幸福雑音
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☆ss「why or why not」前編 燐雪 燐とメフィストの会話「BAD APPLE!」続き話その①
高等科の授業を終えた燐は校舎を出たところで携帯を取り出すと、メフィストに電話した。
『もしもし?』
コールが三回鳴らないうちにメフィストは出てくれた。
「あ。メフィスト。」
燐は一つ大きく息を吸い込むとゆっくり吐き出した。
『なんですか? 用件なら早く言って下さいよ。』
電話の向こうでは怪訝そうな、それでいて理由ありの匂いを嗅ぎつけたらしいメフィストのやや上ずった声が聞こえる。まだ短い付き合いだが、なんだかんだで燐に関わることについてはいつも興味津々で、熱心に首を突っ込みたいようだ。
「えーと……。近いうちにそっち行って、ちょっと相談してーんだけど。いいかな?」
『急ぎですか?』
「んと……。」
燐はしばらく口ごもってしまう。そしてごにょごにょと「おとついやったから……」などと、本人にしか分からない独り言を言っている。
『なんですかおとついって。』
「いや。なんでもない。」
『おとつい何か問題が起こったのなら、昨日あたり言ってくだされば良かったじゃないですか。』
保護者口調のメフィストに対して燐は何かを誤魔化すように声を上げて笑う。
「あ、あはは。いやいや。昨日は一日なんやかんや考えて俺が問題をどうにかしようと思ったんだけど、やっぱお前に相談するのが一番早いって今日になって決心したんだ。」
メフィストの溜まりに溜まった溜息を吐き出した。
『はいはい。三日目にしてその判断は貴方にしては、周到だと思いますよ。内容は分かりませんけどね。』
燐は念を押すように「すまない」と謝った。そして控えめにメフィストに告げる。
「暇なときでいいんだよ。お前だって忙しいだろ?」
『残念ながら私は今は暇なんです。すぐに私の部屋に来なさい。』
すぐにという言葉に燐の背筋が凍る。そんなにすぐさま相談するつもりはなかったのに、物見高い悪魔は燐の相談事をここぞとばかりに待ち構えている。
「じゅ、塾があるから。」
思わず燐は相談を先延ばしにしたくなった。大人げない悪魔がそんなことを聞いてくれるわけがない。
『塾までにはまだ一時間半くらいあります。なんですか貴方? 問題を早く解決したいのですか? 先送りにしたいのですか?』
燐の脳裏に一昨日の弟の姿が過ぎる。
「……早いに越したことないけど。」
『なら早く来なさい。』
メフィストはショートカットしてくるなら、まず塾へ行って、歴代の理事長の肖像画の部屋に行けと言った。
『こちらの部屋への扉は私が開けておきます。いいですか? ぐずぐずせずに早く来るんですよ。』
一方的に電話を切られた。燐は肩を落としながら、それでも嬉しそうにぐふふと笑って携帯をポケットにしまう。
「雪男。次からは楽させてやっからな。」
* * *
メフィストは正直、末弟からの電話で背筋が震えてしまった。何か分からないが悪い予感がする。しかし自分の悪魔の心臓は、その悪い予感に反応して、うきうきと鼓動を打っていた。
「私らしくもない。あのお馬鹿な末弟の口調が少しどもっていたからって……」
アレはなんだったのだろう? 馬鹿特有の要領の悪さか? それとも慣れない電話を掛けることに持ち前のコミュニケーション能力の無さを晒しただけなのか? いや違う。あの言葉の端々に見え隠れする戸惑いは、あれは――。
「羞恥か。」
何に? 誰に? どうして? メフィストは紅茶を淹れながら末弟を待つ。まだその末弟から電話がきて五分も経っていないのに、手持ち無沙汰になって、お茶菓子まで探し始めてしまった。
「まあ。あの末弟になら、正十字アウトレットモールのショッピングセンターで買った、アウトレットスウィーツで十分でしょう。」
味も質も悪くないが、少し形が欠けているだけで激安になる日本市場の七不思議の一つである。口で味わうのに造形の完璧さは別に気にならないとは言わないが、安さとお得さには勝てないメフィストがちょいちょい買っていたものだった。
「所詮。胃に収めてしまえば元の形は関係ないんですよ。どうせ脳に記憶されるのは甘いとか不味いとか口当たりがどうのっていう次元ですよ。」
それを言い出すと匂いや味は関係ないとまで言及する羽目になるので、メフィストは人前ではそれを言わない。しかし出自が貧乏所帯の末弟にはなんだかそんな菓子のほうがうけそうな気がするので、わざわざこんなチョイスをしてみた。
「湯が沸けましたか。」
ポットを暖めるために湯をポットに注いで、チラッと壁際に置かれたアンティーク時計を見る。
「……。」
その横の開け放した扉から燐が入ってきた。
「遅い。」
「肖像画がある部屋ってわかんねえから、先生らに訊きながら来たんだよ。」
メフィストはそんな愚図に育てた覚えはありませんとぶつぶつ言っていると、燐は育てられた覚えはねえよと返す。
「知らないんですか? 貴方たちの教育方針は、私が藤本にレクチャーしたのがほとんどですよ。その成功例が奥村先生で、失敗例が貴方でしょうか。」
「また嘘ばっかつくんじゃねーよ。この悪魔。」
あこぎな嘘でもまだ罪のないほうなのにとメフィストはぼやく。そして当てつけに言う。
「貴方はちゃっちゃと、そこのソファーで菓子でも食ってなさい。紅茶の準備が出来たらそっちにいきます。」
応接セットが置いてある部屋に燐が行くと、「わあ! ロールケーキが一本まるごとおいてある!」と感激している。やはりうけてくれたようだ。
メフィストは紅茶のポットと二人分のカップを盆に載せて運ぶ。ロールケーキは半分がた燐の腹に収まってしまったようだ。
そしてメフィストは燐の向かい側に座った。カップに紅茶を注いでミルクを入れた。
「砂糖は何個です?」
「五個。」
このくらいでリアクションしたら駄目だとメフィストは思った。この年頃のガキはカロリーさえ高ければなんでもいいと思っている。しかし突っ込まない。話題が脱線してしまう。メフィストはシュガーポットから角砂糖を五個、燐のカップに入れてやった。もちろん紅茶はカップのすれすれまでその水位を上げていた。
「すまん。あと三個。」
「いい加減にしやがれ。このガキャぁ!」
しかしメフィストは紅茶に続けて砂糖三個ぶちこむと、表面張力でなんとか均衡を保っている紅茶のカップを意地でも零さないように燐の手前に置く。燐も無造作ながらやはり奇跡のように零さないまま紅茶を啜る。なにかの曲芸大会の様相だった。
「結構なお手前で。」
それは戦国大名の心の平穏に一役買った茶の湯を思わせるような台詞だった。馬鹿の癖にとメフィストは苦々しく思う。底に残った砂糖をずずずと吸って燐は紅茶のカップをメフィストに返した。言葉とは裏腹に侮辱されたような気分をメフィストは味わった。
「で。私に相談事とは?」
燐はメフィストから目を逸らす。
「正直言うと、単刀直入ってわけにもいかねえんだ。内容的に。」
「いいですよ。話しやすいところから言ってみてはどうですか?」
「言いやすいところ……」
燐はロールケーキにフォークを刺したまま迷っている。さっきまでの図太い態度が嘘のように、分かりやすく遠慮している。
「何か生活に支障が出てきているのですか? それともこれからの不安のことを私に相談したいのですか?」
燐は目を伏せる。ロールケーキを口に放り込みながら。ロールケーキが跡形もなく消えたあと、やっと燐は口を開く。
「どっちもあるかも。」
「じゃあどちらを先に言いますか?」
悪魔の力や青の炎のことなら、燐の言うとおりどちらにも掛かる問題だろうが、それはメフィストには解決してやれない。地道にやり遂げて貰うしかない。
「悪魔のお前なら話せると思ったんだけど……。でもやっぱ言いにくいな。」
「悪魔相手にしか話せないことですか。」
それはアウトローでイリーガルな話題だろうかと、不謹慎な悪魔の心臓がはしたなく高鳴っている。
「悪魔なら何言われても気にしないかもしれませんね。でも私は一応、教育者の端くれであり、貴方の後見人を務めています。それなりの意見も出てくることも覚悟しておいて下さい。」
「え。全部スルーしてくれるわけじゃねえのかよ。」
「形ばかりですよ。世間体という概念に則って、言うべきことは言うつもりです。でもそれは私の本意ではありませんから。言ったあとの反応は、なにも心配しなくていいのです。最低限犯罪紛いでなければ。」
犯罪と聞いた燐はなにやら考え込んでいる。
「確かに犯罪じゃねえけどよ。えー。でも俺たち未成年だよな。うーん。引っかかるのかな?」
メフィストは教育者らしい予想が頭に浮かぶ。
「俺たち? 未成年? 友達と喫煙か飲酒ですか? その程度のことを気にしていたのですか? それなら今後はしなきゃいいだけの話でしょ。先生とかに見つかってなければ。」
わざわざ自分に相談しに来ることではないとメフィストは心の中で舌打ちする。そしてこれだけ期待させておいて、ほんの子どもの火遊び程度の悪さで、上級悪魔の自分が盛り上がっていたのなら、この末弟にどれだけ期待し過ぎたのだろうと臍を噛む思いだった。
「飲酒? 喫煙? そんなの金のねえ俺に出来るわけないだろ。」
メフィストは燐の発言で、自分が目の前の末弟に渡している小遣いの金額を思い出した。それを考えてみれば飲酒も喫煙も難しいかもしれない。
「そうですね。よく考えればそうでした。」
それで?
メフィストは希望の火を心に灯す。燐も流石に別方向に勘違いされたくないので重い口を開く。
「一週間前に雪男とセックスしたんだけど……」
「セックスなんだそんなことか。……誰と、って言いました?」
え? とメフィストは燐に問い直す。燐はメフィストに対して顔を真横に向けて「雪男」と小さく返した。
「………。」
メフィストは紅茶セットを盆に載せてキッチンに運ぶ。
「………。」
そしてそれを流し台で洗う。その光景をキッチンまでついてきた燐がきょとんと見守っている。
「おーい。メフィストー。」
「………。」
洗い上げたカップやソーサーを、メフィストは布巾で水分をふき取って元あった場所に戻す。濡れた手をその布巾で拭いながら言う。
「………あー。ゆきおさんて方と、セックスされたんですね。どこのゆきおさんですか? あはは。随分男らしい古風な名前の方ですよね。私なりに貴方を見守ってきたつもりですが、そんな方に今まで心当たりはありませんでした。えーと。私、この学校の関係者なら、教員も生徒も一通り名前は頭に入っているんですけど、ゆきおさんって名前は、さあー分かりません。ひょっとして外部の方ですかね。」
「お前、雪男って言ったら雪男しかいねーだろ。お前がよく知ってる雪男だよ。」
「わかってて、しらばっくれてたんですよ!」
メフィストはキッチンのテーブルを叩く。ぜえぜえと肩で息をしていた。
「あー。びっくりした。二百前に発情したアマイモンに押し倒された時くらいびっくりした。」
「お前そんな目にあってたの? ひょっとして家出したのってそれが原因だったりする?」
「そんなへたれな理由じゃないですよ。そんなことより貴方ですよ。近親だから今更あまり意味のない質問かもしれないですが、同意の上だったんでしょうね?」
「一応、そんな感じ。」
一応という言い方にメフィストは引っ掛かりを感じるが、そこは末弟を信用してやるしかない。
「私に相談事というのは、それを懺悔するためですか?」
燐はそれもあると頷いた。
「やっぱりまずいことだと思う?」
「兄弟で肉体関係……。貴方はそれを悪魔の本性に駆られてやったのなら、不可抗力でしょうけど。悪魔はそういうシチュエーションが大好きですからね。」
燐は頭をかりかり掻いている。
「悪魔の本性っていうか……たぶん違うと思う。したいって言い出したの、雪男だし。」
メフィストは宙を見上げ嗚呼と声を上げている。
「弟と共に堕ちる……ですか。やはり貴方たちは、呪われた血を継いだだけある。そして運命は嘲笑うかのように、罪深いお互いの心を結びつけた。」
滔々とメフィストは演劇の口上役宜しく燐の前で天を仰ぎ、言葉を連ねていた。
「過ちは罪の意識を呼び、しかしその甘美な痛みに逆らえず同じ過ちを繰り返す。貴方、電話で私と話したときに、おとといやったとか口走ってましたよね。一週間前に初めて交情して、一度の過ちに飽き足らず、数回は背徳の夜を過ごしたってことですよね!」
やっぱり。俺たちは過ちで呪われてて、倫理に背いてるんだな。悪魔にさえ駄目だしされちゃったし。
燐はメフィストを見て改めて自分たちがしでかした事の救われなさを自覚する。あの時、自分たち兄弟を押し留めるものは誰もいなかった。止められるとしたら、兄たる燐しかいなかった。
メフィストは横目で見た燐の顔が暗くなっているのに気づき、口上をやめる。
「すみません。」
「いいや。お前だから何を話しても大丈夫だって思ってた俺が悪かったよ。」
「そんな信頼のされかたは……。まあいいでしょう。少なくとも私は、貴方とは共犯者みたいなものですし。貴方がたのことは恒久的にヴァチカンに対して隠蔽されるべきこととして、私の胸の中に収めましょう。」
しかしとメフィストは付け加える。
「あの男から後見人を受け継いだ私としては、気休め程度(私の)には、これだけは言わせてください。」
メフィストはついに膝をつき手を組んで「藤本ごめんなさい」と唱えた。
「まあ親父には、俺もちょっとくらいはすまねえなと思ってる。」
「ちょっとですか! 私と弟と共に揃って墓前で土下座するレベルでしょっ。」
メフィストは肩で息をしている。
「まあ今となっては藤本も土の下ですから。思うに貴方がたがお互いへの気持ちを自覚した時点では、あの男は存命してたことでしょう。多分あの下世話な男なら貴方たちの隠し事くらい気づいていたでしょうね。それに気づいておきながら、ずっとほっといていたなら、それはあの男の自業自得ですよ。私があの男に謝るのはさっきの一回こっきりにしておきましょう。」
それともとメフィストは思う。もしかしたらあの男も二人の恋愛感情を許していたのかもしれない。そうじゃなきゃ燐のあっけらかんとした態度に説明がつかない。
「やっぱ親父に謝りに行かなきゃいけない?」
「しなくていいですよ。貴方がたが幸せならば、あの男にはなによりでしょうから。私も忌憚ない本音を語らせて貰えば、そうなりますし。」
世の動乱と混乱に思いを馳せる悪魔ではあるが、個々の小さな世界にはそれなりの平穏と幸せがあって当然だという思いもある。奥村兄弟のそれもその典型だろう。
「まあ今までのは前置きみたいなもんだから。」
全然懲りた様子の無い末弟がずっこけるようなことを言う。メフィストはもうパニックにはならないと心の中で拳を握った。
「今までが前置きだとすれば。じゃあ。貴方がここに来て相談したいことの本題って何ですか?」
メフィストはなんだかんだで人間の倫理観に毒されている己を今、思い知っている。それを面白おかしく人間やら自分自身を茶化すのが倒錯した楽しみなのだが、まだ歳若い末弟は、自分よりぶっとんだ思考をしているらしい。どんな相談が来るか予想出来ない。
「お前に都合してもらいたいもんがあるんだよ。」
メフィストは首を傾げる。
「なんなんです? それって……。」
「それは――。」
燐の返答にまたもメフィストは、人間の良識に浸りきった己に打ちのめされたのだった。そして末弟の愚直さと弟への感情に腹を抱えて笑ってしまった。
「わかりました。すぐに手配しましょう。」
(続く)
うちの今のところの常識人度
クロ、ウコバク>勝呂、子猫さん、出雲、ネイガウス>>志摩>メフィスト、シュラ、朴、獅郎>>燐、しえみ、雪男>>>アーサー、アマイモン>藤堂
改めて表にしてみると意外と奥村兄弟は低いです。じゃなきゃくっつかなかったでしょうね。下位にいくほど怪人度の高いイメージかな。意外と思われるでしょうが、朴さんは女子の中ではしえみに次ぐ怪人物です。そのうち話を書きたいとは思ってます。
『もしもし?』
コールが三回鳴らないうちにメフィストは出てくれた。
「あ。メフィスト。」
燐は一つ大きく息を吸い込むとゆっくり吐き出した。
『なんですか? 用件なら早く言って下さいよ。』
電話の向こうでは怪訝そうな、それでいて理由ありの匂いを嗅ぎつけたらしいメフィストのやや上ずった声が聞こえる。まだ短い付き合いだが、なんだかんだで燐に関わることについてはいつも興味津々で、熱心に首を突っ込みたいようだ。
「えーと……。近いうちにそっち行って、ちょっと相談してーんだけど。いいかな?」
『急ぎですか?』
「んと……。」
燐はしばらく口ごもってしまう。そしてごにょごにょと「おとついやったから……」などと、本人にしか分からない独り言を言っている。
『なんですかおとついって。』
「いや。なんでもない。」
『おとつい何か問題が起こったのなら、昨日あたり言ってくだされば良かったじゃないですか。』
保護者口調のメフィストに対して燐は何かを誤魔化すように声を上げて笑う。
「あ、あはは。いやいや。昨日は一日なんやかんや考えて俺が問題をどうにかしようと思ったんだけど、やっぱお前に相談するのが一番早いって今日になって決心したんだ。」
メフィストの溜まりに溜まった溜息を吐き出した。
『はいはい。三日目にしてその判断は貴方にしては、周到だと思いますよ。内容は分かりませんけどね。』
燐は念を押すように「すまない」と謝った。そして控えめにメフィストに告げる。
「暇なときでいいんだよ。お前だって忙しいだろ?」
『残念ながら私は今は暇なんです。すぐに私の部屋に来なさい。』
すぐにという言葉に燐の背筋が凍る。そんなにすぐさま相談するつもりはなかったのに、物見高い悪魔は燐の相談事をここぞとばかりに待ち構えている。
「じゅ、塾があるから。」
思わず燐は相談を先延ばしにしたくなった。大人げない悪魔がそんなことを聞いてくれるわけがない。
『塾までにはまだ一時間半くらいあります。なんですか貴方? 問題を早く解決したいのですか? 先送りにしたいのですか?』
燐の脳裏に一昨日の弟の姿が過ぎる。
「……早いに越したことないけど。」
『なら早く来なさい。』
メフィストはショートカットしてくるなら、まず塾へ行って、歴代の理事長の肖像画の部屋に行けと言った。
『こちらの部屋への扉は私が開けておきます。いいですか? ぐずぐずせずに早く来るんですよ。』
一方的に電話を切られた。燐は肩を落としながら、それでも嬉しそうにぐふふと笑って携帯をポケットにしまう。
「雪男。次からは楽させてやっからな。」
* * *
メフィストは正直、末弟からの電話で背筋が震えてしまった。何か分からないが悪い予感がする。しかし自分の悪魔の心臓は、その悪い予感に反応して、うきうきと鼓動を打っていた。
「私らしくもない。あのお馬鹿な末弟の口調が少しどもっていたからって……」
アレはなんだったのだろう? 馬鹿特有の要領の悪さか? それとも慣れない電話を掛けることに持ち前のコミュニケーション能力の無さを晒しただけなのか? いや違う。あの言葉の端々に見え隠れする戸惑いは、あれは――。
「羞恥か。」
何に? 誰に? どうして? メフィストは紅茶を淹れながら末弟を待つ。まだその末弟から電話がきて五分も経っていないのに、手持ち無沙汰になって、お茶菓子まで探し始めてしまった。
「まあ。あの末弟になら、正十字アウトレットモールのショッピングセンターで買った、アウトレットスウィーツで十分でしょう。」
味も質も悪くないが、少し形が欠けているだけで激安になる日本市場の七不思議の一つである。口で味わうのに造形の完璧さは別に気にならないとは言わないが、安さとお得さには勝てないメフィストがちょいちょい買っていたものだった。
「所詮。胃に収めてしまえば元の形は関係ないんですよ。どうせ脳に記憶されるのは甘いとか不味いとか口当たりがどうのっていう次元ですよ。」
それを言い出すと匂いや味は関係ないとまで言及する羽目になるので、メフィストは人前ではそれを言わない。しかし出自が貧乏所帯の末弟にはなんだかそんな菓子のほうがうけそうな気がするので、わざわざこんなチョイスをしてみた。
「湯が沸けましたか。」
ポットを暖めるために湯をポットに注いで、チラッと壁際に置かれたアンティーク時計を見る。
「……。」
その横の開け放した扉から燐が入ってきた。
「遅い。」
「肖像画がある部屋ってわかんねえから、先生らに訊きながら来たんだよ。」
メフィストはそんな愚図に育てた覚えはありませんとぶつぶつ言っていると、燐は育てられた覚えはねえよと返す。
「知らないんですか? 貴方たちの教育方針は、私が藤本にレクチャーしたのがほとんどですよ。その成功例が奥村先生で、失敗例が貴方でしょうか。」
「また嘘ばっかつくんじゃねーよ。この悪魔。」
あこぎな嘘でもまだ罪のないほうなのにとメフィストはぼやく。そして当てつけに言う。
「貴方はちゃっちゃと、そこのソファーで菓子でも食ってなさい。紅茶の準備が出来たらそっちにいきます。」
応接セットが置いてある部屋に燐が行くと、「わあ! ロールケーキが一本まるごとおいてある!」と感激している。やはりうけてくれたようだ。
メフィストは紅茶のポットと二人分のカップを盆に載せて運ぶ。ロールケーキは半分がた燐の腹に収まってしまったようだ。
そしてメフィストは燐の向かい側に座った。カップに紅茶を注いでミルクを入れた。
「砂糖は何個です?」
「五個。」
このくらいでリアクションしたら駄目だとメフィストは思った。この年頃のガキはカロリーさえ高ければなんでもいいと思っている。しかし突っ込まない。話題が脱線してしまう。メフィストはシュガーポットから角砂糖を五個、燐のカップに入れてやった。もちろん紅茶はカップのすれすれまでその水位を上げていた。
「すまん。あと三個。」
「いい加減にしやがれ。このガキャぁ!」
しかしメフィストは紅茶に続けて砂糖三個ぶちこむと、表面張力でなんとか均衡を保っている紅茶のカップを意地でも零さないように燐の手前に置く。燐も無造作ながらやはり奇跡のように零さないまま紅茶を啜る。なにかの曲芸大会の様相だった。
「結構なお手前で。」
それは戦国大名の心の平穏に一役買った茶の湯を思わせるような台詞だった。馬鹿の癖にとメフィストは苦々しく思う。底に残った砂糖をずずずと吸って燐は紅茶のカップをメフィストに返した。言葉とは裏腹に侮辱されたような気分をメフィストは味わった。
「で。私に相談事とは?」
燐はメフィストから目を逸らす。
「正直言うと、単刀直入ってわけにもいかねえんだ。内容的に。」
「いいですよ。話しやすいところから言ってみてはどうですか?」
「言いやすいところ……」
燐はロールケーキにフォークを刺したまま迷っている。さっきまでの図太い態度が嘘のように、分かりやすく遠慮している。
「何か生活に支障が出てきているのですか? それともこれからの不安のことを私に相談したいのですか?」
燐は目を伏せる。ロールケーキを口に放り込みながら。ロールケーキが跡形もなく消えたあと、やっと燐は口を開く。
「どっちもあるかも。」
「じゃあどちらを先に言いますか?」
悪魔の力や青の炎のことなら、燐の言うとおりどちらにも掛かる問題だろうが、それはメフィストには解決してやれない。地道にやり遂げて貰うしかない。
「悪魔のお前なら話せると思ったんだけど……。でもやっぱ言いにくいな。」
「悪魔相手にしか話せないことですか。」
それはアウトローでイリーガルな話題だろうかと、不謹慎な悪魔の心臓がはしたなく高鳴っている。
「悪魔なら何言われても気にしないかもしれませんね。でも私は一応、教育者の端くれであり、貴方の後見人を務めています。それなりの意見も出てくることも覚悟しておいて下さい。」
「え。全部スルーしてくれるわけじゃねえのかよ。」
「形ばかりですよ。世間体という概念に則って、言うべきことは言うつもりです。でもそれは私の本意ではありませんから。言ったあとの反応は、なにも心配しなくていいのです。最低限犯罪紛いでなければ。」
犯罪と聞いた燐はなにやら考え込んでいる。
「確かに犯罪じゃねえけどよ。えー。でも俺たち未成年だよな。うーん。引っかかるのかな?」
メフィストは教育者らしい予想が頭に浮かぶ。
「俺たち? 未成年? 友達と喫煙か飲酒ですか? その程度のことを気にしていたのですか? それなら今後はしなきゃいいだけの話でしょ。先生とかに見つかってなければ。」
わざわざ自分に相談しに来ることではないとメフィストは心の中で舌打ちする。そしてこれだけ期待させておいて、ほんの子どもの火遊び程度の悪さで、上級悪魔の自分が盛り上がっていたのなら、この末弟にどれだけ期待し過ぎたのだろうと臍を噛む思いだった。
「飲酒? 喫煙? そんなの金のねえ俺に出来るわけないだろ。」
メフィストは燐の発言で、自分が目の前の末弟に渡している小遣いの金額を思い出した。それを考えてみれば飲酒も喫煙も難しいかもしれない。
「そうですね。よく考えればそうでした。」
それで?
メフィストは希望の火を心に灯す。燐も流石に別方向に勘違いされたくないので重い口を開く。
「一週間前に雪男とセックスしたんだけど……」
「セックスなんだそんなことか。……誰と、って言いました?」
え? とメフィストは燐に問い直す。燐はメフィストに対して顔を真横に向けて「雪男」と小さく返した。
「………。」
メフィストは紅茶セットを盆に載せてキッチンに運ぶ。
「………。」
そしてそれを流し台で洗う。その光景をキッチンまでついてきた燐がきょとんと見守っている。
「おーい。メフィストー。」
「………。」
洗い上げたカップやソーサーを、メフィストは布巾で水分をふき取って元あった場所に戻す。濡れた手をその布巾で拭いながら言う。
「………あー。ゆきおさんて方と、セックスされたんですね。どこのゆきおさんですか? あはは。随分男らしい古風な名前の方ですよね。私なりに貴方を見守ってきたつもりですが、そんな方に今まで心当たりはありませんでした。えーと。私、この学校の関係者なら、教員も生徒も一通り名前は頭に入っているんですけど、ゆきおさんって名前は、さあー分かりません。ひょっとして外部の方ですかね。」
「お前、雪男って言ったら雪男しかいねーだろ。お前がよく知ってる雪男だよ。」
「わかってて、しらばっくれてたんですよ!」
メフィストはキッチンのテーブルを叩く。ぜえぜえと肩で息をしていた。
「あー。びっくりした。二百前に発情したアマイモンに押し倒された時くらいびっくりした。」
「お前そんな目にあってたの? ひょっとして家出したのってそれが原因だったりする?」
「そんなへたれな理由じゃないですよ。そんなことより貴方ですよ。近親だから今更あまり意味のない質問かもしれないですが、同意の上だったんでしょうね?」
「一応、そんな感じ。」
一応という言い方にメフィストは引っ掛かりを感じるが、そこは末弟を信用してやるしかない。
「私に相談事というのは、それを懺悔するためですか?」
燐はそれもあると頷いた。
「やっぱりまずいことだと思う?」
「兄弟で肉体関係……。貴方はそれを悪魔の本性に駆られてやったのなら、不可抗力でしょうけど。悪魔はそういうシチュエーションが大好きですからね。」
燐は頭をかりかり掻いている。
「悪魔の本性っていうか……たぶん違うと思う。したいって言い出したの、雪男だし。」
メフィストは宙を見上げ嗚呼と声を上げている。
「弟と共に堕ちる……ですか。やはり貴方たちは、呪われた血を継いだだけある。そして運命は嘲笑うかのように、罪深いお互いの心を結びつけた。」
滔々とメフィストは演劇の口上役宜しく燐の前で天を仰ぎ、言葉を連ねていた。
「過ちは罪の意識を呼び、しかしその甘美な痛みに逆らえず同じ過ちを繰り返す。貴方、電話で私と話したときに、おとといやったとか口走ってましたよね。一週間前に初めて交情して、一度の過ちに飽き足らず、数回は背徳の夜を過ごしたってことですよね!」
やっぱり。俺たちは過ちで呪われてて、倫理に背いてるんだな。悪魔にさえ駄目だしされちゃったし。
燐はメフィストを見て改めて自分たちがしでかした事の救われなさを自覚する。あの時、自分たち兄弟を押し留めるものは誰もいなかった。止められるとしたら、兄たる燐しかいなかった。
メフィストは横目で見た燐の顔が暗くなっているのに気づき、口上をやめる。
「すみません。」
「いいや。お前だから何を話しても大丈夫だって思ってた俺が悪かったよ。」
「そんな信頼のされかたは……。まあいいでしょう。少なくとも私は、貴方とは共犯者みたいなものですし。貴方がたのことは恒久的にヴァチカンに対して隠蔽されるべきこととして、私の胸の中に収めましょう。」
しかしとメフィストは付け加える。
「あの男から後見人を受け継いだ私としては、気休め程度(私の)には、これだけは言わせてください。」
メフィストはついに膝をつき手を組んで「藤本ごめんなさい」と唱えた。
「まあ親父には、俺もちょっとくらいはすまねえなと思ってる。」
「ちょっとですか! 私と弟と共に揃って墓前で土下座するレベルでしょっ。」
メフィストは肩で息をしている。
「まあ今となっては藤本も土の下ですから。思うに貴方がたがお互いへの気持ちを自覚した時点では、あの男は存命してたことでしょう。多分あの下世話な男なら貴方たちの隠し事くらい気づいていたでしょうね。それに気づいておきながら、ずっとほっといていたなら、それはあの男の自業自得ですよ。私があの男に謝るのはさっきの一回こっきりにしておきましょう。」
それともとメフィストは思う。もしかしたらあの男も二人の恋愛感情を許していたのかもしれない。そうじゃなきゃ燐のあっけらかんとした態度に説明がつかない。
「やっぱ親父に謝りに行かなきゃいけない?」
「しなくていいですよ。貴方がたが幸せならば、あの男にはなによりでしょうから。私も忌憚ない本音を語らせて貰えば、そうなりますし。」
世の動乱と混乱に思いを馳せる悪魔ではあるが、個々の小さな世界にはそれなりの平穏と幸せがあって当然だという思いもある。奥村兄弟のそれもその典型だろう。
「まあ今までのは前置きみたいなもんだから。」
全然懲りた様子の無い末弟がずっこけるようなことを言う。メフィストはもうパニックにはならないと心の中で拳を握った。
「今までが前置きだとすれば。じゃあ。貴方がここに来て相談したいことの本題って何ですか?」
メフィストはなんだかんだで人間の倫理観に毒されている己を今、思い知っている。それを面白おかしく人間やら自分自身を茶化すのが倒錯した楽しみなのだが、まだ歳若い末弟は、自分よりぶっとんだ思考をしているらしい。どんな相談が来るか予想出来ない。
「お前に都合してもらいたいもんがあるんだよ。」
メフィストは首を傾げる。
「なんなんです? それって……。」
「それは――。」
燐の返答にまたもメフィストは、人間の良識に浸りきった己に打ちのめされたのだった。そして末弟の愚直さと弟への感情に腹を抱えて笑ってしまった。
「わかりました。すぐに手配しましょう。」
(続く)
うちの今のところの常識人度
クロ、ウコバク>勝呂、子猫さん、出雲、ネイガウス>>志摩>メフィスト、シュラ、朴、獅郎>>燐、しえみ、雪男>>>アーサー、アマイモン>藤堂
改めて表にしてみると意外と奥村兄弟は低いです。じゃなきゃくっつかなかったでしょうね。下位にいくほど怪人度の高いイメージかな。意外と思われるでしょうが、朴さんは女子の中ではしえみに次ぐ怪人物です。そのうち話を書きたいとは思ってます。
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プロフィール
HN:
柴仲達
性別:
女性
職業:
会社員
趣味:
読書、二次創作
自己紹介:
忍たまで「幸福雑音」というサークルで、大阪のイベントに出没しています。
絵描きの竹さんと字書きの柴の二人サークルです。
柴はツイッターもしています。http://twitter.com/#!/hitsugi12
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