幸福雑音
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☆ss「悪魔の兄を弟がエンドにしちゃうぞな腐った話」第七話「キャットフードその①」燐雪前提燐ネイ
候補生昇格試験の仕込みに託けて、ネイガウスは奥村燐を殺害しようと企てたが、今一歩力が及ばず、目的を完遂することはならず、しかも休職処分になった。
そして皮肉な気分で無為で無意味な時間を過ごすことになった。
「私の誘いに乗ってくれて感謝しています。」
「いえ。私のほうこそ有難う御座います。」
ネイガウスとメフィストは学園内にあるカフェのテラスでアフタヌーンティーと洒落込んでいた。ネイガウスはメフィストにありがとうとは告げてはいたが苦々しく続ける。
「奥村雪男の機転がなければ、私があの悪魔を仕留めていたのに。」
「仕留められても困るんですよ。」
巨大コンパスの針で刺したぐらいでは、あの悪魔は死なない。しかし、悪魔の肉に針が刺さる感触をこの手で感じたかった。皮肉なことに、あの悪魔のわき腹を裂いたのは自分が呼び出した悪魔だった。
「休職中はどうされるんですか?」
「今までと何も変わらない。貴様が休職を解いてくれるまで大人しく待つつもりだ。」
メフィストはネイガウスが着いた頃からテーブルの下で何かを弄んでいた。その手をテーブルの上に置く。
「上司としては休職中の部下に何か配慮するべきでしょうから。このようなものを用意してみました。手を出して下さい。」
ネイガウスはどうでもよかったがとりあえず手を出した。その手にメフィストの手が重ねられ、何かが置かれた。
「これは?」
鍵は鍵でも車のキーだった。
「貴方に差し上げたい車があるんです。」
メフィストは席を立つと、テラスの外れまで歩いてネイガウスを手招きする。ドイツ語でいちにのさんと唱え、傘を振りかざすと一台の軽自動車が出現した。
「免許はお持ちでしたよね?」
「持ってはいるが、私は歩くほうが性にあっている。」
メフィストはまあ遠慮なさらずにとネイガウスの腕を掴んで車のほうに引き寄せた。
「スバルの軽……。ステラ。」
いかにも実用向きな黒の軽自動車だった。どうせくれるなら普通は普通車だろうと思っていたが、休職になるようなことをやらかした手前、車を貰えること自体が贅沢だとも思った。
「貴方はこの学園に来てから、私が知るところによると、ほぼ学園の敷地内に篭っていらっしゃったでしょう。」
「任務の時には各地に行くことはありました。」
「それはいわゆる点から点の移動でしかありません。それに貴方の欲する目的のための移動でもなかったでしょう。時間は有限ながらたくさんあるのです。足があれば正十字の町並みを見て回るのも一興でしょう。」
ネイガウスは、なんかいらない世話を焼かれているような気がした。この押し付けがましさの裏に何かある気がするが、悪意では無さそうなのが救いだろう。メフィストはネイガウスの気持ちなど知ったことではないというように、滔々と喋りだした。
「私がこのステラを購入した時。私の担当のディーラーは、スバルは軽から撤退すると言ってたんです。(私はそのとき物悲しい気持ちになりました。)それがどうですか。相変わらずスバルは軽の新車を生産しているようですね。しかもステラは新車仕様がこの黒の購入した数ヵ月後に販売されました。(私は詐欺じゃないかと思いました。しかも新車には色々な特典がついているようでした。)だから思うんです。あの時、私がこのステラを買ったことによって、スバルは自信を取り戻したのではないでしょうか? 私だけというのはおこがましいですが、私のようにスバルの最後の軽自動車を買うという行動に出た人達のその惜しむ気持ちが、メーカーが軽の生産を継続させようという気になったとは思いませんか?」
そんな裏話がこのステラにあったのかと、ネイガウスはまじまじと黒い軽自動車を見た。
「ですからこのステラはそんな起死回生、捲土重来を象徴する車だと思うのです。まさに休職を解かれるのを待つ、貴方の心に寄り添うのに相応しい存在です。貴方のいいパートナーになると思います。」
そこまで言われたら「要らない」と口が裂けても言えない。
ネイガウスが車に近づくとロックが解除される。車の中を見るとシートにはビニールが被せられたままだった。ひょっとしなくても一度も乗られることはなかったらしい。今まで散々メフィストはいいことを言っていたが、要は衝動買いした車を誰かに押し付けたかっただけかもしれない。いや、そうに違いない。
ネイガウスは無造作にビニールを破って、助手席の床に押し込んだ。座席に座ってそろそろこの場を立ち去ろうとメフィストに礼をいう。
「ありがとう。大切に使わせてもらう。」
「そうですか。良かったです。」
ネイガウスはドアを閉めようとしたが、最後にとメフィストは引き止める。
「奥村燐を敵だと思い込み続けていると、とても疲れますよ。」
その言葉にネイガウスは言い返そうとしたが、何も言えなかった。車を発進させてバックミラーでメフィストの姿を見ようとしたが、その時には既にメフィストの姿は消えていた。
* * *
たいして使わないだろうと思っていた車は、たった一週間足らずで必需品になっていた。何よりナビがついていたのが決め手だった。検索を掛ければ目的に対応する場所を教えてくれる。
ネイガウスは十六年前に妻を亡くしてからずっと、プライベートは引きこもりがちで、必要最低限のものを必要最低限な手段で入手するというのが常だった。だから休職中の身でありながらガソリン代や諸経費が苦にならない程度の貯金はあった。そんなものは微々たる支出だった。
そしてネイガウスは便利さに対して卑屈になる人間じゃなかった。これは人間を堕落させる悪魔の罠だと勘繰ることもなかった。要は快適に自家用車のある生活に溶け込んでいたのだった。
今では暗い性根になってしまってはいるが、ネイガウスという男は元来、素直でお人よしなのだった。
そんなネイガウスは今日もステラと一緒だった。食事は学園敷地内の食堂で済ませているが、部屋の中で飲むコーヒーやお茶請けは、やはり町にでて買いに行っている。
その帰りにネイガウスは奥村燐の後ろ姿を見つけた。
咄嗟に自分の運転するステラで突っ込んでやろうかと思ったが、ここは公道だ。他の車両や歩行者(この時間帯には特に見当たらないが)を巻き込むわけにはいかなかった。復讐と無謀運転の区別がついているのも、ネイガウスという男の持つくそ真面目さだった。そして思った。今日このときは事を起こさず通り過ぎるべきだと。
前方の悪魔は暢気そうにほけほけと歩道と車道の境を歩いている。聞くところに寄ると、燐は自分は悪魔であるということを周囲にバラしてしまっているらしい。しかし大本のサタンの息子であるということは、まだ発覚していないらしい。そしてその中途半端な真実を大抵の人間は受け入れている。本人も周りもどういう神経かとネイガウスは思った。(周りの人間は奥村雪男の燐に対する虐待のほうが、よりインパクトがある物件だからだ。ネイガウスは逆に虐待のことは知らない。)
悪魔は自分の尻尾を隠そうともせず、ご機嫌に振り回していた。
『奥村燐を敵だと思っていると疲れますよ。』
確かに疲れるかもしれない。それでもこの復讐心は忘れてはいけないとネイガウスは改めて誓う。悪魔がボロを出し邪悪な本性を現すまで、この暢気な姿に騙されてはいけない。自分の思いを確認し、しかしこの場では手を下せないもどかしさに溜息をつきながら、ネイガウスは燐のすぐ後ろまで迫っていた。
そのとき。
「雨か……」
フロントガラスに水滴が舞い降りた。ネイガウスは出掛ける前にも天気が悪いなと思っていたが、屋根のある移動手段だったので特に気にはしなかった。しかし歩行中だった悪魔は違う。空を見上げたあと、いきなり走り出した。
元からの身体能力に悪魔の力が加わった速度は信じがたいものだった。ほぼ先ほどの距離が縮まらないまま、ネイガウスはやはり燐の後ろから車を走らせる格好になっていた。
「時速四十キロか。やるな、サタンの息子。」
百メートル走に直したらどうなるんだろうと思った。しかしネイガウスは暗算はあまり得意ではないので、それは思うだけにした。中年らしい横着さだった。
前方の燐は雨の中走っている。少しでも早く自分の住処に駆け戻るつもりなのだろう。燐から視線を車道に移すと、はるか前方に白い何かが見える。それは捨てられたビニール袋らしかった。いわゆるコンビニの袋のようだった。特に気にするようなものではない。
再び燐のほうを向く。車道のコンビニ袋と平行に燐が並んだと思ったら、燐は何故か真横に飛んで車道に飛び込んできた。
ネイガウスは慌てて急ブレーキを踏み込む。不愉快な音を立てながらステラは急停止した。ネイガウスは後続車を確認してから路肩に車を停める。そして何故か知らないがコンビニ袋を庇うように横たわっている燐の腕を掴むと、路肩に避難させた。
「危ないじゃないか。」
燐は自分の腕を掴んだ男を驚いたように見ていたが、「お久しぶり」とトンチンカンなことを言った。すると燐の抱えた小さな袋の中から猫の鳴く声が聞こえてきた。遅れてコンビニ袋の色に紛れてしまいそうな真っ白な子猫が顔を覗かせる。
「とりあえず。乗れ。」
ネイガウスは車の助手席を指して燐に言う。燐はすまないと言いながら助手席に乗った。ネイガウスも乗り込んで車を発進させる。
「大体の事情は察した。車の前に飛び込んできた理由はな。」
「時々いるんだよな。小さい犬や猫を袋に詰め込んで、走ってる車に轢かせようっていう悪趣味な奴が。轢かれる猫や知らずに轢かされる車も災難だよな。」
燐は袋の中から子猫を出してやる。子猫は五体満足に暢気ににゃあと鳴いている。もしネイガウスの走らせている車の側に燐がいなかったら、ネイガウスは知らない間にこの小さな子猫の命を奪うことになっていただろう。
「まあ俺もこうやって、あんたに迷惑かけちまったけどな。」
燐はネイガウスの目顔を見て誤魔化すように笑った。ネイガウスはむすっとして燐と目を合わさない。
「あれからあんた休職になったよな。身体のほうは大丈夫か? 血をいっぱい出してたから、大丈夫かなと思ってたけど。」
「……」
ネイガウスは黙ったままだった。燐は気まずいのか手の中の子猫を暖めるように撫でている。
「その猫、どうするつもりだ?」
その気もないのに何故か話しかけてしまった。燐は困ったように言う。
「寮じゃ飼えないよな。」
そうこうしている内に車は学園敷地前のゲートにさしかかった。
「もう学園に着くぞ。飼う予定も無いなら、私がその猫を引き取ろうか。」
ええ? 燐は頓狂な声を出す。そして怪訝そうな顔をネイガウスに向けてきた。
「まさかお前、飼えないからって元の場所に返しに行くつもりじゃ……」
「そんなことしねえよ!」
そうだな。
雨の日に子猫を拾う不良というお決まりのシチュエーションを裏切るなんて、そんな悪魔みたいなこと、この悪魔がするはずもない。
この子猫を車道に置き去りにしたのは心無い人間だ。それを助けたのは横にいる悪魔。
「あんた。この猫飼いたい?」
「是非とも、そうしたい。」
じゃあと燐は子猫をネイガウスのほうに差し出す。
「私は運転中だ。部屋の前に着くまでお前が抱いていろ。」
「あんたの家って、どこらへんなんだ?」
「教職員の宿舎だ。」
ネイガウスはぶっきらぼうに答える。
「それってどこらへんだっけ?」
燐は首を捻っている。もどかしくなったネイガウスは少し声を張り上げた。
「だからお前を横に乗せているのだろうが。場所が分かっていればお前も様子を見に来れる。」
「そっか。」
ゲートから教職員の宿舎まで十分足らずの距離がある。駐車場に着くとネイガウスはアレだと前方の建物を指差した。燐は頷いて再び子猫をネイガウスに差し出す。ネイガウスはぶすっとして自分の両手に持たれた買い物袋を燐に示した。
「私は荷物を持っている。私の部屋までその猫を連れてくるんだな。」
外の雨もやみかけている。二人は揃って車から出た。
「あんたって本当は」
ネイガウスは燐を睨んでその言葉の続きを封じる。多少なりとも燐を見直した自分を戒めるためでもあった。
「部屋に入ったら、その濡れた服を脱げ。服が乾くまで私の部屋にいろ。」
「ありがと……。お前、いい奴だな。」
さっき封じた聞きたくなかった言葉を、結局悪魔は言ってしまった。
ほぼ無人ともいえるエントランスとエレベーターと廊下を通り抜けて、ネイガウスは悪魔を部屋の前に連れてきた。
「ようこそ。永久に悪魔を呪い続ける男の部屋へ。」
燐の頬が一瞬だけ引きつった。その表情にネイガウスはなんだか、十六年来忘れていた楽しい気分に少しだけなった。
「悪魔の~」シリーズ初の雪ちゃん不在の分割編です。
そして皮肉な気分で無為で無意味な時間を過ごすことになった。
「私の誘いに乗ってくれて感謝しています。」
「いえ。私のほうこそ有難う御座います。」
ネイガウスとメフィストは学園内にあるカフェのテラスでアフタヌーンティーと洒落込んでいた。ネイガウスはメフィストにありがとうとは告げてはいたが苦々しく続ける。
「奥村雪男の機転がなければ、私があの悪魔を仕留めていたのに。」
「仕留められても困るんですよ。」
巨大コンパスの針で刺したぐらいでは、あの悪魔は死なない。しかし、悪魔の肉に針が刺さる感触をこの手で感じたかった。皮肉なことに、あの悪魔のわき腹を裂いたのは自分が呼び出した悪魔だった。
「休職中はどうされるんですか?」
「今までと何も変わらない。貴様が休職を解いてくれるまで大人しく待つつもりだ。」
メフィストはネイガウスが着いた頃からテーブルの下で何かを弄んでいた。その手をテーブルの上に置く。
「上司としては休職中の部下に何か配慮するべきでしょうから。このようなものを用意してみました。手を出して下さい。」
ネイガウスはどうでもよかったがとりあえず手を出した。その手にメフィストの手が重ねられ、何かが置かれた。
「これは?」
鍵は鍵でも車のキーだった。
「貴方に差し上げたい車があるんです。」
メフィストは席を立つと、テラスの外れまで歩いてネイガウスを手招きする。ドイツ語でいちにのさんと唱え、傘を振りかざすと一台の軽自動車が出現した。
「免許はお持ちでしたよね?」
「持ってはいるが、私は歩くほうが性にあっている。」
メフィストはまあ遠慮なさらずにとネイガウスの腕を掴んで車のほうに引き寄せた。
「スバルの軽……。ステラ。」
いかにも実用向きな黒の軽自動車だった。どうせくれるなら普通は普通車だろうと思っていたが、休職になるようなことをやらかした手前、車を貰えること自体が贅沢だとも思った。
「貴方はこの学園に来てから、私が知るところによると、ほぼ学園の敷地内に篭っていらっしゃったでしょう。」
「任務の時には各地に行くことはありました。」
「それはいわゆる点から点の移動でしかありません。それに貴方の欲する目的のための移動でもなかったでしょう。時間は有限ながらたくさんあるのです。足があれば正十字の町並みを見て回るのも一興でしょう。」
ネイガウスは、なんかいらない世話を焼かれているような気がした。この押し付けがましさの裏に何かある気がするが、悪意では無さそうなのが救いだろう。メフィストはネイガウスの気持ちなど知ったことではないというように、滔々と喋りだした。
「私がこのステラを購入した時。私の担当のディーラーは、スバルは軽から撤退すると言ってたんです。(私はそのとき物悲しい気持ちになりました。)それがどうですか。相変わらずスバルは軽の新車を生産しているようですね。しかもステラは新車仕様がこの黒の購入した数ヵ月後に販売されました。(私は詐欺じゃないかと思いました。しかも新車には色々な特典がついているようでした。)だから思うんです。あの時、私がこのステラを買ったことによって、スバルは自信を取り戻したのではないでしょうか? 私だけというのはおこがましいですが、私のようにスバルの最後の軽自動車を買うという行動に出た人達のその惜しむ気持ちが、メーカーが軽の生産を継続させようという気になったとは思いませんか?」
そんな裏話がこのステラにあったのかと、ネイガウスはまじまじと黒い軽自動車を見た。
「ですからこのステラはそんな起死回生、捲土重来を象徴する車だと思うのです。まさに休職を解かれるのを待つ、貴方の心に寄り添うのに相応しい存在です。貴方のいいパートナーになると思います。」
そこまで言われたら「要らない」と口が裂けても言えない。
ネイガウスが車に近づくとロックが解除される。車の中を見るとシートにはビニールが被せられたままだった。ひょっとしなくても一度も乗られることはなかったらしい。今まで散々メフィストはいいことを言っていたが、要は衝動買いした車を誰かに押し付けたかっただけかもしれない。いや、そうに違いない。
ネイガウスは無造作にビニールを破って、助手席の床に押し込んだ。座席に座ってそろそろこの場を立ち去ろうとメフィストに礼をいう。
「ありがとう。大切に使わせてもらう。」
「そうですか。良かったです。」
ネイガウスはドアを閉めようとしたが、最後にとメフィストは引き止める。
「奥村燐を敵だと思い込み続けていると、とても疲れますよ。」
その言葉にネイガウスは言い返そうとしたが、何も言えなかった。車を発進させてバックミラーでメフィストの姿を見ようとしたが、その時には既にメフィストの姿は消えていた。
* * *
たいして使わないだろうと思っていた車は、たった一週間足らずで必需品になっていた。何よりナビがついていたのが決め手だった。検索を掛ければ目的に対応する場所を教えてくれる。
ネイガウスは十六年前に妻を亡くしてからずっと、プライベートは引きこもりがちで、必要最低限のものを必要最低限な手段で入手するというのが常だった。だから休職中の身でありながらガソリン代や諸経費が苦にならない程度の貯金はあった。そんなものは微々たる支出だった。
そしてネイガウスは便利さに対して卑屈になる人間じゃなかった。これは人間を堕落させる悪魔の罠だと勘繰ることもなかった。要は快適に自家用車のある生活に溶け込んでいたのだった。
今では暗い性根になってしまってはいるが、ネイガウスという男は元来、素直でお人よしなのだった。
そんなネイガウスは今日もステラと一緒だった。食事は学園敷地内の食堂で済ませているが、部屋の中で飲むコーヒーやお茶請けは、やはり町にでて買いに行っている。
その帰りにネイガウスは奥村燐の後ろ姿を見つけた。
咄嗟に自分の運転するステラで突っ込んでやろうかと思ったが、ここは公道だ。他の車両や歩行者(この時間帯には特に見当たらないが)を巻き込むわけにはいかなかった。復讐と無謀運転の区別がついているのも、ネイガウスという男の持つくそ真面目さだった。そして思った。今日このときは事を起こさず通り過ぎるべきだと。
前方の悪魔は暢気そうにほけほけと歩道と車道の境を歩いている。聞くところに寄ると、燐は自分は悪魔であるということを周囲にバラしてしまっているらしい。しかし大本のサタンの息子であるということは、まだ発覚していないらしい。そしてその中途半端な真実を大抵の人間は受け入れている。本人も周りもどういう神経かとネイガウスは思った。(周りの人間は奥村雪男の燐に対する虐待のほうが、よりインパクトがある物件だからだ。ネイガウスは逆に虐待のことは知らない。)
悪魔は自分の尻尾を隠そうともせず、ご機嫌に振り回していた。
『奥村燐を敵だと思っていると疲れますよ。』
確かに疲れるかもしれない。それでもこの復讐心は忘れてはいけないとネイガウスは改めて誓う。悪魔がボロを出し邪悪な本性を現すまで、この暢気な姿に騙されてはいけない。自分の思いを確認し、しかしこの場では手を下せないもどかしさに溜息をつきながら、ネイガウスは燐のすぐ後ろまで迫っていた。
そのとき。
「雨か……」
フロントガラスに水滴が舞い降りた。ネイガウスは出掛ける前にも天気が悪いなと思っていたが、屋根のある移動手段だったので特に気にはしなかった。しかし歩行中だった悪魔は違う。空を見上げたあと、いきなり走り出した。
元からの身体能力に悪魔の力が加わった速度は信じがたいものだった。ほぼ先ほどの距離が縮まらないまま、ネイガウスはやはり燐の後ろから車を走らせる格好になっていた。
「時速四十キロか。やるな、サタンの息子。」
百メートル走に直したらどうなるんだろうと思った。しかしネイガウスは暗算はあまり得意ではないので、それは思うだけにした。中年らしい横着さだった。
前方の燐は雨の中走っている。少しでも早く自分の住処に駆け戻るつもりなのだろう。燐から視線を車道に移すと、はるか前方に白い何かが見える。それは捨てられたビニール袋らしかった。いわゆるコンビニの袋のようだった。特に気にするようなものではない。
再び燐のほうを向く。車道のコンビニ袋と平行に燐が並んだと思ったら、燐は何故か真横に飛んで車道に飛び込んできた。
ネイガウスは慌てて急ブレーキを踏み込む。不愉快な音を立てながらステラは急停止した。ネイガウスは後続車を確認してから路肩に車を停める。そして何故か知らないがコンビニ袋を庇うように横たわっている燐の腕を掴むと、路肩に避難させた。
「危ないじゃないか。」
燐は自分の腕を掴んだ男を驚いたように見ていたが、「お久しぶり」とトンチンカンなことを言った。すると燐の抱えた小さな袋の中から猫の鳴く声が聞こえてきた。遅れてコンビニ袋の色に紛れてしまいそうな真っ白な子猫が顔を覗かせる。
「とりあえず。乗れ。」
ネイガウスは車の助手席を指して燐に言う。燐はすまないと言いながら助手席に乗った。ネイガウスも乗り込んで車を発進させる。
「大体の事情は察した。車の前に飛び込んできた理由はな。」
「時々いるんだよな。小さい犬や猫を袋に詰め込んで、走ってる車に轢かせようっていう悪趣味な奴が。轢かれる猫や知らずに轢かされる車も災難だよな。」
燐は袋の中から子猫を出してやる。子猫は五体満足に暢気ににゃあと鳴いている。もしネイガウスの走らせている車の側に燐がいなかったら、ネイガウスは知らない間にこの小さな子猫の命を奪うことになっていただろう。
「まあ俺もこうやって、あんたに迷惑かけちまったけどな。」
燐はネイガウスの目顔を見て誤魔化すように笑った。ネイガウスはむすっとして燐と目を合わさない。
「あれからあんた休職になったよな。身体のほうは大丈夫か? 血をいっぱい出してたから、大丈夫かなと思ってたけど。」
「……」
ネイガウスは黙ったままだった。燐は気まずいのか手の中の子猫を暖めるように撫でている。
「その猫、どうするつもりだ?」
その気もないのに何故か話しかけてしまった。燐は困ったように言う。
「寮じゃ飼えないよな。」
そうこうしている内に車は学園敷地前のゲートにさしかかった。
「もう学園に着くぞ。飼う予定も無いなら、私がその猫を引き取ろうか。」
ええ? 燐は頓狂な声を出す。そして怪訝そうな顔をネイガウスに向けてきた。
「まさかお前、飼えないからって元の場所に返しに行くつもりじゃ……」
「そんなことしねえよ!」
そうだな。
雨の日に子猫を拾う不良というお決まりのシチュエーションを裏切るなんて、そんな悪魔みたいなこと、この悪魔がするはずもない。
この子猫を車道に置き去りにしたのは心無い人間だ。それを助けたのは横にいる悪魔。
「あんた。この猫飼いたい?」
「是非とも、そうしたい。」
じゃあと燐は子猫をネイガウスのほうに差し出す。
「私は運転中だ。部屋の前に着くまでお前が抱いていろ。」
「あんたの家って、どこらへんなんだ?」
「教職員の宿舎だ。」
ネイガウスはぶっきらぼうに答える。
「それってどこらへんだっけ?」
燐は首を捻っている。もどかしくなったネイガウスは少し声を張り上げた。
「だからお前を横に乗せているのだろうが。場所が分かっていればお前も様子を見に来れる。」
「そっか。」
ゲートから教職員の宿舎まで十分足らずの距離がある。駐車場に着くとネイガウスはアレだと前方の建物を指差した。燐は頷いて再び子猫をネイガウスに差し出す。ネイガウスはぶすっとして自分の両手に持たれた買い物袋を燐に示した。
「私は荷物を持っている。私の部屋までその猫を連れてくるんだな。」
外の雨もやみかけている。二人は揃って車から出た。
「あんたって本当は」
ネイガウスは燐を睨んでその言葉の続きを封じる。多少なりとも燐を見直した自分を戒めるためでもあった。
「部屋に入ったら、その濡れた服を脱げ。服が乾くまで私の部屋にいろ。」
「ありがと……。お前、いい奴だな。」
さっき封じた聞きたくなかった言葉を、結局悪魔は言ってしまった。
ほぼ無人ともいえるエントランスとエレベーターと廊下を通り抜けて、ネイガウスは悪魔を部屋の前に連れてきた。
「ようこそ。永久に悪魔を呪い続ける男の部屋へ。」
燐の頬が一瞬だけ引きつった。その表情にネイガウスはなんだか、十六年来忘れていた楽しい気分に少しだけなった。
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柴仲達
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会社員
趣味:
読書、二次創作
自己紹介:
忍たまで「幸福雑音」というサークルで、大阪のイベントに出没しています。
絵描きの竹さんと字書きの柴の二人サークルです。
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