は患者の不養生という名のメンテナンスの怠りではなく、他所の組織の自分とは関係ない構成員の勤務態度についてなのだ。
それでも永琳は己の立場を知りながら、美鈴しかここにはいないことをいいことに喋る。
「スカーレット家の当主だからって姉自らが妹を地下に閉じ込め続けているわけでしょう? ここで暮らしているあなたなら、その事情を承知しているはず。」
「その事情は……私がここにお世話になる最初の日に教えられた。」
美鈴も最初から門前に置かれっぱなしだったわけではない。使用人の研修の名のもとに、屋敷全体を案内されたことはある。
地下室にいる気の触れた妹様の話を聞かされたとき、思わずレミリアの前で「可哀そう」と呟いてしまった。その後にレミリアは美鈴に対面させたのだった。たまたまその日、気が触れていたフランドールに。
上の空になりつつあった美鈴の意識をこちらに向けさせる為に、永琳は机を乱暴に叩いた。美鈴は授業中の居眠りをたたき起こされた子供のように身体を跳ねさせ「わっ」と声を上げた。
「そう。それほど妹様とやらの幽閉はこの館にとって大事なことだった。門番で地下室に縁のない仕事のあなたに説明するほどにはね。」
永琳は美鈴の指を縫い合わせていた手を止め、その手の甲を叩く。美鈴はびくっと身体を震わせて「ひっ」と短い悲鳴を零す。
「あなたがその妹様を夏祭りに連れて行くことで、妹様を閉じ込めている意義がぶれてしまった。姉が妹を幽閉するという、特別な理由があってもなかなか許されない構図にひびが入る。その妹様が少しでも頭が回って姉に反抗心がある場合、今回のことを理由にして、レミリアに幽閉状態を解除することを要求するかもしれない。そうなったとき、あなたはこの件からして自動的に妹様の味方になってしまうわ。」
美鈴はおろおろと意味もなく左右を交互に見た。
レミリアとフランドールという姉妹。美鈴は彼女らが永琳の言うように争う光景が想像出来ない。
「あのう……。それマジで言ってるんですか? 私は遊びに連れて行っただけですって。そんなことでお嬢様と妹様が敵対するなんてありえないって。」
永琳は実際の住人の言葉に耳を貸さず自分の推測を推す。
「あり得るからこそ言ったのよ。そんな覚悟もなくて、考えなしにそんなことをしたの?」
美鈴は永琳が指を全て繋げるまで永琳から離れられない。部外者にされる説教は苦痛でしかないが、いいがかりとは言えないくらい筋が通っているものだから聞くしかない。
「さっきの言葉からして、連れ出したのはあなたの短慮ってことかもしれない。私はこの館の事情については噂でしか知らないから。問題はここから。あなたは妹様の喜んだ顔が見られて嬉しかったと言ったけれど、本当に喜ぶ顔が見られただけで気が済んだのかしら?」
永琳の言葉は泥のついた靴で家に踏み込むより失礼極まりなかったし、医者の焼くべき世話の範疇を飛び越え過ぎている。
「私が妹様になにか見返りを求めていたと言いたいのか?」
美鈴のした質問返しが「部外者のお前が何故そこまで紅魔館のことに干渉する?」なら、永琳にこれ以上言いたい放題言われなかったのかもしれない。しかし美鈴はそこまでは頭が回らず口に出てしまった。
その理由は簡単である。永琳の言ったことが真実だったからだ。
永琳は美鈴の指を縫いわせながら、美鈴から曖昧ではっきりしない何かを感じ取って、不愉快なものを見る目で美鈴に語りかける。美鈴は首を横に向けようとするが、横に向けた途端何されるか想像してしまうためか永琳から視線を外せない。
「あなたは妹様のことを可愛いと言ったし、自分のしたことが暴挙だとも言った。妹様の立場からしたら、あなたは姉の目を盗んで外に連れ出してくれた王子様にでも見えるかもしれないわね。」
「王子様だなんて、そんないいもんじゃないから。」
「あなたがどういうつもりだろうが、状況がそう思わせる。そしてもし、レミリアに見つからなかった場合、あなたと妹様はずっと二人きり。妹様は外に出ることがなかったから、あなたにエスコートされるままでしかない。人通りのない所に誘導しようが妹様は何も疑うことはない。」
美鈴は口が滑るままに言葉を発することしか出来ない。
「何が言いたいんでしょうかねえ。それじゃまるで誘拐犯じゃないですか。」
「あなたが妹様に外に連れ出した見返りなり、お礼を要求する可能性があったということ。そもそも、姉の方は夏祭りに出掛るつもりだったし、見つかっても妹をすぐに連れて帰らなかったわけだから、今日は妹様の状態もよろしいですし一緒に出掛けられてはどうでしょうか、と提案するべきだった。なんで敢えて指を切り落とすかもしれないリスクを負ってまで、喜ぶ顔が見たいというささやかな動機で、主人の目を盗んで出掛ける必要があったのかしら?」
美鈴は自分で記憶を辿っても、レミリアに何かを言おうという頭はなかった。当時の自分は誰にも相談することなく独断専行でフランドールを夏祭りに連れて行くことで頭がいっぱいだった。
「私頭が回りませんから。咲夜さんじゃあるまいし。」
インテリな医者は美鈴にも少しでも回る頭があると信じて疑わない。目の前にいる美鈴レベルの足りない頭は存在しないと決めてかかっている。それが美鈴には苦痛だった。
それでも美鈴は自分の頭の足りなさ加減を「頭が足りない」と馬鹿正直に申告することでしか主張出来ない。しかしそれをインテリは努力不足と決めつける。
「咲夜さんの話はしてないわよ。咲夜さんは妹様のことに気が回ってないわけでしょ。咲夜なんかより、あなたのほうが余程妹様とやらのことを見ていたってことでしょ。」
永琳は美鈴の申告を切り捨てた。
美鈴は思い出していた。永琳の説教と尋問に耐えられなくなった脳が、楽しかったことの回想に逃亡しようとしているのだ。
夏祭りだから知り合いの協力者に頼んで浴衣を用意して貰って、それにフランドールを着替えさせた。真っ白い胸は膨らみはないが、なだらかで美しい曲線を描いていて、浴衣に隠されてしまうのが惜しいような、そうであるのが良いような、どっちつかずな気分にさせられた。
フランドールが美鈴と手を繋いで歩いている様は、まるで盲人が先導する者の行先をそのまま信じているみたいで、その信頼が純粋に嬉しかった。だけどそれを裏切ってしまいたい衝動も否定出来ない。
レミリアに秘密にしなければフランは夏祭りに行けなかった。それは今の顛末を知らなかった当時の美鈴にとっては事実だった。しかし主人に秘密に出来ればなんでも出来ると思うのが美鈴だった。
「このっ」
永琳は再び机を力いっぱい叩いた。自分の言葉に言い訳がましい言葉を律儀に吐いていたと思いきや、突然口を半開きにして言葉を聞き流し始めた美鈴の一貫性の無さ加減に怒りが隠せない。
永琳は最後の指を縫いつけ終り、包帯を巻いていく。もう紅魔館と永遠亭の括りが関係ない本音が喉に競りあがって我慢ならなくなってきた。
「私は輝夜の従者。」
永琳は美鈴を凝視する。それは誰もが勢い余って謝り倒したくなるくらいの迫力を宿していた。先ほどまでの説教の内容を本気で理解して、それが自分にとって的外れでなければ、その場限りであっても「ごめんなさい」を言ってしまうのが当たり前である。
しかし美鈴は「ごめんなさい。」という言葉一つすら頭に掠めずに、首のあたりを引っ掻いていた。
「あなたみたいな何を考えてるか分からない、あなたみたいに何をしでかすか分からない部下は、絶対に輝夜の傍に置いておけないわ。」
「あなたのお姫様の傍に置いておけなくても、私は美鈴を私の館の門前に置くだけよ。」
咲夜に扉を開けられてレミリアが部屋に入る。レミリアは腕組みをしながら永琳と美鈴を交互に見る。
「仕事熱心なお医者様で従者ね。他所の家の使用人の教育にまで口を出すなんて。でも残念ね。こっちにはこっちのやり方があるし、あなたの言うことは正しいのかもしれないけど、あなたのこの屋敷についての理解は不十分過ぎるわ。」
レミリアは後ろにいる咲夜に振り返る。
「咲夜は本当に完璧で優秀な子。だけどこの歳の人間にしては完璧過ぎるから心配になっちゃって、時々咲夜のペースを意地悪して崩したくなっちゃうわ。」
咲夜は何も言わず礼をする。
レミリアは今度は美鈴の後ろに歩み寄り両肩に優しく手を掛けた。美鈴はレミリアの手に視線を向けたあと、瞬きをしながら後ろにいるレミリアを見ようとした。
「美鈴は大事な鉄砲玉。すこぶる強いけど目の前のことにすぐ夢中になって周りが見えなくなっちゃうことがあるの。」
永琳はレミリアを一瞥して言う。
「差し出がましいことを言って失礼したわ。」
そして美鈴に薬を手渡す。美鈴はどうもと言いながら会釈をする。自分に説教をしてきた相手に対しているにしては、それは気安くて無造作な仕草だった。
「化膿止めと痛み止めの薬を出しておくから。化膿止めは毎食後、痛み止めは頓服で飲むこと。妖怪だから指を切り落としても抜糸までに時間は掛からないと思う。だけど、なるべく右手は水に濡らさないこと。」
「美鈴はメイドじゃないから、用心するのはお風呂のときくらいね。」
レミリアの言葉を他所に永琳は道具を全て鞄に仕舞い込む。
「咲夜。八意医師を永遠亭までお送りしなさい。」
咲夜はレミリアに言われると永琳の傍に行き「お荷物お持ちしましょうか?」と尋ねてきた。永琳はそれを断って咲夜を伴って部屋から出た。
永琳と咲夜の足音が聞こえなくなったところで、レミリアは美鈴に向かって口を開く。
「言いたい放題言われたわね。」
「はい……。少しは言い返そうとも思ったんですけど。私は学がありませんから。」
レミリアが庇ってくれなかったら、永琳のパーフェクト従者教室はいつまでも続いていたのかもしれない。
「言い返さなくてもいいのよ。よそ者の言葉で本気で反省しないでね。反省なら私の目の前で指を切り落とした時にしたはずなんだから。あと、ああいう時は何も喋らず顔と身振りだけ神妙にして受け流すこと。ああいうオバサンは相手が何か喋る度に口答えと取ってエスカレートするんだから。」
「はい。今度から気を付けます。レミリアお嬢様。それで……」
「何?」
「妹様をまた外に連れ出すときはどうしましょうか?」
「ん? そうねえ。」
美鈴の問いにレミリアは何故かあくどい笑みを浮かべる。
「連れ出さないことは前提だけど、まあ次の機会までに考えておくわ。それまでは勝手な外出をさせたりしたら駄目。美鈴。仕事に戻りなさい。」
レミリアは美鈴を手招きして一緒に部屋を出る。廊下を歩いて階段に差し掛かったところで、思い出したようにレミリアは「あ」と声を漏らした。
「あと、抜糸するまではフランに会っちゃ駄目よ。折角の楽しい思い出に水を差すわけにはいかないんだから。」
美鈴はわずかに目を丸くして立ちすくんだ。レミリアは首を傾げる。
「当たり前でしょ? 連れ出してくれた美鈴がお姉さまの罰で指を切り落としたなんて、そんな惨い後日談をあの子に教えられるわけないじゃない。」
「わかりました。」
美鈴は再びへらへらと笑ってレミリアの命令を了承した。レミリアはくすっと笑って「当たり前じゃない。あなたはフランの従者でしょ。」と美鈴の胸を小突いた。
美鈴は縫い合わせられた自分の右手を見た。指と手を繋いでいる糸が取れたらまたフランドールに会える。その日が楽しみだと単純に美鈴は思った。
- * *
紅魔館は主人が吸血鬼故に昼夜逆転営業である。咲夜はレミリアが寝ている間に屋敷の諸管理に追われている。
門番で鉄砲玉の美鈴は暇人で、昼間に通りかかる周辺住民と交流するのが常だった。
そして今日も美鈴は魔理沙と門前に座って与太話をしていた。
「うわあ。私が家に帰ったあと、そうなってたのかよ。始末書じゃ済まなかったのかよ。」
美鈴の右手首を握って魔理沙は糸で繋がれた指をじっくり観察していた。
「抜糸は長く掛かって二週間後だってさ。」
口の軽い美鈴は目を覆いたくなるような右手を隠しもせず、簡単に回る口で魔理沙にことの顛末を話している。魔理沙は「うわあ」だの「ひゃあ」だの相槌代わりに声を出して驚いているような素振りを見せていた。
「五本ってレミリアもよく要求出来たもんだよな。」
「んー? 五本って指定はされなかったような。だけど、切る本数は多いに越したことないかなって。」
「なら十本いっちまえよ。」
「だって左手の指を切る右手の指がないんだからしょうがないさ。」
魔理沙の悪趣味な冗談にさえも美鈴はへらへらと笑っている。魔理沙は美鈴の返答に閉口した。
「フランには暫く会えないのか。……踏んだり蹴ったりもいいとこだな。」
「指が治れば会えるから私は気にしてない。」
門番妖怪は開き直りとも取れることを明るく言った。
「いや……踏んだり蹴ったりは、紅さんじゃなくて」
魔理沙は口籠る。美鈴が首を傾げて眉間を掻いている姿を横目に魔理沙はぶつぶつと呟いている。
「言いたいことがあればはっきり言え。」
魔理沙は美鈴の要求に答えない。
「他所ん家のことだし……今回は言わない。」
そうかと言って美鈴は意味深な魔理沙の言葉を気にしないことにした。そしてまた軽い口を滑らせる。
「お嬢様はわざわざ永遠亭の永琳を呼んで、私の指を縫い合わせてくれたわけだけど」
「さっきすっごく怒られたって言ってたよな。」
美鈴は空を見上げながら永琳とのことを思い出した。永琳のあの怒りようだったら、治療を途中で投げ出されてもおかしくなかった。美鈴は永琳にそのような態度を取られてもしょうがないと思うだけだ。
何せ美鈴にとって自分の指というのは――。
「私の指。もし腐り落ちたとしても、また生えてきそうな気がするんだよね。……あいてっ。」
魔理沙は美鈴の頭を叩いた。
「紅さん。医者ほど怒ると怖いもんはないんだぜ。紅さん治療中にそんなこと言ってるから、永琳に怒られるんだぜ。」
「治療中には言ってないよ。ただ昔を思い出したら、この指を繋ぎ合わさなくても良かったのかもって思っただけ。」
「昔?」
魔理沙は怪訝そうな声音で語尾を上げた。そう、昔、と美鈴は魔理沙に言う。世間話のようにお手軽な話題として。
「私はこの館の使用人歴は実は短いんだ。人間の咲夜さんがそろそろ十年になるのに対して、私はまだ五年くらいしかここにいないんだ。」
「紅さん幾つだよ。そんななりでメディスンのような生後数年の妖怪なわけないだろ。」
美鈴は湖の水平線を見据える。
「私は外の世界にいたんだ。」
美鈴が思い出すのは過去のこと。外の世界の中国にまだ皇帝が幻想ならぬ現実に存在していた頃のことだった。
広大な敷地の優雅な建物と庭園。それは全て皇帝の持ち物。そこに住まう人間も人間でありながら王の持ち物だった。
妖怪である美鈴も皇帝の持ち物としてそこに長く住んでいた。
「そこの国の皇帝や権力者は誰の時代であろうが奥さんが多くて三千人くらいいて、奥さんたちを集めて生活させる場所に、私は妖怪の身でありながら彼女たちの世話係をしていた。」
魔理沙は途方もない人数に息を飲んだ。
「三千人って……。幻想郷の人間の女を全員集めてやっとじゃないのか? 下は三歳から上は九十歳までとか。」
「ところが若い娘ばっかりだったよ。」
それぞれの個性が失われてしまう勢いの美女たちの群れ。美鈴はそのひとりひとりの名前を覚えられるはずもない。ただ一部の不憫な「彼女」を除いて。
「うはうはだな。その男は。」
魔理沙の率直な感想から美鈴はおぼろげな記憶が鮮明になる。魔理沙が口にした言葉こそ美鈴が「彼女」を鮮明に覚えられた理由に直結するからだ。
「うはうはだったと思うよ。だけど彼らは大抵、そのうはうはの大人数を持て余していた。」
一日交代で可愛がるとしても十年近くたって、やっと一周するという人数だ。それに妖怪も人間も異性に対して好みというものがある。やはり一部の一握りにだけ、皇帝の愛が注がれてしまう構図は避けられない。
「初めての一回だけしか皇帝といちゃいちゃ出来なかった子なんてざらにいた。その一回で子ども……男の子が出来てたら幸運な方かな。」
美鈴は人間の小娘にするべき話かどうかあまり迷わなかった。魔理沙は美鈴の話す異常な状況に目を逸らせなくなっている。
「皇帝にいまいち好かれなかったからって、彼女たちはじゃあ他所の男にしようか、なんて出来なかった。皇帝の名ばかりの妻として死ぬまで後宮にいることが運命づけられていた。」
「その代わりにある程度贅沢な生活は補償されてたんだろうな。だけどあまりいい話じゃないや。」
「そう。彼女たちはあまり幸せそうじゃなかった。」
美鈴は遠い日に恋した不遇な娘たちとフランドールの姿を重ねていた。
「いつも綺麗な服を着て、美味しいものを食べて、暇つぶしに困らないくらいの本や音楽に恵まれていても、彼女たちは寂しかったんだ。彼女たちは皇帝の花嫁になるくらいだから、そりゃあ綺麗で可愛くて。だけど皇帝の好みとはちょっと食い違ったから夢見てた生活が実現しなくて。いつのまにか、ほんのちょっとの差で、他の女が皇帝に気に入られて子ども生んで幸せになっている。私はそんな彼女たちに惹かれて世話を焼いていたんだ。私は妖怪だけど女だから、私を気に入ってくれる娘も時々いた。私は彼女たちの慰みになれるのが嬉しかった。」
魔理沙は美鈴の話を聞いて、話を聞いている分には「泣かせるな」と思った。しかし素直に共感して泣くには引っかかることがある。
「あのさ。それと指が腐っても大丈夫って話と繋がらないぜ。」
美鈴はごめんと手を合わせる。
「前置きが長くなった。」
「前置きだって思ってないぜ。」
美鈴は続きを話し始める。
「彼女たちの心の隙間は、ただの与太話じゃ埋められる程度の浅いものじゃなかったんだ。だけど私は学がないから。そんで流れでその娘にエッチなことして慰めるような関係になっちゃった。私としちゃあ、……あはは。」
「おいおい。健気な話だと思った私の内心の涙を返せ。」
「しょっちゅう着替えとか手伝って裸も見てるし、触れたらいいなあって考えてたら、その願いが叶っちゃったんだ。彼女も気持ちよさそうだったし。だけどほとんど相手にされてなかったとはいえ、彼女は皇帝の妻なんだ。どんな人妻よりも触れてはいけない存在だった。そんで罰を受けた。」
「やっぱり指を詰めろって?」
美鈴はゆるゆると首を横に振った。
「数人がかりで押さえつけられて、歯を全部抜かれた。」
魔理沙は愕然としてどんな顔をしていいか分からなかった。自分もチンピラみたいなものだから痛い目にはかなりあってきた方だが、まだ歯がしっかりくっついている歯茎がむずむずして仕方ない。
「すげえな。それ。」
「あの時は今回のように医者を呼んでくれなかった。だけどしっかりまた生えてきた。」
「サメかよ! つーか、紅さんの歯って実は乳歯だったんか!」
魔理沙は重たい話の軽いところをやっと見つけてツッコミに成功した。そうでもしないと美鈴の普段二割増しの真面目な話に音を上げそうだった。
「だからねえ。また指が生えてくるんじゃないかって思ったのよ。」
「そうかそうか。既に外の世界で前科があったわけか。そんで、その娘は大丈夫だったのか? 妖怪のあんたがそんな目にあったなら、その娘だって無事じゃ済まないだろ。そいつが浮気したってことは事実なんだから。」
「いや。その娘は無事だった。」
美鈴は穏やかな笑顔を魔理沙に見せつける。
「そのことは全部、私のせいになったから。」
「おい! ……どういうことだ?」
魔理沙の激昂具合に首を傾げながら美鈴は答える。
「だから。私が彼女を襲って無理やりってことで収まった。」
「あーあー。そういうことか。あんたは妖怪だから責任を全て吹っかけてもいいって思われたんだな。」
魔理沙は頭では理解しても止められない憤慨を持て余していた。
世の中はそういうことばかりだと知っていても、そういうことに阿ることで生きていく身だとしても、友人がそういうことの犠牲になっていたと聞かされて平然としていられるほど達観していなかった。
美鈴が昇華してへらへら笑えるようになったことについて、魔理沙は共感の真似事をして怒るしか思いつかなかった。
しかし美鈴の思い出話に、魔理沙が覚えたような怒りの色は見えない。それどころか、何か危ない薬で強制的に齎された恍惚感に酔っているようだった。
「私は思いがけない良い思いをしたからね。罰が当たったのさ。歯を抜かれるより辛かったことがある。その次の日から彼女のとこに訪ねても姿を見せてくれなかったし、口も利いて貰えなくなったしね。」
魔理沙はまた嫌な現実を理解してしまった。全てを美鈴の責任にした女は、二度と美鈴と親しくしないことで、周囲に対して自分はあくまで責任がないことだと主張したのだろう。女は皇帝にこそ愛されなかったが、わずかな恩恵である後宮での恵まれた生活を守った。
「だけどね。魔理沙。私が訪ねる度に彼女の居室の前には一輪の赤い花がいつでも落ちてた。」
魔理沙は背中が痒くて仕方がない。
どうしてそう捻くれて、漫然としていたら気づかないような自己主張をするのだろうか。それだけでこの愚直な妖怪に許しを乞えるなんて世の中狂っていると魔理沙は悶えている。そして一番魔理沙を悶えさせているのは、人間のよくわからん気紛れに振り回されながらも、たった一輪の花に夢を見ていた妖怪だった。
「私としちゃあ、良かったとは思う。彼女の一生のほんの一部でしかないけど彼女の寂しさを解せて、いざとなったら庇えたんだから。だけど未練なのかな?」
美鈴は後宮の娘とフランの姿を二重写しでだぶらせる。
美しくて。可愛くて。健気で純粋で。無防備な。一生閉じ込められる籠の鳥。
「可哀そうなフラン様が可愛くて仕方なかった。彼女と同じように。」
魔理沙は一気に疲れたように脱力した。
「そこでフラン重ねるなよ。」
魔理沙は立ち上がって「帰る」と一言言った。
「ん? 図書館には寄らないのか?」
「泥棒を招き入れるようなこと言うな。気が変わったんだよ。アリスんとこ行く。」
「あっそう。じゃあ。」
「またな。」
魔理沙は数歩進んだところで美鈴に手を振った。美鈴は左手を振る。なんだかんだで右手は動かすと痛いらしい。
魔理沙は今日は無性に歩きたかった。特に昼間農作業している人間が見えるあぜ道を。
「よっ。魔理沙ちゃん。」
「おー。精が出るな。」
腰を屈めた娘が伸びをして魔理沙に声をかけた。
「箒で飛ばないなんて珍しい。どしたの?」
「いや。時々歩かないと自分が人間だって忘れそうだし。」
「ところでお父さんとは仲直りしないの?」
「するかよ、そんなもん。」
折角お嬢様な生まれなのに勿体ないと娘はわざとらしく大声で言う。農民として生まれた女だからしょうがないと魔理沙はいつも受け流している。
「じゃあ、森近さんと結婚するの?」
「あいつの方から断られる気がする。私もあいつとそういうことになるつもりないし。さっき妖怪の友達から遠い国の不幸な結婚話も聞いたから、そういう気にしばらくはならないな。」
「実家にも頼らない、結婚もしないって。あんた本格的に魔女になるつもりもしばらくはなさそうだし。歳取ったらどうするの?」
初心そうな見た目に反しておばさん臭いことを言う娘だった。地に足が着いた生活をしているからこそ、そういうことが言えるのかもしれない。
魔理沙にとって幼馴染と言えるこの娘は、とっくの昔に睦みあう男が出来ていたことを魔理沙は思い出す。娘は魔理沙が言い返してくる前に自分から魔理沙に告げた。
「私もぼちぼち結婚するし。今魔法使いにならないなら、婚礼までに本当の意味の魔法使いにならないでよ。頭の固い親もいる手前、魔女にお祝いに来てもらうわけにはいかないんだから。」
「それは私が決める。そして私は祝いには行かない。婚礼のご馳走を食べに行くんだ。」
まったくと娘は肩を竦める。魔理沙に対する悪意も善意も知ったことではないという態度だった。
またねと娘は手を振る。魔理沙に背を向けて作業のために腰を屈めた娘のスカートから覗く白い脹脛に魔理沙はにやける。くそうと娘の婿に嫉妬しながらあの白い脹脛より上の部分を見せてもらえる男は果報だなと思った。魔理沙は少し癒されていた。健全なスケベ心も補充出来たので馴染の可愛い魔女の顔が脳裏に浮かぶ。
紅魔館だの永遠亭だの白玉楼だのの上流社会の連中や、その他妖怪やら世捨て人ばかりと交流を深めてばかりいると、普通の感覚を忘れてしまう。
魔理沙は妖怪の形成する世界が好きだが、長く居すぎると息が詰まる。それは妖怪の友達に告白はしないが、時々普通の人間みたいに地べたを歩いて、普通の人間と話をして、自分の中の普通の人間の部分を補ってしまう。
「だから私は魔法使いになれないのか。」
面倒な性分だと自分に辟易しながら、足は自然とアリスの家に向かっていた。
足元が泥だらけの娘は川で足を洗おうとした。川に足を付けたところで動きが止まる。
小高い丘の上にローブを身にまとった、自分とは似ても似つかない金髪の青い目の、自分の婿より遥かに背の高い男たちが座っていた。
男たちはどこともなく指を差して談笑しているように見える。その中の一人が娘に気が付いて川辺に降りてきた。
娘はひっと小さな悲鳴を上げ川の中を後ずさる。金髪の人間なんて魔理沙くらいしか知らないし、その魔理沙だって妖怪の側に少し片足を突っ込んでいる。寧ろ金髪なんて妖怪のほうが多いくらいだ。
男は娘の怯えた反応に困りながら遠慮がちな笑顔を作った。
「お嬢サン。町へ行くニハどうすればいいのデスか?」
耳に違和感を覚える日本語だった。娘は男のおどおどとした態度に気が抜けたように返す。
「町って? 里のことですか? それならここからもう少し北のほうです。」
「アリガトウ。ワタシたちここ来ルノ初めてダカラ。」
娘はもしかしてこの男たちは迷って幻想入りしてしまったのかと心配になる。見知らぬ他人だが、幻想郷にいるが外の世界にはいない妖怪を知らない男達が食われてしまうのは忍びない。
「あのっ。ここって妖怪がいて、人間を食べたりするんです。里は結構すぐにありますから、里に着いたらすぐに里の人に博麗神社まで案内してもらって、そこにいる巫女さんを頼ってください。」
娘の心配そうな声に男は微笑みを見せると、男は娘の頭を撫でた。
「アナタ優しいデスね。いざとナレバ博麗神社。覚えておきマス。」
「いざとかそんなんじゃなくて、里に着いたらすぐですってば!」
娘の危惧を他所に男は仲間のもとに戻っていく。男は登っていく途中でこけた。それを仲間たちが笑っている。
「町はここからすぐ北だそうだ。」
男は片言な日本語から西洋の自分の国の言葉に切り替えた。
「北は……ああ。あの水田に囲まれたとこか。」
「夕方を待たずに行けそうだが、道を尋ねたあの子の様子からして、幻想郷は外来の人間に慣れてなさそうだ。宿という物があるか、ちと不安だな。」
「まあ、人里も娘が教えた一か所とは限らないし。」
男たちはトランクを引きずりながら丘を降りて行く。ところが先頭にいた男が倒れて、そこからドミノ倒しのように規則正しく男たちはこけていった。
「とうほうりんりんあいらくたん」と読みます。美鈴と永琳主体です。後編に続く。
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