幸福雑音
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☆『完全鬼畜杜山しえみ』勝燐+女子(朴出)
数日が経った。
が、結局、出雲は何も行動出来なかった。自分が躊躇してしまうのは想定内だったが、それ以外の原因があった。
『杜山しえみ。あいつがいるから奥村燐に近づけないじゃないの。』
前の席でのほほんとしえみは燐と笑いあっている。同時に塾に来なくても、しえみが前の席を陣取っていると、後から来た燐が自動的に隣に座るのだ。
『あの二人の間に割り込めないことはないけど。絶対あの女は私がいつもと違う行動をとれば首突っ込んでくるわね。』
それも出雲の考えすぎだったが、なきにしもあらずな可能性だった。朴の顔が過ぎる。
『朴とのこれからの関係の為なら……。でも。』
強引にしえみの横から奥村燐を掻っ攫うか? いや待てと出雲は思う。
『杜山しえみを抱き込めれば。』
少し本来の形からずれてしまうが、マンツーマンより二対一のほうがやりやすいのは確かだ。
『杜山しえみの思考回路は読みにくいのよね。』
勝呂に対して策士を気取っていた割には出雲は弱気だった。
『ひきこもりの世間知らず。友達関係に餓えていたわよね。ということはそれを餌にすれば、ってええええ。私いっぺんあいつをパシリ扱いしたじゃない! いや。そのあとあいつは気にしてる様子ないし。大丈夫、よね。』
前回同様しえみの好意を利用しようとしているのだが、出雲は何故かふんぎりがついたように頷いた。
『朴。本当にもう少しだから。』
本当は朴はそこまで本気で、出雲にそれをやって欲しいとは思っていないことには気づいている。私のほうが朴のことを好きな気持ちが大きいから、朴に躍らせれているのは仕方ない。踊らされている身なりに本気になって、朴に見せ付けてやりたい。私はこんなことが出来るくらいに、あんたのことが好きなのよと。
* * *
「燐はよく勝呂君と残って勉強してるよね。」
「なんだ? お前は勉強はできるほうだろ。」
塾が終わって燐としえみは暢気に話をしている。
「こう言ったら悪いかもしれないけど、友達と勉強するのって楽しかったりする?」
燐は少し目を逸らして口ごもる。燐にとっては半分くらいは勉強というのは方便なところもあるからだ。
「あー……。楽しいっつうか。」
「うーん? じゃあさあ。私も居残り勉強してみようかな。」
「え?」
突然しえみが言い出したことに必要以上に燐は驚いた。しえみは家の庭の手入れがあるからと、塾が終われば早々に引き上げるのが常だったのに。しえみはそんな普段を忘れたかのように燐に告げる。
「家で一人だと集中できるけど少し寂しいんだ。だから燐も今日は一緒にしてくれるよね。ね? 燐?」
燐は視線を泳がせつつも「別にいいけど」と歯切れ悪く言う。平静は装っているが、やはり動揺は隠せないようだ。いくら燐自身に勝呂という存在がいても、女子からのそういう誘いは嬉しいらしい。そわそわしている燐を横目に、しえみは教室の後方んびいる出雲にちらっと笑いかけた。出雲はそれからそっぽを向く。
燐はそんな女子同士の目配せに気を配れないまましどろもどろに言ってみる。
「俺は勝呂に教えてもらってばかりだから。」
つまり教えるほうはからっきしだと、教える立場ではないと暗に断りを入れているばかりだった。そんなところでも見栄を張れないのが燐の素直だといえばカッコイイが、情けないところだった。
「いいんだよ。別に燐に教えてもらいたいわけじゃないから。ただ、一緒に勉強してみたいだけだもん。」
「あ。ああ……。そう。」
最初から期待されてないとはっきり言われてしまった。
「じゃあ勝呂も一緒に。あいつ教え方上手いから。先生役は流石に要るだろ。」
ふと燐と勝呂の目が合う。位置的に勝呂は向かい合って話しているしえみの真後ろにいるので、しえみから勝呂は見えない。自分の名前が聞こえた勝呂が二人の後ろに近づく。そして声をかける前にしえみが勝呂君は要らないと言った。
「いや。勝呂君は要らないよ。二人で勉強しよ。」
勝呂は立ち止まる。その肩が少し下がっているのが燐には見て取れた。そしてその肩を志摩が叩くのも見えた。
「ああ……。」
燐は勝呂らの背中を見送る。そして宝も山田も出て行った。こちらをちらりと窺った出雲も教室を去っていった。教室には燐としえみの二人きりが残った。
「……。勉強、始めよっか。」
「うん!」
しえみはいい声で返事をしたが、何故か席につく様子は無い。仕方が無いので燐は先に席につこうとしたが、それをしえみに止められた。
「燐。ちょっとまって。」
「なんだよ。」
「ちょっと私の前に立って後ろ向いてくれる?」
無垢な目でしえみは燐を見つめている。しかしその身振りは少しぎこちない。言葉のイントネーションというか、雰囲気がまるで、台本通り喋っているという感じだった。それにも違和感を覚えたが、燐にとってはトラウマになっている出来事に重なる。
「しえみ。なんで後ろ向かなきゃいけないんだ?」
「えーっとね。内緒にしなきゃいけないから、理由は話せないの。」
しえみの口からそれを聞くと、嫌でも一週間前のことを思い出してしまう。朴によるあの落花狼藉を。自分の尻を蹂躙したあの手の感触を。
『朴のことさえなけりゃ。しえみに背中を見せられるんだけどな。』
再度の女子による後ろ向いてが、燐にとっては戦々恐々もののトラウマだった。この状況は明らかにあの光景をなぞっている。
「なんにもしないよ。燐。」
「嘘だ!」
「私を、信じて。」
燐はしぶしぶ無邪気なしえみの眼差しに促されて後ろを向く。
しかし間髪入れずにすぐに振り向く。
「あっ。」
「ふはははは。やっぱり触ろうとしてるじゃねえか。なんだよその手。」
燐の尻の近くにしえみの白い手があった。思わず哄笑があふれ出る。
「ははは。なんだよ、お前ら。お前もかよ、しえみ。俺の尻を撫で回して。俺を辱めようってかよ。はははあっはああ。女なんて信用出来ねえ。」
「ひどいよ燐。フェイントなんて、お利口さんのやることだよ。」
「うるせえ! 女子の間で流行ってんのかよ! モテナイ男子を釣ってセクハラがよおおおおおお!」
燐は吠えた。あたかもモテナイ男子を代表するかのように。しかもしえみは悪気無しに馬鹿認定までしてきた。モテナイのも、馬鹿なのも、重々承知の自覚する以前の付き合いだ。しかししえみ含めた女子達は、追い討ちをかけるようにそんな哀れな男を嬲ってくる。精神を。あってないような尊厳を。自尊心を。
「ぜってえお前は、雪男相手にはしねえよな? こんなこと!」
「じゃあ、雪ちゃんにもやる! だからもう一回後ろ向いて!」
「そういう問題じゃねえんだよ!」
「駄目なんだよ、燐。」
「やるほうが駄目だろ。こんなこと!」
「そんなことないわ!」
何かの気配が後ろから迫る。出雲が燐の背後に立っていた。
「か、神木……。なんだよ。お前は、出て行ったんじゃないのかよ?」
燐は青ざめる。しえみばかりか、出雲までも燐の尻を狙っているのか。
「お前ら。どうして?」
「うっさい!」
出雲は嫉妬と憎しみを込めて燐の前に回って指を突き出す。
「この、泥棒猫!」
出雲の咆哮が教室に轟く。燐は思わず後ずさりその場から逃げ出そうとしたが、しえみがその手首を掴む。
『奥村はな、猫みたいなんや。』
いつか勝呂が語ったのろけ話だった。
「あんたみたいなねえ、ちょっと可愛いだけの男になんで朴が手を出すのよ! あんたなんかっ。」
再び出雲は背後に回る。そして間髪いれずにしえみが燐をえいっと押す。
「あ……ぎゃああああああああああああああ!」
いつかの叫びと同じ声。尊厳を踏みにじられた者の上げる悲鳴。
「このっ。このっ。このっ。」
触れるというよりは鷲摑み。
「ぎゃああ! ぎゃああああああ!」
出雲の頼みを引き受けて達成したしえみではあるが、その後はどうすればいいのか分からない。
「えーと……。うーんと……。神木さんが燐の尻を揉んでるから。私は、そうだ。燐の胸を揉んでみようかな。」
尻ばかりに気を取られている燐は、前方ががら空きだった。しえみはすんなりと燐の胸板を揉む。
「えいっ!」
「ひゃああああああっ!」
尻を胸を二人掛かりで揉まれる。しかも同年代の少女達に。これは天国か地獄か分からない。しかし色んなものが燐から零れ落ちていく。
「……やめて。頼む…っ。」
燐は膝から崩れ落ちる。それでも手は離れてくれない。
「私の朴にっ。この!」
「わーい。男の子の胸ってけっこう揉めるもんだね。」
正確には楽しんでいるのはしえみただ一人だった。
「燐。肩揉みって気持ちいいけど、胸を揉まれるの気持ちいい?」
「お前が揉まれてろ!」
女子相手に馬鹿力を出して怪我させるわけにもいかないので、燐はひたすら耐えながら床を息も絶え絶えにのたうちまわっていた。
「何やっとんやお前ら!」
ぜーぜーと息を吐きながら燐の悲鳴を聞きつけたらしい勝呂が教室に駆け込んできた。
「女二人で男をセクハラ! さいて……いやいや。なんかちゃうやろ! 今すぐやめえ!」
「駄目だよ。勝呂君。出雲ちゃんは今試練の最中なんだから。」
涼しい声が勝呂の耳を掠める。振り向くといつかと同じように朴がいた。
「私まだ鍵返してなかったんだよね。」
しれっと言ってのける笑顔の少女。勝呂は顔を引きつらせる。
「朴さん。試練って……。いや、あんたが神木や杜山さんをけしかけたなら、すごく話が分かりやすくなったわ。」
「えー? しえみちゃんのことまで私は関わってないよ。」
「でも結果的にはあんたが根本や。」
「私はだから止める気はない。出雲ちゃんは私への気持ちを証明する為に、恋敵とも言える奥村君に接触した。これだけでも試練は達成。しえみちゃんに援護を頼んじゃったけどね。だけど十分に合格範囲内だよ。」
「だったら、今すぐやめさせえ。」
「だから。私の気は済んだけど、出雲ちゃんが奥村君に対してまだアレでしょ? 私はそれについては出雲ちゃんに甘んじるしかないから。」
「いや。絶対あんたが神木けしかけたせいで、こうなっとるよな。最初から終わりまで奥村はあんたらの被害者でしかないよな!」
ふーんと朴は目を細める。
燐の背後で出雲は尻を揉みながら泣きじゃくっている。やっていることとは正反対の滑稽な姿だった。朴はそんな出雲が可愛くて仕方ない。ではそれに報いる為に朴が取るべき行動は決まっていた。
「じゃあ、勝呂君も奥村君と同じ気持ち味あわせてあげる。」
朴が素早く背後に回り、その手で勝呂を蹂躙した。
「ぎゃあああああああ!」
「勝呂君。君の言っていることは正論。でも人間の感情はそんなもんじゃないよ。君は理屈で、常識でものを言ってばかりだ。私という加害者を説得する前に君は――。」
今度は後ろから勝呂に抱きついた朴は勝呂の胸をまさぐり始める。
「いやや……。やめ……。」
「君は間髪入れず、問答無用で、奥村燐君を助けるべきだった。」
そうしていれば、君までも女の子に陵辱されることはなかっただろうね。
そんな囁きは二人分の悲鳴に掻き消える。男二人は少女達に存分に嬲られた。
二人だけの甘い世界なんて幻想。
そう朴は嘯く。
この世は愛する人たった一人が対象の快楽や幸せに満ちているわけじゃない。それでもたった一人に定めたいならば、それ相応の覚悟が必要だ。朴の浮気はいつもその確認の役割があった。たった一人の少女を愛するために。
勝呂は朴に抱えられたまま、せめて喘ぎ声を出さないように両手で口を押さえ込んだ。ゴリラの癖に健気だなと朴は思った。
「敢えて他人に迷惑をかける覚悟。それが好きな人だとしても。なーんちゃって。」
人間はそこまで簡単じゃないよ。
少女の一人は無邪気に巻き込まれ。
少女の一人は愉悦をもって企み。
少女の一人は憎しみをぶちまけた。
最後に少女達は「ごめんなさい」と一言告げて教室を去っていった。
「奥村……大丈夫か?」
「女こええええ! でも。気持ち良かったかも。」
「ちゃっかりやけど、俺もや。ほんま。すまん。」
涙目の男二人はそれでも思わぬ僥倖には見舞われたようだ。
「奥村。忘れよう。」
「そうだ。忘れよう。それが一番いい。」
燐は立ち上がってズボンについた埃を払う。勝呂も同じようにした。
「えーと。忘れる前に言っとくわ。助けられんで、ごめん。」
「え? なんで謝るんだ。しょうがねえだろ。女子相手なんだから。俺だってあいつら相手に抵抗出来なかったんだから。それが普通だろ。」
「普通なん!」
女子の暴走の前では男子の貞操なんぞゴミかと言わんばかりの燐の言い草だった。その言葉は男らしいが、肝心の自分の気持ちというものを見失っている。
「万が一にも神木やしえみや朴に、怪我させたら駄目だろ!」
勝呂は絶句する。この馬鹿には本当に言い聞かせなければならないと思った。
「いや。やっぱり言わして貰う。お前な、暫くあの三人には気をつけるんやで。これは彼氏の命令やからな。」
「うん、わかった。俺は絶対にあの三人相手には背中見せねえから。」
* * *
出雲は泣いていた。あんなふうな復讐まがいのことをしても全然気が晴れないのだ。泣きながら歩く出雲の手を朴は取って引っ張っていく。噴水のある中庭まで歩くと朴は立ち止まった。
「朴ぅ。わたし朴の言うとおりにしたよ。だから……」
「もういいよ。大丈夫。出雲ちゃんは頑張った。だからね。」
朴は両手を広げ異様な動きをする。バレエのようでもあり、能狂言のようでもあり、コサックダンスでもあり、現代アートのわけのわかんない舞踏のようでもあった。暗い中庭に月明かりの舞台照明。朴はわけのわからない動きで踊っていた。
「朴? なにそれ?」
朴は飛び跳ねながら出雲の前に着地する。そしてくるりと回って、自らのスカートの裾を摘んでお辞儀した。
「求愛のダンスだよ。出雲ちゃん。」
出雲は何も言わず、朴の胸に飛び込んだ。
けいりんさん、まだ待っていてくださってますか? やっと長すぎる前座が終わりました。まさか2カ月またぐとは思っていませんでした。次回からまじ本編です。でもこれって燐を盛りたてたことになるんかな。
が、結局、出雲は何も行動出来なかった。自分が躊躇してしまうのは想定内だったが、それ以外の原因があった。
『杜山しえみ。あいつがいるから奥村燐に近づけないじゃないの。』
前の席でのほほんとしえみは燐と笑いあっている。同時に塾に来なくても、しえみが前の席を陣取っていると、後から来た燐が自動的に隣に座るのだ。
『あの二人の間に割り込めないことはないけど。絶対あの女は私がいつもと違う行動をとれば首突っ込んでくるわね。』
それも出雲の考えすぎだったが、なきにしもあらずな可能性だった。朴の顔が過ぎる。
『朴とのこれからの関係の為なら……。でも。』
強引にしえみの横から奥村燐を掻っ攫うか? いや待てと出雲は思う。
『杜山しえみを抱き込めれば。』
少し本来の形からずれてしまうが、マンツーマンより二対一のほうがやりやすいのは確かだ。
『杜山しえみの思考回路は読みにくいのよね。』
勝呂に対して策士を気取っていた割には出雲は弱気だった。
『ひきこもりの世間知らず。友達関係に餓えていたわよね。ということはそれを餌にすれば、ってええええ。私いっぺんあいつをパシリ扱いしたじゃない! いや。そのあとあいつは気にしてる様子ないし。大丈夫、よね。』
前回同様しえみの好意を利用しようとしているのだが、出雲は何故かふんぎりがついたように頷いた。
『朴。本当にもう少しだから。』
本当は朴はそこまで本気で、出雲にそれをやって欲しいとは思っていないことには気づいている。私のほうが朴のことを好きな気持ちが大きいから、朴に躍らせれているのは仕方ない。踊らされている身なりに本気になって、朴に見せ付けてやりたい。私はこんなことが出来るくらいに、あんたのことが好きなのよと。
* * *
「燐はよく勝呂君と残って勉強してるよね。」
「なんだ? お前は勉強はできるほうだろ。」
塾が終わって燐としえみは暢気に話をしている。
「こう言ったら悪いかもしれないけど、友達と勉強するのって楽しかったりする?」
燐は少し目を逸らして口ごもる。燐にとっては半分くらいは勉強というのは方便なところもあるからだ。
「あー……。楽しいっつうか。」
「うーん? じゃあさあ。私も居残り勉強してみようかな。」
「え?」
突然しえみが言い出したことに必要以上に燐は驚いた。しえみは家の庭の手入れがあるからと、塾が終われば早々に引き上げるのが常だったのに。しえみはそんな普段を忘れたかのように燐に告げる。
「家で一人だと集中できるけど少し寂しいんだ。だから燐も今日は一緒にしてくれるよね。ね? 燐?」
燐は視線を泳がせつつも「別にいいけど」と歯切れ悪く言う。平静は装っているが、やはり動揺は隠せないようだ。いくら燐自身に勝呂という存在がいても、女子からのそういう誘いは嬉しいらしい。そわそわしている燐を横目に、しえみは教室の後方んびいる出雲にちらっと笑いかけた。出雲はそれからそっぽを向く。
燐はそんな女子同士の目配せに気を配れないまましどろもどろに言ってみる。
「俺は勝呂に教えてもらってばかりだから。」
つまり教えるほうはからっきしだと、教える立場ではないと暗に断りを入れているばかりだった。そんなところでも見栄を張れないのが燐の素直だといえばカッコイイが、情けないところだった。
「いいんだよ。別に燐に教えてもらいたいわけじゃないから。ただ、一緒に勉強してみたいだけだもん。」
「あ。ああ……。そう。」
最初から期待されてないとはっきり言われてしまった。
「じゃあ勝呂も一緒に。あいつ教え方上手いから。先生役は流石に要るだろ。」
ふと燐と勝呂の目が合う。位置的に勝呂は向かい合って話しているしえみの真後ろにいるので、しえみから勝呂は見えない。自分の名前が聞こえた勝呂が二人の後ろに近づく。そして声をかける前にしえみが勝呂君は要らないと言った。
「いや。勝呂君は要らないよ。二人で勉強しよ。」
勝呂は立ち止まる。その肩が少し下がっているのが燐には見て取れた。そしてその肩を志摩が叩くのも見えた。
「ああ……。」
燐は勝呂らの背中を見送る。そして宝も山田も出て行った。こちらをちらりと窺った出雲も教室を去っていった。教室には燐としえみの二人きりが残った。
「……。勉強、始めよっか。」
「うん!」
しえみはいい声で返事をしたが、何故か席につく様子は無い。仕方が無いので燐は先に席につこうとしたが、それをしえみに止められた。
「燐。ちょっとまって。」
「なんだよ。」
「ちょっと私の前に立って後ろ向いてくれる?」
無垢な目でしえみは燐を見つめている。しかしその身振りは少しぎこちない。言葉のイントネーションというか、雰囲気がまるで、台本通り喋っているという感じだった。それにも違和感を覚えたが、燐にとってはトラウマになっている出来事に重なる。
「しえみ。なんで後ろ向かなきゃいけないんだ?」
「えーっとね。内緒にしなきゃいけないから、理由は話せないの。」
しえみの口からそれを聞くと、嫌でも一週間前のことを思い出してしまう。朴によるあの落花狼藉を。自分の尻を蹂躙したあの手の感触を。
『朴のことさえなけりゃ。しえみに背中を見せられるんだけどな。』
再度の女子による後ろ向いてが、燐にとっては戦々恐々もののトラウマだった。この状況は明らかにあの光景をなぞっている。
「なんにもしないよ。燐。」
「嘘だ!」
「私を、信じて。」
燐はしぶしぶ無邪気なしえみの眼差しに促されて後ろを向く。
しかし間髪入れずにすぐに振り向く。
「あっ。」
「ふはははは。やっぱり触ろうとしてるじゃねえか。なんだよその手。」
燐の尻の近くにしえみの白い手があった。思わず哄笑があふれ出る。
「ははは。なんだよ、お前ら。お前もかよ、しえみ。俺の尻を撫で回して。俺を辱めようってかよ。はははあっはああ。女なんて信用出来ねえ。」
「ひどいよ燐。フェイントなんて、お利口さんのやることだよ。」
「うるせえ! 女子の間で流行ってんのかよ! モテナイ男子を釣ってセクハラがよおおおおおお!」
燐は吠えた。あたかもモテナイ男子を代表するかのように。しかもしえみは悪気無しに馬鹿認定までしてきた。モテナイのも、馬鹿なのも、重々承知の自覚する以前の付き合いだ。しかししえみ含めた女子達は、追い討ちをかけるようにそんな哀れな男を嬲ってくる。精神を。あってないような尊厳を。自尊心を。
「ぜってえお前は、雪男相手にはしねえよな? こんなこと!」
「じゃあ、雪ちゃんにもやる! だからもう一回後ろ向いて!」
「そういう問題じゃねえんだよ!」
「駄目なんだよ、燐。」
「やるほうが駄目だろ。こんなこと!」
「そんなことないわ!」
何かの気配が後ろから迫る。出雲が燐の背後に立っていた。
「か、神木……。なんだよ。お前は、出て行ったんじゃないのかよ?」
燐は青ざめる。しえみばかりか、出雲までも燐の尻を狙っているのか。
「お前ら。どうして?」
「うっさい!」
出雲は嫉妬と憎しみを込めて燐の前に回って指を突き出す。
「この、泥棒猫!」
出雲の咆哮が教室に轟く。燐は思わず後ずさりその場から逃げ出そうとしたが、しえみがその手首を掴む。
『奥村はな、猫みたいなんや。』
いつか勝呂が語ったのろけ話だった。
「あんたみたいなねえ、ちょっと可愛いだけの男になんで朴が手を出すのよ! あんたなんかっ。」
再び出雲は背後に回る。そして間髪いれずにしえみが燐をえいっと押す。
「あ……ぎゃああああああああああああああ!」
いつかの叫びと同じ声。尊厳を踏みにじられた者の上げる悲鳴。
「このっ。このっ。このっ。」
触れるというよりは鷲摑み。
「ぎゃああ! ぎゃああああああ!」
出雲の頼みを引き受けて達成したしえみではあるが、その後はどうすればいいのか分からない。
「えーと……。うーんと……。神木さんが燐の尻を揉んでるから。私は、そうだ。燐の胸を揉んでみようかな。」
尻ばかりに気を取られている燐は、前方ががら空きだった。しえみはすんなりと燐の胸板を揉む。
「えいっ!」
「ひゃああああああっ!」
尻を胸を二人掛かりで揉まれる。しかも同年代の少女達に。これは天国か地獄か分からない。しかし色んなものが燐から零れ落ちていく。
「……やめて。頼む…っ。」
燐は膝から崩れ落ちる。それでも手は離れてくれない。
「私の朴にっ。この!」
「わーい。男の子の胸ってけっこう揉めるもんだね。」
正確には楽しんでいるのはしえみただ一人だった。
「燐。肩揉みって気持ちいいけど、胸を揉まれるの気持ちいい?」
「お前が揉まれてろ!」
女子相手に馬鹿力を出して怪我させるわけにもいかないので、燐はひたすら耐えながら床を息も絶え絶えにのたうちまわっていた。
「何やっとんやお前ら!」
ぜーぜーと息を吐きながら燐の悲鳴を聞きつけたらしい勝呂が教室に駆け込んできた。
「女二人で男をセクハラ! さいて……いやいや。なんかちゃうやろ! 今すぐやめえ!」
「駄目だよ。勝呂君。出雲ちゃんは今試練の最中なんだから。」
涼しい声が勝呂の耳を掠める。振り向くといつかと同じように朴がいた。
「私まだ鍵返してなかったんだよね。」
しれっと言ってのける笑顔の少女。勝呂は顔を引きつらせる。
「朴さん。試練って……。いや、あんたが神木や杜山さんをけしかけたなら、すごく話が分かりやすくなったわ。」
「えー? しえみちゃんのことまで私は関わってないよ。」
「でも結果的にはあんたが根本や。」
「私はだから止める気はない。出雲ちゃんは私への気持ちを証明する為に、恋敵とも言える奥村君に接触した。これだけでも試練は達成。しえみちゃんに援護を頼んじゃったけどね。だけど十分に合格範囲内だよ。」
「だったら、今すぐやめさせえ。」
「だから。私の気は済んだけど、出雲ちゃんが奥村君に対してまだアレでしょ? 私はそれについては出雲ちゃんに甘んじるしかないから。」
「いや。絶対あんたが神木けしかけたせいで、こうなっとるよな。最初から終わりまで奥村はあんたらの被害者でしかないよな!」
ふーんと朴は目を細める。
燐の背後で出雲は尻を揉みながら泣きじゃくっている。やっていることとは正反対の滑稽な姿だった。朴はそんな出雲が可愛くて仕方ない。ではそれに報いる為に朴が取るべき行動は決まっていた。
「じゃあ、勝呂君も奥村君と同じ気持ち味あわせてあげる。」
朴が素早く背後に回り、その手で勝呂を蹂躙した。
「ぎゃあああああああ!」
「勝呂君。君の言っていることは正論。でも人間の感情はそんなもんじゃないよ。君は理屈で、常識でものを言ってばかりだ。私という加害者を説得する前に君は――。」
今度は後ろから勝呂に抱きついた朴は勝呂の胸をまさぐり始める。
「いやや……。やめ……。」
「君は間髪入れず、問答無用で、奥村燐君を助けるべきだった。」
そうしていれば、君までも女の子に陵辱されることはなかっただろうね。
そんな囁きは二人分の悲鳴に掻き消える。男二人は少女達に存分に嬲られた。
二人だけの甘い世界なんて幻想。
そう朴は嘯く。
この世は愛する人たった一人が対象の快楽や幸せに満ちているわけじゃない。それでもたった一人に定めたいならば、それ相応の覚悟が必要だ。朴の浮気はいつもその確認の役割があった。たった一人の少女を愛するために。
勝呂は朴に抱えられたまま、せめて喘ぎ声を出さないように両手で口を押さえ込んだ。ゴリラの癖に健気だなと朴は思った。
「敢えて他人に迷惑をかける覚悟。それが好きな人だとしても。なーんちゃって。」
人間はそこまで簡単じゃないよ。
少女の一人は無邪気に巻き込まれ。
少女の一人は愉悦をもって企み。
少女の一人は憎しみをぶちまけた。
最後に少女達は「ごめんなさい」と一言告げて教室を去っていった。
「奥村……大丈夫か?」
「女こええええ! でも。気持ち良かったかも。」
「ちゃっかりやけど、俺もや。ほんま。すまん。」
涙目の男二人はそれでも思わぬ僥倖には見舞われたようだ。
「奥村。忘れよう。」
「そうだ。忘れよう。それが一番いい。」
燐は立ち上がってズボンについた埃を払う。勝呂も同じようにした。
「えーと。忘れる前に言っとくわ。助けられんで、ごめん。」
「え? なんで謝るんだ。しょうがねえだろ。女子相手なんだから。俺だってあいつら相手に抵抗出来なかったんだから。それが普通だろ。」
「普通なん!」
女子の暴走の前では男子の貞操なんぞゴミかと言わんばかりの燐の言い草だった。その言葉は男らしいが、肝心の自分の気持ちというものを見失っている。
「万が一にも神木やしえみや朴に、怪我させたら駄目だろ!」
勝呂は絶句する。この馬鹿には本当に言い聞かせなければならないと思った。
「いや。やっぱり言わして貰う。お前な、暫くあの三人には気をつけるんやで。これは彼氏の命令やからな。」
「うん、わかった。俺は絶対にあの三人相手には背中見せねえから。」
* * *
出雲は泣いていた。あんなふうな復讐まがいのことをしても全然気が晴れないのだ。泣きながら歩く出雲の手を朴は取って引っ張っていく。噴水のある中庭まで歩くと朴は立ち止まった。
「朴ぅ。わたし朴の言うとおりにしたよ。だから……」
「もういいよ。大丈夫。出雲ちゃんは頑張った。だからね。」
朴は両手を広げ異様な動きをする。バレエのようでもあり、能狂言のようでもあり、コサックダンスでもあり、現代アートのわけのわかんない舞踏のようでもあった。暗い中庭に月明かりの舞台照明。朴はわけのわからない動きで踊っていた。
「朴? なにそれ?」
朴は飛び跳ねながら出雲の前に着地する。そしてくるりと回って、自らのスカートの裾を摘んでお辞儀した。
「求愛のダンスだよ。出雲ちゃん。」
出雲は何も言わず、朴の胸に飛び込んだ。
けいりんさん、まだ待っていてくださってますか? やっと長すぎる前座が終わりました。まさか2カ月またぐとは思っていませんでした。次回からまじ本編です。でもこれって燐を盛りたてたことになるんかな。
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