幸福雑音
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☆ss「24-①」雪燐 魔法の一日の始まり:朝
ほんの少し早まってしまったかもと雪男は思った。丸々二十四時間の猶予なら、一週間後にして、予約を取ってどこかに一泊旅行も可能だったはずなのに。でも思い直してみれば、そんな決まりきったような、お仕着せの休暇も何かが違うような気がする。何せ条件の一つが「兄の記憶に残らない」という、後で思い出を二人で振り返ることがないものなのだから。
ここは開き直って自分の自己満足に徹底してやろうと。雪男が一番にやったことは――。
「兄さん起きて! はい起きて、起きて! 兄さん。兄さん。起きてよ!」
雪男が目覚まし時計も顔負けの声を上げて、布団を引っ張ると、少し引っ張り返されるような抵抗感があったが、すぐに布団を奪取出来た。布団の下にいた燐は朝の光から身を庇うかのように、顔を腕で覆っている。
「なんだよ……。今日は学校なんて、ねえのに……。」
「そうだよ。学校がないんだよ。」
燐はまだ寝たりないかのようにその場には無い布団を手探りで探している。
「だったら寝かせて……」
「駄目!」
雪男はベッドの上の兄の顔の間近に顔を寄せる。
「さあ、兄さん。朝だよ。起きようよ。」
「雪男ちゃん。課題なら昼前ぐらいからやるつもりだから。宿題もちゃんとやるつもりだから。ほんとだから。」
燐が弱弱しい声で雪男に懇願する。雪男は燐の背中を叩きながら耳元に口を寄せて、とっておきの言葉を言ってやる。
「課題なんか今日はやらなくていいんだよ。」
雪男の一言に燐は寝ぼけていた目をぱっちりと開けた。
「それ、マジで言ってるのか? 雪男、変なもの食った?」
「兄さん。僕朝ごはんもまだなんだから。」
「だって、土日も課題課題って、うるさいお前が。課題やんなくて良いって、どういうことだよ。」
「あう。」
日頃の報いが早速襲ってきた。寄ると触ると小言ばかりを兄にぼやき続けた、この数ヶ月間の行いのツケが当然のように燐に不審がらせている。
「僕、今日、任務ないから。これは、僕の勝手だけど。兄さん? 燐兄さん。お願い。今日は僕に付き合って? あ。付き合うって言ってもね、兄さんの苦手な勉強とかじゃないんだよっ。た、た、た、たまには兄さんと兄弟水入らずで、遊びたいなあって。駄目? 駄目?」
苦しい。苦し過ぎる。ぽかんと口を開けている燐を前に雪男は冷や汗が止まらない。燐に今回の休日のカラクリを話すわけにもいかない。しかしこのままでは、ここでゲームオーバーになりかねなかった。
「いきなりだよな。」
燐のぽつりと言った言葉に雪男は背筋を戦慄させる。それはメフィストにも言われた言葉だった。自分の性急すぎる願いに対して、やはりこう返されるのが筋というものらしい。
「ひょっとして、なんか都合悪かった?」
ふと思ってみれば、兄と勝呂達との勉強会の約束なんかあったら即アウトだった。燐はそんなことないと首を振る。雪男はほっと息をついた。
「お前、この学校に来てからずっと、中学の時のように俺を野放しにさせてくれてなかったからさ――。今日も何か怒られる前に勉強しようかなと思ってたんだよ。俺。」
また雪男の胃と心臓がぎゅっと締まる音がした。燐は怪訝そうな顔で雪男に問いかける。
「本当に勉強しなくていいんだな?」
「うん。ほんとだよ。今日は勉強しなくていいから、だから僕に付き合って……」
勉強しなくていいというのは、燐にとってはほいほいと受け入れられることだろうが、その交換条件に乗ってくれるかが問題だった。
ただでさえあまり趣味の合う兄弟とは言えない双子だし、改めて思い返してみれば、燐と外遊びした記憶も希薄な雪男だった。なにせ小学校に入ってすぐから祓魔師の修行に明け暮れていたし、正十字学園に入るための受験勉強もあった。二年前からは任務に担ぎ出されていたし、最近の兄弟関係は言わずもがなな現状である。
幾ら雪男が燐を求めていても、燐がそれに応えてくれるような土台というか下地は既に風化して跡形もなくなっていそうな気がする。自分が燐を慕っていたと燐が思っていた年月は、幼稚園を卒園したときから途絶えていたと思われても仕方が無い。(そうだ。原作でも、そこから先の年月の描写は黙殺されるかのように省かれていた。)
もういっそのこと、今日の休日のカラクリについて話してしまおうか。ここでネックなのは兄の記憶だけだし。そこだけを伏せれば。記憶に残らないものなら……と思ったが――。
この兄なら絶対、下らねえ付き合ってられねえと吐き捨てられるだろう。だって普通の休日でも出来るだろ、という話になってしまうんだもん。
でも、雪男にとって兄に自分の本心を曝け出すなんて、恥ずかしくて死んだほうがマシな歪な意地があった。だからわざわざメフィストに兄の記憶に残らない休日を頼んだのに。
だけど――。このままでは燐を説得するだけに、どれだけ言葉と時間を費やしてしまうのだろうか。というか、こんな自分で燐を説得する自信が、雪男にははっきり言ってない。そんな自信はたった数十秒で枯れ果ててしまっている。
『なんだ。天才だとか、特待生とか、先生だとか、何の役にも立たないじゃないか。寧ろ邪魔にしかなってねえだろうが。』
本気で泣きそうだった。
「う、うっく……」
そしてそれが表情に出た途端、今度は燐が慌ててしまう。
「うわっ。ごめん。俺が素直じゃなかった。付き合うから。付き合うからな、な? せっかく雪男が勉強しなくて良いってくれたのに、兄ちゃん、ちょっと怖くなっちゃってびびって、ほんとごめん。だから泣くな。朝飯まだって言ったよな。なんか俺が作ってやろうか?」
燐の手が優しく雪男の手を握ってきた。昔の雪男以外には恐ろしいと怖がられていたが、雪男だけには優しかった手が触れてきている。雪男はそんな兄の最近ではあまり見られなくなっていた自分だけに向ける表情に胸が震える。
「兄さん――。」
「いやっ。ちょっと泣くのは勘弁な! お前にもなんか事情があるんだよな。そうだよな?」
雪男はこくこくと頷き続ける。
「今日は、今日だけは特別なんだ。」
「それはよくわかった。」
燐はこれ以上、雪男を刺激しないようにどうどうと手を翳している。もう雪男の豹変ぶりは気にしていないらしい。それ以上に、いきなり泣き出しそうになった弟を宥めるのに一生懸命なようだった。この甘さが兄の兄たる由縁で、騙しやすいのが、捻くれた自分にとっては、何物にも代えがたい恩恵を与えてくれているようで、どこか胸が痛んだ。
「兄さん。好きだよ。」
一瞬燐の口から悲鳴が上がりそうだったが、燐はどうやらすぐに別の解釈に行き着いたようにそうだなと口にする。
「兄ちゃん。まだ、お前に好かれてたんだな。」
今度は雪男がきょとんと首を傾げる。
「いつ僕が兄さんを嫌いって言ったんだい?」
困ったような兄の顔を見て雪男ははっとなった。その表情に気づいたのか燐は愚痴を言うように小声でぼやいている。
「嫌いとは言われてねえけど――。」
特別な休日は反省で始まってしまった。雪男はごめんなさいと口の中で呟いた。兄に辛辣なことばかり言っていた自分を心底悔いた。兄の困ったような顔に、訴えかけるように雪男は繰り返し言う。
「本当に僕は兄さんのことが好きなんだから。」
「わかった。わかったから。」
燐は少し目を逸らして鼻の頭を指先で掻くと、「俺も」と小さな声で呟いた。
「っへへ……。」
燐は照れ笑いを後姿で隠しながら部屋を出る。その後ろを雪男もついていく。
「まずは、飯でも食べようか。何作ろうかな。」
「僕も一緒に作る。」
燐がぎょっとしたように振り向く。
「そんなこと言われたの、幼稚園以来だな。」
「懐かしいでしょ?」
「な、懐かしいっていうか。う、う、うん。」
* * *
燐が口ごもったのには理由があった。
燐が料理を始めた当初、雪男も一緒になって台所に立っていた時期もあった。あの頃は常に兄にべったりだったから、兄のやることはなんでも真似したがった。燐は最初の悲惨な卵焼きから着々ととんとん拍子に腕を上げたが、それは燐の少ない才能の一つが開花したと言っていいものだった。
しかし一緒になって料理を始めた雪男は、まるでその才能がなかった。周囲の大人はこぞって雪男は男の子なんだし、燐と違って頭が良いしと、いろいろ言い訳を捏ねながら雪男に料理を薦めなかった。雪男のその欠点は料理から遠ざけられることで埋もれてしまっていた。その埋もれてしまった欠点が、今更のように掘り起こされる寸前だった。
「大丈夫だよ。目玉焼きなら僕にも出来るから。」
フライパンをコンロの上に置いて、雪男は燐に頷いてみせる。燐は微妙な笑顔を浮かべていた。さりげなくウコバクに合図を送る。さあて、と雪男は(両利きなので)両手で卵を一つずつ持ってコンロの角にぶつけようとしたところを燐に止められた。
「雪男。まず卵はボールの中に割れよ。」
そして雪男の前にボールを差し出す。雪男は渋々と兄さんだって直接フライパンに割り入れるくせにと呟いていた。
「いいから。」
「わかったよ。せーの。」
ぐしゃ。 卵はボールの中に黄身を破壊して殻が混じった状態で落とされた。
「あれ? あれ?」
燐はそれを予測していたように頷く。苦笑いを浮かべて雪男の前からボールをひょいっと奪った。
「大丈夫だ。殻を取り除けば。これは兄ちゃんがオムレツにしてやろう。」
「待って! 失敗したのは僕の分だから。兄さんの分はちゃんと割ってみせるから!」
別のボールに雪男は改めて卵を割りいれる。しかし今度も見事に黄身は潰れた。
「ははは……兄ちゃんの分もオムレツだな。」
燐は最初から雪男が失敗することを見越していたようだった。しかしそれを口にしない。雪男は俯いて唇をかみ締めている。燐は手を洗うとボールの中の卵の殻を丁寧に拾う。そして胡椒やら塩やら牛乳を混ぜて、軽やかに焼いてみせる。
「ほら。出来たぞ。ゆき、お……?」
雪男は俯いたまま口の中で何か呟いている。
「今日ぐらい……今日しかないのに……、なんで、しょっぱなから失敗……。」
燐の耳にはそれは聞こえなかった。燐はくすっと笑うとオムレツを食卓に並べてケチャップでそれぞれの名前を書いてやる。
「ったく。しょうがねえな。昔のべそっ子に戻ったみてえじゃねえか。」
「だって。だって。僕だって出来るつもりだったのに。」
燐はまたよしよしと雪男の頭を撫でている。日頃の仕返しとばかりに嫌味とかを言ってやり返されても仕方ない状況なのに、どこまでも兄の手も言葉も優しい。当たり前のように仕返しされると思った自分に気づいてみれば、どれだけ自分は兄に対して傲慢な言葉の数々を投げつけていたんだろうか。本当に兄は甘くてお人よしだ。
ウコバクが二人分のトーストを持ってくる。
「じゃ、いただきまーす。」
「いただきます。」
時計に目をやれば午前七時。残り二十三時間は楽しく過ごしたい雪男だった。
しょっぱなから出鼻をくじかれた雪男でした。nhkの教育テレビでマインに弟子入りしてこい。
ここは開き直って自分の自己満足に徹底してやろうと。雪男が一番にやったことは――。
「兄さん起きて! はい起きて、起きて! 兄さん。兄さん。起きてよ!」
雪男が目覚まし時計も顔負けの声を上げて、布団を引っ張ると、少し引っ張り返されるような抵抗感があったが、すぐに布団を奪取出来た。布団の下にいた燐は朝の光から身を庇うかのように、顔を腕で覆っている。
「なんだよ……。今日は学校なんて、ねえのに……。」
「そうだよ。学校がないんだよ。」
燐はまだ寝たりないかのようにその場には無い布団を手探りで探している。
「だったら寝かせて……」
「駄目!」
雪男はベッドの上の兄の顔の間近に顔を寄せる。
「さあ、兄さん。朝だよ。起きようよ。」
「雪男ちゃん。課題なら昼前ぐらいからやるつもりだから。宿題もちゃんとやるつもりだから。ほんとだから。」
燐が弱弱しい声で雪男に懇願する。雪男は燐の背中を叩きながら耳元に口を寄せて、とっておきの言葉を言ってやる。
「課題なんか今日はやらなくていいんだよ。」
雪男の一言に燐は寝ぼけていた目をぱっちりと開けた。
「それ、マジで言ってるのか? 雪男、変なもの食った?」
「兄さん。僕朝ごはんもまだなんだから。」
「だって、土日も課題課題って、うるさいお前が。課題やんなくて良いって、どういうことだよ。」
「あう。」
日頃の報いが早速襲ってきた。寄ると触ると小言ばかりを兄にぼやき続けた、この数ヶ月間の行いのツケが当然のように燐に不審がらせている。
「僕、今日、任務ないから。これは、僕の勝手だけど。兄さん? 燐兄さん。お願い。今日は僕に付き合って? あ。付き合うって言ってもね、兄さんの苦手な勉強とかじゃないんだよっ。た、た、た、たまには兄さんと兄弟水入らずで、遊びたいなあって。駄目? 駄目?」
苦しい。苦し過ぎる。ぽかんと口を開けている燐を前に雪男は冷や汗が止まらない。燐に今回の休日のカラクリを話すわけにもいかない。しかしこのままでは、ここでゲームオーバーになりかねなかった。
「いきなりだよな。」
燐のぽつりと言った言葉に雪男は背筋を戦慄させる。それはメフィストにも言われた言葉だった。自分の性急すぎる願いに対して、やはりこう返されるのが筋というものらしい。
「ひょっとして、なんか都合悪かった?」
ふと思ってみれば、兄と勝呂達との勉強会の約束なんかあったら即アウトだった。燐はそんなことないと首を振る。雪男はほっと息をついた。
「お前、この学校に来てからずっと、中学の時のように俺を野放しにさせてくれてなかったからさ――。今日も何か怒られる前に勉強しようかなと思ってたんだよ。俺。」
また雪男の胃と心臓がぎゅっと締まる音がした。燐は怪訝そうな顔で雪男に問いかける。
「本当に勉強しなくていいんだな?」
「うん。ほんとだよ。今日は勉強しなくていいから、だから僕に付き合って……」
勉強しなくていいというのは、燐にとってはほいほいと受け入れられることだろうが、その交換条件に乗ってくれるかが問題だった。
ただでさえあまり趣味の合う兄弟とは言えない双子だし、改めて思い返してみれば、燐と外遊びした記憶も希薄な雪男だった。なにせ小学校に入ってすぐから祓魔師の修行に明け暮れていたし、正十字学園に入るための受験勉強もあった。二年前からは任務に担ぎ出されていたし、最近の兄弟関係は言わずもがなな現状である。
幾ら雪男が燐を求めていても、燐がそれに応えてくれるような土台というか下地は既に風化して跡形もなくなっていそうな気がする。自分が燐を慕っていたと燐が思っていた年月は、幼稚園を卒園したときから途絶えていたと思われても仕方が無い。(そうだ。原作でも、そこから先の年月の描写は黙殺されるかのように省かれていた。)
もういっそのこと、今日の休日のカラクリについて話してしまおうか。ここでネックなのは兄の記憶だけだし。そこだけを伏せれば。記憶に残らないものなら……と思ったが――。
この兄なら絶対、下らねえ付き合ってられねえと吐き捨てられるだろう。だって普通の休日でも出来るだろ、という話になってしまうんだもん。
でも、雪男にとって兄に自分の本心を曝け出すなんて、恥ずかしくて死んだほうがマシな歪な意地があった。だからわざわざメフィストに兄の記憶に残らない休日を頼んだのに。
だけど――。このままでは燐を説得するだけに、どれだけ言葉と時間を費やしてしまうのだろうか。というか、こんな自分で燐を説得する自信が、雪男にははっきり言ってない。そんな自信はたった数十秒で枯れ果ててしまっている。
『なんだ。天才だとか、特待生とか、先生だとか、何の役にも立たないじゃないか。寧ろ邪魔にしかなってねえだろうが。』
本気で泣きそうだった。
「う、うっく……」
そしてそれが表情に出た途端、今度は燐が慌ててしまう。
「うわっ。ごめん。俺が素直じゃなかった。付き合うから。付き合うからな、な? せっかく雪男が勉強しなくて良いってくれたのに、兄ちゃん、ちょっと怖くなっちゃってびびって、ほんとごめん。だから泣くな。朝飯まだって言ったよな。なんか俺が作ってやろうか?」
燐の手が優しく雪男の手を握ってきた。昔の雪男以外には恐ろしいと怖がられていたが、雪男だけには優しかった手が触れてきている。雪男はそんな兄の最近ではあまり見られなくなっていた自分だけに向ける表情に胸が震える。
「兄さん――。」
「いやっ。ちょっと泣くのは勘弁な! お前にもなんか事情があるんだよな。そうだよな?」
雪男はこくこくと頷き続ける。
「今日は、今日だけは特別なんだ。」
「それはよくわかった。」
燐はこれ以上、雪男を刺激しないようにどうどうと手を翳している。もう雪男の豹変ぶりは気にしていないらしい。それ以上に、いきなり泣き出しそうになった弟を宥めるのに一生懸命なようだった。この甘さが兄の兄たる由縁で、騙しやすいのが、捻くれた自分にとっては、何物にも代えがたい恩恵を与えてくれているようで、どこか胸が痛んだ。
「兄さん。好きだよ。」
一瞬燐の口から悲鳴が上がりそうだったが、燐はどうやらすぐに別の解釈に行き着いたようにそうだなと口にする。
「兄ちゃん。まだ、お前に好かれてたんだな。」
今度は雪男がきょとんと首を傾げる。
「いつ僕が兄さんを嫌いって言ったんだい?」
困ったような兄の顔を見て雪男ははっとなった。その表情に気づいたのか燐は愚痴を言うように小声でぼやいている。
「嫌いとは言われてねえけど――。」
特別な休日は反省で始まってしまった。雪男はごめんなさいと口の中で呟いた。兄に辛辣なことばかり言っていた自分を心底悔いた。兄の困ったような顔に、訴えかけるように雪男は繰り返し言う。
「本当に僕は兄さんのことが好きなんだから。」
「わかった。わかったから。」
燐は少し目を逸らして鼻の頭を指先で掻くと、「俺も」と小さな声で呟いた。
「っへへ……。」
燐は照れ笑いを後姿で隠しながら部屋を出る。その後ろを雪男もついていく。
「まずは、飯でも食べようか。何作ろうかな。」
「僕も一緒に作る。」
燐がぎょっとしたように振り向く。
「そんなこと言われたの、幼稚園以来だな。」
「懐かしいでしょ?」
「な、懐かしいっていうか。う、う、うん。」
* * *
燐が口ごもったのには理由があった。
燐が料理を始めた当初、雪男も一緒になって台所に立っていた時期もあった。あの頃は常に兄にべったりだったから、兄のやることはなんでも真似したがった。燐は最初の悲惨な卵焼きから着々ととんとん拍子に腕を上げたが、それは燐の少ない才能の一つが開花したと言っていいものだった。
しかし一緒になって料理を始めた雪男は、まるでその才能がなかった。周囲の大人はこぞって雪男は男の子なんだし、燐と違って頭が良いしと、いろいろ言い訳を捏ねながら雪男に料理を薦めなかった。雪男のその欠点は料理から遠ざけられることで埋もれてしまっていた。その埋もれてしまった欠点が、今更のように掘り起こされる寸前だった。
「大丈夫だよ。目玉焼きなら僕にも出来るから。」
フライパンをコンロの上に置いて、雪男は燐に頷いてみせる。燐は微妙な笑顔を浮かべていた。さりげなくウコバクに合図を送る。さあて、と雪男は(両利きなので)両手で卵を一つずつ持ってコンロの角にぶつけようとしたところを燐に止められた。
「雪男。まず卵はボールの中に割れよ。」
そして雪男の前にボールを差し出す。雪男は渋々と兄さんだって直接フライパンに割り入れるくせにと呟いていた。
「いいから。」
「わかったよ。せーの。」
ぐしゃ。 卵はボールの中に黄身を破壊して殻が混じった状態で落とされた。
「あれ? あれ?」
燐はそれを予測していたように頷く。苦笑いを浮かべて雪男の前からボールをひょいっと奪った。
「大丈夫だ。殻を取り除けば。これは兄ちゃんがオムレツにしてやろう。」
「待って! 失敗したのは僕の分だから。兄さんの分はちゃんと割ってみせるから!」
別のボールに雪男は改めて卵を割りいれる。しかし今度も見事に黄身は潰れた。
「ははは……兄ちゃんの分もオムレツだな。」
燐は最初から雪男が失敗することを見越していたようだった。しかしそれを口にしない。雪男は俯いて唇をかみ締めている。燐は手を洗うとボールの中の卵の殻を丁寧に拾う。そして胡椒やら塩やら牛乳を混ぜて、軽やかに焼いてみせる。
「ほら。出来たぞ。ゆき、お……?」
雪男は俯いたまま口の中で何か呟いている。
「今日ぐらい……今日しかないのに……、なんで、しょっぱなから失敗……。」
燐の耳にはそれは聞こえなかった。燐はくすっと笑うとオムレツを食卓に並べてケチャップでそれぞれの名前を書いてやる。
「ったく。しょうがねえな。昔のべそっ子に戻ったみてえじゃねえか。」
「だって。だって。僕だって出来るつもりだったのに。」
燐はまたよしよしと雪男の頭を撫でている。日頃の仕返しとばかりに嫌味とかを言ってやり返されても仕方ない状況なのに、どこまでも兄の手も言葉も優しい。当たり前のように仕返しされると思った自分に気づいてみれば、どれだけ自分は兄に対して傲慢な言葉の数々を投げつけていたんだろうか。本当に兄は甘くてお人よしだ。
ウコバクが二人分のトーストを持ってくる。
「じゃ、いただきまーす。」
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柴仲達
性別:
女性
職業:
会社員
趣味:
読書、二次創作
自己紹介:
忍たまで「幸福雑音」というサークルで、大阪のイベントに出没しています。
絵描きの竹さんと字書きの柴の二人サークルです。
柴はツイッターもしています。http://twitter.com/#!/hitsugi12
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