幸福雑音
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ポケモンデイズ エピソードNアダルトサイド第二話「七つの大罪を二倍くらいに増やせる男と太陽の冠を戴く男」R18 主♂N
サンヨウシティ。
ポケモントレーナーの初心者の大部分が最初に挑戦するジムのある街。
トウヤの手元にはボールが三つ。一つはミジュマル。一つはチョロネコ。もう一つはバオップだった。
バオップは夢の跡地の近くにいた親切というかお節介焼きの女性から、押し付けられるように譲られたポケモンだった。
今はポケモンたちをボールから出して公園で遊ばせていた。見るからにミジュマルとバオップはすぐ仲良しになった。水と炎で相性が悪いはずなのに、トウヤの胸がほっこりするほどほのぼのと遊んでいる。チョロネコはひなたぼっこをしながら欠伸をしていた。とんだぐーたらだった。
「どうしようかな。」
トウヤにとって今のところのパーティの予定では、単悪のチョロネコと同じく、炎ポケモンを入れるつもりもなかった。ミジュマルにしろチョロネコにしろ、打撃系の技に弱いポケモンの組み合わせになった上、バオップもたいして耐久力には期待できそうにない。しかしミジュマルが物理系の攻撃を次々に覚えてくれたのでパーティの攻撃力は申し分ない。なのにチョロネコはいつまでたっても如何せん、はっきり言えば使えない。性格が災いしているのか大器晩成なのか、即戦力になっていないのが現状だった。
トウヤの頭を悩ますのはこの町のジムの特異な性質もあった。最初に選んだポケモンの苦手タイプを使う三つ子のうちの一人が対戦相手になるのだ。だからミジュマルの攻撃力の高い技でごり押すのも難しいと予想出来る。控えのポケモンが頼りになるのが一番だが、チョロネコは期待できない。ならば新しく入ったバオップを当てにするしかない。
「まあいいか。」
大人特有の割りきりでトウヤは考えを打ち切った。そして三匹に声をかける。
「お前たち今から特訓だよ。とにかく相手のジムのポケモンよりレベルが高ければ高いほど、力押しで勝てると思うんだ。」
ポケモン達はワンマン上司から厳しいノルマを押し付けられた新人会社員のような動揺はしていたが、ある意味覚悟を決めた顔でトウヤを見上げた。
「大丈夫だよ。君たちならやれる。ねえ、チョロネコ。」
チョロネコはうんうんと頷いている。でもそれはただの形だけなのはトウヤもわかっている。伊達に会社員時代に毎年現れる新人社員を見てきたわけじゃない。時々いるのだ。どうしてこいつが面接で受かったんだというタイプの人間が。
しかし今回はトウヤが自分の私情で彼女を採用したのだから仕方ない。とにかくパーティのレベルを上げ、彼女にはそれに倣ってついてきて貰わなければならない。しかし大変なのは彼女ではない。お荷物な後輩や先輩を持つ、ミジュマルやバオップなのだ。
だがここを凌げれば鍛え癖や勝負強さが身について弾みになるはずだ。上級のポケモンに引っ張られたならダメネコだって、並みにはなるはずだ。トウヤの元企業の九割くらいの使えない子達も一年以内には形にはなった。あとの駄目なままの一割は彼女ではないはずだ。
「ミジュマル。君はチームのリーダーだからね。頑張ろうね。バオップ、ミジュマルとチョロネコを助けてあげようね。」
子どものやる気を引き出す。自分はどんな保父さんかと呆れてしまうが、やる気を出した子どもを見るのは気分がいい。ただやはりチョロネコは本心から頑張ろうとは思っていないんだろうなと伝わってくる。とりあえず、ミジュマル達が彼女がやる気のないことを悟って失望しないようにフォローするしかない。
「……」
はあとトウヤは溜息をつく。
案の定先頭にチョロネコをセットして野性のポケモンに特訓をしてみたが、彼女はすぐに戦闘不能になってしまい、それを引き継いだミジュマルとバオップのレベルは着々と上がっていった。
仕方がないのでミジュマルとバオップで削った野性のポケモンをチョロネコに倒させ、なんとか経験値の体裁を整えた。それでも有効な技をチョロネコは覚えなかった。本当に旅をかなり進めてからやっと使えるようになるのかなと、希望と絶望が混じりあった気持ちになった。
Nに最悪呼ばわりされたトウヤだったが、ポケモンに対する義務感から現れる愛情は人一倍だった。義務と言えば言葉は悪いが、自分が出来る限りのことをしてやろうという意志は誰よりも強固だ。しかも感情的になることなく、自分の苛立ちやストレスの原因をけしてポケモンに転嫁して八つ当たりしない。これも自分に課したトウヤの信念だった。
「うん。きっとチェレンも同じ苦労をしてるよね。だって彼のパーティにもチョロネコはいるから。」
中を開けてみれば、そんな立派な義務感も好きな子に対する同化願望から発生する信念だった。それこそがトウヤの人格の唯一残念なところだった。
優秀でありながらスイーツ。冷徹でありながらドリーマー。瀟洒でありながらデレデレ。
もしかしたらチョロネコのぐーたらは、彼のそんな残念な人格を見破っているからかもしれない。
とにかく努力することも工夫することもたいして苦にならないし、それに使役する労力も少なくて済むのが、この童顔の三十代の強みだった。チョロネコごときお荷物はトウヤにとっては屁でもなかった。
そこでトウヤは自分を見つめる誰かの視線に気づいた。ポケモン達を速やかに呼び寄せボールに避難させる。
「あー。やっぱり。しっかり監視されてるんだな。」
これから展開される物語が終ったあとに自らの存在を著しく消していたNだったが、今物語が動いている内は、その存在をトウヤにしっかり主張していたのであった。Nが直接姿を見せなくても、そこいらの野性のポケモンの目はすなわちNの目の代わりになっている。全部のポケモンの目がそうだとは言わないが、三匹に一匹はNからのスパイと考えたほうが変に疑心暗鬼にならずに済む。
「本当に律儀というか真面目というか。」
「それ誰のこと?」
後ろから声を掛けられる。スパイを寄越しているくせにわざわざNはトウヤに近づいてくるのだ。トウヤは仕方なさそうに振り向くとそこにはお昼の高く上った太陽を逆光にしてシルエットのようになった姿のNが憮然と立っていた。頭のところに太陽があるせいで王冠を戴いているような風情さえある。トウヤはその感覚を錯覚だと一人で決めつけた。
Nはすっと腰を屈めると現実的な姿になってトウヤの真ん前で視線を合わせてきた。
「トモダチが教えてくれたから。ちょっと顔を見に来た。」
ぶっきらぼうというか、半ば刺々しい口調でNは告げる。
「へえ。君からの差し金じゃないんだ。」
皮肉気に言うとNは言い返してくる。
「嫌いな奴を見張ってくれなんて、大事なトモダチに頼むことじゃないだろ。考えてみなくてもわかるだろ。」
「でも君の考えを察して君に僕のことを教えてくれるトモダチはいるわけなんだよね。それで君はトモダチの好意を無下に出来ずにわざわざ嫌いな奴に会いに来てくれたんだ。」
Nはトウヤの言葉に噛みついてくると思いきや、俯いて別にと呟く。
「彼らから悪い話は聞かなかったから。それと、あのとき僕が君に最悪だって言ったこと、よく考えれば言い過ぎだったと思う。いや、君の動機が不純で釈然としないっていうのは変わらないけど、でもあまりにも君とチェレンの個人的な関係に入れ込み過ぎていたようにも思う。君とチェレンの関係にも納得してないけど。だけど」
「いいんだよ。自分でもあんまり内容的に綺麗じゃなくて、君のような初対面の相手にずけずけ話すようなことじゃないとは少し反省したよ。」
しかし普通なら呆れはしても聞き流す程度の話だったとトウヤは思っている。もし少ない可能性でキレられたとしても、そこから二度と顔を見ないという選択肢を取られてしまうのが普通じゃないだろうか。だがNはポケモン達からの情報を整理して再びトウヤまで辿りついて、今こうして早口で、でもでもだってを織り交ぜながらも不器用に謝ってきた。ここは大人としては上手い具合に切り上げるのが定石だった。
「それはそうと、あのとき君はなんで夜にふらふらと歩いていたわけ?」
「え?」
Nはふいを突かれたように顔を上げてトウヤの問いへの回答に迷っていた。トウヤの悪い癖だった。切り上げなければならない場面で、またどつぼに嵌りそうなことを言ってしまう。無意識的ではなく意識的に。
「え、えっと……」
「あら。そんなに言いにくいことだったかな。」
Nという青年は嘘をつけないどころか誤魔化すことすら出来ないようだ。そして物凄く言いにくそうにしていたが、あの時の行動の理由をトウヤに告げた。
「僕と、一つ部屋に泊まって性交してくれる相手を探してたんだ。」
二人の間にしばしの沈黙が流れた。
「N。ちょっとそこで腰を据えて話そうか。」
トウヤはNを手招きしながら服を引っ張って近くの木陰に座らせた。大人としての教育的指導モードにトウヤは入る。
「うん。君が変な嘘をつかなくて良かったとは思っている。だけど正直に言ってくれたとしても、はいそうですかって納得できることじゃないからね。」
「えー。でもポケモンだって発情すれば交尾するだろ?」
「ポケモンと人間は違います。」
「一緒だよ。」
「違います!」
Nは納得できないように眉間に皺を寄せている。それでもトウヤの言葉の響きに少し怯えていた。
「だって人間も性交するくせに。ポケモンには抑制剤を使用して、ポケモンの生理を歪めてるじゃないか。」
「君には理性がないのかい? 本能や感情だけじゃないだろう。君はかなり理性的を装った感情的な人間なんだろうけど。」
「え? なんだい僕は君にお説教されているのか? 君と歳はあまり変わらないのに。というか君のほうが年下だろ。」
そんな勘違いはトウヤにとって想定内もいいところだった。自分の見た目は確かにNより幼いのかもしれないが、あらゆることがそれが間違いだと証明してくれる。
「N。君はいくつだい?」
「確か、十八。」
「はっ。」
トウヤは大人気取りの未成年の発言を笑い飛ばす。
「生憎だが僕はね、君より十二は年上なんだよ。それに最近まで結婚もしてた。もう失効されてるけど、この保険証が証拠だよ。」
トウヤが突きつけたカードにNは目を丸くした。トウヤは保険証とトウヤを見比べるNに溜息をついた。
「僕は君より大人だし、ちゃんと家庭も持ってて規制された枠内でセックスをしてきた。今までね。人間は確かに他人から薬で性欲をコントロールされてないのかもしれない。だけどね。人間はね、薬を使わずにあらゆる決まり事と理性を使ってで性欲をコントロールしなきゃいけない生き物なんだよ。薬とどっちが強制的なのかは横に置いておくとして、それなりに人間もきつい制限は受けているんだ。」
「う、うん……」
わかってくれたんだなとトウヤは肩を竦めた。
「で、君はどれだけの女の子を相手してきたんだい? そしてなんのためかな?」
Nは違うと大声で叫んだ。
「お、女の子とは交渉はしてない。僕が交渉したのは男ばっかりだった。」
「男ばっかり誘ってたわけだね。なんか経済的に困っていることでもあったのかい。だけどそういうのは金輪際やめるべきだよ。」
「お金なんて取ってないよ。」
「そうかい。それなら良かった。君は十八だからもう相手が捕まる歳じゃないけど。君は全く危なっかしいな。ホントに。」
トウヤは明らかに苛立ってカリカリしている。Nには規制内のセックスをしていたと言っていたが、トウヤは結婚してから本当にベルとはセックスレスだったし、あの田舎町の風俗店に入ろうものならある意味井戸端会議の話のネタになってしまう。よっぽど遠方の出張に単独で行かない限り、トウヤはセックスとはほぼ無縁の生活を送っていた。
「N。これ以上大人を呆れさせないでくれ。」
過去の禁欲的な十年間の鬱憤も相まって、トウヤはNに少しきつく言った。Nはトウヤの言い様に完全にしょぼくれてしまっている。ただでさえハイライトの存在しない目が暗くなる。
「だけどマスターベーションじゃあんまり気持ちよくないんだ。だからセックスしようとして男と交渉してみたんだけど、うまくいかないんだ。」
「君はどういう基準で男を選んでるんだ。」
Nの口調からしてセックスが上手くいかないというのは、どうやら行為を重ねても快感を得られないことではなく、セックスという目的そのものが完遂出来ていないような響きがある。互いにセックス目当てで近づいたのに上手くいかない理由がトウヤには分からない。
「トモダチに優しい男がいると、そういう人に惹かれちゃうんだ。それで僕から声をかけて了承を得るわけなんだけど。僕に挿入行為をする前にちょっと話をするだろ。その時に僕が失望して怒ってしまって結局セックスそのものが台無しになったのが一人目。あとポケモンが好きすぎて奥さんとのセックスがうまくいかなくなって離婚したっていう話を聞かされて、勿論僕とも上手くいかなかったのが二人目。あと、ポケモンの世話が忙しすぎて疲れからEDになっちゃったのが三人目。それから――。」
「わかったよ! 君に男を見る目がないんだろっ。ポケモン基準に男選ぶんだからそうなるわけだろ。二人目で気づけよ。」
「ごめんなさい……。」
たった一言のあの夜の回想から思いついた質問が、とんでもないNのブラックボックスを開けてしまったようだ。トウヤは頭がくらくらしていた。
「つまり君はセックス自体はしたことないってことだね。まあ不幸中の幸いだよ。」
「よくないよ。僕は気持ちいいセックスをしたいんだ。」
「君の男のタイプってアレだよね。ポケモンに優しい一択だよね。」
トウヤは考え込む。ある意味ではNは被害者かもしれない。しかしかなり加害者の側面が強い被害者だ。手当たり次第ポケモンに優しい男たちが、この青年の言葉に踊らされて要らない恥を掻くのは忍びない。絶対この先もNは失敗し続けると踏んだトウヤは、自分でも禁断だと思う決断をした。
「N。僕はポケモンに優しい男かな?」
「ミジュマルを選んだ動機以外は、優しいと思う。トモダチも保証してくれた。」
トウヤはNに手を伸ばす。触れたとき少し震えたNの指先の緊張した振動に目を瞑った。
「一度ちゃんとしたセックスすれば気が済むって言うなら、僕が相手になってもいい。ただし僕には君じゃない好きな子がいて、僕はその子に操を立てているし、君もこれから先きっとちゃんと好きな人が出来ると思う。だから互いに回数には入れずに、一回だけ。」
Nは戸惑っていた。自分がはた迷惑な奴だという自覚さえなかった人間だとトウヤに知られたのに、トウヤはそのはた迷惑を請け負おうとしてくれている。それは有難いことだけど、素直に首を縦に振れない。
「だって僕はチェレンとは、全然見た目からして似てないし。トウヤに僕は酷いこと言ったし、呆れられるようなことしてきたわけだし。」
トウヤはNを引き寄せて耳元で囁いた。
「セックスしたくて気が狂いそうになる気持ちは僕にも経験があるからね。それで君は相手を選ぶのがとことん下手くそで、今まで他人に迷惑をかけてきたんだろ。聞かされたからには、それを見過ごせないだけだよ。」
「大丈夫なの。僕で。」
トウヤはまだ日が高いうちなのに、Nを再び引っ張って町に入っていく。
「まず薬局に行って買わなくちゃいけないものがある。」
「それって……。あの、避妊具とかそんな感じのもの?」
「使用目的は違うけど、それもある。」
「そ、そうなんだ。」
性交の為の準備を整えなければという四角四面なトウヤの態度に、Nは性欲に浮かされた頭とは裏腹に少し怖気づいた。
「君は初めてだからね。そのままじゃたぶん挿入無理。」
「え、え?」
「痛い思いしたくないよね。気持ちよくなりたいんだよね。」
今までの失敗談とは違う展開にNは大事になったと慌ててしまう。
「そ、そういうところには……そういうの置いてあった気がするんだけど。」
「新品を買ったほうが確実だし、基本ああいうところは男女で来ることを想定しているから、男同士だと足りないくらいなんだ。」
「あ。そういう……。そうなんだ。」
トウヤはNに待っててと店の前で手を翳してNを止めた。
Nは買い物中のご主人を待つリードで繋がれたヨーテリーの横で待つことにした。モンスターボールではないとはいえ、リードで繋がれたヨーテリーもなんとなく拘束されているように見えて痛々しい気分になる。
「君。首輪されて繋がれてつらくない?」
Nはヨーテリーに話しかけた。ヨーテリーはきょとんとしていた。
「いや。ごめん。ネガティブなこと訊いて。君はすごく幸せそうに見えるよ。」
Nはぎこちないながらも笑顔を作った。
「ご主人はちゃんと買い物して帰ってくるから。そうなんだ。」
ちゃんと帰ってきてくれると分かっているから辛くない。Nはそういう気持ちをヨーテリーと共有出来るのかと首を捻る。そして手持ちぶさたから、もとは結婚していたというトウヤの過去をなんとなく想像してみた。
「駄目だ。やっぱり想像出来ない。」
普通の家庭で育っていないNには、夫婦という概念すらない。ただ男女が番って生活している感覚だ。知識で言えばある種の契約だというのは理解している。契約を無効にするのに離婚という新たな契約をするのも知っている。だけどNがすれ違ってきた二人組の男女を見ても、そういう契約の縛られた堅苦しさは全く感じなかった。
自分とは異質だがなんだか、羨ましく思えるようなこそばゆさを感じた。そして自分を説教してきたトウヤのことを思い返す。まるで知識だけで詰め込んできた父親のイメージそのものだった。そして自分はあのとき、確かに叱られている子どもだった。
「あれ? でも、子どもにセックスしようなんていう父親いるのかな? それこそトウヤの言う規制された枠を超えてるよね。ゲーチスだって僕にセックスしようなんて一度も言ってこなかったし。じゃあ、トウヤにとって僕は何のつもりであんなこと言ったんだろ?」
Nはまた分からなくなる。そして素直にトウヤについてきた自分も。
「ごめん。遅くなった。」
物思いに耽っているとトウヤは店から出てきた。隣にいたヨーテリーはもうとっくにいなくなっていた。結構時間が経っていたのだとNは気づく。
「店員の説明を聞いていたから遅くなったんだ。ごめんね。」
「トウヤ。普通そういうものはさっと指差してさっと買ってさっと店から出るもんなんじゃない?」
トウヤはむっとしたようにNにぐちぐち言い始める。
「ほんとにこの子はそういうことばかりは分かったような口を利くんだから。」
「僕だって感覚的に分かるものは分かるよ。」
「君の為に最善を尽くそうとする僕に、そういう言いぐさはないと思うよ。」
「……ごめんなさい……」
「君の為にこの店で恥ずかしい思いをしてきた僕にいうべき言葉とはそぐうようで、少し違うよ。」
「な、なんて言えば……」
「せめて、ありがとうだろ。あとお疲れ様とか。」
それもなんか違うと思いながらも、この瀟洒な男が薬局で店員の説明を長々と質問を交えながら聞いていた事実を労うのに、この男が要求してきたのなら、その言葉こそが順当だとも思える。たぶん他に客もいただろうから、本当に恥ずかしい思いもしたんだろう。根が真面目な男だというのはトモダチから多く聞かされているから、その真面目さを精一杯自分に傾けてくれたのは分かる。
だからNはトウヤに伝える。
「お疲れ様。ありがとう。」
Nはトウヤに要求された通りにしか言葉を言えなかったが、その二言には全てを注ぎ込んだ。
「じゃあ、行こうか。」
「うん。」
これからの目的とは裏腹にNはとても温かいものを胸にトウヤの後ろについて行く。
「トウヤはやけに男同士の性行為について詳しいし慎重だけど」
「だけど、なんだい?」
Nは言おうか言うまいか迷ったが口に自然と出てしまった。
「それって、チェレンのため?」
「本当の予定ならそうなってたね。」
トウヤは自分の目の前にある空を見上げて、Nを振り向かない。
「だからってチェレンを気にして、あらゆる意味で困った君になんとかしてやらないのも何か違うんじゃないか?」
その理屈はよく分からない。Nはまた質問を重ねる。
「だったら、僕の知ってる君ならもっと上手いこと別の方法を使って誤魔化せたと思う。そもそも君自身が僕と性交渉しなくても、君がこれだという人を紹介してくれるっていう手もあったと思う。」
「さっきのチェレンへの慮りもそうだけど、君は頭が回りすぎるのが欠点なんだ。だから男とも上手くいかない。だからそれをちゃんと理解している僕が最適なんだ。他の人を紹介して、その人に君がどういう人物かを説明しても、君はきっと僕が紹介した相手だとしても上手くいかない。」
「上手く、いかない……」
なんだか悲しいことを言われたような気がする。だけど何人も失敗してきたのだ。たぶん相手よりもN自身の過失が大きいことも今のNには少し理解出来ていた。
「だけど君が僕と上手くいくの?」
「さあ?」
本当に真面目なのか不真面目なのかわからない。トウヤの足が向いたところには、Nの言うそんな目的のための建物が見えてきた。
草原の中を一人の十八歳の女子が歩く。髪はポニーテールに結い上げ帽子を被り、服装も近頃の女子らしく露出度が高く活発そうだ。
しかし彼女ことトウコは一歩前に進むたび地面を食い入るように見ていた。
「ちいさなきのこ、みっけ。」
彼女はほくほくとそれを袋に入れる。傍で歩いていたエンブオーは彼女の頭をぽんぽんと叩いた。彼女はかれこれ二時間くらいこうして地面を見て換金出来そうなものを探しているので、そろそろ休憩を入れたらどうかと提案しているようだ。
「えー? きんのたままだ見つかってないよ。きんのたま見つけないと心もとないし。ごめん。もう少しきんのたま探させて……あうっ。」
年頃の娘がきんのたまを連呼するのを見かねてエンブオーは無理矢理にトウコを木陰に連れて行く。エンブオーはトウコを座らせてモモンのみをトウコに押し付けた。
「食べろって? 勿体ないってば。毒消しにも使えるのに。」
エンブオーは首を横に振り、トウコの口にきのみを押し付ける。ポケモン馬鹿の癖にトレーナーとして食っていけるほど強くもない自分のトレーナーは、かつかつの財布を見ては食事を疎かにする。それなのにポケモンの分のごはんはきっちりしようとするもんだから、始末におけない。
トウコの年齢と実力を鑑みれば、世間ではそろそろトレーナーの辞め時である。もう七年以上もトレーナーをしているのに目立った功績を上げられていないからだ。それに女の子なら結婚している人間もちらほら見え始めてる。
エンブオーもなんだかんだとポケモンの身で考えるのだが、なんだかんだでこうやって駄目トレーナーについて行っている。
「エンブオー。エンブオーさえいればハチクさんには勝てるよね。」
「ブオ。」
そう。本当なら勝てるはずなんだ。それでも負けてしまうのがトウコなんだとエンブオーは言えなかった。
旅に出た最初、トウコはどんな子どもより期待された女の子だった。町一番の才媛だと言われ、ポカブだったころのエンブオーはいいトレーナーに巡り合えて良かったねと研究所の大人に笑顔で言われた。
しかしトウコはポケモンに熱中し入れ込むことで、才媛だった自分をあっというまにやめてしまった。ただの馬鹿になってしまった。なぜ勝てないのかをエンブオーが理解したのは、ライブキャスターごしにトウコをサポートし、ポカブに向かってトウコ指して言っていた大人の「サイエン」という言葉を漢字の「才媛」と理解し、意味を悟ったと同時だった。
才媛だったトウコのことをポカブだったエンブオーは最初、怖いと思った記憶がある。それがいつしか怖くなくなっていき呆れるようになった理由は、単なる慣れだと思っていた。だけど実はトウコが自ら才媛の自分をやめたということに気付いたのはつい最近だ。人間の言葉を使えるなら、どうして才媛をやめたのか、是非問うてみたい。
たぶん、才媛だったころのトウコに戻れたなら、きっとバトルだって勝てる。お金にも困らないし、お腹を空かせてこんな地面を這いずりまわるような生活を送らなくて済む。
今の生活でエンブオーが辛いのではない。トウコが一番辛いだろうからだ。
もしポカブだったエンブオーが才媛だったトウコを怖がっていたことを知ってトウコが才媛をやめてしまったのなら、エンブオーはとにかく謝りたい。だから無理して嫌われないためだけに馬鹿を続けなくてもいいんだよと伝えたい。みんなから褒め称えられた彼女に戻って欲しいわけじゃない。馬鹿を一生懸命続ける彼女といるのはなんだかんだで楽しい。だけどそのきっかけが拙かったころの自分のせいなら痛々しくて耐えられない。
エンブオーはそれを伝えようと鳴き声を連呼するのだが、トウコはにこにこと笑いながら「お腹すいたー」とまた地面を食い入るようにきんのたまを探すのだった。
エンブオーはポケモンの神様に祈るような気持だった。この状況をなんとか変えて下さいと。
「あれ。トウコちゃん。」
ふいに声を掛けられてトウコは硬直する。自分の素性を知っている人間が今目の前に現れた。それはトウコにとって色々と都合が悪く複雑だった。
「だ、誰かな?」
「トウコちゃん。従兄のお嫁さんをわすれちゃ駄目でしょ。」
「従兄のお嫁さんって、ひょっとしてベルちゃん?」
トウコの目の前にエンブオーが知らない人間が知り合いとして立っている。エンブオーも思わず近づいて人間の真似事みたいにお辞儀をした。
「あら。立派なエンブオー。すごいわトウコちゃん。こんな立派なエンブオー、そうそう他にはいないんじゃない? かなり大きいし、初対面の人間に自分から挨拶するくらいに賢いし。顔もハンサムさんだわ。」
「え? え? そうかな。それほどでも、あるけど。」
満更ではないトウコはトレーナーにあるまじきポケモンの前でのデレ顔を晒した。
「それはそうとトウコちゃん。」
「いやそれはそうとと言えば、ベルちゃん。なんでこんなとこに?」
ベルはじゃーんと言ってポケモン図鑑をトウコに見せびらかした。
「え? なんで? どうして?」
トウコにとっては晴天の霹靂だった。従兄の嫁と言えば自分にとっては親戚である。その親戚筋の女にこんな旅の彼方で出会うとは思わなかったし、まさかその親戚のかなりの年上の女がポケモン図鑑を携えて旅をしている途中だなんてさらに思えなかった。
「トウコちゃん。私、トウヤと離婚して旅に出ることになったの。」
「えー! あんな優秀で将来有望なサラリーマンのトウヤ兄と離婚しちゃったの! もったいない!」
昔は自分も優秀で将来有望じゃなかったのかとエンブオーはトウコにつっこみたい。
「いやトウヤもサラリーマンやめてトレーナーになってるから。」
「トウヤ兄が!」
ドロップアウトが定番なのかこの一族はとエンブオーは感慨深かった。ベルは続ける。
「それでね、さっき言いかけたことなんだけどね。旅に出るとき、トウコちゃんのお父さんやお母さんや他の家族や親戚の人たちが、トウヤの家に一斉に押しかけてね、連絡の取れないトウコちゃんを見つけ出して実家に一旦連れ戻してって頼みにきたんだよ。で、トウヤはそれを了承したわけ。」
「私のライブキャスター……。電池切れして久しいから。」
「そうだね。だけど年単位はやりすぎだよ。」
「お、お金がなくて。」
ベルはカノコタウンにもうっすらと聞こえてきたトウコのトレーナーとしての評判は本当だったのかと肩を竦めた。
「トウコちゃん。やっぱり家に帰るべきじゃない? 私も言える立場じゃないだろうけど、実家には一旦帰ろうよ。トウヤにも迷惑かけちゃわないうちにさ。」
トウコはごそごそと靴ひもを結び直し、荷物を手繰り寄せてエンブオーの手を引っ張る。
「こら、逃げない!」
ベルはトウコにタックルしてトウコを転ばせた。
「いやあ! 逃がしてえ! 見逃してえ!」
「私が連れて帰るわけじゃないから。実家に閉じ込められるのが嫌だって気持ちは私にも分かるから。」
トウコはとりあえずじたばたするのはやめた。
「私、ほんとにポケモンが好きだから。そりゃあ、へぼで目が出ない万年駄目トレーナーだってことは分かってるけど、でもそれでもポケモンが好きだから!」
涙目で語るトウコに、そんなんだから家族がこぞってトウヤに連れ戻せって頼みに来るんだろうと、ベルは呆れ果てていた。
「うん。だけどね、連れ戻さなかったらね、トウヤがねえ、まあいっか。トウヤね、もし私が先に出会って連れ戻せなかったらの為にね、準備してくれたものがあるんだよ。」
「トウヤ兄が?」
「トウヤがポケモンバトルで稼いだものなんだけどね。」
ベルがはいとバッグから出した巾着袋をトウコに渡す。トウコはものすごい勢いで結び目を解いて中を見た。
「な、なにこれっ。トウヤ兄こんなに稼いだわけ! すごい。すごいよ。」
「連れ戻せなかったからって、トウコちゃんの当座の生活をどうにかしなくていいわけでもないでしょ。」
「お金、お金ぇ。エンブオーぉ。良かったよお。」
持つべきものは記憶に薄い従兄殿だった。それにしてもとトウコは自分の親指の爪を噛み始める。
「トウヤ兄。トレーナー始めてまだ日数単位だよね。こんなに稼いでるなんてどんだけ。」
「あっ。換金グッズには手を付けてないって言ってたよ。あとで、もしもの時ににって。」
「余裕があんじゃないの。くそう。エリートめえ。」
お前とは全然違うんじゃないかと、エンブオーは敢えてトウコをカノコの実家に連れ戻すのに協力しようかと迷う。
「当座のお金はそれでいいとして、お金にまた困ったらそれこそトウヤに会ったほうがいいよ。」
トウコは首をぷるぷると振る。
「だけどトウヤ兄は私を実家に連れ戻すつもりなんだよね?」
「そこはちゃんとトウヤと交渉しなさい。それともトウコちゃんは何か他にお金を入手出来るあてがあるの? ――まさか。」
ベルはやけに露出度の高いトウコの格好に最悪の事態を想像する。
「いや。ベルちゃん、怖い顔しないで。あのね、カノコのトウコはね、心は売っても身体は売らない主義なの。」
「心も売っちゃいけないよ、トウコちゃん。」
「はい……。」
流石年上の人間だとエンブオーはベルに感心する。あのポケモンの熱に浮かされたようなトウコが、ほんの少しの間だろうが常識的な世界に戻ってきた。
「とにかく、トウコちゃんからはトウヤのいる場所が分かるようにするから。ライブキャスター貸してよ。」
もう既に無抵抗になったトウコは大人しくライブキャスターをベルに渡した。ベルはトウコのために購入していた電池に入れ替え、トウヤのデータをトウコのライブキャスターに送信する。
「困ったときにはトウヤに連絡して落ち合うのよ。」
「はい……。」
じゃあねとベルは手を振ろうとしたがトウコがまた何か言いたげにしているので声を掛ける。
「わかってるわよ。当分の間はおうちの人にはトウコちゃんに会ったことは言わないから。」
「ありがとうございます!」
今度こそじゃあねと言ってベルは次の町に向かった。残されたトウコは人の情けをしみじみと噛みしめてずっと巾着袋を握っていた。
「エンブオー。」
「ブオっ。」
「わざマシン買いに行こうか!」
やめろと叫ばんばかりにエンブオーはトウコの後ろ頭を思い切り殴った。今買うべきは次のバトルに備えての装備だし、トウコ自身の食事もだし、何が悲しくて渡された金のほとんどを一個で使い切るようなわざマシンを買わねばならぬのかと。ポケモンにさえわかるような理屈を何故この元才媛の馬鹿はわからないのかと、エンブオーは改めて頭が痛くなった。そのしかめた顔を見てトウコはエンブオーそれ頭痛?エスパータイプの技を覚えたのねとわけのわからんはしゃぎかたをしていた。
だからこの女は駄目なんだとエンブオーは、自分もろともトウコと実家に帰ることも視野に入れるのだった。
* * *
ホテルの部屋に入ってからトウヤはきょろきょろと辺りを見回し、挙句の果てには部屋の中を見て回り始めた。
「よし。」
「何が良しなんだい?」
「変なカメラやマイクが無いかなって確認してたわけ。」
「そんなもの普通ないだろ。」
「あー。君はそういう特殊な趣味の人たちを知らないから。」
そんなことをさも常識と言わんばかりに言っているが、どう考えても考えすぎだし変な筋からの情報を鵜呑みにしているなとNは思った。これがサラリーマンというニンゲンなのかと、それでも興味深かった。今までNが関わってきたトレーナーという人種はここまで用心深いやつはいなかった。
Nはトウヤが一通り納得いくまで確認している間は、ベッドに腰掛けて大人しく待っている。ちらっと薬局の紙袋を見てまた自然と顔が引き攣ってきて、自分でも変な笑みが浮かんでいるとわかった。
「中身確認する勇気はないな……」
どうせトウヤに何もかも任せればいいんだろうと、Nは今までにないくらいに楽観視している。最初会って最悪と叫んでしまった時にはそんなふうに思えなかったのに。安心している信用しているとはNはさらさら思っていない。なんとなく大丈夫うまくいくという楽観があった。
「ねえ、トウヤ。」
十以上も歳が上と知ってもこんな呼び方でいいのかと、言葉を発すると同時に躊躇した。
「なんだい。」
しかしトウヤはNからの呼ばれ方なんて気にしていない様子だった。ならこれからもこれでいいかなとNはまた楽観してしまう。
これからのことをどう切り出していいかわからないNは、苦し紛れに薬局の紙袋を手に取ってトウヤに差出す。
「あー。」
トウヤはNから紙袋を受け取ったが、中身を見るでもなくまたベッドの横に置き直した。
「その中のもの、使うんじゃないの?」
「いや。その前にまずキスくらいはするだろ。」
「そうだった。そういう手順はあった。」
知ったかぶりっこしていたがNは、誘ってきた男達とキスすらしたことはなかった。Nに釣られた男は常にまず身体に触るのが当たり前だったから。うまくいかなかった理由がそれこそである。だけどNはまだそれを理解出来ない。成功体験がないからだ。
「N。知らないことは知らないって言ってよ。」
見破られた。Nはぎこちなく自分の唇に触れた。
「キス、したことない。だけど知識はある。」
トウヤはそういうふうにきちんと正直に言いなさいと言いたげに二回ほど頷いた。
「じゃあ。今からするから。」
Nはトウヤがどう出るかトウヤの顔を凝視する。
「興味深々だな。だけどこういう時は目を瞑るのが礼儀だよ。」
そうは言われても視覚を手放すのがNにはあと一歩のところで耐えられなかった。
「きょ、今日はいいだろ。慣れるまで目を開けてても。」
「N。今言っとくけど僕は正直、君が慣れるまで歩幅を合わせてやれるか自信がない。それでも待ってくれなんて君は言うのかい?」
Nは黙っている。これから起こることへの好奇心の前では妥協が出来ないのかと、トウヤは今度は目で問いかけてくる。Nというのは相手が年上でも明らかに自分が未熟でも、譲らないのは性格か、それともこれからする行為の特性故なのか。
「ちょっと待って。」
Nは一回目を瞑ってすぐに開いた。そして目をまた瞑る。トウヤが顔を近づけた気配を悟ったのか、また目を開いてしまった。目を閉じているトウヤの顔が眼前に迫っている。
『驚いて叫ばなくて良かった。』
Nが目を閉じてくれたからトウヤも目を閉じてくれたのに、Nが目を開けたことを悟られてしまったとしたら、また怒られるとNは思った。Nは再び目を閉じる。
トウヤの柔らかい唇がNの唇に触れてくる。
『うわっ。』
叫びたいのに口を塞がれているので叫べない。感覚が触覚に全て持っていかれて自分の体に触れてくる全てに関心がいってしまう。是非とも目を開けて確認してしまいたいが、トウヤはそれをマナー違反と言っていたので我慢していた。
しばらくするとトウヤの唇が薄く開かれたのが分かった。
『え?』
トウヤの舌先がNの唇をこじ開けようとしているように思える。こじ開けようとしていると思っているのはNなのだが、その解釈が正しいかどうか判別がつかないNは、自分の解釈に従ってトウヤを真似するように自分の口を開いてみる。
唇にトウヤの歯が当たる。上唇を少し噛まれたのでNは首を後ろに逸らしてしまった。
「か、噛むのっ。」
「落ち着いてよN。ただの甘噛みじゃないか。」
トウヤがくすくすと笑う。トウヤは目を閉じて再びNの唇に触れようとした。
「ぼ、僕もう目を開けてるからね。何されるの分からないと怖いから。」
「最初を我慢してくれたんだから別にいいけど。」
大丈夫? その呟きにNは釈然としない。
「唇くっつけあうだけがキスじゃないんだよ。」
そう言ってトウヤはNの口の横や下に唇を押しつけてさっきのように軽く歯を当てたり吸ったりしていた。Nにはそれがこそばゆい。上唇も下唇も丹念に吸われて甘噛みされていく。そういうことをやっているトウヤの平然とした目を瞑った顔を至近距離で見つめざるえないNは、目を瞑らないと言った割には目の前の光景から目を背けたくなっている。
いきなりトウヤがNの少し開いた唇にぴったりと唇を当て、Nの口の中に舌を差し込んできた。舌先がNの舌に絡まって背中が震える。ニンゲンの舌だと分かっているのに、なんだかわけのわからない生き物が侵入してきたような気分だった。
まってと言いたいが言葉を発しようとしたら、自分の舌もトウヤの舌も噛み切りかねない。
気持ちいいのとは明らかに違うだろうというあまりにも変な感覚。どう考えても気持ち悪いというほうが正しいように思える。それなのにトウヤは執拗に口の中に舌を差し込んではNの舌に絡んでくる。そんな質量にNの口腔のキャパシティが限界になって息苦しい。なんとか逃れようとトウヤの身体を両手で押すが、トウヤはNに掛けた手を離してくれない上にさっきまでより強くNを抱きしめてくる。
「ちょっ…トウヤ!」
トウヤの口から気づかぬ間に唸り声のような息が漏れている。
「息、苦しいの?」
トウヤはひたすらその言葉に首を横に振った。普段のトウヤならジェスチャーではなく言葉が先に出るはずなのに。それに息苦しくないのに息が荒いというのも変だ。
『ひょっとして、トウヤは興奮しているのかも。』
やっとNは気が付いた。
ポケモンが発情すると大変だとのたまっていた男がいた。今自分を捕まえているのは発情したニンゲン。ならば自分が見てきたニンゲンたちの発情具合とは、とんだままごとの発情ごっこにすら思えてくる。
「いやっ。ちょっとまって。トウヤほんとに怖い!」
今まで自分を窘めていた人間が、いきなりケダモノのような本性を現した。あの発情したポケモンを見て困ったと言っていた男は、こんなになったポケモンの姿を見たというのか。なら今のNにはその話を笑って頷きながら同情しながら聞いてあげることができる。あなたも大変なあいましたね。と言いながら。
トウヤは相変わらずふーふーと息を漏らしている。
「ご、ごめん。N。なんか…僕余裕なくなって……」
「トウヤ。落ち着こう。さあ、深呼吸して。」
どれほど言葉を交わせるニンゲンというのが有難いか、Nは強く実感する。
「無理。」
少し正気になってくれたと思っていたが、トウヤは今度はNの服をむしり取るように脱がせ始めた。
「ごめん。なんか思ったより興奮してるよ僕。」
「わかってるならどうにかしてよ。」
「ごめん。どうにもならない。」
言葉は交わせても無意味だった。
「と、とにかくっ。痛くないようにはどうにかするから、君も協力してくれ。」
しないわけにはいかないだろうとNも流石は理解できる。もともとは自分が蒔いた種なのだ。その結果がこのトウヤなのだ。
それにしてもさっきまでとの落差が激しすぎる。この元サラリーマンは経験豊富だから、自分に対してあんなふうに穏やかにだけど厳しく窘めていたのではないのか。これでは十二年下の自分よりさらにがっついた性欲とは言えないか。三十なんだからもう少し枯れろとは言わない。だけどもう少しなんとかならないのか。
Nはせめて、興奮しきって恐ろしいことになっているトウヤから目を背けるために目を瞑った。荒い息遣いは聞こえてくるけれど、見えないことがどれだけ心安らかにさせてくれるのかを、Nはこの瞬間知った。
ズボンを毟り取られたところでトウヤが足開いてと要求してきた。Nは恐る恐る足を開くとキャップの蓋を開ける音が聞こえて、次に冷たい液体の感触が局部に触れた。
「つめたっ。ぬるぬるする。」
「あ。ごめん。これローションだから別に変なもんじゃないから。」
ごめんごめんと謝っている割には本当に誠意を感じない。ローションは冷たいがそれを塗り広げるようなトウヤの手は熱い。トウヤは焦っているわりには出来る限り丁寧にNの受け入れ口にローションを塗りたくり、その滑りを借りて指を侵入させてきた。
「大丈夫だろ? 大丈夫だよな?」
お前が大丈夫なのかと逆にNは問いたい。具合を確かめているのだろうが、自分の体に起きていることより、相手の精神状態が気にかかってひたすら翻弄される。
今まで感じなかった男の体臭が鼻を掠める。鼻をつくというわけではないが、今この男に起こっている現象を主張しているようだった。体温が上がって盛んに呼吸を繰り返して、いろんな感覚が敏感になっているのだろう。
これが発情したオス。今まで見てきた男はあくまで人間の男性だった。ニンゲンのオスには今までNは出会っていたつもりになっていただけだと宣告されたようなものだった。
紙の箱が破かれるような音がする。
「……。」
Nが薄目を開けるとトウヤが怒張した性器に避妊具を被せている最中だった。Nと目が合うとトウヤは苦笑いを浮かべている。
「君はまだ未成年だけど体格がいいからね……たぶん大丈夫だよ。…そんなに挿入に無理はないと思うんだ。」
そんなことないとNは首を振る。だけど途端に泣き笑いのような顔をしてくるものだから拒めない。
「ゆっくりするから。それに出来るだけ優しくするから。」
Nの口元が動く。どう言葉にしていいか分からないが、これだけは伝えてやらないと、この大人があまりにも可哀そうな存在に成り果ててしまう。
「う、うん。」
Nの肯定の言葉を聞いたあと、トウヤはもう少し足開いてとNにとって残酷で恥ずかしい言葉を吐いた。Nはトウヤに言われる通りに限界まで足を開いてトウヤの出方を待つ。
トウヤは再びNのアナルに指を押し当てもう一度確認するかのように挿入している。そしてぐるぐると抉るようにかき回してきた。
「痛くないよね?」
「痛くないよ。恥ずかしいけど。」
「恥ずかしい?」
「恥ずかしいのが可愛いって言ってきた人がいたけど。」
「そうだね。可愛いよ。」
トウヤは目の前のNという対象物を嬉しそうに見ていた。
「いくよ。」
開かれた片足に手が添えて、Nの局部にトウヤは押し入った。
「あっ……」
異物感にNは声を漏らす。
「力抜いて。」
「息吐けばいいのかな……」
「楽になれる方法ならなんでもいいから。」
無責任なことを言ってくれるものだが、思ったより本来そんなことに使用する箇所ではない癖に、逆からの侵入は想像していたよりも死にそうなほどではなかった。
「上手だよ。N。」
Nはなんだかその言葉に反発したくなった。
「君だって、……男の……中に入れるなんて初めてだろ。その割にはスムーズなんじゃないか?」
「憎まれ口叩かなきゃもっといいよ。……というか、男は初めてってバレちゃったな。」
「バレないと思ってたのかい?」
Nは自分自身でも信じられないくらいにトウヤに狎れた口を利いていた。初めての相手なのに、何度もしてきたような雰囲気になっている。
でも行為自体は本当に驚かされることばかりだった。マスターベーションの時に手で与える刺激は、セックスでは腰を使って相手の体の中に自身を使って与える刺激になる。そして入れられた方もそうやって擦られるのが気持ちいい。日常の生活では得られない感覚を二人だから共有できる。排泄行為にしか使っていなかった場所が、こんなふうに感じる場所だとは思わなかった。
確かに今回のことは気持ちいいと手放しで言えるものじゃない。だが確かに言えることは、今回はNにとって失敗ではなかったということだった。
今回からサブタイトルをつけてみました。登場人物はそれなりに増えるつもりです。
ポケモントレーナーの初心者の大部分が最初に挑戦するジムのある街。
トウヤの手元にはボールが三つ。一つはミジュマル。一つはチョロネコ。もう一つはバオップだった。
バオップは夢の跡地の近くにいた親切というかお節介焼きの女性から、押し付けられるように譲られたポケモンだった。
今はポケモンたちをボールから出して公園で遊ばせていた。見るからにミジュマルとバオップはすぐ仲良しになった。水と炎で相性が悪いはずなのに、トウヤの胸がほっこりするほどほのぼのと遊んでいる。チョロネコはひなたぼっこをしながら欠伸をしていた。とんだぐーたらだった。
「どうしようかな。」
トウヤにとって今のところのパーティの予定では、単悪のチョロネコと同じく、炎ポケモンを入れるつもりもなかった。ミジュマルにしろチョロネコにしろ、打撃系の技に弱いポケモンの組み合わせになった上、バオップもたいして耐久力には期待できそうにない。しかしミジュマルが物理系の攻撃を次々に覚えてくれたのでパーティの攻撃力は申し分ない。なのにチョロネコはいつまでたっても如何せん、はっきり言えば使えない。性格が災いしているのか大器晩成なのか、即戦力になっていないのが現状だった。
トウヤの頭を悩ますのはこの町のジムの特異な性質もあった。最初に選んだポケモンの苦手タイプを使う三つ子のうちの一人が対戦相手になるのだ。だからミジュマルの攻撃力の高い技でごり押すのも難しいと予想出来る。控えのポケモンが頼りになるのが一番だが、チョロネコは期待できない。ならば新しく入ったバオップを当てにするしかない。
「まあいいか。」
大人特有の割りきりでトウヤは考えを打ち切った。そして三匹に声をかける。
「お前たち今から特訓だよ。とにかく相手のジムのポケモンよりレベルが高ければ高いほど、力押しで勝てると思うんだ。」
ポケモン達はワンマン上司から厳しいノルマを押し付けられた新人会社員のような動揺はしていたが、ある意味覚悟を決めた顔でトウヤを見上げた。
「大丈夫だよ。君たちならやれる。ねえ、チョロネコ。」
チョロネコはうんうんと頷いている。でもそれはただの形だけなのはトウヤもわかっている。伊達に会社員時代に毎年現れる新人社員を見てきたわけじゃない。時々いるのだ。どうしてこいつが面接で受かったんだというタイプの人間が。
しかし今回はトウヤが自分の私情で彼女を採用したのだから仕方ない。とにかくパーティのレベルを上げ、彼女にはそれに倣ってついてきて貰わなければならない。しかし大変なのは彼女ではない。お荷物な後輩や先輩を持つ、ミジュマルやバオップなのだ。
だがここを凌げれば鍛え癖や勝負強さが身について弾みになるはずだ。上級のポケモンに引っ張られたならダメネコだって、並みにはなるはずだ。トウヤの元企業の九割くらいの使えない子達も一年以内には形にはなった。あとの駄目なままの一割は彼女ではないはずだ。
「ミジュマル。君はチームのリーダーだからね。頑張ろうね。バオップ、ミジュマルとチョロネコを助けてあげようね。」
子どものやる気を引き出す。自分はどんな保父さんかと呆れてしまうが、やる気を出した子どもを見るのは気分がいい。ただやはりチョロネコは本心から頑張ろうとは思っていないんだろうなと伝わってくる。とりあえず、ミジュマル達が彼女がやる気のないことを悟って失望しないようにフォローするしかない。
「……」
はあとトウヤは溜息をつく。
案の定先頭にチョロネコをセットして野性のポケモンに特訓をしてみたが、彼女はすぐに戦闘不能になってしまい、それを引き継いだミジュマルとバオップのレベルは着々と上がっていった。
仕方がないのでミジュマルとバオップで削った野性のポケモンをチョロネコに倒させ、なんとか経験値の体裁を整えた。それでも有効な技をチョロネコは覚えなかった。本当に旅をかなり進めてからやっと使えるようになるのかなと、希望と絶望が混じりあった気持ちになった。
Nに最悪呼ばわりされたトウヤだったが、ポケモンに対する義務感から現れる愛情は人一倍だった。義務と言えば言葉は悪いが、自分が出来る限りのことをしてやろうという意志は誰よりも強固だ。しかも感情的になることなく、自分の苛立ちやストレスの原因をけしてポケモンに転嫁して八つ当たりしない。これも自分に課したトウヤの信念だった。
「うん。きっとチェレンも同じ苦労をしてるよね。だって彼のパーティにもチョロネコはいるから。」
中を開けてみれば、そんな立派な義務感も好きな子に対する同化願望から発生する信念だった。それこそがトウヤの人格の唯一残念なところだった。
優秀でありながらスイーツ。冷徹でありながらドリーマー。瀟洒でありながらデレデレ。
もしかしたらチョロネコのぐーたらは、彼のそんな残念な人格を見破っているからかもしれない。
とにかく努力することも工夫することもたいして苦にならないし、それに使役する労力も少なくて済むのが、この童顔の三十代の強みだった。チョロネコごときお荷物はトウヤにとっては屁でもなかった。
そこでトウヤは自分を見つめる誰かの視線に気づいた。ポケモン達を速やかに呼び寄せボールに避難させる。
「あー。やっぱり。しっかり監視されてるんだな。」
これから展開される物語が終ったあとに自らの存在を著しく消していたNだったが、今物語が動いている内は、その存在をトウヤにしっかり主張していたのであった。Nが直接姿を見せなくても、そこいらの野性のポケモンの目はすなわちNの目の代わりになっている。全部のポケモンの目がそうだとは言わないが、三匹に一匹はNからのスパイと考えたほうが変に疑心暗鬼にならずに済む。
「本当に律儀というか真面目というか。」
「それ誰のこと?」
後ろから声を掛けられる。スパイを寄越しているくせにわざわざNはトウヤに近づいてくるのだ。トウヤは仕方なさそうに振り向くとそこにはお昼の高く上った太陽を逆光にしてシルエットのようになった姿のNが憮然と立っていた。頭のところに太陽があるせいで王冠を戴いているような風情さえある。トウヤはその感覚を錯覚だと一人で決めつけた。
Nはすっと腰を屈めると現実的な姿になってトウヤの真ん前で視線を合わせてきた。
「トモダチが教えてくれたから。ちょっと顔を見に来た。」
ぶっきらぼうというか、半ば刺々しい口調でNは告げる。
「へえ。君からの差し金じゃないんだ。」
皮肉気に言うとNは言い返してくる。
「嫌いな奴を見張ってくれなんて、大事なトモダチに頼むことじゃないだろ。考えてみなくてもわかるだろ。」
「でも君の考えを察して君に僕のことを教えてくれるトモダチはいるわけなんだよね。それで君はトモダチの好意を無下に出来ずにわざわざ嫌いな奴に会いに来てくれたんだ。」
Nはトウヤの言葉に噛みついてくると思いきや、俯いて別にと呟く。
「彼らから悪い話は聞かなかったから。それと、あのとき僕が君に最悪だって言ったこと、よく考えれば言い過ぎだったと思う。いや、君の動機が不純で釈然としないっていうのは変わらないけど、でもあまりにも君とチェレンの個人的な関係に入れ込み過ぎていたようにも思う。君とチェレンの関係にも納得してないけど。だけど」
「いいんだよ。自分でもあんまり内容的に綺麗じゃなくて、君のような初対面の相手にずけずけ話すようなことじゃないとは少し反省したよ。」
しかし普通なら呆れはしても聞き流す程度の話だったとトウヤは思っている。もし少ない可能性でキレられたとしても、そこから二度と顔を見ないという選択肢を取られてしまうのが普通じゃないだろうか。だがNはポケモン達からの情報を整理して再びトウヤまで辿りついて、今こうして早口で、でもでもだってを織り交ぜながらも不器用に謝ってきた。ここは大人としては上手い具合に切り上げるのが定石だった。
「それはそうと、あのとき君はなんで夜にふらふらと歩いていたわけ?」
「え?」
Nはふいを突かれたように顔を上げてトウヤの問いへの回答に迷っていた。トウヤの悪い癖だった。切り上げなければならない場面で、またどつぼに嵌りそうなことを言ってしまう。無意識的ではなく意識的に。
「え、えっと……」
「あら。そんなに言いにくいことだったかな。」
Nという青年は嘘をつけないどころか誤魔化すことすら出来ないようだ。そして物凄く言いにくそうにしていたが、あの時の行動の理由をトウヤに告げた。
「僕と、一つ部屋に泊まって性交してくれる相手を探してたんだ。」
二人の間にしばしの沈黙が流れた。
「N。ちょっとそこで腰を据えて話そうか。」
トウヤはNを手招きしながら服を引っ張って近くの木陰に座らせた。大人としての教育的指導モードにトウヤは入る。
「うん。君が変な嘘をつかなくて良かったとは思っている。だけど正直に言ってくれたとしても、はいそうですかって納得できることじゃないからね。」
「えー。でもポケモンだって発情すれば交尾するだろ?」
「ポケモンと人間は違います。」
「一緒だよ。」
「違います!」
Nは納得できないように眉間に皺を寄せている。それでもトウヤの言葉の響きに少し怯えていた。
「だって人間も性交するくせに。ポケモンには抑制剤を使用して、ポケモンの生理を歪めてるじゃないか。」
「君には理性がないのかい? 本能や感情だけじゃないだろう。君はかなり理性的を装った感情的な人間なんだろうけど。」
「え? なんだい僕は君にお説教されているのか? 君と歳はあまり変わらないのに。というか君のほうが年下だろ。」
そんな勘違いはトウヤにとって想定内もいいところだった。自分の見た目は確かにNより幼いのかもしれないが、あらゆることがそれが間違いだと証明してくれる。
「N。君はいくつだい?」
「確か、十八。」
「はっ。」
トウヤは大人気取りの未成年の発言を笑い飛ばす。
「生憎だが僕はね、君より十二は年上なんだよ。それに最近まで結婚もしてた。もう失効されてるけど、この保険証が証拠だよ。」
トウヤが突きつけたカードにNは目を丸くした。トウヤは保険証とトウヤを見比べるNに溜息をついた。
「僕は君より大人だし、ちゃんと家庭も持ってて規制された枠内でセックスをしてきた。今までね。人間は確かに他人から薬で性欲をコントロールされてないのかもしれない。だけどね。人間はね、薬を使わずにあらゆる決まり事と理性を使ってで性欲をコントロールしなきゃいけない生き物なんだよ。薬とどっちが強制的なのかは横に置いておくとして、それなりに人間もきつい制限は受けているんだ。」
「う、うん……」
わかってくれたんだなとトウヤは肩を竦めた。
「で、君はどれだけの女の子を相手してきたんだい? そしてなんのためかな?」
Nは違うと大声で叫んだ。
「お、女の子とは交渉はしてない。僕が交渉したのは男ばっかりだった。」
「男ばっかり誘ってたわけだね。なんか経済的に困っていることでもあったのかい。だけどそういうのは金輪際やめるべきだよ。」
「お金なんて取ってないよ。」
「そうかい。それなら良かった。君は十八だからもう相手が捕まる歳じゃないけど。君は全く危なっかしいな。ホントに。」
トウヤは明らかに苛立ってカリカリしている。Nには規制内のセックスをしていたと言っていたが、トウヤは結婚してから本当にベルとはセックスレスだったし、あの田舎町の風俗店に入ろうものならある意味井戸端会議の話のネタになってしまう。よっぽど遠方の出張に単独で行かない限り、トウヤはセックスとはほぼ無縁の生活を送っていた。
「N。これ以上大人を呆れさせないでくれ。」
過去の禁欲的な十年間の鬱憤も相まって、トウヤはNに少しきつく言った。Nはトウヤの言い様に完全にしょぼくれてしまっている。ただでさえハイライトの存在しない目が暗くなる。
「だけどマスターベーションじゃあんまり気持ちよくないんだ。だからセックスしようとして男と交渉してみたんだけど、うまくいかないんだ。」
「君はどういう基準で男を選んでるんだ。」
Nの口調からしてセックスが上手くいかないというのは、どうやら行為を重ねても快感を得られないことではなく、セックスという目的そのものが完遂出来ていないような響きがある。互いにセックス目当てで近づいたのに上手くいかない理由がトウヤには分からない。
「トモダチに優しい男がいると、そういう人に惹かれちゃうんだ。それで僕から声をかけて了承を得るわけなんだけど。僕に挿入行為をする前にちょっと話をするだろ。その時に僕が失望して怒ってしまって結局セックスそのものが台無しになったのが一人目。あとポケモンが好きすぎて奥さんとのセックスがうまくいかなくなって離婚したっていう話を聞かされて、勿論僕とも上手くいかなかったのが二人目。あと、ポケモンの世話が忙しすぎて疲れからEDになっちゃったのが三人目。それから――。」
「わかったよ! 君に男を見る目がないんだろっ。ポケモン基準に男選ぶんだからそうなるわけだろ。二人目で気づけよ。」
「ごめんなさい……。」
たった一言のあの夜の回想から思いついた質問が、とんでもないNのブラックボックスを開けてしまったようだ。トウヤは頭がくらくらしていた。
「つまり君はセックス自体はしたことないってことだね。まあ不幸中の幸いだよ。」
「よくないよ。僕は気持ちいいセックスをしたいんだ。」
「君の男のタイプってアレだよね。ポケモンに優しい一択だよね。」
トウヤは考え込む。ある意味ではNは被害者かもしれない。しかしかなり加害者の側面が強い被害者だ。手当たり次第ポケモンに優しい男たちが、この青年の言葉に踊らされて要らない恥を掻くのは忍びない。絶対この先もNは失敗し続けると踏んだトウヤは、自分でも禁断だと思う決断をした。
「N。僕はポケモンに優しい男かな?」
「ミジュマルを選んだ動機以外は、優しいと思う。トモダチも保証してくれた。」
トウヤはNに手を伸ばす。触れたとき少し震えたNの指先の緊張した振動に目を瞑った。
「一度ちゃんとしたセックスすれば気が済むって言うなら、僕が相手になってもいい。ただし僕には君じゃない好きな子がいて、僕はその子に操を立てているし、君もこれから先きっとちゃんと好きな人が出来ると思う。だから互いに回数には入れずに、一回だけ。」
Nは戸惑っていた。自分がはた迷惑な奴だという自覚さえなかった人間だとトウヤに知られたのに、トウヤはそのはた迷惑を請け負おうとしてくれている。それは有難いことだけど、素直に首を縦に振れない。
「だって僕はチェレンとは、全然見た目からして似てないし。トウヤに僕は酷いこと言ったし、呆れられるようなことしてきたわけだし。」
トウヤはNを引き寄せて耳元で囁いた。
「セックスしたくて気が狂いそうになる気持ちは僕にも経験があるからね。それで君は相手を選ぶのがとことん下手くそで、今まで他人に迷惑をかけてきたんだろ。聞かされたからには、それを見過ごせないだけだよ。」
「大丈夫なの。僕で。」
トウヤはまだ日が高いうちなのに、Nを再び引っ張って町に入っていく。
「まず薬局に行って買わなくちゃいけないものがある。」
「それって……。あの、避妊具とかそんな感じのもの?」
「使用目的は違うけど、それもある。」
「そ、そうなんだ。」
性交の為の準備を整えなければという四角四面なトウヤの態度に、Nは性欲に浮かされた頭とは裏腹に少し怖気づいた。
「君は初めてだからね。そのままじゃたぶん挿入無理。」
「え、え?」
「痛い思いしたくないよね。気持ちよくなりたいんだよね。」
今までの失敗談とは違う展開にNは大事になったと慌ててしまう。
「そ、そういうところには……そういうの置いてあった気がするんだけど。」
「新品を買ったほうが確実だし、基本ああいうところは男女で来ることを想定しているから、男同士だと足りないくらいなんだ。」
「あ。そういう……。そうなんだ。」
トウヤはNに待っててと店の前で手を翳してNを止めた。
Nは買い物中のご主人を待つリードで繋がれたヨーテリーの横で待つことにした。モンスターボールではないとはいえ、リードで繋がれたヨーテリーもなんとなく拘束されているように見えて痛々しい気分になる。
「君。首輪されて繋がれてつらくない?」
Nはヨーテリーに話しかけた。ヨーテリーはきょとんとしていた。
「いや。ごめん。ネガティブなこと訊いて。君はすごく幸せそうに見えるよ。」
Nはぎこちないながらも笑顔を作った。
「ご主人はちゃんと買い物して帰ってくるから。そうなんだ。」
ちゃんと帰ってきてくれると分かっているから辛くない。Nはそういう気持ちをヨーテリーと共有出来るのかと首を捻る。そして手持ちぶさたから、もとは結婚していたというトウヤの過去をなんとなく想像してみた。
「駄目だ。やっぱり想像出来ない。」
普通の家庭で育っていないNには、夫婦という概念すらない。ただ男女が番って生活している感覚だ。知識で言えばある種の契約だというのは理解している。契約を無効にするのに離婚という新たな契約をするのも知っている。だけどNがすれ違ってきた二人組の男女を見ても、そういう契約の縛られた堅苦しさは全く感じなかった。
自分とは異質だがなんだか、羨ましく思えるようなこそばゆさを感じた。そして自分を説教してきたトウヤのことを思い返す。まるで知識だけで詰め込んできた父親のイメージそのものだった。そして自分はあのとき、確かに叱られている子どもだった。
「あれ? でも、子どもにセックスしようなんていう父親いるのかな? それこそトウヤの言う規制された枠を超えてるよね。ゲーチスだって僕にセックスしようなんて一度も言ってこなかったし。じゃあ、トウヤにとって僕は何のつもりであんなこと言ったんだろ?」
Nはまた分からなくなる。そして素直にトウヤについてきた自分も。
「ごめん。遅くなった。」
物思いに耽っているとトウヤは店から出てきた。隣にいたヨーテリーはもうとっくにいなくなっていた。結構時間が経っていたのだとNは気づく。
「店員の説明を聞いていたから遅くなったんだ。ごめんね。」
「トウヤ。普通そういうものはさっと指差してさっと買ってさっと店から出るもんなんじゃない?」
トウヤはむっとしたようにNにぐちぐち言い始める。
「ほんとにこの子はそういうことばかりは分かったような口を利くんだから。」
「僕だって感覚的に分かるものは分かるよ。」
「君の為に最善を尽くそうとする僕に、そういう言いぐさはないと思うよ。」
「……ごめんなさい……」
「君の為にこの店で恥ずかしい思いをしてきた僕にいうべき言葉とはそぐうようで、少し違うよ。」
「な、なんて言えば……」
「せめて、ありがとうだろ。あとお疲れ様とか。」
それもなんか違うと思いながらも、この瀟洒な男が薬局で店員の説明を長々と質問を交えながら聞いていた事実を労うのに、この男が要求してきたのなら、その言葉こそが順当だとも思える。たぶん他に客もいただろうから、本当に恥ずかしい思いもしたんだろう。根が真面目な男だというのはトモダチから多く聞かされているから、その真面目さを精一杯自分に傾けてくれたのは分かる。
だからNはトウヤに伝える。
「お疲れ様。ありがとう。」
Nはトウヤに要求された通りにしか言葉を言えなかったが、その二言には全てを注ぎ込んだ。
「じゃあ、行こうか。」
「うん。」
これからの目的とは裏腹にNはとても温かいものを胸にトウヤの後ろについて行く。
「トウヤはやけに男同士の性行為について詳しいし慎重だけど」
「だけど、なんだい?」
Nは言おうか言うまいか迷ったが口に自然と出てしまった。
「それって、チェレンのため?」
「本当の予定ならそうなってたね。」
トウヤは自分の目の前にある空を見上げて、Nを振り向かない。
「だからってチェレンを気にして、あらゆる意味で困った君になんとかしてやらないのも何か違うんじゃないか?」
その理屈はよく分からない。Nはまた質問を重ねる。
「だったら、僕の知ってる君ならもっと上手いこと別の方法を使って誤魔化せたと思う。そもそも君自身が僕と性交渉しなくても、君がこれだという人を紹介してくれるっていう手もあったと思う。」
「さっきのチェレンへの慮りもそうだけど、君は頭が回りすぎるのが欠点なんだ。だから男とも上手くいかない。だからそれをちゃんと理解している僕が最適なんだ。他の人を紹介して、その人に君がどういう人物かを説明しても、君はきっと僕が紹介した相手だとしても上手くいかない。」
「上手く、いかない……」
なんだか悲しいことを言われたような気がする。だけど何人も失敗してきたのだ。たぶん相手よりもN自身の過失が大きいことも今のNには少し理解出来ていた。
「だけど君が僕と上手くいくの?」
「さあ?」
本当に真面目なのか不真面目なのかわからない。トウヤの足が向いたところには、Nの言うそんな目的のための建物が見えてきた。
- * *
草原の中を一人の十八歳の女子が歩く。髪はポニーテールに結い上げ帽子を被り、服装も近頃の女子らしく露出度が高く活発そうだ。
しかし彼女ことトウコは一歩前に進むたび地面を食い入るように見ていた。
「ちいさなきのこ、みっけ。」
彼女はほくほくとそれを袋に入れる。傍で歩いていたエンブオーは彼女の頭をぽんぽんと叩いた。彼女はかれこれ二時間くらいこうして地面を見て換金出来そうなものを探しているので、そろそろ休憩を入れたらどうかと提案しているようだ。
「えー? きんのたままだ見つかってないよ。きんのたま見つけないと心もとないし。ごめん。もう少しきんのたま探させて……あうっ。」
年頃の娘がきんのたまを連呼するのを見かねてエンブオーは無理矢理にトウコを木陰に連れて行く。エンブオーはトウコを座らせてモモンのみをトウコに押し付けた。
「食べろって? 勿体ないってば。毒消しにも使えるのに。」
エンブオーは首を横に振り、トウコの口にきのみを押し付ける。ポケモン馬鹿の癖にトレーナーとして食っていけるほど強くもない自分のトレーナーは、かつかつの財布を見ては食事を疎かにする。それなのにポケモンの分のごはんはきっちりしようとするもんだから、始末におけない。
トウコの年齢と実力を鑑みれば、世間ではそろそろトレーナーの辞め時である。もう七年以上もトレーナーをしているのに目立った功績を上げられていないからだ。それに女の子なら結婚している人間もちらほら見え始めてる。
エンブオーもなんだかんだとポケモンの身で考えるのだが、なんだかんだでこうやって駄目トレーナーについて行っている。
「エンブオー。エンブオーさえいればハチクさんには勝てるよね。」
「ブオ。」
そう。本当なら勝てるはずなんだ。それでも負けてしまうのがトウコなんだとエンブオーは言えなかった。
旅に出た最初、トウコはどんな子どもより期待された女の子だった。町一番の才媛だと言われ、ポカブだったころのエンブオーはいいトレーナーに巡り合えて良かったねと研究所の大人に笑顔で言われた。
しかしトウコはポケモンに熱中し入れ込むことで、才媛だった自分をあっというまにやめてしまった。ただの馬鹿になってしまった。なぜ勝てないのかをエンブオーが理解したのは、ライブキャスターごしにトウコをサポートし、ポカブに向かってトウコ指して言っていた大人の「サイエン」という言葉を漢字の「才媛」と理解し、意味を悟ったと同時だった。
才媛だったトウコのことをポカブだったエンブオーは最初、怖いと思った記憶がある。それがいつしか怖くなくなっていき呆れるようになった理由は、単なる慣れだと思っていた。だけど実はトウコが自ら才媛の自分をやめたということに気付いたのはつい最近だ。人間の言葉を使えるなら、どうして才媛をやめたのか、是非問うてみたい。
たぶん、才媛だったころのトウコに戻れたなら、きっとバトルだって勝てる。お金にも困らないし、お腹を空かせてこんな地面を這いずりまわるような生活を送らなくて済む。
今の生活でエンブオーが辛いのではない。トウコが一番辛いだろうからだ。
もしポカブだったエンブオーが才媛だったトウコを怖がっていたことを知ってトウコが才媛をやめてしまったのなら、エンブオーはとにかく謝りたい。だから無理して嫌われないためだけに馬鹿を続けなくてもいいんだよと伝えたい。みんなから褒め称えられた彼女に戻って欲しいわけじゃない。馬鹿を一生懸命続ける彼女といるのはなんだかんだで楽しい。だけどそのきっかけが拙かったころの自分のせいなら痛々しくて耐えられない。
エンブオーはそれを伝えようと鳴き声を連呼するのだが、トウコはにこにこと笑いながら「お腹すいたー」とまた地面を食い入るようにきんのたまを探すのだった。
エンブオーはポケモンの神様に祈るような気持だった。この状況をなんとか変えて下さいと。
「あれ。トウコちゃん。」
ふいに声を掛けられてトウコは硬直する。自分の素性を知っている人間が今目の前に現れた。それはトウコにとって色々と都合が悪く複雑だった。
「だ、誰かな?」
「トウコちゃん。従兄のお嫁さんをわすれちゃ駄目でしょ。」
「従兄のお嫁さんって、ひょっとしてベルちゃん?」
トウコの目の前にエンブオーが知らない人間が知り合いとして立っている。エンブオーも思わず近づいて人間の真似事みたいにお辞儀をした。
「あら。立派なエンブオー。すごいわトウコちゃん。こんな立派なエンブオー、そうそう他にはいないんじゃない? かなり大きいし、初対面の人間に自分から挨拶するくらいに賢いし。顔もハンサムさんだわ。」
「え? え? そうかな。それほどでも、あるけど。」
満更ではないトウコはトレーナーにあるまじきポケモンの前でのデレ顔を晒した。
「それはそうとトウコちゃん。」
「いやそれはそうとと言えば、ベルちゃん。なんでこんなとこに?」
ベルはじゃーんと言ってポケモン図鑑をトウコに見せびらかした。
「え? なんで? どうして?」
トウコにとっては晴天の霹靂だった。従兄の嫁と言えば自分にとっては親戚である。その親戚筋の女にこんな旅の彼方で出会うとは思わなかったし、まさかその親戚のかなりの年上の女がポケモン図鑑を携えて旅をしている途中だなんてさらに思えなかった。
「トウコちゃん。私、トウヤと離婚して旅に出ることになったの。」
「えー! あんな優秀で将来有望なサラリーマンのトウヤ兄と離婚しちゃったの! もったいない!」
昔は自分も優秀で将来有望じゃなかったのかとエンブオーはトウコにつっこみたい。
「いやトウヤもサラリーマンやめてトレーナーになってるから。」
「トウヤ兄が!」
ドロップアウトが定番なのかこの一族はとエンブオーは感慨深かった。ベルは続ける。
「それでね、さっき言いかけたことなんだけどね。旅に出るとき、トウコちゃんのお父さんやお母さんや他の家族や親戚の人たちが、トウヤの家に一斉に押しかけてね、連絡の取れないトウコちゃんを見つけ出して実家に一旦連れ戻してって頼みにきたんだよ。で、トウヤはそれを了承したわけ。」
「私のライブキャスター……。電池切れして久しいから。」
「そうだね。だけど年単位はやりすぎだよ。」
「お、お金がなくて。」
ベルはカノコタウンにもうっすらと聞こえてきたトウコのトレーナーとしての評判は本当だったのかと肩を竦めた。
「トウコちゃん。やっぱり家に帰るべきじゃない? 私も言える立場じゃないだろうけど、実家には一旦帰ろうよ。トウヤにも迷惑かけちゃわないうちにさ。」
トウコはごそごそと靴ひもを結び直し、荷物を手繰り寄せてエンブオーの手を引っ張る。
「こら、逃げない!」
ベルはトウコにタックルしてトウコを転ばせた。
「いやあ! 逃がしてえ! 見逃してえ!」
「私が連れて帰るわけじゃないから。実家に閉じ込められるのが嫌だって気持ちは私にも分かるから。」
トウコはとりあえずじたばたするのはやめた。
「私、ほんとにポケモンが好きだから。そりゃあ、へぼで目が出ない万年駄目トレーナーだってことは分かってるけど、でもそれでもポケモンが好きだから!」
涙目で語るトウコに、そんなんだから家族がこぞってトウヤに連れ戻せって頼みに来るんだろうと、ベルは呆れ果てていた。
「うん。だけどね、連れ戻さなかったらね、トウヤがねえ、まあいっか。トウヤね、もし私が先に出会って連れ戻せなかったらの為にね、準備してくれたものがあるんだよ。」
「トウヤ兄が?」
「トウヤがポケモンバトルで稼いだものなんだけどね。」
ベルがはいとバッグから出した巾着袋をトウコに渡す。トウコはものすごい勢いで結び目を解いて中を見た。
「な、なにこれっ。トウヤ兄こんなに稼いだわけ! すごい。すごいよ。」
「連れ戻せなかったからって、トウコちゃんの当座の生活をどうにかしなくていいわけでもないでしょ。」
「お金、お金ぇ。エンブオーぉ。良かったよお。」
持つべきものは記憶に薄い従兄殿だった。それにしてもとトウコは自分の親指の爪を噛み始める。
「トウヤ兄。トレーナー始めてまだ日数単位だよね。こんなに稼いでるなんてどんだけ。」
「あっ。換金グッズには手を付けてないって言ってたよ。あとで、もしもの時ににって。」
「余裕があんじゃないの。くそう。エリートめえ。」
お前とは全然違うんじゃないかと、エンブオーは敢えてトウコをカノコの実家に連れ戻すのに協力しようかと迷う。
「当座のお金はそれでいいとして、お金にまた困ったらそれこそトウヤに会ったほうがいいよ。」
トウコは首をぷるぷると振る。
「だけどトウヤ兄は私を実家に連れ戻すつもりなんだよね?」
「そこはちゃんとトウヤと交渉しなさい。それともトウコちゃんは何か他にお金を入手出来るあてがあるの? ――まさか。」
ベルはやけに露出度の高いトウコの格好に最悪の事態を想像する。
「いや。ベルちゃん、怖い顔しないで。あのね、カノコのトウコはね、心は売っても身体は売らない主義なの。」
「心も売っちゃいけないよ、トウコちゃん。」
「はい……。」
流石年上の人間だとエンブオーはベルに感心する。あのポケモンの熱に浮かされたようなトウコが、ほんの少しの間だろうが常識的な世界に戻ってきた。
「とにかく、トウコちゃんからはトウヤのいる場所が分かるようにするから。ライブキャスター貸してよ。」
もう既に無抵抗になったトウコは大人しくライブキャスターをベルに渡した。ベルはトウコのために購入していた電池に入れ替え、トウヤのデータをトウコのライブキャスターに送信する。
「困ったときにはトウヤに連絡して落ち合うのよ。」
「はい……。」
じゃあねとベルは手を振ろうとしたがトウコがまた何か言いたげにしているので声を掛ける。
「わかってるわよ。当分の間はおうちの人にはトウコちゃんに会ったことは言わないから。」
「ありがとうございます!」
今度こそじゃあねと言ってベルは次の町に向かった。残されたトウコは人の情けをしみじみと噛みしめてずっと巾着袋を握っていた。
「エンブオー。」
「ブオっ。」
「わざマシン買いに行こうか!」
やめろと叫ばんばかりにエンブオーはトウコの後ろ頭を思い切り殴った。今買うべきは次のバトルに備えての装備だし、トウコ自身の食事もだし、何が悲しくて渡された金のほとんどを一個で使い切るようなわざマシンを買わねばならぬのかと。ポケモンにさえわかるような理屈を何故この元才媛の馬鹿はわからないのかと、エンブオーは改めて頭が痛くなった。そのしかめた顔を見てトウコはエンブオーそれ頭痛?エスパータイプの技を覚えたのねとわけのわからんはしゃぎかたをしていた。
だからこの女は駄目なんだとエンブオーは、自分もろともトウコと実家に帰ることも視野に入れるのだった。
* * *
ホテルの部屋に入ってからトウヤはきょろきょろと辺りを見回し、挙句の果てには部屋の中を見て回り始めた。
「よし。」
「何が良しなんだい?」
「変なカメラやマイクが無いかなって確認してたわけ。」
「そんなもの普通ないだろ。」
「あー。君はそういう特殊な趣味の人たちを知らないから。」
そんなことをさも常識と言わんばかりに言っているが、どう考えても考えすぎだし変な筋からの情報を鵜呑みにしているなとNは思った。これがサラリーマンというニンゲンなのかと、それでも興味深かった。今までNが関わってきたトレーナーという人種はここまで用心深いやつはいなかった。
Nはトウヤが一通り納得いくまで確認している間は、ベッドに腰掛けて大人しく待っている。ちらっと薬局の紙袋を見てまた自然と顔が引き攣ってきて、自分でも変な笑みが浮かんでいるとわかった。
「中身確認する勇気はないな……」
どうせトウヤに何もかも任せればいいんだろうと、Nは今までにないくらいに楽観視している。最初会って最悪と叫んでしまった時にはそんなふうに思えなかったのに。安心している信用しているとはNはさらさら思っていない。なんとなく大丈夫うまくいくという楽観があった。
「ねえ、トウヤ。」
十以上も歳が上と知ってもこんな呼び方でいいのかと、言葉を発すると同時に躊躇した。
「なんだい。」
しかしトウヤはNからの呼ばれ方なんて気にしていない様子だった。ならこれからもこれでいいかなとNはまた楽観してしまう。
これからのことをどう切り出していいかわからないNは、苦し紛れに薬局の紙袋を手に取ってトウヤに差出す。
「あー。」
トウヤはNから紙袋を受け取ったが、中身を見るでもなくまたベッドの横に置き直した。
「その中のもの、使うんじゃないの?」
「いや。その前にまずキスくらいはするだろ。」
「そうだった。そういう手順はあった。」
知ったかぶりっこしていたがNは、誘ってきた男達とキスすらしたことはなかった。Nに釣られた男は常にまず身体に触るのが当たり前だったから。うまくいかなかった理由がそれこそである。だけどNはまだそれを理解出来ない。成功体験がないからだ。
「N。知らないことは知らないって言ってよ。」
見破られた。Nはぎこちなく自分の唇に触れた。
「キス、したことない。だけど知識はある。」
トウヤはそういうふうにきちんと正直に言いなさいと言いたげに二回ほど頷いた。
「じゃあ。今からするから。」
Nはトウヤがどう出るかトウヤの顔を凝視する。
「興味深々だな。だけどこういう時は目を瞑るのが礼儀だよ。」
そうは言われても視覚を手放すのがNにはあと一歩のところで耐えられなかった。
「きょ、今日はいいだろ。慣れるまで目を開けてても。」
「N。今言っとくけど僕は正直、君が慣れるまで歩幅を合わせてやれるか自信がない。それでも待ってくれなんて君は言うのかい?」
Nは黙っている。これから起こることへの好奇心の前では妥協が出来ないのかと、トウヤは今度は目で問いかけてくる。Nというのは相手が年上でも明らかに自分が未熟でも、譲らないのは性格か、それともこれからする行為の特性故なのか。
「ちょっと待って。」
Nは一回目を瞑ってすぐに開いた。そして目をまた瞑る。トウヤが顔を近づけた気配を悟ったのか、また目を開いてしまった。目を閉じているトウヤの顔が眼前に迫っている。
『驚いて叫ばなくて良かった。』
Nが目を閉じてくれたからトウヤも目を閉じてくれたのに、Nが目を開けたことを悟られてしまったとしたら、また怒られるとNは思った。Nは再び目を閉じる。
トウヤの柔らかい唇がNの唇に触れてくる。
『うわっ。』
叫びたいのに口を塞がれているので叫べない。感覚が触覚に全て持っていかれて自分の体に触れてくる全てに関心がいってしまう。是非とも目を開けて確認してしまいたいが、トウヤはそれをマナー違反と言っていたので我慢していた。
しばらくするとトウヤの唇が薄く開かれたのが分かった。
『え?』
トウヤの舌先がNの唇をこじ開けようとしているように思える。こじ開けようとしていると思っているのはNなのだが、その解釈が正しいかどうか判別がつかないNは、自分の解釈に従ってトウヤを真似するように自分の口を開いてみる。
唇にトウヤの歯が当たる。上唇を少し噛まれたのでNは首を後ろに逸らしてしまった。
「か、噛むのっ。」
「落ち着いてよN。ただの甘噛みじゃないか。」
トウヤがくすくすと笑う。トウヤは目を閉じて再びNの唇に触れようとした。
「ぼ、僕もう目を開けてるからね。何されるの分からないと怖いから。」
「最初を我慢してくれたんだから別にいいけど。」
大丈夫? その呟きにNは釈然としない。
「唇くっつけあうだけがキスじゃないんだよ。」
そう言ってトウヤはNの口の横や下に唇を押しつけてさっきのように軽く歯を当てたり吸ったりしていた。Nにはそれがこそばゆい。上唇も下唇も丹念に吸われて甘噛みされていく。そういうことをやっているトウヤの平然とした目を瞑った顔を至近距離で見つめざるえないNは、目を瞑らないと言った割には目の前の光景から目を背けたくなっている。
いきなりトウヤがNの少し開いた唇にぴったりと唇を当て、Nの口の中に舌を差し込んできた。舌先がNの舌に絡まって背中が震える。ニンゲンの舌だと分かっているのに、なんだかわけのわからない生き物が侵入してきたような気分だった。
まってと言いたいが言葉を発しようとしたら、自分の舌もトウヤの舌も噛み切りかねない。
気持ちいいのとは明らかに違うだろうというあまりにも変な感覚。どう考えても気持ち悪いというほうが正しいように思える。それなのにトウヤは執拗に口の中に舌を差し込んではNの舌に絡んでくる。そんな質量にNの口腔のキャパシティが限界になって息苦しい。なんとか逃れようとトウヤの身体を両手で押すが、トウヤはNに掛けた手を離してくれない上にさっきまでより強くNを抱きしめてくる。
「ちょっ…トウヤ!」
トウヤの口から気づかぬ間に唸り声のような息が漏れている。
「息、苦しいの?」
トウヤはひたすらその言葉に首を横に振った。普段のトウヤならジェスチャーではなく言葉が先に出るはずなのに。それに息苦しくないのに息が荒いというのも変だ。
『ひょっとして、トウヤは興奮しているのかも。』
やっとNは気が付いた。
ポケモンが発情すると大変だとのたまっていた男がいた。今自分を捕まえているのは発情したニンゲン。ならば自分が見てきたニンゲンたちの発情具合とは、とんだままごとの発情ごっこにすら思えてくる。
「いやっ。ちょっとまって。トウヤほんとに怖い!」
今まで自分を窘めていた人間が、いきなりケダモノのような本性を現した。あの発情したポケモンを見て困ったと言っていた男は、こんなになったポケモンの姿を見たというのか。なら今のNにはその話を笑って頷きながら同情しながら聞いてあげることができる。あなたも大変なあいましたね。と言いながら。
トウヤは相変わらずふーふーと息を漏らしている。
「ご、ごめん。N。なんか…僕余裕なくなって……」
「トウヤ。落ち着こう。さあ、深呼吸して。」
どれほど言葉を交わせるニンゲンというのが有難いか、Nは強く実感する。
「無理。」
少し正気になってくれたと思っていたが、トウヤは今度はNの服をむしり取るように脱がせ始めた。
「ごめん。なんか思ったより興奮してるよ僕。」
「わかってるならどうにかしてよ。」
「ごめん。どうにもならない。」
言葉は交わせても無意味だった。
「と、とにかくっ。痛くないようにはどうにかするから、君も協力してくれ。」
しないわけにはいかないだろうとNも流石は理解できる。もともとは自分が蒔いた種なのだ。その結果がこのトウヤなのだ。
それにしてもさっきまでとの落差が激しすぎる。この元サラリーマンは経験豊富だから、自分に対してあんなふうに穏やかにだけど厳しく窘めていたのではないのか。これでは十二年下の自分よりさらにがっついた性欲とは言えないか。三十なんだからもう少し枯れろとは言わない。だけどもう少しなんとかならないのか。
Nはせめて、興奮しきって恐ろしいことになっているトウヤから目を背けるために目を瞑った。荒い息遣いは聞こえてくるけれど、見えないことがどれだけ心安らかにさせてくれるのかを、Nはこの瞬間知った。
ズボンを毟り取られたところでトウヤが足開いてと要求してきた。Nは恐る恐る足を開くとキャップの蓋を開ける音が聞こえて、次に冷たい液体の感触が局部に触れた。
「つめたっ。ぬるぬるする。」
「あ。ごめん。これローションだから別に変なもんじゃないから。」
ごめんごめんと謝っている割には本当に誠意を感じない。ローションは冷たいがそれを塗り広げるようなトウヤの手は熱い。トウヤは焦っているわりには出来る限り丁寧にNの受け入れ口にローションを塗りたくり、その滑りを借りて指を侵入させてきた。
「大丈夫だろ? 大丈夫だよな?」
お前が大丈夫なのかと逆にNは問いたい。具合を確かめているのだろうが、自分の体に起きていることより、相手の精神状態が気にかかってひたすら翻弄される。
今まで感じなかった男の体臭が鼻を掠める。鼻をつくというわけではないが、今この男に起こっている現象を主張しているようだった。体温が上がって盛んに呼吸を繰り返して、いろんな感覚が敏感になっているのだろう。
これが発情したオス。今まで見てきた男はあくまで人間の男性だった。ニンゲンのオスには今までNは出会っていたつもりになっていただけだと宣告されたようなものだった。
紙の箱が破かれるような音がする。
「……。」
Nが薄目を開けるとトウヤが怒張した性器に避妊具を被せている最中だった。Nと目が合うとトウヤは苦笑いを浮かべている。
「君はまだ未成年だけど体格がいいからね……たぶん大丈夫だよ。…そんなに挿入に無理はないと思うんだ。」
そんなことないとNは首を振る。だけど途端に泣き笑いのような顔をしてくるものだから拒めない。
「ゆっくりするから。それに出来るだけ優しくするから。」
Nの口元が動く。どう言葉にしていいか分からないが、これだけは伝えてやらないと、この大人があまりにも可哀そうな存在に成り果ててしまう。
「う、うん。」
Nの肯定の言葉を聞いたあと、トウヤはもう少し足開いてとNにとって残酷で恥ずかしい言葉を吐いた。Nはトウヤに言われる通りに限界まで足を開いてトウヤの出方を待つ。
トウヤは再びNのアナルに指を押し当てもう一度確認するかのように挿入している。そしてぐるぐると抉るようにかき回してきた。
「痛くないよね?」
「痛くないよ。恥ずかしいけど。」
「恥ずかしい?」
「恥ずかしいのが可愛いって言ってきた人がいたけど。」
「そうだね。可愛いよ。」
トウヤは目の前のNという対象物を嬉しそうに見ていた。
「いくよ。」
開かれた片足に手が添えて、Nの局部にトウヤは押し入った。
「あっ……」
異物感にNは声を漏らす。
「力抜いて。」
「息吐けばいいのかな……」
「楽になれる方法ならなんでもいいから。」
無責任なことを言ってくれるものだが、思ったより本来そんなことに使用する箇所ではない癖に、逆からの侵入は想像していたよりも死にそうなほどではなかった。
「上手だよ。N。」
Nはなんだかその言葉に反発したくなった。
「君だって、……男の……中に入れるなんて初めてだろ。その割にはスムーズなんじゃないか?」
「憎まれ口叩かなきゃもっといいよ。……というか、男は初めてってバレちゃったな。」
「バレないと思ってたのかい?」
Nは自分自身でも信じられないくらいにトウヤに狎れた口を利いていた。初めての相手なのに、何度もしてきたような雰囲気になっている。
でも行為自体は本当に驚かされることばかりだった。マスターベーションの時に手で与える刺激は、セックスでは腰を使って相手の体の中に自身を使って与える刺激になる。そして入れられた方もそうやって擦られるのが気持ちいい。日常の生活では得られない感覚を二人だから共有できる。排泄行為にしか使っていなかった場所が、こんなふうに感じる場所だとは思わなかった。
確かに今回のことは気持ちいいと手放しで言えるものじゃない。だが確かに言えることは、今回はNにとって失敗ではなかったということだった。
今回からサブタイトルをつけてみました。登場人物はそれなりに増えるつもりです。
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忍たまで「幸福雑音」というサークルで、大阪のイベントに出没しています。
絵描きの竹さんと字書きの柴の二人サークルです。
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