幸福雑音
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☆ss「BAD APPLE!」前編 燐雪 告白話
これは燐雪ですが「悪魔の兄~」とは別軸です。軽くキャラを曲解しております。pixivでアンケを取った「今までのことは全部夢オチ、本当は雪ちゃんとラブラブ」の番外編っぽいものを書いてみたかったので書いてみました。ええんかこれ。
「今日は早く終わって良かったな。」
任務後に仲間と解散して雪男は兄がいる部屋に戻った。
「ただいま。兄さん。」
「おかえり。」
兄は奥のベッドで布団を被っていたが、弟が帰ってきたとなると半身を起こして顔を見せた。まだ床について間がなかったのだろう。
「そんな律儀に起きなくてもいいじゃん。」
雪男はハンガーを掛けてある壁に近づいく。雪男の死角から兄の溜息が聞こえた。
「何? 僕が祓魔師だったってこと秘密にしてたの、まだ根に持ってたの?」
「いやそれはもういいけど。その服さ……」
「服? コートのこと?」
雪男は兄のほうを振り向き袖を摘んでみる。
「そう。なかなかいいよな。」
「それは同感だね。こう見えても動きやすいんだよ。この服。」
「そこまでは気づかなかったけど、お前が着てるとすごく似合ってるから。」
らしくもない兄の褒め言葉に雪男は笑みがこぼれる。
「どうしたの?」
燐は困ったように口ごもった。雪男はそれを、兄が弟を褒め慣れてないからだと解釈した。あまりしつこく取り合わないほうがいいと思って、コートのボタンに手を伸ばす。
「あ。」
兄が小さく声を上げた。
「さっきから何なの?」
「えーと。」
何をするのかと雪男が思っていると、燐はベッドから出て雪男の前に立つ。
「そのコート。俺に……」
「着させて?」
燐はぶんぶんと首を振る。考えるまでもないが燐と雪男の身長差では確実にコートの裾を床に引きずるだろう。燐は馬鹿だけどそれくらいのことは頭が回る。雪男は再びボタンに指を掛ける。
「待って待って。」
「兄さん? いい加減に着替えさせてくれないかな?」
「き、着替えてもいいけど。」
燐は手を伸ばして雪男の指をボタンから外させる。
「俺に脱がさせてくれ。」
「は?」
いきなりの要求に雪男の目が点になる。しかし要求としては叶えてやれないほど無茶なものではないので、「はい。どうぞ。」と正面を向いてみた。
燐はすぐさま自分の言葉を実行するかと思いきや、指先を震わせながら雪男のコートの胸に触れる。少し下を向いて、はあっと息をついている。そしてその手はおずおずと手馴れないようにボタンを外し始めた。
雪男には俯いてわずかに見える兄の顔が紅潮しているように見えた。
『なんだよソレ。らしくない。』
これぐらいのことで手元が覚束ないなんて兄らしくない。ああ見えても手先が器用なんて大嘘だと思わんばかりの不器用さだった。燐は随分な時間を掛けてウエストのところまでボタンを外した。付属のベルトとホルスターも外していく。コートの前をはだけてワイシャツ一枚で隔てられた肌に兄の鼻息がすーすーと当たる。
「兄さん。なんか鼻息荒くない? 胸に顔近づいてるんだけど。」
「うるさい。今集中してるとこ。」
雪男が見下ろしている燐の後頭部から変な熱気が立ち上っているような気がした。
もしやとは雪男は思っていたが――。なんとなくだが兄の挙動の理由が分かってしまった。
雪男は燐の顔を手で顎の下から掬い上げるように上に向かせる。
「兄さんは、制服フェチなわけ?」
まだ緩い詰問で様子を窺ってみる。兄は案の定、返す言葉が見つからないのか黙ったままだ。
「この制服かっこいいもんね。自分が着るより他人が着てるのを眺めているほうが楽しいのかもね。」
次の段階に誘導すると兄はホルスターを落とさないように慎重に雪男のウエストに腕を回して外してくれた。そのついでのように雪男の言葉に返事をしてきた。
「そ……そうだよ。」
ホルスターを雪男の机に置きに行った燐は、雪男を振り向かないままそう呟く。そして脈絡も無いのに取り繕うようにごめんと言った。変な兄だ。雪男は笑いを噛み殺すのに必死だった。そして燐が後ろを向いている隙に自分のコートの前に手を伸ばす。
「あ。おい……。」
雪男のほうを振り向いた燐の目の前に、いつのまにか裾までコートのボタンを外した雪男が立っていた。
「勝手に全部ボタン外しちゃった。兄さん怒る?」
「いや。怒るわけねえだろ。俺がとろいのが悪かっただけだし。」
「そうだね。兄さんがあんまり時間掛けて脱がしてくれたもんだから、僕焦れちゃって。そこまで扱いづらい服だったのかな? これって。」
雪男は手を伸ばして燐の腕を引き寄せる。そしてもう一度、雪男のコートの端を手に持たせた。
「さっき変な茶々入れちゃったけど。兄さんが時間掛かった理由って――。かっこいい制服見てて楽しんでたからじゃないよね? 僕からコートを脱がすその行為に興奮してたんだよね?」
燐はコートの端を投げ捨てるように手を放して馬鹿と叫ぶ。
「それを俺が認めてお前にとってどうなるんだよ!」
見事な逆ギレだった。
雪男はすかさず燐を抱き寄せると前を肌蹴たコートの中に兄を包み込んだ。
「ゆ、雪……。」
コートの中に篭っていた雪男の匂いに咽たように燐は言葉を詰まらせる。上手く兄の激昂を押さえ込めたようだ。
「や……。雪男。こんなの、お前らしくない。」
「僕らしさって何? 兄さんが怖がってるのは、兄さんの想像の中の、兄の変態趣味を罵る常識的で真面目な弟ってやつだろ?」
燐は雪男の腕の中から出て行こうとしたが、雪男はその背中に回した腕でがっちりと拘束している。
「そうだよ。お前は真面目で、潔癖で、非の打ち所のない優等生な弟だから。」
「だから?」
燐はおずおずと雪男のワイシャツの胸に鼻を擦り付けた。
「そんな弟の仕事着姿に興奮して脱がしてえって、お前の兄貴が思ってるって言えるわけねえだろ。」
「言ってるし。」
雪男はくすくすと兄を嘲笑ってみる。燐は尻尾をへたれさせてシュンとしている。それが妙に雪男には愉快だった。
「雪男。マジでごめん。今日はこれぐらいでいいから。もう十分だから、許してくれ。」
「僕の服を脱がせて、僕の匂いを嗅いで、今晩のオナニーのネタはこれで十分だって言いたいの?」
「オナニーってお前!」
雪男は燐の背中を撫でながら耳元に口を近づけて囁く。
「しないで済ませられるの? そんなに欲情したような顔してる癖に。」
「お前にオナニーするって確信されてるのに、この後本当に実行できるほど肝据わってねえよ。」
燐は泣きそうな顔になっている。雪男はそんな兄を抱きしめて優しく言った。
「こそこそと僕に隠れてしようって思うから恥ずかしいんだよ。」
「じゃ。どうすればいいんだよ!」
雪男は急に兄を両手で引き剥がして自分の顔を直視させる。
「僕に対して欲情してるんだから、僕に吐き出せばいいんだ。至極真っ当な結論でしょ?」
「……え? えええええええええええええ!」
燐は反射的に三歩ほど後ずさる。雪男はゆっくりと距離を詰める。
「これでよく分かっただろう。真面目で優等生な常識人の弟なんて、兄さんの猜疑心が生んだ都合の悪い妄想だってこと。」
まるでサンタがこの世にいないと一方的に言われた幼子のように燐は絶望していた。しかし悪あがきのように反論してくる。
「いや世間一般もお前のことそう思ってるはずだ。」
兄は「あんなの」だけど双子の弟はなんていい子なんだ。物心ついてから言われた続けた言葉を燐は無視出来ない。そして今もそれが真実だと思っている。それを弟自身に真っ向から否定されたとしても。
雪男はそんな兄の台詞をせせら笑う。
「兄さんが世間一般に迎合する必要なんてないんだよ。それも元々周りの大人連中が兄さんに当てつけるような言葉だっただろうし。言わせてもらえば僕は世間一般に僕がどう映るかなんて、あんまり興味はないし、そんな認識のせいでいつのまにか兄さんが僕に対して妙なことを植え付けられたって事実のほうが、よっぽど腹立たしいんだけど?」
兄を引き合いに出して自分を褒める大人たちが大嫌いだった。
そいつらはそいつらの中のいい子悪い子のイメージだけでものを言っていて、言われた方が何を思っていようと関係ない連中だとかなり早い段階で気づいていた。そしてこうも思っていた。僕がこの世で一番好きなのは、お前らが悪鬼だと言わんばかりに罵る兄なのだと。
でも兄は自分のことはさておき、弟がそういうふうに世間で評判になっていることについてはかなり手放しで嬉しがっていた。
だから元々から悪い自分の殊更悪いところを否定したくてしょうがない。弟に対する疚しい思いがそれだ。目の前の兄はずっと隠しておきたかったそれを弟に暴かれて、今は抵抗どころかひたすら心中で「ごめんなさい」を繰り返しているかのように肩を震わせている。
「普通は変態兄貴なんて嫌だろうが。」
ぐしっと燐が鼻の詰まったような呼吸をする。
兄の兄としての矜持を傷つけすぎたかなと雪男は軽く反省する。兄が自身の本性を垣間見せてくれたからとはいえ、ちょっと調子に乗りすぎた気がした。しかし認めがたきを認めている弟が目の前にいるのに、兄は全然分かっていない。
『兄さんは不良のくせに常識人なんだよ。』
それも違うかと雪男は思った。兄はいつだって賢くて優れた弟を認めてくれたし誇りにもしてくれた。だからこそ兄の中で弟に対して見誤った見解を打ち立てて、それを信じきってしまっている。大事に思っている弟が、そんな兄自身の認識と合致する世間の評価をくそみそに言ったことが無茶苦茶ショックだったらしい。そんなものにしがみ付いている兄を情けなく思うが、それも自分を思うが故なんだろうと雪男は納得した。
「変態の兄の双子の弟も、やはり変態だって思わないかい。兄さん。」
また燐が目を見開いて絶句している。燐でも理解できるように筋の通った理屈を言ってやったのに、燐はそれを自分たちのこととして飲み込みたくないようだ。
「じゃあ。こう言えばいいのかな? 兄さん。兄さんが僕のコートを脱がせて興奮してたように、僕も兄さんに脱がされているとき興奮してたよ。兄さんに見られて、もしかしたら犯されるかもって妄想もしたしね。」
「そんなの。そんな冷静な顔して言うことじゃねえだろっ。」
燐が言うとおり、雪男は普段と何も変わらない様子でしれっと兄に告げていた。だから燐はやはりその言葉が信じられず、その口から反論しか出てこない。
「あ、そう。信じてくれないならそれでもいいや。」
雪男はコートを引っ掛けたまま自分のベッドのほうに歩いていく。二、三歩歩いたところで急に後ろに引き戻され、燐側のベッドに放り投げられる。
「はあ……。」
ベッドに放り投げられた衝撃に顔をしかめながら、目を上げるとはあはあと息を荒げて自分を見下ろしている兄がいた。それはどうしようもない感情を押さえ込もうとして、それでも抑えられないという、痛々しい泣き顔だった。
「馬鹿野郎。お前はとんでもない奴だ。」
「兄さんが開き直れないから悪いんだよ。」
燐は一つ大きく息を吐くと雪男に覆いかぶさる。雪男は密着する兄の頭を撫でた。
「いっこだけきいとくぞ。お前は、俺もお前も変態だからしょうがなく性欲処理のために俺を誘ってんのか?」
「何情けないこと言ってるんだよ。」
「だって。俺は、おまえのこと……好きだから。」
雪男は顔を綻ばせて兄の頬を撫でる。いつの間にか兄の眼から溢れていた涙を指で掬っていた。
「やっぱり兄さんは兄さんだね。僕より先に言ってくれて嬉しいよ。」
「じゃあ。お前も?」
雪男は静かに頷く。
「ありがとう。それにごめんね。泣かすような言葉ばかり選んじゃって。」
結局そこに辿り着くなら、今までの会話はまるで無駄で茶番じみている。
「僕は両思いって確信出来てないと、拒否されると思って怖くて言えなかったんだ。」
「ずるいお前らしいよ。だからってあんなことよく言えるよな。」
「たいしたことないでしょ。」
燐はまた軽く打ちひしがれている。雪男は燐が今まで抱いていた弟のイメージをことごとくぶち壊しているからだ。でもそんなものは、この正十字学園に入学してから何回も味わっているだろうに。燐が思っていたより雪男はそんなに性格は良くないし、平気で隠し事をしたり嘘もついていた。だからせめて世間一般と同じ弟のイメージにしがみ付こうと必死だったのだろう。それすらも弟はぶち壊した。だってそんなものは、兄の本音を覆い隠す邪魔ものだから。
「とんだ破壊神だ。お前は。」
燐がまた恨み言を言う。悪魔の首魁の息子には似合いの連れ合いだろうにと雪男は思った。
「兄さん。僕がもし真面目で常識人ないい子だったら、兄さんはずっと弟への欲情を隠して押さえつけて生きていくしかなかったんだよ? 僕は兄さんを受け入れられる程度にはふしだらだし変態だし、兄さんが好きなんだよ。」
燐はえぐえぐと泣きながら雪男の胸に顔をこすり付けている。
「それが良かったか悪かったか、兄ちゃん正直わかんなくなってきた。」
雪男は目を瞑ると兄の手を自分の胸に引き寄せた。
「良かったって言ってよ。兄さん。兄さんにとってショックだったのは理解したけど、いつまでも泣かれてたら僕だって傷つくよ。」
燐は雪男の胸に顔を埋めたままひたすら頷いている。
「わがった。」
雪男は燐に念を押すように言う。
「きれいごとじゃないんだから。このあとちゃんと僕のこと抱けるんだろうね?」
燐はがばっと顔を上げる。
「え。俺は今日は両思いになれたと思って、それだけでも十分嬉しいんだけど。お腹いっぱいで入りきらねえんだけど。」
兄は意外と純情だった。しかし雪男はそれでは済まない。
「なに? 甘いこと言ってるんだ。このくそ兄貴は? ちゃんと甲斐性見せろや?」
雪男とは思えない口汚い言葉。燐は戦慄する。
「男と女のカップルだって、両思いになったその場でエッチしないもんだし。」
「は? 僕が今まで、どんだけあんたの物欲しげな目つきに焦れていたか、分かってんのかこの野郎。分かってねえだろ?」
「雪男っ。お前壊れてる!」
「っと、口汚く罵られたくなかったら、弟のお願い聞いてくれるよね?」
「十分に罵ってました!」
雪男はそうだっけと笑ってみせる。燐はようやくほっとしたように溜息をついた。
「今日は早く終わって良かったな。」
任務後に仲間と解散して雪男は兄がいる部屋に戻った。
「ただいま。兄さん。」
「おかえり。」
兄は奥のベッドで布団を被っていたが、弟が帰ってきたとなると半身を起こして顔を見せた。まだ床について間がなかったのだろう。
「そんな律儀に起きなくてもいいじゃん。」
雪男はハンガーを掛けてある壁に近づいく。雪男の死角から兄の溜息が聞こえた。
「何? 僕が祓魔師だったってこと秘密にしてたの、まだ根に持ってたの?」
「いやそれはもういいけど。その服さ……」
「服? コートのこと?」
雪男は兄のほうを振り向き袖を摘んでみる。
「そう。なかなかいいよな。」
「それは同感だね。こう見えても動きやすいんだよ。この服。」
「そこまでは気づかなかったけど、お前が着てるとすごく似合ってるから。」
らしくもない兄の褒め言葉に雪男は笑みがこぼれる。
「どうしたの?」
燐は困ったように口ごもった。雪男はそれを、兄が弟を褒め慣れてないからだと解釈した。あまりしつこく取り合わないほうがいいと思って、コートのボタンに手を伸ばす。
「あ。」
兄が小さく声を上げた。
「さっきから何なの?」
「えーと。」
何をするのかと雪男が思っていると、燐はベッドから出て雪男の前に立つ。
「そのコート。俺に……」
「着させて?」
燐はぶんぶんと首を振る。考えるまでもないが燐と雪男の身長差では確実にコートの裾を床に引きずるだろう。燐は馬鹿だけどそれくらいのことは頭が回る。雪男は再びボタンに指を掛ける。
「待って待って。」
「兄さん? いい加減に着替えさせてくれないかな?」
「き、着替えてもいいけど。」
燐は手を伸ばして雪男の指をボタンから外させる。
「俺に脱がさせてくれ。」
「は?」
いきなりの要求に雪男の目が点になる。しかし要求としては叶えてやれないほど無茶なものではないので、「はい。どうぞ。」と正面を向いてみた。
燐はすぐさま自分の言葉を実行するかと思いきや、指先を震わせながら雪男のコートの胸に触れる。少し下を向いて、はあっと息をついている。そしてその手はおずおずと手馴れないようにボタンを外し始めた。
雪男には俯いてわずかに見える兄の顔が紅潮しているように見えた。
『なんだよソレ。らしくない。』
これぐらいのことで手元が覚束ないなんて兄らしくない。ああ見えても手先が器用なんて大嘘だと思わんばかりの不器用さだった。燐は随分な時間を掛けてウエストのところまでボタンを外した。付属のベルトとホルスターも外していく。コートの前をはだけてワイシャツ一枚で隔てられた肌に兄の鼻息がすーすーと当たる。
「兄さん。なんか鼻息荒くない? 胸に顔近づいてるんだけど。」
「うるさい。今集中してるとこ。」
雪男が見下ろしている燐の後頭部から変な熱気が立ち上っているような気がした。
もしやとは雪男は思っていたが――。なんとなくだが兄の挙動の理由が分かってしまった。
雪男は燐の顔を手で顎の下から掬い上げるように上に向かせる。
「兄さんは、制服フェチなわけ?」
まだ緩い詰問で様子を窺ってみる。兄は案の定、返す言葉が見つからないのか黙ったままだ。
「この制服かっこいいもんね。自分が着るより他人が着てるのを眺めているほうが楽しいのかもね。」
次の段階に誘導すると兄はホルスターを落とさないように慎重に雪男のウエストに腕を回して外してくれた。そのついでのように雪男の言葉に返事をしてきた。
「そ……そうだよ。」
ホルスターを雪男の机に置きに行った燐は、雪男を振り向かないままそう呟く。そして脈絡も無いのに取り繕うようにごめんと言った。変な兄だ。雪男は笑いを噛み殺すのに必死だった。そして燐が後ろを向いている隙に自分のコートの前に手を伸ばす。
「あ。おい……。」
雪男のほうを振り向いた燐の目の前に、いつのまにか裾までコートのボタンを外した雪男が立っていた。
「勝手に全部ボタン外しちゃった。兄さん怒る?」
「いや。怒るわけねえだろ。俺がとろいのが悪かっただけだし。」
「そうだね。兄さんがあんまり時間掛けて脱がしてくれたもんだから、僕焦れちゃって。そこまで扱いづらい服だったのかな? これって。」
雪男は手を伸ばして燐の腕を引き寄せる。そしてもう一度、雪男のコートの端を手に持たせた。
「さっき変な茶々入れちゃったけど。兄さんが時間掛かった理由って――。かっこいい制服見てて楽しんでたからじゃないよね? 僕からコートを脱がすその行為に興奮してたんだよね?」
燐はコートの端を投げ捨てるように手を放して馬鹿と叫ぶ。
「それを俺が認めてお前にとってどうなるんだよ!」
見事な逆ギレだった。
雪男はすかさず燐を抱き寄せると前を肌蹴たコートの中に兄を包み込んだ。
「ゆ、雪……。」
コートの中に篭っていた雪男の匂いに咽たように燐は言葉を詰まらせる。上手く兄の激昂を押さえ込めたようだ。
「や……。雪男。こんなの、お前らしくない。」
「僕らしさって何? 兄さんが怖がってるのは、兄さんの想像の中の、兄の変態趣味を罵る常識的で真面目な弟ってやつだろ?」
燐は雪男の腕の中から出て行こうとしたが、雪男はその背中に回した腕でがっちりと拘束している。
「そうだよ。お前は真面目で、潔癖で、非の打ち所のない優等生な弟だから。」
「だから?」
燐はおずおずと雪男のワイシャツの胸に鼻を擦り付けた。
「そんな弟の仕事着姿に興奮して脱がしてえって、お前の兄貴が思ってるって言えるわけねえだろ。」
「言ってるし。」
雪男はくすくすと兄を嘲笑ってみる。燐は尻尾をへたれさせてシュンとしている。それが妙に雪男には愉快だった。
「雪男。マジでごめん。今日はこれぐらいでいいから。もう十分だから、許してくれ。」
「僕の服を脱がせて、僕の匂いを嗅いで、今晩のオナニーのネタはこれで十分だって言いたいの?」
「オナニーってお前!」
雪男は燐の背中を撫でながら耳元に口を近づけて囁く。
「しないで済ませられるの? そんなに欲情したような顔してる癖に。」
「お前にオナニーするって確信されてるのに、この後本当に実行できるほど肝据わってねえよ。」
燐は泣きそうな顔になっている。雪男はそんな兄を抱きしめて優しく言った。
「こそこそと僕に隠れてしようって思うから恥ずかしいんだよ。」
「じゃ。どうすればいいんだよ!」
雪男は急に兄を両手で引き剥がして自分の顔を直視させる。
「僕に対して欲情してるんだから、僕に吐き出せばいいんだ。至極真っ当な結論でしょ?」
「……え? えええええええええええええ!」
燐は反射的に三歩ほど後ずさる。雪男はゆっくりと距離を詰める。
「これでよく分かっただろう。真面目で優等生な常識人の弟なんて、兄さんの猜疑心が生んだ都合の悪い妄想だってこと。」
まるでサンタがこの世にいないと一方的に言われた幼子のように燐は絶望していた。しかし悪あがきのように反論してくる。
「いや世間一般もお前のことそう思ってるはずだ。」
兄は「あんなの」だけど双子の弟はなんていい子なんだ。物心ついてから言われた続けた言葉を燐は無視出来ない。そして今もそれが真実だと思っている。それを弟自身に真っ向から否定されたとしても。
雪男はそんな兄の台詞をせせら笑う。
「兄さんが世間一般に迎合する必要なんてないんだよ。それも元々周りの大人連中が兄さんに当てつけるような言葉だっただろうし。言わせてもらえば僕は世間一般に僕がどう映るかなんて、あんまり興味はないし、そんな認識のせいでいつのまにか兄さんが僕に対して妙なことを植え付けられたって事実のほうが、よっぽど腹立たしいんだけど?」
兄を引き合いに出して自分を褒める大人たちが大嫌いだった。
そいつらはそいつらの中のいい子悪い子のイメージだけでものを言っていて、言われた方が何を思っていようと関係ない連中だとかなり早い段階で気づいていた。そしてこうも思っていた。僕がこの世で一番好きなのは、お前らが悪鬼だと言わんばかりに罵る兄なのだと。
でも兄は自分のことはさておき、弟がそういうふうに世間で評判になっていることについてはかなり手放しで嬉しがっていた。
だから元々から悪い自分の殊更悪いところを否定したくてしょうがない。弟に対する疚しい思いがそれだ。目の前の兄はずっと隠しておきたかったそれを弟に暴かれて、今は抵抗どころかひたすら心中で「ごめんなさい」を繰り返しているかのように肩を震わせている。
「普通は変態兄貴なんて嫌だろうが。」
ぐしっと燐が鼻の詰まったような呼吸をする。
兄の兄としての矜持を傷つけすぎたかなと雪男は軽く反省する。兄が自身の本性を垣間見せてくれたからとはいえ、ちょっと調子に乗りすぎた気がした。しかし認めがたきを認めている弟が目の前にいるのに、兄は全然分かっていない。
『兄さんは不良のくせに常識人なんだよ。』
それも違うかと雪男は思った。兄はいつだって賢くて優れた弟を認めてくれたし誇りにもしてくれた。だからこそ兄の中で弟に対して見誤った見解を打ち立てて、それを信じきってしまっている。大事に思っている弟が、そんな兄自身の認識と合致する世間の評価をくそみそに言ったことが無茶苦茶ショックだったらしい。そんなものにしがみ付いている兄を情けなく思うが、それも自分を思うが故なんだろうと雪男は納得した。
「変態の兄の双子の弟も、やはり変態だって思わないかい。兄さん。」
また燐が目を見開いて絶句している。燐でも理解できるように筋の通った理屈を言ってやったのに、燐はそれを自分たちのこととして飲み込みたくないようだ。
「じゃあ。こう言えばいいのかな? 兄さん。兄さんが僕のコートを脱がせて興奮してたように、僕も兄さんに脱がされているとき興奮してたよ。兄さんに見られて、もしかしたら犯されるかもって妄想もしたしね。」
「そんなの。そんな冷静な顔して言うことじゃねえだろっ。」
燐が言うとおり、雪男は普段と何も変わらない様子でしれっと兄に告げていた。だから燐はやはりその言葉が信じられず、その口から反論しか出てこない。
「あ、そう。信じてくれないならそれでもいいや。」
雪男はコートを引っ掛けたまま自分のベッドのほうに歩いていく。二、三歩歩いたところで急に後ろに引き戻され、燐側のベッドに放り投げられる。
「はあ……。」
ベッドに放り投げられた衝撃に顔をしかめながら、目を上げるとはあはあと息を荒げて自分を見下ろしている兄がいた。それはどうしようもない感情を押さえ込もうとして、それでも抑えられないという、痛々しい泣き顔だった。
「馬鹿野郎。お前はとんでもない奴だ。」
「兄さんが開き直れないから悪いんだよ。」
燐は一つ大きく息を吐くと雪男に覆いかぶさる。雪男は密着する兄の頭を撫でた。
「いっこだけきいとくぞ。お前は、俺もお前も変態だからしょうがなく性欲処理のために俺を誘ってんのか?」
「何情けないこと言ってるんだよ。」
「だって。俺は、おまえのこと……好きだから。」
雪男は顔を綻ばせて兄の頬を撫でる。いつの間にか兄の眼から溢れていた涙を指で掬っていた。
「やっぱり兄さんは兄さんだね。僕より先に言ってくれて嬉しいよ。」
「じゃあ。お前も?」
雪男は静かに頷く。
「ありがとう。それにごめんね。泣かすような言葉ばかり選んじゃって。」
結局そこに辿り着くなら、今までの会話はまるで無駄で茶番じみている。
「僕は両思いって確信出来てないと、拒否されると思って怖くて言えなかったんだ。」
「ずるいお前らしいよ。だからってあんなことよく言えるよな。」
「たいしたことないでしょ。」
燐はまた軽く打ちひしがれている。雪男は燐が今まで抱いていた弟のイメージをことごとくぶち壊しているからだ。でもそんなものは、この正十字学園に入学してから何回も味わっているだろうに。燐が思っていたより雪男はそんなに性格は良くないし、平気で隠し事をしたり嘘もついていた。だからせめて世間一般と同じ弟のイメージにしがみ付こうと必死だったのだろう。それすらも弟はぶち壊した。だってそんなものは、兄の本音を覆い隠す邪魔ものだから。
「とんだ破壊神だ。お前は。」
燐がまた恨み言を言う。悪魔の首魁の息子には似合いの連れ合いだろうにと雪男は思った。
「兄さん。僕がもし真面目で常識人ないい子だったら、兄さんはずっと弟への欲情を隠して押さえつけて生きていくしかなかったんだよ? 僕は兄さんを受け入れられる程度にはふしだらだし変態だし、兄さんが好きなんだよ。」
燐はえぐえぐと泣きながら雪男の胸に顔をこすり付けている。
「それが良かったか悪かったか、兄ちゃん正直わかんなくなってきた。」
雪男は目を瞑ると兄の手を自分の胸に引き寄せた。
「良かったって言ってよ。兄さん。兄さんにとってショックだったのは理解したけど、いつまでも泣かれてたら僕だって傷つくよ。」
燐は雪男の胸に顔を埋めたままひたすら頷いている。
「わがった。」
雪男は燐に念を押すように言う。
「きれいごとじゃないんだから。このあとちゃんと僕のこと抱けるんだろうね?」
燐はがばっと顔を上げる。
「え。俺は今日は両思いになれたと思って、それだけでも十分嬉しいんだけど。お腹いっぱいで入りきらねえんだけど。」
兄は意外と純情だった。しかし雪男はそれでは済まない。
「なに? 甘いこと言ってるんだ。このくそ兄貴は? ちゃんと甲斐性見せろや?」
雪男とは思えない口汚い言葉。燐は戦慄する。
「男と女のカップルだって、両思いになったその場でエッチしないもんだし。」
「は? 僕が今まで、どんだけあんたの物欲しげな目つきに焦れていたか、分かってんのかこの野郎。分かってねえだろ?」
「雪男っ。お前壊れてる!」
「っと、口汚く罵られたくなかったら、弟のお願い聞いてくれるよね?」
「十分に罵ってました!」
雪男はそうだっけと笑ってみせる。燐はようやくほっとしたように溜息をついた。
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