幸福雑音
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☆ss「スカボロフェア」 藤堂とネイガウス 勝燐
ああ、破滅したい。
藤堂の脳裏に十の十六乗くらいは掠めた言葉だった。しかし当の藤堂自身はその言葉を呟くまでもなく、とっくに破滅したも同然なのだけど。
正十字学園祓魔師養成塾の講師の役職を離れて結構長い期間が過ぎていたが、切れ切れの情報は耳に入ってくる。あくまで塾の内部だけの秘密事項として、理事長メフィストフェレスの深遠なる思慮かただの思いつきか分からないが、サタンの息子が籍を置くことになったそうな。それを藤堂は未だ知らない振りをしている。
ああ、崩壊したい。
藤堂の目の前には整然とした世界が広がっている。それは祓魔師を育てる場所としてこれほど相応しいものはなかった。しかしその中に不穏の芽が潜んでいる。
一見すると藤堂のような冴えない一講師崩れには縁の無い話だった。
しかしそんな藤堂をかつて慕っていた生徒もいないわけじゃない。卒業から六年も経つのに、ひと月にいっぺんくらいに手紙を送ってくる教え子がいた。手紙の文面を思い出して藤堂はくすりと微笑む。それには彼女の真剣な思いが綴られていたからだ。
「宝生君は本当に真面目だね。それに心配になるくらい不器用だ。変わってないね。僕の言葉なんかに耳を貸して、大事な和尚様を疑う羽目になるなんて。でも信じてくれて嬉しいよ。」
さあて、今日はどんなふうに時間を潰そうか?
書類整理は出来ているし、備品の管理も万端だし。部下への指示はもう全部メールで送っている。まだ午前中だと言うのに、すっかりやることがなくなってしまった。出動命令が出れば軽く二日くらいは早く過ぎてくれるけどと、藤堂はデスクの上の冷めた紙コップのコーヒーの水面を見つめる。
廊下側がガラス張りになった事務所の外に人影が見える。明るい西洋風の建物にそぐわないようで案外似合っているように見える隻眼の男がいた。
イゴール・ネイガウス。
自分よりは一回り半年下だが、正十字騎士団に所属してからは二十年近くになるベテランだ。現在は塾講師になっているらしい。本人がわざとしているかどうか分からないが、あまり感情を表に出すような男ではない。年頃の子ども相手の講師としてはなかなか優秀らしい。あれでもっと愛想が良ければ人気者になれただろうし、上からの覚えも良くて、もっと上に出世出来ただろう。
「あ。それは無理かもしれないな。」
ネイガウスの人生の別ルートを想像するだけ想像して、藤堂はそれを否定した。単純に思い出しただけだった。
ガラス越しに目が合ったので、にっこりと笑って会釈をする。ネイガウスも努めて笑おうとしたのか、不器用に頬を少し痙攣させて会釈で返してきた。そしてそれがまるで無理をしているわけでない姿勢の良さで、事務所の側を通り過ぎていく。
「可愛いな。」
藤堂はくすくす笑うと、口元を手で覆ってこみ上げてくる笑みを押さえ込もうとした。
今日も、世界も私も変わらない。世界も私も混沌として、なんとか平和を装っていた。
* * *
若い子供の群れはまるで子犬がじゃれあっているように見える。それなのに、大人になれば妙によそよそしく特別な相手じゃないと、手を握ることさえ稀になってしまうのが不可思議で寂しい。みんな多かれ少なかれそんなことを思っているだろうが、あくまで内面のことなので、それが表にいかにもというふうに現れている人間などいない。しかし今、藤堂が眺めているのは、そんな内面をいとも容易く見せてしまっている年頃の少年たちだった。
少年たちはみんな一様に嬉しそうだ。誰もが自分はこの中では仲間だと信じているし、自分を取り囲むみんなが味方だと確信しているせいだろう。その中に紛れている悪魔に気付かずに。
「あれがサタンの息子か……。」
全然悪魔っぽく見えない。立てた頭髪を金髪に染めた長身のいかつい男に勉強を教えてもらっている。側にはピンクに染めたちゃらそうな生徒と、小柄な坊主頭がいる。
「ここさっき教えたやろっ。」
「ご、ごめんなさーい。」
悪魔っぽくないわけだ。見た目馬鹿っぽいと思っていたが、やっぱり馬鹿らしい。金髪の男と見比べれば、どちらが悪魔なのか分かったもんじゃない。
「見聞きした情報と噛み合わないなあ。」
人より力が強くて乱暴者として幼少時は怖がられてて、中学はほとんどさぼりっぱなしで教師にも放置されていた。そんな社会不適合児だと聞いていたのに。
藤堂は首を捻る。まるで普通の子供じゃないか。聞いた話では人間のほうの弟は、天才で絵に描いたような聖人らしい。それと対比する兄にしては――。
「パンチが足りないな。」
というか、弟が出来すぎというべきか。
「アレを不思議に思っているのですか? サタンの息子なのに普通じゃないかと。」
「ネイガウス君。君もあの子の事情を知っているのかい?」
「私は祓魔塾の、魔法円と印章術の講師だったのですから。」
藤堂の後ろには、いつのまにかネイガウスがいた。藤堂は振り返らずににこやかに言う。
「いやあ。どんな悪鬼が学園をうろつくのかと、ある意味戦々恐々としてましたが、随分と普通で大人しいですよね。可愛いというか。」
「それがサタンの子のやり口かもしれませんよ。」
ネイガウスを振り返って目顔でそうなんですかと問いかける。ネイガウスは頷いた。藤堂は再び事務所の窓から見える中庭を覗き込む。悪魔落ちした影響で目はかなりよくなっているが、わざと顔をしかめてネイガウスの目を騙す。
「……そういう意味でおっしゃられたんでしょうか?」
ネイガウスに指摘されて気がついた。悪魔の息子、燐の頬がうっすらと赤くなっている。目線はひたすら金髪の男を見ていた。
「金髪の方は勝呂竜士といいます。明陀宗の総本家の跡取り息子で、成績優秀で素行も良好な優等生です。ピンクの頭の生徒と小柄の坊主頭の生徒は、彼の取り巻きと言っていいでしょう。」
「つまりは、サタンの息子は男をたぶらかそうとしている、と?」
ネイガウスは藤堂の言葉を否定する。
「そんな知恵があるようなたまではありません。奴はたぶらかすどころか、自分こそが人間に滑稽な思いを抱き、それに溺れているようですから。」
「つまり健気に一途に一人の男を思っている、ということですかね。」
ネイガウスは先の燐に対する藤堂の「可愛い」という発言を思い出したのだろう。ぶすっと、良い様に言いすぎではありませんかと返してきた。
「頭が悪いだけです。救いようの無い悪魔ですから。」
「出来の悪い子ほど可愛く見えてしまうのも人情ですよ。自分自身が出来が悪くてもね。」
はあ? っと聞こえてきそうな目つきと口元でネイガウスは顔をはすに見た。藤堂は内心釣れたと嬉しくなったが、かつての自分の本音でもあるので、わざとらしく少し寂しげに「僕のことです」と答えた。ネイガウスは静かに冷静さを装って激昂する。
「それは本当にご自分のことを言っているのですか。平均以上の能力を持っている方が、そのように自分を平均以下みたいだと言うのは不愉快なのですが。」
藤堂はかりかりと人差し指で頭を掻く。
「でも選ばれた天才に比べれば、私など空気よりも薄い存在ですよ。父にもお前は薄ぼんやりとして、はっきりしないと叱られてばかりでしたから。それに上に兄が二人いるのですが、兄たちと比べたら、私には覇気がなくて凡庸なのは目に見えて明らかだったんですから。そうですね。私にとって羨ましい存在とは、あなたに酷評されている悪魔の弟のような人間なのかもしれません。」
「奥村雪男ですか。」
それにはすんなりとネイガウスは納得したように頷いた。藤堂は思いついたまま言葉を連ねる。
「聞けば彼らの母親は祓魔師だったそうですね。聖と邪が片方ずつに凝縮されたのが、彼らなのでしょう。」
藤堂はネイガウスの機嫌を取るように上手いこと言ったつもりだが、ネイガウスはふとその一つしかない目を曇らせた。
「それは、まだ決め付けられません。」
気にはなるが多分彼は藤堂にこれ以上何も話してくれないだろう。藤堂はさも今思い出したと言わんばかりにコーヒーの入ったポットを指差して、一杯いかがですかとネイガウスに提案してみた。ネイガウスはいただきますと答えたので、藤堂は紙コップにコーヒーを注いで、お茶請けですとビンに入った「おっとっと」を差し出した。
「これはいったい?」
一つ取り出してネイガウスは不思議そうに見ている。どうやら日本暮らしは長いけれど駄菓子にはやはり明るくないらしい。
「お好みは分かりませんが、食べてみて下さい。」
ネイガウスは一つ口に入れてみる。かりっと噛んだ音がネイガウス口の中から聞こえたところで、ネイガウスは首を捻っている。
「不味くはないですが平凡な味ですね。」
「そこがいいんですよ。まるで私みたいでしょ。」
ますますネイガウスは首を捻る。
「あなたはご自分のことがそんな好きではないということを、さっき言っていたじゃないですか。」
藤堂は少ない身振りで年上ぶった講釈を垂れる。
「人間は心底自分のことは嫌いになれませんよ。私はある時からそれに気付きまして。嫌いなときは嫌いでいいじゃないかと思い直してみたんですよ。」
ネイガウスの隻眼が見開かれる。藤堂の気まぐれそのものの言葉の何処に心を動かされたのか定かではないが、この孤独な男の心に藤堂は上手い具合に滑り込めたようだ。
「あなたは、強いですね。そのように、そのお歳で考えを改めることが出来るなんて。」
「え? 簡単なことでしたよ。」
藤堂が謙遜していると思ったのか、ネイガウスはうっすらと笑った。平凡な味だとは言っていたが、ひとつふたつとおっとっとに手を伸ばしている。なんか癖になったらしい。
藤堂は再び窓から見える少年たちのじゃれあいに頬を緩めていた。やがてピンクと坊主頭の二人が、燐と勝呂を残して手を振って歩いて退散した。課題が終わったので先に寮に帰るようだ。勝呂はまだまだ手こずっている燐に付き合っているらしい。五分ほど経って、今まで取り組んでいたプリントを勝呂のほうに見せている。勝呂はそれを指差しながら確認したあと、燐の頭を優しく撫でた。
「ほおっ。」
ネイガウスは藤堂の妙な声に反応して後ろからのぞき見てくる。ネイガウスが屈んだところで、眼帯で隠れていないほうの目を手の平で覆おうとした。
「駄目ですよ。あなたはあの子たちの教師なのだから。生徒の濡れ場を見るもんじゃありません。」
ネイガウスは力いっぱい藤堂の手を引き剥がす。明るくなった視界の中で燐は、勝呂の膝の間に座って胸板に頬を擦り寄せていた。
「藤堂さん。あなたは奥村燐が勝呂竜士をたぶらかしたのかと問うてきましたが、あながちそれは正解だったのかもしれません。」
ネイガウスは窓のサッシに両手を乗せて落胆していた。
寄りによってネイガウスに見られていることを燐は知らずに、勝呂に甘えている。勝呂も満更ではなさそうだった。ときたま勝呂の指が燐の髪の毛で遊んでいる。
「あー、お前。気にしとらんよな? さっきまでは結構きついことお前に言っとったけど。」
志摩と子猫丸が一緒にいた手前、言葉がきつくなりがちだったことを勝呂は気にしている。燐は勝呂の顔を見上げてはふっと声を漏らすと、また勝呂の胸板に顔を埋めた。
「勝呂が厳しくしてくれないと、俺困る。」
勝呂は一瞬上半身が滑り落ちそうだった。
「お前恥ずかしいな。」
「いいじゃん。誰もいないんだから。」
相変わらず二人とも、いい年こいた大人の視線に気がついていない。それ以前にここは屋外の中庭である。男女のカップルでもかなり痛い場面を繰り広げているのに、男同士のいちゃつきはなお一層痛く見えてしまう。しかしこの中庭は塾の内部にあるせいか、下手に教室にいるよりは教師にも発見されにくい。
ところが祓魔塾の教師ときたら、あまり生徒の風紀に対して取り締まる姿勢は希薄なので、生徒同士の不純同性交友をたとえ目撃しても、取り立てて問題にしないだろう。そういうのは学園の教師の領分だからだ。ただし奥村燐の弟・奥村雪男を除いての話だが。ここには雪男はいなかったのだから仕方ない。
ひとしきり勝呂の制服のシャツに顔を擦り付けていた燐が、また勝呂を見上げる。そしておもむろに瞼を閉じた。勝呂は辺りをきょろきょろと見回す。しかし上の階に注意が行ってないらしく、勝呂は誰もいないものと判断して顔を傾けた。
「がはっ。」
夕暮れの事務室でネイガウスは咳払いをした。思いのほかにそれは辺りに響いた。勝呂はそれに気付く。もう少しで触れそうだった燐の唇から大げさに離れる。
「あ……。」
勿論燐にもその咳払いが聞こえていたので、慌てて勝呂の膝の間から降りた。二人はきょろきょろと辺りを見回すが、その頃にはネイガウスと藤堂は窓から事務室の中ほどに移動していた。
「無粋ですねえ。キスの一つや二つ。」
「……。」
「あなた年頃の男の性欲を否定する派ですか?」
「……。」
「人間も動物ですからね。性欲に支配された時には頭の箍が外れるもんですよ。」
「アレの場合は、悪魔が人間の理性を麻痺させたとしか思えない。」
「魔女狩りの理論ですね。」
ネイガウスは口を噤む。
「あなたはどちらかというと、悪魔のやることに寛容過ぎやしませんか?」
「悪魔に厳しくするなら、人間にも厳しくするべきでしょう。あなたは人間のほうが悪魔より上等と言い切れるのですか?」
ネイガウスは菓子のビンに蓋をすると藤堂のほうに押し返した。そして空になった紙コップをゴミ箱に捨てると、ご馳走様と言って一礼した。
「また来てくださいね。いつでもコーヒーをご馳走しますよ。」
ネイガウスは黙って退室する。藤堂はそれを横目で見ていた。
「可愛い。本当に可愛いな。」
もう一度見た窓の外には、勝呂と燐の二人の姿はなかった。
長編でオフで書こうとしていた中年と壮年です。意外ときゃぴきゃぴしています。ちなみにカプではありません。続く・・・かな?
藤堂の脳裏に十の十六乗くらいは掠めた言葉だった。しかし当の藤堂自身はその言葉を呟くまでもなく、とっくに破滅したも同然なのだけど。
正十字学園祓魔師養成塾の講師の役職を離れて結構長い期間が過ぎていたが、切れ切れの情報は耳に入ってくる。あくまで塾の内部だけの秘密事項として、理事長メフィストフェレスの深遠なる思慮かただの思いつきか分からないが、サタンの息子が籍を置くことになったそうな。それを藤堂は未だ知らない振りをしている。
ああ、崩壊したい。
藤堂の目の前には整然とした世界が広がっている。それは祓魔師を育てる場所としてこれほど相応しいものはなかった。しかしその中に不穏の芽が潜んでいる。
一見すると藤堂のような冴えない一講師崩れには縁の無い話だった。
しかしそんな藤堂をかつて慕っていた生徒もいないわけじゃない。卒業から六年も経つのに、ひと月にいっぺんくらいに手紙を送ってくる教え子がいた。手紙の文面を思い出して藤堂はくすりと微笑む。それには彼女の真剣な思いが綴られていたからだ。
「宝生君は本当に真面目だね。それに心配になるくらい不器用だ。変わってないね。僕の言葉なんかに耳を貸して、大事な和尚様を疑う羽目になるなんて。でも信じてくれて嬉しいよ。」
さあて、今日はどんなふうに時間を潰そうか?
書類整理は出来ているし、備品の管理も万端だし。部下への指示はもう全部メールで送っている。まだ午前中だと言うのに、すっかりやることがなくなってしまった。出動命令が出れば軽く二日くらいは早く過ぎてくれるけどと、藤堂はデスクの上の冷めた紙コップのコーヒーの水面を見つめる。
廊下側がガラス張りになった事務所の外に人影が見える。明るい西洋風の建物にそぐわないようで案外似合っているように見える隻眼の男がいた。
イゴール・ネイガウス。
自分よりは一回り半年下だが、正十字騎士団に所属してからは二十年近くになるベテランだ。現在は塾講師になっているらしい。本人がわざとしているかどうか分からないが、あまり感情を表に出すような男ではない。年頃の子ども相手の講師としてはなかなか優秀らしい。あれでもっと愛想が良ければ人気者になれただろうし、上からの覚えも良くて、もっと上に出世出来ただろう。
「あ。それは無理かもしれないな。」
ネイガウスの人生の別ルートを想像するだけ想像して、藤堂はそれを否定した。単純に思い出しただけだった。
ガラス越しに目が合ったので、にっこりと笑って会釈をする。ネイガウスも努めて笑おうとしたのか、不器用に頬を少し痙攣させて会釈で返してきた。そしてそれがまるで無理をしているわけでない姿勢の良さで、事務所の側を通り過ぎていく。
「可愛いな。」
藤堂はくすくす笑うと、口元を手で覆ってこみ上げてくる笑みを押さえ込もうとした。
今日も、世界も私も変わらない。世界も私も混沌として、なんとか平和を装っていた。
* * *
若い子供の群れはまるで子犬がじゃれあっているように見える。それなのに、大人になれば妙によそよそしく特別な相手じゃないと、手を握ることさえ稀になってしまうのが不可思議で寂しい。みんな多かれ少なかれそんなことを思っているだろうが、あくまで内面のことなので、それが表にいかにもというふうに現れている人間などいない。しかし今、藤堂が眺めているのは、そんな内面をいとも容易く見せてしまっている年頃の少年たちだった。
少年たちはみんな一様に嬉しそうだ。誰もが自分はこの中では仲間だと信じているし、自分を取り囲むみんなが味方だと確信しているせいだろう。その中に紛れている悪魔に気付かずに。
「あれがサタンの息子か……。」
全然悪魔っぽく見えない。立てた頭髪を金髪に染めた長身のいかつい男に勉強を教えてもらっている。側にはピンクに染めたちゃらそうな生徒と、小柄な坊主頭がいる。
「ここさっき教えたやろっ。」
「ご、ごめんなさーい。」
悪魔っぽくないわけだ。見た目馬鹿っぽいと思っていたが、やっぱり馬鹿らしい。金髪の男と見比べれば、どちらが悪魔なのか分かったもんじゃない。
「見聞きした情報と噛み合わないなあ。」
人より力が強くて乱暴者として幼少時は怖がられてて、中学はほとんどさぼりっぱなしで教師にも放置されていた。そんな社会不適合児だと聞いていたのに。
藤堂は首を捻る。まるで普通の子供じゃないか。聞いた話では人間のほうの弟は、天才で絵に描いたような聖人らしい。それと対比する兄にしては――。
「パンチが足りないな。」
というか、弟が出来すぎというべきか。
「アレを不思議に思っているのですか? サタンの息子なのに普通じゃないかと。」
「ネイガウス君。君もあの子の事情を知っているのかい?」
「私は祓魔塾の、魔法円と印章術の講師だったのですから。」
藤堂の後ろには、いつのまにかネイガウスがいた。藤堂は振り返らずににこやかに言う。
「いやあ。どんな悪鬼が学園をうろつくのかと、ある意味戦々恐々としてましたが、随分と普通で大人しいですよね。可愛いというか。」
「それがサタンの子のやり口かもしれませんよ。」
ネイガウスを振り返って目顔でそうなんですかと問いかける。ネイガウスは頷いた。藤堂は再び事務所の窓から見える中庭を覗き込む。悪魔落ちした影響で目はかなりよくなっているが、わざと顔をしかめてネイガウスの目を騙す。
「……そういう意味でおっしゃられたんでしょうか?」
ネイガウスに指摘されて気がついた。悪魔の息子、燐の頬がうっすらと赤くなっている。目線はひたすら金髪の男を見ていた。
「金髪の方は勝呂竜士といいます。明陀宗の総本家の跡取り息子で、成績優秀で素行も良好な優等生です。ピンクの頭の生徒と小柄の坊主頭の生徒は、彼の取り巻きと言っていいでしょう。」
「つまりは、サタンの息子は男をたぶらかそうとしている、と?」
ネイガウスは藤堂の言葉を否定する。
「そんな知恵があるようなたまではありません。奴はたぶらかすどころか、自分こそが人間に滑稽な思いを抱き、それに溺れているようですから。」
「つまり健気に一途に一人の男を思っている、ということですかね。」
ネイガウスは先の燐に対する藤堂の「可愛い」という発言を思い出したのだろう。ぶすっと、良い様に言いすぎではありませんかと返してきた。
「頭が悪いだけです。救いようの無い悪魔ですから。」
「出来の悪い子ほど可愛く見えてしまうのも人情ですよ。自分自身が出来が悪くてもね。」
はあ? っと聞こえてきそうな目つきと口元でネイガウスは顔をはすに見た。藤堂は内心釣れたと嬉しくなったが、かつての自分の本音でもあるので、わざとらしく少し寂しげに「僕のことです」と答えた。ネイガウスは静かに冷静さを装って激昂する。
「それは本当にご自分のことを言っているのですか。平均以上の能力を持っている方が、そのように自分を平均以下みたいだと言うのは不愉快なのですが。」
藤堂はかりかりと人差し指で頭を掻く。
「でも選ばれた天才に比べれば、私など空気よりも薄い存在ですよ。父にもお前は薄ぼんやりとして、はっきりしないと叱られてばかりでしたから。それに上に兄が二人いるのですが、兄たちと比べたら、私には覇気がなくて凡庸なのは目に見えて明らかだったんですから。そうですね。私にとって羨ましい存在とは、あなたに酷評されている悪魔の弟のような人間なのかもしれません。」
「奥村雪男ですか。」
それにはすんなりとネイガウスは納得したように頷いた。藤堂は思いついたまま言葉を連ねる。
「聞けば彼らの母親は祓魔師だったそうですね。聖と邪が片方ずつに凝縮されたのが、彼らなのでしょう。」
藤堂はネイガウスの機嫌を取るように上手いこと言ったつもりだが、ネイガウスはふとその一つしかない目を曇らせた。
「それは、まだ決め付けられません。」
気にはなるが多分彼は藤堂にこれ以上何も話してくれないだろう。藤堂はさも今思い出したと言わんばかりにコーヒーの入ったポットを指差して、一杯いかがですかとネイガウスに提案してみた。ネイガウスはいただきますと答えたので、藤堂は紙コップにコーヒーを注いで、お茶請けですとビンに入った「おっとっと」を差し出した。
「これはいったい?」
一つ取り出してネイガウスは不思議そうに見ている。どうやら日本暮らしは長いけれど駄菓子にはやはり明るくないらしい。
「お好みは分かりませんが、食べてみて下さい。」
ネイガウスは一つ口に入れてみる。かりっと噛んだ音がネイガウス口の中から聞こえたところで、ネイガウスは首を捻っている。
「不味くはないですが平凡な味ですね。」
「そこがいいんですよ。まるで私みたいでしょ。」
ますますネイガウスは首を捻る。
「あなたはご自分のことがそんな好きではないということを、さっき言っていたじゃないですか。」
藤堂は少ない身振りで年上ぶった講釈を垂れる。
「人間は心底自分のことは嫌いになれませんよ。私はある時からそれに気付きまして。嫌いなときは嫌いでいいじゃないかと思い直してみたんですよ。」
ネイガウスの隻眼が見開かれる。藤堂の気まぐれそのものの言葉の何処に心を動かされたのか定かではないが、この孤独な男の心に藤堂は上手い具合に滑り込めたようだ。
「あなたは、強いですね。そのように、そのお歳で考えを改めることが出来るなんて。」
「え? 簡単なことでしたよ。」
藤堂が謙遜していると思ったのか、ネイガウスはうっすらと笑った。平凡な味だとは言っていたが、ひとつふたつとおっとっとに手を伸ばしている。なんか癖になったらしい。
藤堂は再び窓から見える少年たちのじゃれあいに頬を緩めていた。やがてピンクと坊主頭の二人が、燐と勝呂を残して手を振って歩いて退散した。課題が終わったので先に寮に帰るようだ。勝呂はまだまだ手こずっている燐に付き合っているらしい。五分ほど経って、今まで取り組んでいたプリントを勝呂のほうに見せている。勝呂はそれを指差しながら確認したあと、燐の頭を優しく撫でた。
「ほおっ。」
ネイガウスは藤堂の妙な声に反応して後ろからのぞき見てくる。ネイガウスが屈んだところで、眼帯で隠れていないほうの目を手の平で覆おうとした。
「駄目ですよ。あなたはあの子たちの教師なのだから。生徒の濡れ場を見るもんじゃありません。」
ネイガウスは力いっぱい藤堂の手を引き剥がす。明るくなった視界の中で燐は、勝呂の膝の間に座って胸板に頬を擦り寄せていた。
「藤堂さん。あなたは奥村燐が勝呂竜士をたぶらかしたのかと問うてきましたが、あながちそれは正解だったのかもしれません。」
ネイガウスは窓のサッシに両手を乗せて落胆していた。
寄りによってネイガウスに見られていることを燐は知らずに、勝呂に甘えている。勝呂も満更ではなさそうだった。ときたま勝呂の指が燐の髪の毛で遊んでいる。
「あー、お前。気にしとらんよな? さっきまでは結構きついことお前に言っとったけど。」
志摩と子猫丸が一緒にいた手前、言葉がきつくなりがちだったことを勝呂は気にしている。燐は勝呂の顔を見上げてはふっと声を漏らすと、また勝呂の胸板に顔を埋めた。
「勝呂が厳しくしてくれないと、俺困る。」
勝呂は一瞬上半身が滑り落ちそうだった。
「お前恥ずかしいな。」
「いいじゃん。誰もいないんだから。」
相変わらず二人とも、いい年こいた大人の視線に気がついていない。それ以前にここは屋外の中庭である。男女のカップルでもかなり痛い場面を繰り広げているのに、男同士のいちゃつきはなお一層痛く見えてしまう。しかしこの中庭は塾の内部にあるせいか、下手に教室にいるよりは教師にも発見されにくい。
ところが祓魔塾の教師ときたら、あまり生徒の風紀に対して取り締まる姿勢は希薄なので、生徒同士の不純同性交友をたとえ目撃しても、取り立てて問題にしないだろう。そういうのは学園の教師の領分だからだ。ただし奥村燐の弟・奥村雪男を除いての話だが。ここには雪男はいなかったのだから仕方ない。
ひとしきり勝呂の制服のシャツに顔を擦り付けていた燐が、また勝呂を見上げる。そしておもむろに瞼を閉じた。勝呂は辺りをきょろきょろと見回す。しかし上の階に注意が行ってないらしく、勝呂は誰もいないものと判断して顔を傾けた。
「がはっ。」
夕暮れの事務室でネイガウスは咳払いをした。思いのほかにそれは辺りに響いた。勝呂はそれに気付く。もう少しで触れそうだった燐の唇から大げさに離れる。
「あ……。」
勿論燐にもその咳払いが聞こえていたので、慌てて勝呂の膝の間から降りた。二人はきょろきょろと辺りを見回すが、その頃にはネイガウスと藤堂は窓から事務室の中ほどに移動していた。
「無粋ですねえ。キスの一つや二つ。」
「……。」
「あなた年頃の男の性欲を否定する派ですか?」
「……。」
「人間も動物ですからね。性欲に支配された時には頭の箍が外れるもんですよ。」
「アレの場合は、悪魔が人間の理性を麻痺させたとしか思えない。」
「魔女狩りの理論ですね。」
ネイガウスは口を噤む。
「あなたはどちらかというと、悪魔のやることに寛容過ぎやしませんか?」
「悪魔に厳しくするなら、人間にも厳しくするべきでしょう。あなたは人間のほうが悪魔より上等と言い切れるのですか?」
ネイガウスは菓子のビンに蓋をすると藤堂のほうに押し返した。そして空になった紙コップをゴミ箱に捨てると、ご馳走様と言って一礼した。
「また来てくださいね。いつでもコーヒーをご馳走しますよ。」
ネイガウスは黙って退室する。藤堂はそれを横目で見ていた。
「可愛い。本当に可愛いな。」
もう一度見た窓の外には、勝呂と燐の二人の姿はなかった。
長編でオフで書こうとしていた中年と壮年です。意外ときゃぴきゃぴしています。ちなみにカプではありません。続く・・・かな?
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職業:
会社員
趣味:
読書、二次創作
自己紹介:
忍たまで「幸福雑音」というサークルで、大阪のイベントに出没しています。
絵描きの竹さんと字書きの柴の二人サークルです。
柴はツイッターもしています。http://twitter.com/#!/hitsugi12
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