幸福雑音
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☆ss「スカボロフェア第二話」藤堂とネイガウス
それから一週間が過ぎたころ。ネイガウスは藤堂と普通に事務所でコーヒータイムを過ごすようになっていた。ネイガウスは休職中なので、居場所に困っていたそうだ。しかも理由が理由だけにあまり表も歩けないらしい。でも自宅に引き篭もることもこの不器用な男には出来ないのだろう。
「新しい講師の先生に産休って言われちゃったんですか。それは災難でしたね。」
「誰も本気にはしないでしょうがね。」
「でも誰もが一瞬は想像しちゃうでしょう。おなかの大きいあなたとか。そのおなかを慈しむような目で見るあなたとか。」
ネイガウスは理解出来ないというように藤堂を見ている。相変わらず冗談は通じないらしい。これだけ日本語が堪能なのにと藤堂は残念がった。
「藤堂さんは今はどのような仕事を?」
「今はここでとあるものの警護の責任者に当たっています。警護そのものは部下にやらせてますが、いろいろと配置とかがねえ。祓魔師って出自も特殊で我の強い人も多いでしょう。だから調整は慎重にしなくちゃいけないんです。」
ちらっとネイガウスのほうを見て反応を窺う。ネイガウスはポリポリとおっとっとをつまんでいる。かなり気に入っている様子だ。
「どうです? 一緒にお仕事しませんか?」
「私は我が強いですから、駄目でしょう。」
そんなつもりで言ったんじゃないけどな。けど無理にもう一度勧めるのはやめた。社交辞令もあまり通じない真面目さと、人の言葉を受け入れてしまう素直さも強いようだ。
「でもここに来るようになってから、心が休まっているような気がします。」
「怪我の功名ですかね。」
「いえ、あなたのお陰です。」
おっと。藤堂はほんの少し動揺する。自分の上辺の親切が、このように思われているとは思わなかった。ネイガウスは照れているのか唐突に窓の外を気にする。
「あの悪魔の息子は、来ないですね。」
「まあ。たった一週間前に誰かに男といちゃついているところを目撃されてしまったと思えば、当然の行動ですよ。」
ネイガウスは見るとはなしに事務所の入り口横に置かれたホワイトボードを見る。
『正十字五丁目住宅エリア被害者二名(男・一、女・一)被疑者不明、心中の疑いあり』。
祓魔師というよりは、警察のホワイトボードに書かれていそうなことだった。
「これは……」
「いやあ。被害者が悪魔と血縁なもんでうちにまわってきたんですよ。」
悪魔と人間のハーフ。または何代か前に悪魔と交わった者のいる家系があったりする。それは一般社会では特に取沙汰はされていないが、祓魔師の組織では調査・確認が念入りにされていた。祓魔師の養成機関であり日本のヴァチカンでの支部である正十字学園があるこの街では、特にそれが念入りに為されている。
「ただの金銭目的か心中であって欲しいですね。あのへんは色々と治安も悪いですから。」
刑事事件と悪魔がらみの事件とでは深い溝がある。しかし悪魔がらみの犯罪は、警察より祓魔師のほうが出張らなければならないという困った構図がある。その境目もなかなか区別がつかないことも多いのに、被害者や関係者、そして大本になった犯罪者が悪魔と血縁というだけで学園に持ち込まれることがよくあった。
「ところで。二名の男女とありますが、どちらが悪魔と血縁だったのでしょうか?」
「両方ですよ。きょうだいだったようです。姉と弟の。」
ネイガウスはその藤堂の最後の言葉にピクリと反応した。
「姉と弟ですか。」
「親で悪魔だったのが、えーと……父親ですね。数年前までは父親も物質界でまともに生活していたようですが、憑依体にガタがきて死亡。母親は父親の正体を知ったときに失踪。典型的な悪魔に関わった子どもの孤児でした。それで姉と弟は公的施設に頼らずフリーターをしながら二人で生活していました。死亡時の年齢が十九歳と十七歳。まああのへんの環境ですから、そのうち非合法がらみの仕事に就く可能性もあったんで、警察としてもそれを未然に防げたということに安堵しているようでした。」
「それは酷いんじゃないですか? 悪魔がらみの家庭とはいえ、子どもには罪がないと思います。」
藤堂はぎょっとネイガウスを見る。しかし努めて穏やかな声で告げる。
「私も同じ考えです。そもそも彼らの死自体がその犯罪によるものかもしれないのに、未来の犯罪の被害を防げて良かったなんて言うべきじゃないです。まあ、警察としては悪魔がらみのことは何でもかんでも尻込みする傾向がありますから。未知のものは怖いんでしょうね。被害者の死体であったとしても。」
藤堂はデスクの上にあったファイルから写真を二枚抜き出す。それをネイガウスに見せた。男女の違いがあっても良く似た顔立ちの姉弟だった。
「近所の人達によると、仲のいい姉弟だったそうですよ。でももっとよく事情を聞くと、ちょっと特殊な感じの仲の良さだったらしいですね。」
ネイガウスは藤堂の目をじっと見ている。
「ここから先、聞きますか?」
「私みたいな部外者に話してもいいものなら。」
さっきからのネイガウスの態度から、この事件について少なからず興味を示していることがわかった。藤堂は内心ほくほくとした満足感を覚えて、他の部外者には内緒ですよと前置きした。
「被害者が姉弟だと言った途端、近所の夫人は「若い夫婦じゃなかったの?」と言ってました。あの二人は以前暮らしていたところから引っ越してきたので、それ以前の彼らのことを知っている人はほとんどいません。そんな人達の目に映る彼らは、まるで恋人同士のように見えていたそうです。」
「仲が良かったのでしょうね。異様に。」
「それだけじゃないんですよ。」
藤堂の軽い声が事務所に虚しく溶けていった。
「あのへんの賃貸住宅は壁が薄くてね、彼らの生活音がわりと筒抜けだったんです。そして、夜なんか聞こえてきてたんですって。」
「なんですか。」
「情交の声とか。」
ネイガウスは眉間に皺を寄せた。
「心中の疑いは、それから来てるのですか。」
「姉が妊娠してましたからね。三ヶ月くらいで胎児として形は出来てました。DNA鑑定の結果で捜査の方針が固まるでしょうね。」
弟との子だと判明すればそれを苦にした心中で、他の男の子だとすれば情痴がらみの殺人の疑いが濃くなる。
藤堂はコーヒーのおかわりを注いでいたが、ネイガウスのカップの中身が少しも減っていないのに気づいた。
「やはり、気分を悪くされましたか?」
「いえ。ありふれた悲劇でしょう。」
ネイガウスにしては投げやりな感想だと藤堂は感じた。だからもっとこの男の心を波立ててやりたくなった。
「私は思うんですけど、被害者の姉と弟はどんな思いで寄り添っていたんでしょうかね。お互いに呪われた血を分け合って生まれてきた。そのせいで母親にすら見捨てられて。あっという間に社会の底辺になってしまって。私少し調べたんですけど、母親はそれなりの名家のお嬢さんでした。父親とは恋愛結婚だったそうです。それなりの覚悟があったのに、悪魔の血を孕んだというだけであっけなく心変わりしてしまったのでしょう。」
「でも失踪ということは、……」
「そうですね。どこかで命を絶ったかもしれませんね。でも彼女にとってその配偶者が愛するものから、忌避したくなるものに変わったことには違いありません。愛は消えてしまったのです。」
「悪魔は忌まわしいものですから。」
何故かその言葉をネイガウスは苦しそうに言った。
ネイガウスはソファから立ち上がる。
「せっかく聞かせて頂いたのに、役に立つような意見は私には無いのです。」
「いや。そんなに親身になって頂くようなことじゃありませんよ。他所から盥回しにされてきた件ですし。正当に悪魔と渡り合ってきた貴方にとっては、くだらない話でしょう。」
ネイガウスは俯いている。
「私が言えることといえば、そんな最悪な状況の中で寄り添ってきた弟が、姉の妊娠を苦に心中を選ぶような男とは思えない。」
「まだ子どもですからね。十九歳と十七歳。」
「そうかもしれませんね。でも、」
藤堂はネイガウスを見上げる。ネイガウスは目を逸らす。
「いいです。」
このへんで潮時かなと藤堂も思った。あまりしつこく話を引っ張って、ネイガウスがここに立ち寄らなくなるのも残念だから。でも、この事件に関してはまたこの男から感想を引き出せるんじゃないかと、後日には期待を残している。精々、素知らぬ振りをして資料でも目に付くところにでも置いてやろうと藤堂は思った。
「私は外に空気を吸いにいきます。」
「私もついていきましょう。」
二人はゆっくりと事務所を出る。塾のほとんどの教室は閑散としている。
「やはり人手不足みたいですね。」
そして思い出したようにネイガウスに言う。
「貴方は結婚していたのだから、お子さんが生まれていたらさぞや才能のある祓魔師の素質に恵まれたお子さんだったでしょうね。」
ネイガウスはピクリと眉を動かした。
「生まれていたら、私より妻に似ていたことでしょう。妻のような金色の髪と明るい目の色の。」
「ちょっと貴方にしては願望じみてますね。奥さん似の女の子が欲しかったとか?」
ネイガウスは口を噤んだ。
「私は妻を愛してましたから、妻に似た子が欲しかったです。それだけです。」
掠れた声で言うネイガウスに、藤堂は背中がゾクゾクするほどの興奮を覚えた。しかしそれはネイガウスに悟られてはいけない。だってもっと、この男の中身を晒して欲しかったから。でも急いではいけない。表面的なところを撫でて共感した振りをして、この男の心の箍に念入りに麻酔を掛けなければいけない。
春が夏に入れ替わる前の湿っぽくって青臭い空気の中、舗装されていない草の上を二人で歩いていた。ちょうどここ数日は天気が良かったのでさほど歩きにくくはなかったが、雨でも降ったあとには腐葉土と化した落ち葉のせいで足を取られてしまう。この辺は正十字学園の敷地でもあまり管理されていない場所だった。
「それにしても懐かしいなあ。私も学生の頃はよくこのへんで読書したもんですよ。」
取って付けたように藤堂が昔を懐かしむようなことを言う。ネイガウスにつられて歩いていたら、まるで戯曲ハムレットのワンシーンのような光景に出くわした。そこは水辺ではなかったけれど、オフィーリアの入水した死体を思わせる誰かが横たわっていた。
雑草ではあるが彼を取り巻いていたのは可憐な花々で、彼はその上に無造作に転がっていた。
「ほお……。」
祓魔師の制服を着ているがやけに若い。色白の肌に点々とした黒子が印象的だった。ネイガウスが無味乾燥な声音でぽつんと呟く。
「奥村雪男。」
「え? 彼があの奥村なんですか。」
中年二人の潜めた声に、雪男はまるで反応しない。
藤堂は近寄って脈を取るためにその手を取ろうとしたが、ネイガウスがそれを制した。
「何も異常はないです。ただ眠っているだけでしょう。夜あまり寝ないらしいですから。」
藤堂は照れ笑いを浮かべる。
「僕としたことが、医工騎士の悪い癖が出てしまいましたね。こんな野外に祓魔師が倒れていたら、死体だと思ってしまっても仕方ないでしょう。実際、死体くらいに綺麗だったのですから。」
藤堂はネイガウスに眉を顰められた気がした。
「あ。すみません。眠っている少年を死体呼ばわりするのは、不謹慎で穿ちすぎですよね。」
「先ほどまで事務所でしていた話が話ですから、貴方がそういう発想に至り易くなっているのは分かっているんです。私が個人的に神経質なのでしょう。」
頭の上から降ってくる中年同士のやりとりに、雪男の瞼がぴくりと動く。
「起きますね。これ。もうちょっとしたら。」
「それじゃあ、二人で速やかに退散しましょう。」
日が結構傾いてきたので、もうそろそろ起きたほうがいいに決まっている。しかし寝起きに兄を殺しかけた男と、まるで面識のない中年に見下ろされていたというのは、あまりにも気の毒な話だ。二人は起き上がる雪男から見えなくなるまで、言葉少なく足早に離れる。
それにしても、幾ら天気続きで多少は寝心地が良くなっていたとしても、あんな人通りの少ないところで死体みたいに転がっているのは、藤堂としてもどうかと思った。
「綺麗な子でしたね。でも眉間の皴はそんな彼の抱える影がなんとなく察せますね。目の下に微かに隈があったな。本来眠れるべきベッドで眠れないから、あんなところで居眠りしてしまったんだろうな。」
頭からはみ出てしまった思考が口をついて出る。ネイガウスが目敏くそれを聞いて、彼なりの回答を短く言った。
「その原因は、彼の兄だと思いますよ。」
藤堂は自分の好みの会話の展開に嬉しくなって、またネイガウスに質問する。
「彼らは親密すぎる兄弟ですか?」
藤堂の問いにネイガウスは首をかしげた。そしてネイガウスなりに回答する。
「不良と教師の関係か、普通の出来の違い過ぎる兄と弟、という感じでした。塾の中では。」
藤堂は数日前のことをネイガウスに思い出させるように、唄うような口調で言ってみた。
「彼、奥村雪男君は、兄に性別が同じ恋人がいるってことは、知ってるんでしょうかね?」
ネイガウスは立ち止まる。数日前、勝呂と燐が抱き合っていた場面を見たショックがぶり返して、身体が動くことを放棄したようだった。
「それは……私にはわかりかねます。でももし知っていたとしたら、」
それを継いだように藤堂は嘯く。
「もし知っていたとしたら、かの潔癖そうな彼なら、少なからず干渉するんじゃないでしょうか。奥村雪男君は躾けられ避妊処置を施された飼い猫や飼い犬を思わせますが、彼の兄はそれとは反対の野良猫のような奔放さです。それこそ犬猫の交尾のようにその辺の雄と、本能の赴くままに関係を持つことも、どうということはないでしょう。あの男に甘える仕草もまるで、最初から遺伝子に組み込まれているように見えましたよね。でもなんというかな? アレはまだ男を受け入れる前の無防備ないやらしさっていう感じでしたね。そんな兄を側で見ている大人しい弟も大人しいままでいられるでしょうか。ねえ――」
藤堂の生生しい例え話はネイガウスの声で遮られた。
「それはあまりにも、下世話な想像だ!」
ネイガウスは藤堂がびくっと身体を震わせたのを見て、誤魔化すように咳払いをした。
「いや。彼の寝顔があまりにも美しかったので、想像を掻き立てられただけですよ。兄弟揃って実に興味深い。私の悪い癖だなー。昔は文学少年崩れだったから、つい耽美趣味とか倒錯とか禁断のなんとかに夢を持ってしまうんですよね。いけない。いけない。普通の方が聞いていて愉快な話じゃないですもんね。」
そんなふうに笑い話にしてしまおうと藤堂はネットとかで仕込んだネタを話し始める。
「私ぐらいになると、あまり脂っこい話は逆に食傷ぎみになるんですよね。画像でばーんと女の人のバストが出てきたりとか、やたらやってることがマニアックとか、日本語が崩壊したような喘ぎ声の羅列とか。そのファンタジー加減が若いっていいなあとか、羨ましくなるんですけどね。」
「貴方はそういうものを見ている時点で、十分に脂っこいものもいけるじゃないですか。」
ネイガウスはふんっと顔を真横に向けている。
「そうですよねー。でも、私も一応、今は独り身なもんで。そんなサイトを見ないほうが不自然でしょう。言い訳しますと、何かと人間心理の参考にもなります。そうですね。例えば。あのサタンの息子とその恋人は、まだキス以上はしてなさそうですね。っていう下世話な予想ですけど。」
「彼らは学生です。そんなふしだらな行為にかまけている暇はないでしょう。本能だって理性で屈服させるのが普通なんですから。」
「ほら。やっぱり貴方は、現実ってものが分かってない。」
ネイガウスは首を回して藤堂を凝視する。
「貴方は本当に不思議な人だ。ここまで不愉快なはずの話を聞かされているのに、妙に諭されているような気がする。」
諭すつもりはなかったんだけどと藤堂は頭を掻く。
「いやあ。こんな下世話な想像くらいしか楽しみのない男ですが、これからも仲良くしてくれたら嬉しいな。」
ネイガウスは地面を見ながら最小限に口を動かして「はい」と答えてくれた。そして藤堂に言う。
「もう少し時間が経ったら、貴方の好きな人間心理の考察に有意義な話を聞かせたいと思います。」
藤堂はもちろんこう返す。
「気長に待ってます。」
たぶんそれはネイガウスの告白話になるだろうから。
二人の男たちの後方で雪男は目を覚まして辺りを見回していた。
「あれ? フェレス卿……。いない。」
雪男は頭を振る。
「おかしいな。僕は確かにフェレス卿と話してたはずなのに。」
最近は寝不足ですとか、そんな近況を話していたら悪魔は「では少し眠ってもらいましょう」と言って呪文を唱えていた。しかし暫く眠らされていたにしては、雪男の身は無事で済んでいる。
「フェレス卿の気まぐれはわけわからないな。」
雪男は知らなかった。遠くない未来、関わる男の目の慰みになっていたことを。そしてそれがメフィストに仕組まれていたことを。
ついにこっちの話も動き始めてしまいました。勝燐の舞台裏こと藤堂とネイガウスの話でした。それにしても誰か藤堂さん話書いてくれんかな。どこかにありましたら教えていただけたらと思います。
「新しい講師の先生に産休って言われちゃったんですか。それは災難でしたね。」
「誰も本気にはしないでしょうがね。」
「でも誰もが一瞬は想像しちゃうでしょう。おなかの大きいあなたとか。そのおなかを慈しむような目で見るあなたとか。」
ネイガウスは理解出来ないというように藤堂を見ている。相変わらず冗談は通じないらしい。これだけ日本語が堪能なのにと藤堂は残念がった。
「藤堂さんは今はどのような仕事を?」
「今はここでとあるものの警護の責任者に当たっています。警護そのものは部下にやらせてますが、いろいろと配置とかがねえ。祓魔師って出自も特殊で我の強い人も多いでしょう。だから調整は慎重にしなくちゃいけないんです。」
ちらっとネイガウスのほうを見て反応を窺う。ネイガウスはポリポリとおっとっとをつまんでいる。かなり気に入っている様子だ。
「どうです? 一緒にお仕事しませんか?」
「私は我が強いですから、駄目でしょう。」
そんなつもりで言ったんじゃないけどな。けど無理にもう一度勧めるのはやめた。社交辞令もあまり通じない真面目さと、人の言葉を受け入れてしまう素直さも強いようだ。
「でもここに来るようになってから、心が休まっているような気がします。」
「怪我の功名ですかね。」
「いえ、あなたのお陰です。」
おっと。藤堂はほんの少し動揺する。自分の上辺の親切が、このように思われているとは思わなかった。ネイガウスは照れているのか唐突に窓の外を気にする。
「あの悪魔の息子は、来ないですね。」
「まあ。たった一週間前に誰かに男といちゃついているところを目撃されてしまったと思えば、当然の行動ですよ。」
ネイガウスは見るとはなしに事務所の入り口横に置かれたホワイトボードを見る。
『正十字五丁目住宅エリア被害者二名(男・一、女・一)被疑者不明、心中の疑いあり』。
祓魔師というよりは、警察のホワイトボードに書かれていそうなことだった。
「これは……」
「いやあ。被害者が悪魔と血縁なもんでうちにまわってきたんですよ。」
悪魔と人間のハーフ。または何代か前に悪魔と交わった者のいる家系があったりする。それは一般社会では特に取沙汰はされていないが、祓魔師の組織では調査・確認が念入りにされていた。祓魔師の養成機関であり日本のヴァチカンでの支部である正十字学園があるこの街では、特にそれが念入りに為されている。
「ただの金銭目的か心中であって欲しいですね。あのへんは色々と治安も悪いですから。」
刑事事件と悪魔がらみの事件とでは深い溝がある。しかし悪魔がらみの犯罪は、警察より祓魔師のほうが出張らなければならないという困った構図がある。その境目もなかなか区別がつかないことも多いのに、被害者や関係者、そして大本になった犯罪者が悪魔と血縁というだけで学園に持ち込まれることがよくあった。
「ところで。二名の男女とありますが、どちらが悪魔と血縁だったのでしょうか?」
「両方ですよ。きょうだいだったようです。姉と弟の。」
ネイガウスはその藤堂の最後の言葉にピクリと反応した。
「姉と弟ですか。」
「親で悪魔だったのが、えーと……父親ですね。数年前までは父親も物質界でまともに生活していたようですが、憑依体にガタがきて死亡。母親は父親の正体を知ったときに失踪。典型的な悪魔に関わった子どもの孤児でした。それで姉と弟は公的施設に頼らずフリーターをしながら二人で生活していました。死亡時の年齢が十九歳と十七歳。まああのへんの環境ですから、そのうち非合法がらみの仕事に就く可能性もあったんで、警察としてもそれを未然に防げたということに安堵しているようでした。」
「それは酷いんじゃないですか? 悪魔がらみの家庭とはいえ、子どもには罪がないと思います。」
藤堂はぎょっとネイガウスを見る。しかし努めて穏やかな声で告げる。
「私も同じ考えです。そもそも彼らの死自体がその犯罪によるものかもしれないのに、未来の犯罪の被害を防げて良かったなんて言うべきじゃないです。まあ、警察としては悪魔がらみのことは何でもかんでも尻込みする傾向がありますから。未知のものは怖いんでしょうね。被害者の死体であったとしても。」
藤堂はデスクの上にあったファイルから写真を二枚抜き出す。それをネイガウスに見せた。男女の違いがあっても良く似た顔立ちの姉弟だった。
「近所の人達によると、仲のいい姉弟だったそうですよ。でももっとよく事情を聞くと、ちょっと特殊な感じの仲の良さだったらしいですね。」
ネイガウスは藤堂の目をじっと見ている。
「ここから先、聞きますか?」
「私みたいな部外者に話してもいいものなら。」
さっきからのネイガウスの態度から、この事件について少なからず興味を示していることがわかった。藤堂は内心ほくほくとした満足感を覚えて、他の部外者には内緒ですよと前置きした。
「被害者が姉弟だと言った途端、近所の夫人は「若い夫婦じゃなかったの?」と言ってました。あの二人は以前暮らしていたところから引っ越してきたので、それ以前の彼らのことを知っている人はほとんどいません。そんな人達の目に映る彼らは、まるで恋人同士のように見えていたそうです。」
「仲が良かったのでしょうね。異様に。」
「それだけじゃないんですよ。」
藤堂の軽い声が事務所に虚しく溶けていった。
「あのへんの賃貸住宅は壁が薄くてね、彼らの生活音がわりと筒抜けだったんです。そして、夜なんか聞こえてきてたんですって。」
「なんですか。」
「情交の声とか。」
ネイガウスは眉間に皺を寄せた。
「心中の疑いは、それから来てるのですか。」
「姉が妊娠してましたからね。三ヶ月くらいで胎児として形は出来てました。DNA鑑定の結果で捜査の方針が固まるでしょうね。」
弟との子だと判明すればそれを苦にした心中で、他の男の子だとすれば情痴がらみの殺人の疑いが濃くなる。
藤堂はコーヒーのおかわりを注いでいたが、ネイガウスのカップの中身が少しも減っていないのに気づいた。
「やはり、気分を悪くされましたか?」
「いえ。ありふれた悲劇でしょう。」
ネイガウスにしては投げやりな感想だと藤堂は感じた。だからもっとこの男の心を波立ててやりたくなった。
「私は思うんですけど、被害者の姉と弟はどんな思いで寄り添っていたんでしょうかね。お互いに呪われた血を分け合って生まれてきた。そのせいで母親にすら見捨てられて。あっという間に社会の底辺になってしまって。私少し調べたんですけど、母親はそれなりの名家のお嬢さんでした。父親とは恋愛結婚だったそうです。それなりの覚悟があったのに、悪魔の血を孕んだというだけであっけなく心変わりしてしまったのでしょう。」
「でも失踪ということは、……」
「そうですね。どこかで命を絶ったかもしれませんね。でも彼女にとってその配偶者が愛するものから、忌避したくなるものに変わったことには違いありません。愛は消えてしまったのです。」
「悪魔は忌まわしいものですから。」
何故かその言葉をネイガウスは苦しそうに言った。
ネイガウスはソファから立ち上がる。
「せっかく聞かせて頂いたのに、役に立つような意見は私には無いのです。」
「いや。そんなに親身になって頂くようなことじゃありませんよ。他所から盥回しにされてきた件ですし。正当に悪魔と渡り合ってきた貴方にとっては、くだらない話でしょう。」
ネイガウスは俯いている。
「私が言えることといえば、そんな最悪な状況の中で寄り添ってきた弟が、姉の妊娠を苦に心中を選ぶような男とは思えない。」
「まだ子どもですからね。十九歳と十七歳。」
「そうかもしれませんね。でも、」
藤堂はネイガウスを見上げる。ネイガウスは目を逸らす。
「いいです。」
このへんで潮時かなと藤堂も思った。あまりしつこく話を引っ張って、ネイガウスがここに立ち寄らなくなるのも残念だから。でも、この事件に関してはまたこの男から感想を引き出せるんじゃないかと、後日には期待を残している。精々、素知らぬ振りをして資料でも目に付くところにでも置いてやろうと藤堂は思った。
「私は外に空気を吸いにいきます。」
「私もついていきましょう。」
二人はゆっくりと事務所を出る。塾のほとんどの教室は閑散としている。
「やはり人手不足みたいですね。」
そして思い出したようにネイガウスに言う。
「貴方は結婚していたのだから、お子さんが生まれていたらさぞや才能のある祓魔師の素質に恵まれたお子さんだったでしょうね。」
ネイガウスはピクリと眉を動かした。
「生まれていたら、私より妻に似ていたことでしょう。妻のような金色の髪と明るい目の色の。」
「ちょっと貴方にしては願望じみてますね。奥さん似の女の子が欲しかったとか?」
ネイガウスは口を噤んだ。
「私は妻を愛してましたから、妻に似た子が欲しかったです。それだけです。」
掠れた声で言うネイガウスに、藤堂は背中がゾクゾクするほどの興奮を覚えた。しかしそれはネイガウスに悟られてはいけない。だってもっと、この男の中身を晒して欲しかったから。でも急いではいけない。表面的なところを撫でて共感した振りをして、この男の心の箍に念入りに麻酔を掛けなければいけない。
春が夏に入れ替わる前の湿っぽくって青臭い空気の中、舗装されていない草の上を二人で歩いていた。ちょうどここ数日は天気が良かったのでさほど歩きにくくはなかったが、雨でも降ったあとには腐葉土と化した落ち葉のせいで足を取られてしまう。この辺は正十字学園の敷地でもあまり管理されていない場所だった。
「それにしても懐かしいなあ。私も学生の頃はよくこのへんで読書したもんですよ。」
取って付けたように藤堂が昔を懐かしむようなことを言う。ネイガウスにつられて歩いていたら、まるで戯曲ハムレットのワンシーンのような光景に出くわした。そこは水辺ではなかったけれど、オフィーリアの入水した死体を思わせる誰かが横たわっていた。
雑草ではあるが彼を取り巻いていたのは可憐な花々で、彼はその上に無造作に転がっていた。
「ほお……。」
祓魔師の制服を着ているがやけに若い。色白の肌に点々とした黒子が印象的だった。ネイガウスが無味乾燥な声音でぽつんと呟く。
「奥村雪男。」
「え? 彼があの奥村なんですか。」
中年二人の潜めた声に、雪男はまるで反応しない。
藤堂は近寄って脈を取るためにその手を取ろうとしたが、ネイガウスがそれを制した。
「何も異常はないです。ただ眠っているだけでしょう。夜あまり寝ないらしいですから。」
藤堂は照れ笑いを浮かべる。
「僕としたことが、医工騎士の悪い癖が出てしまいましたね。こんな野外に祓魔師が倒れていたら、死体だと思ってしまっても仕方ないでしょう。実際、死体くらいに綺麗だったのですから。」
藤堂はネイガウスに眉を顰められた気がした。
「あ。すみません。眠っている少年を死体呼ばわりするのは、不謹慎で穿ちすぎですよね。」
「先ほどまで事務所でしていた話が話ですから、貴方がそういう発想に至り易くなっているのは分かっているんです。私が個人的に神経質なのでしょう。」
頭の上から降ってくる中年同士のやりとりに、雪男の瞼がぴくりと動く。
「起きますね。これ。もうちょっとしたら。」
「それじゃあ、二人で速やかに退散しましょう。」
日が結構傾いてきたので、もうそろそろ起きたほうがいいに決まっている。しかし寝起きに兄を殺しかけた男と、まるで面識のない中年に見下ろされていたというのは、あまりにも気の毒な話だ。二人は起き上がる雪男から見えなくなるまで、言葉少なく足早に離れる。
それにしても、幾ら天気続きで多少は寝心地が良くなっていたとしても、あんな人通りの少ないところで死体みたいに転がっているのは、藤堂としてもどうかと思った。
「綺麗な子でしたね。でも眉間の皴はそんな彼の抱える影がなんとなく察せますね。目の下に微かに隈があったな。本来眠れるべきベッドで眠れないから、あんなところで居眠りしてしまったんだろうな。」
頭からはみ出てしまった思考が口をついて出る。ネイガウスが目敏くそれを聞いて、彼なりの回答を短く言った。
「その原因は、彼の兄だと思いますよ。」
藤堂は自分の好みの会話の展開に嬉しくなって、またネイガウスに質問する。
「彼らは親密すぎる兄弟ですか?」
藤堂の問いにネイガウスは首をかしげた。そしてネイガウスなりに回答する。
「不良と教師の関係か、普通の出来の違い過ぎる兄と弟、という感じでした。塾の中では。」
藤堂は数日前のことをネイガウスに思い出させるように、唄うような口調で言ってみた。
「彼、奥村雪男君は、兄に性別が同じ恋人がいるってことは、知ってるんでしょうかね?」
ネイガウスは立ち止まる。数日前、勝呂と燐が抱き合っていた場面を見たショックがぶり返して、身体が動くことを放棄したようだった。
「それは……私にはわかりかねます。でももし知っていたとしたら、」
それを継いだように藤堂は嘯く。
「もし知っていたとしたら、かの潔癖そうな彼なら、少なからず干渉するんじゃないでしょうか。奥村雪男君は躾けられ避妊処置を施された飼い猫や飼い犬を思わせますが、彼の兄はそれとは反対の野良猫のような奔放さです。それこそ犬猫の交尾のようにその辺の雄と、本能の赴くままに関係を持つことも、どうということはないでしょう。あの男に甘える仕草もまるで、最初から遺伝子に組み込まれているように見えましたよね。でもなんというかな? アレはまだ男を受け入れる前の無防備ないやらしさっていう感じでしたね。そんな兄を側で見ている大人しい弟も大人しいままでいられるでしょうか。ねえ――」
藤堂の生生しい例え話はネイガウスの声で遮られた。
「それはあまりにも、下世話な想像だ!」
ネイガウスは藤堂がびくっと身体を震わせたのを見て、誤魔化すように咳払いをした。
「いや。彼の寝顔があまりにも美しかったので、想像を掻き立てられただけですよ。兄弟揃って実に興味深い。私の悪い癖だなー。昔は文学少年崩れだったから、つい耽美趣味とか倒錯とか禁断のなんとかに夢を持ってしまうんですよね。いけない。いけない。普通の方が聞いていて愉快な話じゃないですもんね。」
そんなふうに笑い話にしてしまおうと藤堂はネットとかで仕込んだネタを話し始める。
「私ぐらいになると、あまり脂っこい話は逆に食傷ぎみになるんですよね。画像でばーんと女の人のバストが出てきたりとか、やたらやってることがマニアックとか、日本語が崩壊したような喘ぎ声の羅列とか。そのファンタジー加減が若いっていいなあとか、羨ましくなるんですけどね。」
「貴方はそういうものを見ている時点で、十分に脂っこいものもいけるじゃないですか。」
ネイガウスはふんっと顔を真横に向けている。
「そうですよねー。でも、私も一応、今は独り身なもんで。そんなサイトを見ないほうが不自然でしょう。言い訳しますと、何かと人間心理の参考にもなります。そうですね。例えば。あのサタンの息子とその恋人は、まだキス以上はしてなさそうですね。っていう下世話な予想ですけど。」
「彼らは学生です。そんなふしだらな行為にかまけている暇はないでしょう。本能だって理性で屈服させるのが普通なんですから。」
「ほら。やっぱり貴方は、現実ってものが分かってない。」
ネイガウスは首を回して藤堂を凝視する。
「貴方は本当に不思議な人だ。ここまで不愉快なはずの話を聞かされているのに、妙に諭されているような気がする。」
諭すつもりはなかったんだけどと藤堂は頭を掻く。
「いやあ。こんな下世話な想像くらいしか楽しみのない男ですが、これからも仲良くしてくれたら嬉しいな。」
ネイガウスは地面を見ながら最小限に口を動かして「はい」と答えてくれた。そして藤堂に言う。
「もう少し時間が経ったら、貴方の好きな人間心理の考察に有意義な話を聞かせたいと思います。」
藤堂はもちろんこう返す。
「気長に待ってます。」
たぶんそれはネイガウスの告白話になるだろうから。
二人の男たちの後方で雪男は目を覚まして辺りを見回していた。
「あれ? フェレス卿……。いない。」
雪男は頭を振る。
「おかしいな。僕は確かにフェレス卿と話してたはずなのに。」
最近は寝不足ですとか、そんな近況を話していたら悪魔は「では少し眠ってもらいましょう」と言って呪文を唱えていた。しかし暫く眠らされていたにしては、雪男の身は無事で済んでいる。
「フェレス卿の気まぐれはわけわからないな。」
雪男は知らなかった。遠くない未来、関わる男の目の慰みになっていたことを。そしてそれがメフィストに仕組まれていたことを。
ついにこっちの話も動き始めてしまいました。勝燐の舞台裏こと藤堂とネイガウスの話でした。それにしても誰か藤堂さん話書いてくれんかな。どこかにありましたら教えていただけたらと思います。
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