幸福雑音
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☆ss「バーレスク」志摩燐 「アラベスク」の幕間劇
あらゆることで奥村先生にはかなわんと思うとった。
『俺、子ども欲しい。』
正十字騎士団熱海支部の与えられた個室で志摩廉造は頭を抱えていた。
『燐は奥村先生があんなんなってるのは知っとるはずなのに。子ども作ったら火に油注ぐやん。しかも俺ら十五歳やん。』
めんどくさいのは勘弁な男だと自覚している。しかし、そのめんどくさいことの最上級である奥村燐に結婚を申し込んで、燐はあっさりそれに乗ってきた。祓魔師の資格を取ることさえまだ途上の身なのに、ただの気休めの自分のプロポーズは食いつくように受け止められてしまった。そんな言い訳、悪魔になった弟に通用するはずがないが。
結婚を前提にした二人旅行の帰りに帰るに帰れない事情が勃発した。ほとぼりが冷めるまで滞在すると言えば聞こえはいいが、実は強制的に軟禁されている。帰れない事情と言うのは、正十字学園にて燐の弟である雪男がまさかの悪魔落ちをした。しかもサタンの力を吸収しているらしい。
志摩は割と軽く考えて行動しがちな性格であるのは自覚しているが、自分が取った行動が予測不能な事態を引き起こしたことに、それを聞かされたことに背骨が抜け足が竦んだ。自分はここまで軽はずみな男ではなかったはずだ。ただ憎からず思っていた奥村燐を元気付けるだけの言葉だったのに。
『燐、結婚せえへん?』
『俺でいいの?』
旅行だって新婚旅行と銘打ったのは自分だが、ほんのままごとのつもりだった。だから自分の冗談まがいのプロポーズで、世界が滅ぶなんて思いも寄らない。燐も雪男もいちいち本気過ぎる。あくまで自分は半ば冗談半分だったのに。
本気と嘘気のボーダーがぶれてきている。大体二人で旅行する前まで手だって握ったこともなかったのに。なけなしの誠意のつもりで、旅行中布団だって別にした。二人で観光地を歩いて、いつもの堅苦しい学園生活から抜け出して、にこやかに過ごして、それだけでいいなんて高を括っていた。
甘い言葉を囁いても、具体的な行動に出なかった自分の言葉をここまで本気にするとは。燐は本当の意味で世間知らずなのだろう。まして子どもがどうやって出来るかわかっとんかこいつと目の前で真剣な目をする燐の頭を、ふざけ半分で小突きたくなる衝動にかられる。
目の前の窓からは、のどかな熱海の海がひねもすのたりのたりと波打っている。その向こうで悪魔と化した奥村雪男が、兄を求めて大暴れしているとは思えなかった。
「なあ燐。現実逃避しとる場合やないんや。若先生が悪魔落ちしたのは俺らの所為なんは確実なんや。それに子ども言うて、どうやったら出来るんか知っとるんか? 男同士やで。まあやることはやれるけど、出来るかどうかは分からないで。ほんで、もし出来てもうたら、俺、若先生に殺される。」
燐はそんな泣き言を聞き入れずに言う。
「俺達結婚したんだから、子ども作っても別にいいじゃん。俺、ちゃんと知ってるんだから。エロ本でやってるようなことするのは、本来エッチじゃなくて子ども作る為の行為なんだろ?」
「俺が変な教材与えてもうたんか。そういや……。知っとるのは別にええんやけど。いやようないわ。」
カソリックの教会の支部なのに、何故か畳敷きのこの部屋には志摩と燐しかいない。但し書きさえなければ、ただの民宿の一室のようにも見える。しかし壁一枚隔てた部屋には、カソック姿の祓魔師たちが待機している。監視されている中で、サタンの息子と交情したとなれば、すぐに騎士団上層部に報告されてしまうだろう。
「燐。男同士のセックスはなあ、見るとやるんじゃ全然違うんで。それに言っとくけどなあ、結婚イコール・セックスイコール・子作りも違うと思うんやけど。」
横目でチラリと燐を牽制するようなことを言ってみる。燐はむっと息を詰まらせている。
「違うのか?」
「たぶん違う。」
しばしの沈黙。畳の上で胡坐を掻いていたのを、燐は正座に座りなおした。今まで見たこともないような、真剣で覚悟を決めた顔だった。
「何、急に畏まっとるん?」
そのまま三つ指をついて志摩に向かって燐は頭を下げる。
「よろしくお願いします。」
頭を下げたまま、燐は動かない。これが燐の覚悟の程なのかと廉造は唾を飲み込む。今は自分達のいる一見穏やかな空間の外の世界は、とてつもないクライシスを迎えている。だけど燐が望んでいるのはただ一つの――。
まだ手を繋いだこともない。チューもする暇もなかった。そんな男の気休めのプロポーズでも、燐は真剣に受け止めた。世界が崩壊したって、弟が大魔王になったって。
考えれば考えるほど、廉造の心は怖気づく。それでも身体は動いてくれた。
「燐。顔上げてええよ。」
「え?」
顔を上げた燐の唇に廉造は唇を重ねた。
「ふざけ半分も気休めも、もうやめるわ。こっから俺本気になるけど、ええ?」
* * *
奥村雪男は朦朧とした意識で面会室に通された。まだ詠唱と薬剤の後遺症で身体が上手く動いてくれないけれど、念には念を入れて、がっちりと手錠を掛けられている。分厚いガラス越しに、へらへら笑う憎い顔があった。
「志摩……廉造。」
ガラスを叩き割って首を締め上げたいけど、雪男にそんな力が残っているわけがない。手錠の掛かった手を十センチも上げられずに、虚ろな眼差しを向けるしかなかった。
「若先生が何を言いたいんか、よう分かる。今更顔出して、俺はどうするつもりなんかな? ただ報告するしかあらへん。」
へらへら笑っていたのが止まる。しかし雪男の口から出るのは怨嗟のか細い声だった。
「貴様……よくも、兄さんを……。」
「言い訳はせえへんよ。」
志摩はガラス越しでは見えなかった両手首を上げる。彼の手首にも雪男にされているものと同じ手錠が掛けられていた。そして、袖を捲り上げられた腕には、おびただしい注射痕があった。
「燐と一緒に先生に面会した後、俺もこの本部に隔離されとる。悪魔を孕ました前代未聞な男やと上層部のお偉いさんに言われたわ。」
「自業自得だ。兄さんを穢した報いだ……。」
志摩はやっぱりなと言うように椅子の背もたれに寄りかかる。
「やっぱり祝っては貰えんな。」
雪男は無言なまま志摩から視線を外す。志摩はそんな雪男から目を逸らさない。雪男からすれば何が可笑しいか分からないが、口元が笑うように上がっている。
「俺の身体はなんやかんや調べられとる。当たり前や。何百年前なら火炙りになっとるようなことをしたんや。しかも燐は男として生まれ育ってる。幾ら悪魔やからと言っても説明つかんわ。」
雪男は相変わらず無表情なままだ。眼鏡が下にずれているので、志摩の顔もぼんやりとしか見えていないのだろう。
「子ども出来て、燐は喜んどったけど。ええことばかりはないわ。ひょっとしたら、俺ら、ずっと逢えなくなるかもしれへん。俺、子どもの顔も見れへんかもしれへん。あいつも、子どもも、どうなるかわからん。でもあいつは嬉しそうやったんや。わかる? 先生。」
志摩の目から一粒の涙が零れた。
「俺が出来るのは、お偉いさんの言うこと聞いて、俺の身体をサンプルとして提供するくらいや。それで燐と子どものことを、悪いようにしないでくれと、お願いするしかない。ほんま情けないけど。それしか出来へん。」
「それが……君の覚悟?」
志摩は頷く。雪男は気だるそうに顔を上げた。
「じゃあ僕も、こんな所で死に掛けている場合じゃないな。」
志摩の顔が上がる。そこには雪男のさっきまでとは打って変わった強い光を宿した目があった。
「先生。もう無茶はやめてな。」
自分の言葉が再び雪男を暴走させるのかと恐れる。
「相変わらず小心者だな。君は。もともと僕は考えなしな君らとは違うんだよ。」
「悪魔落ちしたあんたに言われとうないけど。」
「あれは一回こっきりの若気の至りだよ。」
「若気の至りで世界滅ぼすんかあんたは! 精精盗んだバイクで走り出すんが普通の十五歳やろうが。」
雪男はにやりと笑う。
「世界を滅ぼすきっかけは君が作ったんだよ。」
「それ言われるとどうしようも無いんやけど。」
少し落ち着いた様子の志摩を見て、雪男は傲岸に笑い声を上げた。
「実の兄が懐妊したって言うのに、こんなところで燻っている場合じゃないよね。僕はこれから騎士団に対して申し開きするつもりだよ。平身低頭して這い蹲って縋り付いて媚びへつらって、君の言うところのお偉いさんの靴の裏でも舐める覚悟だよ。その代わり、絶対に兄さんと子どもの安全を確保してやる。まあこの身体も含めて取引する材料は幾らでもあるからね。」
「先生あんた……」
雪男は眼鏡をずり上げて志摩をまっすぐに見る。
「やっと分かり合えたね。僕ら。」
「分かり合えたんかな?」
雪男の豹変振りにまだ頭がついていかない志摩だったが、雪男はそんなことにも全然構わず、早速監視している祓魔師に合図を送る。そして監視人が差し出す書類に片っ端からサインを始めた。監視人はその変わり身の早さに半ばひいている。
「罪状は全部認めた。全ての刑罰も検査も喜んで受けよう。」
雪男のよく通る声が面会室に反響する。ここまで堂々としていて生気に溢れた罪人がいるだろうか。でもこれは自分達の未来にとって素晴らしい予兆だ。志摩にとってもこの面会は賭けだった。自分だけでは到底、燐も子どもも、自分も守れそうになかった。どうしても雪男の手が必要だった。雪男を悪魔落ちさせたのは自分自身だけど、そんなことを言ってる余裕はない。
あと六ヶ月だ。それにはどうにか間に合いそうだ。面会室をあとにした志摩は安堵で膝が崩れ落ちた。
志摩と雪男の和解編でした。一番パニックに陥っているのは外野です。よく考えてみれば私らの作品って、原作のパラレルワールドを幾つか書いているような気がします。アラベスクの志摩燐ルートが一番イレギュラー過ぎますね。
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